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第8章

第8章 結論

第1段落
主シュリー・チャイタンニャ・マハープラブと、主の最も偉大な献身者の一人、シュリー・ラーマーナンダ・ラーヤの間の超越的な会話の中で、主はラーマーナンダ・ラーヤに尋ねました。「教育の最も高い水準は何ですか?」

ラーマーナンダは直ちに、教育の最も高い水準はクリシュナの科学を知ることである、と答えました。(脚注1)シュリマッド・バーガヴァタムは、ヴャースデヴァ(主シュリー・クリシュナ、すなわち神の、もう一つの名前)が究極の知識の対象である、と言います。(サンスクリット引用)

「明かされた聖典の中で、究極の知識の対象はシュリー・クリシュナ、至高の人格神です。犠牲を行うことの目的は、主を喜ばせることです。ヨガは主を認識するためのものです。すべての結果を求める行いは、究極的には主のみによって報いを与えられます。

主は至高の知識であり、すべての厳しい苦行は主を知るために行われます。宗教、ダールマは、主に愛情ある奉仕を捧げることです。主は人生の至高の目的地です。」(脚注2)主を認識する方法は、至高の人格神、主シュリー・クリシュナと、主の真正なる代理人、師弟継承における霊的指導者の蓮の御足に純粋な献身奉仕(バークティ)を捧げることです。

主シュリー・クリシュナはアルジュナに宣言なさいました。「我が親愛なるアルジュナよ。脇目を振らない献身奉仕によってのみ、私はありのままに、あなたの前に立っているように理解されることができ、そしてそうやって直接的に見られることができます。この方法によってのみ、あなたは私の理解という神秘に入ることができます。」(脚注3)

第2段落
制約された生命体は、ヴィシュヌ(クリシュナ)の満足のためにヤジナ(犠牲)を行うべきです。ヴィシュヌはヤジネシュヴァラ、すべての犠牲の主とも呼ばれます。バガヴァッド・ギーターにおいて、とても情け深い(all-merciful)シュリー・クリシュナはアルジュナにおっしゃいます。

「おお、クル王朝の最良の者よ。犠牲がなくては、人は決してこの惑星において、あるいはこの人生において、幸せに暮らすことはできません。それでは、次(の生)については何をか言わんや?」(脚注4)

至高の人格神、主シュリー・クリシュナの慈悲の化身である主シュリー・チャイタンニャ・マハープラブは、サンキールタン・ヤジナ(神の御名を唱え讃えること)を、このカリの時代のすべての人の救いのために500年前に導入しました。

主の化身は、シュリマッド・バーガヴァタムに次のように言及されています。(サンスクリット引用)「このカリの時代において、十分な知性を授けられている者は、サンキールタン・ヤジナを行うことによって、ご自分の仲間たちに付き添われておられる主を崇拝します。」(脚注5)

シュリーラ・プラブパーダはおっしゃいます。「キールタンはハリ・キールタン、すなわちハリ・クリシュナ、至高の人格神を讃えるものであり、他のどのキールタンも勧められていません。」(脚注6)ブリハン・ナーラディーヤ・プラーナ(訳注:ヴェーダ文献の一つ)には、次のようにも述べられています。

(サンスクリット引用)このカリの時代においては、救いのための唯一の方法は、主ハリ、クリシュナの聖なる御名を唱えることです。他の方法はありません。他の方法はありません。他の方法はありません。」(脚注7)

このハリ・キールタンの方法は、マハー・マントラ(救いのための偉大な唱名)、ハレ・クリシュナ、ハレ・クリシュナ、クリシュナ、クリシュナ、ハレ、ハレ。ハレ・ラーマ、ハレ・ラーマ、ラーマ、ラーマ、ハレ、ハレを唱えることです。パドマ・プラーナには、こう述べられています。

「主の聖なる御名と主ご自身の間に違いはありません。そのため、聖なる御名は完全性、純粋性、そして永遠性において、主ご自身と同じく完璧です。聖なる御名は、物質的な音の振動ではなく、何らの物質的な汚染もありません。」(脚注8)

どのようにして主の聖なる御名が絶え間なく唱えらえるかは、情け深くも主シュリー・チャイタンニャ・マハープラブご自身によって、ご自分のシクシャースタカ(訳注:主チャイタンニャが残された8節から成る祈り)の中で描写されています。

「人は、自分自身を道に落ちている麦わらよりも低く考える、へりくだった心のあり方で主の聖なる御名を唱えることができます。人はすべての偽りの名誉の感覚を捨て(devoid of)、木よりも忍耐づよくあるべきです。そして、他者にすべての敬意を払う心の準備をしているべきです。そのような心のあり方において、人は常に主の聖なる御名を讃えることができます。」(脚注9)

第3段落
したがって、私たちはすべての人ーーー科学者、哲学者、ビジネスマン、政治家などーーーに、どうかマハー・マントラ、ハレ・クリシュナ、ハレ・クリシュナ、クリシュナ、クリシュナ、ハレ、ハレ。ハレ・ラーマ、ハレ・ラーマ、ラーマ、ラーマ、ハレ、ハレを唱えてくださるように、慎んでお願いします。これは降り積もった埃を心から拭い去り、クリシュナ意識、至高の完全科学、人生の究極の目的地を理解することへと繋がります。

脚注:(訳注:詳細は省きました。)
1、プラブパーダ、「主チャイタンニャの教え」p.282
2、SB 1.2.28-29
3、BG 11.54
4、BG 4.31
5、SB 11.5.32
6、プラブパーダ、「主チャイタンニャ:黄金の化身」、バック・トゥ・ゴッドヘッド誌39号9ページ
7、ブリハン・ナーラディヤ・プラーナ、18.126
8、パドマ・プラーナ
9、シュリー・クリシュナ・チャイタンニャ・マハープラブ、「シクシャースタカ」第3節

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以上で本書の翻訳を終わります。
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by ammolitering4 | 2011-05-20 02:49 | クリシュナ意識の科学的な基盤 | Comments(2)

第7章

第7章 真正なる霊的指導者を受け入れる

第1段落
霊的な科学を探求している真摯な魂は誰でも、師弟継承にある真正なる霊的指導者(パラムパラー)を探し出さねばなりません。主シュリー・クリシュナが、もともとの霊的指導者です。ヴェーダの知識は、そのままの形で師から弟子へ、次から次へと伝えられてきています。

俗的な水準においてさえ、もしも誰かが化学を学びたいと思うなら、彼は教授に近づかねばなりません。それなら、至高の霊的な完成、クリシュナ意識に至るために真正なる霊的指導者に近づくことの必要性は、(それより)どれほど大きいことでしょうか。

真摯な魂にとって、真正なる霊的指導者に近づき、霊的指導者の蓮の御足に無条件に服従することは、絶対に必要です。主シュリー・チャイタンニャ・マハープラブは、サナータナ・ゴスヴァーミーに次のように教えました。

「一番最初で一番大切なことは、人が真正なる霊的指導者を受け入れるということです。それが霊的な人生の始まりです。」(脚注1)

第2段落
真正なるグル(霊的指導者)と献身者の徴候は、パドマ・プラーナ(訳注:ヴェーダ文献の一つ)の中に描写されています。「資格のあるブラーマナであり、同時に献身者のすべての徴候を持って資格のある者(qualified with all the symptoms of a devotee)は、すべての階層の人々の霊的指導者となることができ、そしてそのような献身者と霊的指導者は、神ご自身として尊敬されなければなりません。

しかし(一方で)、人は、非常に尊敬されているブラーマナの家庭に生まれたかもしれませんが(訳注:生まれたとしても)、もしも彼が主の献身者でないなら、真正なる霊的指導者になることはできません。」(脚注2)さらに、こうも述べられています。

「彼が何であれ、彼がどんな地位にあろうと、もしも彼がクリシュナの科学、クリシュナ意識に完全に精通しているなら、彼は真正なる霊的指導者、入門をさせる人、あるいは(クリシュナの)科学の教師になることができます。

言い換えると、真正なる霊的指導者になるための彼の素質(capability)は、彼のクリシュナの科学、クリシュナ意識の十分な知識に基づいています。それは誕生や、社会における特定の地位には基づきません。」(脚注3)

真正なる霊的指導者の資格は、シュリマッド・バーガヴァタムの11巻においても描写されています。そこで、賢者プラブッダーは、マハーラージャ・ニミに言います。「我が親愛なる王よ。どうぞ、物質世界には幸せはないということを、しっかりと知ってください。ここに幸せがあると考えるのは、単に間違いです。

なぜなら、この場所は悲惨な状況だけに満ちているからです。真剣に本当の幸せを望む者は誰であれ、真正なる霊的指導者を探し出し、入門によって彼の庇護を受けねばなりません。霊的指導者の資格は、彼が熟考と議論によって聖典の結論を認識し、そしてそのため、他者にこれらの結論を納得させることができるということです。

至高神の庇護を受けたそのような偉大な名士たちは、すべての物質的な問題(consideration)を排除して、真正なる霊的指導者として受け入れられるべきです。すべての人が、彼の人生の目的、すなわち自分自身を霊的な喜びの場所に移すことを達成するために、そのような真正なる霊的指導者を見つけようとすべきです。」(脚注4)

賢者はさらに続けます。「我が親愛なる王よ。弟子は、霊的指導者を霊的指導者としてだけではなく、至高の人格神と超魂の代理人としても受け入れなければなりません。言い換えると、弟子は霊的指導者を神として受け入れるべきです。なぜなら、彼はクリシュナの外的な顕現だからです。」(脚注5)

第3段落
実に、この物質的な世界は苦しみと悲惨さの広大な海であり、マーヤー(幻想)の波は常に生命体を蹴っています。したがって、疑いもなく、すべての人間はこのカリ・ユガの広大な海を横切るために、熟達した船長の親切で有能な導きを緊急に必要としています。

もしも私たちが熟達した船長の手の中にいれば、私たちの立場は非常に安全です。師弟継承における真正なる霊的指導者は、疑いようもなく、熟達した船長です。私たちの物質的な体は船であり、クリシュナの言葉は好ましい風です。

