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完璧な問い、完璧な答え 第五章

第5章 純粋になる
1972年2月29日

B質問することをお許しくださいましてありがとうございます。
SPそれが私の使命です。人々は神の科学を理解すべきです。至高主に協力しなければ、私たちは人生で道に迷ってしまいます。私は何度も機械から外れたネジは何の価値もないという例を使いました。しかし、同じネジが再び機械に取り付けられれば、それは価値を持ちます。同様に、私たちは主の欠かすべからざる一部です。神なくして私たちに何の価値があるでしょう。何もありません!私たちは再び神に付属した位置に戻るべきです。そうすれば私たちには価値があります。
B今日の午後、訪問してきた人に会いました。彼が来た理由は―――滑稽だと思われるかもしれませんが―――彼はマーヤープールにヒッピーたちがいると聞いたのです。
SP何ですか?
B彼はマーヤープールにヒッピーたちがいると聞いたのです。私は彼と話していて、それから何人かの献身者たちも彼と話していました。彼が言ったことのいくつかに対して、私は答えを見つけることができませんでした。彼はあしたまたやってきて何人かの献身者たちに会うと言いました。しかし、彼が言ったことを聞いてください。ややこしいのです。彼は若いとき―――
SPその人はインド人ですか?
Bそうです。インド人です。近くに住んでいて、かなり上手に英語を話します。彼は若いとき毎日厳格にカーリー(人気のある女神)を崇拝していました。そしたら洪水が起こりました。洪水が来ると人々は苦しみ、今では彼は宗教を持たず、人々の間で愛を育もうとすることに幸せを見出すと言います。そして私は彼の人生に神と宗教を加えることについて、言うべきことを見つけることができませんでした。彼は死んだら「もしかしたら神の一部になるかもしれないし、そうじゃないかもしれない」、でも今はそのことについて思い煩うことはできない、と言います。彼はこういう宗教的な経験を試みてみたけれど効果がなかったと言います。このことをお尋ねする一つの理由は、アメリカに帰ると私の出会うたくさんの人々がこんなふうだからです。彼らは、宗教は、彼のカーリーの崇拝や彼らが経験した他の種類の宗教は、効果が無いと見なすのです。そして私は彼らにそれは試みる価値があると説き伏せるために何と言えばいいのか分からないのです。
SP今は試みてはなりません。あなたは自分自身が納得するように努力しなさい。
Bはい、私は彼に献身者たちに会うように頼みました。でも彼が帰りかけていたときにもう一度会って、私は「戻って来てください」と言い、でも、、、ああ、そうか。
SPまずあなた自身が納得せねばなりません。それから他の人たちを納得なせようとしなさい。チャイタンニャ・マハープラブの教えは、人は自分自身の人生が成功しているときに他者の人生を向上させることができるというものです。(サンスクリット引用)まずあなたの人生を完璧なものにしなさい。それから他の人に教えようとしなさい。
B献身者たちは、いつもクリシュナを意識していなければ幸せになれないと言いました。しかし私は時々幸せだと感じます。
SP時々であって、いつもではないのですね。
Bそうです。
SPしかしもしあなたがクリシュナ意識になれば、いつも幸せに感じるでしょう。
B彼らはクリシュナ意識無しでは幸せに感じることはできないとほのめかすのです。
SPそれは事実です。例えば、もしあなたが陸の動物であって水中に投げ入れられれば、どんな状態でも水中では幸せではありえません。もういちど陸上に引き上げられると幸せになります。同様に、私たちはクリシュナの欠かすべからざる一部です。私たちはクリシュナの一部でなければ幸せであることはできません。同じ例を挙げましょう。機械の一部は機械がなければ何の価値もありません。しかしそれが再び機械に取り付けられれば価値が出ます。私たちはクリシュナの一部です。私たちはクリシュナに加わらなければなりません。そしてあなたは意識によって直ちにクリシュナに加わることができます。単に「私はクリシュナのもの、クリシュナは私のもの」と考えればよいのです。それだけです。
B何とおっしゃったのですか?クリシュナは、、、
SPクリシュナは私のもの。
B私のもの?
SPそうです。私のもの。私のクリシュナ。
Bああ。
SPクリシュナは私のもの。クリシュナは私のもの。
Bはい。
SPそしてクリシュナは私のものです。それが私たちの本当の立場です。
B私たちはクリシュナの一部なのですね。
SPそうです。すべてのものはクリシュナの欠かすべからざる一部です。すべてのものはクリシュナのエネルギーによって形成されていて、すべてのものはクリシュナのエネルギーであるからです。
インド人の紳士スリラ・プラブパーダ、一つ質問があります。献愛の念のない奉仕とはどのように位置付けられますか?
SPふむ。それは奉仕ではありません。取引です。(皆、笑う)例えば、ここマーヤープールでは私たちは契約労働者を雇いました。それは奉仕ではありません―――取引です。そうではありませんか?時々、「お客様は私たちのご主人様です」と広告しているのを見かけます。そうでしょう?しかし、そういう甘い言葉とは裏腹に、これは取引なのです。支払いをしない限り、誰もお客としての資格がないからです。しかし、奉仕とはそういうものではありません。チャイタンニャ・マハープラブはクリシュナに次のように祈られます。(サンスクリット引用)「あなたは何であれお好きなようになさってください。それでもあなたは私の崇拝する主です」それが奉仕です。「私はあなたから何の見返りも求めません」それが奉仕です。見返りを期待するとき、それは取引です。
Bどうしたら神をもっと身近に感じられるか、助言を頂きたく思います。私はもうすぐここを去ります。そして私は―――
SPあなたは清められなければなりません。
B私は時々お寺に来て、それから帰りますが、それでどれくらい(教えを)自分のものにしているのか分からないのです。
SP長い時間はかかりません。6ヶ月の内にあなたは自分の進歩に気づくでしょう。しかし、規律的な原則に従わねばなりません。そうすれば大丈夫です。ちょうどこの若者たちや娘たちがしているように。
Bはい、分かります。
SP彼らには映画やホテルに行こうという傾向はありません。ないのです。彼らは全てのアナルサ、すべての不要なものを止めたのです。
B私は感じるのです―――帰ったら、みんなが―――
SP人間の人生のすべては清めのためにあります。
Bはい。
SP(サンスクリット引用)サットヴァは存在を意味します。存在を清めなければ体を替えなければなりません。この体から別の体へです。それは今の体より高い場合もあり、低い場合もあります。例えば、もし病気を治さなければ、それはあなたをいろいろに苦しめるでしょう。同様に、もしあなたが自分の存在を清めないなら、一つの体から別の体へと移り渡らねばなりません。とてもかすかな自然の法則が存在します。さて、あなたがとても居心地の良い体やアメリカ人の体を得られるという保証はありません。したがって、人間にとって自分の存在を純化することは必要不可欠なのです。自分の存在を純化しなければ、幸せを追い求めてもいつも幸せではいられないでしょう。
Bニューヨークの仕事に戻るとき、私は清らかでいたいと思いますが、ここにいるあなたの献身者たちのように清らかでいられるかどうか分かりません。私は―――私は自分がそうしているところを想像できません。
SPあなたは彼らがしているようにすることができます。彼らも初めは清らかではありませんでした。今では清らかです。同様に、あなたは清らかになることができます。例えば、子供の頃あなたには教育がありませんでした。しかし今は教育を受けています。
Bでは、私は何をすればよいのでしょう。帰ったら私は必ず―――
SPいつ帰るのですか?
B仕事をしにチャイバサに帰り、それから、、、
SPチャイバサには何があるのですか?
Bそこで教えているのです。私はそこに住んでいます。
SPでは教えないほうがよろしい―――あなたは教えるべきことを知らないからです。
B(笑う)私は行きます―――この教えることというのは、あまり好きではないのです。それから5月にアメリカに帰りますが、ここにいる間はこれがインドに滞在するための契約なのです。
SPもしも真剣であれば、どこにいても純粋でありつづけることができます。アメリカだろうがインドだろうが、関係ありません。しかし、いかにして自分自身を清らかに保つかを知らねばなりません。それだけです。
Bこれらの原則に従うという意味ですか?
SPそうです。例えば私はアメリカに行きましたが、アメリカでもインドでも私は同じ人物です。
B私は―――最初にあなたにお会いしてから(1971年11月にカルカッタへの短期間の訪問をしたとき)ちょっと従おうとしてみました。
SPふむ。しかし、従うとは、もし真剣であるなら厳格に従わねばなりません。
Bたぶん―――、いいです、たぶん―――私が今言っているのは―――あの―――今までで一番馬鹿げたことを言いました。しかし、私の気持ちを聞いてください。
SPいえいえ、馬鹿げてはいません。馬鹿げているとは言いません。しかし、完全でないのです。
B分かりました。(笑う)不完全ですね。でも、聞いてください。私は今あなたの献身者たちを崇めて尊敬していますが、私は自分が彼らの仲間であるとか、彼らの仲間になりたいという強い望みがあるとも感じないのです。私はただ、望みを感じています―――私は正しいことをしたい、神に近づきたい、そしてもし―――そしてもし次にもっと良い人生が得られれば―――それで満足なのです。
SP大変結構です。
Bこれは物質的な執着なのでしょうが、しかし、、、
