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朝の散策8

朝の散策―――8

1973年5月11日、ロサンゼルス近くの太平洋岸にて録音。
シュリーラ・プラブパーダの同行者はDr.シングと他の生徒たち。

1.「意識の進化」

DS:シュリーラ・プラブパーダ、私はバガヴァッド・ギーターの中に840万種の生命体が同時に作られたという趣旨の言明を見つけました。これは正しいですか?

SP:はい。

DS:それは、一部の生命体は進化の過程を経ることなく直接人間という種に至るということを意味するのですか?

SP:そうです。生命体は、ある身体的な形から別のそれへと移動します。形は既に存在しています。生命体は単に自分自身を移動させるのです。ちょうど人が自分自身を一つのアパートから別のそれへと移動させるようなものです。あるアパートは高級であり、別のは中級であり、もっと別のは低級です。例えば、ある人が低級なアパートから高級なアパートへ来たと仮定しましょう。その人は同じ人ですが、今では彼の支払い能力、あるいはカルマ(脚注13)に応じて、彼はより高級なアパートに住むことができます。本当の進化とは物理的な発達を意味するのではなく、意識の発達を意味します。分かりますか?

DS:分かると思います。もしも人が生命のより低い水準に落ちれば、彼は一段一段、より高い水準へと進化しなければならない、ということをあなたはおっしゃっているのですか?

SP:そうです。より多くのお金を得るにつれて、あなたはより良いアパートに引っ越すことができます。しかし、アパートは既に存在します。低級なアパートが高級なアパートに変化するわけではないのです。これはダーウィンの無意味な理論です。彼は、アパートが高級になったと言うでしょう。現代の科学者たちは、生命が物質から生じたと考えます。彼らは、はるか大昔には単に物質しかなく、生命は存在しなかったと言います。私たちはそれを受け入れません。二つのエネルギー―――生命と物質―――のうち、生命、すなわち霊は本来的で優性なるエネルギーであり、物質は結果的で劣性なるエネルギーです。

DS:それらは同時に存在しますか?

SP:はい。しかし、霊は独立的であり、物質は依存的です。例えば、私はたとえ手や脚がなくても生きることができます。もしもそれらが切断されても、私は生存できます。したがって、私は私の手や脚に依存した存在ではありません。私の手や脚が私に、私の体の中の霊魂に依存しているのです。

2.「永遠の欲望のための体」

DS:しかし、生命と物質は同時に生じるのですか?

SP:いいえ。それらはそもそも「生じる」ことはありません。それらは既に存在しているのです。「生じる」という考えは、私たちの心の中にあります。私たちはこの限られた世界に住んでおり、そこでは私たちはすべてに始まりがあるのを見ます。したがって、私たちは物事を「生じる」という観念に基づいて考えます。しかし実際には物質と霊は既に存在しているのです。私が生まれたとき、私は自分の誕生が世界の始まりであると考えます。しかし、世界は既に存在しています。もう一つの例は火です。あなたが火を灯すとき、光と熱は後から始まりますか?いいえ。火が灯されるときはいつでも、直ちに光と熱が存在します。しかし、例えば私が次のように考えると仮定しましょう。「さあ、火が灯された。しかし、私は光と熱が後からやってくるのを待たねばならない。」それは愚かさではありませんか?

DS:しかし、火は熱と光の源です。

SP:そうです。しかしそれでも熱と光は火と同時に存在します。同様に、永遠なる生命体は多くの異なる永遠の欲望を持っています。そして、様々な種のすべてもまた、これらの様々な永遠の欲望に添うように永遠に存在しています。

DS:そして生命体はこれらの欲望にしたがって異なる体に住むように作られているのですか?

SP:そうです。例えば、政府は刑務所を作ります。犯罪者が現れると知っているからです。そのため、犯罪者が裁判にかけられて有罪とされるとき、刑務所は既に存在しています。判決時の前であってもです。同様に、神はサルヴァ・ジナ、すべてを知る者と描写されています。つまり、主は一部の生命体が犯罪者になって主への奉仕に反抗すると知っておられます。さらに、主は生命体が物質世界において物質自然の三つの相に応じて得る様々な欲望をご存知です。したがって主はすべての制約された魂を収容するために、そもそもの初めから生命のすべての種をお作りになります。

