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序文 後半

第10段落(以下、マハープラブ)

サンニャーサの後、マハープラブはシャーンティプラにあるアドヴァイタ・プラブの家を訪れるように誘われました。アドヴァイタ・プラブは、マハープラブのすべての友人たちと崇拝者たちをナディアから招き寄せました。そして、息子に会えるようにマハープラブの母親シャチーデヴィーも連れてきました。

サンニャースィーの衣装を着た自分の息子を見たとき、喜びと痛みの両方が彼女の心を襲いました。サンニャースィーとして、クリシュナ・チャイタンニャ(それがサンニャーサの後で彼が得た名前でした)は、コーピーナとバヒルヴァーサ(outer covering、外套、コートのようなもの?)しか身に着けていませんでした。頭には毛髪がなく、手にはダンダ(棒)とカマンダル(宗教的な隠遁者の水筒)を持っていました。

マハープラブは、愛する母の前にひれ伏して言いました。「お母さん!この体はあなたのものです。そして私はあなたの命令に従わねばなりません。私の霊的な達成のために、ヴリンダーヴァンに行くことを許してください。」

母は、アドヴァイタや他の人々と相談して、時折マハープラブの動向を聞くことができるようにプリー(ジャガンナーターの町)に住むように息子に頼みました。マハープラブはその提案に同意し、2-3日後にオリッサ(地名)へ向けてシャーンティピラを発ちました。

彼の伝記者たちは、シャーンティピラからプリーへのマハープラブの旅を詳細に描写しています。彼は、現在では24パルガナスのダイヤモンド港のターナー・マトゥーラープラに位置するチハトラボーガまで、バーギーラティーに沿って旅しました。

そこから船に乗り、ミドナプラ地区のプラヤーガ・ガータまで行きました。それから、途中でブーラネシュヴァラの寺院を見て、バラソレとチュッタックを通ってプリーへ向かいました。プリーに着くと、寺院でジャガンナーターに会い、サールヴァボーマの要求に応じて彼と一緒に住みました。

サールヴァボーマは当時の偉大なパンディタでした。彼の読書は限界を知りませんでした。彼は当時の最高のサーヤーイカであり、シャンカラーチャーリャの学派のヴェダーンタ哲学における最も学識のある学者として知られていました。彼はナディア地域のヴィデャーナガラに生まれ、そこにある自分のトラで無数の生徒たちにニャーヤ哲学を教えました。彼はマハープラブの降誕のしばらく前にプリーに行きました(引っ越しました)。

(マハープラブがプリーに着いたときに)サールヴァボーマの義理の兄弟であるゴピーナーター・ミシュラがマハープラブを彼に紹介しました。彼はマハープラブの個人的な美しさに驚愕し、長い人生の間(これからの長い人生において)サンニャーサ・ダールマを維持し続けるのは若きマハープラブには難しいだろうと恐れました。

マハープラブがナディアにいた頃から彼を知っていたゴピーナーターは、彼に大いなる敬意を持っており、「このサンニャースィーは普通の人間ではない」と宣言しました。この点に関して、ゴピーナーターとサールヴァボーマは熱い議論を交わしました。

それからサールヴァボーマはマハープラブに、自分がヴェダーンタ・スートラの朗誦をするのを聞いてくれるように頼みました。マハープラブは黙って了承(服従)しました。マハープラブは、偉大なサールヴァボーマが7日間に渡って厳粛に発声するのを黙って聞きました。

その最後にサールヴァボーマは言いました。「クリシュナ・チャイタンニャ!私はあなたがヴェダーンタを理解していないと思います。私の朗誦と解説を聞いた後で、あなたは何も言わないからです。」マハープラブの答えは、「スートラは非常によく理解できたけれど、シャンカラーチャーリャが自分の解説で何を言わんとしていたかが分からなかった」というものでした。

これに驚愕し、サールヴァボーマは言いました。「スートラの意味は理解できるのに、スートラを説明する解説が理解できない、とはどういうことですか?いいでしょう!もしもあなたがスートラを理解できるなら、私にあなたの解釈を聞かせてください。」そこで早速マハープラブは独自の方法で、シャンカラの汎神論的な解説に触れることなく、すべてのスートラを説明しました。

