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第6章 主の形はどれも全く同じである

第6章 主の(幾つもの)形は全く同じものである(one and the same)

第1段落
献身奉仕によって、人はクリシュナがまず最初に個人的な形であるスヴァヤム・ルーパとして、それからタデカートマ・ルーパ、それからアーヴェシャ・ルーパとしてご自分を顕現なさるということを理解することができます。

主が超越的な形をとってご自身を顕現なさるのは、これらの三つの特質においてです。スヴァヤム・ルーパの特質は、主の他の特質を理解できないかもしれない者によって理解されうる形です。言い換えると、クリシュナが直接的に理解される形はスヴァヤム・ルーパ、すなわち主の個人的な形と呼ばれます。

タデカートマ・ルーパはスヴァヤム・ルーパによく似ていますが、身体的な特徴にいくらかの違いがあります。タデカートマ・ルーパは二つの顕現に分けられます。個人的な拡張体(スヴァームシャ)、および娯楽の拡張体(ヴィサーラ)です。

アーヴェシャ・ルーパに関しては、クリシュナが適切な生命体にご自分の代理として力を与えるとき、その生命体はアーヴェシャ・ルーパ、あるいはシャクテャーヴェシャ・アヴァターラと呼ばれます。

第2段落
クリシュナの個人的な形は二つに分けられます。スヴァヤム・ルーパとスヴァヤム・プラカーシャです。主のスヴァヤム・ルーパ(すなわち娯楽の形)に関して言えば、主がヴリンダーヴァンの住人たちと共にいつもヴリンダーヴァンに留まるのは、その形においてです。

この個人的な形(スヴァヤム・ルーパ)は、さらにプラーバーヴァおよびヴァイバーヴァという形に分けられます。例えば、クリシュナはラーサの踊りのときに、その踊りに加わったゴピーたち一人一人と踊るために、ご自分をたくさんの形に拡張なさいました。

偉大な神秘主義者たちが自分の身体的な特質を様々に拡張した例はありますが、クリシュナはいかなるヨガの方法を使ってご自分を拡張なさったのでもありません。クリシュナのそれぞれの拡張体は独立した個人です。

ヴェーダの歴史においては、聖人ソーバーリー・リシが自分自身をヨガの方法によって8つに拡張しましたが、ソーバーリー・リシ自身は一人のままでした。クリシュナに関して言えば、主がご自分を様々な形に顕現なさったときは、そのそれぞれが独立した個人でした。

ナーラダ・ムニが幾つもの宮殿にクリシュナを訪ねたとき、彼はこれに驚愕しました。しかし、ナーラダはヨギー(訳注:ソーバーリー・リシ)の体の拡張体を見たときは全く驚きませんでした。その技を自分でも知っていたからです。

それでもシュリマッド・バーガヴァタムには、ナーラダはクリシュナの拡張体を見て実際に驚愕したと述べられています。彼は主がどうやって16,108軒の宮殿に住む王妃たちの一人一人と一緒にいらっしゃるのかと不思議がりました。

それぞれの王妃に対してクリシュナは異なる形を取っておられ、異なるふうに振舞っておられました。ある形では主はご自分の子供たちと遊んでおられ、別の形では家庭内の仕事をなさっていました。これらの様々な活動は、主がヴァイバーヴァ・プラカーシャの拡張体として知られるご自分の「感情的な」形をとっているときになされました。

同様に、クリシュナの形には他にも無数の拡張体がありますが、無限に分けられたり拡張されたりしても、それらは全く同じものです。一つの形と別の形の間に違いはありません。それが至高の人格神の完全な性質なのです。

第3段落
シュリマッド・バーガヴァタムの中で、アクルーラがクリシュナとバララーマをゴクラからマトゥーラーへお連れしていたとき、彼はヤムナー川の水に入り、水の中に霊的な天空の中のすべての惑星を見ることができた、と述べられています。

彼はまた、ヴィシュヌの形をした主と、主を崇拝しているナーラダと4人のクマーラも見ました。バーガヴァタ・プラーナには次のように述べられています。

(サンスクリット引用)(Bhag 10.40.7)

ヴァイシュナヴァやアーリャンなど、異なる崇拝の方法によって浄化され、また、それぞれの信念と霊的な理解に応じて至高主を崇拝する多くの崇拝者がいます。それぞれの崇拝の方法は、聖典において言及されているように、主の異なる形を理解することに関わっています。しかし、究極的な概念は至高主ご自身を崇拝することです。

第4段落
そのヴァイバーヴァ・プラカーシャの特質において、主はご自身をバララーマとして顕現なさいます。バララーマの特質は、クリシュナご自身と同じほどに良いものです。唯一の違いは、クリシュナの体の色は濃く、バララーマのそれは薄いということです。

ヴァイバーヴァ・プラカーシャの形はまた、クリシュナがこの世界に入っていらっしゃったときにも、主の母デヴァキーの前で4本の腕のあるナーラーヤナの形をとって現れたときに示されました。しかし、両親の頼みによって、主はご自分を2本腕の形に変えられました。

このように、主は時として4本の腕を持って、別のときには2本の腕を持って顕現なさいます。2本の腕を持った形は、実際はヴァイバーヴァ・プラカーシャであり、4本の腕を持った形はプラーバーヴァ・プラカーシャです。

その個人的な形においては、クリシュナはちょうど牛飼いの少年のようであり、クリシュナはご自分のことをそう考えられます。しかし、ヴァースデヴァの息子の形を取ったときには主はご自分をクシャトリヤの息子だと考え、高貴な統治者として活動なさいます。

第5段落
2本の腕を持った形においては、ナンダ・マハーラージャの牛飼いの息子として、クリシュナはご自分の富(opulence)、美しさ、豊かさ(wealth)、魅力、そして娯楽を完全に示されます。実に、一部のヴァイシュナヴァ文献の中で、時として主はそのヴァースデヴァとして形において、ヴリンダーヴァンのゴヴィンダの形に魅了されます。

このように、ヴァースデヴァとして主は時として牛飼いの少年ゴヴィンダがするように楽しみたいと望まれます。ゴヴィンダの形とヴァースデヴァの形は全く同じものであるにも関わらずです。このことに関して、ラリタ・マーダーヴァの4章(4.19)に、クリシュナがウッダーヴァに次のように言う一節があります。

「我が親愛なる友よ。牛飼いの少年ゴヴィンダの形は私を魅了します。実に、私はこのゴヴィンダの形によって同じく魅了されるヴラジャの高貴な娘たちのようでありたいと望みます。」同様に、8章においてクリシュナはおっしゃいます。

「おお、なんとすばらしいことでしょう!この人物は誰ですか?彼を見たあとで、私は心から魅了されたので、今では彼をちょうどラーディーカーのように抱きしめたいと望んでいます。」

第6段落
ほんの少し異なるクリシュナの形もあります。これらはタデカートマ・ルーパの形と呼ばれます。これらはさらにヴィラーサとスヴァームシャの形に分けられ、それぞれがさらに幾つもの異なる特徴を持ち、プラーバーヴァおよびヴァイバーヴァの形に分けられます。

ヴィラーサの形に関して言えば、無数のプラーバーヴァ・ヴィラーサがあり、それによってクリシュナはご自身をヴァースデヴァ、サンカルシャナ、プラデュムナおよびアニルッダーに拡張なさいます。時として主はご自分を牛飼いの少年として考えられ、そして別の時には主はご自分をヴァスデヴァの息子、クシャトリヤの王子として考えられます。

そしてクリシュナのこの「考えること」が主の娯楽と呼ばれます。実際には主はそのヴァイバーヴァ・プラカーシャにおいてもプラーバーヴァ・ヴィラーサにおいても同じ形をしておられますが、バララーマとクリシュナとして、異なるふうに現れます。

ヴァースデヴァ、サンカルシャナ、プラデュムナ、およびアニルッダーとしての主の拡張体は、本来のチャトゥル・ヴューハ、すなわち4本の腕のある形をしています。

第7段落
様々な惑星と様々な場所に4本の腕のある形をした無数の顕現があり、それらはドヴァーラカーとマトゥーラーにおいて永遠に顕現しています。4つの主要な4本腕の形(ヴァースデヴァ、サンカルシャナ、プラデュムナ、およびアニルッダー)から、ヴァイバーヴァ・ヴィラーサと呼ばれる主要な24の形が顕現します。

そしてそれらはそれぞれが手に持った異なる象徴(ほら貝、こん棒、蓮、および円盤)の配置によって異なるふうに名付けられています。クリシュナの4つの主要な顕現は、霊的な天空の中のそれぞれの惑星に見出されます。

そして、これらの惑星はナーラーヤナロカ、あるいはヴァイクンターロカと呼ばれます。ヴァイクンターロカでは、主はナーラーヤナの4本の腕のある形で顕現しておられます。それぞれのナーラーヤナから、ヴァースデヴァ、サンカルシャナ、プラデュムナ、およびアニルッダーの形が顕現します。

このように、ナーラーヤナが中心であり、ヴァースデヴァ、サンカルシャナ、プラデュムナ、およびアニルッダーの4つの形がナーラーヤナの形を取り巻きます。これらの4つの形のそれぞれがさらに3つに拡張します。

