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第9章 自己を認識した聖人たちの足跡を辿る

第9章 自己を認識した聖人たちの足跡を辿る

第1段落
無神論者たちは徐々に悪魔的な性質を育み、世界の中で名声(訳注:name, fame、同義の繰り返し)富などを追って物乞いのように生きます。常にマーヤーによって惑わされているので、彼らは無駄な人生を生きます。

一方で、至高主に奉仕をすることに本当に身を捧げている(dedicated、専念)人は、決してそのような悪魔的な精神性によって魅了されません。これらの偉大な魂は、「マハートマー」という称号を飾り(appendage、付属品)として持っている(to carry)のではありません。

悪魔的な道を辿り、いつも至高主に挑む者は、自分(訳注:挑む者)をマハートマーであると考えるように人々を騙そうとする(to fool)かもしれませんが(訳注:マハートマーの振りをして、人々にそう思いこませようとする)、実際のマハートマーの性質(characteristics)はバガヴァッド・ギーターの中に見出されます。

(サンスクリット引用)

「おお、プリターの息子よ、惑わされていない者、聖なる魂は、神聖なる自然の庇護の下にあります。彼らは私をもともとの、無尽蔵の(inexhaustible)至高の人格神として知っているので、完全に献身奉仕に携わっています。」

第2段落
本当のマハートマーは自分の心を感覚の満足と物質的な欲望で悩ませず(to distract、気を
逸らす、惑わす)、そうではなく(but)一途な(single-minded、ひたむきな)決意(resolve)をもって彼らは至高主への献身奉仕にいそしみます。

主の神聖なるエネルギーの庇護の下にあるので、彼らは主クリシュナがすべての原因の至高の原因であることを理解します。そのような人々だけがすべての聖人的な性質を持っています(to possess)。主クリシュナの献身者は並外れた(exceptional)名士たち(personalities)です。

なぜなら、彼らはいつでも、半神たちによってさえ滅多に得られない並外れた(extraordinary)性質を備えているからです(to be embellished with、~で飾られている)。この世界に平和の時代を迎え入れる(to usher in)ために、そのようなマハートマーたちの存在は必須(imperative、緊急、肝要)です。

第3段落
最近、ニューデリーで開かれた医学会議において、我が国の首相(our honorable prime minister、honorableは敬称。the Honorableとすることが多い)がスピーチで次のように述べました(to make observation、所見を述べる)。

「私たちは、人々が病気になるのを待ってそれから彼らを治療するのではなく(rather than)、公衆衛生(public health)、衛生施設(sanitation、衛生のための設備、対策)、その他諸々の予防策をとります(to go in for、求める、志す)。

その原則をもっと大きな領域に当てはめ、治療しないままで放置しておくと将来もっと難しい形で直面しなければならなくなる社会的な病気を予防しようではありませんか。ですから、皆さんのような賢明な人々が共に集まるとき、おそらく皆さんは、非常に多くの対立(conflicts)や問題を生じさせ、人間の進歩を阻む(to impede、邪魔する)人類全体(humanity as a whole)の病(ills and diseases、同義の繰り返し)のことをお考えになるでしょう。」

第4段落
事実は、何であれ世界に持ち上がる(to crop up、突然生じる)問題は、心によって生じさせられるというものです。パンディタ(訳注;複数)は聖典を詳しく(thoroughly、徹底的に)調べ、この主題について多くの議論をしました。

もしも私たちが、彼(アムバリーサ王)の指導の下で彼ら(パンディタたち)の心を主クリシュナの蓮の御足に集中させた、アムバリーサ王の主題によって示される例を辿るなら(訳注:アムバリーサ王はその指導の下でパンディタたちの心を主クリシュナの蓮の御足に集中させましたが、もしも私たちがその主題によって示される例を辿るなら)、

それなら心はすべての病から癒され得ます。他のどんな過程(process、方法)も、プラーラーダ・マハーラージャによってシュリマッド・バーガヴァタム(5.18.12)に描写された運命を私たちにもたらします。(サンスクリット引用)

「献身奉仕を行わず(devoid of、~が欠けている)、物質的な活動に携わっている者は、何の良い性質も持ちません。たとえ彼が神秘的なヨガの実践や、自分の家族と親戚を維持するという(of)正直な努力に熟達している(adept at)としても、彼は必ず(must)自分自身の物質的な推量によって突き動かされ(to be driven by)、そして必ず主の外的なエネルギーへの奉仕に携わります。そのような人にどうして何らの良い性質があり得るでしょうか?」

