朝の散策2

お待たせしました。朝の散策、二日目です。休みの日などに一日分ずつタイプしていけば3週間くらいでおわるはず、というのを何とかの皮算用と言ったような。。。

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朝の散策―――2

1973年4月19日、ロサンゼルスのチェヴィオット・ヒルズ公園にて録音。

シュリーラ・プラブパーダの同行者は、Dr.シング、カランダーラ・ダーサ・アディーカーリー、ブラーマーナンダ・スヴァーミーおよび他の生徒たち。

1.「ダーウィン主義の絶滅」

SP:この物質世界は、どこででも働いている3つの性質―――サットヴァ、ラジャス。およびタマス(徳、熱情、無明)の組み合わせです。これらの三つの性質は、すべての種の生命において様々な割合で存在しています。たとえば、ある種の木々はおいしい果物を実らせますが、他のものは単に薪に向いているだけです。これは自然の特定の性質との関わりによるものです。動物の中においても、これらの三つの性質は存在します。牛は徳の性質にあり、ライオンは熱情の性質にあり、猿は無明の性質にあります。ダーウィンによれば、ダーウィンの父親は猿です。(笑)彼は愚かな理論付けをしました。

DS:ダーウィンは、一部の種は生存のための苦闘の中で絶滅すると言いました。生き延びる力のある者は生き延びますが、そうでないものは絶滅します。ですから彼は生存と絶滅は表裏一体であるといいます。

SP:絶滅したものはありません。猿は絶滅していません。ダーウィンの直径の先祖である猿は今も存在しています。

カランダーラ:ダーウィンは、自然の選択があるに違いないと言いました。shかし、選択とは選ぶことを意味します。では、誰が選んでいるのですか?

SP:それは人格(のある存在)でなければなりません。ある者は生存して別の者は殺されることを、誰が許しているのでしょうか。そのような命令をする、思慮分別を備えたなんらかの権威が存在しなければなりません。それが私たちの最初の提案です。その権威が誰であるかは、バガヴァッド・ギーターに説明されています。クリシュナは(サンスクリット引用)とおっしゃいます。「自然は私の指揮監督の下で働いています。」(BG9.10)

DS:ダーウィンはまた、異なる種は同時に作られたのではなく、徐々に進化した、とも言いました。

SP:では、進化の過程がどのように始まったかということに関する彼の説明は何ですか?

カランダーラ:ダーウィン主義の現代の支持者は、最初の生命体(living organism)は化学的に作られたと言います。

SP:そして私は彼らにこう言います。「もしも生命が化学物質から生じたのならば、そしてもしもあなたがたの科学がそれほど進歩しているのであれば、ではなぜあなたがたが自分の実験室で生化学的に生命を作り出すことができないのですか?」

2.「未来において」

カランダーラ:彼らは、未来において生命を作り出すと言います。

SP:いつの未来ですか?この大変重要な点が挙げられるとき、彼らは「私たちは未来においてそうします」と答えます。なぜ未来なのですか?それは無意味です。「未来を信用するな。それがいかに素敵なものであっても。」(ことわざ)もしも彼らがそんなに発達しているなら、彼らは生命がいかにして化学物質から作られるか、今やってみせなければなりません。そうでなければ、彼らの発達の意味は何でしょうか?彼らは無意味なことを話しているのです。

カランダーラ:彼らは、自分たちは創造のほんの一歩手前にいると言います。

SP:それは単に同じことの、「未来において」ということの、異なる言い方でしかありません。科学者たちは、自分たちがいまだに生命の起源を知らないということを認めなければなりません。すぐに生命の化学的な起源を証明するという彼らの主張は、誰かに後付けの小切手を切るようなものです。例えば、私があなたの1万ドルの後付け小切手を切るけれど、実際は私は全くお金を持っていないと仮定しましょう。その小切手の価値は何でしょうか?科学者たちは、自分たちの科学はすばらしいと主張していますが、現実的な例が求められるとき、彼らはそれを未来において提供すると言います。

例えば、次のように仮定しましょう。私が何百万ドルも持っていると言って、あなたが私にいくらかのお金を求めるとき、私は「はい、今、私はあなたに巨額の後付け小切手を切ってあげます。それでいいですか?」と言います。もしもあなたが知性的であるなら、あなたはこう答えます。「今は、少なくとも現金で5ドルをください。実体のなる何かを見ることができるように。」同様に、科学者たちは実験室の中で草の葉の一枚も作り出せません。それなのに、彼らは生命は化学物質から作られると言うのです。この無意味な話は何ですか?誰もこれに疑問を持たないのですか?