そしてこれらはすべて、ケシャヴァを始めとした異なる名前を持っています。これらの形は全部で12あり、それらはそれぞれの手に持った象徴の配置によって異なる名前で知られています。(訳注:これは前述の「ヴァイバーヴァ・ヴィラーサと呼ばれる主要な24の形」とどう違うのか不明。)

第8段落
ヴァースデヴァの形に関して言えば、それから顕現する3つの拡張体はケシャヴァ、ナーラーヤナ、およびマーダーヴァです。サンカルシャナの3つの形は、ゴヴィンダ、ヴィシュヌ、およびシュリー・マドゥースーダナとして知られています。

(しかし、このゴヴィンダの形はヴリンダーヴァンにおいてナンダ・マハーラージャの息子として顕現しているゴヴィンダの形と同じではないことに注意すべきです。)同様に、プラデュムナまた、トリヴィクラマ、ヴァーマナ、およびシュリーダーラとして知られる3つの形に分けられます。そしてアニルッダーの3つの形は、フリシーケシャ、パドマナーバー、およびダーモダラとして知られます。

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さて、皆様。いかがでしたか?十分混乱していただけましたでしょうか。分からない、と思っても私に説明を求めないでください。読書百ぺん、おのずから意味通ず、と言うではありませんか。ほんとにカタカナばっかりだし、構文は込み入ってるし。。。しかも編集の不足と思える矛盾が多々あります。プラブパーダのご本に手が加えられているというのは、こういう部分を明らかにするための作業でしょうか。
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by ammolitering4 | 2010-04-30 07:30 | 「主チャイタンニャの教え」 | Comments(2)

第5章 いかにして神に近づくか

第5章 いかにして神に近づくか

第1段落
実際には、すべてのヴェーダ文献は人間を献身の完成された水準へと導いています。結果を求める活動、推量的な知識、および瞑想は、人を完全な水準には導きません。しかし、献身奉仕の方法を取れば、主は実際に近づくことが可能なものとなります。

したがって、すべてのヴェーダ文献はこの方法を受け入れるように薦めています。このことに関して、チャイタンニャ・マハープラブは、シュリマッド・バーガヴァタムの中で主がウッダーヴァに与えられた教えを引用なさいました。

(サンスクリット引用)

「我が親愛なるウッダーヴァよ。哲学的な推量も、瞑想的なヨガも、あるいは贖罪も、生命体が行う献身奉仕ほどの喜びを私に与えることはできません。」(Bhag.11.14.20)

クリシュナは献身者にとってのみ愛しいものであり、そして主は献身奉仕によってのみ得られます。もしも身分の低い家庭に生まれた者が献身者であるなら、彼は自動的にすべての汚染から自由になります。献身奉仕は至高の人格を得るための唯一の道です。

これがすべてのヴェーダ文献によって受け入れられている唯一の完成です。貧しい男がいくらかの宝を受け取ることで幸せになるのと同じように、人が献身奉仕を得れば(訳注:献身奉仕をするようになると)、彼の物質的な痛みは自動的に消えます。

献身奉仕において発達すると彼は至高神への愛に至り、そしてこの愛において発達すると彼はすべての物質的な呪縛から自由になります。しかし、人は貧困の消滅と呪縛からの解放がクリシュナへの愛の最終的な結果(the end result)だと考えるべきではありません。

クリシュナへの愛が存在するのは、愛情ある奉仕の交換を楽しむところにおいてです。すべてのヴェーダ文献において私たちは、至高主と生命体の間のこの愛情ある関係に至ることが献身奉仕の効用である、と言うことを知ることができます。私たちの実際の役割は献身奉仕です。

そして私たちの究極の目的地は至高神への愛です。すべてのヴェーダ文献において、クリシュナが究極の中心地であるということを見つけることができます。クリシュナの知識を通して(訳注:クリシュナを知ることによって)人生のすべての問題が解決するからです。

第2段落
チャイタンニャ・マハープラブは、(パドマ・プラーナによれば)異なる種類の半神たちを崇拝するために異なる聖典があるけれど、そのような教えは単に人々を惑わせて半神たちが至高であると考えるようにするだけだ、と指摘なさいました。

しかし、もしもプラーナを注意深く詳しく調べて研究するなら、人はクリシュナ、すなわち至高の人格神が唯一の崇拝の対象であるということを見出すでしょう。例えば、マールカンデャ・プラーナには、デヴィーの崇拝、すなわち女神ドゥルガーあるいはカーリーの崇拝が言及されています。

しかしこの同じチャンディカーの中で、すべての半神はたとえドゥルガーやカーリーの姿をしていても、至高のヴィシュヌの異なるエネルギーに過ぎない、とも述べられています。このように、プラーナを研究すると、ヴィシュヌすなわち至高の人格神が唯一の崇拝の対象である、ということが明らかになります。

結論は、直接的であれ間接的であれ、すべての種類の崇拝は多かれ少なかれ至高の人格神クリシュナに向けられているということです。バガヴァッド・ギーターにおいて、半神たちはヴィシュヌすなわちクリシュナの体の異なる部分に他ならないので、半神を崇拝する者は実は単にクリシュナを崇拝しているのである、と確認されています。

そのような半神の崇拝は変則的である、ということもバガヴァッド・ギーターに述べられています。(BG7.20-25、9.23)シュリマッド・バーガヴァタムは、次のように問うことによってこの変則性を確認しています。「様々な種類の半神たちを崇拝することの目的は何ですか?」

ヴェーダ文献の中には儀礼的な活動の様々な部門があります。一つはカルマ・カーンダ、すなわち純粋に儀礼的な活動であり、もう一つはジニャーナ・カーンダ、すなわち至高の完全真理を推量することです。それでは、ヴェーダ文献の(中の)儀礼的な箇所の目的は何でしょうか?

そして、様々な半神たちの崇拝を指示する異なるマントラや聖歌の目的は何でしょうか?シュリマッド・バーガヴァタムは、ヴェーダにおいて定義されているこれらすべての方法は実際には至高主ヴィシュヌを指し示しているのだ、と返答します。

言い換えると、それらはすべて至高の人格神を崇拝するための間接的な方法なのです。これらの文献の儀礼的な部分に含まれる犠牲は、至高主ヴィシュヌの満足のためのものです。実に、ヤジニャ、すなわち犠牲は特にヴィシュヌを満足させるためにあるので、ヴィシュヌの別名はヤジニェシュヴラ、すなわち「犠牲の主」です。

第3段落
初心者は決して(発達した献身者と)同じ超越的な水準にはないので、彼らは物質自然の異なる相におけるそれぞれの状況に応じて、異なる種類の半神を崇拝するように助言されます。そのような初心者が徐々に超越的な水準に上がって、ヴィシュヌすなわち至高の人格神への奉仕にいそしむようになるようにするためです。

例えばプラーナでは、肉を食べることに執着している初心者はカーリー神に捧げた後で肉を食べるように助言されています。

第4段落
ヴェーダの聖歌の哲学的な部分は、人が至高主をマーヤーから見分けることができるようにすることを目的としています。マーヤーの位置づけを理解した後で、彼は純粋な献身奉仕において至高主に近づくことができます。それが哲学的な推量の本当の目的です。そしてこれはバガヴァッド・ギーターにおいて確認されています。

(サンスクリット引用)

「数多くの誕生と死の後で、本当に知識のある者は私がすべての原因の原因であって存在のすべてである、と知って、私に服従します。そのような偉大な魂は非常にまれです。」(BG7.19)

第5段落
このように、すべてのヴェーダの儀礼と異なる種類の崇拝と哲学的な推量は、究極的にクリシュナに向けられているということが分かります。

第6段落
それからチャイタンニャ・マハープラブはサナータナ・ゴスヴァーミーに、クリシュナの無限の形(multiform)と主の無限の富について語りました。主はまた、霊的な顕現、物質的な顕現、および生命体の顕現の性質をも描写なさいました。

主はまたサナータナ・ゴスヴァーミーに、ヴァイクンターとして知られる霊的な天空の惑星、および物質的な顕現の(中の)宇宙は、実際には異なる種類の顕現であること、そしてそれは、それらが物質的および霊的なエネルギーという二つの異なる種類のエネルギーの創造された顕現だからである、ということを教えました。

クリシュナご自身に関して言えば、主はご自分の霊的なエネルギー、もっと厳密にはご自分の内的な力の中に直接位置していらっしゃいます。私たちが霊的なエネルギーと物質的なエネルギーの違いを理解するのを助けるために、シュリマッド・バーガヴァタムの2巻には両者のはっきりとした分析があります。

シュリーダーラ・スヴァーミーもまた、シュリマッド・バーガヴァタムの10巻の最初の節の解説において明確な分析的な研究を示してくださいます。シュリーダーラ・スヴァーミーは、主チャイタンニャによってシュリマッド・バーガヴァタムの正統なる(authorized、権威を与えられた)解説者として受け入れられました。

そしてチャイタンニャ・マハープラブは彼の文章を引用して、クリシュナがすべての顕現の避難所であるので、バーガヴァタムの10巻においてクリシュナの人生と活動が描写されている、と説明なさいました。これを知っていたので、シュリーダーラ・スヴァーミーはすべてのものの避難所としてクリシュナを崇拝し、敬意を捧げました。

