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英会話の続き

基本構文の二つ目は、右と左がイコールでつなげない形です。

どういうことかというと、例えば、インドに行くとしましょう。
I = in India. (インドにいる状態)
I = a visitor to India. (インドへの訪問者)
これならいいですが、
I = India. (インド)
とは言えません。こういうときに、いわゆる普通の動詞を使うのです。

I visit India. (訪問する)
I like India. (好む)
I travel in India. (旅する)
I think of India. (考える)
I respect India. (尊敬する)
I live in India. (住む)

この基本を質問形にしたり、否定形にしたり、過去形にしたり。何年も英語を勉強していても、案外この基本の理屈が分かっていない人って多いみたいです。いろんなややこしい修飾語や面倒な構文は後から加えればいいのです。この基本形だけでどれだけ自分を表現できるか、たくさん文を作ってみてください。

念のため、上の例文の変化を書いておきましょう。(一番のみ)
I don't visit India.
I din't visit India.

Do you visit India?
Did you visit India?

She visits India.
She doesn't visit India.

Does she visit India?
Did she visit India?
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by ammolitering4 | 2008-01-31 09:44 | 英語の勉強法 | Comments(0)

英会話をしてみましょう。

それではここで、ちょっと英会話の練習をしてみましょう。構文の基本は、「私は何とかです。」「私は何とかします」の二つです。英語というのは基本的に単純な構造の言語なのです。

まず、「私は何とかです」のほうから。これはI amで表現されます。be動詞、というあれですね。このbe動詞というのは、算数で言うとイコールに当たります。英語の勉強に数学が出てくるなんて絶望したくなる人もいるかもしれませんが、それは例外なくもともとそういうものなのです。

では、「私は」何でしょうか。
1.ハレ・クリシュナの献身者。
2.日本人。
3.クリシュナが好き(な状態)
4.アーティスト。
5.仕事に遅れている(状態)

なんでもいいんですけど、外国の献身者の人と英語で話すときの基本がこれです。英語にしてみると。。。
1. I am a Hare Krishna devotee.
2. I am a Japanese.
3. I am fond of Krishna.
  (I am in love with Krishna.)...だーい好き、愛し合っているのよ、であれば、こういう表現もあります。
4. I am an artist.
5. I am late for work.

全部同じ構文になるのがお分かりでしょうか。今度はこれを否定形にしてみましょう。
I am not a Hare Krishna devotee.
I am not a Japanese.
I am not fond of Krishna.
I am not in love with Krishna.
I am not an artist.
I am not late for work.

次は、話相手の人に質問してみましょう。
Are you a Hare Krishna devotee?
Are you a Japanese?
Are you fond of Krishna?
Are you in love with Krishna?
Are you an artist?
Are you late for work?

右と左をイコールでつなぐ文型は、しっかり覚えておきましょう。
過去形にしても同じことです。「過去の私」はなんだったでしょうか。

1.仏教徒だった。
2.仏教徒として育てられた。

I was a Bhuddist.
I was raised as a Bhuddist.

なお、同じ意味で変形のバリエーションもあります。
I used to be a Bhuddist.
ところが、2番目のは形を替えてused to beで表現すると少々おかしなことになります。
I used to be raised as a Bhuddist.
used to beという表現は、「過去はそうだったけど今は違う」という意味なので、「かつては仏教徒として育てられていたが、今は別なふうに育てられてる」ということになります。子供だったらそれでもいいのかな。。。
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by ammolitering4 | 2008-01-31 09:09 | 英語の勉強法 | Comments(0)

グルについて

Spiritual masterは、spiritual teacherと呼ばれることもあります。グルへの献身的な奉仕(devotional service)はとても大切です。(私は自分のことは一番上の棚に上げて偉そうに解説してますのでお許しください)

献身的に奉仕する、という動詞はto devoteです。名詞は、献身的な奉仕のことをdevotion、そうする人のことをdevoteeと言います。ディヴォーティーと発音しますが、アクセントは「ティー」のところにきます。