もしも人がそのような霊的指導者の庇護を受けるなら、この広大なカリ・ユガの海を横切るのに困難はありません。バガヴァッド・ギーターにおいて、クリシュナはアルジュナに教えられます。「ただ、霊的指導者に近づくことによって真実を学ぼうとしなさい。

彼に素直に問い(inquire from him submissively、「へりくだって彼に問い、彼の答えを従順に受け入れ」)、そして彼に奉仕をしなさい。自己を認識した魂は、あなたに知識を授けることができます。なぜなら、彼は真実を見たからです。」(脚注6)

また、ヴェーダ文献には次のようにも書かれています。(サンスクリット引用)「主と霊的指導者の両方に絶対的な信頼(faith)を持つ偉大な魂だけに、ヴェーダの知識のすべての重要なことが自動的に明かされます。」(脚注7)

第4段落
したがって、私たちは単に霊的指導者と至高の人格神、主シュリー・クリシュナの、親切でいわれのない慈悲に依り頼まねばならないだけです。主チャイタンニャ・マハープラブはおっしゃいます。「クリシュナの慈悲によって、人は霊的指導者を得ます。

そして霊的指導者の慈悲によって、人はクリシュナを得ます。」(校正:引用元の記載無し)バガヴァッド・ギーターには次のように述べられています。「至高主はすべての人の心臓に位置しています。おお、アルジュナよ。そして、物質的なエネルギーでできた機械の上に座っているようなすべての生命体の、さまよいを導いています。」(脚注8)

心臓の中の至高主が制約された魂の誠実さ(sincerity)を見るとき、主は情け深くも、堕落した魂の救いのために、すべての機会を与えられます。「彼らへの同情心から、彼らの心臓に住む私は、知識の輝けるランプを持って、無知によって生じる暗闇を滅ぼします、、、( 」 )(脚注9)

( 「 )、、、それによって無知が滅ぼされるところの知識によって人が啓蒙されるとき、そうすれば、彼の知識は、ちょうど太陽が昼間にすべてのものを照らすように、すべてを明かします。」(脚注10)(校正:二つの引用元が離れているので、二つに分けて引用する必要あり)

第5段落
医者、社会的および政治的な指導者たち、あるいは博愛主義者も、誕生、死、老い、病という人生の基本的な問題を解決することができない、というのは疑いの余地のない事実です。物質的な体は、いつでも終わり得ます。

したがって、誰もが避けられない死のために準備すべきです。しかし、超越的な科学、クリシュナ意識という背景がなければ、そして熟達した霊的指導者の情け深い導きがなければ、どうやって人は差し迫った死のために準備をすることができるでしょうか?

偉大な王であって主の献身者、パリークスィット・マハーラージャには、死のために準備するために7日間がありました。しかし、私たちには死のために準備するために7分間があるかどうかさえ確かには分かりません。

パリークスィット王は、至高の人格神、主シュリー・クリシュナの超越的な性質を描写するシュリマッド・バーガヴァタムを偉大な賢人シュカデヴァ・ゴスヴァーミーが語るのを聞くことだけに、それらの日々を費やしました。このようにして彼は自分の人生を完成させました。

物質的な科学者たちと哲学者たちは、自分たちの生徒たちに超越的な知識を与えることができません。彼らはそうするための資格を持っていません。しかし、完全にクリシュナ意識である真正なる霊的指導者は、完全に超越的な知識、クリシュナの科学を自分の弟子に授けることができ、そうして彼は、彼らの人生の問題すべてを解決することができます。

第6段落
主シュリー・クリシュナは至高の完全真理です。「完全真理は完全な水準から下ってくるのでなければなりません。それは上へ向かっていく方法(訳注:ascending process、観察と推量によって真理を知ろうとすること)によって理解されるべきものではありません。」(脚注11)

したがって、人は至高の人格神、主シュリー・クリシュナに直接近づくことはできません。アーディ・プラーナ(訳注:ヴェーダ聖典の一つ)において、主クリシュナはアルジュナに向かって言います(to address)。「我が親愛なるパールターよ。私の献身者であると主張する者は、そうではありません。私の献身者の献身者であると主張する者のみが実際に私の献身者です。」(脚注12)

主シュリー・チャイタンニャ・マハープラブは、次のようにもおっしゃいます。「私はブラーマナ(教師)ではありません。私はクシャトリヤ(管理者)ではありません。私はグリハスター(家庭人)ではありません。私はヴァーナプラスター(引退者)ではありません。

私は8つのヴァルナーシュラマ(職業的および霊的な社会区分)のいずれにも属しません。私は、ゴピーたちを維持する方、クリシュナの、従者の従者の従者、百倍の(訳注:百段下った)従者です。」(校正:引用元の記載無し)これが完璧な主人、主シュリー・クリシュナ・チャイタンニャご自身によって与えられた完璧な例です。

第7段落
したがって、霊的指導者は、それを通して至高主シュリー・クリシュナに近づくための、透明な経由媒体です。偉大なアーチャーリャ(聖なる教師)、シュリーラ・ヴィシュヴァナーター・チャクラヴァルティー・タークラは親切にも、霊的指導者を讃えるためのご自分の有名な祈りの中で、次の崇高な教えを私たちに与えられます。(サンスクリット引用)

「もしも人が霊的指導者を満足させるなら、至高の人格神は満足なさいます。もしも人が霊的指導者を満足させないなら、人がクリシュナ意識の水準に上げられる可能性はありません。したがって、私は彼の上に瞑想すべきであり、一日に3度、彼の慈悲を求めて祈るべきであり、そして彼、私の霊的指導者に心からの敬意を払うべきです。」(脚注13)

第8段落
これが偉大なヴァイシュナヴァ(クリシュナ意識)の伝統です。弟子の義務は、いつも、すべての状況において、霊的指導者を満足させることを考え、行動することです。したがって、人は個人的な動機のかけらもなく、霊的指導者の命令を完全に遂行すべきです。

脚注:(訳注:詳細は省きました)
1、プラブパーダ、「主チャイタンニャの教え」 p.152
2、同書 (訳注:同じページ?)
3、同書 p.266
4、プラブパーダ、「献身の甘露」 p.58
5、同書 p.59 (?)
6、BG 4.34
7、シュヴェターシュヴァタラ・ウパニシャッド、6.23
8、BG 18.61
9、BG 10.11
10、BG 5.16
11、プラブパーダ、「主チャイタンニャの教え」 p.172
12、プラブパーダ、「献身の甘露」 p.103
13、ヴィシュヴァナーター・チャクラヴァルティー・タークラ、「シュリー・グルヴァシュタカ」第8節

(校正:ところどころ本文中にサンスクリットの引用があるが、ほとんどは脚注として別に記載されている。)
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by ammolitering4 | 2011-05-20 00:12 | クリシュナ意識の科学的な基盤 | Comments(0)

第6章

第6章 シャーストラ(権威ある聖典)の命令は至高の判断である

第1段落
私たちは、自分たちの知識と知性は非常に限られていると理解します。私たちの脳はとても小さく、私たちの感覚と科学的な機器は不完全であり、私たちの視野は限られています。これらすべての不完全な手段をもってして、どうして(それを)越えた知識(科学)を理解することが可能でしょうか?

研究をするという名の下に、自分の限られた手段によって無限の知識を理解しようと試みることは、単に貴重な時間とエネルギーの無駄です。シュリーラ・プラブパーダは大変親切に、至高の人格神ご自身、主シュリー・クリシュナのアヴァターラ(化身)であるシュリーラ・ヴャーサデヴァの抜かりのない研究によってヴェーダ文献の中に完全で完璧な知識がある、と説明なさいます。

第2段落
ヴェーダはもともと、至高主ご自身によって物質宇宙の最初の生命体であるブラーマーに、彼の心の中から語られました。ヴェーダの知識は、それが口頭受容によって学ばれることを示す、シュルティと呼ばれます。したがって、ヴェーダの知識は、聞くことによって、より高い権威から受け取られねばなりません(シュラヴァナム)。

以前の時代には(訳注:現代のカリユガより前の時代)、人々は非常に高い知性を持っていました。彼らの記憶力は非常に優れていました。ただ単に霊的指導者から一度聞くだけで、弟子はすべてを覚えることができました。したがって、それらの時代には、ヴェーダを筆記された形でとっておく必要はありませんでした。

しかし、シュリーラ・ヴャーサデヴァは、あらかじめ、この現在のカリの時代、争いと誤解の時代の人々は、科学と科学技術の邪魔になる騒音の中に位置して、非常に短い記憶力(訳注:short memories、すぐに忘れる)を持ち、(前よりも)ずっと知性において劣る、ということを見ることができました。したがって、およそ5000年前、彼はこの現在の時代のすべての知的好奇心の強い魂のために、ヴェーダを筆記した形で編纂しました。

第3段落
ヴェーダは実際は知識を意味し、そしてヴェダーンタは知識の最終地点、すなわち至高の人格神、主シュリー・クリシュナを知ることを意味します。バガヴァッド・ギーターはすべてのヴェーダの知識の真髄です。それは至高主クリシュナご自身によって、主の親密な友人であり、弟子でもある、アルジュナによって語られました。

シュリマッド・バーガヴァタムは、すべてのヴェーダ文献の熟れた果実です。それは生命の至上の善(訳注:summum bonum、ラテン語で「highest good」を意味する)、主シュリー・クリシュナの化身(personified)です。それは主の無限の超越的な性質を描写します。

主シュリー・クリシュナ・マハープラブは、サナータナ・ゴスヴァーミーに説明なさいました。「シュリマッド・バーガヴァタムは至高主クリシュナを音で表したものです。ですから、クリシュナが無限であるように、同様に、シュリマッド・バーガヴァタムのすべての言葉とすべての文字の中に無限の意味があり、そして人はそれらを献身者との関わりによって理解することができます。」(脚注1)