第7段落
この世界では二つの原則が働いています。一つの原則はすべてのものの源あるいは避難所であり、もう一つの原則はこのもともとの源から派生しています(to be deduced、起源を辿る)。至高真理はすべての顕現の避難所であり、アーシュラヤと呼ばれます。

アーシュラヤ・タットヴァ、すなわち完全真理の統御の下に留まるその他すべての原則は、アーシュリタ、すなわち従属的な帰結および反応と呼ばれます。物質的な顕現の目的は、制約された魂に解放を得てアーシュラヤ・タットヴァすなわち完全真理に戻る機会を与えることです。

宇宙創造の中のすべてのものは、アーシュラヤ・タットヴァ、すなわち創造的な顕現あるいはヴィシュヌ顕現に依存しています。そのため、様々な半神たちやエネルギーの顕現、生命体とすべての物質的な要素は、クリシュナに依存しています。クリシュナが至高の真理だからです。

このように、シュリマッド・バーガヴァタムは、すべてがクリシュナによって直接的にあるいは間接的に保護されていると述べています。したがって、バガヴァッド・ギーターによって確認されているように、完全な知識はクリシュナの分析的な研究によってのみ得られます。

第8段落
それから主チャイタンニャはクリシュナの様々な性質を描写し、サナータナ・ゴスヴァーミーに注意深く聞くように頼みました。主はそれから彼に、ナンダ・マハーラージャの息子クリシュナがすなわち完全至高真理、すなわちすべての原因の原因であって、すべての放射物と化身の源である、と教えられました。

それでもヴラジャ、すなわちゴロカ・ヴリンダーヴァンでは主は幼い少年のようであり、ナンダ・マハーラージャの息子です。しかし主の形は永遠であり、喜びに満ちており、完全な知識で満たされています。主はすべてのものの避難所であり、所有者でもあるのです。

第9段落
チャイタンニャ・マハープラブはまた、ブラーマ・サムヒターから主クリシュナの体の超越的な特性の証拠を与えられます。

(サンスクリット引用)

「ゴヴィンダとして知られるクリシュナは至高神です。主は永遠で喜びに満ちた霊的な体を持っています。主はすべてのものの源です。主には他のいかなる源もありません。そして主はすべての原因の根本的な原因です。」(BS5.1)

このように、チャイタンニャ・マハープラブはクリシュナが6つの富を完全に備えた根源的な至高の人格神であるという証拠を与えられます。ゴロカ・ヴリンダーヴァンとして知られるお住まいが霊的な天空の中の最高位の惑星系であるのはシュリー・クリシュナなのです。(訳注:ゴロカ・ヴリンダーヴァンとして知られる霊的な天空の中の最高位の惑星系にお住まいなのはシュリー・クリシュナなのです。)

第10段落
さらに、主チャイタンニャはシュリマッド・バーガヴァタム(Bhag 1.3.28)からも節を引用なさいます。

(サンスクリット引用)

すべての化身は、クリシュナの直接的な拡張体であるか、あるいは間接的にクリシュナの拡張体の拡張体です。しかし、クリシュナという名前は根源的な至高の人格神を指します。いつも半神たちの統治を邪魔しようとしている悪魔によって引き起こされる動乱があるときに、この地球やこの宇宙や他の宇宙に現れるのはクリシュナなのです。

第11段落
クリシュナを理解する方法には3通りあります。哲学的な推量という経験主義的な方法、神秘的なヨガの体系に基づいた瞑想の方法、そしてクリシュナ意識、すなわち献身奉仕という方法です。哲学的な推量によって、クリシュナの非人格的なブラーマンの特徴が理解されます。

瞑想、すなわち神秘的なヨガによって、クリシュナのあまねく行き渡る拡張体である超魂が理解されます。そして完全なクリシュナ意識における献身奉仕によって、根源的な至高の人格神が理解されます。主チャイタンニャはまた、シュリマッド・バーガヴァタム(Bhag 1.2.11)からこの節を引用なさいました。

(サンスクリット引用)

「完全真理を知る者は、それを非人格なるブラーマン、局地的であまねく行き渡る超魂、そして至高の人格神であるクリシュナという三つの特徴をもって描写します。」言い換えると、非人格的な顕現であるブラーマン、局地的な顕現であるパラマートマー、そして至高の人格神であるバーガヴァーンは、全く同じものなのです。(one and the same)

しかし、使われる手段に応じて、主はブラーマン、パラマートマー、あるいはバーガヴァーンとして認識されます。

第12段落

非人格なるブラーマンを認識することによって、人は単にクリシュナの超越的な体から放射している光輝を認識します。この光輝は太陽光に比べられます。太陽神、太陽そのもの、そしてその根源的な太陽神の輝ける光輝である太陽光が存在します。

同様に、霊的な光輝(ブラーマジョティ)、すなわち非人格的なブラーマンは、クリシュナの個人的な光輝に過ぎないのです。この分析を支えるために、主チャイタンニャはブラーマ・サムヒターからある重要な一節を引用なさいます。そこにおいて主ブラーマーはおっしゃいます。

(サンスクリット引用)

「私は至高の人格神を崇拝します。主の個人的な光輝によって、無限のブラーマジョティが顕現します。そのブラーマジョティの中に無数の宇宙があり、その一つ一つが無数の惑星に満ちています。」(BS5.40)

第13段落
主チャイタンニャはさらに、すべての人の体の中に鎮座しておられるあまねき特質であるパラマートマーは、クリシュナの部分的な顕現あるいは拡張体に過ぎないということ、しかしクリシュナはすべての魂の魂であるので、主はパラマートマー、すなわち至高の自己と呼ばれるのである、と指摘なさいました。

これに関して、チャイタンニャはシュリマッド・バーガヴァタムからもう一つの節を引用なさいました。マハーラージャ・パリークスィットとシュカデヴァ・ゴスヴァーミーの間の会話に関するものです。ヴリンダーヴァンにおけるクリシュナの超越的な娯楽を聞きながら、マハーラージャ・パリークスィットは自分の霊的指導者であるシュカデヴァ・ゴスヴァーミーに、なぜヴリンダーヴァンの住人はそれほどクリシュナに愛着を持っていたのかと尋ねました。この問いに対して、シュカデヴァ・ゴスヴァーミーが答えました。

(サンスクリット引用)(Bhag 10.14.55)

「クリシュナはすべての魂の魂として知られるべきです。主はすべての個々の魂の魂であり、局地的なパラマートマーの魂でもあるからです。ヴリンダーヴァンでは、主は人々を魅了するために、そしてご自分は形のない存在ではないということを見せるために、ちょうど人間のように振舞っておられました。」

第14段落
至高主は他の生命体と同じように独立した存在です。しかし主は至高であって他のすべての生命体は主に従属しているという点で異なります。他のすべての生命体もまた、主との関わりの中で霊的な喜び、永遠の生命、そして完全なる知識を楽しむことができます。主チャイタンニャはバガヴァッド・ギーターから一節を引用なさいます。その中でクリシュナはご自分の様々な富についてアルジュナに語りました。

自分の完全な分身の一つであるガルボーダカシャーイー・ヴィシュヌとして自らこの宇宙に入り、さらにそれぞれの宇宙にクリーロダカシャーイー・ヴィシュヌとして入り、そして自身をすべての者の心臓の中に超魂として拡張する、というものです。(訳注:「この宇宙」と「それぞれの宇宙」の関係が文面からは不明。)

主クリシュナご自身が、もしも至高の完全真理を完全に理解したいと望むなら、人は完全なクリシュナ意識において献身奉仕の方法を習慣づけなければならない、と述べていらっしゃいます。そうすれば、完全真理の最後の言葉を理解することが可能になるでしょう。
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by ammolitering4 | 2010-04-30 07:22 | 「主チャイタンニャの教え」 | Comments(0)

第4章 賢人

第4章 賢人

第1段落
生命体が物質エネルギーの中で絡まってしまったのはいつからなのか、誰にもその歴史を辿ることはできません。そのため主は、それは始まりがない、とおっしゃいます。始まりがない、と言うとき、それは「制約された人生は創造に先立って存在する」ということを意味します。それは単に創造の間と後に顕現します。(訳注:これはちょっと分かりにくいですが、創造の前にも存在しているけど、顕現、すなわち形を取った状態になるのは創造の間と後だけ、ということです。)

その忘れやすいという性質のため、生命体は霊であるにも関わらず物質的な存在において様々な悲惨さに苦しみます。この物質的なエネルギーに絡まっておらず、霊的な世界に位置している生命体もいる、ということが理解されるべきです。彼らは解放された魂と呼ばれ、いつもクリシュナ意識、すなわち献身奉仕に携わっています。

第2段落
物質自然によって制約されている者の活動は記録されており(taken into account)、次の生においてこれらの活動に応じて異なる種類の物質的な体が与えられます。物質的な世界においては、制約された霊魂は様々は報償と懲罰の影響下に置かれます。(訳注:良くも悪くもそれぞれの行いに応じた報いを受けなければなりません。)

