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第1章 ルーパ・ゴスヴァーミーへの教え-1

第1章 「ルーパ・ゴスヴァーミーへの教え」

第1段落

サナータナ・ゴスヴァーミーの弟であるシュリーラ・ルーパ・ゴスヴァーミーは、弟のヴァッラバーと一緒にプラヤーグ(現アラハバード)(訳注:インド北部の都市)に行きました。主シュリー・チャイタンニャ・マハープラブがそこに滞在しておられることを聞いたとき、二人の兄弟はどちらもとても嬉しくなって、主に会いに出かけました。

その頃、主はビンドゥマーダーヴァの寺院を訪ねていく途中でいらっしゃいました。寺院へ向かう途中、主は真言を歌い唱えたり(チャンティング)踊ったりしておられ、何千人もの人々が主に付き従っていました。

これらの人々のうち、ある者たちは泣き、別の者たちは笑っていました。ある者たちは踊り、別の者たちは歌っており、地にひれ伏して主に服従の念を表している者たちもいました。どの場合でも、彼らのすべてはクリシュナの聖なる御名を大きな声で唱えていました。

ガンジス川とヤムナー川の合流点にあるにも関わらず、プラヤーグはチャイタンニャのご降臨までは一度も洪水がなかったといいます。ご生誕のときは、街はクリシュナへの愛で溢れていました。

第2段落

ルーパ・ゴスヴァーミーとヴァッラヴァーの二人の兄弟は、人ごみから離れたところに立って、人々の大群とすばらしい光景を目の当たりにしました。踊るとき、主は腕を上げて「ハリボル!ハリボル!」と叫ばれました。

主の周りを取り囲んだ人々は、主のすばらしい行いを見て驚嘆しました。寺院を訪れた後、主はデカン地方出身の(南部の)(訳注:原文はDeccanist。「デカン」はインド南部のデカン地方、あるいはデカン高原を指す)ブラーマナの家でプラサーダ(神像に捧げられた食べ物)をお受けになりました。

そのブラーマナの家にいた間に、主はルーパ・ゴスヴァーミーとヴァッラヴァーの訪問を受けました。二人の兄弟は離れたところで地にひれ伏して敬意をささげ、そして聖典から(訳注:抜粋した)多くのサンスクリットの節を唱えました。

ルーパ・ゴスヴァーミーがご自分の前で敬意を捧げているのをご覧になったとき、主は大変喜んで、彼に起き上がるようにおっしゃいました。それから主はルーパ・ゴスヴァーミーに、クリシュナが彼に授けられるいわれのない恵みについてお教えになりました。

クリシュナが単に金勘定(訳注:原文は「ポンド・シリング・ペンス」。どれもイギリスのお金の単位)に基づいた物質主義的な人生のあり方から彼を解放なさったからです。

第3段落

主は二人の兄弟をご自分の弟子として受け入れられました。そして主は聖典から一節を引用して唄われました(to cite)。その節には、4つのヴェーダを学んだブラーマナが主の献身者として受け入れられないこともありえるし、純粋な献身者は非常に身分の低い家庭の出身であっても主によって受け入れられる、と述べてありました。

それから主は二人の兄弟を抱きしめられました。そして、ご自分のいわれのない恵みにより、彼らの頭をご自分の蓮の御足で触れられました。このように祝福されて、兄弟たちは自分の言葉で主に祈りを捧げました。

その祈りは、主シュリー・クリシュナ・チャイタンニャ・マハープラブはクリシュナご自身であり、主はチャイタンニャの形と色白な肌色でお現れになり、そのためゴーランガ(黄金色の者)として知られ、主はクリシュナへの愛を配っているので最も気前の良いクリシュナの化身である、ということを示していました。

シュリーラ・ルーパ・ゴスヴァーミーはまた、後に「ゴヴィンダ・リーラームリタ」という本(1.2)に収録された(訳注:found、最終的にたどり着いた)一節を引用しました。

(サンスクリット引用)

「シュリー・クリシュナ・チャイタンニャ・マハープラブの蓮の御足に服従させてください。主は最も情け深い至高の人格神でいらっしゃいます。主は無明に埋没した魂を救い、彼らにクリシュナへの愛という最高の贈り物を賜ります。そうして、彼らをしてクリシュナ意識を狂ったように求めさせます。」

