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朝の散策   1

結局第一章までタイプする時間がありました。
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朝の散策―――1

1973年4月18日、ロサンゼルスのチェヴィオット・ヒルズ公園にて録音

シュリーラ・プラブパーダの同行者は、ソーダム・ダーモダラ・シング博士、カランダーラ・ダーサ・アディーカーリー、ブラーマーナンダ・スヴァーミーおよび他の生徒たち。

1.「他の惑星上の生命」

シュリーラ・プラブパーダ(以下、SP):太陽や月にさえ生命体がいます。科学者の意見は何ですか?

シング博士(以下、Dr.S):彼らは、そこには生命はいないと言います。

SP:それは無意味です。そこには生命が存在しているのです。

Dr.S.:彼らは、月では生命を見つけられなかったから月には生命はいない、と言います。

SP:なぜ彼らはそんなことを信じるのですか?月という星は埃で覆われていますが、その埃の中に生命体は住むことができます。すべての環境は生命に適しています。どんな環境でもです。したがって、ヴェーダ(脚注1)は生命体をサルヴァ・ガターと描写します。「すべての状況において存在する」という意味です。生命体は物質ではありません。物質の体の中に閉じ込められてはいますが、物質ではありません。しかし、私たちが異なる環境のことを語るとき、私たちは異なる物質的な環境を指します。

カランダーラ:彼らは、月の環境は生命には適さない、と言います。しかし、彼らが道理的に言えるのは、それは私たちが知っているような生命には適さないということです。

SP:ヴェーダは、生命体は物質的なものとは何の関係もない、と言います。生命体は焼かれたり切られたり乾燥したりふやけたりすることはありません。これはバガヴァッド・ギーター(脚注2)において論じられています。

Dr.S:科学者たちは、この惑星における生命に関する彼らの知識を拡張します。それは他の惑星の生命にも当てはまるに違いないと考えているのです。

SP:そうです。彼らは何よりもまず自分たち自身のことを考えています。彼らは、自分たちの状況から推し量って、有限な考え方をしているのです。これは私たちが「カエル博士の哲学」と呼ぶものです。(笑)

昔々、井戸にカエルがいました。友達が大西洋の存在について教えたとき、彼は友達に尋ねました。
「ほう、その大西洋というのは何ですか?」
「とても大きな水たまりです」と友達は答えました。
「どれくらい大きいのですか?この井戸の2倍くらいですか?」
「いえ、いえ―――もっともっと大きいのです」と友達は答えました。
「何倍くらい大きいのですか?10倍くらいですか?」
このようにしてカエルは計算を続けました。しかし、こうすることで大洋の広大さを理解できる可能性があるでしょうか。私たちの才能、経験、推察の力は非常に有限です。科学者たちの推察は、そのようなカエルの哲学を生むだけです。

カランダーラ:彼らが「科学的な誠実さ」と呼ぶものの基本は、彼らが直接経験できることだけについて語ることです。

SP:あなたはあなた自身の経験について語るかもしれず、私は私自身の経験について語るかもしれません。しかし、なぜ私はあなたの経験を受け入れるべきでしょうか。あなたは愚か者であるかもしれません。では、なぜ私もまた愚か者になるべきでしょう?あなたはカエルであるかもしれませんが、私はクジラであると仮定しましょう。なぜ私があなたの井戸を存在のすべてとして受け入れるべきでしょうか。あなたはあなたなりの科学的な知識を得る方法を持っています。そして私は私の方法を持っています。

Dr.S.:科学者たちは月の表面に水を見出していないので、彼らはそこでは生命は生存し得ないと結論しました。

SP:彼らは月の表面をすべて見たわけではありません。たとえば、誰かが他の惑星からここに来たとして、アラビア砂漠に着陸してから家に帰ったと仮定しましょう。彼は地球全体の性質について完全な結論に達することができるでしょうか。彼の知識は完全ではあり得ません。

カランダーラ:彼らは水を察知する機器を持っています。彼らはそれを月の軌道に乗せて周回させ、そして月には水がないので従って生命もないと結論しました。

SP:たとえ太陽の上のように水がないように見えるところにも、それでもそこに生命体はいます。サボテンは一見水がないように見える砂漠でどうやって育つのですか?