主シュリー・クリシュナはおっしゃいます。「私はすべての人の心に位置しており、そして私から記憶、知識、そして忘却が生じます。すべてのヴェーダによって私は知られるべきものです(I am to be known)。実に、私はヴェダーンタを編纂した者であり、そして私がヴェーダを知る者です。」(脚注2)このように、ヴェーダの言葉は至高の権威です。

第4段落
人は、「どうやって人は権威を受け入れるのですか」と尋ねるかもしれません。答えはシュリーラ・プラブパーダによって与えられています。「人の父親が誰であるかという問いへの、本当の母親の応えは、権威があります。」人は、この点について議論したり異議を唱えたりすることはできません。

同様に、子供が自分の父親から2掛ける2は4であると教わり、そして彼が同じことを数学の教授に言うなら、教授は子供が完璧に語っていると同意せざるを得ません。子供は完璧ではないかもしれませんが、彼が語っている知識は完璧です。なぜなら、彼はそれを権威者から受け取ったからです。

同様に、すべてのヴェーダの知識は、誤ることがありません。例えば、ヴェーダの中に、牛の糞は清浄であり、他の糞は不浄である、と述べられており、そして現代の科学はこれが正しいことを見出しました。牛の糞は本当に様々な防腐成分を含むということが、化学分析によって科学的に確認されています。

第5段落
制約された魂につきものの4つの主な欠陥があります。すなわち、不完全な感覚、騙す傾向、間違いを犯すことの確実性、そして幻惑されることの確実性です。したがって、制約された魂は、いかなる規則や規律を作るのにも全く適しません。

シャーストラ(権威ある聖典)に定められた(禁止)命令は、これらの4つの欠陥を越えています。私たちの立場は、単に至高の権威を疑いを持つことなく(without question)受け入れるというものです。このようにして、人は権威を通じて至高主と至高の科学者、主シュリー・クリシュナを理解することができるでしょう。

人は、権威を通して主を知覚、あるいは探知することができ、人は権威を通して主を見ることができ、人は権威を通して主と関わることができます。同様に、人は権威を通して語ることができ、権威を通して議論したり弁護したりすることができ、そして権威を通して証明したり論証したりすることもできます。至高の権威は究極の判断であり、そしてシュリー・クリシュナがその至高の権威です。

第6段落
理解の乏しい者は、さらに尋ねます。「どうやって人はクリシュナが至高の権威であると知るのですか?」最初の生命体であり、物質宇宙の中にすbれての生命体を作るエンジニアである主ブラーマーは、次のように歌います。(サンスクリット引用)

「クリシュナは至高の人格神です。主は永遠の存在の形そのものであり、知識と喜びに満ちています。主は太古の主ゴヴィンダであり、すべての原因の原因です。」(脚注3)シュリマッド・バーガヴァタムには(サンスクリット引用)とあります。「クリシュナは至高の人格神ご自身です。」(脚注4)

主の偉大な献身者であるアルジュナもまた、主クリシュナに次のように言います。「あなたは、至高のブラーマン、究極存在、至高の住みかであり、浄化する方、完全真理、そして永遠の神聖な人です。あなたは超越的で独自である太古の神、そしてあなたは生まれることのない方であり、あまたに偏在する美です。ナーラダ、アスィタ、デヴァラ、そしてヴャーサなどの、すべての偉大な聖人たちは、あなたについてこれを宣言します。そして今、あなたご自身がそれを私に宣言なさっています。」(脚注5)

同じように、プラーラーダ・マハーラージャ、シュカデヴァ・ゴスヴァーミーとバリ・マハーラージャ、マドヴァーチャーリャなどの偉大なアーチャーリャ(聖なる教師)たち、ラーマーヌジャーチャーリャと主シュリー・チャイタンニャ・マハープラブ、師弟継承におけるすべての私の前任のグル(霊的指導者)たち、そして今、私の霊的指導者にして永遠の父、A.C.バークティヴェダンタ・スワミ・プラブパーダ睨下などの、すべてのマハージャナ(偉大な、自己を認識した名士)たちが、同じことを、クリシュナが至高の人格神であるということを宣言します。

したがって、ほんのわずかな疑いさえあるべきではありません。私たちの義務は、これらの聖人的な名士の中で最も偉大な人々の親切な足音を単に辿ることです。このようにして、私たちはクリシュナの科学を理解することができます。

第7段落
これにも関わらず、自然を統御するための事業が続きます。至高存在の計画を見つけるために研究をするのではなく、自然の法則を神の法則として受け入れるのではなく、科学的な精神性は、自然を改良するために、神の場所に人間を置く方法を探します。

しかし、これらの活動を注意深く観察するとき、私たちは二つの公認の目標、すなわち知識と喜びが、長年の努力の後でいまだに達成されていないのを見ることができます。物質主義者たちは、まもなく答えは知られるようになり、すべての人が喜びを得られるようになる、と言って、私たちに辛抱強くあるように申し付けます。

その間に私たちを楽しませておくために、科学技術的なつまらないもの(訳注:trinket安物の装身具、小さくて不必要な物)が山ほどあります。もしも私たちが待ちくたびれて死んでしまうなら、それでも科学者たちは悲劇を認めません。彼にとって、命は所詮、単に分子的な特性に過ぎないからです。

第8段落
このように、無感覚な人々は、人間の人生の貴重な時間、すべての問いの中で最も緊急な、「なぜ私は苦しんでいるのか?」という問いの答えを見つけるための時間を浪費します。事実、彼らは自分たちが苦しんでいるということさえ認めません。

こうして無駄にされた人生は、苦痛の多い逆説になり、その中では、体が苦悶する当惑の中でついに倒れるまで、過ぎ去る時間の一分一分が悲惨さを増します。(訳注:こうして人生を無駄にするのは本末転倒であり、苦しみと当惑の果てに肉体が朽ち果てるまで、時間が一分一分と過ぎ去るにつれて苦しみが増し続けます。)

第9段落
1940年代に、何人かの科学者たちがニューメキシコの砂漠をジープに乗って通りました。彼らは、自分たちの心の中にある、恐怖と目まいがするような発揚状態の間の、神経がもたないほどの葛藤を、解決しようとして張り詰めていました。

マンハッタン計画(訳注:第二次世界大戦中に米国が行った原爆製造研究。1941年に着手され、1945年7月に3個の原爆を完成した。 ノーベル賞受賞者を含む多くの優秀な科学者・技術者が参加した。主にニューメキシコ州で行われたが、初期研究の多くがニューヨーク市のマンハッタン工兵地区で行われたので、マンハッタン計画と呼ばれた)が終わりに来て、彼らは核爆弾の最初の爆発を目撃することになっていました。

それは、戦争に勝つための「究極の武器」としての使用のために考えられていました。彼らの観測室(訳注:bunker、通常は地下にあり、防備されている)の中で、爆弾の恐ろしい、壮大な力に直面して、オッペンハイマー博士(Julius Robert Oppenheimer、1904-1967。ユダヤ系アメリカ人。当時のアメリカ最高の理論物理学者と目されていた。マンハッタン計画を主導し、「原爆の父」として知られた)は、バガヴァッド・ギーターから節を引用しました。

「私は時間、世界を滅ぼす者である。。。」(校正:引用元の記載無し)疑いもなく、原子力を正しく使うには、神と同じくらい知性的な人が必要であり、人類はその課題に十分な力量を持たないかもしれない、と恐れてのことです。

その答えを確実に知るために、私たちにはどちらの証拠が十分なのでしょうか?ギーターの高尚な言葉でしょうか?それとも、歴史の残酷な力でしょうか?

(太字で強調:訳者)

脚注:
1、プラブパーダ、「主チャイタンニャの教え」 p。151
2、BG 15.15
3、ブラーマー・サムヒター 5.1
4、シュリマッド・バーガヴァタム 1.3.28
5、BG 10.12ー13

挿絵:
「私は時間、世界を滅ぼす者である。。。」原子力を正しく使うには、神と同じくらい知性的な人が必要であり、人類はその課題に十分な力量を持っていたということにはならないかもしれない、と恐れて、オッペンハイマー博士はギーターから節を引用しました。
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by ammolitering4 | 2011-05-15 07:52 | クリシュナ意識の科学的な基盤 | Comments(6)

第5段落

第5段落 進化の完全で完璧な知識

第1段落
進化の完全で完璧な、詳細な知識がヴェーダ文献の中にあります。シュリーラ・プラブパーダ睨下は、親切にも以下のヴェーダの引用を提供してくださいました。(サンスクリット引用)「人は、段階的な進化の過程によって、生命の840万種を通って転生した後で、人間の形を得ます。

その生命の人間の形は、ゴヴィンダ(クリシュナ)の蓮の御足の庇護の下に入らない、それらの思い上がった愚か者にとっては、駄目になります。」(脚注1)(サンスクリット引用)「90万種の水中に住む生命があり、200万種の草と木(plants and trees)、110万種の鳥の生命、300万種の動物、そして40万種の人間の生命があります。」(脚注2)

生物学者によって理解される「種」の意味は、ここで使われている意味とは異なります。生物学者によって使われる意味は、生きた物質的な体の肉眼的な、身体的な外見、あるいは肉眼的な生態学的な特徴にあてはまります。

しかし、徹底的で注意深い分析の後で得られるヴェーダの意味は、生命体の意識の水準に基づいています。例えば、生物学者たちは、すべての人間は一つの種に属する、と言いますが、他方でヴェーダ文献は40万種を挙げます。言い換えると、様々に異なる意識の水準にある、40万段階の人間がいるということです。

第2段落
これらの840万種の生命の種を通しての進化の過程は、記憶にないほどの太古から続いています。私たちが先ほど述べたように(訳注:先述のように)、霊魂は決して死なず、決して生まれません。それは永遠です。それは一つの体から別の体へと転生します。

主シュリー・クリシュナ、すべてのものの至高の知者(the supreme knower of everything)はおっしゃいます。「人が古い衣服を捨てて新しい衣服を着るように、同様に、魂は古くて役に立たない体を捨てて、新しい物質的な体を受け入れます。」(脚注3)このようにして魂の転生は続いています。