敬虔な行いへの褒美を貰うとき、彼はより高位な惑星に上げられ、そこで数多くの半神たちの一人になります。そして忌まわしい行いの罰を受けるとき、彼は地獄のような惑星に投げ入れられ、そこで物質的な存在の悲惨さをより強烈に経験します。

チャイタンニャ・マハープラブは、この罰のとてもよい例を与えてくださいます。かつて、王様が犯罪者を罰するとき、彼を川に沈め、引き上げて呼吸させ、再び水に沈めていました。物質自然は個々の生命体を全く同じように罰したり褒美を与えたりします。

罰されるとき、彼は物質的な悲惨さという水の中に沈められます。そして褒美を与えられるとき、彼はしばらくの間、水から引き上げられます。より高位の惑星や、人生のより高い水準へ上げられることは、決して永久的ではありません。

人は必ずまた水の中に沈められるために降りてこなければならないのです。これらすべてのことがこの物質的な存在の中で常に起こっています。時として人はより高位の天体系に引き上げられ、別のときには物質的な人生の地獄的な状態に投げ入れられます。

第3段落
このことに関して、チャイタンニャ・マハープラブはシュリマッド・バーガヴァタムの一節を語られます。ナーラダ・ムニがクリシュナの父であるヴァスデヴァに与えた教えからの抜粋です。

(サンスクリット引用)(SB11.2.37)

マハーラージャ・ニミを指導していた9人の賢者たち(の教え)からの、この引用の中で、マーヤーは「自分のクリシュナとの関係を忘れること」と定義されています。事実、マーヤーは「それでないもの」(that which is not)を意味します。それは存在を持たないのです。

そのため、生命体は至高主と何の関係もない、と考えるのは誤りです。彼は神の存在を信じないかもしれず、あるいは自分は神とは関係ないと考えるかもしれませんが、これらはすべて「幻想」、すなわち「マーヤー」です。この人生に関する誤った概念のために、人はいつも恐れており、不安で一杯です。

言い換えると、人生の神のない概念(訳注:人生を神を含まないものと考えること)はマーヤーです。本当にヴェーダ文献に精通している者は、大いなる献身の念をもって主に服従し、主を至高の目的地として受け入れます。

生命体が神との自分の関係の本来的な性質を忘れるとき、彼は直ちに外的なエネルギーによって圧倒されます。これが彼の偽りの自我、すなわち自己を体であると考える誤った自己認識の原因です。実に、生命体が持つ物質宇宙の概念全体が、この誤って体が自分であると考えることから生じます。

彼は体とその副産物に執着するようになるからです。このように絡まった状態から逃げ出すためには、彼は知性と献身の念と真摯なクリシュナ意識をもって自分の義務を果たし、至高主に服従するだけでよいのです。

第4段落
制約された魂は物質世界の中で誤って自分が幸せだと考えます。しかし、もしも彼が純粋な献身者の教えに恵まれるなら、彼は物質的な楽しみへの欲求を捨てて、クリシュナ意識という悟りを開くようになります。クリシュナ意識に入ると同時に、物質的な楽しみへの彼の欲求は直ちに消えます。

そして彼は徐々に物質的な絡まりから自由になります。光のあるところでは闇はありえません。そしてクリシュナ意識は物質的な感覚の楽しみという暗闇をかき消す光です。

第5段落
クリシュナ意識の人は、決して自分が神と一つであるという誤った概念のもとにはありません。自分自身のために働くことによっては幸せでありえない、ということを知っているので、彼は自分のエネルギーのすべてを至高主への奉仕のために使い、そうすることで幻想的な物質エネルギーにしっかりと捕まっている状態からの解放を得ます。このことに関して、チャイタンニャ・マハープラブはバガヴァッド・ギーターから次の節を引用なさいます。

(サンスクリット引用)

「物質自然の三つの相からなる私の神聖なエネルギーは、乗り越えるのが大変難しいものです。しかし、私に服従した者は簡単にそれを超えることができます。」(BG7.14)

第6段落
チャイタンニャ・マハープラブは続けて、何らかの結果を求める活動に携わる一瞬一瞬、制約された魂は自分の本当の自己認識を忘れるのである、と教えられました。時として、疲れ果てたとき、物質的な活動に疲れたとき、彼は解放を望み、至高主と一つになりたいと望みます。

しかし別の時には、自分の感覚を満足させるために一生懸命に働くことによって自分は幸せになるだろう、と考えます。どちらの場合も、彼は物質エネルギーに覆われています。そのような幻惑されて制約された魂の悟りのために、至高主はヴェーダ、プラーナ、ヴェダーンタ・スートラなどの膨大なヴェーダ文献を与えてくださいました。

これらはすべて、人間が至高神のもとへ帰れるように導くことを目的としています。チャイタンニャ・マハープラブは、さらに続けて次のように教えられました。制約された魂が霊的指導者の恵みによって受け入れられ、超魂および様々なヴェーダの聖典によって導かれるとき、彼は悟りを開いて、霊的な認識において進歩します。

人が自分の主との関係を理解して、その関係に基づいて行動することができるようにするための、これらの多くのヴェーダ文献を主が与えてくださったのは、主クリシュナはいつもご自分の献身者に対して慈悲深くていらっしゃるからです。

第7段落
実際には、すべての生命体は至高主に至ることが運命づけられています。完成を得るために義務を遂行することは、献身奉仕として知られています。そして、そのような献身奉仕が成熟すると、それはすべての生命体にとっての本当の人生の目的地である、神への愛になります。

実際は、生命体は宗教的な儀式や経済的な発達や感覚の喜びにおいて成功を得るようにはできていないのです。生命体は解放において成功することさえ望むべきではありません。宗教や経済や感覚の満足における成功は言うまでもありません。

人の本当の望みは、主への愛情ある超越的な奉仕という水準に至ることだけであるべきです。主クリシュナのすべての者を魅了する特質は、人がこの超越的な奉仕ができるようになる助けになります。そして、人がクリシュナと自分の間の関係を理解できるようになるのは、クリシュナ意識におけるそのような奉仕によるのです。

第8段落
人生の究極の目的地を求める人類の探求について、チャイタンニャ・マハープラブはシュリマッド・バーガヴァタムの5巻の中のマドゥヴァの解説(マドゥヴァ・バーシャ、5.5.10-13)から、一つの話を語られます。

これは、占星術師のサルヴァジニャが未来を予言してもらいに来た貧しい男に語る教えの物語です。
男のホロスコープを読んですぐに、サルヴァジニャは男が非常に貧しいことに驚愕し、彼に言いました。
「なぜあなたはそんなに不幸せなのですか?

あなたのホロスコープから、あなたにはお父さんが残された宝があるのを見ることができます。しかしホロスコープは、あなたのお父さんは異郷で亡くなったので、あなたにこのことを明かすことができなかった、と示しています。しかし、今ではあなたはこの宝を探して幸せになることができます。」

この話が語られたのは、生命体が自分の至高の父であるクリシュナの隠された宝を知らないために苦しんでいるからです。その宝とは、至高神への愛であり、すべてのヴェーダ文献において、制約された魂はそれを見つけるように助言されています。

バガヴァッド・ギーターに述べられているように、制約された魂は最も豊かな人物、すなわち至高の人格神の息子であるにも関わらず、彼はそれに気づきません。したがって、彼が自分の父とその財産を探し当てるのを助けるために、彼にはヴェーダ文献が与えられています。

第9段落
占星術師のサルヴァジニャは、さらに貧しい男に助言しました。「宝を見つけるために家の南側を掘ってはいけません。もしもそうすれば、あなたは毒蜂に襲われて挫折するからです。宝探しは家の東側で行われるべきです。

そこには献身奉仕あるいはクリシュナ意識と呼ばれる実際の明かりがあります。南側にはヴェーダの儀礼があり、西側には精神的な推量があり、そして北側には瞑想的なヨガがあります。」

第10段落
サルヴァジニャの助言を、誰もが注意深く心に留めるべきです。もしも儀礼的な方法によって究極的な目的地を探すなら、人は必ず挫折するでしょう。そのような方法は、お金をとって儀礼を行う神官の指導のもとで行われる儀礼を伴います。

そのような儀礼を行うことで人は幸せになれると思うかもしれませんが、実際にはもしもそれによって何らかの結果が得られても、それは一時的なものに過ぎません。彼の物質的な苦しみは続きます。その代わり、彼は単に自分の物質的な苦痛をもっともっと増やします。

同じことが北側を掘ること、すなわち瞑想的なヨガという方法で宝を探すことにも言えるでしょう。この方法によって、人は至高主と一つになることを考えますが、至高存在と同化するというこのことは、大きなヘビに呑まれるようなものです。

時として大きなヘビは小さなヘビを呑みこみます。そして、至高存在の霊的な存在に同化することは、(これに)似ているのです。完成を探し求めている間に、小さなヘビは呑みこまれます。明らかに、ここには解決策はありません。

西側にもまた、ヤクシャ、すなわち宝を守る邪悪な霊の形をとった障害物があります。つまり、隠された宝はそれを得るためにヤクシャの情けを求める者によっては決して見つけられない、ということです。結果は単に殺されるだけです。

