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第15章 後半

第15章 後半

第18段落
献身奉仕に関して言えば、二つの部分があります。始めには、ヴィディー・バークティ、すなわち規律的な原則を伴う献身奉仕があります。より高い水準においては、ラーガ・バークティ、すなわち純粋な愛における献身奉仕があります。

第19段落
至高の人格神は完全真理ですが、主はご自分の様々なエネルギーの拡張によっても顕現なさいます。献身奉仕の規律的な原則に従う者は、究極的には霊的な世界にあるヴァイクンターの惑星に至りますが、献身奉仕において愛の原則に従う者は、至高の住まい、すなわちクリシュナロカ、あるいはゴロカ・ヴリンダーヴァンとして知られる、霊的な世界における最高位の惑星に至ります。

第20段落
超越主義者もまた3つの部類に分けられます。アカーマという言葉は、何らの物質的な欲望もない者を指します。モクシャ・カーマは、物質的な悲惨さからの解放を求める者を指します。そしてサルヴァ・カーマは、楽しもうという物質的な欲望を持つ者を指します。

最も知性的な超越主義者は、多くの望みを持っているかもしれないとはいえ、他のすべての方法を捨てて主への献身奉仕にいそしみます。人がかすかな献身奉仕を加えること無くして最高の完成を得ることができるのは、いかなる種類の超越的な活動によってでもーーー結果を求める活動によってでも、知識を培うことによってても、神秘的なヨガの修行をすることによってでもーーーありません。(訳注:「いかなる種類の超越的な活動をもってしても、ほんの少しでもいいから献身奉仕が入っていないなら、最高の完成を得ることはない」という意味だと思います。)

献身奉仕を除いては、他のすべての超越的な方法は、ちょうどヤギの首にある乳首(のように見えるもの)のようなものです。ヤギの首にある乳首を絞ることはできるかもしれませんが、それらが乳を出すことはありません。もしも自分の方法から実際の完成を得たいのであれば、人はクリシュナへの献身奉仕を習慣付けなければなりません。バガヴァッド・ギーターには次のように述べられています。

(サンスクリット引用)

「おお、バーラタのうちで最良の者(アルジュナ)よ。4種類の敬虔な人々が私に奉仕をします。苦しんでいる者、富を求める者、探求的である者、至高存在に関する知識を探している者です。」(BG 7.16)

第21段落
これらの4種類の人々が徳のある行いを積むとき、彼らは主への献身奉仕に至ります。これらの4つのうち、苦しんでいる者および富を求める者は、欲求を伴う献身者と呼ばれます。一方、他の二つ、すなわち探求的である者および知恵を捜し求める者は、解放を求める者です。

彼らはクリシュナを崇拝するので、彼らは皆、非常に幸運であると考えられます。やがて、もしも彼らがすべての欲望を捨てて至高主の純粋な献身者になれば、彼らは最も幸運であると考えられ得ます。そのような幸運な初心者は、主クリシュナの純粋な献身者との関わりにおいてのみ発達することができます。

純粋な献身者と関わるとき、人は自らも純粋な献身者になります。これはシュリマッド・バーガヴァタム(1.10.11)において確認されています。

(サンスクリット引用)

「実際に知性的である者は、純粋な献身者との関わりによって、主クリシュナと主の活動について聞くことができます。」これらの活動は非常に魅力的なので、それについて聞くとき、人は自分の主との関わりを放棄しません。(訳注:「~は非常に魅力的なので、いったんそれを聞いた者は主との関わりを手離さないようになる」という意味だと思います。)

第22段落
しかし、純粋な献身者との関わりにとって、他のすべての関わりはカイダヴァ、すなわちインチキです。これはシュリマッド・バーガヴァタムの第1巻において確認されており、そこでは超越的な認識を邪魔するすべてのインチキな方法は捨てられるべきだと述べられています。

シュリマッド・バーガヴァタムによって、人は現実をありのままに理解することができます。そしてそのような理解は人が3種類の物質的な悲惨さを超越するのを助けます。シュリマッド・バーガヴァタムは偉大な賢人ヴャーサデヴァによって編纂されました。

そしてそれは彼の成熟した経験から生じた作品です。シュリマッド・バーガヴァタムを理解することによって、そして献身奉仕を行うことによって、人は直ちに自分の心の中の至高主を捕らえる(to capture、心を掴む、という意味もある)ことができます。

第23段落
主チャイタンニャはそれから、プロッジータという言葉は「解放への欲求」を意味するのであると説明なさいました。ある偉大な解説者は、解放への欲求は神を認識する道における最も邪魔になる障害物である、と説明しました。

どうにかして人がクリシュナのもとに来て、主について聞き始めると、クリシュナはとても親切なので、主はその人にご自分の蓮の御足を中心として授けられます。そのような中心点を持つことによって、献身者あるいは超越主義者はすべてを忘れ、主への献身奉仕に携わります。

人が献身奉仕において、あるいは完全なクリシュナ意識において主のもとへ来れば、報酬は至高存在ご自身です。いったん至高存在のために働くと、人はもはや何ものも欲しがりません。苦しんでいる者と物質的な所有を望む者も同様です。

献身奉仕の方法、献身奉仕そのもの、純粋な献身者との関わり、そして主のいわれなき慈悲は、どれも非常にすばらしく働くので、たとえ苦しんでいても、物質的な所有を望んでいても、探求的であっても、あるいは実際に知識を培っている賢い者であっても、人はすべての活動を放棄してクリシュナに浸ることができるようになります。

第24段落
要するに、クリシュナがアートマーラーマの節のすべての言葉の背後の意味なのです。ここに至るまで、主チャイタンニャはアートマーラーマの節の導入部についてだけ語られました。次に主は、その本当の位置づけを説明なさいます。

第25段落
知識を培うことの中には、2種類の超越主義者たちがいます。それらの一方は非人格のブラーマンを崇拝し、そして他方は解放を望みます。一元論者はブラーマンの非人格な性質を崇拝するので、したがって彼らはブラーマンの崇拝者と呼ばれます。

これらのブラーマンの崇拝者たちは、さらに3つの部類に分けられます。初心者、ブラーマン認識に浸っている者、そして実際に自分をブラーマンとして認識した者です。もしも献身奉仕が加えられるなら、そうすればブラーマンを知る者は解放されます。そうでなければ、解放の可能性はありません。

クリシュナ意識において完全に献身奉仕にいそしんでいる者は誰であれ、既にブラーマンを認識している(realized in Brahman)として理解されます。献身奉仕は非常に強いので、人はブラーマン崇拝の水準からでさえクリシュナに魅了されます。

主は献身者に霊的な体の完成を褒美として授けられ、そして彼は永遠にクリシュナへの超越的な奉仕にいそしみます。心から献身奉仕にいそしむのは、献身者がクリシュナの超越的な性質を理解して、それによって魅了されるようになるときです。

例えば、4人のクマーラたちとシュカデヴァ・ゴスヴァーミーは最初から解放されていましたが、それでも彼らは後に(in their later life、晩年に、人生の後のほうで)クリシュナの娯楽に魅了され、献身者になりました。

サナカ・クマーラはクリシュナに捧げられた花の香りによって魅了され、他のクマーラたちは主の超越的な性質によって魅了され、そうして主への献身奉仕に携わりました。シュリマッド・バーガヴァタムの11巻において言及されている9人の神秘主義者たちは、ブラーマー、主シヴァおよびナーラダからクリシュナの超越的な性質について聞いたことの徳の力によって、生まれたときから超越主義者であったと理解されます。