第5段落
この精神的な病を治すための唯一の方法は、クリシュナの聖なる御名を唱えるという主チャイタンニャの教えに誠心誠意(wholeheartedly)従うことです。これは心のすべての汚れ(impurities、不純物)を清めます。

この深遠な(esoteric、秘儀、奥義、難解な)真実が広く伝えられない(to be propagated、思想を宣伝する)限り、世界はすべての精神的な病を治す万能薬(panacea)がないままに留まるでしょう(to remain deprived of)。

我が国の首相はこれを真剣に考慮すべきです。もしも主クリシュナの献身者の数がほんの少しでも増えるなら、直ちに世界に平和と繁栄の復活(resurgence)があるでしょう。人間が半神の栄えある高さに上がるためには、彼は自分の潜在的な(latent)クリシュナ意識を蘇らせねば(to revive)ならないだけです。このように、クリシュナ意識は人類への最も偉大な恩恵(boon)です。

第6段落
マハートマーは他の素晴らしい性質も持っており、そのいくつかを主クリシュナはバガヴァッド・ギーター(9.14)において描写なさいます。

(サンスクリット引用)

「いつも私の栄光を唱え、大いなる決意をもって努力し、私の前にひれ伏しており、これらの偉大な魂たちは絶えず(perpetually、永久に)献身の念を持って私を崇拝します。」

第7段落
この一文は、どうやって主クリシュナの献身者になるかということの幾つかのヒントを与えます。サタタム(「いつも」)という言葉は、人の意識を浄化する過程は、結果を求める活動、経験主義的な(empiric)知識、ヨガ、あるいは時間、場所、状況などによらない(does not depend on、左右されない)、ということを示すのに使われてきました(has been used)。

第8段落
生命体は、自分は主クリシュナの永遠の従者であると認めれば直ちに、すべての苦しみから自由になります。そのような主の従者は、結果を求める活動をしたり、経験主義的な知識を培ったりする必要がなく、また、他のどんな浄化の過程を辿る(to undergo、変化を経験する、苦難に耐える)必要もありません。唯一の絶対に必要な要素(factor)は、主への献身奉仕への彼の激しい欲求(intense greed)です。

第9段落
主クリシュナへの極度な渇望(extreme longing)が、主に到達するための唯一の手段です。このように(Thus)、激しくて(intense)揺るがない(unflinching)献身奉仕は、マハートマーのもう一つのしるしです。

これらのマハートマーたちは、主クリシュナの御名、姿(form、形)、性質、娯楽、そして関連する諸々(paraphernalia)を聞き、唱え、そして覚えていることに始まり、献身奉仕の9つの枝(limbs、この場合は「側面」の意味)のすべてを遂行します。

そのような献身奉仕は、時間、場所、あるいは状況といういかなる俗的な考慮(consideration、理由、動機)をも超越しています。マハートマーは、いつも主へ愛情ある献身奉仕をすることに熱心です。彼らは疲れを知らずに自分の人生、エネルギー、言葉、知性、体、社会---すべて---を主への奉仕に捧げます。

第10段落
献身奉仕を遂行するためにマハートマーが行う(to undertake、引き受ける)大変な(great)努力は、普通の人が自分の家族と家を維持するために過度な苦痛(pains and troubles)を自発的に受け入れることよりももっと激しい(intense)ものです。

家族と親戚を維持するための努力は幻想、すなわちマーヤーです。したがって(Hence)それは本当に苦しいものです(distressing、悲惨)。対照的に、人が至高主に奉仕をすることにおいて受け入れる困難は超越的であり、したがってそれは至高の喜びの源です。

さらに、至高主に奉仕をする者は自動的に自分の家族に奉仕をします。しかし、その反対は真実ではありません。家族に奉仕をすることは主に奉仕をすることと等しくはありません(not equivalent)。すべてのマハートマーはこの点で同意します。