第4段落

この出来事の後、ヴァッラバー・バーッタは主をガンジス川の反対側へいらっしゃるように招き、主は出かけられました。そのときから、主がいらっしゃる所へはどこでもルーパ・ゴスヴァーミーも一緒に行って滞在しました。

人の多い場所で不便を感じられたので、主はルーパ・ゴスヴァーミーに、ダシャーシュヴァメダー・ガーダとして知られるガンジス川の河岸の場所に一緒に来るように頼まれました。十日間に渡って、主はルーパ・ゴスヴァーミーに、クリシュナの真実と献身奉仕の原則と、そしてクリシュナとの超越的な関係について教えられました。

これらのすべてが極めて詳細に描写されました。将来において、ルーパ・ゴスヴァーミーがこのクリシュナの科学を自著「バークティ・ラサームリタ・スィンドゥー」において広めることができるようにするためです。

実に、シュリーラ・ルーパ・ゴスヴァーミーはこの出来事を「バークティ・ラサームリタ・スィンドゥー」の最初の節で描写しています。そこで彼は主が自分に授けてくださったいわれのない恵みについて語っています。

第5段落

至高主は全知(訳注:cognizant、直接的に知っている)全能であり、主はご自分のいわれのない恵みによって、生命体がご自分の恵みを受け取ることができるようにしてくださいます。制約された人生という呪縛のもとにあるため、人々は一般に献身奉仕をしたりクリシュナ意識の修練をしたりすることをひどく嫌います。

事実、ほとんどの人は、至高の人格神との人の永遠の関係、および人生の究極の目標に関するクリシュナ意識の主要に教えを知りません。その目標とは、家へ、至高神のもとへ帰ることです。人々は霊的な世界へ帰るための方法も知りません。

これらの主要な事柄が制約された魂に知られていないので、主チャイタンニャはご自分のいわれのない恵みにより、ルーパ・ゴスヴァーミーに献身奉仕の原則をお教えになりました。のちに、一般の人々の利益のために、ルーパ・ゴスヴァーミーはこの献身奉仕の科学という情報を広めました。

第6段落

「バークティ・ラサームリタ・スィンドゥー」(Bh. r.s.1.1.2)の序文において、ルーパ・ゴスヴァーミーは次のように書いています。

(サンスクリット引用)

「私は主チャイタンニャデヴァとして知られる至高の人格神の蓮の御足に慎んで敬意を捧げます。主の霊感による創造的な刺激(His inspiration)によって、私は心の中に献身奉仕について書きたいという欲求を感じるからです。この理由により、献身の科学に関するこの本、「バークティ・ラサームリタ・スィンドゥー」を書いています。

第7段落

主チャイタンニャがルーパ・ゴスヴァーミーに教えを授け始められたとき、主はまず彼にこうおっしゃいました。「我が親愛なるルーパよ。献身奉仕の科学は、ちょうど大きな海のようなものです。その大きさ(length and breadth)のすべてをあなたに見せるのは可能ではありません。

しかし私は、そのただ一滴を取ることによって、その海の性質を説明しようと試みます。こうすることによって、あなたはそれを味わうことができ、その献身奉仕の海とは実際に何であるのかを理解することができます。」

第8段落

それから主は、このブラーマーンダ、すなわち宇宙の中には無数の生命体がいて、それぞれの結果を求める行いに応じて、それらの生命体はある種の生命の形から別のそれへ、そして一つの惑星から別の惑星へと転生しているのであることを説明なさいました。

このようにして、彼らは記憶に残らないほどの太古から物質存在の中で閉じ込められています(their encagement in the material world has been continuing)。実際には、これらの生命体は至高の霊の原子サイズの欠かすべからざる小片です。

シュリマッド・バーガヴァタムには、個々の魂の大きさはおよそ髪の毛の先の一万分の一、言い換えると、とても小さいので目に見えない、と述べられています。これはシュヴェターシュヴァタラ・ウパニシャッドでも確認されています。シュリマッド・バーガヴァタムの10巻において、四人のクマーラのうちの一人のサナンダナとして知られる者が、大規模な犠牲を行うにあたって次のように述べました。