第26段落
時として、人は単に主の超越的な体の美しい姿を見ることだけによって、クリシュナと主の超越的な性質に魅了されるようになります。その場合には、人は解放への欲求を放棄し、主への献身奉仕にいそしみます。献身者はいわゆる「知識」を培うことに無駄に費やした時間を後悔し、主の純粋な献身者になります。

第27段落
物質的な体を持った、2種類の解放された魂があります。献身奉仕によって解放された魂と、知識を培うことによって解放された魂です。クリシュナの超越的な性質によって魅了された、献身奉仕において解放された魂は、ますます上げられます。

他方、無味乾燥な推量にいそしみ、献身の念無くして単に知識を培う者は、その多くの無礼(offenses)によって堕落します。これはシュリマッド・バーガヴァタム(10.2.32)において確認されています。そこには次のように述べられています。

(サンスクリット引用)

「おお、主よ。自らを解放されていると考えるけれど献身の念の無い者の知性は純粋ではありません。厳しい苦行と禁欲の力によって彼らは解放の最高の地点にまで上がるとはいえ、彼らは必ずまたこの物質的な存在に堕落します。彼らはあなたの蓮の御足の庇護を受けないからです。」これはバガヴァッド・ギーターにおいても確認されています。

(サンスクリット引用)

「超越的に位置している者は、直ちに至高のブラーマンを認識します。彼は決して嘆かず、何かを持ちたいと望むこともありません。彼はすべての生命体に対して平等です。その状態において、彼は私への純粋な献身奉仕に至ります。」(BG18.54)

第28段落
このように、実際にブラーマン認識に位置している者は、嘆いたり欲したりする理由を持ちません。彼はすべての者に対して平等であり、そのため献身奉仕の資格があります。これはビルヴァマンガラ・タークラによっても受け入れられています。彼は晩年、次のように嘆きました。(訳注:念のため、これは反語的な表現であり、本当に嘆いたわけではない。)

「私は至高存在と一つになるために一元論者として位置していました。しかし、どういうわけか私はいたずらな少年を知り、彼の永遠の従者となりました。」言い換えると、献身奉仕を遂行することによって自己認識に至る者は超越的な体を得て、そしてクリシュナの超越的な性質に魅了され、純粋な献身奉仕に完全にいそしみます。

第29段落
クリシュナに魅了されていない者は誰であれ、まだ幻想エネルギー(マーヤー)の魔力の下にあると理解されます。しかし、献身奉仕の方法によって解放されようと試みている者は、実際はマーヤーの魔力から解放されています。シュリマッド・バーガヴァタムの11巻には、単に献身奉仕にいそしむことによって、この人生において解放された献身者の多くの例が記録されています。
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by ammolitering4 | 2011-02-27 05:11 | 「主チャイタンニャの教え」 | Comments(0)

第15章 前半 (第3段落に修正あり)

第15章 シュリマッド・バーガヴァタムの中のアートマーラーマの節の解説

第1段落
主チャイタンニャは次に、アートマーラーマとして知られる非常に有名な節を解説なさいました。それはシュリマッド・バーガヴァタムに次のように現れています。

(サンスクリット引用)

第2段落
この節は、解放された魂であり完全に自己満足している者は、やがて主の献身者になる、ということを示しています。この教え(injunction、通常は禁止命令を指す)は、特に非人格主義者のためのものです。非人格主義者たちは至高の人格神について何の情報も持たないからです。

彼らは非人格的なブラーマンで満足し続けようとしますが、クリシュナはとても魅力的でとても強いので、主は彼らの心を惹きつけます。これがこの節の解説です。

第3段落
この節は以前にサールヴァボーマ・バーッターチャーリャとして知られる偉大なヴェーダ学者(vedantist)に説明されていました。主チャイタンニャから教えを授かった後、サナータナ・ゴスヴァーミーはこの出来事に触れ、主に再びアートマーラーマの節を説明してくださるように祈りました。

チャイタンニャ・チャリタームリタの著者であるカヴィラージャ・ゴスヴァーミーも、アートマーラーマの節の主による解説を喜び、自分の祈りの中で主チャイタンニャを讃えています。主チャイタンニャの足元にひれ伏して、サナータナ・ゴスヴァーミーは主に、主がかつてそれをサールヴァボーマ・バーッターチャーリャに説明したように、その節を説明してくださるように頼みました。

サナータナは、同じ説明を聞くことへの自分の熱意を、悟りを開けるかもしれないからだと説明しました。(訳注:in order that = so that) (He explained~ so that he might be enlightened. このままだと厳密には「悟りを開けるように、自分の熱意を説明した」となります。よく意味が分からないので、このようにしています。)
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修正:「サナータナは、教えてもらえるように、同じ説明を聞くことへの自分の熱意を説明しました。」(to enlightenは「教え導く」という意味なので、ややこしく考えなくてもよかったのです。なぜ気がつかなかったのでしょう。)

サナータナによってこのように頼まれて、主はお答えになりました。「なぜサールヴァボーマ・バーッターチャーリャが私の説明をそれほど喜んだのか、私には分かりません。私について言えば、私は自分が彼に何を言ったかさえ覚えていません。

しかし、あなたが私にこれを頼んでいるので、私はあなたと協力して(with the help of your association:あなたとの関わりを助けとして)、何であれ自分が覚えていることを説明しようとしてみます。」このように、聞き手と話し手は非常に親密に繋がっています。話し手は聞き手の存在によって啓蒙されます(to enlighten)。

話し手、すなわち師は、理解のある聞き手の前で超越的な事柄について非常によく話すことができます。したがって主チャイタンニャは、自分はどうやってそのサンスクリットの節を説明したらいいか分からないが、サナータナが一緒にいるので、説明しようと試みてみる、とおっしゃいました。

第4段落
それから主は続けて、アートマーラーマの節には11の項目がある、と指摘なさいました。
1、アートマーラーマー(訳注:長音)
2、チャ
3、ムナヤー
4、ニルグランターハ
5、アピ
6、ウルクラメ
7、クルヴァンティ
8、アハイトゥキム
9、バークティム
10、イッタームブータ・グナハ
11、ハリヒ

それから主は、これらの項目のそれぞれを説明し始めました。アートマーラーマという言葉に関して言えば、主は、アートマーという言葉は次のようなことを指すのに使われる、と説明なさいました。
1、至高の完全真理
2、体
3、心
4、努力
5、信念
6、知性
7、自然

アーラーマという言葉は「楽しむ者」を意味します。したがって、これらの7つの事柄に関する知識を培うことに喜びを感じる者は誰でも、アートマーラーマとして知られます。主はそれから、異なる種類のアートマーラーマ、すなわち超越主義者たちについて説明しました。

ムナヤー、あるいはムニという言葉に関して言えば、偉大な思索家である者はムニと呼ばれます。時として、ムニという言葉は、非常に荘重である人に対しても当てはめられます。偉大な賢人、偉大な禁欲者、偉大な神秘主義者、および造詣の深い学者もまたムニと呼ばれます。

第5段落
次の言葉、ニルグランターは、幻想の呪縛からの自由を指します。ニルグランターはまた、「霊的な禁止命令(教え)と何の関係もない者」も意味します。グランターは明かされた聖典を指し、ニルは「無関係」、「積み重ねる(constructing、建設する)」、および「禁止する」を指す接頭語です。