よく似た動詞にto dedicateというのもあって、何かに献身的に打ち込むことを言います。名詞はdedicationですが、そういう人を指す言葉は特にないようです。

さて、そうやって奉仕すべきグルですが、本来の言葉の定義は「暗闇を取り除く人」という意味です。英語だと'the one who removes darkness'ですね。霊的な成長(spiritual growth)を望む人は、正統な(authentic)グルを探してその教えを請いましょう。正統とは言えないグルにつくのは、山を知らない山岳ガイドにつくようなものだからです。なお、bona fideという表現もよく使われています。真実の、という意味です。同じような意味でtrue, real, などの表現でもいいですし、qualified(資格のある)でもいいでしょう。

グルは普通の人とは違って聖なる存在ですが、その「聖なる」に当たる表現を見てみましょう。divine, holyというのは、どちらも同じように「聖なる」という形容詞です。名詞はそれぞれ、divinity, holinessとなります。sageは通常「聖人」と訳されますが、saintと同じ意味だと思います。

また、グルはliving embodiment of the divineでもあります。これは神聖なる存在が生きた体に宿ったもの、あるいは生きた人間として顕現したもの、とでも言いましょうか。the divineというように「the形容詞」という表現をすると、名詞のような扱いになります。そういうわけでもはや普通の曇った人間ではなくなったグルは、そこにいて下さるだけで神様の光を届けてくださる、ありがたい媒介者、mediumなのです。これはミディアムと発音します。どこかで聞いたような気がしますね。そう、Sサイズ、Mサイズ、Lサイズの真ん中のミディアムです。真ん中、中立、中庸、したがって媒介にもなれる、という連想をしてみてください。

なお、媒介する、という動詞にはto transmitがあります。また、輝く光を放射することをto radiateと言います。太陽の光をtransmitしてradiateしてくださる透明のガラス窓のような存在なので、暗闇で光を求めるモヤシのような私たちは、できるだけその恩恵を受けられるようにしたいものです。
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by ammolitering4 | 2008-01-31 08:40 | 英語の勉強法 | Comments(0)

スピリチュアル・マスター

それでは、そんなとんでもないところからどうやって抜け出せるかというと、まず自力では無理ですね。道に迷った羊と同じで、羊飼いにわざわざ探しに来てもらえなければ、一人で無事に家に帰れる可能性は無きに等しいのです。羊と違って魂は死んでも死ねないものだから、生まれ変わっては迷い続けるうちに、家があったことさえ忘れてしまう。。。そしてそのうちに筋金入りのタフな荒武者になって、荒野を我が家と呼んで陽炎みたいな王国、kingdom(キングダム)を築くんでしょうね。

物質の世界を抜け出すことを解脱といいますが、これは英語ではliberation、リべレーションと言います。ウーマンリブ(古い言葉ですねえ)のリブですね。解放すること、されること、という意味です。to liberateは「解放する」という動詞です。なお、自由を意味するlibertyも、同じ語源から出ています。

リべレーションに導いてくれる人のことをspiritual master、直訳すると霊的指導者といいます。グルですね。導師、ともいいます。これの筆頭はもちろん神様ですが、実感が湧かないなら可哀相、ということか、神様は私たちがもっと身近に実感できる存在を送ってくださいました。ちゃんと人間の形をしてここにいて、神様の言葉をそのままに伝えて導いてくださる方です。プラブパーダしかり、その師も、そのまた師もしかり。鎖のように、あるいはロウソクをリレーしてともしていくみたいに、ずーっと昔から伝わってきたのです。