このヤクシャは精神的な推量であり、この場合は自己認識(self-realization)の推量的な方法、すなわちジニャーナの方法もまた自殺的です。

第11段落
それでは、唯一の可能性は、完全なクリシュナ意識における献身奉仕という方法によって、東側で隠れた宝を探すことです。実に、その献身奉仕の方法は永久的な隠された宝であり、それを得ると人は永久的に豊かになります。

クリシュナへの献身奉仕において乏しい者は、いつも物質的な利益を必要とします。時として彼は毒のある生き物に噛まれて苦しみ、時として挫折します。時として彼は一元論の哲学に従い、そうして自分の自己認識(アイデンティティー)を見失います。

そして時として彼は大きなヘビに呑みこまれます。これらすべてを放棄して、クリシュナ意識、すなわち主への献身奉仕にしっかりと心を据えることによってのみ、人は実際に人生の完成を得ることができます。
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by ammolitering4 | 2010-04-30 07:21 | 「主チャイタンニャの教え」 | Comments(0)

第3章 サナータナ・ゴスヴァーミーへの教え

第3章 サナータナ・ゴスヴァーミーへの教え

第1段落
主チャイタンニャのサナータナ・ゴスヴァーミーへの教えから、私たちは主の超越的な形、主の豊かさ、および主への献身奉仕に関する神の科学を理解することができます。実に、すべてのことが主ご自身によってサナータナ・ゴスヴァーミーに説明されています。

そのとき、サナータナは主の足元にひれ伏して、大いにへりくだって自分の本当の自己認識(訳注:アイデンティティー、身元、正体)について尋ねました。「私は身分の低い家庭(lower family)に生まれました」とサナータナは言いました。

「私の交友関係(association、人間関係)はどれも忌むべきものであり、そして私は堕落しており、人類のうちで最も哀れです。私は物質的な楽しみの深い井戸の中で苦しんでいました。そして私は自分の人生の本当の目的地を全く知りませんでした。

実に、私は何が自分にとって有益なのかということさえ知りません。私は世間では大いに学識のある人物として知られていますが、私は実際は全くの愚か者なので、自分でも自分が学識があると考えます。あなたは私をご自分の従者として受け入れてくださいました。

そしてあなたは物質的な人生のもつれから私を解放して下さいました。(訳注:物質的な人生の中でからまって動けなくなっていた魂を解放する、ということ。)どうぞ、この解放された状態における私の義務は何なのか教えてください。」

第2段落
このお願いから、私たちは解放とは完成における最後の言葉ではないということを理解することができます。解放における活動がなければなりません。サナータナははっきりと言います。「あなたは私を物質的な存在から救いました。今、解放の後で、私の義務は何ですか?」(下線強調)

サナータナはさらに問いました。「私は誰ですか?なぜ三重の悲惨さがいつも私に問題を投げかけるのですか?そして最後に、私はどうしたらこの物質的な絡まりから解放され得るのですか?私は霊的な人生の発達についてあなたにどう質問したらよいのか分かりません。しかし、どうぞ親切に、情け深く、私が知るべきことのすべてを教えてください。」

第3段落
これが霊的指導者を受け入れるための方法(process、過程)です。人は霊的指導者に近づき、謙虚な姿勢を示し(humbly submit to him)、そして彼から自分の霊的な進歩について問うべきです。

第4段落
主はサナータナの受動的な振る舞いを喜び、こう答えられました。「あなたは既に主クリシュナからの恵みを受け取りました。そしてそのため、あなたはすべてを知っており、物質的な存在のすべての悲惨さから自由です。」

主はさらに、サナータナはクリシュナ意識にあるため、彼はクリシュナの恵みによって既に自然にすべてのことに精通している、と指摘しました。主は続けておっしゃいました。「あなたは謙虚な献身者なので、あなたは自分が既に知っていることを私に確認するように頼んでいます。これはとてもよいことです。」

これらが本当の献身者の特徴です。ナーラダ・バークティ・スートラには、クリシュナ意識を発達させることに非常に真剣な者は、クリシュナを理解したいという自分の望みが主の恵みによって非常に早く叶えられる、と述べられています。

第5段落
「あなたは主への献身奉仕を守るために適切な人物です」とチャイタンニャ・マハープラブは続けました。「したがって、あなたに神の科学を教えることは私の義務です。そして私はあなたにすべてのことを一つ一つ教えましょう。」

第6段落
自分の本来の立場について問うことは、霊的指導者に近づく弟子の義務です。その霊的な過程に従って、サナータナは既に「私は何ですか?そしてなぜ私は三重の悲惨さに苦しんでいるのですか?」と尋ねました。三重の悲惨さは、アデャートミカ、アディーボーティカ、そしてアディーダイヴィカと呼ばれます。

アデャートミカという言葉は、心と体によって引き起こされる悲惨さを指します。時として生命体は身体的に苦しみ(to suffer)、そして時には精神的に苦しみます(distressed)。どちらもアデャートミカの悲惨さです。私たちは母親の胎内においてさえ、これらの悲惨さを経験します。

私たちがよく知っているように、繊細な人間の体を利用して私たちに痛みを与える様々な種類の悲惨さがあります。他の生命体によってもたらされる悲惨さはアディーボーティカと呼ばれます。これらの生命体は大きなものである必要はありません。(訳注:大きなものとは限りません。)

ベッドで眠っているときでさえ私たちを惨めにする虫などがたくさんいるからです。時として私たちに痛みを与える、例えばゴキブリのような取るに足らない虫がたくさんいます。また、別の惑星に生まれて私たちに悲惨さを与える生命体もいます。

アディーダイヴィカの悲惨さについて言えば、より高位の惑星の半神たちに起因する自然災害があります。例えば、私たちは時として厳しい寒さや暑さ、落雷、地震、竜巻、旱魃などの多くの自然災害に苦しみます。どちらにしても、私たちはいつもこれらの3種類の悲惨さのうちの一つ、あるいはそれらの組み合わせによって苦しんでいます。

第7段落
したがって、サナータナの問いは知性的なものです。「生命体の立場は何ですか?」と彼は尋ねました。「なぜ彼らはいつもこれらの3種類の苦しみを経験しているのですか?」サナータナは自分の弱さを認めました。彼は一般大衆によって大いに学識のある人として知られていましたが、

(そして実際彼は大いに学識のあるサンスクリット学者でした)、そして自分でもそれは分かっていたにも関わらず(although he accepted this designation、この場合のdesignation は「一般に認められている自分の立場」ということであり、それを自ら受け入れていた、という意味だと思います)、

彼は実際には自分の本来的な立場が本当は何であるのかということ、そして一体なぜ自分がこの三重の悲惨さの影響下にあるのかということを知りませんでした。

第8段落
霊的指導者に近づくことは、格好をつけるためではなく、物質的な悲惨さを真剣に意識しており、そしてそれから自由になりたいと望む者にとって必要なことです。そのような人にとって、霊的指導者に近づくことは義務です。このことに関して、私たちはバガヴァッド・ギーターの中のよく似た状況に留意すべきです。

戦うべきか戦わざるべきかということに関してアルジュナが数多くの問題で混乱していたとき、彼は主クリシュナを自分の霊的指導者として受け入れました。それもまた、至高の霊的指導者が生命体の本来的な立場に関してアルジュナに教えたという出来事でした。

第9段落
バガヴァッド・ギーターの中で、私たちは個々の生命体の本来的な性質は霊魂であると知らされています。生命体は物質ではありません。霊魂として、生命体は至高の魂、完全真理、至高の人格神の欠かすべからざる小片です。

私たちはまた、服従することが霊魂の義務であるということを学びます。そうして初めて霊魂は幸せでいることができるからです。バガヴァッド・ギーターの最後の教えは、霊魂が至高の魂であるクリシュナに完全に服従し、そうやって幸せに気づくというものです。

第10段落
ここでもまた、主チャイタンニャがサナータナの問いに答えて同じ真理を繰り返されます。しかし、違いはあります。ここでは、主チャイタンニャは既にバガヴァッド・ギーターで描写されている霊魂に関する情報を与えられません。むしろ、主はクリシュナがご自分の教えを終えられた時点から始められます。

主チャイタンニャは、偉大な献身者たちによってクリシュナご自身であるとして受け入れられています。そしてこの視点から見ると、主はバガヴァッド・ギーターにおいてご自分がアルジュナに与えた教えを終えた時点からサナータナへの教えを始めておられます。

第11段落
「あなたの本来的な立場は、あなたは純粋な生きた霊魂であるというものです」と主はサナータナにおっしゃいました。「この物質的な体は、あなたの本当の自己としては見なされ得ません(cannot be identified with、同一視され得ない)。

あなたの心があなたの本当の自己認識(identity、正体)であるのでもなく、あなたの知性でもなく、偽りの自我でもありません。あなたの自己認識は、至高主クリシュナの永遠の従者であるというものです。あなたの立場は、あなたは超越的である、というものです。

クリシュナの優性なるエネルギーは本来的に霊的であり、劣性な外的エネルギーは物質的です。あなたは物質エネルギーと霊的エネルギーの中間にあるので、あなたの立場は境界的です。クリシュナの境界的な力に属しているので、あなたは同時にクリシュナと一つであり、同時にクリシュナと異なります。