至高主に奉仕をする人は自分の親戚に奉仕をするだけでなく、動く生命体と動かない生命体の(of、~という、~からなる)すべての世界に奉仕をします。(訳注:the entire world of moving and nonmoving living beings、世界中の生きとし生けるものすべて、という意味だと思われますが、プラブパーダの他の文章から、「動かない生命体」には山や海なども含まれるものと考えられます。)

このように、主クリシュナへの奉仕は世界の平和と調和の主要な原因です。

第11段落
マハートマーはいつも大いなる決意をもって主にそのような奉仕をする用意があります。このことに関して、シュリーラ・バークティスィッダーンタ・サラスヴァティー・タークラ睨下が、かつて講演でこのように述べられました。

「初心者のヴァイシュナヴァ献身者が至高主の神像の崇拝の間に一度だけ鐘を鳴らすことでさえ、霊的にもそうでない面でも(spiritually and otherwise)、慈善心に富んだ(charitable)「結果を求めて働く者」(訳注:原文は括弧なし)が多くの病院を建てたり、何千人もの貧困者に食べ物を与えたり、家を建てたりすることよりも、あるいは、経験主義的な哲学者のヴェーダ研究、瞑想、禁欲(austerities)や苦行(penances)さえよりも、100万倍もの価値があります。」

第12段落
マハートマーたちは慈善(charity)の完璧な道---主への献身奉仕---を示しました。誰であれ、もしもこの道を無視して、その代わりに病院を建てるなら、人類を助けるための彼の努力は単なる(mere)見せかけ(pretense)です。

人類はそのような活動からは決して何らの恒久的な利益(advantage)も得る(to reap、刈り取る、成果を上げる)ことができません。実に、病院の数に合わせて、患者の数は増えるだけです。そして、貧しい者に食べ物を与えることについては、これは決して貧困を根絶せず(to eradicate)、そうではなく、それを助長します(to encourage)。

はっきり言うと(Frankly speaking)、私たちは病院を開くことや貧しい人々に食べ物を与えることや、その他のどのようなそうした人道的な奉仕にも反対ではありません。しかし、私たちが敬愛する霊的指導者から学んだのは、主への献身奉仕がないがしろにされるとき、他のすべての活動は幻想的で無駄(futile、役に立たない、空しい)だということです。

主チャイタンニャの流れ(line)を厳密に辿らない霊的な団体は、これを理解することができません。なぜなら、彼らはマハートマーの教えに従う(to abide by)ことを望まないからです。彼らは「一本の草よりも謙虚(humble)である」ようにという主チャイタンニャの命令(injunction)に従いません。

もしも彼らがそのように謙虚であるなら、彼らは、良い行い(good deeds)をする人、最も賢い人、最も献身的、などであるという自分たちの驕り(pride)を捨てるでしょう。

第13段落
マハートマーを見習おう(to emulate)と努力する(to strive)者は、決して不活動(passivity)と退行(regression、成長が早い段階で止まっている状態、退化)に陥りません(to fall prey to、餌食になる)。主に奉仕をすることへの彼らの熱意と決意は着実に(steadily)増します。

そのような信者(followers)は、かつてのアーチャーリャやマハートマーたちが勧めたように、主の喜びのためにジャンマースタミー(注1)やエカーダシー(注2)などの霊的な祭事(occasions、行事、儀式)を執り行います(to observe)。この献身奉仕は正しいものです。

マハートマーは一本の草よりも謙虚なので、彼らは主クリシュナと主に関わるすべてのものを崇拝します。しかし無神論者は全く違う精神性を見せます。彼らは自分の能力と慈悲深い性質(charitable disposition)を見せびらかしたがります(to flaunt)。

彼らは主クリシュナに奉仕をする振りをするかもしれませんが、彼らの目的はいったん完成を得たら「主の頭上に座る」ことです。言い換えると、彼らは主の立場を奪いたがるのです(to usurp)。したがって彼らは本当に主クリシュナに奉仕をするのではなく、主は彼らの本当の崇拝の対象でもありません。

マハートマーは決してこれらの悪魔的な人々と関わりません。彼らは主に奉仕をするという自分の決意(resolve)を固めており(to be fixed in)、そしてそのため彼らはいつも献身奉仕を通して主と結びついたままです。

注1)ジャンマスタミーは主クリシュナの降誕の祭。
注2)エカーダシー---文字通り11日目(を意味する)。太陰暦(lunar month)では満ち欠けする(waxing and waning)月の11日目に当たる。ヴァイシュナヴァはこの日、穀物を慎む(to abstain)。
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by ammolitering4 | 2015-01-29 08:11 | 「英知による放棄」 | Comments(0)