第3段落
ブラーマ・ヴァイヴァルタ・プラナから言及したように(訳注:第1段落の脚注1の該当部分を指す)、生命の最も大切な種は人間です。ヴェダーンタ・スートラは、(サンスクリット引用)と教えます。「ですから、今は、この人間の形の生命(生命の人間の形)において、霊的な認識について問うときです。」(脚注4)

私は誰だろうか?人間の人生の本当の使命は何だろうか?私たちの存在の究極の目的は何だろうか?すべての知性ある人は、これらの質問を問わねばならず、そして正しい源から正しい答えを求めるべきです。

いわゆる現代の教育者は、教育の目的は人生の問題を解決することだと主張します。しかし実際は、彼らは自分たちの生徒たちに、どうやって感覚の満足をもっともっと増やすかを教えており、そうやって堕落へのもっともっと多くの道を作り出しています。

「このように、増加した感覚の満足に関して、様々な不安によって当惑させられ、幻想の網の目によって縛られて、人は感覚の喜びに過度に執着するようになり、地獄に落ちます。」(脚注5)現代の大学(universities and colleges)では、それによって「私は誰であるか?」という問いに答える科学を誰も教えません。

シュリーラ・プラブパーダは親切にも指摘なさいます。「大学には非常に多くの学部があります。科学技術、医療、工学などです。しかし、この人生とは何か、神とは何か、そして私たちの(神との)関係は何かということを知って理解するための学部はどこにありますか?」(脚注6)

人間の人生の本当の使命を教える、教育の最も大切な学部は、完全に抜け落ちています。科学者たちは、現代の科学は人間の知ろうとする好奇心の産物である、と主張します。なぜ彼らは、私たちは誰か、そして至高主、至高の科学者、シュリー・クリシュナとの私たちの関係は何か、ということを知ることに好奇心を持たないのでしょうか?ヴェーダはすべての答えを完璧に与えます。

第4段落
動物、鳥、植物などの、より低い生命の形は、罪深い行いから苦しむことがありません。彼らは決して自然の法則を犯さないからです。例えば、トラは獲物を殺すことによって罪深い行為を犯すということがありません。

なぜなら、彼の体はそのように振舞うようにできているからです。それは、その目的のために正しく装備されています。しかし、霊魂が人間の水準に至るとき、生命体は自分の行いの結果の影響を受けることになります(カルマ・パーラ)。

したがって、この人間の水準から、生命体は選択肢を持ちます。もしも霊魂が自分の物質的な体を去って霊的な体を得たいならば、彼はこの人間の水準からそうすることができます。そうでなければ、死のときに彼は自分が育んだ欲望と意識に応じて、840万種の1つに転生することができます。

主クリシュナはおっしゃいます。「何であれ、生命体(one)が自分の体を去るときに覚えている存在の状態(state of being)を、彼はその状態を間違いなく得ます。」(脚注7)人間の水準から、霊魂はクリシュナ意識を育むことによって、惨めな生と死の循環から逃げ出すことができます。

「そして、死のときに私だけを覚えていて自分の体を去る者は、直ちに私の自然(nature、性質)に至ります(訳注:クリシュナのところへ行く、ということでしょうか)。このことに疑いの余地はありません。」(脚注8)これは物質的な水準から霊的な水準への進化です。

第5段落
生命の、より低い形(動物、鳥、植物など)は、クリシュナ意識を習慣づけるために好ましく位置していま線(訳注:適していません)。彼らはこの偉大な科学を理解するのに十分なほど知性的ではないからです。

他方で、ヴェーダ文献から、人間よりも(上の水準に)上げられている半神たちも存在するけれど、彼らは物質的に豊かであり過ぎるので、彼らの立場もまた、クリシュナ意識を習慣づけるには好ましくない、ということが理解されます。

過度な物質的な豊かさもまた、クリシュナ意識になるための不適性です。「感覚の喜びと物質的な豊かさに過度に執着した者、およびそれらのものによって惑わされている者の心の中には、至高主への献身奉仕の断固たる決意は生じません。」(脚注9)

それが、「半神と生命のより低い形との間の中間的な生である、この人間の水準からクリシュナ意識になることが、すべての正気の人間にとって全くの必要性である」ということの理由です。そうでなければ、貴重な生命の人間の形は単に無駄にされます。

挿絵
霊魂は人間の形に来るために840万種を通って進化します。

脚注:
1、ブラーマ・ヴァイヴァルタ・プラーナ Brahma-vaivarta Purana. (校正:ピリオドは不要。引用箇所の記載無し)
2、パドマ・プラーナ Padma Purana.(校正:ピリオドは不要。引用箇所の記載無し)
3、BG 2.22
4、ヴェダーンタ・スートラ Vedanda-sutra, 1.1.1
5、BG 16.16
6、プラブパーダ「それは最も偉大な学者のためであり、それは無知な少年のためのものである」バック・トゥ・ゴッドヘッド誌44号4ページ ”It is for the Greatest Scholar, It is for the Innocent Boy”, Back to Godhead no. 44, p.4
7、BG 8.6
8、BG 8.5
9、BG 2.44
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by ammolitering4 | 2011-05-12 03:31 | クリシュナ意識の科学的な基盤 | Comments(0)

第4章

第4章 ダーウィンの進化論の不完全にして推量的な知識

第1段落
チャールズ・ダーウィンが1859年に彼の進化論を発表する前、彼は自分の同時代の博物学者の一人、A.R.ウォレス(アルフレッド・ラッセル・ウォレス、Alfred Russel Wallace、イギリス人。1823-1913)と頻繁に文通しました。

A.R.ウォレスへの手紙の一通の中で(1857年12月22日)、ダーウィンはこう書きました。「、、、推量が無くては、良くて独自の観察(good and original observation)はない、ということを固く信じる者です、、、」(脚注1)このように、人は彼の理論を理解するために詳しい研究をする必要はありません。

彼の理論は、彼の「ビーグル号の航海」(1831-1836)の間に集められた幾らかのデータに基づいた、彼自身の推量と精神的な操作に完全に基づいています。すべての賢明な人は、推量的な知識は大変誤りやすいと知っています。

第2段落
彼の理論がどのように発達したかは、彼自身の言葉で与えられています。「H.M.S.”ビーグル”(訳注:His /Her Majesty's Ship イギリス海軍の艦艇に付けられる接頭辞。国王陛下の船、あるいは女王陛下の船、という意味)に博物学者として乗り込んでいたとき、私は南アメリカに住んでいる生物の分布、そして、その大陸の現在から過去までの生物の地理的な関係に関する特定の事実に、大いに悩まされました。

これらの事実は、種の源に、あの、神秘の中の神秘に、幾らかの光を投げかけるように見えます。家に帰ってから、1937年に、それに何らかの関係がある可能性がわずかでもある様々な事実を辛抱強く集めて、それについて熟考することによって、もしかしたらこの問いについて何かを結論できるかもしれない、と私は思いつきました。

この主題について推量することに5年間の仕事を自分自身に許したあと(下線部を斜体で強調)、そして幾らかの短い原稿を作成したあと、(これらを私は1844年に結論の概要に拡大しましたが、それは私にはほぼ真実であるように見えました)、その時期から現在まで、私はこつこつと同じ対象を追及してきました。

「種の起源」を考えるにあたって、博物学者が「種は独立的に創造されたのではなく、他の種からの変異のように生じた(訳注:to descend、次の世代へ伝わる)のである」、という結論に至るかもしれない、というのは、大変考え得ることです。」(脚注2)

第3段落
ダーウィンは霊魂の性質について何の知識も持ちません。彼は、生命体(霊魂)がどのように一つの種から別のものへと転生しているかについて、何の明らかな情報も持ちません。彼は、人間の水準からさらに進化があるのかということを知らず、そして彼はそれを通して進化の循環が続く種の総数について、全く何も知りません。彼はまた、霊魂が人間の水準から、生命の、より低い種に転生することができるかどうかについても、何の情報も持ちません。

第4段落
ダーウィンの理論(校正:Theory →theory)に関しては、大いなる混乱があります。彼を批判する者たちは、非常に合理的に尋ねています。「もしもダーウィンの自然淘汰の理論が正しいなら、なぜ私たちは(種を)繋ぐ連結物、種の中間的な形を見ることができないのですか?」

ダーウィン自身も、このことに関して完全に混乱していました。彼は、自分の推量的な議論の他には、何らの論理的な答えも与えることができませんでした。彼自身の答えはこのようなものです。「絶滅と自然淘汰は、、、相伴います。」(脚注3)彼は、生命のすべての種は創造の始まりから存在していることを知りませんでした。

「生命の様々に異なる種は、宇宙と共に、直ちに作られました。人間、動物(訳注:原文はanimals, beasts、どちらも動物を指す。重ねて使うのは単なる慣用表現)、鳥、、、すべてが同時に作られました。なぜなら、最後の滅亡のときに生命体が持っていた欲望が再び顕現するからです。」(脚注4)明らかな例としては、古代エジプトのピラミッドに描かれた種は、私たちが現在出会うものと同じでした。

同様に、記憶に残らないほどの太古から、その色とりどりの羽根が至高の人格神シュリー・クリシュナの超越的な頭をとても美しく飾る孔雀は、私たちが今日見る種と同じです。自分の乏しい知識をもって、ダーウィンは進化の過程で一部の種は絶滅したと結論づけました。これは完全に誤っています。

脚注:
1、フィリップ・アップルマン編集「ダーウィン」 Philip Appleman, ed., Darwin (New York; W.W. Norton and Co., 1970), p.66
2、チャールズ・ダーウィン「種の起源」 Charles Darwin, The Origin of Species (New York: D. Appleton and Company, 1883) pp.1-2 (斜体は本書の筆者(H.H.B. Damodara Swami)による。)
3、アルヴァー・エレガード「ダーウィンと一般読者」Alvar Ellegard, Darwin and the General Reader (Goteberg:Elanders Boktrycheri Aktiebolag, 1958), p. 217
4、A.C. Bhaktivedanta Swami Prabhupada, Bhagavad-gita As It Is (New York:The Macmillan Company, 1972), p.456

