<   2011年 03月 ( 13 )   > この月の画像一覧

第6章

第6章 魂の科学的な証拠

シュリーラ・プラブパーダとインド人の医師との次の会話は、1973年9月にロンドンのハレ・クリシュナ・センターで交わされました。

医師:  あなたは魂が存在すると科学的に証明することができますか?つまり、それは純粋に信仰の問題なのか、それとも、、、

SP:  いいえ。それは科学的な事実です。私たちの科学は完璧です。なぜなら、私たちは知識を完璧な源、クリシュナから受け取っているからです。そして現代のいわゆる科学は不完全です。なぜなら、科学者たちの知識は不完全な源から受け取られるからです。あなたがたとえどんなに偉大な科学者であっても、あなたは自分の感覚は不完全であると認めなければなりません。

医師:  はい。

SP:  ですから、不完全な感覚は不完全な知識しか与えることができません。あなたが科学的な知識と呼んでいるものは偽物です。なぜなら、その知識を作り出した人々が不完全だからです。どうして不完全な人から完全な知識を期待できるでしょう?

医師:  それは程度の問題です。

SP:  私の論点は、もしもあなたが完全な知識を与えることができないなら、あなたから知識を受け取ることが何の役に立つのか、ということです。

医師:  はい、私はその視点を受け入れます。しかし、あなたはどうやって魂が存在するということを証明するのですか?

SP:  完璧な源、クリシュナから、あるいはクリシュナの言葉を繰り返すクリシュナの代理人から情報を受け取ります。それが私たちの証明の方法です。エヴァム・パラムパラー・プラープタム。「超越的な知識は師弟継承によって受け取られねばなりません。」

私たちは悪者から知識を受け取ることをしません。私たちはクリシュナ、至高存在から知識を受け取ります。私は悪者であるかもしれません。しかし私は完璧な源から知識を受け取ってそれを繰り返しているので、私の言うことは何であれ完璧です。

(改行)  子供は無知であるかもしれません。しかし彼は、ある物体が「テーブル」と呼ばれることを学んだので、彼が「お父さん、これはテーブルです」と言うとき、彼の言葉は完璧です。同様に、もしもあなたが完璧な人から(話を)聞いてそれを信じるなら、そうすればあなたの知識は完璧です。

クリシュナは「タター・デハーンタラ・プラープティヒ」とおっしゃいます。「死のあとで霊魂は別の物質的な体に入ります。」私たちはそれを受け入れます。私は不完全であるいわゆる科学者からの証拠は必要としません。

医師:  では、信仰の問題が最初に来るのですね。

SP:  信仰ではありません。事実です。

医師:  はい。しかし、あなたはどうやってその事実を証明するのですか?

SP:  クリシュナがそうおっしゃるということが証拠です。

医師:  (非常に皮肉っぽく)「クリシュナによってそう語られた」。しかし、、、

SP:  それが私たちのヴェーダの証拠です。何かを言うときはいつでも、私たちは直ちにそれを支えるためにヴェーダ文献から引用します。これが証明の方法です。それはちょうど法廷におけるそれのようです。弁護士が法廷で議論しているとき、彼は過去の判決から引用しなければなりません。

そうすれば彼の議論は裁判官によって法的な証拠として受け入れられます。同様に、私たちが何かを言えば直ちに、私たちは即座にヴェーダ文献から引用することによってそれを支えます。それが霊的な事柄における証明の方法です。そうでなければ、聖典は何のためにあるのですか?

もしもそれらが単に精神的な推量の産物であるなら、これらの本が何の役に立つのですか?もちろん、ヴェーダ文献はすべての論理と論法をもってしても完全真理を提示します。例えば、バガヴァッド・ギーター(2.13)において、クリシュナはおっしゃいます。

(サンスクリット引用)

「魂は子供時代から若者へ、そして若者から老年へと自分の体を変えていきます。同様に、魂は死のときに別の体に入ります。」これのどこが非論理的な提示ですか?(Where is the illogical presentation?)これは科学的です。知性的な者にとって、これは科学的な証拠です。そして、もしも彼がそれでも頭が鈍いなら、何ができるでしょう?

医師:  しかし、魂は目に見えません。どうしてあなたはそれが存在するということをそれほど確信できるのですか?

SP:  単に何かが目に見えないということは、それが存在するということを私たちが知り得ない、ということを意味するのではありません。(訳注:「見えないからと言って存在しないというわけではありません。」)心、知性、そして自我というかすかな体もまた、あなたの目には見えませんが、あなたはかすかな体がそこにあることを知っています。

私たちは2種類の体を持っています。土、水、火、空気、そしてエーテルから成る密度の濃い体、そして、心、知性および自我から成るかすかな体です。あなたは土、水などでできた体を見ることができますが、かすかな体を見ることができますか?あなたは心を見ることができますか?あなたは知性を見ることができますか?それでもすべての人が、あなたは心を持っており、私も心を持っていることを知っています。

医師:  これらは抽象的なことですよ?(you know?)

SP:  いいえ。抽象的ではありません。それらはかすかな物質です。それだけです。あなたは単にそれらを見る目を持たないのです。

医師:  お言葉ですが(Well,)、現在では私たちは知性を研究するための3つの方法を持ち合わせています、、、

SP:  ともあれ、それを見ることができないにも関わらず、あなたはかすかな体が存在するということを受け入れます。それが私の論点です。同様に、あなたは見ることができないにも関わらず、魂は存在します。魂は、かすかな体と密度の濃い体によって覆われています。

死として知られているのは、密度の濃い体の滅亡です。かすかな体は残り、彼が再び自分の心の欲求を満たすためにちょうど良い、別の密度の濃い物質的な体を育てることができるところに、魂を運びます。

英国人の客:  かすかな体と魂は同じものだということですか?

SP:  いいえ。魂はかすかな体とは違います。魂は知性よりも繊細です。これらのことは、すべてバガヴァッド・ギーター(3.42)に説明されています。

(サンスクリット引用)

(改行)  まず、無知な理解においては(訳注:in the gross understanding、理解の程度の低い状態では)私たちは体の感覚だけに気づいています。動物のような者たちは、感覚がすべてだと考えます。彼らは、感覚は心によって統御されているのだということを理解しません。もしも人の心が歪んでいるなら、それなら彼の感覚は機能できません。彼は狂人です。ですから、感覚の統御者は心です。そして、心の上にあるのが知性です。そして知性の上にあるのが魂です。

(改行)  私たちは心と知性さえ見ることができません。それでは、どうやって私たちに魂を見ることができるでしょう?しかし、魂にはその存在が、その大きさがあります。そして、もしも人が霊魂について何も理解しないなら、彼は動物よりも優れたものではありません。なぜなら、彼は自分自身を密度の濃い体、および、かすかな物質的な体として認識しているからです。
[PR]
by ammolitering4 | 2011-03-29 16:07 | 「ハレ・クリシュナの挑戦」 | Comments(0)

第5章

第5章 簡素な暮らし、高潔な考え

シュリーラ・プラブパーダと彼の何人かの弟子たちとの間の次の会話は、1976年6月にウェストバージニア州(アメリカ合衆国)のニュー・ヴリンダーバンで交わされました。

SP:  西洋の文明は、人工的に暮らしの必要性を高めている、ひどい文明です。例えば、電灯をご覧なさい。電灯は発電機を必要とし、発電機を動かすためには石油が必要です。石油の供給が止まれば、直ちにすべてが止まります。

しかし、石油を得るためには大変な苦労をしてそれを探さねばならず、地面や、時には海の真ん中に深い穴を掘らねばなりません。これはウグラ・カルマ、ひどい仕事です。ヒマの種を育て、油を絞り、芯を入れた壷にその油を入れることで、同じ目的が達せられます。(訳注:ひまし油)

私たちは、あなた方が電気によって明かりのあり方(lighting system)を改良したことを認めます。しかし、ひまし油のランプから電気のランプに改良するために、あなたは非常に大変な労働をしなければなりません。あなたは海の真ん中に行って穴を掘り、石油を引き出さねばなりません。

そして、このようにしてあなたの人生の本当の目的が見失われます。あなたは不安定な立場にいます。生命の様々な種の中で、常に死んだり生まれたりしています。この生と死の循環からいかにして自由になるか、これがあなたの本当の問題です。

そして、この問題は人間の人生において解決されるべきものです。あなたは自己認識のための発達した知性を持っています。しかし、自分の発達した知性を自己認識のために使う代わりに、あなたはそれをひまし油のランプから電気のランプに改良するために使っています。それだけです。