霊的な自己認識のための多くの教えがありますが、そのような霊的な禁止命令と何の関係もない者は、ニルグランターとしても知られます。愚かであり、身分の低い家庭に生まれ、不正を働く(misbehaved、行儀の悪いことをする)者、そして明かされた聖典や禁止命令に何の入場権もない多くの者がいます。(訳注:この場合の「禁止命令」も広く「教え」を指すものと思われます。「何の入場権もない」は、それらを知る機会が与えられていない、という意味であると思います。)

そしてそのため彼らはニルグランターと呼ばれます。グランターは富を集めるという目的のためにも使われるので、ニルグランターは、すべての富を失っており、富を集めようとしている貧しい者も指します。(訳注:先の「積み重ねる」という意味はこれに関わる。)

第6段落
ウルクラマという言葉は、大いに力強い人を指すのに使われます。クラマという言葉は歩を進めるという行いを指すのに使われ、ウルクラマという言葉ははるか遠くまで歩を進めることのできる者を指します。最大の一歩は主ヴァーマナデヴァによってなされました。主は全宇宙を二歩でまたがれました。

そのためウルクラマは至高主ヴァーマナデヴァを指します。主ヴァーマナデヴァのこの非凡な特性は、シュリマッド・バーガヴァタム(2.7.40)において次のように説明されています。

(サンスクリット引用)

「誰も主ヴィシュヌの計り知れない力を推測することはできません。たとえ誰かがこの物質世界の中の原子の組み合わせの数を数えることができたとしても、その人はそれでも至高主の様々なエネルギーを数えることはできません。

ヴァーマナデヴァとして、主は非常に強力でいらしたので、単に歩を進めることによって主はブラーマロカから下はパーターラロカまで宇宙全体をまたがれました。」

第7段落
主の計り知れないエネルギーは創造全体を通して広がっています。主は偏在であり、ご自分のエネルギーによって主はすべての惑星系を維持なさいます。それでもご自分の喜びの力を通して主はゴロカとして知られるご自分の個人的なお住まいに留まり続けられます。

ご自分の富を拡張することによって、主はすべてのヴァイクンターの惑星にナーラーヤナとして存在なさいます。ご自分の物質的なエネルギーを拡張することによって、主は中に無数の惑星を含む無数の宇宙を創造なさいます。

このため、誰も至高主のすばらしい活動を推測することはできません。そしてそのため、至高主はウルクラマ、すなわちすばらしい俳優して知られます。ヴィシュヴァプラカーシャ辞書の中で、クラマという言葉は「エネルギーの熟達した顕示」、さらに「非常にすばやく歩を進める」として定義されています。

第8段落
クルヴァンティという言葉は、「他者のために働く」ということを意味するために使われます。人の活動が自分の個人的な感覚の満足のためになされるときに使われる、これと似た別の言葉があります。しかし、クルヴァンティという言葉は、活動が至高存在の満足のためになされるときに使われます。このため、この節においてはこの言葉は主へ超越的な奉仕をすることだけを示すことができます。

第9段落
ヘトゥという言葉は、理由あるいは原因を示すのに使われます。一般的に人々は3つの理由のために超越的な活動にいそしみます。ある者は物質的な幸せを望み、ある者は神秘的な完成を望み、またある者は物質的な呪縛からの解放を望みます。

物質的な楽しみに関して言えば、非常に多くの種類があるので、誰もそれらを列挙することができません。神秘的な力の完成に関して言えば、18個あります。そして物質的な呪縛からの解放の種類に関して言えば、5つあります。

これらすべての種類の楽しみ(訳注:上記の3種類をすべて含む)がその欠如によって際立っている状態は、アハイトゥキーと呼ばれます。(訳注:何かが無いことによってそれ自体が際立っている状態、というのは、例えば「月のない夜に、月がないことによって月が際立っている」というようなものだと思います。)

アハイトゥキーの資質が特記されているのは、主へのアハイトゥキーの奉仕によって人は恩寵を得ることができるからです。

第10段落
バークティという言葉は、10の異なる方法で使われ得ます。これらの10個の中に、サーダーナ・バークティ、すなわち職業的な(occupational)献身奉仕があります。(訳注:義務としての、という意味?)他の9つはプレマ・バークティ、すなわち至高神への愛と呼ばれます。

中立的な立場に位置している者は、至高神への愛に至るまでの完成を得ます。同様に、主人と従者の関係に位置している者は、愛着の段階に至るまで至高神への愛を得ます。友情において関わっている者は、友愛の地点まで神への愛を得ます。

主の親として主を愛している者は、超越的な感情の地点まで上げられます。しかし、至高存在と恋愛関係において関わっている者だけが最高の恍惚感を経験することができます。このように、バークティという言葉には様々な意味があります。

第11段落
主は次に、イッタームブータグナの様々な意味を説明なさいました。イッターム・ブータは、その前ではブラーマーナンダとして知られる超越的な喜びが麦わらのようになる、完全に超越的な喜びを指します。ハリ・バークティ・スドーダヤ(14.36)において、ある献身者が言います。

(サンスクリット引用)

「我が主よ。おお、至高存在よ。単にあなたを理解することによって、あるいはあなたを知ることによって私たちが得る喜びはとても大きいので、ブラーマーナンダの喜びは取るに足らないものになります。」言い換えると、クリシュナをありのままにーーーすべての者を魅了する、すべての喜びの宝庫、そしてすべての超越的な資質を備えたすべての喜びを与える味わいの宝庫としてーーー理解することによって得られる喜びは、人を魅了して主の献身者にします。

そのような魅力の美徳によって、人は結果を求める活動と解放のためのすべての努力を放棄することができ、ヨガの神秘的な力において成功を得たいという強い望みさえ放棄することができます。クリシュナの魅力は非常に強力なので、人は自己認識の(ための)他のすべての方法への敬意を失うことができ、単に至高の人格神に服従します。

第12段落
主はまた、そのすべての異なる意味においてグナという言葉を説明なさいました。グナは、クリシュナの無限の超越的な性質を、おもに主のサク・スィッド・アーナンダの形を指します。主の超越的な喜びに満ちた知識と永遠性において、主は完全に完璧であり、そして主の完璧さは、主がご自分の献身者(の払う)注意(attention、好意、思いやり、世話など)によって統御されるときに増します。

神はとても親切で慈悲深いので、献身者の献身奉仕と引き換えに、主はご自分自身をお与えになることができます。主の超越的な性質はそれほどであるので、主の美しさの完成、主ご自身と主の献身者の間の愛への主の完全な報い(reciprocation、お返し、やり取り)、そして主の超越的な性質の味わいは、様々に異なる種類の超越主義者たちと解放された魂を魅了します。

例えば、主は単に主に捧げられた花から発する香りによって、サナカ・クマーラの心を魅了しました。シュカデヴァ・ゴスヴァーミーの心は、主クリシュナの超越的な娯楽によって魅了されました。ルクミニーの注意は、主の身体的な特徴と超越的な性質によって惹きつけられました。

そして、幸運の女神の心は主の笛の演奏と他の超越的な特徴によって魅了されました。主クリシュナは、ご自分の子供らしい活動によって、すべての若い娘たちと年配の女性たちの心を魅了します。主はまた、ご自分の友好的な活動によって、ご自分の友人たちの心を魅了します。

ヴリンダーヴァンにお現れになったとき、主は鳥、獣、木や草(plants)さえ魅了しました。実に、すべての者がクリシュナに愛と情愛をもって(in love and affection)魅了されるようになりました。

