第3段落 後半

第9段落

既に説明したように、人はじっとしているべきではなく、規則的な原則の遂行に関して非常に熱心であるべきです。(サンスクリット引用)規律的な原則を軽んじることは、献身奉仕を滅ぼします。このクリシュナ意識運動には、4つの基本的な規律的原則があり、不正な性交、肉食、賭け事、および陶酔物の摂取を禁じています。献身者は、これらの原則に従うにあたって非常に熱心であるべきです。

もしもこれらのうちのどれにおいてでも怠惰になれば、彼の発達は抑制されます。したがって、シュリーラ・ルーパ・ゴスヴァーミーは次のようにお勧めになります。(サンスクリット引用)「人はヴァイディー・バークティの規律的な原則に厳密に従うべきです。」

これらの4つの禁止事項(ヤマ)(訳注:してはいけません)に加えて、ジャパ・マーラー数珠で毎日16周マントラを唱えることなど、積極的な規律的原則(訳注:しなさい)もあります。これらの規律的は活動は、熱意をもって忠実になされなければなりません。これは(サンスクリット引用)、すなわち献身奉仕に様々な形で携わること、と呼ばれます。

第10段落

さらに、献身奉仕において成功するためには、人は好ましくない人々との関わりを放棄しなければなりません。これは、カルミー、ジニャーニー、ヨギー、およぎ他の非献身者を含みます。かつて、シュリー・チャイタンニャ・マハープラブの家庭人の献身者の一人が主にヴァイシュナヴァ主義の一般的な原則およびヴァイシュナヴァの一般的な日課としての活動について尋ねました。すると、シュリー・チャイタンニャ・マハープラブは直ちにお答えになりました。(サンスクリット引用)「特徴的には、ヴァイシュナヴァとは俗世の人々すなわち非献身者との関わりを放棄する者です。」

したがって、シュリーラ・ナロッタマ・ダーサ・タークラは次のようにお勧めになります。(サンスクリット引用)人は純粋な献身者との関わりの中で暮らし、以前のアーチャーリャである6人のゴスヴァーミー(つまりシュリー・ルーパ・ゴスヴァーミー、シュリー・サナータナ・ゴスヴァーミー、シュリー・ジーヴァ・ゴスヴァーミー、シュリー・ラグナーター・ダーサ・ゴスヴァーミー、シュリー・ゴパーラ・バーッタ・ゴスヴァーミーおよびシュリー・ラグーナーター・バーッタ・ゴスヴァーミー)によって整えられた規律的な原則を遵守すべきです。

もしも人が献身者との関わりの中で暮らすなら、非献身者と関わる可能性はほとんどありません。国際クリシュナ意識協会は、献身者との関わりの中で暮らして霊的な生活の規律的な原則を実行することに人々を招くためだけに、多くの会館を開いています。

第11段落

献身奉仕とは、超越的な活動を意味します。超越的な水準においては、物質自然の3つの相による汚染はありません。これはヴィシュッダー・サットヴァ、純粋は徳の水準、あるいは熱情と無明の性質による汚染のない徳、と呼ばれます。このクリシュナ意識運動においては、私たちは皆に、朝早く、4時までに起きてマンガラ・アーラティ、すなわち朝の礼拝に参加し、それからシュリマッド・バーガヴァタムを読み、キールタンを行うことなどを要求します。

このように、私たちは献身奉仕における継続的な活動を毎日24時間行います。これはサト・ヴリッティ、すなわち熟練して毎瞬をクリシュナ意識の活動で満たした以前のアーチャーリャたちの足跡を辿ること、と呼ばれます。

第12段落

もしもシュリーラ・ルーパ・ゴスヴァーミーによってこの節の中に与えられた助言、つまり、熱心であること、自信を持つこと、忍耐強くあること、望ましくない人々との関わりを放棄すること、規律的な原則に従うこと、そして献身者との関わりを保つことに厳密に従うなら、人は必ず献身奉仕において発達します。

このことに関して、シュリーラ・バークティスィッダーンタ・サラスヴァティー・タークラは、哲学的な推察によって知識を培うこと、結果を求める活動の発展によって俗世的な富を集めること、およびヨガ・スィッデー、すなわち物質的な完成への欲望は、どれも献身奉仕の原則に反する、と述べられます。人はそのような非永遠なる活動に対して完全に冷淡となり、そのかわり自分の決意を献身奉仕の規律的な原則に向けなければなりません。バガヴァッド・ギーター(2.69)には、次のように述べられています。

(サンスクリット引用)