(校正:本書全体を通して脚注の表示が一定していない。箇所によってプラブパーダのお名前やバガヴァッド・ギーターの記載様式が異なる。)

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こんにちは。皆様お元気でいらっしゃいますか?少しずつですが翻訳をお届けします。今回の文章も、プラブパーダの書籍に倣って直訳をしています。昔ながらの高等教育を受けた方の例にもれず、一つの文が長くて込み入っているので、多少分かりにくいところもありますが、ゆっくり読めば意味は通じると思いますので、どうぞご自由に編集なさってください。ダーウィンの文章などはもっと分かりにくいですね。昔の人はやっぱり今より頭が良かったのでしょう。
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by ammolitering4 | 2011-05-12 01:32 | クリシュナ意識の科学的な基盤 | Comments(0)

第3章

第3章 何の難しいことがあるでしょうか

第1段落
科学者の心の中の一番大きな病は、何かが科学的な実験によって証明されない限り、彼らがそれを事実として認めないというものです。科学者が何かを述べて、彼がその発言を科学的な実験で支えるとき、誰もが完全に納得し、そして何らの問いも発せられません。

私たちがこれらの科学者たちに霊魂について語るとき、彼らの通常の反応は「どうやって人は魂の存在を探知することができるのか?」というものです。機械を使って働くことに慣らされているので、彼らは魂が科学的な実験によって探知され得るかどうかと考えます。

しかし科学者たちは、彼ら自身の科学的な領域においてさえ、実験で証明され得ない多くの事実があることに同意せねばなりません。事実は、魂は存在するというものです。しかし、その存在を理解するためには、私たちは知識を正しい人、シュリー・クリシュナ、すなわち神から、そして主の師弟継承においける代理人である霊的指導者から受け入れなくてはなりません。

第2段落
科学的な共同体の中のすべての人は、数学者がマイナス1の平方根である”i”という想像上の数字(√ -1=i)を使って仕事をするということを知っています。この数字は、自然数(1,2,3など)の中には現れません。

しかし、数学の重要な部門、例えば分析機能理論は、この虚数単位に基づいています。この数学の部門の助けがなくては、様々な複雑な理論や問題は解決され得ません。このように、この数字の存在は否定され得ません。それなのに、それを証明する実験はありません。

同じように、統計力学の分野の科学者も、自分たちの理論と議論を証明するために、例えばアンサンブルなどの様々な概念モデルを使います。これらはすべて実験的な科学の領域を超えています。もしも科学者たちがこれらの想像上で概念的なモデルを受け入れる意思があるなら、主クリシュナ、至高の科学者によって与えられた完璧な知識を受け入れることに何の難しいことがあるでしょうか?

第3段落
実験的な科学の限界を超えているもう一つの科学的な理論は、ハイゼンベルグ(訳注:Werner Karl Heisenbergドイツの理論物理学者。1901~1976)の不確定性原理です。この原理の言明は、ある物体の位置と運動量を同時に測定することは不可能であるというものです。

数学的な言語では、「位置と運動量の測定された値における不確定性の(掛け算の)積(大きさと速度の積)は、プランク(訳注:Max Karl Ernst Ludwig Planck 、ドイツの物理学者。量子論の創始者。1858~1947)の定数よりも小さいということはありえない」と述べられています。

現存するいかなる実験的な技法も、この原則を証明することはできません。しかし、世界中の科学者が、実験的な証明は彼らの能力を超えていると知りつつ、この言明を事実として受け入れます。同様に、熱力学の第三の法則を証明する科学的な実験もありません。

プランクによって定式化されたこの法則は、絶対零度における完全結晶のエントロピーはゼロに等しい、と述べます。実際には、完全なエントロピーを直接測るための手段はありません。したがって、この法則の証明は実験的な科学の領域を超えています。

第4段落
また、いわゆる科学的な理論が常に変化していることにも言及すべきです。例えば、19世紀初め(1808年)、原子理論を組み立てているときに、ジョン・ドルトン( 訳注:John Dalton、イギリスの化学者、物理学者。1766~1844)は、原子はこれ以上分けられ得ない、と述べました。

しかし、19世紀の終りから20世紀の初めにかけて、ドルトンの原子理論は、もはや正しいとは考えられないことが分かりました。原子はさらに、電子、陽子、中性子などの基本的な粒子に分けられることが観察されました。

また、一部の原子はアルファとベータの粒子を放射し、そうして新しい原子を作り出す、などのことが発見されました。同様に、18世紀と19世紀において、ニュートンの力学は化学者たちの心に大変な影響を持ちました。それが肉眼的な物質的な物体に当てはめられ得たからからです。

しかし、20世紀初め、基本的な粒子の発見に伴って、ニュートンの力学はこれらの粒子の動きを描写するのに失敗することが気づかれました。こうして、それらが示す現象を説明するために量子力学が開発されました。これらの理論は推量に満ちており、そしてそれらは変化してもいます。ちょうど過去と現在の科学的な理論が変化しているように、そのため私たちは、未来の科学的な理論もまた変わると理解することができます。

第5段落
これは単に、高い評価を得ている物質主義的な科学者たちの脳は不完全であり、そしてその結果として、これらの脳によって提供される理論はいつも不完全である、ということを表します。実際は、完璧な知識は変えられ得ません。

完璧な知識を得るためには、人は完璧な科学者、主クリシュナと、主の真正なる代理人、霊的指導者から知識を得なければなりません。クリシュナはおっしゃいます。「私はすべての霊的および物質的な世界の源です。

すべてが私から放射します。これを完璧に知っている賢い者は、私への献身奉仕にいそしみ、全身全霊で私を崇拝します。」(脚注1)さらに、(こうあります)。「すべての創造の中で、私は初めと終わりであり、その間でもあります。おお、アルジュナよ。すべての科学の中で、私は自己(Self、大文字)の霊的な科学です。そして、論理学者たちの中では、私は最終的な真実です。」(脚注2)

第6段落
科学者たちは、彼らが持っている知識と能力は非常に限られており、事実、実に取るに足らないものであることを理解せねばなりません。この取るに足らなくて限られた知識を持って、どうして物質的な領域を超えた知識を理解することが可能でしょうか?

実際は、魂の存在については疑問の余地がありません。生命体は小さな部品のような霊魂であり、他方で主クリシュナは至高の魂、至高の人、そして至高の科学者です。クリシュナはおっしゃいます。「この制約された世界の中の生命体は、私の永遠の小さな部品のような部分(fragmental parts)です。制約された人生が原因で、彼らは心を含む6つの感覚をもって大変な苦労をしています。」(脚注3)

次のようにも(おっしゃいます)。「おお、クンティーの息子よ。すべての生命の種(しゅ)は、誕生によってこの物質自然の中に現れ、そして私が種(たね)を与える父であると理解されるべきです。」(脚注4)

(訳注:下線部の原文はall species of life ~ are made possible by birth in this material natureです。直訳すると、「すべての種は誕生によって物質自然の中に可能とさせられる」となります。これはどういう意味なのだろうかと前から考えているのです。私の知る限りでは、これはpossibleやby birth という言葉の一般的な使い方ではないので、そのまま訳したら全く意味が分からないと思っていました。

でも、ふと思ったのですが、すべての種は同時に作られた、ということと考え合わせると、存在はしているけれど物質的に存在しているわけではない、という状態が背景にあるのかもしれません。つまり、いわゆる絶滅した種や、まだ現れていない種などは、「誕生によって」物質自然の中に形を取って「現れる」、すなわち「(物質的な存在が)可能とさせられる」という意味なのかもしれません。

プラブパーダは、繰り返し「絶滅はない」とおっしゃいます。ただ物質世界の現在という時空に現れていないだけなのです。それに気がつくと納得のいく表現だなと思います。異論はあることと思いますが、これが直訳に基づいた現時点での私の解釈です。)

第7段落
空気の存在が感触によって、そして特定の分子の存在が芳香(fragrance and aroma)によって感じられるように、同様に、意識は魂の存在の明らかな徴候です。「おお、バーラタの息子よ。太陽だけがこの宇宙全体を照らすように、体の中にいる生命体は体全体を意識によって照らします。」(脚注5)

生物学者たちもまた、バクテリアなどのこの上なく小さな微生物でさえ意識を持っていると確信しています。意識が物質的な体に入るとき、私たちはそれを生きた体と呼びます。しかし、体の中に意識がないとき、言い換えれば霊魂が体を去るとき、単に物質の塊が残されます。

この現象を私たちは死と呼びます。したがって、霊魂は決して死なず、決して生まれません。それは永遠です。私たちが生と死と呼ぶものは、異なる物質的な体の交換、すなわち古い体を新しい体と取り替えることに他なりません。「物質世界の中の生命体は、空気が香りを運ぶように、自分の様々な人生の考えを一つの体から別の体へと運びます。」(脚注6)このように、生、死、老い、そして病は、物質的な体の変化の合図です。

第8段落
私たちの科学的な友人たちが、いずれも実験的な科学を超えているハイゼンベルグの不確定性原理、統計力学の虚数単位と様々な概念モデルをたやすく受け入れるとき、霊魂の存在を受け入れるのに、何の難しいことがあるでしょうか?至高の科学者、クリシュナはおっしゃいます。

「魂には決して生も死もありません。また、存在しなくなるということもありません(訳注:原文はNor, having once been, does he ever cease to be. これもまた、直訳すれば「いったん存在したので、彼は存在するのをやめることは決してしない」というところでしょうか。)魂(he)は生まれず、永遠であり、常に存在し、死なず、太古(の存在)です。体が死ぬとき、魂(he)は死にません。」

その大きさは、このように描写されています。「髪の毛先(原語はupper point。これについて「上というのは毛根か毛先か」と深く悩むのはたぶん私の考えすぎなのでしょう。)が百に分けられ、そして再びそれぞれのそのような部分が百に分けられたとき、それぞれのそのような部分は霊魂の大きさの寸法です。」(脚注8)

