朝の散策14

朝の散策―――14

1973年12月3日、ロサンゼルス近くの太平洋岸にて録音。
シュリーラ・プラブパーダの同行者は、Dr.シング、Dr. W.H.ウルフ・ロットケイ(以後、DWR)、および他の生徒たち。

1.「惑星間のガスの源」

DS:科学者たちは、ある時点において地球は何らかのガス状の物質の中に漂う埃の粒から形成されていたと言います。それから時間が経って、このコロイド状の懸濁物質が凝固して地球を形作りました。

SP:そうかもしれません。しかし、ガスはどこから来たのですか?

DS:彼らは、それはただ存在したのだと言います!

SP:クリシュナはバガヴァッド・ギーター(7.4)においてこうおっしゃいます。

(サンスクリット引用)

「土、水、火、空気、エーテル、心、知性、および偽りの自己―――これらの8つの要素が一体となって、私の離れたエネルギーを形成しています。」ここでクリシュナはヴァーユ(ガス)はご自分から生じたと説明なさいます。そしてヴァーユよりかすかなのはカーム(エーテル)、エーテルよりもかすかなのは心、心よりもかすかなのは知性、知性よりもかすかなのは偽りの自我、そして偽りの自我よりもかすかなのは魂です。しかし、科学者たちはこれを知りません。彼らは密度の濃いものだけを理解します。彼らはガスに言及しますが、ガスはどこから来るのですか?

DS:それは彼らには答えられません。

SP:しかし、私たちには答えられます。シュリマッド・バーガヴァタムから、私たちはガスはカーム、すなわちエーテルから生じ、エーテルは心から生じ、心は知性から生じ、知性は偽りの自我から生じ、偽りの自我は魂から生じます。

DS:科学者たちは、ダーウィンの生物理学的な種類の進化が起こり得る前には、彼らが言うところの前生物学的な化学、すなわち化学的な進化がなければならなかった、と議論します。

SP:そうです。そして「化学的な進化」という言葉は化学物質に源があることを意味し、そしてその源は霊、すなわち生命です。レモンはクエン酸を作り出し、そして私たちの体は尿や血や体の分泌液の中に多くの化学物質を作り出します。これは生命が化学物質を作り出すのであって化学物質が生命を作り出すのではないという証拠です。

DS:科学者たちは、いったん生命の種が細胞の中に存在すると、生命体は自動的に発達し、機能する、と言います。

SP:はい。しかし、誰が種を与えるのですか?バガヴァッド・ギーター(7.10)において、クリシュナはこの問いに答えられます。(サンスクリット引用)「おお、プリサーの息子よ。私がすべての存在のもともとの種であると知りなさい。」そしてその後(14.4)ではこうおっしゃいます。

(サンスクリット引用)

「おお、クンティーの息子よ。すべての種の生命はこの自然の中に生まれさせられ、そして私が種を与える父であると理解されるべきです。」

2.「太古の創造者に栄誉を捧げる」

DWR:しかし、慎んでお伺いしますが、シュリーラ・プラブパーダ、たとえば科学者たちが実際に生きた細胞を人工的に作り出すことに成功したと仮定しましょう。あなたはどうおっしゃいますか?

SP:彼らの功績は何だというのでしょう?彼らは単に既に自然の中に存在するものを模倣しているだけです。人々は模倣されたものを非常に好みます。もしも誰かがナイトクラブで犬の真似をすれば、人々は彼を見に行ってお金を払います。しかし、本物の犬が吠えているのを見るとき、彼らはそれに何の注意も払いません。

DS:シュリーラ・プラブパーダ、化学的な進化という考えは、1920年にロシアの生物学者から出されました。彼は、生化学的な進化の前に地球の大気は還元の状態にあったということを論証しました。言い換えると、それはほとんど全て水素で、酸素はほとんどありませんでした。そして、やがて時間が経って、太陽光線がこれらの水素分子を異なる化学物質に変えました。

SP:それは副次的な研究です。まず、水素はどこから来たのですか?科学者たちは単に過程の中間を研究します。彼らは源を研究しません。私たちは始まりを知らねばなりません。あそこに飛行機があります。(水平線の上に現れる飛行機を指す)あなたは、あの飛行機の源は海であると言いますか?愚かな人は、突然海に光が現れて、そうやって飛行機は作られたのだと言うかもしれません。しかし、それは科学的な説明ですか?科学者たちの説明は似ています。彼らは、「これが存在した。そして突然、偶然に、あれが起こった」と言います。これは科学ではありません。科学とは、もともとの原因を説明することを意味します。

おそらく、科学者たちは自然の模造品を作ることができるでしょう。しかし、なぜ私たちは彼らに栄誉を与えるべきでしょうか?私たちは、もともとの創造者、神に栄誉を捧げるべきです。それが私たちの哲学です。