カランダーラ:大気中から水分を得るのです。

SP:そうです。大気には生命を維持するためのすべての要素―――土、水、火、空気とエーテルが含まれているからです。あらゆる物質的な物の中には、これらの要素のすべてが存在します。たとえば、見ることはできませんが、私の体の中には水があります。同様に、あなたは私の体の中の火を見ることはできませんが、それでも私の体は温かいのです。この温かさはどこから来るのでしょうか。あなたはいかなる火も見ることはできません。あなたは私の体の中で燃えている火を見ることができますか?では、どこから温かさが来るのですか?答えは何ですか?

2.「原子の中の宇宙」

SP:すべての物質は5つの密度の濃い要素(土、水、火、空気、およびエーテル)および3つの密度の薄い要素(心、知性、および偽りの自我)の組み合わせです。

カランダーラ:ヴェーダの科学によると、物質エネルギーは偽りの自我に始まり、それから知性へ、そして心へ、そして密度の濃い要素―――エーテル、空気、火などに発達します。ですから、同じ基本的な要素がすべての物質に存在します。これが正しいですか?

SP:はい。物質宇宙の創造は、偉大なバンヤンの木(脚注3)が小さな種から育つようなものです。誰も種の中に木を見ることはできませんが、木にとって必要な材料のすべてはそこにあります。それには、必要とされる知性も含まれます。実際、すべての者の体は単に宇宙のサンプルなのです。あなたの体と私の体は、異なる宇宙、小さな宇宙なのです。したがって、私たちの体の中には8つの要素のすべてが存在します。それらが宇宙全体に存在するのとちょうど同じように。同様に、虫の体は別の宇宙です。

カランダーラ:原子はどうですか?

SP:同じ公式が当てはまります。これらの構成物質のすべてが原子の中にもあります。(サンスクリット引用))(カサ・ウパニシャッド1.2.20)これは、何かが極度に大きくても微細であっても、それがやはり同じ基本的な要素から作られているということを意味します。これは物質世界のどこにおいても真実なのです。ちょうど女性の小さな腕時計にもそれが滑らかに機能するのに必要なすべての機器が備わっているように、アリにも自分の用事をうまく管理するのに必要な脳の成分があります。どうしてそれが可能でしょうか?これに正しく答えるためには、あなたはアリの脳細胞を精密に調べなければなりません。しかし、あなたにはそれはできません。さらに、アリよりも小さな虫が無数に存在するのです。つまり、これらすべての詳細な活動のための機械的な配剤が存在していなければなりませんが、科学はそれを発見することができません。

3.「相対性と知識」

SP:すべての生命体は、4つの原則―――食べること、眠ること、性交、防衛―――を実行するのに必要な知性を備えています。これらの4つの原則は、原子にさえ存在します。人間における唯一の違いは、人には神を理解するための付加的な知性があるということです。これが違いです。(サンスクリット引用)食べること、眠ること、性生活および防衛はどこででも見られます。あなたは木が育つのを見たことがあります。コブがあるところでは、幹はこっちには行かず、あっちに行きます。(シュリーラ・プラブパーダ、木の幹がコブの上ではなくその周りに育つ仕草をする。)木には知性があります。「もしもこっちに行けば、私は阻まれるだろう。だからあっちに行こう。」しかし、木の目はどこにありますか?どうやって見ることができるのでしょう?木は知性を持っているのです。その知性はあなたのほど良くはないかもしれませんが、それは知性なのです。同様に、子供にも知性があります。しかし、彼の父親のそれほどは発達していません。やがて時が来てその子供が彼の父親のそれに似た体を得るとき、子供の知性は完全に発達して表面化します。