第13段落
ハリという言葉には異なる意味があり、その中で二つが主要なものです。ハリは、主が献身者の人生からすべての縁起の悪いものを取り除くということと、主が超越的な至高神への愛を(ほうびとして)授けることをもって献身者の心を魅了する、ということを意味します。

クリシュナは非常に魅力的なので、何らかのあり方で主を思い出していることのできる者は誰であれ、4つの種類の物質的な悲惨さから自由になります。主はご自分の献身者に特別な注意を払われ、献身奉仕の発達における障害物である献身者の様々な罪深い活動を消し去られます。

これは、無明の影響を完敗させること、と呼ばれます。単に主について聞くことによって、人は主への愛を育みます。それが主の贈り物です。一方では主は縁起の悪いものを取り払われ、そして他方では最も縁起の良いものを(ほうびとして)授けられます。それがハリの意味です。

至高神への愛において発達するとき、人の体、心、そして他のすべてのものは主の超越的な性質によって魅了されます。クリシュナの慈悲深い活動と超越的な性質の力はそれほどのものであるのです。主は非常に魅力的なので、超越的な愛着から献身者は霊的な生活の4つの原則ーーー宗教性、経済的な発展、感覚の満足の規制、および解放ーーーのすべてを放棄します。

第14段落
アピおよびチャという言葉は副詞であり、ほぼどのような目的にも使われ得ます。チャ、すなわち「および(and)」という言葉は構成(construction、この場合は「構文、文章」?)全体に7つの異なる読解を与え得ます。

第15段落
主はこうしてアートマーラーマの節における11の言葉の意味を確立なさり、そしてそれから主はそれぞれの項目の意味を次のように説明し始めました。ブラーマンという言葉は、すべての側面において最も偉大であるものを指します。主はすべての豊かさにおいて最も偉大です。

誰も富、力、名声、美しさ、知識および放棄において主に優ることはできません。このため、ブラーマンという言葉は至高の人格神クリシュナを指します。ヴィシュヌ・プラーナ(1.12.57)において、ブラーマンという言葉はすべてのものの中でも最も偉大なものを指すために与えられています。(訳注:使われています)

至高主は最も偉大であり、主が最も偉大なものとして拡張することには限りがありません。人はブラーマンの偉大さを知覚するかもしれませんが、それでもこの偉大さはそれほどに拡張する(to grow)ので、誰も主が実際どれほど偉大かを推測することはできません。

第16段落
至高の人格神は3つの側面において認識されますが、それらはすべて全く同じものです。完全真理、至高の人格神クリシュナは永遠です。シュリマッド・バーガヴァタム(2.9.33)において、主はこの宇宙世界の顕現の前に存在し、主はそれが持続している間存在し、そして主はそれが滅亡した後も存在し続ける、と述べられています。

したがって主はすべての偉大なものの魂です。主は偏在であり、すべてを見ておられ、そして主はすべてのものの至高の形です。

第17段落
ヴェーダ文献には、人が完全真理のその至高の完成を、理解して手に入れることが出来るようになるための、3つの異なる種類の超越的な方法が述べられています。それらは、知識の方法、神秘的なヨガの方法、そして献身奉仕の方法と呼ばれます。これらの3つの方法に従うものは、3つの異なる側面において完全真理を認識します。知識の方法に従う者は主を非人格のブラーマンとして認識します。

ヨガの方法に従う者は主を局所的な超魂として認識します。そして献身奉仕の方法に従う者は主を至高の人格神シュリー・クリシュナとして認識します。言い換えると、ブラーマンという言葉は他の何でもなくクリシュナ(だけ)を指しますが、それでも従われる方法に応じてシュは3つの異なる側面において認識されます。
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by ammolitering4 | 2011-02-13 13:36 | 「主チャイタンニャの教え」 | Comments(0)

第14章 第12段落から最後まで

第12段落
このように、クリシュナとラーダーラーニーはどちらも超越的に資質を備えており、彼らはどちらも互いを魅了します。それでもその超越的な魅力においてラーダーラーニーはクリシュナより偉大です。ラーダーラーニーの魅力は恋愛における超越的な味わいであるからです。

同様に、従者であること、友情、および他のクリシュナとの関係において(も)、超越的な味わいがあります。これらはバークティ・ラサームリタ・スィンドゥーの内容を参照することで描写され得ます。(訳注:これは多分、「詳細はバークティ・ラサームリタ・スィンドゥーに詳しく描写されている」ということだと思います。)

第13段落
献身奉仕によって完全に浄化され、高度な意識に位置しているのでいつも喜びに溢れている者、シュリマッド・バーガヴァタムの学習に非常に執着している者、献身者との関わりにおいていつもほがらかである者、クリシュナの蓮の御足を自分の人生の究極の避難所として受け入れた者、そして献身奉仕のすべての詳細を喜んで実行する者は、自分の純粋な心の中に愛着の超越的な恍惚感を持っています。

その恍惚的な存在のあり方がクリシュナへの愛と超越的な経験によってより豊かにされるとき、人は徐々に霊的な人生の成熟した調和(oneness)に至ります。そのような霊的な人生は、クリシュナ意識と献身奉仕に位置していない者には可能ではありません。

この事実は、さらにバークティ・ラサームリタ・スィンドゥーにおいて裏づけされています。そこでは次のように述べられています。「非献身者にとっては、献身奉仕の味わいを理解するのは非常に困難です。完全にクリシュナの蓮の御足の庇護のもとに入り、その人生が献身奉仕の海に浸った者だけがこの超越的な喜びを理解することができます。」

第14段落
主チャイタンニャはこうして人生の超越的な状況と霊的な楽しみを簡潔に説明しました。そして主は、完成の最初の段階は、物質世界で知られているように、普通の意味(sense)において宗教的な人になることである、と教えました。完成の第2の段階は、物質的に豊かになることです。物質的な完成の第3の段階は、完全な感覚の喜びを得ることです。

そして第4の段階には解放の知識があります。この水準の上には、第5段階にあって既に解放されている者、およびクリシュナ意識、すなわち主への献身奉仕において確立している者がいます。クリシュナ意識における献身奉仕の最高の完成においては、人は霊的な楽しみの恍惚感の味を経験します。

第15段落
主はそれからサナータナ・ゴスヴァーミーに、自分は以前プラヤーグ(アッラハバッド)において、彼の弟ルーパ・ゴスヴァーミーに教えたのである、とおっしゃいました。主はサナータナ・ゴスヴァーミーに、自分が与えた知識を広めるようにルーパ・ゴスヴァーミーに力を授けた、と断言なさいました。

主(訳注:チャイタンニャ)はそれから同様にサナータナ・ゴスヴァーミーに、主(訳注:クリシュナ)への超越的な愛情ある奉仕について本を書くように命令なさり、そして主は彼にマトゥーラー地域にあるクリシュナが娯楽をなさった様々な場所を発掘する権限を与えられました。

サナータナ・ゴスヴァーミーはまた、ヴリンダーヴァンに寺院を建て、主チャイタンニャご自身によって認められたようにヴァイシュナヴァ主義の原則に関する本を書くように助言されました。サナータナ・ゴスヴァーミーは、主のこれらすべての望みを実行しました。

彼はヴリンダーヴァンにマダナモハナの寺院を建て、そして彼はハリ・バークティ・ヴィラーサなの、献身奉仕の原則に関する本を書きました。主チャイタンニャはさらにサナータナ・ゴスヴァーミーに、いかにして人がクリシュナとの完全な関係にありながら物質世界に住むことができるかを教えられました。