(訳注:日本では小切手は一般的ではありませんが、西洋では小額の支払いの方法として一般的です。通常はその日の日付を書き、受け取った人は銀行などに持っていって換金します。そのときに額面の分のお金が引き落とされるので、当然、小切手を書いた人の口座にお金が入っていなければなりません。しかし、例えば今はお金がないけれど2週間後にはお金が入るということが分かっている場合には、あらかじめ2週間後の日付を書いて渡します。これを後付け小切手といいます。)

カランダーラ:彼らは、生命は科学の法則によって作られると言います。

SP:法則(法律)が存在するときは直ちに、私たちはだれかがその法を作ったということを考慮しなければなりません。彼らのすべてのいわゆる発展にも関わらず、実験室にいる科学者たちは草の葉の一枚さえ作り出すことができません。彼らは一体どんな科学者なのですか?

DS:彼らは、究極の解析においてはすべてが物質から生じた、と言います。生命のある物質は生命のない物質から生じたと言うのです。

SP:では、今は生命のある物質はどこから来ていますか?科学者たちは、過去においては生命は物質から生じたけれど、今はそうではないと言うのですか?今はアリはどこから来るのですか―――土からですか?

3.「欠けた継ぎ目」(missing link)

DS:実際のところ、生命がいかにして物質から生じたか、生命のある物質がいかにして生命のない物質から生じたかについては、いくつかの理論があります。

SP:(Dr.シングを物質主義的な科学者の役割にあてはめて)いいでしょう、科学者さん。なぜ今、生命は物質から生じていないのですか?あなたは悪者(rascal)です。なぜ生命は今は物質から生じているのですか?

(訳注:ラスカルというのは、ろくでもない人を指す言葉です。やや古びた言い方で、あまり一般的ではありませんが、プラブパーダは好んでお使いになります。翻訳では一様に「悪者」としています。)

実際にそのような科学者たちは悪者です。彼らは、なんとも子供じみたことにも、生命は物質から生じたと言います。彼らには全くそれを証明することができないにも関わらずです。私たちのクリシュナ意識運動は、これらすべての悪者たちを暴露すべきです。彼らは単にはったりで騙しているのです。なぜ彼らは直ちに生命を作り出さないのですか?彼らは、過去において生命が物質から生じたといいます。そして彼らは、これがまた未来において生じるとも言います。彼らは自分たちが物質から生命を作り出すとも言います。これは一体、何という理論ですか?彼らはすでに生命は物質から生じたと表明しました。「生じた」―――これは過去に言及するものです。では、なぜ彼らは今、未来のことを語るのですか?それは矛盾ではありませんか?彼は過去が未来に起こることを期待しているのです。これは子供じみた無意味な話です。

カランダーラ:彼らは、過去において生命は物質から生じ、彼らはそのようにして未来において生命を作り出すと言います。

SP:この無意味なことは一体何ですか?もしも彼らが生命は現在において物質から生じると証明できないなら、どうやって彼らは生命が過去においてそのように生じたと知るのですか?

DS:彼らは推察しているのです。。。

SP:誰でも推察することができます。しかし、これは科学ではありません。誰もが何かを推察することができます。あなたは何かを推察でき、私も何かを推察できます。しかし、証拠が存在しなければなりません。私たちは生命は生命から生じると証明することができるのです。例えば、父親は子供をもうけます。父親は生きており、子供も生きています。しかし、父親が死んだ石でありうるという証拠はどこですか?彼らの証拠は一体どこにあるというのですか?私たちは、生命は生命から始まると容易に証明することができます。そして、原初の生命はクリシュナです。それもまた証明され得ます。しかし、子供が石から生まれるということにどんな証拠があるのですか?彼らは、生命が物質から来たるということを実際に証明することはできません。彼らはそれを未来に後延ばしにしているのです。(笑)

カランダーラ:科学者たちは、彼らは今では酸を、アミノ酸を編み出すことができると言います。それはほとんど単細胞生物のようなものです。彼らは、これらの酸は生命に非常によく似ているので、彼らが生命を作り出せる前には単に一つの継ぎ目が欠けているだけだと言います。

SP:無意味なことです!欠けている継ぎ目。私は彼らに面と向かって挑戦しましょう!(笑)彼らに欠けているのは、この挑戦です。欠けている継ぎ目は、面と向かって彼らに向けられるこの挑戦です。

4.「ロバのためのノーベル賞」

DS.ある科学者たちは、未来において彼らは試験管の中で赤ん坊を作ることができるようになると望んでいます。

SP.試験管?

DS.そうです。彼らは男性と女性の要素を生物学的な実験室の中で組み合わせようとしているのです。

SP.もしも彼らが生命体を使って始めるなら、この試験管の目的は何ですか?それは単なる組み合わせの場所です。しかし、子宮もそうです。もしもこれがすでに自然の試験管の中でなされているなら、科学者たちの栄誉はどこにあるのですか?

