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朝の散策4

朝の散策―――4

1973年4月29日、ロサンゼルス近くの太平洋岸にて録音。

シュリーラ・プラブパーダの同行者は、Dr.シング、ブラーマーナンダ・スヴァーミー、カランダーラ・ダーサ・アディーカーリーおよび他の生徒たち。

1.「ロバの進歩」

SP:誰もがこの物質世界で苦しんでいます。そして科学的な発展とは、科学者たちが更なる苦しみの状況を作り出していることを意味します。それだけです。彼らは事態を改善してはいません。バクティヴィノダ・タークラ(脚注6)は、次のように述べてこれを確認していらっしゃいます。(サンスクリット引用)「いわゆる科学的な発展によって、科学者はロバになりました。」(訳注:ロバは愚かな者の代名詞)そして、科学者はもっともっと立派なロバになりつつあり、ただそれだけです。例えば、ロバのように大変懸命に働いて、人が高層ビルを立てるとしましょう。彼は一生涯このために働くかもしれませんが、究極的には彼は死なねばなりません。彼は留まることはできません。物質的な人生は非永遠なので、彼は自分の高層ビルから追い出されます。科学者たちは常に研究をしています。そしてもしもあなたが彼らに彼らは何をしているのかと尋ねれば、彼らは「ああ、これは次の世代のため、未来のためです」と言います。しかし、私は言います。「あなた自身はどうなのですか?あなたの高層ビルはどうなのですか?もしもあなたが来世において木になるならば、そのときあなたはあなたの次の世代をどうしますか?」しかし、彼はロバです。彼は自分が自分の高層ビルの前に一万年の間立ち続けることになると知りません。そして次の世代はどうでしょうか?もしも石油がなければ、次の世代はどうするでしょうか?そして、もしも彼が猫や犬や木になれば、次の世代はどうやって彼を助けるでしょうか?

科学者たち―――そして他のすべての者たち―――は、繰り返す生と死からの自由を得ようと努力すべきです。しかし、その代わりに誰もが生と死の循環にますます深く絡まりつつあります。(サンスクリット引用)これはシュリマッド・バーガヴァタム(1.8.35)からの引用です。ここで、一行の中に物質存在のすべてが説明されています。これこそが文献です。この一行は、何千年分もの研究の価値があります。それは、生命体がいかにしてこの世界に生まれるか、彼がどこから来るか、彼がどこに行くのか、彼の行いは何であるべきか、そして他の多くの非常に重要なことを説明しています。バーヴ・スミン・クリシャマーナームという言葉は、存在のための苦闘を指します。なぜこの苦闘が存在するのでしょうか?アヴィデャー、無明のためです。そして、その無明の性質は何でしょうか?カーマ・カルマービー、単に感覚のために働くことを強いられること、言い換えると、物質的な感覚の満足にとらわれることです。

生徒:では、科学者は究極的には自分の感覚を満足させるために働いているので、現代の科学的な研究は体の要求を増加させるというのは本当ですか?

SP:本当です。

2.「言葉を巧みに操ることと世界の危機」

SP:ヴェーダには(サンスクリット引用)と書かれています。「もしも人が完全真理を知るなら、そうすれば他のすべてのことも知ることができる。」私は博士ではありませんが、それでも私は科学者たちに挑戦することができます。なぜでしょうか?私はクリシュナを、完全真理を知っているからです。(サンスクリット引用)「もしも人がクリシュナ意識にあるなら、そうすれば最もひどい苦難の中にあっても、彼は平安を妨げされません。」(BG6.22)シュリマッド・バーガヴァタム(1.5.22)には、(サンスクリット引用)と宣言されています。「偉大な人々が、クリシュナ意識は人生の完成である、と断定しました。」このような知識が必要とされています。私たちがいくらかの研究をして理論を思いつき、15年後には「いやいや、それは正しくない―――もっと別のものだ」というようなものではないのです。それは科学ではありません。それは子供の遊びです。

DS:それが彼らが物事を発見する方法です―――研究によってです。

SP:そして、その研究の費用とは何ですか?それは他者からお金を引き寄せるための科学的な方法、それだけです。言い換えると、それは騙すことです。科学者たちは、プルトニウムや光中性子や水素や酸素などの言葉を巧みに操りますが、人々はこれから何の益を得るでしょうか?人々がこの言葉の操りを聞くとき、彼らは何と言えるでしょう?ある科学者が別の科学者に何かを説明し、そして別の者がやってきて、それをもう一度、しかし異なるふうに、違う言葉で説明します。そしてその間ずっと現象は変わらないままです。どのような発展があったでしょうか?彼らは単に何巻もの本を作り出しただけです。現在は石油の問題があります。科学者たちが作り出したのです。もしも石油の供給が少なくなれば、これらの悪者たる科学者たちは何をするでしょう?彼らにはどうすることもできないのです。