そして主はまた彼に、形式的な放棄の必要性はないとも教えられました。これらの教えの解説は、現在の時代には霊的に発達していないけれど放棄階級となる人がたくさんいる、ということです。主チャイタンニャは、人がクリシュナ意識の完全な知識を持たずに放棄階級となることを認められませんでした。

実際は、その行いが普通の者より低いのに、放棄階級にある者と自称する多くのいわゆるサンニャースィーたちがいることが見受けられます。主チャイタンニャ・マハープラブは、そのような偽善を認められませんでした。主はサナータナ・ゴスヴァーミーに、自分の様々な本で献身奉仕という主題について詳細に書くように教えられました。

第16段落
物質世界にいる間でさえ経験することのできる霊的な人生の完成された水準は、バガヴァッド・ギーターの12章において次のように描写されています。「妬み深くなく、すべての生命体の親切な友である者、自分が所有者であると考えない者、偽りの自我から自由であり、幸せと苦しみ(distress)の両方において等しい者、いつも満足していて、決意を持って献身奉仕に携わっている者、そしてその心と知性が私と共通している者(in agreement with)、、、その人は私にとって非常に愛しい者です。

一般の様々な活動(ordinary course of activities)に依存していない者、純粋であり、熟達者であり、不安がなく(without care)、すべての痛みから自由である者、そして何らかの結果のために大変な努力をすることのない者は、私にとって非常に愛しい者です。

喜びにも悲しみにもしがみつかない者、嘆きもせず、望みもしない者、そして縁起の良いものも不吉なものの放棄する者は、私にとって非常に愛しい者です。

友にも敵にも等しい者、名誉においても不名誉(dishonor)も寒さにも、幸せにも苦しみにも、名声にも悪評(infamy)にも心の均衡を保つ者、いつも汚染から自由であり、いつも静寂であり、どんなものにも満足している者、どんな住まいでも気にしない者、知識において固定していて(訳注:しっかりした知識を持ち)、献身奉仕に携わっている者は、私にとって非常に愛しい者です。

この献身奉仕の不滅の道を辿る者、そして私を至高の目的地として信念を持って完全に働く者は、私にとってとてもとても愛しい者です。(BG.12.13-20)

第17段落
たとえそのような超越的な立場に位置していなくても、もしもそのような超越的な人生を認めるなら、その人はクリシュナにとってとても愛しくなります。シュリマッド・バーガヴァタム(2.2.5)には、献身者は常に至高主の慈悲に依存し続けるべきであり、物質的な必要性に関しては彼は何であれ努力せずに得られるもので満足しているべきである、と述べられています。

このことに関して、シュカデヴァ・ゴスヴァーミーは、献身者は決していかなる助けを求めてでも物質主義的な者に近づくべきではない、と助言なさいました。人の身体的な必要性に関して言えば、人は道から破れた衣類を拾い上げることができ、木によって差し出される果物を取ることができ、川を流れる水を飲むことができ、そして自然自身によって作られた洞穴にすむことができます。

たとえこれらすべてのことをすることができなくても、それでも人は、至高主がすべての者に食べ物と住みかを与えてくださることを理解して、完全に主に依存すべきです。人は、主は決してご自分に完全に服従した献身者の面倒を見切れないということはない、ということを理解すべきです。ともあれ、献身者はいつも守られています。したがって、彼は自分の維持について全く心配すべきではありません。


第18段落
サナータナ・ゴスヴァーミーはこのように献身奉仕のすべての段階について問い、そして主チャイタンニャは彼にシュリマッド・バーガヴァタムのような権威ある聖典から最も内密に教えました。主はまた、クリシュナの超越的なお住まいについての情報を与える、ハリヴァムシャとして知られるヴェーダ文献も参照なさいました。

この情報は、クリシュナの力に挑戦して負けた後で(インドラがクリシュナに)祈りを捧げたとき、インドラによって明かされました。ハリヴァムシャには、鳥や飛行機は飛ぶことができるが、彼らは高位の惑星系に至ることはできない、と述べられています。

高位の惑星系は、宇宙の中心部(訳注:middle, 物理的な中央という意味ではなく、上中下の中を指すのだと思います)に位置する太陽から始まります。太陽の先には、大いなる禁欲と苦行によって上げられた人々が位置する他の惑星系があります。

物質宇宙全体はデヴィーダーマと呼ばれ、その上には主シヴァとその妻パールヴァティーが永遠に住まわれるシヴァダーマがあります。その惑星系の上には、ヴァイクンターとして知られる無数の霊的な惑星が位置する霊的な天空があります。

これらのヴァイクンターの惑星の上には、ゴロカ・ヴリンダーヴァンとして知られるクリシュナの惑星があります。ゴロカという言葉は、「牛(cows)の惑星」を意味します。クリシュナは大変牛がお好きなので、主のお住まいはゴロカとして知られています。

ゴロカ・ヴリンダーヴァンは、すべての物質的および霊的な惑星を合わせたよりも大きいです。ハリヴァムシャの中にある祈りにおいて、インドラは、ブラーマーに尋ねることによってさえゴロカの位置づけを理解することができなかった、と認めています。

クリシュナのナーラーヤナ拡張体の献身者である者たちはヴァイクンターに至りますが、ゴロカ・ヴリンダーヴァンに至ることは非常に困難です。実に、その惑星は主チャイタンニャあるいは主シュリー・クリシュナの献身者である者によってのみ到達し得ます。

主クリシュナに次のように認めたのはインドラでした。「あなたは霊的な世界にあるあのゴロカの惑星から下りていらっしゃいました。そして私が引き起こした騒動は、すべて私の愚かさのせいです。」そのためインドラは主クリシュナに自分を許してくれるように乞い願いました。

第19段落
主クリシュナの娯楽の最後の部分は、シュリマッド・バーガヴァタムの中でモーシャラ・リーラーとして描写されています。これはクリシュナのこの物質世界からの消滅の神秘を含んでいます。その娯楽において、主は狩人によって殺される役を演じられました。

主クリシュナの娯楽の最後の部分について、多くの不適切な説明が存在します。(クリシュナの髪の化身の描写などです。)しかし主チャイタンニャは、これらの娯楽を正しく描写なさり、それらに正しい解釈を与えられました。

クリシュナの髪の化身について言えば、シュリマッド・バーガヴァタム、ヴィシュヌ・プラーナ、およびマハーバーラタにおいて言及されています。そこには、主はご自分の頭から灰色の毛(訳注:a gray hair普通は白髪を指す)と黒い毛を抜き、そしてこれらの二本の毛がロヒニーおよびデヴァキーというヤドゥ王朝の二人の妃たちの子宮に入った、と述べられています。

また、主クリシュナはすべての悪魔たちを打ち破るために物質世界に降臨なさるとも述べられていますが、一部の者は、クリシュナはこの宇宙の中の牛乳の海に横たわるヴィシュヌの化身であると言います。

シュリーラ・ルーパ・ゴスヴァーミーは自著ラグー・バーガヴァタームリタにおいて、そして彼の解説者シュリー・バラデヴァ・ヴィデャーブーシャナも、これらの事柄を完全に議論し、正確な事実を確立しました。(訳注:二人とも議論して事実を確立したが、前者はそれを自著の中で行った、ということ。)シュリー・ジーヴァ・ゴスヴァーミーもまた、これらの事柄をクリシュナ・サンダルバーにおいて議論しています。