あなたは霊なので、あなたはクリシュナと異なりません。そしてあなたはクリシュナの微細な粒に過ぎないので、あなたは主とは異なります。

第12段落
この、同時に一つであって異なる、というのは、生命体と至高主の間の関係にいつも存在します。生命体の境界的な立場から、この「同時に一つであって異なる」という概念が理解され得ます。生命体はちょうど太陽光の粒子のようなものです。

他方で、クリシュナはごうごうと燃えて輝く太陽そのものに比べられるでしょう。主チャイタンニャは生命体を火から(弾ける)燃える火花に例え、至高主を燃え盛る火に例えました。このことに関して、主はヴィシュヌ・プラーナ(VP1.22.52)からの節を引用しました。

(サンスクリット引用)

「この宇宙世界の内に顕現しているものは、すべて至高主のエネルギーに他なりません。ある場所から放射している火がその光と熱を周り一帯に行き渡らせるように、主は霊的な世界の一つの場所にいらっしゃるにも関わらず、ご自分の様々なエネルギーを至るところに顕現なさいます。実に、宇宙の創造全体が主のエネルギーの様々な顕現から成っています。」

第13段落
至高主のエネルギーは超越的で霊的であり、生命体はそのエネルギーの欠かすべからざる小片です。しかし、もう一つ、物質エネルギーと呼ばれるエネルギーがあります。それは無明の雲に覆われています。物質自然であるこのエネルギーは、三つの相、すなわちグナ(徳、熱情、および無明)に分けられます。

主チャイタンニャはヴィシュヌ・プラーナ(VP1.3.2)から、全ての計り知れないエネルギーが主の至高の人格の中に鎮座しており、宇宙の顕現全体が主の計り知れないエネルギーに従って(due to)活動する、という内容の節を引用なさいました。

第14段落
主はまた、生命体はクシェトラジニャ、すなわち「活動の場を知る者」として知られている、とおっしゃいました。バガヴァッド・ギーターの13章において、体は活動の場として描写されており、生命体はクシェトラジニャ、すなわちその(活動の)場を知る者として描写されています。

生命体は本来的に霊的エネルギーに精通している、すなわち霊的エネルギーを理解する力を持っているにも関わらず、生命体は物質エネルギーによって覆われており、結果として体を自己であるとして認識します。この誤った自己認識が「偽りの自我」と呼ばれます。

この偽りの自我によって惑わされて、物質存在の中の困惑した生命体は体を様々に変え、多様な悲惨さに苦しみます。生命体の本当の立場に関する知識は、異なる種類の生命体によって異なる程度に所有されています。(訳注:生命体の種類によって、自分の本当の立場をよく知っている者もあれば、ほとんど全く知らない者もあります。)

第15段落
言い換えると、生命体は至高主の霊的エネルギーの欠かすべからざる小片であると理解されるべきだということです。物質エネルギーは劣性なので、人間はこの物質エネルギーの覆いから抜け出して霊的エネルギーを活用する能力があります。

バガヴァッド・ギーターには、優性エネルギーは劣性エネルギーによって覆われている、と述べられています。この覆いによって、生命体は物質世界の悲惨さの影響下に置かれます。そして熱情と無明の様々な程度に応じて彼は物質的な悲惨さに苦しみます。

少し悟りを開いている者は苦しみの程度が少し低くなりますが、全体的に、すべての者が物質エネルギーに覆われていることによって物質的な悲惨さの影響下に置かれます。

第16段落
チャイタンニャ・マハープラブはまた、バガヴァッド・ギーターの7章からも引用なさいました。そこには、土、水、火、空気、エーテル、心、知性、および自我がすべて組み合わさって、至高主の劣性エネルギーを構成している、と書かれています。

しかし、優性エネルギーは生命体の本当の自己認識であり、物質世界全体が機能しているのはそのエネルギーが原因です。物質的な要素からできている宇宙の顕現は、優性エネルギーである生命体によって動かされない限り活動する力を持ちません。

事実、生命体の制約された人生は、生命体が優性エネルギーにおける至高主との自らの関係を忘れていることに起因する、と言うことができます。その関係が忘れられるとき、制約された人生が結果として生じます。主の永遠の従者であるという自分の本当の自己認識を取り戻すときにのみ、人間は解放されることができます。
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by ammolitering4 | 2010-04-26 09:06 | 「主チャイタンニャの教え」 | Comments(2)

第2章 「サナータナ・ゴスヴァーミー」

第2章 サナータナ・ゴスヴァーミー

第1段落
(サンスクリット引用)

「私は主チャイタンニャ・マハープラブに心からの敬意を捧げます。主の恩恵により、生命の最も低い形にある者さえ主への超越的な献身奉仕を見出すことができます。」

第2段落
放棄階級(サンニャーサ)になられた後、主チャイタンニャはインド中を旅されました。この期間に主はベンガル地方にあるマルダーに行かれました。その地域にはラーマケリという名の村があり、そこにはナワブ・フッサイン・シャーの政権の、二人の政府の役人が住んでいました。

これらの二人の役人たちは、ダビル・カースおよびサーカラ・マッリクという名前でした。そして彼らは後にサナータナ・ゴスヴァーミーおよびルーパ・ゴスヴァーミーと改名されました。主チャイタンニャにs刺激されて、彼らは政府の仕事から退いて主のサンキールタン運動に加わることを決めました。

第3段落
この決心をして、二人の兄弟は直ちに自分たちの物質的な関わりを後にするための行動を起こしました。そして彼らは二人の学識あるブラーマナを指名してヴェーダの特定の宗教的な儀式を行わせました。クリシュナへの献身奉仕のために彼らが完全な自由を得ることができるようにする儀式です。

これらの予備的な活動は、プラシュチャーリャーとして知られます。これらの儀式的な行事は、一日に三度次のことを行うことを要求しています。
1.先祖を崇拝して敬意を捧げる。
2.火に捧げ物をする。
3.学識あるブラーマナに敬意を込めて食物を捧げる。

一、時間、二、崇拝、三、敬意を捧げる、四、火に捧げ物をする、五、ブラーマナに食物を捧げる、という五つのことがプラシュチャーリャーを構成しています。この儀式および他の儀式は、権威ある指南の書(direction、方法、指示、方向性)であるハリ・バークティ・ヴィラーサに記述されています。

第4段落
これらの宗教的な儀式を行った後で、弟であるサーカラ・マッリク(ルーパ・ゴスヴァーミー)は政府で働いた間に得た巨額のお金を持って家に帰りました。実に、彼が持ち帰った銀貨と金貨は大きな船を一杯にしました。

家に帰った後、彼は蓄えた財産をまず二つに分けて、一方をブラーマナとヴァイシュナヴァに配りました。このように、至高の人格神を満足させるために、彼は自分の蓄えた財産の半分を至高主への超越的な愛情ある奉仕に携わっている人々に配りました。

ブラーマナは完全真理を理解しているべき者であり、真理を理解して実際に主への愛情ある奉仕に携わるようになれば、彼らはヴァイシュナヴァと呼ばれ得ます。ブラーマナとヴァイシュナヴァは、どちらも完全に超越的な奉仕に携わっているべき人々です。

そしてルーパ・ゴスヴァーミーは、彼らの重要な超越的な立場を考えて、彼らに自分の富の半分を与えました。残る半分は、さらに二つに分けられました。彼はその一方を自分の親類および扶養家族に配り、そしてもう一方を個人的な緊急事態に備えてとっておきました。

第5段落
このような個人的な財産の分配は、霊的な知識において発達することを望むすべての者にとって非常に良い手本となります。一般に、人は自分の蓄えた富のすべてを自分の家族に残し、それから霊的な知識において発達するために家庭生活から引退します。

しかしここで、私たちはルーパ・ゴスヴァーミーの行いが模範的であるということを見出します。(訳注:「しかし、ここに示されたルーパ・ゴスヴァーミーの行いは模範的です。」とするほうが自然な日本語になります)

彼は自分の富の半分を霊的な目的のために与えました。これはすべての人にとって模範となるべきです。彼が個人的な緊急事態に備えてとっておいた4分の1の財産は、堅実な会社に投資されました。当時は銀行がなかったからです。(後に、このうち)硬貨1万枚が彼の兄の(一件で生じた)損害の賠償として支払われました。(訳注:これは詳細が後述されますが、賠償と言うよりも保釈金、あるいは賄賂というべきものです。)

第6段落
このときルーパ・ゴスヴァーミーは、主チャイタンニャ・マハープラブがジャガンナーター・プリーからヴリンダーヴァンに行く準備をしているという情報を受け取りました。ルーパ・ゴスヴァーミーは、主の旅程について実際の情報を得るために二人の使者を送りました。

そして彼は、主に会いにマトゥーラーに行くための独自の計画を立てました。ルーパ・ゴスヴァーミーは主チャイタンニャに同行する許可を得たようですが、サナータナ・ゴスヴァーミーはそうできなかったように見受けられます。