SP彼らのするようにしなさい。そうすればあなたの望みは満たされるでしょう。私たちは彼らを純粋で幸せになるにはどうしたらいいかと訓練しています。それが私たちの使命です。私たちは皆に幸せになって欲しいのです。(サンスクリット引用)人々はどうしたら幸せになれるか知りません。彼らは幸せになるための正道を通りません。彼らは自分たちの独自の道を作り出すのです。困難はそこにあります。したがって、リシャバーデヴァは息子たちにこのような助言をしました。「愛しい息子たちよ、超越的な認識のために苦行を行いなさい」誰もが苦行を行っています。私の知っているある若者は―――彼は商業管理を学ぶために外国へ行かねばなりませんでした。今では彼は社会的に安定した身分にあります。このように、誰もが将来の生活のために何らかの苦行を行わねばなりません。そうであれば、永遠の幸せのためにその苦行をしませんか?あなたは存在と体を清めねばなりません。物質の体を受け入れる回数と同じ数だけ取り替えねばなりません。しかし、霊的な体を得ると同時にもはや取り替える必要はなくなります。あなたはすでに霊的な体を持っています。今は物質的な汚染によって物質的な体を育んでいます。しかし、もしも私たちが霊的な生活と関われば、霊的な体が育まれるでしょう。何度か挙げた例ですが、もしもあなたが鉄の棒を火に入れれば、それは火のようになります。そうではありませんか?
B鉄の棒を火に入れるのですか?
SPそうです。そうすればそれは火のようになります。
Bはい。
SP鉄であるにも関わらず。
Bはい。
SP同様に、もしあなたがいつも霊的なものと関わっていれば、あなたの体は物質であるにも関わらず霊的な行いをするでしょう。同じ例を挙げます。鉄の棒が赤く熱されているとき、触ると火傷します。それは火の性質を持つようになるのです。同様に、もしあなたがいつもクリシュナ意識でいれば、そうすればあなたは霊化されるでしょう。あなたの行いは霊的になります。物資的な要求は無くなります。
Bどうすればそうなれますか?
SPこのプロセスです。彼らは実行しています。あなたはこれらの6人の若者たちを見ましたね。今日洗礼を受けた6人です。これはとても単純です。4つの規制的な決まりを守り、この数珠でマントラを唱えるのです。とても簡単です。
Bあの、でも、その―――ビハールに戻ってそこでいつもの自分の暮らしをしていると、私は―――もしこれらの規則的な原則を守ると―――いくつかは今でも守っていますが、全部は―――
SP「いくつか」というのは?
B「いくつか」?
SP規律的な原則は4つしかありません。「いくつか」というのは、3つですか、2つですか?
B2つか3つです。
SPではなぜもう一つのも守らないのですか?
Bいえ、違います。1つか2つです。今は1つか2つ守っています。
SP(笑う)なぜ他の3つを守らないのですか?何の難しいことがあるでしょう。どれを守っているのですか?
Bどれを守っているか、ですか?あの―――私はほとんど菜食主義者です。でも卵は食べます。
SPではそれも不完全ですね。
Bはい、それさえ不完全です。この前お会いしてから(11月)菜食主義者になりました。でも―――
SP菜食主義者であることは何の資格にもなりません。
Bほとんどならないですね。
SPハトは菜食主義者です。サルも菜食主義者です―――もっとも下らない生き物です。。。
Bはあ。。。
SPサルは菜食主義者です。森に住む裸の放棄階級者、、、最も悪賢い、、、
B私は、、、少しは進歩だと思っていたのです。最初は少し難しくて、それから簡単になって、それからもとに戻って―――
SPいいえ、あなたは全ての規律的な原則を守ることができます。ただし、クリシュナ意識のプロセスに馴染むようになれば、という条件付きですが―――そうでなければ不可能です。
Bはい、そうなのです。私は―――ビハールに戻ると、あの―――友人たちが、あの、、、私たちは夜、蚊を叩くくらいしかすることがなく、彼らが「マリファナでも吸わないか」と誘うのです。それで私は「そうしよう、他にすることもないし」と言って、座ってその夜を楽しく過ごすのです。私たちはこういうことをいつもやっていて、度を越すようになって毎日やっていて、体に良くないと気づいたので止めたのですが、今でも時折、、、
SPあなたは私たちと一緒に住まねばなりません。そうすればあなたの友人たちは「マリファナでもどうだい」と誘うことはありません。(ボブ、笑う)献身者たちと関わりを持ち続けなさい。私たちは人々に私たちと関わる機会を与えるためにセンターを開いています。なぜ私たちが(マーヤープールに)こんなにたくさんの土地を買ったと思いますか?真剣に求める人々が来て私たちと一緒に住めるようにするためです。関わりはとても影響力の強いものです。もしあなたが飲んだくれと関われば、あなたも飲んだくれになるでしょう。もしあなたがサードゥーと関われば、あなたもサードゥーになるでしょう。
Ss(SPの秘書)彼はボンベイに来てあなたと一緒に滞在すればよろしいでしょう。
SPそうです。あなたはボンベイで私たちと一緒に滞在すればいいのです。しかし、彼はマリファナを持った友人たちを望んでいます。それが難しいところです。
B他のことについてお尋ねしたいのです。それから後でこの事柄に戻るかもしれません。私は自分が自分のことばかり考えていると思います。そのため神のことをあまり考えられないのです。私は自分のことをあまりにも多くの場所で考えています。どうすれば自分のことを忘れてもっと他の、もっと重要なことに集中できますか?
SP彼ら(献身者たち)がしたようにするのです。
B(笑う)あなたは私の辿るべき道は―――純粋になるための私の道は献身者になることだとおっしゃっているように思えます。
SP躊躇しますか?
Bあの、私は、、、
SP献身者になることはとても難しいですか?
B私には―――難しいです。私は―――それほどの熱望を感じないのです。献身者たちは最初、物質的な生活を放棄したと言いました。これらの4つの規制的な原則は、彼らが説明してくれたのですが、物質的な生活を放棄することを意味していて、それは分かります。そして彼らはその代わりに、、、
SP物質的な生活というのはどういう意味ですか?(ボブ、沈黙)私はこのベッドに座っています。これは物質的ですか、霊的ですか?
B物質的です。
SPでは、私たちはどのように物質的な生活を放棄したのでしょう。
B私はこれを「物質的な利益への欲望」と解釈したのだと思います。。。
SP物質的とはどういうことですか?
B物質的な利益に向けて働き、必ずしもすべての物質を放棄しないこと。
SP物質的な生活とは―――感覚を満足させたいと望むとき、それは物質的な生活です。そして神に奉仕したいと望むとき、それは霊的な生活です。それが物質的な生活と霊的な生活の違いです。今は私たちは私たちの感覚に奉仕しようとしています。しかし感覚に奉仕する代わりに神に奉仕するとき、それは霊的な生活です。私たちの活動と他の人たちの活動の違いは何でしょうか。私たちはすべてを使っています―――テーブル、椅子、ベッド、テープレコーダー、タイプライター―――、では、違いは何でしょうか。違いは、私たちがすべてをクリシュナのために使っていることにあるのです。
B献身者たちは、自分たちが放棄した感覚的な喜びの代わりに霊的な種類の喜びを得たと言いますが―――しかし、私はこれを感じていないのです。
SP霊的な喜びは、あなたがクリシュナを喜ばせたいと望むときに訪れます。それが霊的な喜びです。例えば、母親は我が子に食べ物を与えるときのほうが幸せです。彼女は自分では食べていませんが、我が子がよく食べているのを見るとき、とても嬉しくなるのです。
Bふーむ、、、霊的な喜びとは、それでは、神を喜ばせることなのですね。
SP霊的な喜びとはクリシュナの喜びを意味します。
Bクリシュナを喜ばせること。
SPそうです。物質的な喜びは感覚の喜びを意味します。それだけです。これが違いです。あなたが単にクリシュナを喜ばせようとするとき、それが霊的な喜びです。
B私はこれをこんなふうに見ていました。私が考えていた神を喜ばせることというのは―――
SP神を喜ばせるための独自の方法を作り出してはいけません。作り上げてはいけません。例えば、私があなたを喜ばせたいとしましょう。そうしたら私はあなたに「何をして差し上げましょうか」と尋ねます。自分で何かしてあげることを勝手に考えるのではないのです。それは喜ばせることではありません。例えば、私がコップ一杯の水を欲しがっているとしましょう。もしあなたが「尊師は私が牛乳を、熱い牛乳を差し上げれば、もっとお喜びになるだろう」という考えを思いつけば、それは私を喜ばせません。もしあなたが私を喜ばせたいなら、あなたは「何をしたら喜んで頂けますか」と尋ねるべきなのです。そしてもしあなたが私の頼んだことをすれば、それは私を喜ばせます。
Bそして、クリシュナを喜ばせることとは、そうすると、クリシュナの献身者であることなのですね。
SP献身者とは、常にクリシュナを喜ばせている者のことです。彼には他に何もなすべきことはありません。それが献身者です。
Bハレ・クリシュナを唱えることについて、もう少しお話し頂けませんか?私はもう長いこと唱えていますが、定期的にではありません―――時折ちょこちょこと唱えるだけです。私はごく最近数珠を手に入れました。そして時々は唱えていて気分が良いのですが、別のときは全然そうではありません。私は正しく唱えていないのかもしれません。分かりません。
SPそうです。すべてのことには方法があります。あなたはその方法に従わねばなりません。
B献身者たちはマントラを唱えるときの恍惚感について話してくれます。
SPそうです。清められれば清められるほど、恍惚感も高まります。このマントラを唱えるプロセスは清めのプロセスなのです。
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by ammolitering4 | 2008-08-29 11:04 | 「完璧な問い、完璧な答え」 | Comments(0)