弟子:  人々は、あなたの提案は実際的でないと言うでしょう。それに、電気は明かりを灯すだけでなく、他の多くのこともします。私たちの現代の快適さは、ほとんどが大なり小なり電気に頼っています。

SP:  この人生において、あなたは非常に快適に生きているかもしれません。しかし、次の人生においてあなたは犬になるかもしれません。

弟子:  人々はそれを信じません。

SP:  彼らが信じようが信じまいが、それは事実です。例えば、少年は自分が育って若者になるということを知りません。しかし、彼の母親と父親は知っています。もしも少年が「いいえ。僕は若者にはなりません」と言うなら、それは子供じみています。

父親と母親は少年が育って若者になることを知っており、彼が正しい境遇を得られるように(訳注:properly situated、この場合は明確なクリシュナ意識を持った大人になることを意味するのだと思います)自分たちは彼を教育すべきである、ということを知っています。これが保護者の義務です。

(改行)  同様に、私たちが魂の転生について語るとき、悪者たちは「私はそれを信じません」と言うかもしれません。しかし、それはそれでも事実なのです(校正:原文はピリオドが抜けている)。悪者、狂った者は、転生は事実ではないと言うかもしれません。しかし本当の事実は、彼はこの人生における自分の努力の質に応じて別の体を受け入れなくてはならないというものです。(サンスクリット引用)

弟子:  もしも誰かがこう言ったらどうしますか?「ヒマの種を育てるというこの暮らしは、大変難しい。そして農業も全体的に難しい。工場に行って8時間働いて、自分のお金を持って家に帰って楽しむほうが簡単だ。」

SP:  あなたは楽しむかもしれませんが、楽しむことによってあなたは人生におけるあなたの本当の目的地を忘れます。それは知性的ですか?あなたは自分の次の人生を改善するために人間の体を与えられました。例えば、あなたが次の人生で犬になると仮定しましょう。それは成功ですか?あなたはクリシュナ意識の科学を知らねばなりません。そうすれば、犬になる代わりにあなたは神のようになります。

弟子:  かつて、ロンドンにあるジョン・レノンの屋敷で、あなたはトラクターが今日の非常に多くの問題の原因であるとおっしゃいました。それは若者からすべての仕事を奪い、彼らに仕事を求めて都会へ行くことを強いました。私は、田舎での暮らしはより簡素で、より平和的であると気づきました。霊的な人生について考えるのは、(田舎のほうが)容易です。

SP:  そうです。田舎は(都会より)妨害が少なく、脳への負担が少ないのです。ただ自分の食べ物のために少し働き、その他の時間はクリシュナ意識に携わる。これが理想的な人生です。

(改行)  (シュリーラ・プラブパーダ、一輪の花を差しのべる。)この花の細かい繊維をご覧なさい。誰がこれを、このような細かい繊維を、工場で作ることができますか?そして、色の何と鮮やかなことか!もしもあなたがただ一つの花を研究するなら、あなたは神意識になります。あなたが「自然」と呼ぶ機械があり、そしてこの機械からすべてが生じています。しかし、誰がこの機械を作ったのですか?

弟子:  ロンドンであなたは「人々は、花はクリシュナによって、考えをもって描かれたのだということを知らない」とおっしゃいました。

SP:  はい。あなたは、芸術家なくして花がこれほど美しく現れると思いますか?これは愚かです。自然とは何でしょうか?それはクリシュナの機械です。すべてはクリシュナの機械によって為されています。

(改行)  ですから、ニュー・ヴリンダーバンにおいてあなたの人生の相を改善しなさい。広々とした場所に住み、自分の食物となる穀物を育て、自分の牛乳を作り、時間を節約し、ハレ・クリシュナを唱えなさい。簡素な暮らし、高潔な考え、、、理想的な人生です。

しかし、もしもあなたが自分の人生の人工的な必要性、あなたのいわゆる快適さを増すなら、そしてクリシュナ意識という自分の本当の仕事を忘れるなら、それは自殺行為です。私たちは、この自殺的な方針を止めたいと思っています。もちろん、私たちは人々が現代の技術的な発展を止めることを主張しているわけではありません。

私たちは単に、シュリー・チャイタンニャ・マハープラブ(*脚注)によって与えられた単純な方法を提示するだけです。「ハレ・クリシュナを唱えなさい。」

(*) (シュリー・チャイタンニャ・マハープラブは、ご自分自身の献身者という役割を取られた、主クリシュナご自身です。主は聖なる御名を唱えることを通して神への愛を広めるために15世紀後半にお現れになりました。)

技術的な工場においてさえ、唱えることができます。何の難しいことがあるでしょう?機械のボタンを押し続けながら、同時に「ハレ・クリシュナ、ハレ・クリシュナ、クリシュナ、クリシュナ、ハレ、ハレ。ハレ・ラーマ、ハレ・ラーマ、ラーマ、ラーマ、ハレ、ハレ」と唱えることができます。

弟子:  そして、もしも人々が(ハレ・クリシュナを)唱えることを習慣づけるなら、徐々に彼らは技術を放棄しますか?

SP:  もちろんです。

弟子:  それでは、あなたは彼らの崩壊(destruction)の種を蒔いていらっしゃるのですね。

SP:  いいえ。崩壊ではありません。むしろ建設(construction)です。生と死の繰り返し、常に体を変えること、これが崩壊です。しかし、私たちの方法によって、あなたは永遠に生きます。(サンスクリット引用)(BG4.9)あなたは別の体を得ることがありません。

しかしクリシュナ意識がないと(サンスクリット引用)(BG2.13)、あなたは別の体を受け入れなくてはなりません。それは苦しみを意味します。では、どちらが優れているでしょう?次から次へと物質的な体を受け入れることと、もはや物質的な体を受け入れないことと?

もしも私たちがこの体で自分の苦しみを終えれば、それは知性的です。しかし、もしも私たちが更なる苦しみのために別の体を作り出すなら、それは非知性的です。しかし、クリシュナを理解しない限り、あなたは別の体を受け入れなければなりません。他の方法はありません。
[PR]
by ammolitering4 | 2011-03-28 15:05 | 「ハレ・クリシュナの挑戦」 | Comments(0)

第4章

第4章 脳のない社会について

シュリーラ・プラブパーダと国際労働機関のチャールズ・ヘニス氏(以下、Mr.H)との間の次の会話は、1974年5月にジュネーブにおいて交わされました。

Mr.H:  私は国連組織の一部である国際労働機関で働いています。私たちは世界のほぼすべての国の、すべての労働者の保護と福祉に関わっています。

SP:  ヴェーダ文献は、知識層、管理層、商業層、労働層という、4つの社会的な階層を描写しています。労働者は社会という体の脚として働きます。しかし、脚は頭によって導かれねばなりません。社会的な体のその頭は知識階級です。国連は社会の体の脚の世話をしていますが、彼らは脳、知識階級のためには何をしていますか?

Mr.H:  私たちは、労働者が社会の経済的な報酬において、その正しい配分を得るようにしたいと思っています。

SP:  しかし私の論点は、もしも社会の頭をおろそかにするなら、そうすればあなたが脚に注意を払うにも関わらず、物事はうまくいかないということです。なぜなら、脳が正しく機能していないからです。

Mr.H:  しかし、これも社会の重要な側面です。そう思いませんか?私たちは世界の労働者の割り当てを改善することを目的としています。

SP:  アメリカでは、労働者階級は非常に大きな給与を得ています。しかし、彼らは脳によって、知識階級によって導かれていないので、彼らは単に自分たちのお金をお酒を飲むことに費やします。

Mr.H:  良いものが悪用されているということは、それを悪いものにするわけではありません。

SP:  要点は、すべての人が脳によって導かれているべきであるということです。それが社会を組織するための唯一の方法です。何らの知性もなくロバのように一生懸命に働くことの価値は何ですか?