こういう師弟継承のことをdisciplic succession(ディサイプリック・サクセッション)と言います。師匠はmaster、弟子はdiscipleです。ディサイプルと発音します。この言葉と良く似ているのが、discipline。ディシプリンと発音します。しつけ、規律、訓練、などを指す言葉です。当然ながら、語源を同じくしています。弟子になるということは、師匠の教えにしたがってビシッと規律正しく生きる覚悟が必要なんですね。うーん、難しい。。。

successionという言葉はsuccess、成功、に似ています。これも語源が同じなのです。動詞のto succeedは、もともとは「何かの結果が出る」、というような意味です。成功しようがしまいが、あれの結果がこうなった、という意味なのです。それがやがて「うまくいく」という意味を持つようになり、一方では「連続、継承」などの意味を持つようになりました。今でも誰かが地位などを相続するときに使われます。

なお、こうやって肉体の外側、externalに存在して導いてくれるspiritual masterの他に、体の中、internalには神様が直接ご自身の完全な分身として宿っていてくださいます。これをsupersoulと言います。スーパーマンのスーパーですね。超絶した魂、とでも言いましょうか。
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by ammolitering4 | 2008-01-30 03:48 | 英語の勉強法 | Comments(0)

惨めな物質界

暗い話のついでですので、もっとたくさん並べましょう。物質界の描写です。なお、霊的な世界の描写はこのブログのずっと前の記事に詳しく書いてますので、一番下まで行って「次のページ」で見つけてください。
inferior  劣性で、
temporary  一時的で、
miserable  惨めで、
bestial  野蛮で、
insignificant  取るに足らず、
destructive  破壊的で、
dark  暗くて、
inauspicious  縁起が悪くて、
unclean  不潔で、
inpure  不純。。。

それはひどい。Prison、「刑務所」はまだしも、口の悪い人によればstool pit「肥溜め」とさえ比べられています。そんなところにいるのですから、私たちの様子もぱっとしません。
mortal  死ぬ運命にあり、
conditioned  本来自由だったはずなのに様々に制限され、制約され、束縛され、、、
lost  道に迷っていて、
trapped  ワナにはまっていて、
misled  間違ったふうに導かれ、
misguided  間違ったふうに指導され、
illusioned  惑わされ、
fooled  騙され、
cheated  ペテンにかけられたものだから、
distressed  当然、ストレスをためこんでいて、
disappointed  落胆していて、
suffering  苦しんでいて、
frustrated  いらいらしていて、
ailing  体も弱って病気になり、
restless  落ち着きもないし、
forgetful  記憶力も落ちる。
condemned  つまり、私たちには苦しみが運命づけられているのです。
doomed  お先真っ暗、確実です。

参りましたね。どうしましょう。

ちょっと詳細を見てみましょう。カッコの中は反対語です。
inferior  劣性の (superior)
名詞形はinferiorityだと「劣っていること」というような意味になりますが、inferiorそのままだと「部下、後輩、目下の者」という意味になります。

temporary  一時的な (eternal, permanent)

miserable  惨めな
名詞形はmisery、惨めさ、です。

bestial  野蛮な (sophisticated)
凶暴で獣みたいな様子を表す言葉です。類似の言葉にbarbaricやunsophisticatedがあります。今でももう十分にbestialなのに、カリユガはまだ助走段階なんですね。

insignificant  取るに足らない (significant)
insignificanceだと名詞で「無意味さ、重要性のないこと」という意味になります。反対語はsignificance、「重要性」などの意味です。

destructive  破壊的な (constructive, creative)
動詞はto destroy、名詞はdestructionです。

dark  暗い (bright)
動詞はto darken、暗くする、があります。名詞はdarknessです。

inauspicious  縁起が悪い (auspicious)

unclean  不潔な (clean)
清潔にする、という動詞はto cleanですが、わざわざ不潔にする、という動詞は、、、何でしょう、to mess upかな。清潔さ、という名詞はcleanlinessなので、不潔さ、という場合はuncleanlinessになります。なお、類義語にdirty, filthyなどがあり、後者だと「けがらわしいほど汚い」というくらい強い意味です。

inpure  不純な (pure)
名詞形はinpurityです。なお、「純粋にする」という動詞はto purifyですが、これも先のto clean同様、「不純にする」という意味の一般的な動詞はないようです。あえていえば、曇らせる、という意味のto cloudでしょうか。
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by ammolitering4 | 2008-01-27 14:57 | 英語の勉強法 | Comments(0)