したがって、サナータナ・ゴスヴァーミーは自分の政府の仕事の責任を直属の部下たちにまかせ、シュリーマド・バーガヴァタムの勉強をするために家に留まりました。事実、彼はおよそ10人か20人の学識あるブラーマナを雇い、彼らと共にシュリーマド・バーガヴァタムの集中学習を始めました。

このようにしていた間、彼は自分の雇い主であるナワブに病欠の届けを出していました。しかし、統治者(ナワブのこと)は政府の事柄についてどうしてもサナータナ・ゴスヴァーミーの助言が欲しかったので、突然彼の家に現れました。

ナワブが家に入ると、そこにはサナータナ・ゴスヴァーミーとブラーマナたちが集まっていて、彼らは皆、敬意を込めて彼を迎えるために立ち上がり、彼に座る場所を提供しました。

第7段落
「あなたは病欠の届けを出しました」とナワブはサナータナに言いました。「しかし、私が自分の医者を遣わしてあなたを診察させると、彼はあなたは全く病気ではないと言いました。私はなぜあなたが病欠の届けを出して仕事を休んでいるか分からなかったので、自らあなたに会いに来ました。

正直なところ、私はあなたの行いによって、はなはだ動揺しています。あなたも知っているように、私はあなたと、そして政府におけるあなたの責任ある仕事に完全に依存しています。私はあなたに頼っていたので、自由に他のことをすることができました。

しかし、もしもあなたが私に加わらないなら(訳注:「もしもあなたが私から離れるのなら」という意味)、あなたの過去の献身は駄目になります。さあ、あなたの意図は何なのですか?私に話してください。」

第8段落
これを聞いてサナータナ・ゴスヴァーミーは、自分は仕事を続けることはできない、そしてナワブが自分に任せていた仕事をするために、どうか誰か他の人を任命して頂きたい、と返事をしました。これを聞いてナワブは激怒して言いました。

「あなたの兄は狩人のように暮らしています。そしてもしもあなたもまた(訳注:あなたの弟がしたように)行政から引退するなら、すべてが終わります。」(訳注:ルーパ・ゴスヴァーミーはサナータナ・ゴスヴァーミーの弟であり、3兄弟の一番下の弟はシュリー・ヴァッラヴァーなので、この場合の「兄」はナワブ自身を指します。)

ナワブはサナータナ・ゴスヴァーミーを自分の弟のように扱っていたと言われています。ナワブは主に国の様々な場所を征服すること、および狩りをすることに携わっていたので、彼は政府の行政に関してサナータナに大きく依存していました。

そのため彼(ナワブ)は彼(サナータナ)に頼み込みました。「もしもあなたもまた政府の仕事から引退するなら、どうやって行政が続くでしょう?」

第9段落
「あなたはゴーダの長官です」とサナータナは非常に厳粛に答えました。「そしてあなたは様々な犯罪者を様々に罰されます。ですから、あなたは誰であれその人の行いによってお好きなように罰することができます。」

この返事によってサナータナ・ゴスヴァーミーは、長官が動物を殺すことと自分の王国を広げるために人々を殺すことに携わっていたので、両者(ナワブと殺された者たち)共にそれぞれの行いに応じて苦しむだろう、ということを暗示していました。

第10段落
ナワブは知性的でした。そして彼はサナータナ・ゴスヴァーミーの(発言の)意図を理解しました。彼は怒った気分で(サナータナの)家を去り、そのあとまもなくしてオリッサを征服しに行きました。彼はサナータナ・ゴスヴァーミーの逮捕を命じ、自分が戻るまで彼を閉じ込めておくように言いました。

自分の兄がナワブに逮捕されたということを知って、ルーパ・ゴスヴァーミーは、ゴーダ(ベンガル)の食料品会社に硬貨1万枚が預けてあり、このお金は兄のための身請け金として使える、という情報を送りました。サナータナもまた、自分が捕らえられていた牢の牢番に硬貨5千枚を提供しました。

彼は牢番に、喜んで5千枚の硬貨を受け取って自分を逃がすのが良い、と言いました。このお金を受け取ることによって、牢番は物質的に恩恵を受けるだけでなく、霊的な目的のためにサナータナを逃がすことによって、彼はまた非常に敬虔な行いをしていることになるからです。

第11段落
「もちろん私はあなたを逃がすことができます」と牢番は答えました。「あなたは私のためにたくさんのことをしてくださったからです。そしてあなたは政府の仕事をしています。しかし、私はナワブを恐れています。あなたが逃げたと聞いたとき、彼は何をするでしょうか?

私は彼にすべてを説明しなければなりません。どうして私はそのような申し出を受け入れることができるでしょう?」そのためサナータナは、牢番がナワブに言うための話を作り上げました。どうやって彼が逃げたか、ということです。そして彼は、提供するお金を硬貨1万枚に増やしました。

お金を得ることに貪欲になり、牢番は申し出に同意して彼を逃がしました。その間、ルーパ・ゴスヴァーミーは弟のシュリー・ヴァッラヴァーと共に、チャイタンニャ・マハープラブに会うためにヴリンダーヴァンに向かいました。

第12段落
それからサナータナは主に会いに行きました。彼は人目のある道(open road)は通らず、ビハルにあるパーダターというところに着くまで密林の中を通って行きました。そこで彼は宿屋に泊まりました。しかし、宿の主人はそこで働く占星術師によって、サナータナ・ゴスヴァーミーはいくらかの金貨を持っていると知らされました。そのお金を得ることを望んだ宿の主人は、敬意を装ってサナータナに話しかけました。

第13段落
「今晩はゆっくりなさってください」と彼は言いました。「そして朝には私はあなたのために、この森の罠(訳注:罠のような密林)を抜け出す手配をいたします。」しかしサナータナは彼の振る舞いに疑いを持ち、自分の従者であるトシャーナにお金を持っているかと尋ねました。

するとトシャーナは、金貨を7枚持っている、と答えました。サナータナは従者がそのようなお金(大金)を持っているということを好みませんでした。彼は従者に腹を立て、「なぜあなたは旅の途中でこの死の前兆を持っているのですか?」と言いました。

第14段落
サナータナは直ちに金貨を取り上げ、宿の主人に提供しました。そして彼に密林を通り抜ける手伝いをしてほしいと頼みました。彼は宿に主人に、自分は政府のために特別な旅をしており、人目のある道は通れないので、密林を抜けて山を越える手助けをしてもらえれば非常に有難い、と言いました。

第15段落
「私はあなたが8枚の硬貨をお持ちだと知って、それらを奪うためにあなたを殺すことを考えていました」と宿の主人は白状しました。「しかし、私はあなたがとても良い方であると知りました。そのお金を下さる必要はありません。」

第16段落
「もしもあなたがこれらの硬貨を受け取らないなら、他の誰かが私から奪うでしょう」とサナータナは答えました。「これを求めて誰かが私を殺すでしょう。ですから、あなたが受け取るほうが良いのです。私はこれをあなたに差し上げます。」宿の主人は彼にできるかぎりの援助をし、その夜のうちに彼はサナータナが山を出るのを助けました。

第17段落
山を出たとき、サナータナは従者に自分がまだ持っていた一枚の硬貨を持って家に帰るように言いました。一人で旅を続ける決心をしたからです。従者が去った後、サナータナは完全に自由に感じました。破れた着物を着て、手には水がめを持って、彼は主チャイタンニャ・マハープラブのところへ向かい始めました。

その途中、彼は金持ちの義理の兄弟に会いました。彼も政府の仕事をしており、サナータナに上等の毛布をあげると言いました。彼がどうしてもと言うので、サナータナはそれを受け入れました。それからサナータナは彼と別れ、ベナレスにいらっしゃるチャイタンニャ・マハープラブに一人で会いに行きました。

第18段落
ベナレスに着いたとき、主がそこにおられることを知って彼は大変喜びました。人々が主はチャンドラシェカーラ・アーチャーリャの家に滞在しておられると教えてくれたので、サナータナはそこへ行きました。チャイタンニャ・マハープラブは家の中におられましたが、サナータナが戸口のところへ着いたことがお分かりになりました。

そして主はチャンドラシェカーラに戸口のところで座っている男の人を呼ぶように頼みました。「彼はヴァイシュナヴァ、主の偉大な献身者です」とチャイタンニャ・マハープラブは言いました。チャンドラシェカーラは男に会いに外に出てきましたが、戸口のところに(いるはずの)ヴァイシュナヴァを見つけることができませんでした。

物乞いのように見える男がいただけでした。次に主はその物乞いに会いたいとおっしゃいました。そしてサナータナが中庭に入ってきたとき、主チャイタンニャは急いで会いに来て、彼を抱きしめました。主が彼を抱きしめたとき、サナータナは霊的な高揚感に圧倒されて、「我が愛しい主よ、どうぞ私に触らないでください」と言いました。

しかし両者は抱き合って泣き始めました。サナータナと主チャイタンニャがこのように振舞うのを見て、チャンドラシェカーラは感動に打たれました。何度も何度も(at length、長々と)チャイタンニャ・マハープラブはサナータナに自分と一緒に長椅子に座るように頼みました。