第2部第8章

第8章 至高主はいつも永遠のヴァイクンターの惑星にお住まいになる

第1段落
この物質的な創造(creation被造物)は、主ブラーマーの昼と夜の間に顕現し、そののち(subsequently)滅ぼされます。しかし、この物質的な世界を超えたところに(beyond)、創造と破壊によって影響されない(untouched)永遠の存在---霊的な天空があります。

その霊的なお住まい(abode)はヴァイクンターの惑星(訳注:複数)として知られます。この物質的な創造が滅ぼされるときでさえ、ヴァイクンターの惑星は無傷(unscathed)でそのまま(intact、完全、無傷)であり続けます。

誰であれ、いったんこれらの惑星に入ると、彼は決して再び、地上の(earthly、この場合は「俗世、物質界の」)存在にとって避けられない誕生と死の繰り返しに苦しむことはありません。物質的な世界が物質的な天空によって覆われ、満たされている(pervaded、充満)一方で、霊的な惑星はパラヴョマとして知られる霊的な天空に浮かんでいます(suspended、浮遊させられている)。

パラヴョマの中のすべての惑星系は、至高主がご自分の娯楽を永遠に行われる(to perform)超越的なお住まいです。

第2段落
先に私たちは、至高主は物質的なエネルギーと霊的なエネルギーという二つの主なエネルギーをお持ちであると論じました。ヴァイクンターの惑星は主の霊的なエネルギーの産物です。生命体はこの霊的なエネルギーに属しますが、彼らは霊的な世界または物質的な世界のどちらにも住むことができるので、もともとは霊的であるにも関わらず、彼らはタタスカー・シャクティ、すなわち「周辺的な力」と呼ばれます(to be designated as)。

第3段落
ヴァイクンターの惑星は主の内的な力の顕現であり、他方で物質的な世界は主の外的な力の顕現です。至高主はすべてのエネルギーの主であるため、主が霊的な世界と物質的な世界の両方を完全に統御していらっしゃる(to be in full control of)というのは否定できない(irrefutable)事実です。

完璧な類似(analogy)は土鍋(earthen pot、土で作った壷や鍋)です。土鍋を作るのに必要とされるのは、粘土、ろくろ(potter's wheel)、そして作り手(potter、陶芸家)です。粘土は素材(material)、すなわち原料となる原因(ingredient cause)、ろくろは道具となる(instrumental)、あるいは効率を上げる原因(efficient cause)、そして作り手は主要な原因(prime cause)です。

同様に、物質エネルギーがこの宇宙の創造の材料となる、そして効率を上げる原因である一方で、至高主、クリシュナは主要な原因です。影のように、物質エネルギーは厳密に至高主の命令(dictates)に従って働きます。

主クリシュナはバガヴァッド・ギーター(9.10)において次のように説明なさいます。

(サンスクリット引用)

「私のエネルギーの一つであるこの物質自然は私の命令の下で働いており、おお、クンティーの息子よ、すべての動くものと動かないものを作り出しています。その統御の下で(under its rule、この場合のits は「物質自然の」と思われる)、この顕現(訳注:物質的な宇宙を指すと思われる)は繰り返し繰り返し造られ、滅ぼされます。」

第4段落
悲しい事実は、クリシュナがご自分に関する真実をバガヴァッド・ギーターおよび他のヴェーダ文献全体で(throughout)明かされるにも関わらず、不運な(luckless)大衆(poplulace)は主を至高主と見なす(to regard ~as)ことができません。

特に、宗教的な熱意(religiosity、狂信的な宗教性や信仰)の砦(bastion、砦となるような人物も含む)であるという大げさな(tall)主張をする非人格主義的な哲学者たちは、至高主を死を運命付けられた平凡な存在(mediocre mortal)に引き下げ(to reduce)、そうして(thereby)重い罪を犯します(to accrue)。

そのような無神論的な罪人(offender、無礼者)たちは、自分自身の力(merit)によっては決して神という主題に近づくことができません。至高主と主の(主に)服従した従者たちは、様々な方法で至高の完全存在に関する知識を明らかにし(to clarify)、伝えましたが(to transmit)、至高主と主の献身者を侮辱する(offend)者は、決してそのような話題(topics)を理解することできません。