Dr.S:それでは知性は相対的なのですね。

SP:そうです。すべては相対的です。あなたにはあなたの体とあなたの寿命とあなたの知性があり、アリにはアリのそれがあります。私たちもアリも百年生きますが、私たちの百年の寿命は私たちの体に比例したものです。この宇宙で最も寿命の長いブラーマーでさえ、100年生きます。私たちにはアリの寿命はほんの2-3日に見えるかもしれません。同じように、地球とは異なる環境を持つ別の天体には、それらの状況に適した生命形態が存在します。しかし、科学者たちはすべてを地球という天体の相対的な状況に沿って見ようとします。これは無意味なことです。なぜ彼らはそうしているのでしょうか?もしも宇宙の顕現全体が相対性の法則にのっとっているなら、どうして科学者たちはこの天体の状況が他の天体の生命に当てはまるに違いないといえるのでしょうか?

ヴェーダは私たちに、知識は常にデシャ・カーラ・パートラに基づいて考慮されなければならない、と教えます。デシャは「状況」を意味し、カーラは「時間」を意味し、パートラは「対象」を意味します。私たちはすべてのことをこれらの3つの要素を考慮に入れることによって理解しなければなりません。たとえば、魚は水の中でとても快適に暮らしていて、私たちは海岸で凍えています。これは私のデシャ・カーラ・パートラと魚のデシャ・カーラ・パートラが異なるからです。しかし、もしも私たちがカモメもまた水中で凍えると結論付けるなら、それは無意味です。彼らのデシャ・カーラ・パートラもまた異なるのです。物質宇宙の顕現の中には840万の異なる種類の生命が存在します。そしてそれぞれの種が状況に対して異なるふうに適応しなければなりません。この惑星においてさえ、あなたはアラスカに行って快適に暮らすことはできません。そこもアメリカであるにも関わらずです。同様に、アラスカで生活を楽しんでいる生命体はここには来ません。

カランダーラ:では、相対性は私たちの個々の状況に基づいているのですね。

SP:そうです。したがって、ある者にとって食物であるものは別の者にとっては毒である、と言われます。

ブラーマーナンダ:科学者たちは、自分たちが月で生存できないので他の誰も生存できないと考えます。

4.「86億年の一日」

DrS:世界の問題は、ほとんどすべての人が自分自身の状況だけに基づいて考えているということです―――そしてそれは無意味なことです。

生徒:自分の村から一度も出たことのない者は、自分の村が全世界だと考えます。

SP:そうです。カエルはいつも自分の井戸との相対性に基づいて考えています。彼にはそれ以外の方法で考える力がありません。海は巨大ですが、彼は海の巨大さを自分自身の大きさとの相対性に基づいて考えています。同様に、神は偉大ですが、私たちは神を相対的な偉大さ、すなわち私たち自身のそれと相対的な偉大さに基づいて考えています。ある種の虫は夜に生まれ、彼らは朝が来る前に育ち、子供をもうけ、そして死にます。彼らは決して朝を見ることがありません。ですから、もしも彼らが朝は存在しないと結論づけるなら、それは無意味です。同じように、シャーストラ(明かされた聖典)にブラーマーの寿命が私たちの何百万年にも相当すると書いてあるのを知ると、私たちは直ちに不信の念を持ちます。私たちは、「どうしてそんなことがあるでしょうか」と言います。しかし、バガヴァッド・ギーター(8.17)には、(サンスクリット引用)と書いてあります。「地球の43億年がブラーマーの12時間に当たります。」ギーターの偉大な学者として知られていたインドの主要な政治家でさえ、この情報を受け入れることができませんでした。彼はこれが心理的な推察であると言いました。なんという悪者でしょう!それでも彼は重要な学者として通っているのです。悪者と愚かな者たちが学者や科学者や哲学者として通っていて、そのために全世界が誤って導かれているのです。
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by ammolitering4 | 2009-08-25 08:43 | 「生は生より来たる」 | Comments(2)