第20段落
主チャイタンニャがシュリー・サナータナにご自分の教えを終えられたとき、力づけられて悟りを開いた(empowered; 能力を向上させられた、権限を与えられた)(enlightened; 啓蒙された)サナータナは、非常に超越的に喜んでいたので、直ちに主チャイタンニャの足元にひれ伏して言いました。

「私は非常に身分の低い家庭に生まれました。そして私はいつも卑しい人々と関わってきました。したがって、私は罪人の中で最も低いものです。それでもあなたはとても親切でいらっしゃるので、この宇宙で最も偉大な存在である主ブラーマによってさえ理解されない教えを私に教えてくださいました。

あなたの恵みによって私はあなたが私に教えてくださった結論の真価を理解しました。しかし私はとても低いので、あなたの教えの海の一滴にさえ触れることができません。ですから、もしもあなたがつまらない人間でしかない私に踊ることを望まれるなら、どうかあなたの足を私の頭の上に置くことによって、私にあなたの恵みをください。」

第21段落
このようにサナータナ・ゴスヴァーミーは、主の恵みによって主の教えが実際に自分の心の中で発達するように、主の認証を求めて祈りました。そうでなければ自分が主の教えを描写できる可能性は全くないということをサナータナは知っていました。

このことの解説は、アーチャーリャ(霊的指導者)はより高い権威者によって権威を与えられているということです。教えそれ自体だけでは人を熟達者にすることはできません。霊的指導者、すなわちアーチャーリャによって恵みを与えられない限り、そのような教えは完全に顕現するようになることはできません。

したがって、人は霊的指導者の教えが自分の中で発達することができるように、霊的指導者の恵みを求めるべきです。サナータナ・ゴスヴァーミーの祈りを受け入れた後で、主チャイタンニャはご自分の足をサナータナの頭の上に置き、ご自分の教えのすべてが完全に発達するように彼に恵みを授けられました。

第22段落
こうして主は至高神への愛の究極の段階を描写なさいました。主チャイタンニャは、そのような描写はあまり綿密には与えられ得ないが、自分は彼に可能な限りのことを教えたのである、とおっしゃいました。結論は、主チャイタンニャのサナータナ・ゴスヴァーミーへのこれらの会話と教えを注意深く聞く者は誰であれ、非常に早くクリシュナ意識に至り、主への献身奉仕にいそしむということです。
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by ammolitering4 | 2011-02-05 17:14 | 「主チャイタンニャの教え」 | Comments(0)

第14章 第8段落から第11段落まで

第8段落
至高の愛する者はクリシュナであり、主はヴリンダーヴァンに位置しておられます。そして至高の愛される者はラーダーラーニーです。クリシュナは64個の重要な資質をお持ちであり、主の献身者はそれを聞くことに喜びを感じます。

バークティ・ラサームリタ・スィンドゥーに説明されているように、(その)特徴は以下のようなものです。
1、His body is well constructed.
 主の体はよく作られている。(体格が良い?)
2、His body has all auspicious symptoms.
 主の体にはすべての縁起のよい印がある。
3、His body is beautiful.
 主の体は美しい。
4、His body is very glorious.
 主の体は非常に輝かしい。
5、His body is very strong.
 主の体は非常に強い。
6、He always looks like a boy of sixteen.
 主はいつも16歳の少年のように見える。
7、He is well versed in various languages.
 主は様々な言語に精通しておられる。
8、He is truthful.
 主は正直である。
9、He is decorated with pleasing words.
 主は快い言葉で飾られている。(?)
10、He is expert in speaking.
 主は話すことにおいて熟達者である。
11、He is very learned.
 主は非常に学識がある。(造詣が深い)
12、He is very intelligent.
 主は非常に知性的である。
13、He is influential.
 主は影響力が強い。
14、He is joyful.
 主は喜びに溢れている。
15、He is cunning.
 主はずる賢い。
16、He is expert.
 主は熟達者である。(?)
17、He is grateful.
 主は感謝の念が強い。(心地よい、さわやかな、という意味もある。)
18、He is firmly convinced.
 主はしっかりと納得している。(疑いの念がない)
19、He knows how to deal with different circumstances.
 主は様々な状況にどう対処するかを知っておられる。
20、He is always conversant with scriptural injunctions.
 主はいつも聖典の定め(禁止命令、勧告)に精通しておられる。
21、He is clean.
 主は清浄である。
22、He is controlled by His devotees.
 主はご自分の献身者によって統御されている。
23、He is steady.
 主は一貫しておられる。
24、He is self-controlled.
 主は自己統制なさっている。
25、He is forgiving.
 主は寛容である。
26、He is grave.
 主は荘重である。
27、He is speculative.
 主は思索的である。
28、He is fair in His dealings.
 主はご自分の行いにおいて公正である。
29、He is magnanimous.
 主は寛大である。
30、He is religious.
 主は宗教的である。
31、He is a great hero.
 主は偉大な英雄である。
32、He is merciful.
 主は情け深い。
33、He is respectful.
 主は丁寧である。(尊敬の念がある、うやうやしい、など)
34、He is competent.
 主は有能である。
35、He is gentle.
 主は優しい。(温和、おとなしい、思いやりのある、など)
36、He is modest.
 主は控えめである。(遠慮がちな、質素な、上品な、つつましい、など)
37、He is the protector of the souls surrendered unto Him.
 主はご自分に服従した魂を守る方である。
38、He is the deliverer.
 主は救い主である。
39、He is the friend of the devotees.
 主は献身者の友である。
40、He is submissive to love.
 主は愛に対して受動的である。(愛をもってなされる働きかけに対して従順である)
41、He is all-auspicious.
 主は非常に縁起が良い。
42、He is most powerful.
 主は非常に力強い。(この場合の mostは比較級ではない)
43、He is famous.
 主は有名である。
44、He is devoted to all living entities.
 主はすべての生命体に対して献身的である。
45、He is worshipable by everyone.
 主はすべての人にとって崇拝しうる対象である。
46、He is very attractive to all women.
 主はすべての女性によって非常に魅力的である。
47、He is partial to His devotees.
 主はご自分の献身者に肩入れなさる。
48、He is full of all opulence.
 主は富に満ち溢れている。
49、He is the supreme controller.
 主は至高の統御者である。
50、He possesses all honor.
 主はすべての名誉をお持ちである。

第9段落
これらの50個の性質、あるいは特徴は、すべての生命体の中に断片的に存在しています。彼らが完全に霊的に自由になって自分の本来の状態に位置するとき、これらすべての性質は人間の人生において、ごく少量が知覚され得ます。しかし、クリシュナにおいてはそれらは完全に存在します。

(訳注:これはたぶん、これらの性質はクリシュナの場合は完全であるけれど、人間として生きている生命体の場合は、完全に霊的になったときでも現れ方はごく控えめである、ということなのだろうと思います。)

ヴィシュヌ、すなわち至高主において、そして主シヴァにおいても部分的に見られるほかの5つの超越的な性質があります。(以下に言及。)しかし、それらは普通の生命体においては見られません。これらの特徴は以下のようなものです。

1、主はいつもご自分の本来の状態に位置しておられる。
2、主は全知である。
3、主は常緑、すなわち常に若々しい。
4、主は永遠に喜びに満ちておいでである。
5、主は(すべてに)精通しておられ、すべての完成の主である。(?)