「すべての存在にとって夜であるときは、自己を統御した者にとっては目覚めのときです。そして、すべての存在にとっての目覚めのときは、内省的な聖人にとっての夜です。」

第13段落

主への献身奉仕に携わることは、生命体の中心(life and soul、最も重要なこと、持てるすべて)です。それは人間の人生の望ましい目的地であり、至高の完成です。人はこれについて自信を持つようにならねばなりません。そしてまた、献身奉仕以外のすべての活動、すなわち精神的な推量や結果を求める働き、あるいは神秘的な努力などは、決して何らの永続的な利益ももたらさないことを確信していなければなりません。

献身奉仕の道への完全な信頼(confidence、自信、確信)は、人が自分の望む目的地に到達することを可能にします。しかし、他の道を辿ろうとすることは人を落ち着かなくすることだけに成功します。シュリマッド・バーガヴァタムの7巻には、次のように書かれています。「他のことを目的として厳しい苦行に携わるために献身奉仕を放棄した者は、その高度に発達した苦行にも関わらず心が浄化されていない、ということを、人は冷静に確信していなければなりません。彼らは主への超越的な愛情を込めた奉仕に関して何の情報も持たないからです。」

第14段落

7巻には、さらに次のように述べられています。「精神的な推察をする者たちと結果を求めて行動する者たちは、大いなる苦行と禁欲を行うにも関わらず、それでも堕落します。彼らは主の蓮の御足について何の情報も持たないからです。」しかし、主の献身者は決して堕落しません。バガヴァッド・ギーター(9.31)において、至高の人格神はアルジュナに次のように保証なさいます。(サンスクリット引用)「おお、クンティーの息子よ。私の献身者は決して滅びることがないと大胆に宣言しなさい。」

第15段落

バガヴァッド・ギーター(2.40)においても、クリシュナはおっしゃいます。

(サンスクリット引用)

「この努力においては、損失や減少(訳注:原語はdimunitionだが、一般にはdiminutionが正確)はありません。そして、この道における少々の前進は、人をして最も危険な種類の恐怖から守ります。」

第16段落

献身奉仕はとても純粋で完全なので、一度始めると人は否応なく究極の成功に引きずられます。時として、人は自分の通常の物質主義的な仕事を止め、感傷から至高主の蓮の御足に身をゆだね、こうして献身奉仕の予備的な遂行を始めます。たとえそのような未熟な献身者が堕落しても、彼は失うということがありません。一方で、自分のヴァルニャとアーシュラマに応じた規定された義務を遂行するけれど献身奉仕を習慣づけない者の利益は何でしょうか?

堕落した献身者は、次の生を身分の低い家庭の中に受けるかもしれませんが、それでも彼の献身奉仕は途中で途切れたところから再開します。献身奉仕は、アハイトゥキ・アプラティハターです。それはいかなる俗世的な原因の結果(effect、影響、効果)でもなく(訳注:あるいは「影響も受けず」)、いかなる俗世の原因によって終わらされることもなく、いかなる物質的な中断によって永遠に終わらされることもありません。したがって、献身者は自分の奉仕(engagement、携わっていること、仕事)について自信をもつべきです。そして、カルミー、ジニャーニー、およびヨギーの活動にあまり興味を持つべきではありません。

第17段落

確かに、結果を求めて行動する者、哲学的な推察をする者、および神秘的なヨギーの中には、多くの良い性質があります。しかし、献身者の人格の中には、すべての良い性質が自動的に発達します。無関係な努力は必要とされません。シュリマッド・バーガヴァタム(5.18.12)によって確認されているように、半神たちのすべての良い性質は、純粋な献身奉仕を育んだ者のうちに徐々に顕現します。献身者はいかなる物質的な活動にも興味がないので、彼は物質的に汚染されません。

彼は直ちに超越的な生活の水準に置かれます。しかし、俗世的な活動に携わるものは、いわゆるジニャーニー、ヨギー、カルミー、博愛主義者、国家主義者、あるいは他の何であれ、マハートマーの高い水準に至ることができません。彼はドゥラートマー、すなわち歪んだ心の人物であるに留まります。バガヴァッド・ギーター(9.13)には、次のように書かれています。

(サンスクリット引用)

「おお、プリターの息子よ。幻惑されていない者、偉大な魂たちは、神聖なる自然の保護の下にあります。彼らは完全に献身奉仕に携わっています。彼らは私を至高の人格神、源であって無尽蔵であるとして知っているからです。」

第18段落

すべての主の献身者は、主の至高の力の保護の下にあるので、彼らは献身奉仕の道からそれてカルミーやジニャーニーやヨギーの道に入るべきではありません。これは(サンスクリット引用)、熱意をもって、そして忍耐と自信をもって規律的な献身奉仕の活動を遂行すること、と呼ばれます。このようにして、人は妨害されずに献身奉仕において発達することができます。
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by ammolitering4 | 2009-12-06 07:06 | 「教えの甘露」


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