完璧な問い、完璧な答え 第四章

第4章 自然の3つの相
1972年2月28日(続き)

B人生には3つのグナ―――熱情、無明と徳―――があると読んだことがあります。このことについて少し説明していただけないかと思うのです。特に無明の相と徳の相の意味について。
SP徳では物事を理解することができます―――知識です。神が存在すること、この世は主によって作られたこと、たくさんのこと、本当のこと―――太陽はこうで、月はこうで―――ということが分かります。完璧な知識です。もし人がいくらかの知識を持っていれば、たとえ完璧でなくてもそれは徳です。そして熱情では人は体を自分だと思い、感覚を満足させようとします。それが熱情です。そして無明は動物の暮らしです。無明にあっては、神とは何であるか、どうすれば幸せになれるか、なぜ私たちがこの世界にいるのか、ということが分かりません。例えば、動物を屠殺場に連れて行こうとすると、それは行きます。これは無明です。しかし人間は抵抗します。5分後に殺されることになっている山羊に一握りの草をやると、それは食べているので幸せです。子供のようなものです。たとえあなたがその子を殺そうと思っていても、無邪気なので幸せで笑っています。それは無明です。
Bこれらの3つの相にいることがその人のカルマを決める、これは本当ですか?
SPそうです。自然の相との関わり様によって、人の活動は汚染されます。(サンスクリット引用)グナ、すなわち自然の相との関わり様によって、人は高い生や低い生を受けます。
Bでは、騙すことなどは―――どの相ですか?
SP騙すことは熱情と無明の混在です。ある人が別の人を騙すとしましょう。それは彼が何かを得たいと思っていることを意味します。彼は熱情に動かされています。しかし、もし彼が人を殺せば、彼はそのことで苦しまねばならないことを知らないので、それは熱情と無明の混在です。
Bでは、誰かが他の人を助ける場合はどうですか?
SPそれは徳です。
Bなぜそれが徳なのですか?それはどのような知性なのですか?つまり―――それは何の知識の表れなのですか?徳は知識を持っていることだとおっしゃいましたね。
SPはい。
B知性ですね。
SPそうです。
Bでは、誰かを助けることは?
SPそれはその誰かは無明であり、あなたはその人を啓蒙しようとしていることを意味します。
Bでは、知性を与えることは、、、
SPそうです。それは徳です。
Bでは単に手助けをすることは?
SPそれもまた徳です。
Bもしも物乞いの人が何も持っていなくて、誰かが施しをすれば、、、
SPそれもまた徳であるかもしれません。しかしあなたの国のバウアリー通りでは、誰かがいくらかの施しをすると、物乞いの人は直ちに酒を買って飲み、地面に寝そべっています。(皆、笑う)それは慈善ではありますが、徳ではありません。無明です。
B慈善が無明なのですか?
SP慈善には3つの種類があります―――徳、熱情、無明です。徳は慈善が与えられるべき場所に与えることです。このクリシュナ意識運動などです。誰かがこの運動に施しをすれば、それは徳です。この運動は神意識、クリシュナ意識を広めているからです。それは徳です。そしてもし人が何かの見返りを求めて施しをすれば、それは熱情です。そして人が正しくない場所と時に、尊重の念なく、そしてバウアリー通りの人のような施しに値しない人に施しをすれば、それは無明です。しかし、クリシュナはおっしゃいます。(サンスクリット引用)
「あなたのすること、食べるもの、捧げるもの、与えるもの、そして行う苦行のすべては、私への捧げ物としてなされるべきである」もしクリシュナがお受け取りくだされば、それは施しの完成です。あるいはクリシュナの代理人である誰か―――もしその人が受け取れば、それは完成です。
Bでは、お腹を空かせた人に食べ物を与えるのはどのような慈善ですか?
SPそれは状況によります。例えば、医者がある人に固形物を食べるのを禁じたとします。そしてその患者が「固形物をください」というのに答えてあなたが固形物を与えれば、それはその人のためになりません。それは無明です。
B献身者たちはもはやカルマを積み重ねないのですか?ここにいる献身者たちは―――彼らはカルマを感じますか?彼らはこれらの相の中で働くのですか?彼らは徳の相の中にいるのですか?
SP彼らは徳を越えたところにいます!―――献身者たちはこの物質世界にはいません。彼らは霊的な世界にいるのです。それはバガヴァッド・ギーターに述べられています。(サンスクリット引用)「いかなる状況にあっても堕落せず完全な献愛奉仕にいそしむ者は、ただちに物質自然の相を超越してブラーマンの水準に至る」献身者たちは徳にも熱情にも無明にもいません。彼らはこれらすべての性質を超越しています。
Bとても信仰の篤い献身者はこの段階に達するのですか?
SPそうです。献身者、、、彼らのようにあなたも献身者になることができます。難しくはありません。単に主への超越的な献愛奉仕にいそしめばよいのです。それだけです。
B私はもっと神に関する知識を増やしたいし、神の存在をもっと感じたいと思います。その理由は、それなくしては人生にはほとんど意味がないと感じるからです。
SPそうです!もしあなたがこの人間の形の人生を失えば、それは大きな損失です。これは物質的な存在の呪縛から逃れるために生命体に与えられた大きな機会なのです。
B私はこれらの質問をすることができたことを感謝しています。
SPそうです。あなたはもっともっと学ぶことができます。
Bしかし私はまだ、、、家に繋がりがあります。結婚は、、、私は婚約しているのです、、、
SPいいえ、構いません。結婚している人はたくさんいます。(シャーマスンダラを指して)彼は結婚しています。結婚は障壁ではありません。私はあなたに霊的な人生には4つの段階があるとお話ししました。ブラーマチャーリー、グリハスタ、ヴァーナプラスタ、そしてサンニャーサです。ブラーマチャーリーの生活の後は結婚することができます。そして結婚の後はヴァーナプラスタの生活です。これは人が家族から少し距離を置くということを意味します―――夫と妻は別々に住むのです。このときには性生活はありません。そして完全に家庭生活を離れて俗世を放棄するとき、その人はサンニャーサとなります。
Bその人は、その時は妻を完全に忘れるのですか?
SPそうです。忘れようと思えば、忘れることはあまり難しくありません。見えなくなると心からも消えます。(皆、笑う)ちょうど私に妻がいて子供がいて孫がいるようなものです。すべてがありますが、見えなくなると心から消える、それだけです。したがって、(サンスクリット引用)、すべてはヴェーダのシステムによって具合良く整えられています。
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by ammolitering4 | 2008-08-29 11:03 | 「完璧な問い、完璧な答え」 | Comments(0)

完璧な問い、完璧な答え 第三章

第3章
「人生の本当の目的地」1972年2月28日(続き)

スリラ・プラブパーダ(以下、SP)この運動は特に人間が人生の本当の目的地にたどり着けるようにするためにあります。
ボブ(以下、B)何の本当の目的地ですか?
SP人生の本当の目的地です。
B人生の本当の目的地は神を知ることですか?
SPそうです。家へ帰ること、至高神のもとへ帰ることです。それが人生の本当の目的地です。海から来る水は雲を形作り、雲は雨として降り、本当の目的地は川を下って再び海に戻ることです。私たちは神から来て、今は物質的な人生によって辱めを受けています。したがって私たちの目的はこの屈辱的な状況から抜け出して家に帰ること、至高神のもとに帰ることであるべきです。これが人生の本当の目的地です。(サンスクリット引用)「私のもとに至った後は、献愛深いヨギである偉大なる魂は決してこの惨めさに満ちた一時的な世界に戻ることはない。なぜなら彼らは最も高い完成を得たからである。」これがバガヴァッド・ギーターの教えです。「もしも私のもとに至れば、誰であれ(サンスクリット引用)」その人は再び戻ってくることはありません。どこに?この場所にです。(サンスクリット引用)この場所は惨めさの住む場所です。誰もが知っていますが、彼らはいわゆる指導者たちに騙されているのです。物資的な人生は惨めな人生です。クリシュナは、神は、この場所は(サンスクリット引用)、惨めさの場所だとおっしゃいます。そしてまた、(サンスクリット引用)、一時的でもあります。妥協することはできません。「分かりました。惨めなままで構いません。私はここにアメリカ人なりインド人なりで存在しつづけましょう」いいえ、それはできないのです。人はアメリカ人であり続けることはできません。アメリカに生まれたことで、あなたは自分はとても幸せだと思うかもしれません。しかしかなたはアメリカに長く留まることはできません。あなたはやがてその場所から追い出されねばならないのです。そしてあなたの次の人生は、それはあなたには分からないのです。したがって、それは(サンスクリット引用)、惨めで一時的なのです。それが私たちの哲学です。
Bしかし、神に関するいくらかの知識を持っていれば、人生はそう惨めではないのではありませんか?
SPいいえ!幾らかの知識では役に立たないのです。あなたは完璧な知識を持たなければなりません。(サンスクリット引用)
タットヴァターとは、「完璧に」を意味します。完璧な知識はバガヴァッド・ギーターの中で教えられています。だから私たちは人間の社会のすべての人にバガヴァッド・ギーターをありのままに学んで人生を完璧にする機会を与えているのです。それがクリシュナ意識運動です。あなたの科学は魂の移り渡りについて何と言っていますか?
B私は。。。科学は。。。それを否定することも肯定することもできないのだと思います。科学には分からないのです。