物質の場合

いいことづくめの霊的世界ですが、あいにく私たちはまだそこにいません。じゃあどこにいるのかと言うと、ここですね、物質界。。。

物質界には4つの基本的な苦しみがあります。
Birth  誕生
Old age  老い
Disease  病気
Death  死

そこで生命体は4つの動物的な活動をしています。マンモスを捕まえて食いちぎる、というメニューから子牛のプロバンス風ラズベリーソース添えに変わっても、単に見かけがsophisticated(洗練された)だけで、本質は変わりません。
Eating  食べること
Sleeping  眠ること
Defending/Fearing  身を守ること、恐れること(家族、財産、国土、などと広がっていきます。名詞はdefence)
Mating/Sense-gratifying  生殖すること、感覚を満足させること(名詞はgratification)

物質元素には8種類あります。なお、心や知性に似た言葉に「感情」がありますが、これはemotionといいます。
Earth  土
Water  水
Fire  火
Air  空気
Ether  エーテル(気のようなものなのでしょうか?)
Mind  心、精神(形容詞はmental)
Intelligence  知性(形容詞はintelligent)
False ego  仮の、あるいは偽りの自我。体を自分自身だと思っていること。なお、falseの反対はtrueです。

これらの元素には密度の濃淡があります。物質の体のように、個体や液体や気体など、重くて濃いもの。それと、心などのかすかなものです。
gross  重い、大きい、密度の濃い
subtle  かすかな、繊細な、密度の薄い

物質的な、という言葉がつくと、ろくな表現がありません。霊的な、という言葉と対になっていないものを集めてみました。
Material tribulation  苦難、試練
Material loss and gain  損失と獲得
Material bondage  束縛
Material misery  悲惨さ
Material misgiving  疑い、恐れ
Material aquisition  獲得
Material facility  設備
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by ammolitering4 | 2008-01-27 14:27 | 英語の勉強法 | Comments(0)

スピリチュアルなあれこれ

クリシュナ意識単語帳の続きです。前のはこのブログの初めのほうに(後ろのほう?)あります。なお、この単語帳は「簡単な宇宙旅行」を基にしています。英文の同書を読むときの参考になれば幸いです。

霊的な場所のことを指す表現はいろいろあります。これがすべて基本的には同じものを指すのですから面倒なことです。Spiritualをmaterialに置き換えれば、そのまま物質的なものを指すのに使えます。
Spiritual world  世界
Spiritual universe  宇宙
Spiritual sky  天空
Spiritual plane  水準、段階、次元
Spiritual region  領域、地域
Spiritual sphere  領域、領分、分野、天体、階層、地位、など 
Spiritual platform  水準(もともとは演壇や階段の踊り場など、立つことのできる平らな場所を指します。)
Spiritual planet  天体、惑星
Spiritual realm  王国、領域、世界

その他にも、spiritual何とか、という言葉はたくさんあります。霊的な世界の空気は、これ。
Spiritual atmosphere  大気、雰囲気

そこに存在するものすべてを指す言葉もいろいろです。
Spiritual existence  存在(動詞はto exist)
Spiritual creation  創造されたもの(動詞はto create)
Spiritual manifestation  顕現しているもの(動詞はto manifest)
Spiritual nature  自然

では、それは何でできているのかというと。。。
Spiritual atom  原子
Spiritual particle  粒子
Spiritual energy  エネルギー(形容詞はenergetic、エナジェティック、です。エネルギッシュ、と言っても通じません)
Spiritual element  要素
Spiritual principle  原理、元素
Spiritual object  物体

そういうのがクリシュナの意志によって形をとったのです。
Spiritual reaction  反応(動詞はto react)
Spiritual interaction  相互作用(動詞はto interact)
Spiritual combination  組み合わせ(動詞はto combine)