主はご自分の手でサナータナの体を触っておられ、サナータナは再び主に「我が愛しい主よ、どうぞ私に触らないでください」と頼みました。

第19段落
「私は単に自分の浄化のためにあなたを触っているのです」と主は答えました。あなたは偉大な献身者だからです。あなたの献身奉仕によって、あなたは全宇宙を解放して、すべての人が至高主のもとへ帰れるようにします。」

第20段落
主は続けてシュリマッド・バーガヴァタムからの一節を引用なさいました。主クリシュナの献身者であって完全に献身奉仕に携わっている者は、すべてのヴェーダ文献に精通しているけれど主への献身奉仕に携わらない者よりもはるかに優れている、という内容の節です。

至高主を自分の心臓の中に持っているので、献身者はすべての場所とすべてのものを浄化することができます。

第21段落
ヴェーダ文献には、至高の人格神はヴェーダのすべての部門に精通した者は認めないけれど、もしろ(身分の)低い家庭に生まれた者であったとしても献身者である者を好まれる、と述べられています。もしも人が献身者でないブラーマナに慈善を施すなら、主は(それを)受け入れません。

しかし何かが献身者に捧げられるなら、主は(それを)受け入れます。言い換えると、人が主に捧げたいと思うものは何であれ、主の献身者に捧げられ得るということです。チャイタンニャ・マハープラブはさらにシュリマッド・バーガヴァタムから引用しました。

もしもブラーマナが至高主の献身者でないなら、たとえ彼がブラーマナの12の資質を備えることでブラーマナとしての資格を持っていて、(身分の)高い家庭に生まれていたとしても、その人は低い者の中で一番低い者よりもさらに低い(卑しい)のである、という内容の節です。

献身者は、たとえチャンダーラ(犬を食べる人)(訳注:カーストの最下位に位置する階層)の家庭に生まれても、献身奉仕によって過去から未来に渡って自分の家族全体を百世代に渡って浄化することができます。

他方で、おごり高ぶったブラーマナは、自分自身さえ浄化することができません。ハリ・バークティ・スドーダヤ(13.2)には、こう述べられています。

(サンスクリット引用)

「おお、主の献身者よ。あなたを見ることは目の完成であり、あなたの体に触れることは体の活動の完成であり、あなたの性質を讃えることは舌の完成です。あなたのような純粋な献身者を見つけるのは非常に稀だからです。」

第22段落
それから主はサナータナに、クリシュナは非常に情け深く、堕落した魂を救う方である、とおっしゃいました。「主はあなたをマハーロヴァから救いました」と主はおっしゃいました。このマハーロヴァ、すなわち地獄は、シュリマッド・バーガヴァタムにおいて動物を殺すことに携わる者のための場所であると描写されています。肉屋(butcher、食肉処理業者)や動物を食べる者がその地獄に行くと述べられているからです。

第23段落
「私はクリシュナの恵みを知りません」とサナータナは答えました。「しかし私は、私へのあなたの恵みがいわれのないものであることを理解できます。あなたは私を物質的な人生に絡まった状態から解放なさいました。」

第24段落
それから主は尋ねました。「どうやって拘留から自由になったのですか?私はあなたが逮捕されたと聞きました。」それでサナータナは逃れてきたいきさつを話しました。すると、「私はあなたの二人の兄弟に会いました」と主は告げました。「そして彼らにヴリンダーヴァンに行くように助言しました。」

第25段落
それから主チャイタンニャはチャンドラシェカーラとタパナミシュラをサナータナに紹介しました。そしてタパナミシュラは愛想よくサナータナに自分と一緒に食事をするように招きました。主はチャンドラシェカーラに、サナータナを床屋に連れて行って「紳士らしく」するように頼みました。

サナータナは長い髭が伸びており、シュリー・チャイタンニャ・マハープラブはそれを好まなかったからです。主はチャンドラシェカーラに、サナータナを風呂に入れて、髭を剃ってすっきりさせるだけでなく、着替えも与えるように頼みました。

第26段落
入浴の後、チャンドラシェカーラは彼にいくらかの上等の衣服を与えました。サナータナは新しい衣服は受け取らず、後でタパナミシュラから幾らかの古着だけを受け取りました。それを告げられたとき、主は大変喜ばれました。

主は昼食を取りにタパナミシュラの家へ行き、彼にサナータナのために食べ物をとっておくように頼みました。タパナミシュラはサナータナにすぐに食べ物をあげることはしませんでした。そうではなく、主が食べ終わった後で、主の食べ物の残りがいくらかあったので、主が休憩しておられる間にそれがサナータナに与えられました。

第27段落
休憩の後、主チャイタンニャはご自分の献身者である一人のマハーラーシュトリーヤ・ブラーマナをサナータナに紹介しました。そしてそのマハーラーシュトリーヤ・ブラーマナは、ベナレスにいる間はずっと毎日自分の家へ来て昼食を取るようにサナータナを招きました。

第28段落
「ベナレスにいる間はずっと、私は家から家へど物乞いして回ります」とサナータナは言いました。「しかし主はとてもお優しいので、あなたの家での毎日の昼食というこの招待を受け入れてくださるでしょう。」

第29段落
主チャイタンニャは、サナータナのこの振る舞いを非常に喜ばれました。しかし主は、彼がベナレスにいる途中に自分の義理の兄弟からもらった高価な毛布に気づきました。主チャイタンニャはその毛布を大目に見ていましたが、サナータナは自分がそのような高価な衣服をまとっていることを主が喜ばれないということを(to approve、何かを良しとして認める)理解しました。

そしてそのため、サナータナはそれを捨てる決心をしました。彼は直ちにガンジス川の土手に行き、そこで古い毛布を洗っている物乞いを見ました。(訳注:ここで物乞いが洗っているのは、quilt、刺し子の毛布です。この場合は古布をつぎはぎして作った毛布ではないかと思います。サナータナの毛布はblanketで、どちらも毛布なのですが、マントのように身を覆う衣類です。)

サナータナが彼に古い毛布を高価な毛布と取り替えて欲しいと頼んだとき、貧しい(poor、この場合は「気の毒な」?)物乞いはサナータナが彼をからかっているのだと考えました。「どういうことですか?」と物乞いは咎めました。「あなたはとても良い紳士であるように見えます。しかしあなたは、この無作法な方法で私をあざ笑っています。」

第30段落
「私はあなたをからかっているのではありません」とサナータナは彼に言いました。「私はとても真剣です。どうかその破れた毛布をこの毛布と取り替えてくれませんか?」とうとう物乞いは自分の破れた毛布を(サナータナの)毛布と取替え、サナータナは主のところへ戻りました。

第31段落
「あなたの高価な毛布はどこですか?」と主は直ちに尋ねました。サナータナは主に交換のことを話し、主は彼のこの行いを非常に喜んで(loved him for this)、彼に感謝しました。「あなたには十分な知性があり、あなたは今では物質的な富への執着(attraction、魅力を感じること)を失くしました。」

言い換えると、主は人がすべての物質的な所有から完全に自由になったときにだけ、献身奉仕のために人を受け入れます。(the Lord accepts a person for devotional service、主は人の献身奉仕を受け入れる)

それから主はサナータナにおっしゃいました。「あんな高価な毛布をまとって物乞いをして家から家へと回るのは、あなたにとって良くありません(it would not look good for you)。それは矛盾しており、人々はそれを嫌悪を持って見るでしょう。」

第32段落
「物質的な執着から自由になるために私がしていることは、何であれあなたの恵みです」とサナータナは答えました。主は彼の言動を非常に喜び(pleased with him)、二人は霊的な発達について語り合いました。

第33段落
サナータナとこうして会う前に、主チャイタンニャはラーマーナンダ・ラーヤという名の家庭人に会いました。そのときの様子は後の章で述べますが、主チャイタンニャはラーマーナンダに質問をして、ラーマーナンダはまるで自分が主の教師であるかのように返事をしました。しかし、この場合はサナータナが主に問い、主がご自分でそれらに答えられました。

第34段落
主チャイタンニャの指導と教えは、一般の人々にとってとても大切です。主は献身奉仕の方法を教えられます。それはすべての生命体の本来的な仕事です。霊的な科学において発達することは、すべての人の義務だからです。

主チャイタンニャとサナータナの間の会話において、多くの事柄が詳しく議論されました。主チャイタンニャの恵みにより、サナータナは主に重要な質問をすることができ、これらの問いは正しく答えられました。

第35段落
サナータナと主チャイタンニャの出会いによって、霊的な主題を理解するためには主チャイタンニャ。マハープラブのような霊的指導者に近づいて受動的な問いかけをしなければならない、ということを私たちは知ります。バガヴァッド・ギーター(BG4.34)においても、人は権威ある人に近づいてその人から霊的な人生の科学について学ぶべきである、と確認されています。
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by ammolitering4 | 2010-04-17 04:09 | 「主チャイタンニャの教え」 | Comments(0)

お待たせしてます

こんにちは。ずいぶんお待たせしております。次の章の翻訳がようやく終わったので、時間を見つけてタイプしようと思っています。こういうのって、ほんとは時間はあるんですよね、私の場合。無駄にしている時間が多くて忙しいのです。そういうわけで、あと何日かお待ちください。ハレ・クリシュナ!
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by ammolitering4 | 2010-04-16 00:09 | その他 | Comments(3)