SPだから私は科学は不完全であると言います。
Bしかし、科学で説明できることもあるかもしれません。科学ではエネルギーは決して滅びず変化するのだといいます。
SPそれはよろしいです。しかし、エネルギーが未来においてどう働いているか―――それは科学には分かりません。エネルギーはどのように転換されますか?異なる力を加えられることで、エネルギーはどのように異なる動きをしていますか?例えば、電気です。異なる取り扱い方によって、それは暖房器具を動かし、冷蔵庫も動かしています。これらは全く正反対ですが、電気は同じです。同様に、このエネルギー、生きたエネルギーは、どのように指揮されていますか?どの方向に向かっていますか?来世においてどのように結実しますか?彼らにはそれは分かりません。しかしバガヴァッド・ギーターではそれは次のように明白に述べられています。(サンスクリット引用)
あなたはシャツなどの衣類で覆われています。このシャツが使い物にならなくなったら、取り替えます。同様に、この体はちょうどシャツやコートのようなものなのです。使い物にならなくなったら取り替えねばなりません。
B変わらなければならない「私たち」とは何ですか?変わらないものは何ですか?
SPそれは魂です。
B一つの人生から次の人生へですか?
SPそれが魂―――私です。どの「あなた」が喋っているのですか?あなたです!どの「私」が喋っているのですか?自己認識(アイデンティティー)、アートマー、すなわち魂です。
B私の魂はあなたの魂とは違うのですか?
SP違います。あなたは独自の魂であり、私も独自の魂です。
Bあなたはカルマの影響から退かれました。もし私もそうすれば、私たちの魂は同じになりますか?それとも異なりますか?
SPどの魂も、すべてにおいて同じ性質を持っています。あなたは現在、人生に対してある特定の概念を持っています。あなたと同郷のこれらの人々は(クリシュナ意識の献身者たちを指して)それぞれ別の特定の概念を持っていました。しかし、訓練によって彼らは異なる概念を持つに至りました。至高の訓練とは、クリシュナ意識になるための訓練です。それが完成です。
Bもし二人の人がクリシュナ意識であれば、彼らの魂は同じですか?
SP魂はいつも同じです。
Bそれぞれの人においてですか?どの人においても同じなのですか?
SPそうです。
B(二人の献身者を指して)もしこれらの二人がクリシュナ意識であれば、彼らの魂は同じですか?
SP魂は同じですが、常に独自です。たとえクリシュナ意識でなくてもです。例えば、あなたは人間で私も人間です。たとえ私がクリスチャンでなくても、たとえあなたがヒンズー教徒でなくても、それでも私たちは人間です。同様に、魂はクリシュナ意識であるかもしれず、ないかもしれません―――それは関係ないのです。しかし魂は魂です。
Bもっと詳しくお話ししてくださいませんか?
SP魂は―――純粋な霊として、すべての魂は平等です。動物においてもです。だから、(サンスクリット引用)と言われています。本当に知識のある者は外側の覆いを見ない、それが人間であっても動物であっても、という意味です。
Bこのことについてもう一つお尋ねしてもよろしいですか?
SPどうぞ。
B私は魂を何となく神の一部のようなものだと考えていました。時々、私は自分が神を感じていると思います。私はここにいて、あなたは神もここにおいでになるとおっしゃるかもしれません。ですから、もし魂が私の内側にあるなら、それなら私は神を自分の内部に感じ得るべきですか?神全体ではなく、つまり、ただ。。。
SP神の一部ですか?
Bでも、私は神を自分の中に感じないのです。でも神は離れて―――私から離れてここにおいでかもしれません。しかし、私は神を自分の内部に感じ得るべきですか?私の魂は神の一部なのですから。
SPそうです。神は内にもいらっしゃいます。神はどこにでもいらっしゃるのです。神は内にも外にもいらっしゃいます。これを知らねばなりません。
Bどうやったら神を内に感じることができますか?
SP初めは感じられないかもしれませんが、聖典(サーストラ)から、つまりヴェーダの情報から知らねばなりません。例えば、バガヴァッド・ギーターには(サンスクリット引用)、神はすべての者の心臓においでになる、また、(サンスクリット引用)、神はすべての原子の中にもいらっしゃるとも書かれています。つまり、これが最初の情報です。それからヨガのプロセスによってこれを認識しなければなりません。
Bヨガのプロセスですか?
SPそうです。
B ハレ・クリシュナを唱えるのはそのようなヨガのプロセスですか?
SPそうです。それもヨガのプロセスです。
B見つけるために―――この情報を感じるために―――内なる魂を感じるために―――私はどんなヨガのプロセスを取らねばなりませんか?
SPヨガのプロセスはたくさんありますが、今の時代にはこのプロセスはとても良いものです。
Bマントラを唱えることですか?
SPそうです。
Bこれを通して外なる神だけでなく内なる神も感じることができるのですか?
SPあなたは神のすべてを理解することができます―――神がどのように内にいらっしゃるか、神がどのように外にいらっしゃるか、神がどのような働きをしていらっしゃるか。すべてが明かされます。このような奉仕の態度によって、神はご自身を明かして下さいます。自分の努力で神を理解することはできません。神がご自身を明かしてくださることで初めて理解できるのです。例えば、夜になって太陽が見えないときは、松明や他のどんな明かりを使っても見つけることはできません。しかし朝になると松明などの明かりはなくても自動的に太陽を見ることができます。同様に、あなたは神が明かされるような状況を作り出さねばなりません―――自分をそのような状況に置かねばならないのです。何らかの方法によって神に「お会いしますので来てください」と頼めるようなものではありません。違います。神はあなたの命令を聞くための方ではありません。
B人は神がご自身を明かしてくださるように神を喜ばせねばならない、ということですか?
SPそうです。
Ss私たちが神を喜ばせているということを、どうやって知ることができますか?
SP神を見るときです。そうすれば理解できます。ちょうど食べ物を食べるときのようなものです。力を感じているかどうか、空腹が満たされたかどうか、誰かに聞いてみる必要はありません。食べれば自分がエネルギーを感じていることを理解できるのです。誰に尋ねる必要もありません。同様に、もしあなたが実際に神に奉仕すれば理解できるでしょう。「神が私に指図をしてくださっている、神はそこにいらっしゃる、私は神を見ている」
献身者あるいは、神の代理人を。
SPそうです。
献身者そっちの方が簡単です。
SP神の代理人を通さねばなりません。(サンスクリット引用)「霊的指導者の恩情によって、人はクリシュナの恩情という恩恵にあずかることができる」神の代理人を喜ばせれば、神は自動的にお喜びになり、そうやってあなたは直接神を見ることができます。
インド人の紳士神の代理人を喜ばせるにはどうしたらいいのですか?
SPその人の命令を実行しなければなりません。それだけです。神の代理人がグルです。グルはあなたに、あれをしてくれ、これをしてくれ、と頼みます―――もしあなたがそれをするなら、それが喜ばせることになります。(サンスクリット引用)「霊的指導者の恵みなくしては、人は何らの前進もできない」もしあなたがグルの不興を買えば、あなたはどこにも行けません。だから私たちはグルを崇拝するのです。(サンスクリット引用)「霊的指導者は主の最も親しい従者であるため、至高主と同じくらいの名誉を与えられねばなりません。これはすべての明かされた聖典によって確認されており、すべての権威者がこれに従っています。したがって、私は主クリシュナの真正なる代理人であるそのような霊的指導者たちの蓮の御足に尊敬を込めて服従の念を捧げます」グルは主として受け入れられるべきです。それが全てのサーストラの命令です。
Bグルは神の代理人として受け入れられるべきなのですか?
SPそうです。グルは神の代理人です。グルはクリシュナの外的な顕現です。
Bしかし、地上においでになるクリシュナの化身とは違うのですか?
SP違います。
Bグルの外的な顕現は、例えばクリシュナやチャイタンニャが地上においでになるときの外的な顕現とはどのように違うのですか?
SPグルはクリシュナの代理人です。ですから、グルである者の特徴があります。一般的な特徴はヴェーダに描写されています。(サンスクリット引用)グルは師弟継承に連なる者でなければなりません。そして自身の霊的指導者からヴェーダについて完全に聞いていなければなりません。一般的にグルの特徴は完璧な献身者であるということ、それだけです。そしてグルはクリシュナのメッセージを伝道することで主に仕えます。
B主チャイタンニャ―――あの方はあなたとは違うタイプのグルだったのですか?
SPそんなことはありません。グルには異なるタイプなどありません。どのグルも同じタイプです。
Bしかし主チャイタンニャは―――主は同時に化身でもあられましたか?
SPそうです。クリシュナ御自身です。しかし主はグルの代理でいらっしゃいます。
Bそう、、、そうですか。
SPそうです。
Bでは、それでは、、、
SPクリシュナは神であられたので、次のように要求なさいました。(サンスクリット引用)「すべての種類の宗教を捨て、ただ私に服従しなさい」しかし人々は主を誤解しました。だからクリシュナは再びグルとしておいでになり、人々にどうやってクリシュナに服従するかを教えてくださいました。
Ss神はバガヴァッド・ギーターにおいて「私は霊的指導者である」とおっしゃいませんでしたか?
SPそうです。アルジュナによって霊的指導者として受け入れられたので、主は最初の霊的指導者です。何の難しいことがあるでしょうか。アルジュナは主に言いました。「私はあなたの弟子であり、あなたに服従した魂です。どうぞ私を教え導いてください」主が霊的指導者でないなら、どうしてアルジュナが弟子になるでしょう。主は最初のグルです。(サンスクリット引用)「最初の創られた者ブラーマーの心に最初のヴェーダの知識を授けたのは、ただ主のみです」したがって主は最初のグルです。
Bクリシュナですね。
SPそうです。クリシュナが最初のグルです。そして主の弟子であるブラーマーがグルであり、その弟子ナーラダがグルであり、そしてその弟子ヴャーサがグルであり―――このようにして―――(グルの師弟継承が)存在するのです。(サンスクリット引用)超越的な知識は師弟継承によって受け継がれます。
Bではグルは知識をクリシュナから直接ではなく師弟継承によって受け取るのですか?あなたはクリシュナから直接いくらかの知識を受け取りますか?
SPはい。クリシュナの直接的な指示はここにあります。バガヴァッド・ギーターです。
Bそれは分かりますが、しかし、、、
SPしかし、あなたはそれを師弟継承を通して学ばなければなりません。そうでないと誤解するでしょう。
Bしかし今はクリシュナから直接情報を受け取らないのですか?それは書物から師弟継承を通して来るのですか?
SP違いはありません。例えば、私がこれは鉛筆だと言うとしましょう。もし私が彼に「そこに鉛筆があります」と言い、彼が他の人に「これは鉛筆です」と言えば、彼の教えと私の教えることに何の違いがあるでしょう。
Bクリシュナの恵みによって今これを知ることができるのですか?
SPあなたもクリシュナの恵みを受けることができます。ただし、それがありのままに伝えられていれば。私たちがバガヴァッド・ギーターを教えているようなものです。バガヴァッド・ギーターにおいて、クリシュナは次のようにおっしゃいます。(サンスクリット引用)「単に他のいろいろな形の宗教をすべて捨て、ただ私に服従しなさい」今、私たちはあなたが全てを捨ててクリシュナに服従すべきだと言います。だからクリシュナの教えと私たちの教えには何の違いもありません。全然脇に逸れていないのです。ですからもしもあなたがそのような完璧な方法で知識を受け取れば、それはクリシュナから直接に教えを受け取るのと同じくらい良いものなのです。しかし私たちは何の料金も取りません。
B私が恭しく信仰をもって祈れば、クリシュナは聞いてくださいますか?
SPはい。
B私たちから神へ、ですか?
SPそうです。主はあなたの内においでなので、いつもあなたを聞いておられます―――祈ろうが、祈るまいが。あなたが何か下らないことをしていても、主は聞いていらっしゃいます。そしてあなたが祈れば、それはとても良いこと―――喜んで受け取られます。
Bクリシュナの耳には、祈りは下らないことよりも大きく聞こえますか?
SPいいえ。主は完全に完璧です。すべてを聞くことがおできになります。たとえあなたが話さなくても、単に「私はこうしよう」と思っただけでも、主はあなたを聞いていらっしゃいます。(サンスクリット引用)クリシュナはすべての者の心臓に座しておいでです。
Bしかし人は祈るべきである―――そうなのですか?
SP祈ること―――それが仕事です。
B誰の仕事ですか?
SPすべての生命体のです。それが唯一の仕事です。(サンスクリット引用)それがヴェーダに述べられていることです。
Bそれはどういうことですか?
SP神はすべての者にすべての物を供給なさいます。主はすべての者に食べ物をお与えになります。だから神は父です。ではなぜ「父よ、私にこれを下さい」と祈るべきでないことがあるでしょうか。キリスト教徒の聖書に「父よ、私たちに毎日の糧を下さい」と書いてある通りです。それは良いことです。彼らは至高の父を受け入れています。しかし、大人になった子供たちは父に物をねだるものではありません。むしろ父のお役に立てるように心構えをしておくべきなのです。それが献愛です。
B私の疑問をあなたは見事に解決してくださいました。(皆、愛情を込めて笑う)
SPそれはどうもありがとうございます。
Bそれで、今もう一つお尋ねしてもよろしいですか?
SPええ、もちろんです!
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by ammolitering4 | 2008-08-29 11:02 | 「完璧な問い、完璧な答え」 | Comments(0)