「おお、至高真理よ!もしも生命体が至高の霊の微細な火花でなかったならば、それぞれの微小な火花はあまねく行き渡るであろうし、優勢なる力によって統御されることもないでしょう。しかし、もしも生命体が至高主の欠かすべからざる微細な小片として受け入れられるなら、彼は自動的に至高のエネルギーあるいは力によって統御されるようになります。

後者が彼の実際の本来的な立場であり、もしも彼がこの立場に留まるなら、彼は完全な自由を得ることができます。」(Bhag.10.87.30) もしも人が誤って自分の立場が至高の人格神のそれと同等であると考えるなら、彼は非二重性という学説(doctrine、教義、信条)によって汚染されます。そして超越的な人生における彼の努力は非効果的な結果に終わります。(to render)

第9段落

主チャイタンニャは、シュリマッド・バーガヴァタムのこれらの教えについて、生命体には永遠に解放されている者と永遠に制約されている者の2種類がある、ということを指摘して詳しく述べていらっしゃいます。永遠に制約されている生命体は、動くものと動かないものという2種類に分けられます。

例えば木などの動けない生命体は、一箇所に留まり、動かない生命体として分類されます。そして、例えば鳥や獣などの動く生命体はジャンガマ(動く生命体)と呼ばれ、さらに三つに分けられます。空を飛ぶもの、水の中を泳ぐもの、土の上を歩くものです。

何百万もの何兆もの地上の生命体の中で、人間はほんのわずかな部分を占めるに過ぎません。その数少ない人間の中で、ほとんどは霊的な人生について全く無知です。そして、その習慣は不潔であり、至高の人格神の存在について何の信仰(faith)も持ちません。

つまり、ほとんどの人間は動物のように生きています。これらの人々は実際に人間的な、あるいは文明的な社会(life)を構成する人間の数から除外され得ます。聖典や神の存在、あるいはきちんとした振る舞いでさえ、それらを信じる数少ない人間を見つけるのは非常に難しいのです。(for that matter, 何かについて話しているときに「その話をすれば、もっと言うならこれについても」というような意味。)

これらの事柄の価値を信じる者はアーリャと呼ばれます。これは霊的な人生における発達を信じる者を指す言葉です。聖典の価値と人間の文明の発達を信じるこれらの人々には2種類あります。高潔な者と、高潔でない者です。

高潔な者は一般に、感覚の満足にとって何らかの良い結果を得るために、結果を求める行いをします。感覚の満足のために高潔な活動をする多くのそのような人々のうち、完全真理を知るようになるのはほんのわずかです。これらの人々はジニャーニー、すなわち経験主義的な哲学者と呼ばれます。

何百何千ものそのような経験主義的な哲学者のうち、実際に解放を得るのはほんの一部です。解放されると、生命体は物質的な要素からできているのではなくて、物質とは明確に異なる霊魂である、ということを彼は理論上で理解します。

単にこの教義を理論上で理解することによって、人は解放された者と呼ばれます。しかし実際には、ムクタ、すなわち解放された魂とは、主の永遠の従者としての自分の本来的な立場を理解している者です。そのような解放された魂は、信仰(faith)と献身の念をもって主への奉仕に携わります。そして彼らはクリシュナバークタ、すなわちクリシュナ意識の人と呼ばれます。

第10段落

クリシュナバークタにはいかなる物質的な欲望もありません。単に生命体は物質的ではないと知ることによって理論上で解放されている者には、厳密に言えば彼らは解放された魂に分類されるとはいえ、まだ欲望があるかもしれません。彼らの主な欲望は、至高の人格神と一つになることです。

一般に、そのような人々はヴェーダの儀式と高潔な行いに大いに執着しており、物質的な繁栄を楽しむためにそれらを行います。彼らのうちの一部の者が物質的な快楽を超越するときでさえ、彼らはそれでも至高主の存在に同化することによって霊的な世界を楽しもうとします。

彼らの一部はまた、ヨガを行うことによって神秘的な力を得ることを望みます。これらの望みが人の心の中にある限り、彼は純粋な献身奉仕の性質を理解することはできません。そのような望みによって常に心を乱されているとき、人は平穏ではありません。