「生命は生命より来たる」前書き

お待たせしました。私は今日の夜から2週間ほど留守にしますが、今日は昼間は時間があったので前書きのところだけタイプしました。読んでみて、何が言いたいのだろうか、と思うような文章もところどころにあります。特にパスツールのところなどは、直訳すると全く謎かけ文のようになるので、仕方なく単純化しました。詳細は前出の原文を参照してください。なお、続きは帰ってきてからになります。


「生命は生命より来たる」

表紙

生命と宇宙の起源に関する現代の科学的な理論への驚くべき挑戦―――ISKCON創設者、尊師A.C.バクティヴェダンダ・スワミ・プラブパーダ睨下との朝の散策

裏表紙

「私は科学者たちに言います。“もしも生命が化学物質から生じたのであれば、そしてもしもあなたたちの科学がそれほど発達しているのであれば、それならなぜ、あなたがたこそ生化学的にあなたがたの実験室で生命を作り出せないのですか”」

「彼らは原子エネルギーを発見しました。今では彼らは無数(の生命体)を一度に殺すことができます。彼らは単に死への道を整えたのです。そして、それなのに彼らは図太くも自分たちは生命を作るのだと宣言するのです。」

前書き

第1段落

現代科学者のすべての意見を、試験されて証明された真実である、と受け入れるようになった人にとって、この本は目からうろこが落ちるようなものでしょう。「生命は生命より来たる」は、今世紀(20世紀)の最も偉大な哲学者であり、学者の一人である尊師A.C.バクティヴェダンダ・スワミ・プラブパーダ睨下による、現代の科学と科学者のいくつかの支配的な方針、理論、および仮定に関する、即興でありながら見事な批評です。シュリーラ・プラブパーダの鮮やかな分析は、生命の起源と目的に関する現代もてはやされている学説の底流にある、隠れた、そして明らかに根拠のない仮定を露わにします。

第2段落

この本は、シュリーラ・プラブパーダがロサンゼルス地域で1973年に何人かの弟子と朝の散策の折に交わした会話の録音テープに基づいています。科学に焦点を当てた朝には、シュリーラ・プラブパーダは主に弟子のソーダム・D・シング博士と話しました。有機化学者であるシング博士は、現在は、科学、哲学および進学における高度な研究と調査のための国際センターであるバークティヴェダーンタ協会を指揮しています。

第3段落

世界のどこに居合わせようと、シュリーラ・プラブパーダは毎日早朝の肌寒い静けさの中で長い散歩にいらっしゃいました。そして、暖かい毛布にくるまって、少数の生徒、弟子、および特別な客人と一緒に親密な時間を共有なさいました。ときには、彼は沈思黙考や周囲を静かに楽しむことにふけり、ほとんど対話のない朝もありました。別のときには、彼は様々な主題に関して、しばしば相当の熱意をもって、大いに語りました。これらの生き生きとした会話の間に、彼は、哲学的な分析は退屈で難解なものである必要はなく、人生のすべての側面への動的な刃先でありうる、ということを実証なさいました。彼の鋭い知性、深い霊的な理解および非凡な英知を逃れることのできるものはありませんでした。表面的で教条的な考え方を退け、彼は自分の生徒たちを啓発し、挑戦し、おだて、魅了し、教化しました。そして彼は注意深く彼らをより深い洞察と理解に導きました。