シュリー・プラーラーダ・マハーラージャはシュリーマッド・バーガヴァタム(7.5.30-31)において次のようにおっしゃいます。

(サンスクリット引用)

「(自分の)統御されない感覚が原因で、物質主義的な人生に過度に執着している者は地獄のような状態へ進み(to make progress toward~)、既に噛まれているものを繰り返し噛みます(訳注:徒労を繰り返す、という意味)。クリシュナへの好み(inclination、傾向)は、他の者たちからの教えによっても、彼ら自身の努力によっても、あるいはそれら両方によっても、決して呼び覚まされません(to be aroused)。

物質的な人生を楽しむという意識によって強くとらわれており、そしてそのため自分の指導者、あるいはグルとして、同様に外的な感覚の対象に執着した盲目の人(man)を受け入れた者たちは、人生の目的は家へ、至高主のもとへ帰り、そして主ヴィシュヌへの奉仕に携わることだというのを理解することができません。

もう一人の盲目の人に導かれた盲目の人たちが正しい道を外れて溝に落ちるように、もう一人の物質的に執着した人によって導かれた、物質的に執着した人々は、非常に強い紐(cords)でできた結果を求める労働という縄によって縛られ、物質的な人生において何度も何度も(訳注:生き)続け、三重の悲惨さに苦しみます。」

第5段落
主クリシュナもまた、このような人々をバガヴァッド・ギーター(9.11)において描写なさいます。

(サンスクリット引用)

「私が人間の姿で降臨するとき、愚か者たちは私をあざ笑います(to deride)。彼らは、すべてのもの(all that be)の至高の主としての私の超越的な性質を知りません。」

第6段落
取るに足らない(puny、ちっぽけな、虚弱な)人間は、鍋(pots)や皿(pans)(訳注:potもpanも形状の違いはあっても壷や鍋などの容器を指す)、工場などの取るに足らないものしか作ることができません。

したがって、それほど遠くない昔にマトゥーラーに生まれ、人間のように見える名士(personality)が宇宙の顕現全体の至高の統御者、すべての主の主、そしてすべての完全な性質の持ち主として紹介されるとき、どんなに明らかにこれらの真実を説明しても、一般の人々は彼らのとても小さくて(dog's-bent-tail)な知性が原因で、それらを受け入れる(to absorb)ことができません。

(訳注: dog's-bent-tailは文脈から「小さくてつまらないもの」を意味する形容詞的な言葉であることが想像できますが、他の用例を探すことはできませんでした。)

こうして(Thus)彼らは一元論的で(monistic)非人格主義的な哲学を奉じます(to embrace、考えなどを取り入れる)。主クリシュナだけが神であることを否定し、彼らは自分たちもまた「神」であると言い張ります(to insist)。

このようにして彼らはすべての礼儀(etiquette)と堅固な(sound)哲学的な結論を無視し(to disregard)、自分たち自身と神についてひどく(grossly)愚かな考えを奉じ(to embrace)、主と競おうとします。

第7段落
西洋の霊性主義者たち(spiritualists)はしばしば、そのような無神論的な人々は悪魔に取り付かれていると結論づけます。その昔(in bygone ages)、多くのそのような悪魔的な人々---ラーヴァナ、ヒラニャカシプ、ジャラーサンダー、カムサ---が至高主の権威に挑みました。

現在では、彼らは着実に倍増しています(to have steadily multiplied)。これらの悪魔たちは、主チャイタンニャ・マハープラブでさえ侮辱し(to insult)、「シャチーおばさんの息子」という軽蔑的な(derogatory)悪態(name-calling、誹謗中傷)で主を退けました(to dismiss、~を~として片付ける)。

第8段落
考慮すべき点は、誰も本当に神と競うことはできないということです。至高主は比類するものなく(unparalleled)、唯一無二(second to none、誰にも負けない、髄一)です。チャイタンニャ・チャリタームリタには、(サンスクリット引用)と述べられています。