第9段落
科学者たちは、「エネルギーは作られることもなく、滅ぼされることもない」と述べるエネルギー保存の法則をよく知っています。生命体は至高主シュリー・クリシュナの優性エネルギーです。したがって魂は永遠です。「体全体に偏在するものは不滅であると知りなさい。

誰も不朽の魂を滅ぼすことはできません。」(脚注9)霊魂の性質は、バガヴァッド・ギーターの第2章および第13章に、綿密に描写されています。人は単に、至高の科学者シュリー・クリシュナ、バガヴァッド・ギーターを語った方から受け取らねばならないだけです。

脚注:
1、(BG 10.8)
2、(BG 10.32)
3、(BG 15.7)
4、(BG 14.4)
5、(BG 13.34)
6、(BG 15.8)
7、(BG 2.20)
8、(シュヴェターシュヴァタラ・ウパニシャッド 5.9)
9.(BG 2.17)
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by ammolitering4 | 2011-05-11 13:14 | クリシュナ意識の科学的な基盤 | Comments(0)

第2章

第2章 至高の科学者、主シュリー・クリシュナの存在を知覚する

第1段落
この素晴らしい宇宙について落ち着いて注意深く考えるとき、私たちはすべては至高の脳の統治の下で働いているのを見ることができます。自然の中の配剤は、完全に秩序立っています。科学的で工学的な(訳注:engineering、ここでは形容詞)脳による注意深い計画がなければ、物事は無秩序になるでしょう(at random)。

すべての活動の背後に原因があるのは、常識的な理解です。機械は操作する者なくして動くことはできません。現代の科学者たちは自動化を非常に誇りに思っていますが、自動化の背後にもまた、科学的な脳があります。

アルバート・アインシュタインでさえ、すべての自然な物理的な法則の背後には完璧な脳がある、ということに同意しました。私たちが「脳」と「操作する者」について語るとき、これらの言葉は人を暗示します。それらは非人格的ではあり得ません。

人は、この人物は誰かと問うかもしれません。その人(He)は、至高の科学者であって至高の技術者である、主シュリー・クリシュナです。主の親切な意思の下で、宇宙全体が機能しています。シュリー・クリシュナはおっしゃいます。「宇宙全体の秩序が私の下にあります。私の意思によって、それは繰り返し繰り返し顕現し、そして私の意思によって、それは最後に滅ぼされます。」(脚注1)

第2段落
さて、主の創造からいくつかの例を見てみましょう。そして、これらの代表的な側面を熟考してのち、人は最も力強い脳、主シュリー・クリシュナの存在の、よりよい理解と正しい認識を育むべきです。私たちが毎日見る太陽は、最も近い恒星です。それは地球の直径の100倍の大きさがあり、地球から9300万マイル(訳注:およそ1億5000万km)離れています。毎日、太陽は太陽系に莫大な量の熱、光、そしてエネルギーを供給します。

「地上に降り注ぐ太陽のエネルギーのほんの小さな部分は、およそ100兆において5partsと推定されていますが、それは世界の産業において使われるすべてのエネルギーよりもおよそ10万倍大きいのです。(訳注:下線部分はどこにかかるものなのか分かりません。また、100兆において5partsという言葉の意味も分かりません。)

太陽が1秒間に放射するエネルギー総量は、1kw(キロワット)の電気暖房機を1京(けい)年(訳注:1京は1万兆)燃やし続けるのに十分です。言い換えれば、太陽が1秒間に放射するエネルギーは、人類がその歴史全体を通して消費したエネルギーの総量よりも大きいのです。」(脚注2)

それでも、それ(太陽)は宇宙全体に浮かんでいる無数の星の一つに過ぎません。物質的な科学的な頭脳によって、火力、電力、および原子力の発電所が作られました(訳注:「電力」発電所、というのは間違いではないでしょうか。)

これらは、熱、光、およびエネルギーを小さな限られた量だけ供給することができますが、しかし主クリシュナは惑星全体にたった一つの太陽から無限のエネルギーの源を供給しています。クリシュナはおっしゃいます。「世界全体の闇を消し去る太陽の素晴らしさは、私から生じます。そして、月の素晴らしさと火の素晴らしさもまた、私から生じます。」(脚注3)惑星は系統だった軌道に乗って太陽の周りを回っています。最も小さな原子の中でさえ、電子は完全な形で原子核の周りを回っています。

第3段落
このように、原子の顕微鏡で見えないほど小さな領域から、銀河の物体の膨張する広がりにいたるまで、この物質的な宇宙は精密な、よく油のさされた時計仕掛けのように、偉大な自然の物理的な法則と原則に応じて機能しています。

科学者たちは、ほんの少数の宇宙船を作ったことで大変な賞賛を得ましたが、その一方でクリシュナは努力もしないで惑星や恒星などの巨大な宇宙船を作ります。それらは完璧に装備され、維持されています。バガヴァッド・ギーターにおいて、クリシュナは(サンスクリット引用)とおっしゃいます。

「私はそれぞれの惑星に入り、そして私のエネルギーによって、それらは軌道に留まります。」(脚注4)至高の脳によって作られた法則は、いつも完璧であり続けます。それらは決して破られません。私たちは、決して太陽が西から昇って東に沈むのを見ません。

私たちが太陽が雨の間に輝くときに見る、色とりどりの虹は、(光の)屈折の法則によって、太陽が観察者の背後にあるときだけ見えます。また、毎年季節はきわめて定期的に変わり、それぞれの季節に独特の徴候を作ります。

第4段落
さて、分子レベルで主の創造のいくらかの側面を見てみましょう。化学者たちは、花の様々な色はアントシアニンと呼ばれる化学物質によるものであり、様々な香りは主にテルペンおよびテルペノイド化合物と呼ばれる化学物質によるものである、ということを見出します。

これらの化合物の分子的な基質は、非常に単純な構造から非常に複雑な組織網までの幅があります。例えば、樟脳(しょうのう)はテルペノイド化合物であり、レモンの特徴的な香りは単純なテルペンの一つであるリモネンと呼ばれる分子によるものです。

同様に、ニンジンとトマトの特徴的な色は、テルペンのより高度な形であるカロテノイドと呼ばれる分子によるものです。それぞれの限定的な色や香りの分子的な基質は、すばらしく特有です。分子の中のほんの少数の原子の位置の変化、分子の幾何学性のほんの少しの変異、あるいは分子の大きさのわずかな変化が、色がオレンジから赤へ変わることを、良い香りが不快で刺激性のものになることを、そして味が甘みから苦さへ変わることを生じさせます。

一方の極端としては、私たちは最も小さい分子、たった二つの水素原子を持つ水素分子を見出します。もう一方の極端としては、限定的な機能のための無数の原子を含む、すべての生きた物質的な体の構成要素である、タンパク質と核酸(DNAおよびRNA)などの巨大な分子を見出します。(訳注:どちらも遺伝子。デオキシリボ核酸とリボ核酸。)

同様に、それぞれの異なる分子の結晶の型は特有です。例えば、塩化ナトリウム(食卓塩)の幾何学的な形は正方形です。木炭、黒鉛、およびダイヤモンドは、いずれも同じ要素、炭素から生成されますが、それなのに輝きがあって透明なダイヤモンドは極めて硬く、他方で黒鉛は柔らかく、黒くて、不透明です。

これは、これらの分子の結晶の形の違いによるものです。ダイヤモンドの結晶格子においては、それぞれの炭素分子は他の4つの炭素原子によって1.54オングストローム(訳注:短波長の測定単位。1億分の1センチ)の距離で四面体的に囲まれています。

対照的に、黒鉛においては、それぞれの炭素原子の3つの原子の手は、同じ面に位置するように曲げられており、4番目の原子の手は隣接する層の炭素原子と結びつくように、垂直にこの面に向けられています。

第5段落
このように私たちは、非常に驚異的に、繊細に配置されているので、ご自分の実験室においてこれらすべての素晴らしい芸術的な配置を作っている、最も熟達した手と脳について化学者たちが驚嘆せざるを得ない、分子的な組織網の無数の例を挙げることができます。

(訳注:このように私たちは、分子的な組織網の無数の例を挙げることができます。それらは 非常に驚異的に、繊細に配置されているので、ご自分の実験室においてこれらすべての素晴らしい芸術的な配置を作っている、最も熟達した手と脳について、化学者たちは驚嘆せざるを得ません。)

実に、至高の科学者シュリー・クリシュナの知性と能力は計り知れません(アティンテャ)。それを否定することのできる科学者はいません。それなら、どうして、どの化学者が至高主シュリー・クリシュナの素晴らしい仕事を評価せずにいられるでしょうか?(訳注:至高主シュリー・クリシュナの素晴らしい仕事を評価せずにいられる化学者がいるでしょうか?)

バガヴァッド・ギーターには、次のように述べられています。「人は、すべてを知る者、最も年長の者、統治者である者、最も小さいものよりもっと小さい者、すべてを維持する者、すべての物質的な概念を越えたもの、計り知れない者、そしていつも人である者として、至高主の上に瞑想すべきです。主は太陽のように光り輝いており、超越的であるため、この物質自然を超えています。」(脚注5)

第6段落
最良でも、科学者たちは単に至高主の素晴らしい芸術的な作品を真似ようとすることができるだけです。彼らは、これを正しくすることさえできません(訳注:これさえ正しくできません)。そして、彼らの試みのほとんどは失敗と落胆に繋がります。彼らが部分的に成功したときでさえ、それは大きな困難を伴ってのことです。

例えば、ノーベル化学賞受賞者(1965)であるハーヴァード(大学)のR.B.ウッドワード(Woodward)教授とチューリッヒ(大学)のA.エッシェンモーゼル(Eschenmoser)教授は、ビタミンB12分子を合成するのに11年かかりました。合計して、19カ国からの99人の科学者たちがこの小さな課題を成し遂げるためだけに関わっていました。(脚注6)それなのに、クリシュナはこれらすべての複雑な分子を思いのままに作っています。

第7段落
おもしろいことに、科学者たちが何かを作るための試みに何度も何度も失敗するとき、彼らは意識的、あるいは無意識的に助けを求めて神に祈ります。これは至高の科学者、主シュリー・クリシュナの存在と、他のすべての生命体の自然な従属的な立場を暗示するのではないでしょうか?