カランダーラ:それはすでに自然によってなされていますが、誰か科学者がそれをすると、人々は彼にノーベル賞を与えるのです。

SP.そうです。それはシュリマッド・バーガヴァタムに述べられています。9サンスクリット引用)(脚注4)この節は、動物のような者たちを称える者は犬や豚やラクダやロバより優れた者ではない、ということを示しています。「シュヴァ」は「犬」を意味し、「ヴィドヴァラーハ」は「フンを食べる豚」を意味し、「ウシュトラ」は「ラクダ」を意味し、「カーラ」は「ロバ」を意味します。もしもノーベル賞が悪者である科学者に与えられるならば、彼にその賞を与える委員会の人々は、犬や豚やラクダやロバよりも優れたものではありません。私は彼らを人間としては受け入れません。ある動物が別の動物によって称えられているのです。それのどこに栄誉があるのですか?もしも委員会の人々が動物よりも優れたものでないなら、科学でノーベル賞を受賞する人は誰であれ一番の愚か者です。人間ではなく動物たちが彼を称えているからです。

DS:一部の科学者にとって、ノーベル賞は究極です。

SP:彼らは悪者です。彼らは無意味なことを話しており、彼らが言葉を巧みに操っているので、他の者たちは誤って導かれているのです。

ブラーマナンダ:ノーベルはダイナマイトを発明した人です。

SP:彼は大きな不幸を作り出し、自分のお金を更なる不幸を作るために残しました。(笑)

ブラーマナンダ:ギーターには、悪魔的な人々は世界を滅ぼすことになる活動をする、と書かれています。

SP:そうです。(サンスクリット引用)(BG16.9)彼らは、不運と世界の滅亡につながる行いをするのです。

5.「生きているものと生きていないものの違い」

(シュリーラ・プラブパーダ、杖で枯れた枝を指す)
SP:かつて、この木から葉や小枝が育っていました。今は育っていません。科学者たちはこれをどう説明しますか?

カランダーラ:彼らは、木の化学的な組成が変化したのだと言うでしょう。

SP:その理論を証明するためには、彼らは葉や小枝が再び育つことができるように、正しい化学物質を注入することができなくてはなりません。科学的な方法には、観察、仮説、そしてその後に実証が含まれます。そうすれば、それは完璧です。しかし、科学者たちは生命が物質から来たるということを彼らの実験室において実際に実証することができません。彼らは単に観察して、そして無意味なことを話します。彼らは子供のようなものです。私たちの子供時代において、私たちは蓄音機を観察し、箱の中には歌を歌う人が、電気人間が入っていると考えました。私たちは、その中には電気人間か、何かの幽霊が入っているに違いないと考えていました。(笑)

DS:私たちが生物学を学び始めるとき、よく浮かぶ疑問の一つは「生きた体と生きていないものの違いは何か」というものです。教科書には、両者を区別する主要な特徴は、生命体は動いて再生産することができ、一方で死んだ物質はどちらもできないということだ、と書いてあります。しかし、本には決して魂の特徴や生命体の意識については書いてありません。

SP:しかし、意識は生命が存在することの主要な指標です。意識があればこそ生命体は動いて再生産をすることができます。人は意識があるので結婚することや子供をもうけることを考えます。そして原初の意識はヴェーダに描写されています。(サンスクリット引用)(チャーンドグヤ・ウパニシャッド6.2.3)これは、神、すなわち原初の意識ある存在が「私は多くになるであろう」と言ったということを意味します。意識なくしては、副産物の可能性はありません。

6.「個々の生命力」

SP:庭師は緑の木に水をやります。では、なぜ彼らはこの枯れた木に水を与えて緑にしないのですか?

DS:経験から、彼らはそれが育たないと知っているんどえす。

SP:それでは、欠けている要素は何ですか?科学者たちは、化学物質が生命の根源であると言います。しかし、この木が生きていたときに存在していたすべての化学物質はまだそこにあります。そしてこれらの化学物質は、今も微生物や虫などの多くの生命体の命を支えています。ですから、彼らは木の体の中に生命エネルギーが欠けているということはできません。生命エネルギーはそこにあります。

DS:しかし、木そのものの生命エネルギーについてはどうですか?