物質自然の三つの相は、サットヴァ・グナ(徳)、ラジョ・グナ(熱情)、およびタモ・グナ(無明)です。これらの三つの性質によって、物質世界の中のすべての異なるものは作られています。ちょうど人が三つの原色(青、赤、黄)を混ぜて非常に多くの色調を作り出すようなものです。この配剤を扱うのに必要とされる大いなる専門知識は、自然の中に存在します。バガヴァッド・ギーター(3.27)には、(サンスクリット引用)と書かれています。「すべての活動は物質自然の相によってなされます。」そして、これらの相は異なる種類の種において顕現しており、種には草、木、水生生物、人類、半身、猫、犬、その他多数、合計840万が含まれます。

至高主は、すべての人の心の中にご自身をパラマートマ、すなわち超魂として拡張なさいます。物質の体の中に住んではいても、この超魂は物質的ではありません。主が物質の体のもともとの源であるにも関わらずです。熱と光は太陽のエネルギーなので、太陽は決して「暑すぎる」とは感じません。同様に、パラマートマーにとっては霊的と物質的の区別はありません。物質的および霊的なエネルギーの両方が主から発しているからです。時として、私たちは雲が太陽を覆うのを見ます。しかし、それは実際は私たちの不完全さです。この地上の私たちは太陽光と曇りの両方を経験しますが、太陽上では、太陽が雲を作り出すにも関わらず、太陽光だけが経験されます。同様に、物質と霊の間の区別は私たちの経験であり、神のそれではありまえん。主がいわゆる物質的な体でおいでになろうが、霊的な体でおいでになろうが、主はいつも霊的でいらっしゃいます。主はエネルギー的(訳注:言語はenergetic、この場合はエネルギー源を指す。Energyに対する源としての表現。)なので、主にとって物質と霊は同じです。主は物質を霊へ、霊を物質へと変えることがおできになります。

3.「水に神秘的な力を加える」

DS:化学者たちと科学者たちは、ある特定の要素が霊魂が物質世界に留まるのを可能にすると考えます。これらの要素は、彼らによれば、炭素、水素、窒素、および酸素―――生命単位を形成する主な要素です。ヴェーダでは、生命あるものが発達するためには霊魂がまずこれらのあらかじめ存在している化学要素の中に入らなければならないと教えている、と私は思います。それは正しいですか?

SP:はい。例えば、土は植物が育つのに必要なすべてのものを含んでいます。しかし、あなたはまず土に種を植えなければなりません。同様に、母親は彼女の子宮の中にもう一つの体を作るのに必要なすべての材料を持っていますが、まず父親が精子、すなわち種を子宮に注入しなければなりません。そうすれば子供が発育します。犬は犬の体を形作り、人間は人間の体を形作ります。なぜでしょうか?それぞれに、必要とされるすべての材料がそこにあるからです。

私たちは、私の体の中にはある特定の量の化学物質を、蟻の体の中にはより少量を、そして象の体の中にはより多くの量を見出します。そのため、もしも私が蟻よりもずっと多くの化学物質を作り出すことができ、象が私がそうできるよりもずっと多くの化学物質を作り出せるのであれば、それなら神はどれほどより多くの化学物質を作りだせるか、考えてもみてください!これこそが基本なのです。それに基づいて、科学者たちはいかにして水素と酸素が組み合わさって水を形づくるかと考えるべきです。そうでなければ、彼らは海を作るのに必要とされる大量の水素と酸素の源を特定することができません。しかし、私たちはできます。この水素と酸素は、ヴィラート・ルーパ、主の偏在的な体の中に存在します。なぜ科学者たちはこの単純な真理を理解し損ねるのですか?水素と酸素が結びついて、海の中の水を形作ります。私たちはどちらもこの事実を受け入れます。しかし、科学者たちはこの大量の水素と酸素の源が実際はアチンテャ・シャクティ、すなわち主の計り知れない神秘的な力であるということを聞いて驚きます。

4.「生命の定義」

DS:私は、科学界の中で「生命」と「非生命」の定義について意見の不一致があるのに気が付きました。ある者は、もしもある存在が再生産をすることができればそれは生きているといいます。したがって、彼らは生命を作り出したと主張します。実験室で作られたある種の大きなDNA分子(脚注14)は、それ自身を複製することができるからです。それはどういうことかというと、それらは自分自身の力によって他の分子の鎖を再生産することができるということです。ある科学者たちはこれらのDNAは生きているといい、他の者たちはそれらが生きてはいないと言います。

SP:ある者はこう言い、別の者はああ言うので、彼らの知識は不完全であるに違いありません。

DS:私たちは「生命」を「意識を含む」と、そして「非生命」を「意識を含まない」と定義することはできますか?