完璧な問い、完璧な答え 第二章

第2章
「ヴェーダ文化」 1972年2月28日

ボブ(以下、B)私は献身者たちにセックスについてどう思うか尋ねました。彼らがどう感じているかは分かりますが、しかし私は自分が同じようにしているところを想像できません。私はこの夏の終わりに結婚するのです。
スリラ・プラブパーダ(以下、SP)それで?
B私はこの夏の終わりに、8月か9月にアメリカに帰ったときに結婚します。そして、献身者たちは家庭人は子供を作るためだけにセックスをするというのですが、私は自分がそんなふうにしているところを全く想像できません。そして―――物質世界に生きていて、人はどんな性生活を送れるのでしょう。
SPヴェーダの基本理念は、人は完全に性生活を避けるべきであるというものです。ヴェーダの理念の全体は物質的な呪縛から自由になることです。物質的な快楽に対する異なる執着が存在しますが、その中でも性生活は最大の快楽です。バーガヴァタムにはこの物質世界について以下のように書かれています。(サンスクリット引用)男は女に執着し、女は男に執着します。人間の社会だけではなく、動物の社会でも同じことです。その執着が物質的な生活の基本理念です。だから女は男との関わりを探し求め、男は女との関わりを探し求めます。すべての小説やドラマや映画や、普通に目にする広告なども、単に男と女の間の執着を描写しています。仕立て屋のショウウィンドウにさえも男と女の姿があります。(サンスクリット引用)この執着はすでに存在するのです。
B男と女の間の執着ですか?
SP男と女です。だからもしあなたがこの物質的な世界から自由になりたいなら、その執着を無になるまで減らさなければなりません。そうでないと、単に執着が増えるばかりです。あなたはまた生まれ変わらなければなりません。それは人間かもしれず、半神、動物、蛇、鳥、野獣、、、そういう可能性もあるのです。生まれ変わらねばならないのです。執着を増やすというこの基本理念は、一般的な傾向ではありますが、私たちとは関係のないものです。家、土地、子供。。。しかし、もし人がこれを減らし、止めることができるなら、それが一流です。したがって、私たちのヴェーダの仕組みとは、まず最初に男の子をブラーマチャーリー、全く性生活のない学生として訓練することです。ヴェーダの理念は執着を減らすことであり、増やすことではありません。だからシステム全体がヴァルナースラマ・ダーマと呼ばれます。インドのシステムはヴァルナとアースラマ、すなわち4つの社会階層と4つの霊的な階層から成ります。ブラーマチャリャ(性生活をしない学生生活)、グリハッサ(結婚生活)、ヴァーナプラッサ(引退生活)そしてサンニャーサ(放棄生活)、これらが霊的な階層です。そして社会的な階層はブラーマナ(知識階級)、クシャトリヤ(管理階級)、ヴァイシャ(商業と農業階級)、シュードラ(一般労働者階級)です。この仕組みの下では、規律となる理念は大変素晴らしく、たとえ物質的な生活を楽しもうという傾向の強い人であっても上手に導かれて、最終的には解放されて言えに、至高神のもとに帰ることができるようになっています。これが仕組みなのです。性生活は必要とされませんが、私たちはそれに執着しているので、いくらかの規律的な理念のもとでそれは維持されているのです。(どこか離れたところでチャンティング{集団で歌いながらマントラを唱えること}が始まり、エキゾチックなムリダンガ・ドラムの音が笑い声と高らかな角笛の音に混じって響いてくる)
SPシュリマッド・バーガヴァタムには次のように述べられています。(サンスクリット引用)この性生活は物質的な生活の基本理念です。男や女への執着です。そして彼らが結びつくとき、つまり男と女が結びつくとき、その執着は増大し、その増大した執着によって人はグリハ(家)、クシェトラ(土地)、スタ(子供)、アープタ(友情や社会)とヴィッタを蓄積しようという気持ちが湧きます。ヴィッタはお金を意味します。このようにして(サンスクリット引用)、人は絡まっていくのです。(サンスクリット引用)、これは幻想です。そしてこの幻想によって人は(サンスクリット引用)、「私はこの体であり、この体に関わるすべては私のものである」と考えます。
B何とおっしゃいましたか?
SPこの執着が増大します。物質的な生活には、「私はこの体である、そして私はこの体を特定の場所で得たので、それは私の国である」という考えが伴います。そしてそれは続いていきます。「私はアメリカ人だ、私はインド人だ、私はドイツ人だ、私はあれだ、私はこれだ―――この体だ。これは私の国だ。私は私の国と社会のためにすべてを犠牲にしよう」このようにして幻想は増大します。そしてこの幻想のもとで、人は死ぬと次の体を得ます。それはより優れた体であるかもしれず、劣った体であるかもしれません。その人のカルマによるのです。もしその人がより優れた体を得れば、それもまた呪縛です。たとえ天国のような惑星に行ってもです。しかし、もしも犬や猫になれば、その人の人生は失われます。あるいは木かもしれません。そういう可能性は大いにあるのです。この科学は世の中に知られていません。魂がどのようにしてある体から別の体で移り渡っていくか、そして魂がどのようにして異なる種類の体に閉じ込められるか、というようなことです。この科学は知られていません。したがって、アルジュナが「もし私が敵方にいる兄弟や祖父を殺せば。。。」と語っていたとき、彼は単に生命の身体的な概念に基づいて考えていたのです。しかし彼の問題が解決し得なかったとき、彼はクリシュナに屈服し、彼を霊的な指導者として受け入れました。そしてクリシュナが彼の霊的指導者になったとき、主はまずアルジュナを叱りました。(サンスクリット引用)「あなたは学識ある者のような口を利いているが、愚か者の代表だ。生命の身体的な概念について話しているからだ」この性生活は生命の身体的な概念を増大させます。したがって、仕組み全体はそれを無にまで減少させるためにあるのです。
B人生の段階に添って減らしていくのですか。
SPそうです。減らすのです。男の子は25年間まで性生活を規制して学生として訓練されます。これがブラーマチャーリーです。そして彼らの一部はナイシュシカ・ブラーマチャーリー(生涯性生活を避ける者)であり続けます。彼らは教育を受けており、霊的な知識に完全に精通するようになるので、結婚したいと思わないのです。これもまた規制されています。結婚しないで性生活をすることはできません。だから人間社会には結婚があり、動物の社会にはありません。しかし人々は徐々に人間の社会から動物の社会へと下降しつつあります。彼らは結婚を忘れつつあるのです。それもサーストラで予言されています。(サンスクリット引用)
カリユガ(現在の争いの時代)では徐々に結婚の儀礼は行われなくなるでしょう。若い男女は単に一緒に住むことに同意し、彼らの関係は性的な力に基づいて存在します。もしも男か女が性生活において欠陥があれば、彼らは別れます。この哲学についてフロイドなどの多くの西洋の哲学者がたくさんの本を書いています。しかしヴェーダ文化によれば、私たちは子供を作るためだけに性生活に関心を持ちます。それだけです。性生活の心理学を研究するためではありません。それに関してはすでに自然な心理学があるのです。たとえ一冊の哲学書も読まなくても、人は性的なのです。誰も学校や大学で教わったりしません。皆がすでにどうやってするか知っているのです。(プラブパーダ、笑う)それが自然な傾向です。しかし、それを止めるために教育がなされるべきです。それが本当の教育です。(長い沈黙あり。自転車のホーンの音、子供が遊ぶ声、群集がお互いを呼ぶ声が聞こえる)
B現在、アメリカではそれは革新的な概念ですね。
SPそうですね。アメリカでは改革を必要とすることがたくさんあり、このクリシュナ意識運動はそれをもたらします。私はあなたの国に行き、若い男女が友人同士のように住んでいるのを見ました。だから私は私の生徒たちにこう言いました。「あなたたちは友人として一緒に住んではいけません。あなたたちは結婚しなければなりません。」
B多くの人々が、結婚でさえ神聖でないと考えています。だから彼らは結婚したいという意欲を持ちません。人々は結婚し、もし物事がうまくいかないといかにも簡単に離婚するからです―――
SPそれもまたその通りです。
B―――だから結婚することは無意味だと考える人たちもいます。
SPそうではありません。彼らの考える結婚は合法的な買春だというものです。彼らはそのように考えますが、結婚とはそういうものではありません。あのキリスト教徒の新聞でさえ―――何といいましたか、「ものみの。。。」
Ss「ものみの塔」ですか?
SP「ものみの塔」です。その新聞では、ある神父が二人の男性の間の結婚を許したことを非難していました。同性愛です。このようなことがいろいろ起こっているのです。彼らは純粋に買春のために結婚するのです。それだけです。だから人々はこう考えます。「こんなに莫大な出費をしてまで専用の売春婦を囲う意味があるだろうか。ないほうがいい。」
Ss牛と市場の例もお話しになりましたね。
SPそうです。市場に牛乳があるなら、牛を飼う意味があるでしょうか。(皆、笑う)この西洋の国々は大変忌まわしい状態にあります。私は見ました。ここインドにもそれは徐々に忍び寄っています。だから私たちは霊的な生活の重要な理念について人々に教育を施すためにこのクリシュナ意識運動を始めました。これは特定の宗教運動ではありません。すべての人々の利益のための文化的な運動なのです。
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by ammolitering4 | 2008-08-29 11:01 | 「完璧な問い、完璧な答え」 | Comments(0)