「主クリシュナだけが至高の人格神であり、他のすべての者たちは主の従者です。」人生を運命によって蹴散らされるままに生き(to go through life being kicked about by fate)、腹を満たし、頭上に屋根(がある状態)を維持するために(訳注:衣食住のために)奴隷のように働く者たちだけが、万能の(omnipotent)至高の統御者と競うなどという非常にばかげた望み(so preposterous a wish as ~)を持つ(to harbor)ことができます。

それは滑稽な(ludicrous)ことです。主の至高で超越的な立場を全く知らないので(ignorant of)、彼らは大胆にもそのような欲望を心に抱きます(to dare harbor)。

それでも至高主は非常に慈悲深くていらっしゃるので(compassionate)、様々な技(tricks)によって、これらの愚か者にさえ主はご自分の超越的で至高の立場という事実を教えようとなさいます。そして、主の内密な従者たちもまた、多くの困難(hazards、危険)と痛みを受け入れ、無神論という(of)悪魔(demon)によって取り付かれているこれらの人々から悪魔(Satan)を払う(to exorcise)ための、可能な限りのすべての方法を試みます。

第9段落
そして、自分たちだけが聖典を知っており、他のすべての者たちは学のない(illiterate)愚か者だと主張する、いわゆる学者たちがいます。そのような「学者たち」は、聖なる文献(texts)の研究は、カーラノダカシャイー・ヴィシュヌがこの物質的な創造の原因であり、ヴァスデヴァとデヴァキーの息子である主クリシュナは良くても(at best)ヴィシュヌの部分的な拡張体であると明らかに示す(to clearly reveal)、と言います。(訳注:~を研究すれば~であることは明らかだ)

こうして私たちは、知性的な者たちでさえ時として幻想の力、マーヤーによって惑わされ、悪魔的な考えを持つ(to subscribe to)というのを見ます。そのような惑わされた魂にとって、主クリシュナが至高の人格神、すべての原因の原因であると受け入れることがどうして可能でしょうか?

第10段落
もしもこの主題に関してシュルティとスムリティの聖典を調べるなら(to consult)、私たちは、主ゴヴィンダ、クリシュナがカーラノダカシャイー・ヴィシュヌの源であるということを証明する多くの言及(references)を見つけます(訳注:~を調べると、~を証明する言及がたくさんあることが分かります)。逆ではありません。例えば、ブラーマ・サムヒター(5.47)にはこう述べられています。

(サンスクリット引用)

「私は太古の主ゴヴィンダを崇拝します(to adore)。主はご自分自身の素晴らしい精神的な(subjective、主観的、肉体によらず精神の活動による)形をしておられ(to assume、装う)、セサという名前をお持ちであり、すべてを受け入れる(all-accommodating)力を備えておられ(to replete with)、そしてご自分の毛の毛穴の中に無数の世界を持って(with the infinity of the worlds in the pores of His hair)、原因の海(Causal Ocean)に横たわって(to repose)創造的な眠り(ヨガニドラー)を楽しんでおられます。」(訳注:原文の構文は多少違いますが、意味は同じです。同様の構文の変化はときどきありますのでご了承ください。)

第11段落
聖書には、「神はご自分自身の姿になぞらえて人間をお作りになった」と書いてあります。この言明によれば、人間は神と似た形を持っているので、二本の手(hands)を持っています。しかし、これは、二つの手を持っておいでになるから神は人間である、ということを意味するのではありません。

人間の姿(form)でお現れになったからといって主クリシュナの立場を小さくしようとする(to diminish)のは憎むべき(heinous)罪(offense)です。主の神聖なる力と至高の立場に関する真実は、自己を認識した霊的指導者、聖人的な魂、そして明かされた聖典から学ばれるべきです。

第12段落
悪魔的な人々は人間の人生の本当の目的を理解し損ないます。その代わり、彼らはいつもすぐに主クリシュナの至高の立場を小さくしよう(to diminish)とします。そのような無神論者たちは、非常に高い望み(ambitions、野望)を持っているかもしれず、大変な(great、大いなる)、気高い(noble)行為(deeds)を行うかもしれません(訳注:偉業を成し遂げるかもしれません)が、彼らの野望と功績は主クリシュナへの愛情ある関係から切り離されているので、それらはすべて無駄です。

悪魔ラーヴァナは、階段を作ることによって天国に至りたいと欲しましたが、彼は失敗しました。そして、すべての無神論者の野望(all atheists' ambitions)はそのようなものです。数字の1の横に置かれたゼロは10を作り、その次のゼロは100を作り、というふうに続きます。