サールヴァボーマは、その明敏な理解力で、マハープラブが与えた説明の中の議論の真実、美、および調和を見抜きました。そして、そのような簡素な様式でブラーマスートラを説明できる人を見つけたのは初めてだ、と言わざるを得ませんでした。

彼はまた、シャンカラの解説は、自分がマハープラブから得たようなヴェダーンタスートラのとても自然な説明は決して与えなかった、と認めました。それから彼はマハープラブに服従して支持者および信者になりました。

2-3日のうちに、サールヴァボーマは当時の最高のヴァイシュナヴァの一人になりました。この出来事の報告が伝わると、オリッサ全体がマハープラブを賞賛する言葉を歌い、何百人も何百人もの人がやってきて彼の信者になりました。その頃、マハープラブは南インドを訪れることを考えました。そして、クリシュナダーサ・ブラーマナという人と共に旅立ちました。

第11段落

マハープラブの伝記者たちは旅の詳細を記しています。彼はまずクールマクシェトラに行き、そこでヴァースデヴァという名のハンセン病患者を癒すことで奇跡を行われました。ゴダーヴァリーの河岸では、ヴィデャーナガラの知事であるラーマーナンダ・ラーヤに会い、プレマ・バークティの主題について彼と哲学的な会話を交わしました。

さらに、7本のターラの木を触って(それらを直ちに消し去ることで)、もう一つの奇跡を行われました。ダシャラターの息子ラーマチャンドラは、それらを通して矢を放ち、偉大なるバリ・ラージャを殺したのでした。

マハープラブは旅の間中ヴァイシュナヴァ主義とナーマ・サンキールタンを布教しました。ランガクシェトラでは、雨季を過ごすためにヴェンカタ・バーッタという人の家で4ヶ月過ごしました。そこで主はヴェンカタの家族を皆ラーマーヌジャ・ヴァイシュナヴァ主義からクリシュナ・バークティに改宗しました。

その中には、ヴェンカタの息子であるゴパーラという名前の10歳の少年もいました。彼はのちにヴリンダーヴァンに来て、6人のゴスヴァーミー、すなわち彼らの指導者であるシュリー・クリシュナ・チャイタンニャの下で仕える唱道者の一人になりました。

彼の叔父、プラボダーナンダ・サラスヴァティーの下でサンスクリット語の訓練を受けていたゴパーラは、ヴァイシュナヴァ主義に関して何冊かの本を書きました。

第12段落

マハープラブはケープ・コモリンまでも南インドを旅し、おびただしい場所を訪れました。そしてビーマ川沿いのパンデプラを過ぎて2年後にプリーに戻りました。このパンデプラで彼はトゥカーラーマという人を霊化しました。彼はそのときから自身も布教者になりました。

この事実は、ボンベイ行政府のサテェンドラ・ナート・タゴレ氏によって一巻にまとめられたマハープラブのアーバンガに収めされています。旅の間に、マハープラブは仏教徒、ジャイナ教徒、およびマーヤーヴァーディーたちと幾つかの場所で議論をし、対抗者たちをヴァイシュナヴァ主義に改宗しました。

第13段落

プリーに戻ると、ラージャ・プラターパルドラ・デヴァおよび幾人かのパンディタ・ブラーマンたちがマハープラブの旗下に加わりました。マハープラブは27歳でした。28歳のとき、彼はベンガルに行き、マルダのゴーダまでも行きました。そこで彼はルーパとサナータナという名の二人の偉大な名士と知り合いになりました。

カルナーティック・ブラーマンの家系の子孫であるとはいえ、これらの二人の兄弟は、ハッセイン・シャー、続いてゴーダの皇帝との継続的な接触により、半イスラム教徒になっていました。彼らの名前は皇帝によってダビール・カース、およびサーカラ・マリックに変えられていました。

彼らはどちらもペルシャ語とアラビア語とサンスクリット語に通じており、国家の忠実な従者であったので、彼らの主人は彼らを心から愛していました。二人の紳士は、普通のヒンズー教徒として戻る道を見つけられず、マハープラブがプリーにいらした間に霊的な助けを求めて彼に手紙を書きました。

マハープラブは、自分が彼らのところに行って霊的な困難から彼らを救い出す、と返事を書きました。マハープラブがゴーダにおいでになったので、二人の兄弟は彼の前に現れ、かねてからの願い(prayer、ヒンズー教徒に戻りたいという、祈りにも似た願い)を述べました。マハープラブは彼らに、ヴリンダーヴァンに行ってそこでご自分に会うように命令しました。