完璧な問い、完璧な答え 第一章

第1章

すべてを魅了する者、クリシュナ
1972年2月27日

ボブ(以下、B)科学者とは何ですか?
スリラ・プラブパーダ(以下、SP)物事をありのままに知っている人です。
B物事をありのままに知っていると科学者は思っています。
SP何と言ったのですか?
B物事をありのままに知っていると科学者は思いたいのです。
SPそうではありません。知っているべきなのです。科学者は物事をありのままに知っているべきであるから私たちは彼らに教えを請います。科学者とは物事をありのままに知っている人を意味します。クリシュナは「すべてを魅了する者」を意味します。
B「すべてを魅了する者」ですか?
SPそうです。もし神がすべてを魅了する者でないなら、どうして神でありうるでしょう。人は魅力的である場合には重要な人物です。そうではありませんか?
Bその通りです。
SPでは、神は魅力的でなければならず、すべての者にとって魅力的でなければなりません。したがって、もしも神に名前があるなら、あるいはもし誰かが神に名前を与えたいなら、「クリシュナ」という名前だけが適切です。
Bしかし、なぜ「クリシュナ」という名前だけなのですか?
SP神はすべてを魅了する方だからです。クリシュナとは、「すべてを魅了する者」を意味します。
Bああ、分かりました。
SPそうです。神には名前はありません。しかし私たちは神をその性質を表す名前で呼ぶのです。もしある人がとても美しいなら、私はその人を「美人」と呼びます。もしある人がとても賢いなら、私たちはその人を「賢者」と呼びます。つまり名前は性質に伴って与えられるのです。神はすべてを魅了するので、クリシュナという名は神だけに与えられます。クリシュナは「すべてを魅了する者」を意味し、それはすべてを含みます。
Bしかし、「すべての力を持つ者(all-powerful)という名前はどうですか?
SPそうですね。。。もし力がないなら、どうしてすべてを魅了する者であり得るでしょうか。
シャーマスンダラ(スリラ・プラブパーダの秘書をしているアメリカ人の献身者。以下、Ss)すべてを含んでいるのです。
SPすべてです。神は非常に美しくなければならず、非常に賢くなければならず、非常に力強くなければならず、非常に名声高くなければならず。。。
Bクリシュナは悪人にも魅力的ですか?
SPそうですとも。彼は最大の悪党でした。
Bそれはどういうことでしょうか。
SP(笑いながら)彼はいつもゴピたちをからかっていたのです。
Ssからかっていた?
SPそうです。時折、ラーダーラーニーが外出すると、クリシュナは彼女を押し倒しました。ラーダーラーニーは「そういう悪さをしないでください、クリシュナ」と言いますが、二人は地面に倒れこみ、クリシュナはその隙に彼女に口付けします。(プラブパーダ、笑う)つまり、ラーダーラーニーはとても嬉しいのですが、表面的には彼は大変な悪党です。クリシュナの中に悪党という側面がなければ、どうしてそれがこの世界に存在し得るでしょう。私たちの神の定義は、彼がすべての源であるというものです。悪党という側面がクリシュナの中にないなら、どうして顕現し得るでしょう―――彼がすべての源だからです。しかし、彼の「悪党らしさ」はとても素敵なので、皆が彼の悪党らしさを崇めます。
Bそんなに素敵ではない悪党の場合はどうですか?
SP悪党であるというのは素敵なことではありません。しかしクリシュナは絶対です。彼は神なのです。したがって、彼の悪党らしさも良いものなのです。クリシュナは完全に良い存在です。神は善なのです。
Bそうですね。
SPしたがって、神が悪党になるときも、それも善なのです。それがクリシュナです。悪党であることは良くありませんが、クリシュナがそれをすると、彼は完全なる善なので、その悪党らしさもまた善なのです。人はこれを理解しなければなりません。
Bクリシュナを魅力的だと思わない人はいますか?
SPいいえ。すべての人が魅了されます。魅了されない人がいるでしょうか。そんな例を挙げてください。「この人物やこの生命体は、クリシュナに魅了されません」、そんな人を探してみてください。
B良くないと思うことをしたいと望み、でも力や名誉やお金を得たいと望む人は。。。
SPそういう人は?
B。。。そういう人は神を魅力的でないと思うかもしれません。神はその人に罪悪感を与えるので、魅力を感じないかもしれません。
SPいいえ、神を魅力的でないと感じることはありません。その人は力を得ることに魅力を感じています。人は力や財力を得たいと望みます。そうではありませんか?しかし、クリシュナより豊かな人はいません。したがって、クリシュナはその人にとって魅力的なのです。
Bもし豊かになりたい人がクリシュナに祈れば、その人は豊かになれますか?
SPもちろんです。
Bそういう方法で豊かになれるのですか?
SPその通りです。クリシュナはすべての力を持つ者なので、もしあなたが豊かになりたいと祈ればクリシュナはあなたを豊かにしてくれます。
Bもしある人が邪悪な生活をしていて、でも豊かになりたいと祈れば、その人はそれでも豊かになれますか?
SPそうです。クリシュナに祈ることは邪悪ではありません。
Bああ、そうですね。
SP(クスクスと笑いながら)どういうわけか、その人はクリシュナに祈っているのですから、その人を邪悪とは呼べません。
Bはい。
SP  クリシュナはバガヴァッド・ギーターで「(サンスクリット引用)」とおっしゃっています。読みましたか?
Bはい。サンスクリットは分かりませんが、英語のは分かります。
SPふむ。
B「たとえ最も邪悪な者であっても、私に祈れば。。。」
SPそれで?
B「。。。その人は引き上げられるでしょう」
SPそうです。クリシュナに祈った時点で、その人はもはや邪悪ではありません。したがって、神はすべてを魅了する者なのです。ヴェーダでは、完全真理、すなわち至高の人格神はすべての喜びの源であると言われています。(サンスクリット引用)すべての人は誰かを追い求めています。そこに幾らかにメロウを見るからです。
B何を見るのですか?
SP幾らかのメロウです。例えば、ある人が酒を飲んでいるとしましょう。なぜ飲んでいるのでしょうか。飲むことで幾らかのメロウを感じているからです。人はお金を追い求めます。お金を所有することでメロウを得るからです。
Bメロウとはどういう意味ですか?
SP(Ssに)メロウはどう定義されていますか?
Ss味わい、喜び、です。
B分かりました。
SP喜ばしい味わいということです。ですからヴェーダでは(サンスクリット引用)と言います。メロウの厳密な訳語はラサです。(Ssの妻マーラティーが盆に載せた食べ物を持って入室する)それは何ですか?
マーラティー揚げナスです。
SPおお、すべてを魅了する物、すべてを魅了する物です!(笑い)
Ssどうしてクリシュナは最も偉大な科学者なのですか?
SPクリシュナはすべてをご存知だからです。科学者とは、ある事柄について完璧に知っている人です。そういう人が科学者です。クリシュナはすべてをご存知です。
B私は今、科学の教師をしています。
SPそう、教えているのですね。しかし、完璧な知識を持たないなら、どうして教えられるでしょう。それが私たちの質問です。
B完璧な知識がなくても教えることはできます―――
SPそれは騙しているのです。教えているのではありません。騙しているのです。科学者たちが言うようなものです。「塊があって、、、それから創造が起こりました。多分、、、おそらく。。。」これは何ですか?ただの騙くらかしです!教えているのではありません。騙しているのです。
B今朝おっしゃっていたことを復唱させてください。興味深いお話でした。私は奇跡についてお尋ねしました。すると、愚か者だけが奇跡を信じるとおっしゃいましたね。なぜなら―――たとえば子供がいて、大人がこのテーブルを持ち上げたとします。それは奇跡です。あるいは、化学者がいて、酸と塩基を混ぜ合わせて煙なり爆発なり何なりを発生させたとします。知性のない者には、これは奇跡です。しかし、すべてのことには仕組みがあり、したがって奇跡を目にしたときにはそれは単にその人が仕組みを知らないだけなのです。ですから、愚か者だけが奇跡を信じ―――もし私が間違ったことを言っていたら直してください。
SPはい、はい。
Bイエスがお現れになったころ、人々は今より幾らか無知だったので、助けとして奇跡が必要だったとおっしゃいました。私はこれが正しくあなたがおっしゃったことかどうか自信がなかったのです。
SPそうです、そうです。奇跡は知性のない者のためにあります。
B私はこのことについてインドにたくさんいるという奇跡を起こす人々との関連でお伺いしました。
SPクリシュナは最も偉大な奇跡を起こす方です。
Bはい。
SPそれはクンティによって述べられています。。。
B完璧な知識なくして、私は何かを教えることはできないのですか?例えば私は。。。
SP知っていることだけは教えられます。
Bええ、でも私は知っている以上のことを教えると主張すべきではありませんね。
SPそうです。それは騙すことです。
Ss言い換えると、彼は部分的な知識で真実を教えることはできないということですね。
SPそうです。それはどんな人間にも不可能なことです。人間の感覚は不完全です。それではどうして完璧な知識を教えることができるでしょう。例えば、あなたには太陽が円盤に見えるとしましょう。あなたには太陽に近づく手立てはありません。もしあなたが望遠鏡やら何やらで太陽を見ることができるというなら、それもあなたが作ったものであり、あなたは不完全です。それではどうしてあなたの機械が完璧であり得るでしょう。したがって、太陽に関するあなたの知識は不完全です。完璧な知識がないなら、太陽については教えないことです。それは騙すことです。
Bしかし、太陽は93,000,000マイル離れたところにあると言われている、ということを教えるような場合はどうですか?
SP「―――と言われている」という時点で、それは科学的ではありません。
Bしかし、それではほとんどすべての科学が科学的ではないことになると思います。
SPそれが要点なのです!
Bご存知のように、すべての科学はあれやこれやの仮定に基づいています。
SPそうです。彼らは不完全に教えているのです。月についてあれだけ宣伝しているようなものです。あなたは彼らに知識が完璧だと思いますか?
Bいいえ。
SPそれでは?
B社会において、教師の正しい義務は何なのですか?科学の教師としましょう。教室で何を教えれば良いのですか?
SP教室で?単にクリシュナのことを教えるべきです。
B(他のことは)教えるべきではないのですか?
SPクリシュナについて教えることは、すべてを含みます。科学の教師の目標は、クリシュナを知ることであるべきです。
B科学の教師は、クリシュナを主題としつつ、酸とアルカリを混ぜるとか、そういう類の科学を教えることができますか?
SPどうやってできるでしょう?
Bもしも―――科学を学んでいると、自然の一般的な傾向に気が付きますが、これらの一般的な自然の傾向は統御する力を指し示します。。。
SP先日そのことを説明していました。私はある化学者に化学的な公式によると水素と酸素が組み合わさると水になるのかと尋ねました。そうではありませんか?
Bその通りです。
SP大西洋と太平洋には莫大な量の水があります。どれだけの量の化学物質が必要ですか?
B量ですか?
SPそうです。何トンですか?
Bたくさん、です!
SPでは、誰がそれを供給したのですか?
B神が供給なさいました。
SP誰かが供給したに違いありませんね。
Bそうです。
SPですから、それが科学なのです。このように教えることができます。