第4段落

シュリーラ・プラブパーダ(1896-1977)は、国際的に認められた著者、学者、ならびに霊的な教授者です。また、彼はインドの世界に対する最も偉大な文化大使であるとして広く尊敬されています。「生命は生命より来たる」の中で、シュリーラ・プラブパーダは哲学者・社会批評家の役割を演じられます。哲学的な厳格さ、卓越した常識、および心を和らげる率直さをもって、彼は現代科学の方法論的な欠点と調査されていない偏見だけでなく、信じやすい大衆に科学者が既知の事実として提供する立証されていない(そして立証され得ない)推察をも白日の下にさらします。こうしてシュリーラ・プラブパーダは、科学と偽って現代の文明を惑わせた、物質的で虚無的な社会通念の魔法を解きます。

―――出版者


はじめに―――科学:真実と虚実

第1段落

「科学の絶え間ない進歩の結果、生命は永遠であるが物質はそうではない、と科学者たちが結論づけることにならないと誰が言えるだろう。今から一万年の後に、物質は生命より生じた可能性が高い、と科学者たちが考えないと誰が言えるだろう。」―――ルイ・パスツール

第2段落

昔々、(おとぎ話のように、)私たちのほとんどは、私たちの食べるものは基本的に健康的で栄養があって、危険な化学物質は含まれない、と、そして広告は信用できる、と、そして製品のラベルは私たちの食べるものの品質と内容物を正しく描写していると信じていました。昔々、世界のほとんどは私たちの国家の指導者たちや位の高い政治的な役人たちや地方の指導者たちの高潔さを信じていました。昔々、私たちは自分たちの子供たちは公共の学校でしっかりした教育を受けていると信じていました。昔々、私たちの多くは、原子力エネルギーは完全に安全で、かつ幸せで健康的な社会と調和した「平和時の用途」があると信じていました。

第3段落

しかし、近年では私たちの幻想は粉々にされました。蔓延した消費者詐欺、大規模な政治スキャンダル、および有害廃棄物の投棄の繰り返しは、私たちのかつての無邪気さを完全に破壊しました。私たちは今では、マスメディアを通じた空前の専門技術によってファンタジーと誤魔化しのヴェールが作られ、実体と仮想、現実と幻想の区別をつけるのを不可能にしていることを知っています。

第4段落

階層としての科学者たちは、長い間不実さから免除されて、自分たちの象牙の塔に守られて座っていました。他のすべての分野の中で、科学は真実を捜し求める者たちと分け与える者たちにとって、究極の会合の場であるとみなされていました。現代の科学の輝かしい技術的な達成は、科学に絶対的な確実性のオーラを与えました。「地上の道」(Passages About earth)の中で、ウィリアム・アーウィン・トンプソンは次のように書いています。「かつて天罰の危険を冒すことなく宗教の力から逃れることができなかったように、今では非合理あるいは狂気の罪という危険を冒すことなく科学の力から逃れることはできない。」しかし、学術界、産業界、および政府の重要な地位にある科学者たちは、彼らが実際に個人的な信念と野心を自分の研究と混同し、そうして結果を変える力があるということを示しました。

第5段落

これが起こるとき、私たちはもはや真実の探求を相手にしているのではなく、偽物の科学とその結果たる様々な歪みや作り事や偽りの情報を相手にしています。不幸にして、この非科学的な方法は科学の最も基礎的な探求―――生命の特質と起源に当てはめられました。しかし、科学者が生命の起源に関する、試験されておらず立証もし得ない推察を提示するとき、人々はそれらを盲目的な信頼をもって受け入れがちです。

第6段落

一部の科学者は、人間は単なる意識のない分子の寄せ集めであるという概念を広めています。しかし彼らは、どうやって単なる分子が愛する人を見て喜びを感じるのか、あるいはその死によって動揺するのかを説明することができません。

第7段落

ロサンゼルス自然歴史博物館における最近の展示会では、それぞれ人体に見られる化学物質を入れたいくつものフラスコとビーカーを展示していました。説明書きには、これらの化学物質は人体のすべての内容物を正しい重さと割合で表しているけれど、それらは生命であるとは考えられず、いかなる科学的な操作をもってしてもこれらに命を吹き込むことはできない、と説明してありました。