数字の1がある限り、ゼロが増えるごとに値は上がっていきます。しかし、数字の1がないと、どんなにゼロが増えても値はありません(valueless)。同様に、もしも人が「1」---主クリシュナ---との関係なくして、単に物質的な富、名声、そして学識という「ゼロ」を増やして一生を過ごすなら、それなら彼の人生全体が無価値です。主クリシュナはバガヴァッド・ギーター(9.12)においてこうおっしゃいます。

(サンスクリット引用)

「このように惑わされた者たちは悪魔的で無神論的な見方(views)に惹きつけられます。その惑わされた(deluded)状態において、彼らの解放への望み、彼らの結果を求める活動、そして彼らの培った知識(their culture of knowledge)はすべて打ち負かされます。」

第13段落
人は自分自身を主クリシュナの献身者であると呼ぶかもしれませんが、もしも彼がクリシュナを人間であると考えたり、主が最初は人間で、それから神に進化した(今はやっているように(in vogue))、非常に多くの「化身」が雨後の竹の子のように出てきている(to mushroom))と考えるなら、それならそのような人は献身者ではなく、偽物(imposer)です。

(訳注:「神が最初は人間で、それから神に進化した」という考えが今はやっていて、そのため「化身」もうじゃうじゃいる、という意味)

人はしばしば、主クリシュナの献身者の振りをしている一元論者(monists)や偽の(pseudo-)献身者に出会いますが、やがて彼らはクリシュナの立場を奪おうとします(to usurp)。彼らは自分が主クリシュナでありたいと欲します。そのような狡猾な(insidious)望みを持つ人々は完全に惑わされています。

もしも結果を求めて働く人が、主クリシュナが普通の、死を運命づけられた存在(mortal)であると考えるなら、彼は自分の結果を求める働きの目標---天国のような惑星へ上げられること---を達成しません。

そして、もしも擬人主義者(anthropomorphist、擬人主義は「人間以外のものを人物として、人間の性質・特徴を与える比喩の方法」ウィキデピアより)がたまたまジニャーニー、 経験主義的な(empirical)哲学者であるなら、それなら彼もまた自分の知識の追求の目的---物質的な相からの解放---を達成するのに失敗します。
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ぼちぼち、ぼちぼちと進んでおります。今年もまたのんびりお付き合いくださいませ。
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by ammolitering4 | 2015-01-12 13:25 | 「英知による放棄」 | Comments(2)

あけましておめでとうございます

皆様、明けましておめでとうございます。またはアケイ・マッシュデイ・オ・メイ・デイ・ト・ゴザイ・マス。日本語が全くできない無神論者で肉食で酒飲みの連れががんばって新年のご挨拶をしております。ハレ・クリシュナの偽物献身者である私の連れがなぜそういう人物であるのかという謎はさておき、せめて彼の努力は認めてあげたいと思います。。。

昨年はあまり翻訳が進まなくてすみません。時間がなかったのかといえばそういうわけでもなく、いい年をしてコーヒーショップのアルバイトをしているだけという身の上なのでヒマなのです。空いた時間に何をしていたのかと言えば、再三の引越し、組み紐や折り紙ブックなどのお子様クラフト作り、YouTubeその他で古臭い音楽ビデオや探偵ナイトスクープの鑑賞など、要するにだらだらと過ごしておりました。

私はテレビをほとんど全く見ないで育ったので、探偵ナイトスクープという番組の存在もつい1ヶ月ほどまで知らなかったのですが、たまたま見つけてこのところすっかりはまって毎日見てしまっています。面白いですね。私も何か謎を依頼したい!と思うのですが、思い当たりません。何かないかな~と考えてみますと、、、なぜ世界はこんなふうなのでしょうか。もうちょっと何とかならないものでしょうか。どうしたらよいでしょうか。。。依頼先が違うかもしれませんね。

ともあれ、皆様の新年が平穏なものでありますよう。そうは言ってもあんまり平穏とはいかないのがカリユガの定めというものでしょうから、雨の中で傘をさすように、暗闇の中で明りを灯すように、クリシュナのことを覚えていられますようにお祈り申し上げます。
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by ammolitering4 | 2015-01-02 04:53 | Comments(2)