明らかな例は、宇宙船アポロ13号が1970年4月11日に、月に着陸しようとしていたときに内部で起きた爆発です。アポロのカプセル(訳注:宇宙船の人や計器を乗せる部分)は、何百もの科学的および科学技術的な脳によって作られ、何百万ドルものお金がかかりました。誰も爆発が起こると予測することができませんでした。

しかし、それが起こったとき、そして3人の宇宙飛行士の命が危険にさらされたとき、計画に関わっていた人々は地球上のすべての人々に、宇宙飛行士たちの安全な帰還のために神に祈るように頼みました。状況はそういうものなのです。危機のときには、ほとんどの人は神を思い出しがちです。その他のときには彼らは主を忘れています。

第8段落
さて、主の創造の芸術性の、非常に簡素で生き生きとした例を見てみましょう。私たちは、生命体の、より低い形の間では、社会的な組織が非常に滑らかに維持されているのを見ます。例えば、蜂の集団では、働き蜂は一日中、花から蜜を集める一方で、女王蜂はオスの蜂によってよく世話をされています。

その小さな体で、どうやって蜂が自分たち自身および他の生命体のために大量の蜂蜜を集めることができるかということは、大変驚異的です。このようにして、集団は美しい秩序をもって維持されています。同様に、母親と彼女の赤ん坊との間の愛情ある関係は、生命体の非常に小さな形においてさえ、明らかに見えます。

熱帯の国々で雨季に土砂降りの雨が降るとき、小さなアリは自分たちの頭に卵を乗せて、逃げ場を見つけるために走ります。クモは、住みかとして使うために、また、生存のために獲物を捕まえるために、高度な建築学的な技術を使って、その素晴らしい巣を作ります。

カイコは、さなぎの段階にあるとき、自分の住みかとして繭(まゆ)を作るために、何百ヤード(訳注:メートル)もの細い糸を紡ぎます。カラシの種よりも小さい、とても小さな種の中に、大きなバンヤンの木(訳注:ベンガル菩提樹。一本の木で森のようになる巨大な植物)の可能性全体が存在しています。

このように、大小すべての生命体を作り、維持し、導いている、至高主の素晴らしい配剤を私たちは見ることができます。クリシュナはおっしゃいます。「さらに、おお、アルジュナよ。私はすべての存在を生じさせる種です。動くものであれ、動かないものであれ、私無くして存在できるものは何もありません。」(脚注7)

第9段落
物質的な科学者たちの主な問題は、彼らが一般的に、自分たちの探求の最も重要で基本的な側面をおろそかにする、ということです。例えば、ニュートンがリンゴが落ちるのを見たとき、彼は、なぜ、どうやってリンゴが落ちたのかと問いました。

しかし彼は、誰がリンゴが落ちるということを生じさせたのか、とは問いませんでした。自分の問いへの答えとして、彼は重力の法則を発見しました。彼の答えは、リンゴは重力の法則によって落ちた、というものでした。しかし、誰が重力の法則を作ったのでしょうか?

シュリーラ・プラブパーダは、リンゴは緑のときには落ちないで、熟れたときに落ちた、と、親切にも説明してくださいました。したがって、ニュートンの重力の法則は、リンゴが落ちることを説明するには十分ではありませんでした。

落ちる場面全体の背後には、すなわち、重力の法則の背後には、他の何らかの原因があります。その原因が主シュリー・クリシュナです。バガヴァッド・ギーターには、(サンスクリット引用)と述べられています。「クリシュナはすべての原因の原因です。」(脚注8)

さらに科学者たちは、自分たちが持っているほんの少しの能力もまた、主によって与えられていることを知らねばなりません。クリシュナは(サンスクリット引用)とおっしゃいます。「私は人の中の能力である。」(脚注9)

第10段落
様々な機械的な方法(望遠鏡その他)、仮定、経験主義的な理論、および概念モデルによって、宇宙学者と天文学者は、大変精力的に、宇宙とは何であるか、その大きさはどれほどか、そしてその創造の時期はいつであるかを理解しようとしています。

現時点では、彼らは太陽系に10番目の惑星があるかもしれないと推測しており(訳注:本書の初版は1996年)、それを見つけようとしています。(脚注10)自分たちの試みへの正しい答えを見つけるのに彼らがどれくらい成功するかは、時間のみが答えられます。

しかし事実は、彼らはクリシュナ、至高の科学者の創造の産物である自然の秘密を完全に発見することはできない、というものです。思慮深い人は誰でも、この宇宙の大きさを測ることを夢見ることでさえ、いかに愚かであるかを理解することができます。

人は一番近い星である太陽の性質(でさえ)完全には知らないからです。シュリーラ・プラブパーダは、カエル博士の例を挙げられます。彼は(直径)3フィート(訳注:1メートル弱)の井戸に住み、太平洋がどれほど広いか、全く知りません。しかし彼は、それを自分の井戸と比べ、太平洋は直径5フィートほどか、10フィートほどか、などと推量します。

要点は、私たちの限られた手段を越えた無限の知識を理解することは、単に時間とエネルギーの無駄である、ということです。すべての知識は、権威ある聖典、ヴェーダの中に既にあります。人は単に、知識を至高の権威者、クリシュナから受け取らねばならないだけです。

第11段落
この物質宇宙、および半神、人類、そして他のもののような生命体の創造の詳細は、シュリマッド・バーガヴァタム第1巻3章1~5節に与えられています。物質的および霊的な宇宙の描写はブラーマ・サムヒター第5章に完全に与えられており、そしてバガヴァッド・ギーターから私たちは、物質宇宙全体は至高主クリシュナの創造エネルギーの4分の1に過ぎない、という明確な情報を得ます。主の創造エネルギーの残る4分の3は、ヴァイクンターロカと呼ばれる霊的な世界に顕現しています。

第12段落
至高の人格神シュリー・クリシュナの黄金のアヴァターラ(化身)、主シュリー・チャイタンニャ・マハープラブは、ご自分の親密な弟子の一人であるサナータナ・ゴスヴァーミーに、これらの宇宙の性質について、はっきりと説明なさいました。

主は、物質宇宙は限られた大きさを持っており、他方で誰もすべてのヴァイクンターの惑星の大きさを測ることはできない、と説明しました。これらのヴァイクンターの惑星は蓮の花びらのようであり、この花の主な部分は、すべてのヴァイクンターの中心です。この部分は、クリシュナロカ、あるいはゴロカ・ヴリンダーヴァンと呼ばれます。

至高主シュリー・クリシュナは、この惑星にご自分のもともとの永遠の住まいを持っておられます。他のヴァイクンターにもまた、富、力、知識、美、名声、放棄という6つの豊かさを完全に備えた人々が住んでおり、それぞれのヴァイクンターのすべてにクリシュナの様々に異なる拡張体がご自分の永遠の住まいを持っておいでです。(脚注11)物質主義的な科学者たちは、この膨大な知識について何の情報も持ちません。

第13段落
確かに、宇宙の秘密は物質(主義的な)科学者たちの小さな脳によっては明らかにされ得ません。私たちは、疑うことなく、すべての方向への人間の視野は、彼の感覚、彼の科学技術、そして彼の知性の不足によって限られている、ということに同意すべきです。

誰も至高の科学者シュリー・クリシュナの存在を否定することはできません。主はすべてのものの所有者であり、すべてのものを知る方です。クリシュナはおっしゃいます。「おお、プリターの息子よ。私がすべての存在のもともとの種、知性ある者の知性、すべての力強い者の武勇であると知りなさい(脚注12)、、、おお、富を征服する者(アルジュナ)よ。私に優る真実はありません。真珠が糸に繋がれているように、すべてのものは私に拠り頼みます。」(脚注13)

愚か者だけが至高主クリシュナの存在について議論します。バガヴァッド・ギーターにおいて、シュリー・クリシュナはおっしゃいます。「非常に愚かであり、人類の中で最も低く、その知識が幻想によって盗まれており、そして悪魔の無神論的な性質がある、それらの悪党たちは私に服従しません。」(脚注14)

第14段落
したがって、至高の科学者、主シュリー・クリシュナ、すなわち神の存在を否定したり疑ったりする代わりに、主の計り知れない脳と、どこにでもある主の素晴らしい顕現の真価を評価したりすることは、私たちの科学者である友人たちの主要な義務です。

人は、ラジオ、テレビ、コンピューター、ペニシリンなどの発見に対して、誤って功績を主張するかもしれません。しかし事実は、すべては既にそこにあったということです。なぜなら、何ものも無からは生じないからです。

もしも誰かが、何かが自分の属すると主張するなら、彼は最も罪深い(the greatest)泥棒です。彼は至高の父、シュリー・クリシュナから物を盗んでおり、それを自分のものだと主張しています。私たちには、何も属しません。すべてはクリシュナに属します。シュリー・イショパニシャッドには、次のように述べられています。

「宇宙の中の、動くもの、動かぬものすべては、主によって統御され、所有されています。したがって人は、自分の分け前として取りおかれた、自分にとって必要なものだけを受け取るべきであり、そして人はそれらが誰に属するのかをよく知り、他のものを受け入れてはなりません。」(脚注15)

挿絵
1、虹の可視性を司る光の屈折の法則を誰が作ったのですか?
2、複雑なDNA分子は、至高の科学者クリシュナの芸術性を表します。(リン酸塩、塩基、デオキシリボース、アデニン、グアニン、チミン、シトシン)
3、アポロ13号の危機:計画のメンバーたちは、地球のすべての人に、宇宙飛行士たちの無事な帰還のために祈るように頼みました。
4、至高主は、蜂の集団の社会的な組織を配置なさいます。
5、クリシュナは小さな種にバンヤンの木全体を入れることができます。
6、ニュートンの法則は、誰がリンゴが落ちるということを生じさせたかということを説明することができませんでした。
7、カエル博士、Ph.D.
8、物質的、および霊的な宇宙の完全な描写がヴェーダ文献の中にあります。
9、至高主シュリー・クリシュナは、ゴロカにご自分のもともとの永遠の住処を持っていらっしゃいます。