B酸とアルカリを混ぜると中性になるというようなことは教えるべきですか?
SP同じことです。たくさんの泡が立ちます。では、誰がそれを行っているのですか?誰が酸とアルカリを供給しているのですか?(長い沈黙あり)
Bでは、これも水と同じ源から発していますね。
SPそうです。水素と酸素がなければ水を作ることはできません。ここに広大な―――この大西洋と太平洋だけではありません。無数の惑星があり、無数の大西洋と太平洋があるのです。では誰がこの水素と酸素の水を作り、どうやってそれが供給されたのですか?それが私たちの問いです。誰かが供給したのに違いなく、そうでなければどうやって存在し得たでしょう。
Bしかし、どうやって水素と酸素から水を作るかということも教えるべきですか?これらを燃焼して合わせる方法は―――それも教えるべきですか?これは、水素と酸素を合わせて燃焼させると。。。
SPそれは二次的です。それほど難しくはありません。マーラティーがこのプーリ(パンの一種)を作ったようなものです。小麦粉があり、ギー(溶かして透明な脂肪分だけを集めたバター)があり、彼女はプーリを作りました。しかし、ギーと小麦粉がなくてはどうしてプーリを作れるでしょう。バガヴァッド・ギーターには、「水、土、空気、火―――これらは私のエネルギーである」と書かれています。あなたの体は何ですか?この外的な体―――それはあなたのエネルギーです。そのことを知っていますか?あなたの体はあなたのエネルギーから作られています。例えば、私は食べています。。。
Bはい。
SPこうして私はいくらかのエネルギーを作り出しており、したがって私の体は維持されます。
Bああ、分かりました。
SPしたがって、あなたの体はあなたのエネルギーからできています。
Bしかし、食べ物を食べると、その食べ物には太陽のエネルギーも入っています。
SP私は例を示しているのです。私は食べ物を消化することによって幾らかのエネルギーを作り出しており、それが私の体を維持しています。もしエネルギーの供給が正しくないなら、あなたの体は弱くなったり不健康になったりします。あなたの体はあなた自身のエネルギーからできているのです。同様に、この巨大な天空の体、宇宙は、クリシュナのエネルギーからできています。どうやってそれを否定することができるでしょう。あなたの体があなたのエネルギーからできているように、同じく天空の体も誰かのエネルギーからできているに違いありません。それがクリシュナです。(長い沈黙あり)
Bそのことを理解するために考えてみなければなりません。
SP何が理解しにくいのですか?それは事実です。(プラブパーダ、笑う)あなたの髪は毎日伸びています。なぜでしょうか。それはあなたがいくらかのエネルギーを持っているからです。
B食べ物から得るエネルギーですね。
SP何らかの方法であなたはそのエネルギーを得たのです!そしてそのエネルギーを通してあなたの髪は伸びています。もしあなたの体があなたのエネルギーから作られているなら、同様に巨大な顕現全体は神のエネルギーで作られています。これは事実です。それはあなたのエネルギーではありません。
Bああ、はい、そうですね。
献身者ちょうど―――この宇宙にある惑星は太陽のエネルギー―――太陽のエネルギーの産物であるようなものですか?
SPそうです。しかし、誰がその太陽を作りましたか?それはクリシュナのエネルギーです。それは熱だからであり、クリシュナは「(サンスクリット引用)」とおっしゃいました。「熱、それは私のエネルギーである」太陽はクリシュナの熱するエネルギーを代表するものです。それはあなたのエネルギーではありません。あなたは「私が太陽を作りました」とは言えません。しかし、誰かがそれを作ったに違いありません。そしてクリシュナはご自分が作ったとおっしゃります。私たちはクリシュナを信じます。だから私たちはクリシュナ人なのです。
Bクリシュナ人?
SPそうです。私たちの知識は完璧です。もし私が熱はクリシュナのエネルギーだと言えば、あなたはそれを否定することはできません。それはあなたのエネルギーではないからです。あなたの体にはいくらかの量の熱があります。同様に、熱は誰かのエネルギーです。そして、その誰かとは誰でしょうか。それはクリシュナです。クリシュナは、「そう、それは私のエネルギーである」とおっしゃいます。だから私の知識は完璧です。最も偉大な科学者から知識を得ているので、私は最も偉大な科学者です。私は個人的には愚か者かもしれません。しかし私は最も偉大な科学者から知識を得るので、私も最も偉大な科学者なのです。私には難しいことはありません。
B何とおっしゃいましたか?
SP最も偉大な科学者から知識を得ているので、私は最も偉大な科学者になるのに何の苦労もありません。(長い沈黙あり)「この土、水、火、空気、エーテル、心、知性と自我―――これらは私の8つの離れたエネルギーである」
B「離れた」エネルギーですか?
SPそうです。この牛乳のようなものです。この牛乳は何ですか?牛の離れたエネルギーです。(シャーマスンダラとボブ、認識にショックを受けて笑う)そうではありませんか?これは牛の離れたエネルギーの顕現です。
Ss副産物のようなものですか?
SPそうです。
Bでは、このエネルギーがクリシュナから離れていることの特別な意味は何ですか?
SP「離れている」ということは、これが牛の体から作られているけれど牛ではない、ということです。それが離れているということです。
Bでは、この地球などすべてはクリシュナから作られたけれどクリシュナではないということですか?
SPクリシュナではありません。あるいは、クリシュナであり、同時にクリシュナでないと言うことができます。それが私たちの哲学です。一つであり、異なるのです。これらのものがクリシュナとは異なるとは言えません。クリシュナ無くしては存在し得ないからです。同時に、「では私は水を礼拝します。なぜクリシュナでなければならないでしょう」とは言えません。汎神論者は、すべては神なので私たちがすることは何であれ神の礼拝であると言います。これはマーヤーヴァーダ哲学です。すべては神からできているのですべては神である、というものです。しかし私たちの哲学は、すべては神であるけれど神でもない、というものです。
Bでは、地上にあって神であるものは何ですか?地上には神であるものはありますか?
SPあります。すべては神のエネルギーからできているからです。しかしそれは何でもいいから礼拝して神を礼拝していることになるわけではありません。
Bでは、地上にあってマーヤー(幻想)でないものは何ですか?それは―――。
SPマーヤーは「エネルギー」を意味します。
Bエネルギーを意味するのですか?
SPそうです。マーヤー―――そして、もう一つの意味は「幻想」です。愚かな人々はエネルギーをエネルギーの源泉として受け入れます。それがマーヤーです。太陽の光のようなものです。太陽の光が部屋に差し込みます。太陽の光は太陽のエネルギーです。しかし、太陽の光が部屋に入ってきたからといって、太陽が入ってきたとは言えません。太陽が入ってくれば、あなたの部屋とあなた自身と―――すべては消滅するでしょう。一瞬です。太陽が入ってきたと理解する余裕はありません。そうではありませんか?
Bその通りです。
SPしかし、太陽の光は太陽ではないとは言えません。太陽がなければ、どこに太陽光があるでしょう。だから太陽光は太陽ではないとは言えません。しかし同時にそれは太陽ではありません。それが私たちの哲学です。(サンスクリット引用)、理解不可能なのです。物質的な感覚では、何かが同時に肯定であり否定であるということは理解できません。そういうことは考えられないのです。それは理解不可能なエネルギーです。そしてすべてはクリシュナのエネルギーなので、クリシュナはご自身をどんなエネルギーからでも顕現させることができます。したがって、私たちが土や水や、そんなふうな何かから作った形でクリシュナを礼拝するとき、それはクリシュナなのです。それはクリシュナでないとは言えません。私たちがこの金属でできたクリシュナ(お寺にある神像)を礼拝するとき、それはクリシュナです。それは事実です。なぜなら金属はクリシュナのエネルギーだからです。したがってそれはクリシュナと異ならず、クリシュナはとても強大なので、ご自身を自分のエネルギーの中に完全に表すことができます。この神像礼拝は未開の異教ではありません。これは実際に神の礼拝です。仕組みが分かっていれば、ということですが。
B仕組みが分かっていれば神像がクリシュナになるのですか?
SPクリシュナになるのではありません。クリシュナなのです。
B神像はクリシュナであるが、仕組みが分かっている限りにおいてそうだということですか?
SPそうです。ちょうどこの電気ワイヤーのようなものです。これは電気です。仕組みを知っている者は、これから電気を得ることができます。
Ssそうでなければただの針金ですね。
SPただの針金です。
Bでは、もしも私がクリシュナの像を作れば、それは(仕組みを知らない限り)クリシュナではないのですね。。。
SPそれはクリシュナです。しかし、それがクリシュナであると理解する仕組みを知らねばなりません。それはクリシュナです。
Bただの土と泥ではないのですね。
SP違います。土はクリシュナ無くして独立した存在は持ちません。クリシュナは「私のエネルギー」とおっしゃいます。エネルギーをエネルギーの源泉から切り離すことはできません。それは不可能です。熱を火から切り離すことはできません。しかし火は熱とは異なり、熱は火とは異なります。熱を得ているとき、それは火を触っているということを意味するわけではありません。熱を放っているにも関わらず、火は独自の存在を保っています。同様に、クリシュナはその異なるエネルギーですべてを創造しているにも関わらず、クリシュナであり続けます。マーヤーヴァーディーの哲学者たちは、もしクリシュナがすべてであるならクリシュナの離れた存在性は失われる、と考えます。それは物質的な考え方です。例えば、この牛乳を少しずつ飲んで飲み干してしまうと、もう牛乳はありません。それは私のお腹に入ってしまったのです。クリシュナはそういうものではありません。クリシュナは万能です。私たちは彼のエネルギーを常に使っています。それでもクリシュナはそこに存在します。無数の子供たちを作っている人のようなものです。それでもその人は存在します。単純な例です。何百人もの子供を作ったからといって、その人がいなくなるわけではありません。同様に、神、すなわちクリシュナは、無数の子供がいるにも関わらず存在しています。
(サンスクリット引用)
「主は完全なる全体なので、たとえ主から無数の完全な固体が発しても完全なバランスを維持します」これがクリシュナ意識です。クリシュナは決していなくなりません。クリシュナはとても強大です。だから主はすべてを魅了するのです。これはクリシュナの一側面の表れです。同様に、主は無限のエネルギーをお持ちです。このクリシュナのエネルギーの研究は一側面、あるいは一部に過ぎません。したがって、このようにしてクリシュナの研究を続ければ、それがクリシュナ意識です。それは偽物ではありません―――「多分」、「おそらく違う」、などではないのです。完全に、全くそうなのです。
Ssそして、研究そのものは決して終わりませんね。
SP終わりません。どうして終われるでしょう。クリシュナは無限のエネルギーをお持ちなのです。
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by ammolitering4 | 2008-08-29 10:59 | 「完璧な問い、完璧な答え」 | Comments(0)