Mr.H:  人に自分の脳を使うように強要することはできません。

SP:  したがって、国連は皆が幸せになるように、社会の脳として機能して他者を導く、理想的な知性的な人々の階層を支えるべきです。

Mr.H:  世界中のすべての社会に、神父などの(priestly)階層、哲学的な指導者たちの階層がいると思いますが。

SP:  神父などの階層!聖書には「汝、殺すなかれ」と書いてあります。しかし、神父たちはこれを自分たち自身の気まぐれに合うように改ざんしました。彼らは、罪のない動物たちを殺すために、何千もの巨大な屠殺場を許すことによって、殺すことを是認しました。

どうしてそのようないわゆる「神父」が導くことができるでしょう?私たちは非常に多くのキリスト教徒の紳士たちと神父たちに、これについて尋ねました。「あなた方の聖書は「汝、殺すなかれ」と教えています。なぜあなた方はこの戒律を犯しているのですか?」

彼らは私にあいまいな答えを与えます。彼らは人々に何が罪深いかということさえ教えていません。それは社会に脳が欠けていることを意味します。

Mr.H:  私の組織は人々の脳とは直接関わっていません。

SP:  あなたの組織は直接関わっていないかもしれません。しかし、もしも人間の社会に脳がないなら、それならあなたがどんなに組織を作っても、人々は決して幸せになれません。もしも人々が社会の知性的な階級によって、徳のある行いと罪深い行いとの間に区別をつける方法を教えられないなら、それなら彼らは動物よりも優れたものではありません。

Mr.H:  もちろん、あなたが徳のある行いと罪深い行いの間の区別についてお話しになるときは、、、

SP:  彼らはもはやそのような区別に気づきません。しかし、私たちのクリシュナ意識教会においては、私は私の生徒たちに一番最初から罪深い行いを避けるように教えます。彼らは、すべての肉食、賭け事、不道徳な性交、そして陶酔物を完全に放棄しなければなりません。

そして今、彼らの性質と行いを他の誰ものそれと比べてごらんなさい。キリスト教の神父たちでさえ驚きます。彼らは言います。「これらの少年たちは、私たちの少年たちです。あなたの運動に加わる前は全く教会に来なかったのに、今では彼らは神に夢中です。これはどういうわけですか?」道では、人々が尋ねます。「あなたたちはアメリカ人ですか?」

(改行)  分かりますか?すべてのことが正しい導きによって改正され得るのです。しかし、もしも社会に脳がないなら、あなたは非常に多くの組織を作ることができますが、人々は苦しみ続けます。それが自然の法律なのです。もしも人々が罪深いなら、彼らは苦しまねばなりません。

Mr.H:  私は、国際的な組織に人々を洗脳する(to indoctrinate、教義などを教え込む)ことを期待できるとは思いません。

SP:  どうしてできないのですか?それは国際的、、、すべての人(のため)であるべきなのです。国連は国際的な活動のためのものです。ですから私たちの提案は、社会の脳として機能する一流の知性的な人々の国際的な組織を国連が維持する、ということです。そうすれば人々は幸せになります。しかし、もしもあなたが手や脚を指示無くして、脳無くして働かせ続けたいと望むなら、そうすれば、あなたは決して成功しません。

Mr.H:  あのう、私は自分のことを人類に仕える従者だと考えています。人々が互いを理解するのを助け、世界のほんの少し良くなることを願って(働いています)。私は今、労働者の教育プログラムを組織しようとしています、、、

SP:  しかし、どうか理解しようとしてください。私は社会の脳という点を強調しています。もしも理想的な階級の人々がいないなら、もしも脳が正しく機能していないなら、それならあなたがどれだけ教育したり組織したりしても、それらは成功しないのです。国連はすべての人間社会のための組織です。しかし、国連には実際に脳の組織と呼ばれ得る部門がありません。

Mr.H:  それはその通りです。

SP:  それが私の論点なのです。

Mr.H:  私たちは、私たちの加盟国の指導者たちの従者であるに過ぎません。もしもニクソン氏と他のすべての国家の頭首たちが脳を持たないなら、それならあいにく国連が彼らに脳を与えるためになし得ることは何もありません。

SP:  それならあなたの大きな組織は単に死体の飾りに過ぎません。脳のない体は死体です。あなたは心ゆくまで死体を飾り立てるかもしれません。しかし、それが何の役に立ちますか?脳、すなわち社会において何が正しくて何が間違っているかを他者に教える階層の人々が欠けているなら、それなら社会的な体は死んでいます。あるいは頭が欠けています。そして、あなたが為す仕事は何であれ、単に死体のための無駄な装飾です。
[PR]
by ammolitering4 | 2011-03-27 14:58 | 「ハレ・クリシュナの挑戦」 | Comments(0)

第3章

第3章 私たちは英知(wisdom)に年代をつけることができるか?

シュリーラ・プラブパーダと英国人の学生との間のこの対話は、1973年8月にロンドンの早朝の散策の間に交わされました。

SP:  クリシュナ意識のメッセージは霊的な世界から来ています。それはこの物質世界のものではありません。したがって、時として人々はそれを誤解するかもしれません。ですから私たちはそれを上手に説明しなければなりません。

彼らは、魂とは何であるかということさえ理解できません。偉い偉い科学者たち。偉い偉い哲学者たち。彼らは霊と霊的な世界について何の情報も持っていません。したがって、時として彼らはそれを理解するのに困難を感じます。

客:  最近、私はヴェーダの年代決定について幾らかの研究をしています。ご存知でしょう(訳注:You know, 「あのぅ、」などの特に意味のない言葉でもある)、ハラッパ遺跡(訳注:dig、発掘中の遺跡)とモヘンジョ・ダロからの証拠は、ヴェーダの年代がかつて考えられたよりも実際はかなり新しいものであることを示している、と、一部の考古学者たちは主張しています。これはヴェーダから幾らかの権威を奪うように見えます。なぜなら、それはもはや世界中で一番古い宗教的な聖典であるように見えないからです。

SP:  ヴェーダは「宗教」を意味するのではありません。ヴェーダは「知識」を意味します。ですから、もしもあなたが知識の歴史を辿って起源を突き止めることができれば、そうすればあなたはヴェーダの年代を突き止めることができます。あなたは、いつ知識が始まったか、起源を突き止めることができますか?それを突き止めることができますか?

客:  私は、私たちにできるとは思いません。

SP:  それでは、どうやってあなたはヴェーダの歴史を遡って起源を突き止めることができますか?ヴェーダは「知識」を意味します。それなら、まず最初にどの日付から知識が始まったかを見つけなさい。そうすればあなたはヴェーダの年代を知ることができます。

(改行)  ヴェーダの歴史は、この物質世界の創造の日から始まりました。誰も創造の日付を特定することはできません。創造はブラーマーの生とともに始まります。そしてあなたはブラーマーの一日の長ささえ計算することができません。

ブラーマーの夜の間、宇宙はある程度まで壊滅させられ、彼の昼の間、再び創造が生じます。壊滅には2種類あります。一つの壊滅はブラーマーの夜の間に生じ、もう一つの最終的な壊滅は宇宙顕現全体を滅ぼします。しかし、これらのちっぽけな人々はヴェーダの年代について推量しています。それは滑稽なことです。

(改行)  夜に育ち、一日が始まる頃に死ぬ多くの微生物がいます。一晩が彼らの全生涯なのです。そして、私たちの人生はそのようなものです。私たちに何の歴史が書けるでしょう?ですから、私たちはヴェーダの知識をヴェーダの権威から受け取ります。

(改行)  人はカエルの哲学者であるべきではありません。あなたはカエルの哲学について知っていますか?カエル博士は大西洋を見たことがありませんでした。すると誰かが彼に告げました。「おお、私はものすごくたくさんの水を見ました。」

(改行)  それでカエル博士は言いました。「おお、それはこの井戸より大きいですか?」

客:  はい、それは彼の概念を越えていました。

SP:  そうです。ですから、これらの学者たちは自分たちの井戸の中で朽ちていくカエルのようなものです。彼らがヴェーダの知識についていったい何を理解できるというのでしょう?

客:  はい、分かります。話は変わりますが、人生の最も正しい(true)形、人生の最も純粋な形は、自然に寄り添って生きるそれであり、私たちが自分たちの都会という環境で行っているような自然に逆らったものではない、ということをヴェーダは肯定している、とあなたは感じていらっしゃるのでしょうか?