第14段落

マハープラブはシャーンティプラを通ってプリーに戻り、そこで再び愛する母と会いました。プリーでの短い滞在の後、彼はヴリンダーヴァンに向けて出発しました。このときの同行者はバラバードラ・バーッターチャーリャという人でした。

マハープラブはヴリンダーヴァンを訪れ、プラヤーグ(アッラハバッド)に行き、コーランからの議論によって大勢のイスラム教徒をヴァイシュナヴァ主義に改宗しました。これらの改宗者たちの子孫は今でもパターナ・ヴァイシュナヴァとして知られています。

ルーパ・ゴスヴァーミーはアッラハバッドでマハープラブに会いました。マハープラブは彼に10日間で霊性を訓練し、使命を持ってヴリンダーヴァンに行くように命令しました。彼の最初の使命は、純粋なバークティとプレマーを科学的に説明する神学的な作品を書くことでした。

第2の使命は、クリシュナチャンドラが宗教的な世界の利益のために、ドヴァーパラ・ユガの終わりにご自分の霊的なリーラー(娯楽)をお現しになった場所を復興させることでした。ルーパ・ゴスヴァーミーはヴリンダーヴァンに向けてアッラハバッドを発ち、マハープラブはベナレスにいらっしゃいました。

そこでマハープラブはチャントラシェクハラの家に滞在し、タパナ・ミシュラの言えで日々のビークシャー(食事)をお受けになりました。サナータナ・ゴスヴァーミーが加わって2ヶ月の間霊的な事柄について教えを受けたのは、ここでの出来事でした。伝記者たち、特にクリシュナダーサ・カヴィラージャは、ルーパとサナータナへのマハープラブの教えの詳細を私たちに伝えています。

クリシュナダーサは、同時代の執筆家ではありませんでしたが、マハープラブの直接の弟子であったゴスヴァーミーたち自身から情報を集めました。サナータナとルーパの甥であって、シャット・サンダルバーという貴重な作品を残したジーヴァ・ゴスヴァーミーは、マハープラブの教えに関して哲学的に理論づけました。私たちは、これらの偉大な執筆家たちの本からマハープラブの教えを集めて要約しました。

第15段落

チャイタンニャがベナレスにいらした間に、あるマラター・ブラーマナが娯楽のために家に(その町の)すべてのサンニャースィーたちを招待しました。マハープラブはそこでベナレスの学識のあるサンニャースィーたちと会談しました。

この会談において、彼は奇跡を見せてすべてのサンニャースィーたちを魅了しました。それから双方向の会話が続きました。サンニャースィーたちは、彼らの非常に学識のある指導者であるプラカーシャーナンダ・サラスヴァティーに率いられていました。

短い議論の後で、彼らはマハープラブに服従し、自分たちはシャンカラーチャーリャの解説によって誤って導かれていたと認めました。学識のある学者たちにとっても、長い間マハープラブに反対することはできませんでした。

マハープラブには、彼らの心に触れて彼らを霊的な改良を求めて涙させる、何らかの魔力があったからです。ベナレスのサンニャースィーたちは、まもなくマハープラブの足元にひれ伏し、彼の恩寵(クリパー)を乞いました。

そしてマハープラブは純粋なバークティを説き、彼らの心にクリシュナへの霊的な愛を教え込みました。それは彼らをして党派的な感情を放棄せずにはおきませんでした。(彼らはその教えに触れて、自ら党派的な感情を放棄しました。)このすばらしいサンニャースィーの改宗を見て、ベナレスの人口のすべてがヴァイシュナヴァになり、彼らは自分たちの新しい主マハープラブと共に卓越したサンキールタンを行いました。

サナータナをヴリンダーヴァンに遣わしたあと、マハープラブは仲間であるバラバードラと共にジャングルを通って再びプリーに行きました。バラバードラは、マハープラブがプリーへの道で、クリシュナの名を聞いてトラや象が踊るようにさせるなど、非常に多くの奇跡を行ったと記録しています。

第16段落

このときから、というのは31歳のときから、トタゴピーナーターの寺院でサンキールタンのときに48歳で姿を消したときまで、マハープラブはプリーのカーシ・ミシュラの家にお住まいになりました。この18年の間、彼は落ち着いた愛と信心深さに満ちた人生を送りました。彼は無数の信者に囲まれていました。