DS:科学者が何かの自然の法則を見つけるとき、彼は普通、それに自分の名前をつけます。

SP:そう、その通りです。法則はすでに自然の中にありますが、悪者たちはそれに対して栄誉を取りたがるのです。

3.「老人学:苦しみを長引かせる」

DS:彼らは実際は自然の法則に逆らっていますが、往々にして彼らは苦闘に喜びを感じます。

SP:その喜びは子供じみています。たとえば、子供が大変な苦労をして砂浜に砂のお城を建てたと仮定しましょう。彼はそれに喜びを感じるかもしれませんが、それは子供じみた喜びです。それは大人の喜びではありません。物質主義的な人々は、偽りの幸せのための水準を作り上げました。彼らは快適な文明のための豪華な配剤を作り上げましたが、それはすべて偽りです。彼らはその中で楽しむことのできる状況を作ることができないからです。いつであれ、誰であれ、死によって蹴り出され得ます。そして彼の楽しみのすべては終わります。

DS:それが、神は私たちにすべてを与えては下さらなかった、と人々が言う理由です―――私たちはここに永遠に住むことができないからです。

SP:しかし、神は彼らに平和に生きるために必要なものすべてと、主を理解するのに必要なものすべてをお与えになりました。それでは、なぜ彼らは神について問わないのですか?その代わり、彼らは自分たちが神を忘れる助けとなることをします。

DS:今では、科学者たちは科学の中に老人学と呼ばれる独立した分野を組織しました。それにおいて、彼らはいかにして寿命を延ばすかを研究します。

SP:彼らの本当の目的は、苦しみを止めることであるべきです。たとえば、老人がひどい痛みを感じ、多くの病気に苦しんでおり、そして突然医者たちが彼の寿命を延ばすと仮定しましょう。その利益は何でしょうか?

DS:それが彼らが心臓移植ですることです。

SP:それは無意味です!彼らに死を止めさせなさい。それこそが達成です。彼らにすべての病気を止めさせなさい。ああ、それこそが達成です。彼らはこれらのことをすることができません!したがって私は、彼らの研究のすべては単に生存のための苦闘であると言います。バガヴァッド・ギーター(15.7)において、クリシュナはおっしゃいます。

(サンスクリット引用)

「この制約された世界にいる生命体は、私の永遠の微細な小片です。制約された人生が原因で、彼らは心を含む6つの感覚で大変な苦労をしています。」

生徒:今では石油が不足しています。

SP:そうです。私たちは石油に依存した文明を築きました。これは自然の法則に反しているため、したがって今では石油の不足があります。自然の法則によって、冬が今、近づいています。科学者たちはそれを止めて季節を夏にすることはできません。彼らは誤って自分たちが自然を統御していると考えます。バガヴァッド・ギーターにおいて、クリシュナは、生命体は自らを活動の行為者であると考えるが、その活動は実際は自然によってなされるのである、と私たちにお教えになります。太陽が今、昇っています。彼らは空を暗くすることができますか?そして、暗いとき、彼らは太陽に「起きなさい!」と命令することができますか?

彼らは、もしも彼らが本当に自然を征服したいなら、彼らは誕生と死、老齢と病気を征服しようとすべきであるということに気づいていません。バガヴァッド・ギーター(7.14)において、クリシュナは次のようにおっしゃいます。

(サンスクリット引用)

「物質自然の三つの相から成る私のこの聖なるエネルギーは、克服するのが困難です。しかし、私に服従した者は簡単にそれを越えることができます。」

DS:それでは、自然の法則を克服するのは大変難しいのですか?

SP:物質主義者にとっては、それは不可能です。しかし、もしも人がクリシュナに服従するなら、それは容易になります。

4.「種の本当の起源」

DS:なぜこれほど多くの種類の生命体が存在するのかを説明するために、科学者たちは、進化の間のある時点において、普通は次の世代のために完全に自己を再生産する細胞の遺伝子が時として複写に間違いを犯すのだ――-時として間違いをする印刷所のように―--、と言います。ある状況においては、これらの間違い、あるいは変異は生存し、遺伝子における違いのために異なる種の生命体が形成されました。

SP:しかし、その「間違い」は記憶にないほどの太古から続いています。すべての種類の生命体はいつも存在していたということは事実だからです。(訳注:原文を直訳すると「---ということをあなたは見出すことになるからです」)したがって、「間違い」は永遠です。しかし、「間違い」が永続的であるとき、それは間違いではありません。それは知性です!

