事情について

こんにちは。皆様お元気でいらっしゃいますか?「近日中に閉じる」とか言いながら、なかなか閉じないでいますが、、、そうなのです、私はベリー摘みに忙しくてサイトを閉じている暇もないのです。週末は3日続けて出歩いていました。バンクーバー地域には野生の小果実がたくさんあります。狩猟採集生活が合っているらしい私は、狩猟のほうはさておき、季節になると「何か食べられるものはないか」と山野を徘徊します。遠いご先祖様の血が色濃く残っているのでしょう。

お世辞にもハイテクでないという事情もあります。このサイトはできることならそのまま続けたいのですが、今は法的な問題その他を確認していただいているところですので、それで「やっぱり駄目」ということになれば閉じなければなりませんし、そうでなければ閉じてもまた開けられます。でも、そういう手続きは難しそうだし、内容だって全部消えるだろうし、人には「保存してくれ」とか言いながら、自分では自分の書いたものをちゃんと保存してません。想定できる様々な頭痛の種を考えると、ぎりぎりまでそっとしておくのが一番だなと思います。そういうわけで、今のところは閉じないことにしました。

翻訳そのものを続けるべきかどうかは、私は個人的にはとりあえず死ぬまでしようと思っていましたし、長年翻訳をなさっているナーガナターナさんや寺院長さんはじめ、大勢の方が「続けてくれ」と言ってくださいました。こちらのサイトでの励ましも本当に嬉しいです。やめようかなと思ったのは法的なことなどの二次的な問題のためなので、つまりそれは配布方法の問題です。まあとりあえず本義である私自身の意欲がある限りは、ひっそりと誰にも見せずに書き溜めるというのだっていいだろうし、続けるのが自然だろうなと思っています。

問題点には3つあります。一つは著作権に関するものです。私の活動は私のみならず関係各位に罪が及ぶ可能性があるそうなのです。それは私の意図するところではありません。このことの真偽は私には分からないのですが、親切に確認してくださっている皆さんがいらっしゃいます。OKということになれば、その旨をこちらでも改めて明示します。

もう一つは私の翻訳者としての資格に関するものです。私は入門した信者ではなく、翻訳の学校に通ったわけでもなく、ISKCONで翻訳テストを受けて採用されたわけでもなく、依頼されたわけでもありません。つまり、どこの誰とも知れぬ素人の部外者が、勝手に誰かの大事な聖典を訳して流通させているのです。このことに不快感を持つ方がいたとしても、それはごく自然なことだと思います。それを思い至らなかったのは、ほんとに私の落ち度でした。これに関しては、翻訳、編集、記事書き、校正などの語学的なことに関する私の詳しい経歴をISKCONの責任者の方にお送りしたので、それで十分だと認定していただければ不満のあった方にもとりあえず申し訳が立つかなと思っています。

それともう一つは、用語と文体に関する問題です。できれば触れずに済ませたい問題の第一はこれだったわけですが、、、ご覧のように、私の文体は直訳です。自然で滑らかな日本語ではありません。ぎこちないなあ、と我ながら思います。通常、翻訳というのは、ある言語での自然な文章を別の言語での自然な文章に置き換えることを至上とします。いかにも「訳しました」という文章は、上手な翻訳とはいえないのです。プラブパーダの文章も、一般流通のためには私の文章では不適切です。もっと日本語の上手な誰かに書き直してもらうというステップが欠かせません。日本を離れて20年の私には、ちょっと荷が重い作業です。

あえて不自然な直訳をしている理由は、私の日本語の力の不足ということのほかに、プラブパーダの英語を可能な限り英語のままでご紹介したいからでもあります。プラブパーダの本の翻訳は、もともとは自分の勉強のために「簡単な宇宙旅行」を訳したのがきっかけです。私はもともと英語でクリシュナ意識を知りましたし、日本語の資料もなかったので、自分でいろいろ考えて適切と思う用語を選びました。その後、ワーキングホリデーで滞在していた若い日本人に出会いました。彼の英語はどうもあんまりぱっとせず、しかし英語でクリシュナ意識の本を読みたいというので、それなら、と思って小さな本を一文一文訳してあげました。英語の文章を理解するための補助ですので、関係代名詞だの不定詞だの、文法の本と辞書そのままです。つまり、「この文はこういう仕組みになっている」という詳細な解説です。そもそもの初めから、自然な日本語を書こうとしていないのです。

こうして始まった作業をずーっとそのままの方針で続けているわけです。これは、実はプラブパーダのご本のような性格の文書を訳す上では、どうしても欠かせない作業ではないかと私は考えています。聖書の翻訳でもそうですが、単語の一つ一つや構文の一つ一つが問題となります。プラブパーダの本も、どうでもいいような単語でも実はいろんな意味があって解説が必要だったりします。プラブパーダの英語を私はできる限り一言一句変えずに伝えたいのです。その結果として滑らかさが犠牲になっても、それは編集作業によって修復が可能です。その逆はできません。

つまり、プラブパーダの本の翻訳には、両方の手法が必要です。私はそのうちの直訳の部分を独自に請負い続けたいだけです。我ながら頑固だと思うのですが、用語の変更の要求にも応じたくありません。報酬を要求しないのも入門しないのも、束縛のない立場を保ちたいからです。

用語についても同様のことが言えます。公式に採用されている用語を使うべきなのだろうとは思いますが、どうもやっぱりわがままなので、自分の好きなように訳したいです。かの有名な「献身者」と「献愛者」の議論ではありませんが、こういうのは言葉に対する個人的な思いいれもあるし、お金を貰ってする仕事でもないのに用語表に従うのは嫌だ、と思ってしまうのです。こうしてみると、単に好き勝手したい、と言ってるだけに聞こえますが、、、、ほんとにそうなのです。ご迷惑をお掛けします。

以上のような問題点が全部クリアされるのであれば、このままの形でひっそりと活動を続けていくつもりです。
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by ammolitering4 | 2010-06-29 00:56 | その他


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