SP:  おお、そうです。本当の人生は、あなたの身体的な活動を最小化しなければならないことを意味します。時間を節約して、自らを霊的な理解に捧げることができるようにするためです。それが本当の人生です。そして、人生の身体的な概念に基づいた現在の文明は、動物の人生です。それは文明化された人生ではありません。(サンスクリット引用)

文明化された人生は、人が非常に発達して、彼が霊魂について問うときに始まります。しかし、そのような問いがないとき、人々が霊魂とは何であるかと問えないとき、彼らは猫や犬のようなものです。ヴェーダの人生は人に身体的な妨害からできるだけ自由になることを教えます。

したがって、ヴェーダの教育はブラーマチャリャ、(訳注:性的な)禁欲から始まります。分かりますか?しかし、これらの悪者たちは自分たちの性生活を抑えることができません。彼らの哲学は、人は何の規制もなく性生活を続けるべきであり、妊娠が生じれば子供を殺す、というものです。

客:  はい。

SP:  それは彼らの、悪者の哲学です。彼らは、人は訓練によって性生活を忘れることができるということを全く知りません。そして、もしも性生活を忘れるなら、どうして中絶ということがあり得るでしょうか?しかし、彼らはそれができません。したがって、こう言われています。(サンスクリット引用)何の規制もない感覚の楽しみによって、彼らは徐々に動物の人生の水準へ降りて行きつつあります。

(改行)  中絶、すなわち子宮の中の赤ん坊を殺すことに手を染める者は、次の生において子宮の中に入れられ、誰かが彼を殺します。殺した赤ん坊の数と同じだけ、彼は生を受け入れなければならず、殺されます。ですから、何百年もの間、彼にとって昼の光を見ることは不可能になります。彼は子宮の中に留まり、殺されます。人々は自然の法律を知りません。

人は国家の法律を犯すように自然の法律を犯すことはできません。例えば、あなたが誰かを殺すと仮定しましょう。あなたは計略によって逃れることができます。しかし、あなたは自然の法律から逃れることはできません。あなたが殺したのと同じ回数だけ、あなたは子宮の中で殺されなければなりません。それが自然の法律です。

客:  ほんの先週、私はロンドンの主要な病院の一つの中の中絶病棟で働く看護婦と話していました。それはひどいものです。一部の胎児は非常に発達した状態にあるので、明らかに生は高い可能性があります。(訳注:life is a strong possibility、生命が宿っていた可能性が高い、という意味か?)

SP:  可能性の話ではありません。生は性交の一番初めから始まります。生命体は非常に小さいのです。自然の法則によって、彼のカルマに応じて、彼は父親の精液の中に送られ、母親の子宮の中に注射されます。男の精子と女の卵子は乳化し、ちょうどエンドウマメのような形を形作ります。それからそのエンドウマメのような形が徐々に発達します。これはすべてヴェーダ文献に描写されています。最初の段階は、耳、目、鼻腔、口、性器、肛門という9つの穴の形成です。

(改行)  それから徐々に感覚が発達し、6ヶ月半たってすべてが完成したとき、生命体の意識が戻ってきます。体が形成される前は、生命体は麻酔にかかった状態のように無意識の状態でいます。それから彼は夢を見て、それから徐々に意識が戻ります。そのとき彼は「出て行きたくない」と強く願いますが、自然は彼を押し、そして彼は出てきます。これが誕生の過程です。

(改行)  これがヴェーダの知識です。ヴェーダ文献の中に、あなたはすべてが完全に描写されているのを見ることができます。(訳注:ヴェーダ文献の中にはすべてが完全に描写されています。)したがって、どうしてヴェーダが歴史に影響され得るでしょうか?しかし、難しいのは私たちが霊的な事柄について語っているということです。ですから、全くの物質主義者にとっては、それは時として理解するのが困難です。彼らは非常に頭が鈍いので、理解できないのです。
[PR]
by ammolitering4 | 2011-03-27 03:29 | 「ハレ・クリシュナの挑戦」 | Comments(0)

第2章

第2章 感覚の満足は鳥のためである

シュリーラ・プラブパーダと彼の何人かの弟子の間の次の会話は、1974年5月のローマでの朝の散策の間に交わされました。

SP:(サンスクリット引用)何度も生まれかわって、人々は単に自分の感覚を楽しもうとしています。何度も生まれかわって、同じことを何度も何度も。同じ食べること、同じ眠ること、同じ性交、そして同じ身を守ること。あるいは人として、あるいは犬として。(サンスクリット引用)何度も何度も、既に噛まれたものを噛む。

半神になろうが、犬になろうが、物質的な世界ではすべての者が、食べること、眠ること、性交をすること、そして身を守ることという、これらの4つのことのための設備を与えられています。実際は、もしも今、何らかの危険が訪れるなら、私たち人間は犠牲者になるかもしれませんが、鳥は直ちに飛び去るでしょう。ですから、鳥は身を守るためのより良い設備を持っています。

そうではありませんか?例えば、突然、私たちに向かって車がまっすぐ突っ込んでくると仮定しましょう。私たちは殺されます。私たちは何もできません。しかし、最も小さな鳥でさえ、「はっ!逃げよう!」彼にはそれができます。ですから、彼の防衛手段は私たちのより優れています。

(改行)  同様に、もしも私たちが性交をしたいなら、私たちは誰かしら相手を見つけ、適切な時間と場所を見つけるなど、そのために手はずを整えなければなりません。しかし、メスの鳥はいつもオスの周りにいます。いつでもです。スズメやハトを見なさい。見たことがありますか?

彼らは直ちに性交する準備ができています。そして、鳥は食べることについてはどうしますか?「おお、果物がある。」直ちに鳥は食べることができます。そして眠ることも簡単(convenient)です。

(改行) ですから、これらの設備は、、、これらがあなたの高層ビルの中にだけあると考えてはいけません。それらは鳥や獣に(も)得られます。高層ビルの中に非常に良いアパートを持っているのでないかぎり、食べること、眠ること、身を守ること、そして性交することなどの、これらすべての設備を持つことができない、というのではないのです。

あなたはそれらをいかなる物質的な体においても、いかなる種においても持つことができます。(サンスクリット引用)「ヴィシャヤ」は、物質的な感覚の楽しみのための設備を意味します。私たちの方法は(サンスクリット引用)です。人は、この満足し得ない物質的な楽しみを放棄し、超越的な喜び、霊的な楽しみの味を味わわねばなりません。それは異なる水準における楽しみです。

(改行) しかし今日では、人々は人生の身体的な概念によってすっかり騙されているので、彼らの唯一の楽しみはこの物質的な、いわゆる「楽しみ」です。ですから、聖典は助言します。「この一時的で劣性な楽しみは、人としてであれ、鳥としてであれ、あるいは獣としてであれ、物質的な生命のいかなる形においても得られます。」

なぜあなたは、これらすべての異なる生命の種において、この同じ満足し得ない楽しみを繰り返し求め続けるのですか?(サンスクリット引用)「これらすべての異なる形において、あなたは何度も何度も同じ馬鹿げた、満足し得ないことをしています。」

(改行) しかし、(サンスクリット引用)物質的な感覚の楽しみによって騙されている者は、自分自身の努力によっても、あるいは霊的指導者からの教えによってさえ、クリシュナ意識になることができません。そして、(サンスクリット引用)これらの愚かな人々は、「人生の問題とは何か」と問うために多くの会議や話し合いをしますが、それでも彼らはクリシュナ意識の方法を習慣づけることができません。

(改行) なぜでしょうか?グリハ・ヴラターナーム。「私たちは、この物質世界で幸せになろう」という決意を持っている限り、彼らはクリシュナ意識を習慣づけることはできません。「グリハ」は「家」、また、「体」も意味します。この物質的な体の中で幸せになろうとしている者は、クリシュナ意識を習慣づけることができません。

なぜなら、アダーンタ・ゴビーハ。彼らの感覚はあまりにも統御がされていないからです。したがって、これらの人々は、繰り返し繰り返し、噛まれたものを噛むという厳しい試練を経験しなければなりません。何度も何度も、同じ感覚の楽しみ、、、食べること、眠ること、性交すること、そして身を守ること。

弟子:では、私たちに課せられた仕事は、人々に彼らはこの物質世界では幸せになれないと納得させることですか?

SP:そうです。そして、彼らは既に非常に納得のいく経験をしています。日々、彼らは非常の多くの政党を設立しており、非常に多くの方法や計画やあれやこれやを作り出していますが、それでも彼らは幸せではありません。それでも彼らは大変な愚か者なので、繰り返し挫折させられるにも関わらず、既に噛んだものを噛み続けています。多少違う形において、同じことを何度も何度も。

(改行) 共産主義者と資本主義者の違いは何ですか?結局、どちらのグループも単に自分たち自身の感覚の満足のために、いかに物事をより良いふうにしつらえるかということを求めています。二つのグループは戦っていますが、すべての人の目標はグリハヴラターナム、「私たちはこの物質世界の中に留まって、ここで幸せになろう」です。

弟子:つまり、もしも十分な食べ物と性交を得られるなら、私たちは幸せになる、ということですね。

SP:それだけです。そしてそれから、人々は性的不能になります。そして彼らは医者に乞います。「私に性の薬を下さい。」分かりますか?(サンスクリット引用)同じ古くてくたびれたものを噛んでいるのです。そして、家での性交にうんざりすると、「売春婦のところへ行こう。裸の踊りに行こう。」彼らには他に考えがないのです。

