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第2章 終わりまで

クリシュナはすべての聖人的な人々の友人であり、そしてクリシュナ意識になろうとする試みは聖人的な努力(saintly endeavor)です。シュラヴァナム・キールタナム―――マントラを唱えることと聞くことによって(by chanting and hearing)、人はクリシュナの科学を理解するようになることができ(can come to understand)、そして、その結果(hereby)クリシュナを理解するようになります(to come to understand)。

そして、いったんクリシュナを理解すると(upon understanding Krishna)、人は死の瞬間に直ちに霊的な世界の中の主のお住まいに行くことができます。この霊的な世界はバガヴァッド・ギーターにおいて次のように描写されています。

(サンスクリット引用)
「その私の住まいは、太陽、あるいは月、あるいは電気によっても照らされていません。そこに至る者は、決してこの物質世界に戻りません。」(Bg 15.6)

第20段落
この物質世界はいつも暗黒です。したがって、私たちは太陽、月、そして電気を必要とします。ヴェーダは私たちに、この暗闇に留まるのではなく、光(illumination)の世界へ、霊的な世界へ移る(to transfer ourselves、自分を移す)ように命じます(to enjoin)。暗闇という単語は二重の意味を持っています。それは光がないことを意味するだけでなく、無知をも意味します。

第21段落
至高主は多くの(manifold)エネルギーをお持ちです。主(校正:he→He)がこの物質世界に活動を行いにいらっしゃる、というのではありません。ヴェーダにおいて、至高主は何もすることがない、と述べられています。バガヴァッド・ギーターにおいて、シュリー・クリシュナはこのようにもおっしゃいます。

(サンスクリット引用)
「おお、プリターの息子よ、三つの惑星系すべての中に、私に課された(prescribed)仕事はありません。また、私には何も不足しておらず(in want of、不足して、必要としている)、何かを得る必要もありません(nor have I need to obtain anything)―――そして、それでも私は仕事にいそしんでいます。」(Bg 3.22)

第22段落
したがって私たちは、クリシュナはこの物質世界に降臨して非常に多くの活動に携わる必要がある(is required to ~)、と考えるべきではありません。誰もクリシュナと同等でもクリシュナより偉大でも(greater)ありません。そして主はもともと(naturally)すべての知識をお持ちです。

主が知識を得る(to acquire)ために苦行を行わなければならない(to undergo penances)、あるいは主がどの時点であれ(at any time)知識を受け取ったり知識を得たり(to attain)しなければならない、というのではありません。

いつでも、そしてどんな状況でも(at all times and in all conditions)、主は知識に満ちています。主はバガヴァッド・ギーターをアルジュナに語っていらっしゃるかもしれませんが、いつのときでも主は決してバガヴァッド・ギーターを(訳注:誰かに)教えられてはいらっしゃいません。

これがクリシュナの立場であると理解することのできる者は、この物質世界の中の誕生と死の循環に戻る必要がありません。幻想の影響の下にあるため、私たちは生涯をこの物質的な環境(atmosphere)を調整しようとして(to make adjustments to ~)過ごしますが、これは人間の人生の目的ではありません。人間の人生は、クリシュナの科学を理解するためにあります。

第23段落
私たちの物質的な必要性は、食べること、性交をすること、眠ること、身を守ること、そして感覚の満足を得ることの問題です(Our material needs are these: ~)。これらは人間と動物に共通しています。動物はこれらの問題を解決しようとして忙しく働いています(busily engaged trying to solve ~)。

そして、もしも私たちもまた、それらを解決することにのみいそしんでいるなら、私たちは動物と(from)どのように異なっているでしょうか?しかし人間は、それによって(whereby)超越的なクリシュナ意識を育むことのできる特別な資格を持っています。

しかし、もしも彼がこれを自分のために役立てないなら(does not avail himself of)、彼は動物の区分の中にあります。現代の文明の欠陥は、それがこれらの生存に関わる(survival)問題に過度の重点を置くことです。

霊的な生命体として、自分をこの誕生と死の呪縛(entanglement)から救い出す(to extricate、脱出させる)ことは、私たちにとっての義務です(incumbent upon us)。したがって私たちは人間の人生という(of)特別な機会を失わない(to miss、~しそこなう)ように、注意深くあるべきです。

バガヴァッド・ギーターを授け(to deliver)、そして私たちが神意識になるのを助けるために、シュリー・クリシュナご自身がおいでになります。実に、この物質的な創造そのもの(this very material creation)が、この修養(cultivation、修練、養成)のために使うために、私たちに与えられています。

しかし、もしも、この機会とこの人間の人生という贈り物を受け取った後で、私たちがそれらをクリシュナ意識を培うために使わないなら、私たちはこの希少な機会を失うでしょう(we shall be missing ~、未来のある時点において、貴重な機会を進行形で利用しそこなっている)。

修養のための過程は非常に単純(simple)です:シュラヴァナム・キールタナム―――聞くことと、マントラを唱えることです。私たちには聞くことの他には何もすることはなく、そして注意深く聞くことによって悟り(enlightenment)は必ず訪れます。クリシュナは必ず助けてくださいます。なぜなら、主は(私たちの)内に座っておいでだからです。