そのすべてはヴァイシュナヴァの最高の位の者たちであり、彼らはその非常に純粋な性質、学識、堅固な宗教的な原則とラーダー・クリシュナへの霊的な愛によって、一般の人々から区別されていました。

マハープラブがナディアにいた頃は、プルショッタマーチャーリャの名で知られていたスヴァルーパ・ダーモダラがベナレスからマハープラブに加わり、彼の秘書としての任務を受け入れました。スヴァルーパが純粋で有用であるとして認めない限り、いかなる詩人や哲学者の作品もマハープラブの前に提出されませんでした。

ラーヤ・ラーマーナンダはマハープラブの第二の友人でした。彼とスヴァルーパは、マハープラブが礼拝の特定の時点でご自分の感傷を表している間、歌っていました。(訳注:「マハープラブがラーダー・クリシュナを礼拝する途中で恍惚となると、その間彼らは傍で歌い続けました」という意味ではないかと思います。)

パラマーナンダ・プリーは宗教的な事柄に関してのマハープラブの代理人でした。マハープラブの伝記者たちが描写した逸話はたくさんありますが、私たちはここで再度それらを紹介するには及ばないと考えます。

マハープラブは短い睡眠しか取りませんでした。彼の感傷は、毎日毎晩霊性の天空において遠く広く彼を連れて行きました。(訳注:「宗教的な感情の高ぶりで恍惚状態になったマハープラブの魂は、朝となく夜となく霊的な天空の彼方まで旅していました」、というところでしょうか。)

そして彼の崇拝者と信者は皆、その全体に渡って彼を見ていました。彼は礼拝をし、ヴリンダーヴァンで自分の布教者たちと意思の疎通をし、新しく彼を訪れた宗教的な人々と会話を交わしました。彼は踊り歌い、自分のことを全くかまわず、しばしば宗教的な至福に我を忘れました。

彼のところへ来た者は皆、彼のことを、人類の利益のために下界(nether world)に現れた完全に美しい神であると信じていました。マハープラブはずっと母を愛していました。ナディアに行く者に託して、時折彼女にマハープラサーダを送りました。彼は非常に好感の持てる性質でした。謙虚さが彼において具人化していました。(謙虚さを絵に描いたような方でした)

彼の美しい外見(sweet appearance)は、彼に関わったすべての人に喜び(cheer、元気、励まし、慰めなど)を与えました。彼はベンガルの布教責任者としてプラブ・ニテャーナンダを任命しました。彼は奥地で愛を説くために6人の弟子(ゴスヴァーミー)たちをヴリンダーヴァンに派遣しました。

彼は聖なる人生から逸れたすべての弟子を罰しました。ジュニア・ハリダーサ(同名の息子、弟などの年少者)の件では、彼はこれを際立って実行しました。彼は人生における正しい教えを求めた人へそれを与えないということは決してありませんでした。これは彼のラグーナーター・ダーサ・ゴスヴァーミーへの教えに見られます。

ハリダーサ(シニア、同名の年長者)に対する彼の扱いは、彼が霊的な人々をいかに愛したか、そして霊的な兄弟愛において彼がいかに階級的な区別を平然と無視したかを示しています。

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ふう、やっと終わりました。いつにも増してぎこちない訳文ですね。ごめんなさい。原文に忠実に、かつ滑らかで自然な分かりやすい日本語にするのは難しいものだなと思っています。この後まだチャイタンニャの8つの祈りがあって、それからプラブパーダによる「はじめに」が21ページもあって、それからやっと本文に入るのです。本の構成もインド時間で進んでるんだなと思いました。みなさん、気長にいきましょう。
by ammolitering4 | 2009-12-25 12:24 | 「主チャイタンニャの教え」 | Comments(3)
Commented by 自然農ダースひつきい at 2013-01-28 23:14 x
久しぶりに、主チャイタンニャの教えを拝読させていただき、啓発されました。 有難うございました。
Commented by 自然農ダースひつきい at 2013-01-28 23:14 x
久しぶりに、主チャイタンニャの教えを拝読させていただき、啓発されました。 有難うございました。
Commented by 葉子 at 2013-02-03 09:20 x
自然農ダースひつきいさん、全然更新してないにも関わらずこうして見にきてくださってありがとうございます。またときどきお越しください。
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