SP:はい。それが違いです。クリシュナはバガヴァッド・ギーター(2.17)において、次のようにおっしゃいます。(サンスクリット引用)「体全体に広がっているものは、滅びることがありません。」誰でも、何が生きた体全体に広がっているか理解することができます。それは意識です。死のときの私たちの意識に合わせて、私たちは特定の身体的な体を授けられます。もしもあなたが犬の意識を持っていれば、あなたは犬の体を得ます。そしてもしもあなたが神のような意識を持っていれば、あなたは半神の体を得ます。(脚注15)クリシュナは誰にでも何でも自分の欲しい体を得る自由を与えるのです。

(サンスクリット引用)

「半神たちを崇拝する者は半神たちの中に生まれます。幽霊や悪霊(spirits)を崇拝する者は、そのような存在の中に生まれます。先祖を崇拝する者は先祖のところへ行きます。そして私を崇拝する者は私と共に暮らします。」(BG9.25)

5.「ダーウィン批判」

DS:もしも人間が解放に到達しないならば、彼はもう一度人間の体に至るまでに840万すべて生命の種類を通らなければならないのですか?

SP:いいえ。低い生命の形においてのみ、生命体は一段一段、自然の法に従って進歩しなければなりません。人間の体の生命においては、彼は発達した意識を授けられています―――彼は自由意志を持っているのです。したがって、もしも彼が意識において発達していれば、彼は犬や猫の体を得ることはありません。彼は別の人間の体を得ます。

(サンスクリット引用)(脚注16)

ヨガ・ブラシャターという言葉は、ヨガを実行していたけれどなぜか十分に成功しなかった人を指します。ここには進化の余地はありません。彼はまた人間の体を与えられます。彼は猫の体や犬の体を得たりしません。私たちが議論していたアパートのように、もしもあなたがより多く支払うことができれば、あなたはより良いアパートを得ます。あなたはまず低級なアパートに来る必要はありません。

DS:あなたがおっしゃっていることは、ダーウィンの進化論と完全に矛盾しています。

SP:ダーウィンは悪者です。彼の理論が何でしょうか?私たちはダーウィンの哲学を蹴りだします。私たちがダーウィンの哲学をもっと蹴り出すほど、私たちはもっと霊的な意識において進歩します。

DS:多くの科学者がダーウィンの理論に疑いを持っています。しかし、ダーウィンの支持者は、生命は物質から始まって単細胞生物から複細胞生物へと進化したと言います。彼らは動物や人間などの高度な種は創造の始めには存在しなかったと信じています。

SP:ダーウィンと彼に従うものたちは悪者です。もしももともと高度な種が存在しなかったのならば、なぜそれらは今は存在しているのですか?たとえば、現時点において私たちは知性ある人と愚かなロバの両方を見ます。なぜこれらの生命体の両方が同時に存在しているのですか?なぜロバの形は上方向に進化して消滅していないのですか?なぜ私たちは決して猿が人間を産むのを見ないのですか?人間の生命がいついつの時代に始まったというダーウィン主義者の理論は無意味です。バガヴァッド・ギーターには、あなたの努力次第であなたは直接どのような生命の種でも好きなものへ転生できると書いてあります。時として私はアメリカへ旅し、ときにはオーストラリアへ、そして時にはアフリカへ旅します。国々はすでに存在しています。私は単にそれらの国々を訪れて通り抜けているだけなのです。私がアメリカに来たから私がアメリカを作り出したとか、アメリカになったとか、そういうわけではありません。そして、私がまだ見たことのない国がたくさんあります。それはそれらが存在しないということを意味しますか?ダーウィンを支える科学者たちは馬鹿げているのです。バガヴァッド・ギーターには、すべての種は同時に存在し、あなたはどの種でも好きなものに行けると、明瞭に書かれています。あなたは、もしもあなたがそう欲するのであれば、神の王国へさえ上がっていくことができます。これらすべてのことはバガヴァッド・ギーターにおいて主クリシュナによって宣言されています。
by ammolitering4 | 2009-09-19 03:07 | 「生は生より来たる」


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