私たちはただ、努力をして少しの時間を割かねばならないだけです。私たちは、(自分が)進歩しているかどうかと(私たちに)尋ねる誰をも必要としません(訳注:自分の進歩は自分で分かります)。私たちはそれを自動的に知るでしょう。ちょうど、空腹な人が十分な食事によって、自分が満足したと知るように。

第24段落
実際は、このクリシュナ意識あるいは自己認識の過程はあまり難しくありません。クリシュナはバガヴァッド・ギーターの中でそれをアルジュナにお教えになりました。そして、もしも私たちがバガヴァッド・ギーターをちょうどアルジュナがしたように理解するなら、私たちは完成した段階に至るのに何の問題もないでしょう。

しかし、もしも私たちがバガヴァッド・ギーターを自分の独自の俗的で学究的な精神性(mundane academic mentality)に応じて解釈しようとするなら、私たちはそれをすっかり駄目にします(we spoil it all)。

第25段落
前述のように、このハレ・クリシュナを唱えることは、それによって物質的な関わりによるすべての汚染が心の鏡から取り除かれる過程です。私たちのクリシュナ意識を取り戻すにあたって(in reviving)、外的な助けは必要ありません。

なぜなら、クリシュナ意識は自己の中で休止状態(dormant)にあるからです。事実、それは自己の性質そのものです(the very quality)。私たちはそれを、この過程によって呼び覚まさねば(to invoke、霊などを呼び出す)ならないだけです。

クリシュナ意識は永遠の事実です。それは何らかの組織によって押し付けられた(to impose)教義(doctrine)や一群の信条(set of beliefs)ではありません。それは、人間であれ動物であれ、すべての生命体の中にあります。

主チャイタンニャ・マハープラブがおよそ(some)五百年前に南インドのジャングルを通り抜けていらしたとき、主はハレ・クリシュナを唱え、そしてすべての動物たち―――虎、象、そして鹿―――が、主が聖なる御名に合わせて(to)踊るのに加わりました。

もちろん、これはマントラを唱えることの純粋性によります(to depend on~)。私たちがマントラを唱えることにおいて発達するにつれて、浄化は必ず訪れます。
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ようやく第2章が終わりました。まだ第5章まであるのです。この調子でいったら終わるのは来年か再来年か、、、と、先の心配ばかりしていてはいけませんね。鬼が笑う声が聞こえてくるようです。未来は私たちの領分ではありません。今できることをしましょう。それは何かというと、目の前にあるドライチェリーを延々と食べ続けるのをやめることです。これでおしまい、あと2個でおしまい、そして袋を閉じて手の届かないところにもっていきましょう。

私は鳥のエサのような食べ物が好きで、今日はチアシードというのを買って食べてみました。これはゴマみたいな小さな粒々で、水をかけると脹らみ、ぬるぬると粘りが出てきます。水(またはお湯)がちょうどよい量だと、オートミールみたいな感じになっておいしいです。私はこれにヘンプシード(麻の実)とかフラックス(亜麻の実)とか入れてみました。鉄分が多いらしくて、ベジタリアンにはお勧めの食材だそうです。ただ、食べ過ぎてはいけないそうです。

レンティルもよく食べます。単に水だけ入れて煮て、カレー粉と塩で味付けし、仕上げにヘンプオイルをかけて食べます。ココナッツオイルでもおいしいです。甘くしたいときはレーズンを入れて煮て、仕上げにメープルシロップや蜂蜜やクリームをかけたりします。

炊飯器で小豆もよく煮ています。水を替えたり捨てたりする面倒なことはせず、単に豆を洗って水をたくさん入れてスイッチを入れるだけ。ところがこれが私にとってはとてもおいしくて、黒砂糖とココナッツミルクなどかけるととても幸せな気分になります。他の豆でもすべて同じような手抜きな調理をしますが、多少のアクはスパイスと思っています。それに、炊飯器で煮た小豆は変なエグミなど全然ないように感じます。

私はしばらく前にちょっと体調を崩してからヘルシーに目覚め、食生活その他の改善を決意しました。今年の目標というには多少時期が遅いですが、あんまり早くから目標を立てると忘れてしまうので、このくらいがよろしいのです。いけないと思いつつも多少のインスタントや化学調味料入りの物があったのを処分し、体質的に合わないらしい食材を減らし、新しいものをいろいろと試してみています。体はクリシュナからの借り物です。お許しが出るまでは代替品無しでやり過ごさねばならないので、最大100年もたせることを前提としてメンテナンスをしようと思います。(個人的にはもうちょっと少なく、91年を目安としています。あとうん十年ありますが、その時間のうちどれだけを私は本来の成長のために使えるものでしょうか。どうもあんまり自信がないなあ、3分の1は寝ていて、3分の1は日銭を稼ぐのに使い、残り3分の1の半分くらいは何かしょうもないことをしている自信があります。。。)
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by ammolitering4 | 2013-12-07 15:56 | 「クリシュナへの途上」 | Comments(2)