SP:そうです。それが違いです。生命力は独立した存在であり、木であった特定の個たる生命体は去りました。そうでなければならないのです。生命を支えるのに必要なすべての化学物質はまだそこにあり、それにも関わらず木は枯れています。

ここにもう一つの例があります。私がアパートに住んでいて、それからそこを出ると仮定しましょう。私はいなくなりましたが、他の多くの生命体はそこに留まります―――アリ、クモなどです。ですから、単に私がアパートを去ったからそれはもはや生命を維持することができないというのは真実ではありません。他の生命体はまだそこに住んでいます。ただ単に私が―――一つの独立した生命体が―――去ったというだけなのです。木の中の化学物質はアパートのようなものです。それらは単に個々の生命力―――魂―――がそれを通して活動するところの環境に過ぎません。そして魂は個別の存在です。私は個人であり、そのため私はアパートを出るかもしれません。同様に、微生物もまた個人です。彼らには個々の意識があります。もしも彼らがある方向に向かって動いていて、しかし何らかの原因でさえぎられるなら、彼らは「別の方向に行こう」と考えます。彼らには人格があるのです。

カランダーラ:しかし、死体には人格はありません。

SP:これは個別の存在である魂がその体を去ったことを示しています。魂が去り、したがって木は育ちません。

DS:シュリーラ・プラブパーダ、生きた体の中には無数の小さな生命体がいます。しかし、その体を所有する個別の自我もまたそこに住んでいます。これは正しいですか?

SP:はい。私の体の中には無数の生命体がいます。私の内臓の中には多くの寄生虫がいます。もしも彼らが強くなれば、そうすれば私が食べたものは何でも彼らが食べ、そして私は食べ物から何の利益も得ません。したがって、十二指腸虫を山ほど抱えている人は、たくさん食べますが育ちません。彼らはやせ細り、ひどくおなかを空かせています。これらの小さな生命体が彼らの食物を食べているからです。私の体の中には無数の生命体がいます―――彼らは個別の存在であり、私も個別の存在です―――しかし、私は体の所有者です。ちょうど、私が無数の生命体の住む庭の所有者であるかもしれないようなものです。

生徒:では、もしも私がクリシュナ・プラサーダ(主クリシュナに捧げられた食べ物)を食べれば、私の体の中の生命体もまたプラサーダを食べているのですか?

SP:そうです。あなたは非常に情け深いのです。(笑)あなたは他者のためにクリシュナ・プラサーダを食べます。

カランダーラ:福祉ですね。

SP:そうです。しかし、あなたの中には彼らの食べるものがたくさんあるので、あなたは彼らに食べさせるために別の努力をする必要はありません。

7.「最小限の言葉、最大限の解決策」

SP:個々の魂は決して失われることがありません。彼は死ぬことも生まれることもありません。彼は単にある体から別の体へ移ります。ちょうど人が衣類を変えるようなものです。これは完璧な科学です。

DS:しかし、なぜ科学者たちはこれを受け入れないのですか?

SP:彼らは良い人たちではないのです。彼らは悪者です。彼らは紳士でさえありません。ある状況の下にあっては、紳士はいくらかの慎ましさや、いくらかの羞恥心を持ちます。しかし、これらの人々は恥知らずです。彼らは私たちの挑戦に正しく答えることができず、それでも恥知らずにも自分たちは科学者であって生命を作り出すであろうと主張します。彼らは紳士でさえありません。少なくとも、私は彼らをそのようにみなします。紳士は無意味なことを話すのを恥じるものです。

DS:彼らは話す前に考えません。

SP:それは彼らが人間ではないということを意味します。人間は何か言う前に2度考えます。(訳注:よく考える、という意味の表現)クリシュナは、体の中の生命の存在をとても分かりやすくしてくださいます。主は次のようにおっしゃいます。

(サンスクリット引用)

「体に閉じ込められた魂が絶え間なくこの体の中を若者から老齢へと通り過ぎるように、同様に魂は死の際に別の体へ入ります。自己を認識した魂は、そのような変化によって惑わされません。」(BG2.13)これらの2節の中で、クリシュナは生物学的な問題のすべてを解決なさいます。それが知識です。最小限の言葉、最大限の解決策。無意味なことを詳述している何巻もの本は何の意味も持ちません。物質主義的な科学者は、ケロケロと鳴いているカエルのようなものです。ケロケロケロ、ケロケロケロ。(シュリーラ・プラブパーダはカエルの鳴きまねをし、他の者たちは笑う。)カエルたちは、「私たちはとても素敵に話している」と考えています。しかし、その結果、蛇が彼らを見つけて言います。「おお、ここに素敵なカエルがいる!」(シュリーラ・プラブパーダは、蛇がカエルを食べる物音を真似する。)ガブリ!おしまいです。死が来るとき、すべては終わります。物質主義的な科学者たちは、鳴いています―――ケロケロケロ―――しかし、死が来るとき、彼らの化学的な努力は終わります。そして彼らは犬や猫や、そのような何かになるのです。
by ammolitering4 | 2009-09-14 06:24 | 「生は生より来たる」


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