ですから、この階層の人々はクリシュナ意識を習慣づけることができません。何よりもまず、人は知識を持たねばなりません。「私はこの物質世界とは全く関係がない。私は霊魂である。私の幸せは霊的な世界にある。」そうすれば、彼は本当の人間であり、霊的な発達をすることができます。

(改行) ですから、次の問いは、どうしたら人は霊魂とクリシュナ意識に興味を持つことができるか、ということです。どうやって?これが問いです。動物、および動物のような人々は、興味を持つようになることができません。(サンスクリット引用)

(改行) シュリマッド・バーガヴァタム(7.5.32)には、「これらの悪者たちと愚か者たちの意識は、素晴らしい行いをなさる主シュリー・クリシュナの蓮の御足に向けられることができません。ニシュキンチャナであり、この物質世界において得るものが何もなく(訳注:何も得ようと思わず)、単にクリシュナ(だけ)に興味がある、主の献身者の蓮の御足に彼らがその頭をつけるまでは。」とあります。

もしもあなたがそのような偉大な献身者の蓮の御足や、蓮の御足の埃にさえ、自分の頭をつける機会を得るなら、あなたの霊的な進歩は可能です。そうでなければ、可能ではありません。偉大な献身者の蓮の御足の埃は、あなたを助けることができます。
[PR]
by ammolitering4 | 2011-03-25 13:10 | 「ハレ・クリシュナの挑戦」 | Comments(0)

第1章

1.不完全な世界において完全な知識を見つける

シュリーラ・プラブパーダと、アーヴィンにあるカリフォルニア大学の物理学教授グレゴリー・ベンフォード博士との間のこの会話は、1973年10月にロサンゼルスのハレ・クリシュナ・センターで交わされました。

ベンフォード博士(以下、Dr.B): あなたはおそらく、「邪悪の問題」という西洋の神学理論をご存知であると思います。なぜ邪悪さは存在するのですか?

シュリーラ・プラブパーダ(以下、SP): 邪悪さは善良さの欠如です。ちょうど、闇が太陽光の欠如であるようなものです。もしもあなたが自分自身をいつも光の中に置いておくなら、どうして闇があり得るでしょう?神は完全な善良さです。ですから、もしもあなたがいつも自分自身を神意識の中に置くなら、そうすれば邪悪さはありません。

Dr.B: しかし、なぜ世界は邪悪な人々を含んで作られたのですか?

SP: なぜ警視庁が作られたのですか?なぜなら、必要性があるからです。同様に、一部の生命体はこの物質世界を楽しみたいと思っています。そのため、神はそれをお創りになりました。主はちょうど、自分のいたずらな子供に、遊ぶための別の部屋を与える父親のようなものです。そうでなければ、いたずらな少年たちはいつも彼の邪魔をします。

Dr.B: この世界は、それでは、刑務所のようなものですか?

SP: そうです。刑務所です。したがって、ここには苦しみがあります。刑務所では、あなたは快適さを期待することはできません。苦しみがなければ、囚人たちに教訓がないからです。それはバガヴァッド・ギーターに述べられています。(サンスクリット引用)

「ドゥーカーラヤム」は「苦しみのための場所」を意味します。そして「アシャーシュヴァタム」は「一時的」を意味します。あなたは妥協をして「いいでしょう、私は苦しんでいます。でも、私はそれを気にしません。私はずっとここにいます」と言うことはできません。あなたはここに留まることはできません。

あなたは蹴り出されるでしょう。今、あなたは、自分はアメリカ人だ、偉大な科学者だ、幸せだ、いい給料を得ている、と考えています。それは構いません。しかし、あなたはこの立場に留まることはできません。あなたが蹴り出される日が来るのです。そして、あなたはアメリカ人か、科学者か、猫か、犬か、あるいは半神になるか分かりません。あなたには分からないのです。

Dr.B: 私は多分、無になると思います。

SP: いいえ。それはもう一つの種類の無明です。クリシュナはバガヴァッド・ギーター(2.13)において説明しています。(サンスクリット引用)まず、あなたは少年の体に中に、そして若者の体の中にいて、そして未来には老人の体の中にいます。。。

Dr.B: しかし、老人になった後には、私は無になるかもしれません。

SP: いいえ、いいえ。(サンスクリット引用)死の後で、あなたは別の体に移ります。ですから、あなたは「私は無になります」と言うことはでいません。もちろん、あなたは何を言っても良いでしょう。しかし、法則は違います。あなたは法則を知っているかもしれず、知らないかもしれません。

それは関係ありません。法則は作用します。例えば、もしあなたが「私は火を触ります。それは私に火傷をさせることはありません」と考えるなら、それは事実ではありません。火傷するのです。同様に、あなたは死の後には無があると考えるかもしれませんが、それは事実ではありません。

Dr.B: なぜ私のような者は、、、世界を合理主義的に理解しようとしている者は、そうする方法を全く見出せないように見えるのですか?

SP: あなたは物事を合理主義的に知ろうとしていますが、あなたは正しい教師のもとへ行っていません。

Dr.B: しかし、世界を研究することによって私は知識を得ることができる、と感じますし、その知識を確かめる方法があります。仮説を組み立て、実験を行い、自分の考えを証明し、それからこれらの考えを実際的な世界で使うことができるかを判断します。

SP: それはもう一つの種類の無明です。なぜなら、あなたは自分が不完全であることを知らないからです。

Dr.B: おお、私は自分が完璧でないことを知っています。

SP: それでは、あなたがこの方法やあの方法で世界を研究することが何の役に立つのですか?もしもあなたが不完全なら、結果は不完全です。

Dr.B: それはその通りです。

SP: では、なぜ時間を無駄にするのですか?

Dr.B: しかし、他に知識を見つける方法があるように見えません。

SP: 物質的な知識のためでさえ、あなたは大学に行って教授から学ばねばなりません。同様に、霊的な知識、、、完璧な知識を学びたいときは、あなたは完璧な教師に近づかねばなりません。そうすれば、あなたは完璧な知識を得られます。

Dr.B: しかし、教師が完璧であるとき、人はどうやって(それを)知るのですか?

SP: それは難しくありません。完璧な教師は、もう一人の完璧な教師から学んだ者です。

Dr.B: しかし、それは単に問題を一段階取り除くに過ぎません。

SP: いいえ。すべての階層の教師たちによって受け入れられている一人の完璧な教師、クリシュナがいるからです。インドでは、私たちは今でもヴェーダ文化を見出します(訳注:インドには今でもヴェーダ文化があります)。そして、これらすべてのヴェーダの教師たちは、クリシュナを至高の教師として受け入れます。彼らはクリシュナから教えを受け、それを教えます。

Dr.B: それでは、私が出会う、クリシュナを完璧な教師として受け入れる者は誰であれ、、、その人は完璧な教師なのですか?

SP: そうです。クリシュナの教えを教えているあらゆる人、、、その人は完璧な教師です。

Dr.B: それなら、ここにいるすべての献身者たちは完璧な教師ですか?

SP: そうです。彼らはクリシュナの教えだけを教えているからです。それだけです。彼らは完璧ではないかもしれません。しかし、彼らが話していることは何であれ完璧です。なぜなら、それはクリシュナによって教えられているからです。

Dr.B: それなら、あなたは完璧ではないのですか?

SP: そうです。私は完璧ではありません。私たちのうちの誰も、自分は完璧であると主張することはできません。私たちは非常に多くの欠陥を持っています。しかし、私たちはクリシュナの教え以外のことは何も語らないので、私たちの教えは完璧です。

私たちはちょうど、千ドル(訳注:感覚としては10万円)の郵便為替を持ってくる郵便配達夫のようなものです。彼は金持ちではありません。しかし、もしも彼があなたに封筒をそのままに届けるなら、あなたは利益を受けます。彼は金持ちではありません。

しかし、彼の完璧な行い、彼の正直な行いは、完璧です。同様に、私たちは完璧ではありません。私たちは不完全さに満ちています。しかし、私たちはクリシュナの教え以外のことを教えません。それが私たちの方法です。そして、そのため私たちの教えは完璧です。
[PR]
by ammolitering4 | 2011-03-24 15:18 | 「ハレ・クリシュナの挑戦」 | Comments(0)

「ハレ・クリシュナの挑戦」 はじめに

ハレ・クリシュナの挑戦・・・誤って導かれた文明を斬る
ISKCON創設者アーチャーリャ、A.C.バークティヴェダンダ・スワミ・プラブパーダ睨下との会話

中表紙    シュリー・グルとゴーランガにすべての栄光がありますように

バーティヴェダンタ文庫

(目次は割愛しました。)