脚注
1、BG9.8
2、フレッド・ホイル「天文学」Fred Hoyle, Astronomy(Garden City, New York: Doubleday and Company, 1962), p.232
3、BG15.12
(4、抜けている)
5、BG8.9
6、ジェームス・H.クリーガー James H. Krieger, Chemical and Engineering News, March 12, 1973, p.16
7、BG10.39
8、BG7.19
9、BG7.8
10、D.ローリンズとM.ハマートン「太陽系に10番目の惑星はあるか」D. Rawlins and M. Hammerton, “Is There a Tenth Planet in the Solar System?” Nature, December 22, 1972, p.457
11、プラブパーダ、「主チャイタンニャの教え」pp.82~83
12、BG7.10
13、BG7.7
14、BG7.15
15、Iso.1
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by ammolitering4 | 2011-05-06 04:30 | クリシュナ意識の科学的な基盤 | Comments(0)

第1章

第1章 惑わされた霊魂

第1段落
現代の科学者たち、特に遺伝学者たちは、あまりにも成功していて、まるで人類の運命が彼らの手の内にあるように見えます。彼らは、未来においては自分たちが需要と必要性に応じて人間を作ると宣言します。(脚注1)

この種の科学的な革命は、1543年にポーランドの天文学者コペルニクスによる、太陽を中心とする理論(例:惑星が太陽の周りを回るという前提)の発表と共に始まりました。E.E.スナイダーは、自著「物理科学の歴史」において、このように書きます。

「自然界の理解は科学を通して可能であったので、同じく科学を通して、人間が自分自身の目的に合わせて世界を変え、そうやって自分の性質(nature)を改善することもまた、可能であった。人間の進歩のための重荷は、そのため、神ではなく人間の上にあった。

神は特定の自然の法則に従うように宇宙を作った。これらの法則は人間(科学者)によって発見された。したがって、神は個人的な意味におけるものを除いては、特に必要ではなかった。」(脚注2)

第2段落
私の関心は、神は今でもかつてと同じように必要であり、そして科学の更なる発展そのものが必然的にこの理解に依存している、ということを示すことにあります。私たちは、自分たちの科学技術的な能力において、その独立性が科学的な殿堂の礎石であるところの人類が、彼ら自身の達成によっておびやかされる地点にいたりました。

(訳注:人類の独立性は、科学という殿堂の礎石です。しかし、私たちは、自分たちが発達させた科学技術の能力によって自分たち自身が脅かされるような地点に至ってしまいました。)

不吉なことを予言する人がたくさんいます。しかし、終末が爆弾、公害、あるいは自動化された孤独によって訪れようが、あるいは訪れまいが、人類のみがすべての答えを持っていると考えることにおいて、根源的な間違いが犯されつつある、ということには疑問の余地はありません。

第3段落
科学、それは観察と仮説ですが、それは思考の構造の基本的な事実です。欠けているのは目的であり、その中においてこの実験において証明される行為が行われる、より大きな知的な環境です。(訳注:欠けているのは目的であり、そしてもう一つ、実験によって証明するという行為を行うための、より大きな知的な環境です。)

第4段落
革命という言葉は、科学の歴史を描写する上で適切です。それは最も本質的に、権威を打倒するための年代記でありつづけています。火刑用の磔(はりつけ)台でブルーノを火あぶりにした教会の権威だけでなく(訳注:Giordano Bruno、ジョルダーノ・ブルーノ、1548-1600、イタリアのドミニコ会修道僧、哲学者)、

演繹的(訳注:a priori、ラテン語の'from what is before'の意味)、推論的、受動的、あるいは信心深い(faithful)と呼ばれる類の考え方、およびそのような思索家が敬意を表するところの人、すなわちクリシュナ、神の権威でもあります。

この(酒などに)酔っているような反乱の発達をここに記録する理由はありません。重要なのは、いったんそれが始まると、誰もそれを止めることができなかった、ということです。

第5段落
この小冊子は、主に私たちの科学的な友人たちに向けられています。自分の意識をはかない機械の周りに集中させる代わりに、人は主がすべての活動の中心点であることを知って、自分の意識をシュリー・クリシュナ、至高の科学者に移すべきです。

俗的な中心の周りには、無数の同心円があり得ます。同様に、すべての科学者、哲学者、ビジネスマン、政治家などは、彼らのすべての活動の中心にクリシュナを保ち、クリシュナ意識に携わることができます。

第6段落
クリシュナ意識は次のように定義されます。「至高の人格との、人の永遠の関係。家へ、クリシュナのもとへ帰るという、人生の究極の目標。霊的な世界へ帰る方法(process)」(脚注6)ゼロは、もしもそれが単独で存在するなら、何らの値も持ちません。しかし、その前に1が置かれると、それは10になります。

同様に、すべての活動は、これらの活動の中にクリシュナが含まれない限り、何の価値も持ちません。このため私たちは、クリシュナの科学は、学ばれ実践されるべき唯一の本当の科学であると理解することができます。(訳注:学び、実践するに値する唯一の本当の科学はクリシュナ意識の科学である、と理解することができます。)

(挿絵)
どんな職業であれ、人は自分のすべての活動の中心にクリシュナを置くことの科学を学ぶべきです。

脚注:(訳注、校正含む)
1.Tom Paskal “Tampering with the Machinery of God” Weekend Magazine” 5ページ1971年9月18日、トム・パスカル、「神の機械に許可なく干渉する」(邦訳無し)

2.Ernest E. Snyder、1917年生まれ。 アーネスト・E.・スナイダー、“History of the Physical Sciences”、邦訳無し。Columbus, Ohio: Merrill Publishing Co., 1969. 28ページ

3~5.本文中に該当無し。

6.A. C. Bhaktivedanta Swami Prabhupada 「主チャイタンニャの教え」(New York, Los Angeles, London and Bombay: The Bhaktivedantaa Book Trust, 1968) 23ページ
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by ammolitering4 | 2011-05-02 04:45 | クリシュナ意識の科学的な基盤 | Comments(2)

原文

「クリシュナ意識の科学的な基盤」の原文はこちらにあります。
英語の原文全体
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by ammolitering4 | 2011-05-01 14:21 | クリシュナ意識の科学的な基盤 | Comments(0)

舞台裏のお話し

ちょっと休憩。まだ始めたばっかりですけど、今日はこちらでご紹介している翻訳文がどうやってできてるかについてお話ししようと思います。逃避とも言います。

私の翻訳はかなりいい加減といいますか、行き当たりばったりをポリシーとしております。とりあえず原書を段落に分けて番号を振ります。脚注などある場合は本文と照らし合わせて確認します。次に、段落のままでは文字が多すぎてどこを訳しているか分からなくなるので、見やすいように3行毎くらいを目安に線を引いて区切ります。次に全体を通して読みながら、分からない単語とか翻訳でひっかかりそうな単語に印をつけます。そして、そのままぶっつけ本番で訳します。
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分からない単語などはそのままほったらかして、丸で囲んだままにしておきます。訳し始めると引っかかる単語はもっともっと増えてくるので、随時原書にも印を加えます。丸がこれだけ多いと、まるでパズルですね。いつもはさすがに、ここまで穴だらけということはあんまりありません。
d0152550_13234691.jpg



ここまで済んだら、やっと最後に単語を調べます。訳注として説明が必要と思われるものも、この時点で調べます。単語を調べるのにはインターネットの辞書を使う場合が多いです。普通の辞書もほんとはたくさんあったほうがいいのですが、古いのを一冊持っているだけなので、ちょっと込み入ったらあんまり役に立たないのです。まあ、本職ではないので設備投資に回せるお金もないし、この程度で我慢してください。インターネットが使えなくなったら、たちまち仕事に差し障りますね。各種のオンライン辞書を作ってくださった皆様、ほんとにありがとうございます。

単語などの調べ物をする順番が逆ではないか、というご意見もあるでしょう。確かに、調べもせずに翻訳するなど、翻訳の鉄則に完全に反する行為かもしれません。でも、怠慢なのでこれで慣れてしまっているのです。こうすることによる利点もあります。文章の構成や文脈から、単語の意味が分からなくても意味が自ずから明らかになるのです。あとはそれを辞書で確認して、最適と思われる表現を選びます。

ぎこちないままで下訳が完成したら、次はこれを編集しながらタイプします。タイプは家でします。ソフトはオープンオフィスを使っています。これも3行を越えると読みにくくなるので、内容のつながりとは関係なく、ただ単に行数だけで区切っています。ブログにもそのまま載せているので、読みにくかったらすみません。ご自分で保存なさる場合には、読みやすいように適宜加工してください。

タイプと編集も行き当たりばったりです。しかも私はタイプが下手なので、打ち間違っては消してやり直しという時間の無駄が多いです。編集をするときは、英語の構文のままではあまりにも不自然で理解しにくいものなどを訳注として自然な日本語に直したりしながら進めます。これができあがったら全文をコピーしてブログに載せて、それから全体を見て最後の校正をします。これもまた、順序が間違ってますね。校正してから載せればいいのは分かっているのですが、どうも何となく、画面が変わるほうが間違いに気づきやすいのです。

皆さんがご覧くださっている堅苦しい翻訳文は、通勤の電車の中や電車を待っているときのホームの上や、スターバックスの裏の部屋やコインランドリーで、こうやって極めていい加減に出来上がっているのでした。ゆっくり時間がとれる日だってないわけではないのですが、そういう日は遊びに行ったりしなければなりません。たまには家の掃除だってしないと住めなくなります。夢のように「仕事を辞めて翻訳に専念しよう」と思い立つこともないわけではないのですが、実際にそうすれば金銭的な艱難辛苦もさることながら、結局怠けて家で何時間も猫のブログサイトなど眺めたりすることになると思うのです。隙間の時間を使うことって、私には一番いいのかもしれません。
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by ammolitering4 | 2011-05-01 13:49 | Comments(0)