これらの5つの超越的な特徴の他に、霊的な天空、特にナーラーヤナが支配的な神であるヴァイクンターの惑星(複数)において見られる5つ(の特徴)があります。

1、主は計り知れない性質を持っておられる。
2、主は無数の宇宙を維持することができる。
3、主はすべての化身の種である。(incarnation、この場合はすべての生命体の肉体?)
4、主はご自分が殺す敵に最高の完成を授けられる。
5、主は自己を認識した者たちのうちで最も魅力的である。(?)

第10段落
合計60個となる上記の性質や特徴は、ナーラーヤナの水準に至るまで見られます。しかしクリシュナは次のような4つの特別な性質をお持ちです。

1、主はすばらしい娯楽を顕現することができる。
2、主は超越的な笛の演奏において熟達している。
3、主は愛情ある献身者に囲まれている。
4、主は比類するもののない個人的な美しさを持っている。

第11段落
このようにクリシュナは64個の超越的な性質をお持ちです。シュリーマティー・ラーダーラーニーは25個の超越的な性質をお持ちですが、彼女はそれらによってクリシュナさえも統御できます。(訳注:「彼女」の原語はSheで、最初が大文字。私の知っている限りでは日本語には女性形の「主」に当たる言葉がないので、単に「彼女」としています。)

彼女の超越的な性質は以下のようなものです。
1、She is sweetness personified.
 彼女は人格化した愛らしさである。
2、She is a fresh young girl.
 彼女は若々しい少女である。
3、 Her eyes are always moving.
 彼女の目はいつも動いている。
4、 She is always brightly smiling.
 彼女はいつも明るく微笑んでいる。
5、 She possesses all auspicious marks on Her body.
 彼女はご自分の体にすべての縁起の良い印をお持ちである。
6、 She can agitate Krishna by the flavour of Her person.
 彼女は自分の体の匂いでクリシュナを興奮させることができる。
7、 She is expert in the art of singing.
 彼女は歌うことの芸において熟達者である。(歌の名手である。)
8、 She can speak very nicely and sweetly.
 彼女はとても良く、愛らしく話すことができる。
9、 She is expert in presenting feminine attractions.
 彼女は女性的な魅力を表すことにおいて熟達者である。(女性的な魅力に溢れている)
10、 She is modest and gentle.
 彼女は上品で優しい。(しとやかな、控えめな、慎み深い) (おとなしい、親切な、温和な)
11、 She is always very merciful.
 彼女はいつも非常に情け深い。
12、 She is transcendentally cunning.
 彼女は超越的にずる賢い。
13、 She knows how to dress nicely.
 彼女は美しく着飾る方法を知っている。
14、 She is always shy.
 彼女はいつも内気である。(恥ずかしがりの、引っ込み思案の)
15、 She is always respectful.
 彼女はいつも丁寧である。(尊敬の念がある、うやうやしい、など)
16、 She is always patient.
 彼女はいつも辛抱強い。
17、 She is very grave.
 彼女は非常に荘重である。
18、 She is enjoyed by Krishna.
 彼女はクリシュナによって楽しまれる。
19、 She is always situated on the highest devotional platform.
 彼女はいつも最高の献身の水準に位置している。
20、 She is the abode of love of the residents of Gokula.
 彼女はゴクラの住人たちの愛の住みかである。(愛の対象である、ということだと思います)
21、 She can give shelter to all kinds of devotees.
 彼女はあらゆる献身者に庇護を与えることができる。
22、 She is always affectionate to superiors inferiors.
 彼女はいつも目上の者にも目下の者にも情愛深い。
23、 She is always obliged by the dealings of Her associates.
 彼女はいつも自分の仲間たちの行いに感謝している。( obliged、恩義を受けて感謝している)
24、 She is the greatest amongst Krishna's girl friends.
 彼女はクリシュナの女友達の中で最も偉大である。
25、 She always keeps Krishna under Her control.
 彼女はいつもクリシュナを自分の統御のもとに置いている。
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by ammolitering4 | 2011-02-05 17:11 | 「主チャイタンニャの教え」 | Comments(2)

第14章 主と主の献身者の恍惚感 (第7段落まで)

第14章 主と主の献身者の恍惚感

第1段落
純粋な献身者によって表される、高度に発達した献身奉仕の徴候(訳注:symptom、きざし、しるし、徴候、症状、など)は、時として実際に純粋な献身者ではない者たちによって模倣されます。これはバークティ・ラサームリタ・スィンドゥーにおいて描写されています。

クリシュナへの献身奉仕を持たずして、人はそのような徴候を表す何らかの動機を持っているかもしれません。(訳注:「その人たちは、クリシュナへの献身奉仕はしないのに、そのような徴候を表す何らかの動機があるのかもしれません。」)

しかし、(その)徴候は本当のものではないということが知られるべきです。時として、献身奉仕の科学に精通していない者は、恍惚的な徴候の表れの虜になります。しかし、献身奉仕の科学を知っている者は、そのような徴候をすべてである(all in all、かけがえのないもの)として受け入れることはしません。

これらの徴候は、ただ献身奉仕の始まりを示すだけです。それ(訳注:ただ献身奉仕の始まりを示すだけであるということ)は、造詣の深い献身者たちによって受け入れられています。

第2段落
献身者の様々な区分と程度に応じて、恒久的な献身の状態は5つの部類に分けられます。
1、平穏さ (peacefulness)
2、クリシュナへの奉仕
3、クリシュナとの友情
4、クリシュナへの親としての愛
5、クリシュナへの恋人としての愛 (conjugal love) (訳注:conjugalは度々出てくる言葉で、本来は婚姻上の関係を指します。文字通りに訳せば「配偶者としての愛」になりますが、大勢のゴピーたちとの関係を指すときにも使われるので、以下、当面は「恋愛感情」としておきます。)

それぞれの部類が独自の味わいと趣きを持っています。そして、特定の部類に位置する献身者は、その立場にあって幸せです。純粋な献身者によって表される特徴的な徴候は、一般的には笑うことと泣くことです。感情が好ましいときには、純粋な献身者は笑います。そして、感情が好ましくないとき、彼は泣きます。

第3段落
これらの二つの感情の上に位置するのは永遠の愛であり、それはスターイバーヴァと呼ばれます。言い換えると、クリシュナへの愛着は永遠です。その永遠の愛情ある感じ方(attitude)は時として、ヴィバーヴァ、アヌバーヴァ、およびヴャビーチャーリーと呼ばれる異なる種類の味わいと混ざります。

ヴィバーヴァはクリシュナへの愛着の特定の味わいであり、それはさらにアーラムバナおよびウッディーパナという二つの部類に分けられます。アグニ・プラーナおよび他の権威ある聖典において、人のクリシュナへの愛を増加させるものはヴィバーヴァである、と述べられており、そしてクリシュナが対象であるとき、ヴィバーヴァはアーラムバナとして増加します。(訳注:「増加してアーラムバナとなります」、ということなのだろうと思いますが、アーラムバナはヴィバーヴァの部類の一つなので、「アーラムバナの部分が増える」ということかもしれません。)

ウッディーパナは、クリシュナの超越的な性質、主の活動、主の微笑みをたたえた美しいお顔と主の体の香り、主の笛の音、主のホラ貝の音、主の足の裏の印、主のお住まい、そして献身奉仕に関する様々な周辺的な物事(トゥラスィーの葉、献身者、儀式的な活動、およびエカーダスィーなど)によって誘発されます。

アヌバーヴァは、人の内部の気持ちが表されるときに生じます。アヌバーヴァの心境(attitude)にあっては、いずれも状況を考慮することなく、人は踊り、時には倒れ、時には大声で歌い、引き付けを起こし、あくびをし、そして時には荒い呼吸をします。