はじめに

第1段落
世界中に展開しているハレ・クリシュナ運動の創設者アーチャーリャであり、シュリーラ・プラブパーダとして親しまれているA.C.バークティヴェダンタ・スワミ・プラブパーダ睨下は、1965年、インドを離れ、ニューヨーク市へと旅立たれました。そこで彼は一年後に「クリシュナ意識国際協会」を創設なさいました。

彼の目的は、ヴェーダ聖典に正確に記述された、神への愛を育む実際的で完全な方法であるクリシュナ意識を布教することにありました。シュリーラ・プラブパーダはこれらの聖典に解説を付けたおびただしい量の翻訳を著し、かつて例を見ない偉大な宗教学者としての地位を確立なさいました。

彼は、世界中でハレ・クリシュナ運動を主要な宗教的な勢力として確立しつつ、80冊以上の著作においてクリシュナの科学、哲学および娯楽を厳然と提示なさいました。

第2段落
シュリーラ・プラブパーダが力強く説明した、霊的な価値観を剥ぎ取られた社会への霊的な代替物としてのクリシュナ意識は、特に西洋の若者たちを惹きつけました。これらの若者たちの多くは人生の本当の意味を探し求めており、快楽主義的な物質主義、虚無主義的な無神論、そして感傷的で偽善的な半有神論にうんざりしていました。

シュリーラ・プラブパーダの教えと彼の人生は、古代のヴェーダのメッセージは決して時代遅れではなく、すべての場所のすべての人にとって、特に現代において完全に私たちの眼前にある問題と関係があるのだということを論証します。

物質主義的な社会は、人々をその本当の霊的な必要性に対して盲目的でいさせ続け、一方で彼らをますますひどくなる複雑性の中に隷属させます。シュリーラ・プラブパーダは、すべての本当の宗教的な教師の精神において、その物質主義的な社会に対して堂々と批判的な意見を述べられました。

第3段落
シュリーラ・プラブパーダは、現代の社会の霊的な病(ills、悪)に対して、確かに強く、明白に、そして常に一定して批判的に発言なさいましたが、全く悪意のかけらもなくそうなさいました。彼は誰をも無差別に批判することをなさいませんでした。ご自分の弟子たちにも、そうすることをお許しになりませんでした。

個人的な言動において、彼は他者の中の長所を励まされ、短所を咎めることを避けられました。彼はイエス・キリストなどの本物の霊的な教師に対して心からの敬意と賞賛を捧げられました。このように、彼の目的は誰かを怒らせることや咎めることではなく、人々をクリシュナ意識において彼らの本当の幸せな人生に目覚めさせることにありました。

第4段落
シュリーラ・プラブパーダが形式ばらない状況でクリシュナ意識の教義を力強く提示なさった会話の抄録が、「シュリーラ・プラブパーダが斬る(堂々と批判的に意見を述べる)」と題して1977年半ばにハレ・クリシュナ運動の雑誌「バック・トゥ・ゴッドヘッド(至高主の元に帰る)」に掲載され始めたとき、彼は非常に喜ばれました。この「斬る」のコラムは、読者に純粋な献身者が現代の社会をどう見ているかを知る機会を与えます。

第5段落
この本の中に収録された会話は、シュリーラ・プラブパーダの特定の雰囲気を描写しています。読者は、彼がそのような強い調子だけで発言なさっていたと考えるべきではありません。この本の中のほとんどの会話は、シュリーラ・プラブパーダと彼の親密な弟子との間のものです。

非献身者への一般的な布教においては、同じ考えをもっと柔らかい調子で表しておられましたが、哲学的には決して妥協なさいませんでした。シュリーラ・プラブパーダの別の面をご覧になるには、彼の著作に馴染みのない読者は「完璧な問い、完璧な答え」などの、バークティヴェダンタ文庫の他の本を参照なさることをお勧めします。

第6段落
シュリーラ・プラブパーダは、完全なヴェーダのサードゥーです。サードゥーという言葉の意味の一つは、「切る者」です。そして、この小冊子の読者は確かに、生涯続いてきた幻想が切って捨てられるのを経験するでしょう。

「ハレ・クリシュナの挑戦・・・誤って導かれた文明を斬る」は、挑戦的であり、的を得ており、議論を招かずにはおきません。その結論は重みがあります。すべての思慮深い人に本書を隅々まで熟読して頂きたいと願っています。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
お久しぶりです。皆様お元気でいらっしゃいますか。私は最近、「主チャイタンニャの教え」を一時中断して、気分転換に会話体の小冊子を訳しています。例によってゆっくりしたものですが、どうぞ一文一文よく読んでください。ご存知のように、時はカリユガ。人類の誇る物質文明は、これから先何百万年でも続く負け戦に苦しむことになります。もちろん、カリユガの中にもサイクルがあって、一時的には平和と調和の光の時代に入ることもあるようですが、長期的には結果は決まっています。カルキ様がいらっしゃるころの宇宙って、どんなでしょうね。その頃までにはここを脱出していたいものですが、理想を言えば「お役に立つなら地獄にでも」という心境になれればいいですね。今は無理ですけど。

ともあれ、お願いがあります。以前もお願いしたことですが、念のために翻訳文を印刷しておいてください。電気がなくなればコンピューターは使えず、CDに記録しておいたものも読めなくなるからです。不安定な時代が続きますが、生死はクリシュナがお決めになること。どうせ死ぬまでは嫌でも生きているわけですから、ここにいる間は何らかの奉仕を続けていられますようお祈りしたいと思います。

現実的には、安全だ、安心だとばっかり言ってる政府の発表を鵜呑みにせず、この前の地震を正しく予知した人たちの声など参考にしてください。また、不安の募る今から毎日1錠ずつビタミンCの錠剤を飲んでおくことをお勧めします。ストレスによる免疫機能の低下を予防する効果があるからです。写真サイトのほうでは、サバイバル経験から学んだちょっとした知恵などをご紹介しています。暇なときにでもご覧ください、と言いたいところですが、そういえばプラブパーダは「暇ならハレ・クリシュナを唱えなさい」とおっしゃってましたね; )
[PR]
by ammolitering4 | 2011-03-23 07:13 | 「ハレ・クリシュナの挑戦」 | Comments(8)

地震(修正あり)

寒がりな私でもようやく手袋も要らない季節になりました。水仙の花が咲いています。
b0200190_1104534.jpg



カメリアの花も咲いています。椿ですね。お菓子みたいなピンク色です。
b0200190_1111860.jpg



こうやって春が来る様子など見ていると自然の優しさや美しさを感じるのですが、一面では鬼の形相を呈するものでもあります。火山が噴火したり、地震が起きたり、津波がやってきたりするのは、決して新しいことではありません。でも、最近はどうもそういう事態があまりに立て込んでいるような気がします。次から次へと、順番待ちでもしているみたいに。。。

念のため、HAARPモニターの観測を続けている方のブログをご紹介します。
次なる大地震の可能性
非常に近い将来、もしかしたら明日か明後日くらいにも、環太平洋帯のどこかでもう一度巨大地震が起こる可能性が危惧されています。念のため、灯油ストーブなど使っている方は片付けておかれることをお勧めします。また、日本で発生して放射能が大規模にもれた場合を想定して、ヨウ化カリウムを入手してください。ただ、これは手に入りにくいかもしれません。副作用もある薬品です。

チェルノブイリ事故の際には、ウガイをするときに使うヨウ素で代用したそうですから、そっちのほうが入手しやすいかもしれません。(一日2-3滴摂取。)(今日、ニュースを見ていたら、「ウガイ薬で代用してはいけません!」と出てました。ほんとにどうもすみません。内用すると害があるそうなのです。でも、だからチェルノブイリではほんの2-3滴ずつ飲んでたのかもしれませんね。どんな害があるのか分かりませんが、チェルノブイリのときには人々は副作用を承知で飲んでいたのかもしれないなと思ったりします。専門的なことは分かりませんが、チェルノブイリのときに人々が自衛のためにしたことを本気で調べたほうがいいかもしれません。)

また、それもない場合には昆布が有効だそうです。とくにトロロ昆布がいいそうですが、なぜでしょう。なければ他の昆布製品でもいいでしょう。スーパーでは昆布100%を粉にしたダシの素みたいなのも売ってますから、特にお子さんがいらっしゃるご家庭では、できるだけ買っておかれるといいと思います。

こういうのは、杞憂に終わればそれが一番なのです。あとになって「葉子さんのせいで、この山ほどの昆布、、、どうしよう!?」とぶつぶつ言えるようになることを期待して、ぜひ買い込んでおいてください。