3.「10億ドルの埃の山」

SP:今はインドには水が不足していますが、科学者たちはそれについて何をしていますか?世界には十分な量の水があります。それでは、なぜ科学者たちは緊急に必要とされているところへ水を持っていかないのですか?彼らは直ちに灌漑をすべきです。しかし、その代わりに彼らは月へ、埃の多い惑星へ、それを肥沃にするために向かっています。なぜ彼らは他ならぬこの惑星を灌漑しないのですか?十分な量の海水が存在します。では、なぜ彼らはサハラやアラビアやラジャスタニの砂漠を灌漑しないのですか?「はい」と彼らは言います。「未来においてそうします。私たちは努力しています。」誇りがあるので、彼らは直ちに「はい、はい。私たちは努力しています」と言います。バガヴァッド・ギーターには、人が不必要な欲求を満足させることに携わるとき、その人はすべての知性を失うようになる、(サンスクリット引用)と書かれています。

この月の計画は子供じみています。月へ行きたがる人は、泣いている子供のようなものです。子供が「お母さん、月をちょうだい」と泣きます。そこで母親が子供に鏡を与え、「ここに月がありますよ、坊や」と言います。そして子供は鏡を受け取って、「やあ、月を手に入れた」と言います。不幸にして、これは単なるお話ではありません。

カランダーラ:月へ行っていくつかの岩を持ってくるのに多額のお金を費やしたあと、宇宙計画に携わった人々は、そこでは他にすることは何もないと判断しました。

ブラーマーナンダ:今では彼らは別の惑星へ行こうとしていますが、お金が足りません。他の惑星に行くには、何十億ドルというお金がかかるのです。

SP:人々は一生懸命に働き、その一方で悪者たる政府は税金を集めて不必要にお金を使います。それほど多くの一生懸命に稼いだお金が市民から集められて、それほど愚かに費やされるとき、同情するべきではありません。今では、指導者たちは別のはったりを提示しています。「ご心配なく。私たちは別の惑星へいきます。そして私たちは更にもっと埃を持ち帰ります。私たちは山ほどの埃を持ってきます。そうですとも。今度は私たちは山ほどの埃を持ち帰ってきます。」

DS:彼らは火星に生命がいるかもしれないと信じているのです。

SP:彼らは信じるかもしれず、信じないかもしれません。何の違いがあるでしょう?他ならぬここに生命が存在しており、人々は戦っています。そこで、火星に生命がいると仮定しましょう。疑いもなく、火星には確かに生命が存在します。しかし、私たちはこのことから何の益を得るでしょうか?

DS:人々はそこで何が起こっているかについて好奇心を持っているのです。

SP:それは、彼らの子供じみた好奇心のために彼らが巨額のお金を費やさねばならないことを意味します。この滑稽さを御覧なさい。そして、彼らが多くの貧困なる国々の一つを助けるように頼まれると、彼らは「いいえ。お金がありません」と言います。分かりますか?

4.「サーンキャー哲学と現代科学」

DS:シュリーラ・プラブパーダ、サーンキャー哲学について私たちに少し聞かせてくださいませんか?

SP:実際には、2種類のサーンキャー哲学が存在します。もともと主カピラデヴァによって教えられた古代のサーンキャー哲学と、もっと近年に無神論者であるカピラによって教えられた近代的なサーンキャー哲学です。主カピラのサーンキャーは、いかにして物質から非執着となって心の中に主ヴィシュヌを探すかを説明します。このサーンキャーは、実際には献身奉仕の過程です。しかし、新しいサーンキャー哲学は、単に物質世界を様々な要素に解析します。その点に関して、それはちょうど現代の科学的な研究のようです。サーンキャーは「数える」を意味します。私たちもまた、ある程度はサーンキャー哲学者です。なぜなら、私たちは物質的な要素を数えるからです。これは土、これは水、これは火、これは空気、これはエーテル。さらに、私は私の心、私の知性、そして私の自我を数えることができます。しかしクリシュナは、自我の先に何かが確かに存在しており、それは生命力である、とおっしゃいます。これが科学が知らないことです。彼らは生命は単に物質的な要素の組み合わせであると考えますが、クリシュナはこれをバガヴァッド・ギーターにおいて否定なさいます。(7.5)

(サンスクリット引用)

「この劣性の自然(土、水、火、空気、エーテル、心、知性、および偽りの自我)のほかに、私の優性なるエネルギーが存在します。それは、物質自然に苦しみ宇宙を維持している、すべての生命体から成ります。」

DS:劣性と優性の両方のエネルギーが近代のサーンキャー哲学で研究されているのですか?

SP:いいえ。近代のサーンキャー哲学者たちは、優性エネルギーを研究しません。彼らは、ちょうど科学者たちがしているように、単に物質的な要素を解析します。科学者たちは霊魂が存在すると知りません。サーンキャー哲学者たちも知りません。

DS:彼らは創造的な物質要素を解析しているのですか?