実に、物質的な完成への何らかの望みがある限り、人は平穏ではいられません。主クリシュナの献身者は何らの物質的なものも望まないので、彼らはこの物質世界の中で唯一の平穏な人々です。これはシュリマッド・バーガヴァタムにおいて確認されています。

(サンスクリット引用)

「おお、偉大な聖人よ。何百万もの解放された人々および神秘的なヨガにおいて成功を収めた人々のうち、至高の人格神に完全に身を捧げ、平和に満ちた人は、見つけるのが非常に難しいのです。」(SB6.14.5)

第11段落

このようにして主チャイタンニャは、物質世界をさまよう何千もの何百万もの生命体のうちで、主クリシュナと霊的指導者の恵みにとって献身奉仕の種を得る者は非常に稀で幸運である、と説明なさいました。敬虔な、あるいは宗教的な人は、一般に様々な寺院で神像を崇拝する傾向があります。

しかし、もしも偶然によって、たとえ知らずにそうなったにしても主ヴィシュヌに敬意を捧げたり、主の献身者であるヴァイシュナヴァの恩恵を受けたりすれば、その人はその時に、至高の人格神に近づくのに必要な価値あるものを得ます。

これはシュリマッド・バーガヴァタムの中で語られている偉大な聖人ナーラダの生涯の話から明らかに理解され得ます。前世においてヴァイシュナヴァに奉仕をしたことによって、ナーラダは主の献身者の恩恵を受け、偉大な聖人になりました。実に、聖人たちの中でナーラダ・ムニは最も偉大であると考えられています。

第12段落

ヴァイシュナヴァ、すなわち献身者は普通、制約された魂に対してとても同情的です。たとえ招かれなくても、献身者は家から家へと訪ねていきます。主クリシュナの従者としての生命体の本来の立場という知識を与えることによって人々を啓蒙し、彼らを無知の闇から引き出すためです。

そのような献身者は、一般の人々に献身意識すなわちクリシュナ意識を広めるために、主によって力を与えられています。彼らは正統なる霊的指導者として知られており、制約された魂が献身奉仕の種を得るのは彼らの恵みによるものです。

至高の人格神のいわれなき恵みは、人が真正なる霊的指導者との関わりを得たときに初めて真価が理解されて感謝されます(to appreciate、価値を理解して有難く思う)。真正なる霊的指導者は、制約された魂を献身生活の最高の高みに連れて行くことができます。

したがって主チャイタンニャは、霊的指導者の恵みにとって人は主のいわれなき恵みを得ることができ、至高の人格神の恵みによって人は真正なる霊的指導者の恵みを得ることができる、とおっしゃいました。

第13段落

このように、霊的指導者とクリシュナの恵みによって、人は献身奉仕の種を受け取ります。彼はその種を自分の心という畑に植えさえすればよいのです。ちょうど、庭の世話をする人が貴重な木の種を植えるようなものです。この種を植えたとき、人はそれに水をやらねばなりません。

それは、至高主の聖なる御名を唱えたり聞いたりすることや、純粋な献身者との関わりの中で献身奉仕の科学についての議論に加わったりするという形をとります。献身奉仕という木(訳注:原語はplant)献身の種から芽を出すと、それは自由に生長し始めます。

完全に成長すると、それはこの宇宙の大きさを超えて、超越的な空間に入ります。そこでは、すべてがブラーマジョティの光輝に浸っています。木はこのブラーマジョティさえ突き抜けて、やがてゴロカ・ヴリンダーヴァンと呼ばれる惑星に入ります。そこで木はクリシュナの蓮の御足のもとで庇護を受けます。

それが献身奉仕の究極の目的地です。ここに辿りついたあと、木は「至高神への愛の実」と呼ばれる実を結びます。しかし、献身者、すなわち超越的な園芸家は、聖なる御名を唱えたり聞いたりすることによって、その木に毎日水をやる必要があります。唱えたり聞いたりすることで水をやらないなら、枯れてしまう危険はいつでも待ち構えているのです。
by ammolitering4 | 2010-03-22 02:41 | 「主チャイタンニャの教え」 | Comments(0)
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