HAARPモニターで観測されている動きは、日本の近くを指すものではないかもしれず、地震でさえないかもしれません。でも、今回の地震の後揺れは震源が南下傾向にあり、また、個人で地震予測を続けておられる方の予想によれば、1週間くらいのうちに九州地方を中心とする地震がある可能性が示唆されているそうです。万が一に備えて、家の中に頭の上に落ちてきそうなものがないか確認してください。また、家族で集合場所を決めておく必要もあるでしょう。小さなお子さんの場合は下着や持ち物に名前と連絡先を書いておくのも有効だと思います。

この地震はバンクーバーに来たらおしまいですね。耐震構造って何?という程度の建築ばかりですから。どうぞみなさま、ご無事でお過ごしください。
[PR]
by ammolitering4 | 2011-03-13 11:25 | Comments(0)

本の表紙

こんにちは。いつもご覧頂いてありがとうございます。ほそぼそと続けておりますが、ここでまたしばらくお休みを頂くことにしました。6月に日本に行くことにしましたので、そのための準備に集中するつもりなのです。今回の行き先は福岡県と佐賀県です。6月21日から25日までは福岡市の赤坂にある「あいれふ」という場所で展示会をする予定です。お近くの方はどうぞおいでください。期間中はできるだけ会場にいたいと思いますが、いないかもしれません。あらかじめご連絡いただければ、できるだけ都合をつけます。

会場の手配ができるようであれば、展示会の後で体験教室も開こうと思っています。実費だけだったら一人千円程度で十分かなと思っています。でも、滞在中の経費とか考えると多少上乗せしたほうがいいのかもしれません。それでも2000円くらいに抑えると思いますが、福岡近郊のお知り合いの方に宣伝していただければありがたいです。この翻訳サイトについても、プラブパーダのご本をもっと多くの方に知っていただくために、宣伝に協力していただければとても有難いです。どうぞよろしくお願いします。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

翻訳サイトなのに展示会とは何のことだ、と思われる方のために一応説明しますと、私はガラス絵を描く絵描きです。クリシュナ関係の作品も少しですが描いています。
クリシュナ関係のガラス絵作品

ガラス絵サイトはこちらです。

さてさて、、、ここでちょっと、これまで翻訳した本をビジュアルに並べてみましょう。正直言って自分でもどれを訳したのか分からなくなるからです。

今やってるのはこれ、「主チャイタンニャの教え」です。
d0152550_5305337.jpg



これを途中でほったらかして、これから通勤時間とかお店の休み時間などでやろうと思っているのがこちら。プラブパーダの鋭い会話集です。
d0152550_5322458.jpg



以下、表紙だけご覧ください。
d0152550_533779.jpg



d0152550_5332619.jpg



d0152550_5334427.jpg



d0152550_534964.jpg



d0152550_5343355.jpg



d0152550_5345245.jpg



d0152550_5351036.jpg



d0152550_5353444.jpg



d0152550_5355229.jpg

[PR]
by ammolitering4 | 2011-03-06 05:36 | その他 | Comments(4)

第16章 終りまで

第49段落
アートマーラーマの節の説明を続けながら、主チャイタンニャは、アートマーという言葉は様々な種類の至高の人格神も指す、と指摘なさいました。一般に、至高の人格神ご自身であるクリシュナ、および主の様々な拡張体は、すべて至高の人格神として知られます。

第50段落
至高の人格神のいかなる形、あるいは拡張体への献身奉仕にたずさわっている者もまた、アートマーラーマと呼ばれます。すべてのそのような献身者は、献身奉仕の規律的な原則に従っているか、あるいは超越的な愛における献身奉仕に携わっています。

これらの献身者もまた、以下のように3つの部類に分けられます。
1、(主の)仲間
2、献身奉仕において完成の域に達した者
3、新しく献身奉仕に携わった者

新しく献身奉仕に携わった者は、二つに分けられ得ます。既に主への愛着を得た者と、まだそのような愛着を得ていない者です。献身奉仕の二つの区分(つまり規律的なものと超越的な愛における愛着)に従って考えると、これらの部類の献身者は8つになります。献身の規律的な原則に従うことによって、主の完全な仲間はさらに4つの部類に分けられます。従者、友人、親のような目上の者、そして婚約者です。

第51段落
ちょうど一部の献身者が献身奉仕の遂行によって完成に至るように、したがって彼ら(献身者)の一部は永遠に完璧です。(訳注:やや分かりにくい表現ですが、「一部が~であるように、別の一部は~である」という意味と思われます。)

献身奉仕の規律的な原則に従う者の中には、上級者と初心者がいます。そして、主への超越的な愛情ある奉仕(をする者)の中には、16種類の献身者がいます。こうして、アートマーラーマは32の部類において存在すると考えられえます。

もしも32の部類にムニ、ニルグランター、チャ、およびアピという言葉が当てはめられるなら、そうすれば58種の異なる献身者があります。森にはたくさんの異なる種類の木が生えているかもしれませんが、「木」という言葉はそれらすべてを描写します。

第52段落
こうして主は、アートマーラーマという言葉に60の異なる意味を与えられました。さらに主は、アートマーは「最初の生命ある被造物ブラーマーからアリに至るまでの生命体」を意味する、とおっしゃいました。主は、ヴィシュヌ・プラーナの6章から1節を引用なさいました。

そこには、主のすべてのエネルギーは霊的である、と述べられています。これはその通りですが、生命体の源として知られているエネルギーは霊的と呼ばれますが、もう一つのエネルギー、無明に溢れ、物質的な活動において顕現するエネルギーは、物質自然と呼ばれます。

物質創造においてさえ、生命体は無数です。もしも偶然によって物質世界の生命体が純粋な献身者と関わることができるなら、彼はクリシュナへの純粋な献身奉仕に携わることができます。「かつて私はアートマーラーマという言葉の60の異なる意味を考えていました」と主はサナータナ・ゴスヴァーミーにおっしゃいました。「しかし、あなたとの関わりによって、もう一つの意味を思い出しました。」

第53段落
アートマーラーマという言葉の様々な説明を聞いたあと、サナータナ・ゴスヴァーミーは驚きに打たれ、献身の念を込めて主チャイタンニャの足元にひれ伏しました。「私はあなたが至高の人格神のクリシュナであることを理解します」とサナータナは言いました。

「そして、あなたの呼吸と共に多くのヴェーダ文献が顕現しました。あなたはシュリマッド・バーガヴァタムの教師であり、そしてあなたはシュリマッド・バーガヴァタムの意味を最もよくご存知です。他の人にとって、あなたの慈悲なくしてシュリマッド・バーガヴァタムの極秘の意味を理解することは可能ではありません。」

第54段落
「そのように私を讃えようとしてはなりません」と主はサナータナにおっしゃいました。「ただシュリマッド・バーガヴァタムの本当の性質を理解しようとしなさい。シュリマッド・バーガヴァタムは至高主クリシュナの音による描写です。したがってシュリマッド・バーガヴァタムはクリシュナと異なるものではありません。

クリシュナは無限であり、そして同様にシュリマッド・バーガヴァタムのそれぞれの言葉と文字は無限の意味を持っています。人はこれらの意味を献身者との関わりを通して理解することができます。それなら、バーガヴァタムは単に問いへの答えを集めたものだ、と言ってはなりません。」

第55段落
ナイミシャーラニャの賢人たちによってスータ・ゴスヴァーミーに問われた6つの質問があり、そしてスータ・ゴスヴァーミーはシュリマッド・バーガヴァタムにおいて6つの問いを説明したり、あるいは答えたりなさいました。(訳注:explained or answered、「説明した、言い換えると回答した」とも取れますが、大した違いはありません。)

ヴェーダ文献には、主シヴァが次のようにおっしゃる節があります。「バーガヴァタムに関して言えば、私はそれを知っているかもしれず、あるいはシャカデヴァまたはヴャーサデヴァが知っているかもしれません。あるいは私たちはそれを知らないかもしれません。

しかし実際はバーガヴァタムは献身奉仕によって、そして献身者から理解されるべきものであって、人が自分の知性によって、あるいは学究的な解説によって理解されるべきものではありません。」シュリマッド・バーガヴァタムの初めで(1.1.23)、ナイミシャーラニャの賢人たちは尋ねました。

(サンスクリット引用)

「我が親愛なる師(sir)よ。どうか親切にも私たちに、主がご自分のお住まいにお帰りになった後で、宗教の原則が主と共に去ったのかどうかを教えてください。主がお去りになった後で、どうやって私たちはそのような原則を見つけることができるでしょう?」

第56段落
答えは次のようなものでした(1.3.43)。

(サンスクリット引用)