DS:しかし科学者たちは、もしも変異がなければ宇宙全体にたった一つの種類の生命体しかなかっただろう、と言います。

SP:いいえ。すべての生命体は異なる心を持っており、したがって、異なる精神性を収容するために非常に多くの異なる種の生命が存在するのです。たとえば、私たちがここで歩いていますが、ほとんどの人は来て私たちに加わることをしません。なぜこの違いが存在するのですか?

DS:たぶんそれは間違いです。

SP:それは間違いではありません。それは彼らの欲望であり、死のときにすべての人は正確に彼の欲望に添った体を得ます。クリシュナはバガヴァッド・ギーター(8.6)において次のようにおっしゃいます。

(サンスクリット引用)

「何であれ、人が自分の体を去るときに覚えている心のあり方を、彼は間違いなく得ます。」あなたが死のときに考えていることが正確にあなたの次の体を決定します。自然があなたに体を与えます。その決定はあなたの手中にはありません。自然の手中にあるのです。そして彼女は(訳注:自然は)神の指示の下で働いています。

DS:しかし、科学は生命の異なる種が確かに間違いによって生じるという証拠を持っているように見えます。

SP:それは彼ら自身の間違いなのです!自然の法には間違いはありません。鉄道の列車には、一等車、二等車、三等車、という区分があります。もしもあなたが三等車の切符を買って、間違って一等車に行ったら、あなたはそこに留まることを許されません。区分があるということは間違いではありません。それは配剤なのです。しかし、あなたが間違った部分に行ったのは、あなたの間違いです。神はとても完全でいらっしゃるので、主は犯されることになるすべての間違いをご存知です。したがって、あなたが犯す間違いにしたがって、あなたは特定の体に入ります。「さあ、ここに来なさい。体の用意ができています。」840万種の生命が存在し、そして自然は数学的な精確さで働いて異なる体をあてがいます。政府が町を作るとき、そこには町が完成する前でさえ、既に刑務所が作られます。政府は、刑務所に行かねばならない犯罪者がたくさんいるであろうことを知っているからです。これは政府の間違いではありません。それは犯罪者の間違いです。彼らが犯罪者になるので、彼らはそこに行かねばなりません。それは彼ら自身の間違いです。

自然には間違いはありません。クリシュナはおっしゃいます。

(サンスクリット引用)

「おお、クンティーの息子よ。この物質自然は私の指示のもとで働き、すべての動くものと動かないものを作り出しています。」(BG9.10)自然は、神、クリシュナの監督の下で働きます。それでは、どうして彼女が間違いをし得るでしょうか?しかし、私たち自身は間違いを犯し、私たちは幻惑されており、私たちの感覚は不完全であり、そして私たちは騙します。それが神と人の違いです。神は不完全な感覚をお持ちではありません。主の感覚は完全です。

5.「満足した動物たち」

DWR:私たちの感覚は欠陥があるので、もちろん私たちの感覚の技術的な拡大にも必ず欠陥があるのに違いありませんね。

DS:私たちがそれを使って物を探知するところの顕微鏡にもまた欠陥があります。

SP:物質的な存在とは、欠陥のある存在を意味するものであるのです。もしもあなたが欠陥のある知識と不完全な感覚で何かを構築すれば、あなたが構築するものも何であれ必ず欠陥があるに違いありません。

DS:たとえ科学者たちが完璧な顕微鏡を作り出しても、彼らはそれを欠陥のある目で覗かなければなりません。

SP:そうです。その通りです。したがって私たちは、何であれ科学者たちが言うかもしれないことは欠陥がある、と結論します。

DS:しかし、彼らはとても満足しているように見えます。

SP:ロバもまた満足しています。ロバは洗濯屋の荷物を担ぐのに満足しています。誰もが満足しています。糞の中のウジでさえです。それが自然の法です。

DWR:貧困者でさえ自分の小銭に満足していると言われます。

SP:そうです。インドのある地域では、人は時として飢えて死にそうな犬を見かけるかもしれません。しかし、その犬がメスの犬を得れば直ちに、性交をして満足します。それは満足さですか?犬は飢えています。しかし、それでもその犬は性交をして満足しているのです。
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さてさて。。。私のつたない自己流の翻訳を我慢して読んでくださってありがとうございます。できるだけ正確に、ということを優先して訳していますが、お気づきの点などありましたらお知らせください。なお、表現によっては意味を変えないで分かりやすくするために変えている場合もあります。マイルはキロメートル、ポンドはキログラム、などです。

それから、翻訳は基本的に一人でやっていますが、たまに「???」という箇所があったりします。そういうときは歩く英語辞書とも言うべきD君に確認しています。彼の趣味はニューヨークタイムズのクロスワードとシュリマッド・バーガヴァタムなので、何かと便利です。
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by ammolitering4 | 2009-09-20 14:01 | 「生は生より来たる」


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