SP:物質的な要素は創造的ではありません!魂だけが創造的なのです。生命は物質からは創造され得ず、物質はそれ自身を創造することはできません。あなた、すなわち生命体は、水素と酸素を混ぜて水を作ることができます。しかし、物質そのものには創造する力はありません。もしもあなたが水素の瓶を酸素の瓶の近くに置けば、それらはあなたの助けなく自動的に混ざりますか?

DS:いいえ。それらは誰かによって混ぜられなければなりません。

SP:もちろんです。酸素と水素はクリシュナの劣性のエネルギーです。しかし、あなた、すなわち優性エネルギーがそれらを混ぜると、そうすればそれらは水になります。

5.「遠い原因とすぐ近くの原因」

SP:優性エネルギーが関わらない限り、劣性エネルギーには何の力もありません。この海(太平洋を指して)は穏やかで静かです。しかし、優性な力、空気がそれを押すとき、それは高い波を作り出します。海は空気という優性の力がなければ動く力はありません。同様に、空気より優性の力があり、その上にもその上にもあり、究極的に私たちはクリシュナに至ります。これが本当の研究です。

クリシュナは、ちょうどエンジニアが列車をコントロールするように自然をコントロールします。エンジニアは一つの車両を引っ張る機関車をコントロールし、その車両は次に別の車両を引っ張り、それが更に別のを引っ張り、そしてそのため列車全体が動いています。同様に、創造によってクリシュナが最初の一押しをし、そして次に次々と順に押すことによって宇宙の顕現の全体が現れ、維持されています。これはバガヴァッド・ギーターに説明されています。(9.10)(サンスクリット引用)「この物質自然は私の指揮の下で働いており、すべての動く存在と動かない存在を作り出しています。」そして14章(14.4)ではクリシュナは次のようにおっしゃいます。

(サンスクリット引用)

「おお、クンティーの息子よ。すべての種類の生命はこの物質自然の中に生まれさせられたのであり(made possible by birth)、私が命を与えた父です。」例えば、もしも私たちがバンヤンの種をまけば、やがて巨大な木が育ち、それとともに無数の新しい種が現れます。これらの種のそれぞれが次には無数の新しい種を持った木となり、それが続いていきます。これが、いかにしてクリシュナ、原初の命を与える父が、私たちの見るすべてのものの最初の原因であるのか、ということです。

不幸にして、科学者たちは直接的な原因だけを観察します。彼らは遠因を近くすることができません。クリシュナはヴェーダにおいてサルヴァ・カーラナ・カーラナム、すべての原因の原因、と描写されています。もしも人がすべての原因の原因を理解するなら、そうすればその人はすべてを理解します。(サンスクリット引用)「もしも人が原初の原因を知るなら、従属する原因は自動的に知られます。」科学者たちはもともとの原因を探していますが、ヴェーダ、完璧な知識が原初の原因は至高の人格神である、と宣言するとき、科学者たちはそれを受け入れません。彼らは自分たちの部分的で不完全な知識に固執するのです。これが彼らの病気です。

6.「宇宙という機械」

SP:科学者たちは、劣性と優性という2種類のエネルギーが存在することを知りません。彼らは実際には毎日これらの二つのエネルギーを使って働いているにも関わらずです。物質エネルギーは決して独立して働くことはできません。それはまず霊的なエネルギーと接触しなければなりません。ですから、どうして人々は物質に過ぎない宇宙顕現全体が自動的に生じたと受け入れることができるでしょうか?有能な機械は、それを動かす方法を知っている人がボタンを押さない限り動きません。キャデラックは良い車ですが、もしも運転手がいないならば、それが何の役に立つでしょう?つまり、物質宇宙もまた機械なのです。

非常に多くの部品のある大きな機械を見て、人々は驚嘆します。しかし、知性のある人は、ある機械がいかに素晴らしくても操作する人が来て正しいボタンを押さなければそれは動かないということを知っています。したがって、どちらがより重要でしょうか?操作する人でしょうか、機械でしょうか?ですから私たちは、物質的な機械―――この宇宙の顕現―――ではなく、それを操作する人、クリシュナについて考慮します。さて、あなたはこう言うかもしれません。「では、どうやって私は主が操作する人であると本当に知ることができるのですか?」クリシュナはこうおっしゃいます。(サンスクリット引用)「私の指揮の下で宇宙の顕現のすべてが動いています。」もしもあなたが「いいえ。クリシュナは宇宙の背後で操作している人ではありません」と言うなら、それならあなたは別の操作する人を受け入れなくてはならず、そしてあなたはその人を提示して見せなければならないのです。しかし。これはあなたにはできません。したがって、あなたの証拠が欠落している状態では、あなたは私のを受け入れるべきです。
by ammolitering4 | 2009-09-15 06:51 | 「生は生より来たる」


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