「クリシュナがすべての宗教的な原則と共にご自分のお住まいに去って行かれたあと、主の代理人であるシュリマッド・バーガヴァタム、マハー・プラーナが、燃え盛り、明るく照らす太陽として残ります。」

第57段落
主チャイタンニャはそれからサナータナ・ゴスヴァーミーに言いました。「私はこのアートマーラーマの節を非常に多くの方法で描写するうえで、ちょうど狂った人のようでした。私が何か狂ったことを言ったなら、気にしないでください。しかし、もしも誰かが私のように狂人になるなら、彼は私がそれを説明したようにシュリマッド・バーガヴァタムの本当の意味を理解することができます。」

第58段落
それからサナータナ・ゴスヴァーミーは合掌して主チャイタンニャの足元にひれ伏して祈りました。「わが親愛なる主よ」と彼は言いました。「あなたは私に献身奉仕の規律的な原則を準備するように頼まれました。しかし私は低い階級に属しています。私は何の知識も持っていません。

わたしはどうやってそのような重要な課題が私によって達成されるのか分かりません(訳注;どうやって私が~を達成できるのか分かりません)。もしもあなたが親切にも私にそのような献身奉仕に関する本の準備についていくらかの手がかりを与えてくださるなら、私はそれを書く資格が得られるかもしれません。」

第59段落
主はそれから、こう言って彼を祝福しました。「何であれあなたが書くことは、クリシュナの恵みによって、あなたの心から生じ、あなたが頼んだように受け入れられるでしょう(will be accepted as you requested)。私はまた、あなたが書き留めることのできるいくつかの注釈をあげます(訳注:「いくつか注釈をあげるので、書きとめてください」)。

最初にして最も大切な点は、人は真正なる霊的指導者を受け入れるべきであるということです。それが霊的な人生の始まりです。」主チャイタンニャはそれからサナータナ・ゴスヴァーミーに、本当のグルの徴候と本当の献身者の徴候を書き留めるように頼みました。

献身者の徴候はパドマ・プラーナに描写されています。資格のあるブラーマナであり、同時に献身者のすべての徴候を持った者は、すべての階層の人々の霊的指導者になることができます。そのような献身者と霊的指導者は、神ご自身として尊重されなければなりません。

人は非常にちゃんとしたブラーマナの家庭に生まれるかもしれませんが、もしも主の献身者でないなら、彼は真正な霊的指導者になることはできません。人は、真正なる霊的指導者はいわゆるブラーマナの家庭に生まれなければならない、と誤って考えるべきではありません。つまり、霊的指導者は資格のあるブラーマナでなければなりません。すなわち、彼はその活動によって資格を得なければなりません。

第60段落
これは、ナーラダが社会生活の4つの区分を特徴づける異なる徴候について語ったとき、シュリマッド・バーガヴァタムにおいて確認されています。ナーラダはそこで、ブラーマナ、クシャトリヤ、ヴァイシャ、およびシュードラは、それぞれの個々の資格によって選ばれなければならない、と要約しました。

この解説において、シュリーダーラ・スヴァーミーは、ブラーマナの家庭に生を受けることは必ずしも人がブラーマナであるということを意味しない、と特筆しました。人はブラーマナの徴候によって資格を得ねばならず、その徴候はシャーストラにおいて描写されています。

ゴーディーヤ・ヴィシュナヴァ・サムプラダーヤの師弟継承には、二人の偉大なアーチャーリャ(タークラ・ナロッタマおよびシャーマーナンダ・ゴスヴァーミー)がいます。彼らはブラーマナの家庭には生まれませんでしたが、ガンガーナーラーヤナ、ラマクリシュナなどを含む多くの有名なブラーマナによって霊的指導者として受け入れられました。

第61段落
このように、見込みのある献身者がはっきりと表す徴候があり、そして献身者と霊的指導者の両者が、互いに互いが真正な霊的指導者あるいは真正な生徒になる資格があるかどうかを判断しなければなりません。それから人は、唯一の崇拝しうる対象は至高の人格神であると知るべきであり、そして人は様々な真言と聖なる歌を学ぶべきです。

第62段落
主はそれからサナータナ・ゴスヴァーミーに、真言を受け入れる資格のある人の徴候を描写するように、そして、真言がいかにして理解されるべきか、および真言がいかにして儀礼的な儀式によって完成させられるべきかを描写するように指示なさいました。

それから主は、洗礼(initiation、入門の儀式)、朝の義務と清潔さの義務ーーー顔を洗うことと歯を磨くことーーー(および)仕事の方法と、朝晩の両方に唱えられるべき祈りを描写なさいました。(訳注;構文に多少の問題あり。祈りについては、朝に唱えるものと晩に唱えるもの、という別のものだと思われます。)

主はまた、人がいかに霊的指導者を崇拝すべきか、そしていかに自分の体にゴピー・チャンダナで印をつけるべきかも描写なさいました。主はまた、人がいかにトゥラスィーの葉を集めるべきか、いかに部屋と主(クリシュナ)の寺院を洗うべきかを描写なさいました。

そして主はまた、人がいかにクリシュナを眠りから目覚めさせるかを描写なさいました。主チャイタンニャはまた、主(クリシュナ)を崇拝するための様々な方法を描写なさいました。それは全部で5つある方法と、全部で50個ある方法です(the method of five-fold paraphernalia and fifty-fold paraphernalia)。

主(チャイタンニャ)は、人がいかに主(クリシュナ)に一日に5回アーラティを捧げることによって主を崇拝すべきかを描写なさいました。そして主は、人がいかにクリシュナに食べ物を捧げ、いかに主を寝床に寝かしつけるべきかを描写なさいました。

主チャイタンニャはまた、主(クリシュナ)の様々な寺院がある聖なる地へ行くこと、および寺院の中の主の姿を見ることの効果を語られました。主はまた、主(クリシュナ)の超越的な御名を讃えることについて、そして人が崇拝をしている間に犯し得る無礼について語られました。主の崇拝において、特定の道具一式が使われます。ほら貝、水、薫り高い花、祈り、聖歌などです。

そして、儀礼的に何かの周りを回ることがあり、敬意を払うということもあります。人はプラシュチャラナの規律的な原則に従うべきであり、クリシュナに捧げられていない食べ物を退け、クリシュナ・プラサーダを受け入れるべきです。主チャイタンニャはまた、人は献身者の実際の徴候を持つ献身者を中傷することにふけるべきではないと警告なさいました。

第63段落
主チャイタンニャはまた、聖なる人の徴候と、賢人を満足させる方法と、望ましくない人々の交際を退ける方法を説明なさいました。主はまた、人はシュリマッド・バーガヴァタムを絶えず聞くべきであると助言なさいました。

同じく従われるべきであるのは、一日の義務と2週間の義務、ならびにエカーダーシの日の断食です。人はまた、月の義務に従い、主の誕生日、三つの特定の断食の日、エカーダシー、ジャンマースタミー、ヴァーマナドヴァーダシー、シュリー・ラーマナヴァミーおよびヌリスィムハチャトゥルダシーなどの儀式を行わなければなりません。

断食の日が他の日(ヴィッダー)と重なるときは、それらは献身奉仕の発達において助けとなります。主チャイタンニャはさらに、サナータナ・ゴスヴァーミーに、常にプラーナからの文書的な証拠を挙げるように教えました。

主はまた、いかにして主の寺院を建立するかに言及なさり、そして主は、ヴァイシュナヴァの一般的な振る舞い、徴候、そして義務と仕事(occupation)を描写なさいました。このように主は、ヴァイシュナヴァの規律的な原則について本を書くにあたって人が知る必要があるすべての詳細を要約して説明なさいました。

第64段落
サナータナ・ゴスヴァーミーは主の偉大な献身者でした。そして彼は、多くの本を書くことによってバークティの礼拝形式(cult)を広めるように直接指示されました。チャイタンニャ・チャンドロダヤにサナータナの描写があり、そこにおいてサナータナ・ゴスヴァーミーはナワブ・フッサインの政府における最も重要な名士の一人だったと言及されています。

彼の弟ルーパ・ゴスヴァーミーもまた、政府の役人でしたが、二人とも物乞いになって至高主に奉仕をするために、その実入りの多い政府の仕事を辞めました。外見上は、兄弟たちはちょうど普通の物乞いのようになりました。

しかし、彼らの心はヴリンダーヴァンの牛飼いの少年への超越的な愛情ある奉仕と大いなる愛で満ちていました。実に、サナータナ・ゴスヴァーミーは当時のすべての純粋な献身者にとって愛しい(dear)存在でした。
[PR]
by ammolitering4 | 2011-03-06 04:59 | 「主チャイタンニャの教え」 | Comments(0)