第8段落

「原子反応」の著者、マイケル・ポリアンニは次のように述べています。「現在の生物学は、生命の過程を化学と物理学によって説明することができるという仮定に基づいています。そしてもちろん物理学と化学は究極的には原子の粒子間で働く力によって表されています―――これが人間を無感覚な自動装置、あるいは食欲の塊にまで引き下ろした、私たちの人間に関する概念の崩壊の原因です。これが、科学がいともたやすく全体主義的な暴力を支えるように行使される理由です。これが、科学が危険な誤信の最も重大な源になった原因です。」

第9段落

今日では、多くの科学者が生命は物質から生じるという教義を広めています。人気のある研究や教科書は、生命は徐々に化学物質から、アミノ酸とたんぱく質と他の必要不可欠な材料からなる「原初のスープ」から生じた、と断定しています。しかし、科学はこの証拠を実験的にも理論的にも示すことができません。事実、これらの科学者は、様々な科学的な反論を前にしてさえ、彼らの立場を本質的には信仰に基づいて維持します。物理学者ヒューバート・ヨッキーは、情報理論によって、サイトコームなどのたった一つの情報分子でさえ、(複雑な生命体は言わずもがな、)推定された地球の年齢の間に偶然によって生じたことはあり得ないと論証しました。「人は、確立された現在の知恵に反し、信仰ではなく事実に基づいて受け入れられるところの、地球上の生命の起源を偶然と自然な要因によって描写する筋書きは未だ書かれていない、と結論しなければならない。」

第10段落

同様に、一部の科学者たちは太陽や星や惑星や銀河や意識ある生命が突然「ビッグ・バン」から弾け出たという、広く受け入れられた信仰(belief,考え)を奨励しています。プリンストン大学の生物学者エドウィン・ゴッドウィン博士は、私たちのそれのような惑星が「ビッグ・バン」から生じる確率を、印刷工場における爆発の結果として完全な辞書が出来上がる可能性になぞらえています。

第11段落

有名な生物学者W.H.ソープは次のように書いています。「私たちは、宇宙の起源のように、生命の起源が科学にとっての破られえない境界線、および生物学と化学と物理学へ変形させようとするすべての試みに抵抗する障害物になる可能性に直面するかもしれない。」そしてアインシュタインはこう述べます。「科学を追究することに真剣に関わる者は誰しも、宇宙の法則の中に霊が―――人間よりはるかに優れた霊が―――顕現していることを確信するにいたる。そしてそれに対峙したとき、自分たちの慎ましやかな力を前に、私たちは卑小に感じざるを得ない」

第12段落

「生命は生命より来たる」は、生命は原子と分子に変形され得ない、そして物質―――生命力、あるいは霊の無い―――は、いかなる形であれ生命を生じさせることはできないという単純な論理を立証します。また、この本が科学者をして、真実と知識のためのもっと本物で熱心な探求に自らを改めて捧げさせ、そうして彼らの価値ある知性と資源と研究を世界の本当の利益のために向けなおすことも望まれています。

ソーダム・ダモダラ・シング博士
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by ammolitering4 | 2009-08-25 05:23 | 「生は生より来たる」 | Comments(0)

進行状況

こんにちは。長らくお待たせしております。今日、やっと全体の荒訳が終わりました。私の翻訳というのは自己流でいい加減なので、実は単語を調べるのはこれからです。今回のは、本文中はそうでもないのですが、前書きのところと後ろのところに科学者の人たちの手紙などが長々とあって、聞いたことも無い単語のオンパレードです。粒子物理学がどうのこうの、不確実性の原理がどうしたこうした、と、やたらと難しいのです。

しかも、イギリス系の教育を受けたらしい古風な学者さんたちの文章なので、一文がやたらと長くて込み入っています。6行くらいあったりするのです。何が言いたいんだ!と思います、ほんと。なお、ぎこちないのを承知でできるだけ直訳をしていますので、日本語のほうも難解になっています。