完璧な問い、完璧な答え

お久しぶりです。3冊目の翻訳が仕上がったので、少しずつご紹介していきます。今度のは「Perfect Question, Perfect Answers」というもの。会話の様子がリアルで、しどろもどろのボブさんと超然たるプラブパーダが目に浮かぶようです。翻訳そのものは逐語訳としています。ご自分でお好きなように会話のスタイルを変えながら読んでご覧になるとよいでしょう。

完璧な問い、完璧な答え

A.C. バクティヴェダンタ尊師プラブパーダ睨下とインドのピース・コープ・ワーカー、ボブ・コーヘンとの対話

初めに

神、霊的な生活―――これらは私にとってスリラ・プラブパーダとお会いするまではとても漠然とした言葉でした。

宗教にはずっと興味がありましたが、クリシュナ意識の献身者たちに会う前は、なぜか霊的な生活について実りのある問いかけをするのに必要な正しい視点を持っていませんでした。

創造者の存在は単に常識に過ぎません―――しかし、神とは誰でしょうか。

私は誰でしょうか。

私はユダヤ人学校で東洋哲学を勉強しましたが、私の問いへの満足な答えを得ることはできませんでした。

私は1968年の終わり頃にニューヨークのグリーンウィッチ村で初めてハレ・クリシュナ・マントラを聞きました。
ハレ・クリシュナ、ハレ・クリシュナ
クリシュナ、クリシュナ、ハレ、ハレ
ハレ・ラーマ、ハレ・ラーマ
ラーマ、ラーマ、ハレ、ハレ

私はチャンティング(マントラを唱える声)に魅了され、安らかな気持ちになりました。

マントラは私の心にくっついてしまい、私は程なく献身者たちから雑誌を貰ってこなかったことを後悔しました。

後で説明してもらったのですが、やがて至高神への愛へと成熟する超越的な種が蒔かれていたのです。

数ヵ月後、私はたまたまハレ・クリシュナのマントラが書かれたカードを手に入れました。

そのカードには、「神のこれらの御名を唱えると、あなたの人生は至高のものとなるでしょう」と約束されていました。

私は時折それを唱え、マントラは確かに心の平安を与えてくれると気づきました。

化学の学士号を取って大学を卒業したあと、私は1971年にピース・コープに参加し、科学の教師としてインドに行きました。

インドで私はハレ・クリシュナ運動について調べてみました。

チャンティングに魅了され、哲学に興味をそそられてはいましたが、運動の正統性について好奇心があったのです。

インドに行く前にニューヨークのハレ・クリシュナ寺院を数回訪れていましたが、見たところ禁欲的な献身者の生活を自分でもしようとは思いませんでした。

インドでは1971年10月にカルカッタで催されていたお祭りで初めてクリシュナ意識の献身者たちに会いました。

献身者たちはヨガの目的と霊的な生活について問いかけることの必要性を説明してくれました。

彼らが実行している儀式や儀礼がつまらない感傷的な義務ではなく本物の実際的な生き方であると私は感じ始めました。

しかし初めは私にはクリシュナ意識の哲学を理解するのはとても難しいことでした。自分の顔にある鼻を同じくらい明らかな事柄について、私の西洋的な生い立ちが様々な些細な点で直視を妨げていました。

幸いにして、献身者たちは私にほんのいくつかの基本的な苦行をすることの必要性を説き伏せてくれました。

そしてそのようにして私は霊的な生活へのいくらかの理解を得始めました。

かつての自分が持っていた霊性と超越的な存在の概念がいかに的外れで内容に乏しかったか、今では振り返って思い出すことができます。

私はこのとき、1971年11月にほんの短い時間でしたがスリラ・プラブパーダにお会いしました。

そしてその後まもなくして菜食主義者になることを決心しました。

(私はベジタリアンであることを誇りに思っていました。

しかしスリラ・プラブパーダは鳩でさえも菜食主義者であると気づかせてくださいました。)

1972年2月、私はカルカッタで数人の献身者たちに会いました。

彼らはマヤプール(約150km北にある聖なる島)でのお祭りに招いてくれました。

このお祭りはクリシュナ御自身の化身であると考えられている主チャイタンニャ・マハープラブを称えて催されるものでした。

私はその頃にはネパールへの旅行を計画していましたが、ピース・コープからインドを離れる許可が下りなかったので、マヤプールに行きました。

マヤプールに向かったときは長くても二日くらいしか居ないつもりでしたが、結局一週間も滞在しました。

私はその島でただ一人の西洋人の非献身者でした。

そして私は献身者たちと一緒に彼らの土地で暮らしたので、これはクリシュナ意識について親しく学ぶ稀有な機会でした。

お祭りの三日後には私は招かれてスリラ・プラブパーダにお目にかかりました。

プラブパーダは小さな小屋に住んでいらっしゃいました。

それは半分レンガ積み、半分は藁葺きで、2つか3つの簡素な家具が置かれていました。

スリラ・プラブパーダは私に座るようにと促し、元気かと問い、そして何か質問があるかとお尋ねになりました。

献身者たちは、スリラ・プラブパーダは霊的指導者の師弟継承を受け継ぐ方なので私の質問に答えることがおできになると説明してくれていました。

私は、スリラ・プラブパーダはもしかしたら本当にこの世界で何が起こっているかご存知かもしれない、と思いました。

結局、プラブパーダの献身者たちはそう主張していたし、私は彼らを崇め、尊敬していました。

そのため、私はそのような気持ちで質問を始めました。

私は図らずして定められた方法で、つまり「霊的な生活について素直に問う」というやり方で、グル、すなわち霊的指導者に近づいたのです。

スリラ・プラブパーダは私を気に入ってくださったように見えました。

そしてその後数日間に渡って私の質問に答えてくださいました。

私は主に学術的な視点からの質問をしましたが、プラブパーダは常に個人的な答えを返してくださり、私が実際に自分の生活を霊化することができるようにしてくださいました。

プラブパーダのお答えは論理的で科学的で満足できるものであり、驚くほど明快でした。

スリラ・プラブパーダとの議論は現実的で明晰で、心躍るものでした。

スリラ・プラブパーダは辛抱強くクリシュナ、すなわち神が至高の享楽者であって至高の友、また至高の所有者であることを私に理解させようとしてくださいました。

神を理解するためには神意識について真剣にならなければならないという明らかなことを受け入れるにあたり、私は多くの障害物を投げかけました。

しかしスリラ・プラブパーダは冷厳に、そして親切に私を後押ししてくださいました。

私は自分の考えをうまく表すことができませんでしたが、スリラ・プラブパーダは私のすべての問いを理解して完璧に答えてくださいました。

ボブ・コーヘン
1974年8月14日
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by ammolitering4 | 2008-08-29 10:56 | 「完璧な問い、完璧な答え」 | Comments(0)