第4段落
献身者の体に表れる外的な特徴は、ウドバースヴラと呼ばれます。ヴャビーチャーリーの徴候は33個あり、それらは主に献身者によって発声される言葉と様々な身体的な特徴に関わります。踊ること、震えること、笑うことなどの、これらの様々な身体的な特徴は、ヴャビーチャーリーの徴候と混ざっているとき、サンチャーリーと呼ばれます。

バーヴァ、アヌバーヴァ、およびヴャビーチャーリーの徴候が組み合わさるとき、それらは献身者を永遠の生命の海に飛び込ませます。その海はバークティ・ラサームリタ・スィンドゥーと呼ばれ、献身奉仕の純粋な蜜の海です。そしてその海に飲み込まれている(to merge; 合流する、結合する、吸収される)者は、いつもその海の波と音において、超越的な快楽の中でうっとりしています。(訳注:「いつもその海の波を楽しみ、その海の音を聞き、超越的な快楽に恍惚としています」)

バークティ・ラサームリタの海に飲み込まれている献身者の特定のラサ(味わい、あるいは嗜好)は、中立状態、従者である状態、友情、親であること、および恋愛感情(conjugal love)として知られます。恋愛感情は非常に重要です。そしてそれは献身者がクリシュナを魅了するために自分の体を飾ることによってきざしが表されます。(訳注:「そしてその兆しは献身者がクリシュナを魅了するために自分の体を飾るときに現れます」)

従者であることの味わいが増すと、愛情、怒り、友愛、および愛着を含むようになります。友情の味わいが増すと、愛情、怒り、友愛、愛着、そして献身を含むようになります。そして親であることにおいては、愛着が増すと愛情、怒り、友愛、愛着、そして献身を含むようになります。(訳注:「愛着」が繰り返されている。)

至高主との友情において経験される特別な味わいもあります。そしてこれらは、その献身がバーヴァに至るまで増すスバラのような友人たちによって顕現されます。様々なラサは、また、ヨガとヴィヨガ、すなわち出会いと別離という2種類の恍惚感にも分けられます。友情と親であることにおいては、出会いと別離の感情は様々です。

第5段落
ルーダーおよびアディールーダーとして知られる状況は、恋愛関係において可能です。ドヴァーラカーにおいて妃たちによって表された恋愛感情はルーダーと呼ばれ、そしてヴリンダーヴァンにおいてヴラジャの高貴な娘たちによって表された恋愛感情はアディールーダーと呼ばれます。

恋愛感情におけるアディールーダーの愛情の最高の完成には、出会い(マーダナ)と別離(モハナ)が関わっています。マーダナ、すなわち出会いの恍惚には口づけがあり、モハナ、すなわち別離の恍惚にはウドグールナーとチトラジャルパがあります。チトラジャルパに関して言えば、シュリマッド・バーガヴァタムの中にブラマラ・ギーターとして知られる部分があり、そこで様々なチトラジャルパが言及されています。

ウドグールナーは別離の徴候であり、また、超越的な狂気と呼ばれる徴候もあります。その超越的な狂気において、人は自分が至高の人格神になったと考えます。そのような恍惚において、彼はクリシュナの徴候(symptom、この場合は「特徴」?)を様々な方法で模倣します。

第6段落
その恋愛の関係において着られる二種類の衣服があり、それらはサムボーガおよびヴィプララムバーと呼ばれます。サムボーガの水準においては衣類は無限であり、ヴィプララムバーにおいてはそれらは4つあります。(訳注:なぜ「衣類」という表現をしてあるのかはよく分かりません。原語はそのままdressです。彩りや姿という意味もあるので、日本語らしくすれば「形」や「側面」となるのでしょう。)

愛する者と愛される者が会う前に表される恍惚、会った後で彼らの間で経験される恍惚、会わないことによって経験される心のあり方、そして会った後で別離を恐れて経験される心のあり方は、ヴィプララムバーと呼ばれます。

そのヴィプララムバーは、未来の出会いのために栄養を与える要素として働きます。愛する者と愛される者が突然出会って互いを抱擁するとき、彼らは幸せの恍惚感を感じます。そして彼らがその恍惚感において経験する心のあり方は、サムボーガと呼ばれます。

状況に応じて、サムボーガの恍惚は4つの名前でも知られています。
1、サンクシプタ
2、サンキールタナ
3、サムパンナ
4、サムリッディーマーン
そのような徴候は夢の中においても見られます。

第7段落
会う前に経験される精神状態は、プールヴァ・ラーガと呼ばれます。愛する者と愛される者の間の出会いを時として妨げる障害物は、プラヴァーサと呼ばれます。恋人たちが出会うときでさえ、特定の状況のもとで存在する別離の感情は、「恋の不安(love anxieties、プレマ・ヴァイチッテャ)」と呼ばれます。

そのような恋の不安は、シュリマッド・バーガヴァタム(10.90.15)において、夜の間目を覚ましていてクリシュナが眠っているのを見ていた姫たちによって表されています(訳注:「夜」は複数)。彼女たちはクリシュナから離れることを恐れていました。そして彼女たちはいつも互いに、いかに自分たちがクリシュナの美しい目と(主の)微笑みによって影響されているかと語り合いました。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
ほんの少しですが、タイプしました。見直しをして修正をしながらタイプするので、遅いのです。第8段落以降は、これでもかというほどリストが出てきます。何とかの特徴が何十個、かんとかの徴候が何十個、という感じです。さっぱりわけが分からないので、リストの部分だけは和英対訳にしようと思っています。お楽しみに、というべきか、覚悟してね、と言うべきか。。。それにしても訳注が多くて申し訳ありません。この本は難しいです。プラブパーダの特徴的な言葉遣いが単語の一般的な用法と相容れない場合も少なくありません。どうぞがんばって読んでください。原書をお持ちの場合、英文を英文のままで理解するためには役立つのではないかと思います。その上でもっと自然な日本語に直せる方がいらっしゃいましたら、どうぞご自由に編集なさってください。用語の変更や文書の配布もお好きなようになさってくださって構いません。私に許可を取る必要はありません。
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by ammolitering4 | 2011-02-04 16:18 | 「主チャイタンニャの教え」 | Comments(0)

こんにちは。

こんにちは。全然更新してないですね。ほんとにどうも申し訳ないです。忘れてるんじゃないだろうかと不安に思っていらっしゃる方もおいでと思いますが、いえ、そういうわけでもないのです。どうも仕事に追われてまして。。。最近はちゃんと本業の(つもりの)絵も描いていて、しかし生活のための仕事もいつもより忙しいです。それに加えて炊事洗濯その他の雑用も永久機関のように生じつづけるので、空いた時間というのがあんまりないのです。全然ないわけでもないのですが、お友達と会ったり、急に凝って折り紙をしたり、実に珍しく小説など読んでみたり、つまり結局他のことばっかりしているわけです。

でも、ようやく14章が終わりました。近いうちにタイプしますので、またまたお待ちください。いつの日か、クリシュナがいわれのないご慈悲によって理由もなく私の口座に大金を振り込んでくださるのであれば、そのときはもうちょっとスピードアップできるんじゃないかなあと思ってますが。。。いかんいかん、こういう馬鹿なことを妄想している暇があるならやっぱりタイプをすべきでしょうね。少数ながら忘れずにご訪問くださる皆様、いつもありがとうございます。励みになります。
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by ammolitering4 | 2011-02-03 18:15 | Comments(2)