まあ、くじけずにこれからぼちぼち単語調べをしますので、恐れ入りますがもうしばらくお待ちください。なお、その後は苦手なタイプを山ほどしなければなりません。タイプしながら編集もするという方法でやっていますので、これまた時間がかかりますが、どうぞご容赦ください。

ハレ・クリシュナ!
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by ammolitering4 | 2009-08-20 14:13 | 「生は生より来たる」 | Comments(3)

ラスヤトラ

こんにちは。ずいぶんお待たせしております。どうぞもっと長々とお待ちくださいませ。。。

ところで、昨日は翻訳もせずにバンクーバーのラスヤトラに行ってきました。楽しかったです。お天気も例年通り、雨で始まって不思議と晴れる、というものでした。写真サイトに写真とビデオを載せていますので、どうぞお楽しみください。

リクエストのあったネクター・オブ・ディヴォーションは、手元にありません。お寺にもないので聞いてみたら、現在絶版になっているとのことです。再版の予定はあるそうなので、手に入ったらいいなと思っています。

Teaching of Lord Chaitannyaは、あることはあるのですが、D君が大事にしている本なので、私が奪って山ほど書き込みをするのはよろしくないかもしれません。お寺にもないようだし、本人は絶対に渡さないつもりみたいです。そういうふうなので、とりあえず今のが終わってからゆっくり次のを検討しようと思います。ハレ・クリシュナ!
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by ammolitering4 | 2009-08-11 15:34 | その他 | Comments(2)

日本語による書籍のリスト

こんにちは。やっと日本のお寺と連絡が取れて、日本語による書籍のリストを完成させることができました。ご協力くださったBVDさん、ACHAサン、マドゥさん、どうもありがとうございました。

日本語書籍 2009年7月現在)
1. バガヴァッド・ギーター Bhagavad Gita

2. シュリマッド・バーガヴァタム(第1巻の第一章) Shrimad Bhagavatam

3. クリシュナ Krishna

4. イショパニシャッド Ishopanishad

5. ネクター・オブ・ディヴォーション(途中まで) Nectar of Devotion

6. ハイヤー・テイスト(旧版) Higher Taste

7. カミング・バック Coming back

8. ヨーガの完成 Perfection of Yoga

9. アートマー Atma

10. クリシュナへの道 Light Of Bhagavata

11. 神の科学への誘い (「チャイタンニャの生涯」、シュリーマドバーガバタム1巻の序文)

12. プラブパーダ PRABHUPADA

13. 自己の探究 Science Of Self Realization

   小冊子「自己の探求」Discovering the Self (これは上と同じものかどうか不明)

14. 生と死を超えた世界 Beyond Birth and Death


なお、このサイトにある書籍は以下の通りです。
1. 簡単な惑星旅行 Easy Journey to Other Planets

2. 生と死の彼方に Beyond Birth and Death (重複。「生と死を超えた世界」)

3. クリシュナ意識への上昇 Elevation to Krishna Consciousness

4. 比類なき贈り物 Matchless Gift

5. 完璧な問い、完璧な答え Perfect Questions, Perfect Answers

6. 霊的なヨガ Spiritual Yoga

現在翻訳が進行中のもの
1. 生は生より来たる Life Comes From Life

2. シュリマッド・バーガヴァタムShrimad Bhagavatam(お寺の関係者によるプロジェクト。最近になって再開されたそうです。)

今後の翻訳予定は、私のほうは特に立っていません。毎回、持ち歩ける小さめの本で、気に入ったものを適宜選んでいます。今やってる本だけでも今後何ヶ月かかかると思いますが、その後で翻訳してほしい本のリクエストがあれば考慮しますので、どうぞお知らせください。
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by ammolitering4 | 2009-08-01 00:55 | その他 | Comments(3)