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第1章 ルーパ・ゴスヴァーミーへの教えー4

第39段落

私たちが「クリシュナでないもの」あるいは「クリシュナと関係のない欲望」について語るとき、これはクリシュナなくして何かが存在し得るということを意味するのではありません。実際は、「クリシュナでない」何ものかというのは存在し得ません。すべてはクリシュナのエネルギーの産物だからです。

クリシュナと主のエネルギーは同一であるので、間接的にすべてはクリシュナです。例えば、意識はすべての生命体に共通するものですが、意識が純粋にクリシュナに集中しているとき(クリシュナ意識)、それは純粋であり、そして意識がクリシュナでない何かに集中しているとき、あるいは感覚の満足に向けられているとき、それはクリシュナ意識でないものと呼ばれるでしょう。

このように、「クリシュナでないもの」という概念が生じるのは、汚染された状態でのことです。しかし純粋な状態ではクリシュナ意識しかありません。

第40段落

クリシュナへの動的な関心、すなわちクリシュナは私のもの、あるいは私はクリシュナのもの、そしてそのため私の仕事はクリシュナの感覚を満足させることだ、というのは、シャーンタ・ラサの中間性よりも高い水準において典型的なものです。

単にクリシュナの偉大さを理解することによって、人はシャーンタ・ラサの地位を得ることができます。そこでは、崇拝の対象は非人格のブラーマン、あるいはパラマートマーであるかもしれません。非人格のブラーマンとパラマートマーの崇拝は、経験主義的な哲学的な推察と神秘的なヨガに携わる者によって行われます。しかし、クリシュナ意識、あるいは霊的な理解においてさらに発達すると、人はパラマートマー、すなわち超魂が永遠の崇拝の対象であるということを深く認識し(to appreciate)、主に服従します。

(サンスクリット引用)(BG7.19)

「ブラーマンとパラマートマーを崇拝する生を非常に多く繰り返した後で、至高の主人としてのヴァースデヴァに服従し、自らをヴァースデヴァの永遠の従者として受け入れるとき、人は超越的な悟りを開いた偉大な魂になります。」

そのときに、至高の完全真理との関係の濃さに応じて、人は至高の人格神に何らかの超越的な愛情ある奉仕を始めます。こうして、シャーンタ・ラサとして知られる中間的な関係がダーシャ・ラサ、すなわち主従関係に変わります。

第41段落

ダーシャ・ラサの水準では、至高主への最大の量の畏怖と崇敬が表されます。それは、ダーシャ・ラサにおいては至高主の偉大さが深く認識されるということです。ここで、シャータ・ラサの水準では霊的な活動はないけれど、ダーシャ・ラサの水準では奉仕が始まる、ということが特筆されるべきです。

このように、ダーシャ・ラサではシャーンタ・ラサの性質が表され、それに加えて奉仕の超越的な味わいという意識があります。

第42段落

シャーンタ・ラサとダーシャ・ラサには、確かに超越的な性質があります。しかし、これらの先にはもう一つの性質、すなわち親密な愛着があります。それは純粋な超越的な愛です。この、至高の人格への愛情ある親密さは、厳密にはヴィシュラムバーとして知られます。

ヴィシュラムバーの水準、すなわち友愛では、至高の人格神に対する畏怖や崇敬の感覚はありません。このように、サキャー・ラサとして知られる超越的な友愛の関係においては、三つの超越的な特徴があります。偉大さの感覚、奉仕の感覚、そして畏怖や崇敬のない親密さの感覚です。このように、サキャー・ラサ、すなわち友愛の関係では、超越的な性質はさらに増します。

第43段落

同様に、親としての愛情の水準(ヴァーツァリャ・ラサ)では、4つの性質があります。既に述べた3つの性質に加えて、至高主が献身者の恩恵に依存しているという感覚があります。至高の人格神の親として、献身者はときとして主に罰を与え、自らを主の保護者(maintainer、維持する者)と考えます。この、至高の保護者の保護者であるという感覚は、献身者にとっても至高主にとっても、とても心地よいものです。

第44段落

主はシュリーラ・ルーパ・ゴスヴァーミーに、「バークティ・ラサームリタ・スィンドゥー」、すなわち献身奉仕の科学という題名の超越的な文献を書き、そこでこれらの5つの超越的な関係の本質を示すように指示なさいました。

その偉大な文献の中で、クリシュナへの断固たる信頼(faith)という形をとるシャーンタ・ラサの超越的な関係がどのように奉仕の精神と共にダーシャ・ラサへと発達し、そしてサキャー・ラサ、すなわち何ものにも妨げられることにない友愛、そしてさらに自分が主の保護者であると感じる親としての愛という超越的な水準へと進むか、ということが説明されています。

これらのすべての関係は、終にはこれらすべての超越的な関係が同時に存在する恋人としての愛という最高の水準(マドゥーラ・ラサ)に至ります。

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以上で第1章を終わります。ずいぶん長いことお待たせいたしました。まだまだ先は長いです。あと300ページくらい。。。ソチのオリンピックが始まる頃には完成してるといいけど。。。

翻訳の文体は相変わらずの堅苦しいものです。森に取り残されたゴピーたちがクリシュナをぼろくそに言ってる様子など、どうぞご自分で想像力豊かに解釈しながら読んでください。
by ammolitering4 | 2010-03-22 05:52 | 「主チャイタンニャの教え」 | Comments(2)
Commented by acha at 2010-03-23 08:48 x
ありがとうございます(^^)
一気に読ませていただきました。
葉子さんの文体、とても理知的で大好きです。
Commented by 葉子 at 2010-03-23 12:43 x
お待たせしました。さっそく読んでいただいて嬉しいです。これからものんびり気長にお付き合いください。堅苦しいのも、好意的に解釈すれば理知的なのかも。。。ちょっと安心しました。ありがとうございます : )
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