そこでの出来事は。。。
Spiritual life  人生、生活(動詞はto live)
Spiritual activity  活動(動詞はto act)
Spiritual affair  出来事、事柄
Spiritual experience  経験(動詞はto experience)
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by ammolitering4 | 2008-01-27 14:02 | 英語の勉強法 | Comments(0)

簡単な宇宙旅行 28

私たちは好むと好まざるとに関わらずこの体を手放さねばなりません。自然の法則の前に屈服してこの体を手放さなければならない日が来るのです。ケネディ大統領でさえ行進中に自然の法則に服従して体を別のものに替えなければなりませんでした。「私は大統領です。あのケネディなのです。そんなことはできません」とは言えないのです。彼はそうすることを強制されました。自然とは、こういうふうに働くものなのです。

私たちの発達した人間の意識は、自然がいかに働くかを理解するためにあります。人間の意識の他にも、犬、猫、毛虫、木、鳥、獣や他のすべての種類の生物に意識があります。しかし、私たちはそのような意識で生きるべき存在ではありません。シュリマッド・バーガヴァタムには、私たちは非常に多くの誕生を経た後で初めて人間の体を得た、と書いてあります。今、私たちはそれを誤用すべきではありません。この人間の人生をクリシュナ意識を深めることに利用して、幸せになってください。

「簡単な宇宙旅行・・・至高のヨガの実践による方法」改訂版 終わり。

注:この翻訳は下訳段階のものです。用語や表現など、間違いやぎこちなさも多々あります。現時点では推敲する時間があまり取れないので、不適切な点はご了承ください。大意は掴めることと思います。なお、現行のクリシュナ意識の本ではspiritualは「精神的な」と訳されていますが、ここでは「霊的な」という表現を使っています。精神にあたるのはspiritの他にmindという言葉があります。スポーツマン精神、などというときは「根性」とも言うべきspiritが使われますが、考えることなどの精神活動を指す場合や脳の働きに関する場合はmindです。精神的な、という形容詞はmentalです。Spiritは霊魂であり、精神ではありません。精神というのは病気などの影響を受けますし、物質的な枠内にあるmindであると考えるのが妥当だと思います。そのため、あえて文字通り「霊的な」という言葉を当てはめました。

以上です。いかがでしたでしょうか。原本は1959年に初版が発行されました。原子爆弾の記憶もまだ新しいころですね。宇宙探査に関しては、冷戦真っ只中、ソビエトとアメリカがしのぎを削っていたころのことです。これは改訂版ですので、実際に着陸してからの加筆の跡もありますが、大量殺人兵器などを開発するような心を省みることもなく宇宙にまで欲望の目を向ける現代の人間たちへのプラブパーダの観察は、今も変わらず貴重であると思います。

宇宙への好奇心そのものは、プラブパーダもおっしゃるようにまったく自然なものです。謙虚であることを忘れると、しかし、宇宙は愚かな私たちにそれなりの反作用をもたらすでしょう。2005年に行われたディープ・インパクト計画を覚えておいででしょうか。テンペル第一彗星という小さな彗星にNASAが衝撃弾を打ち込んで、総重量の6分の1弱を破壊しました。私たちにとっては小さな不要の彗星だったかもしれませんが、ヴェーダでは、すべての天体にそれぞれの環境に適した体を持った生命体がいる、と教えています。人間の目には見えず、人間の作った機械では計測できない生命体かもしれません。私たちには神も半神も、魂である自分自身すら見えません。「自分たちに見えないから生命はいない」などと、決して奢ってはいけないのです。傲慢さと愚鈍さは表裏一体であるように思います。

今年2008年10月には、NASAがルナ・リコネッサンスという探査機を打ち上げます。これは2-3年間月の軌道を周回したあと、月の南極に2トンの衝撃弾を撃ちこみ、さらに本体を衝突させます。これによって、地球の家庭用の望遠鏡で観察できるほどの爆発が起きると予測されています。このような行いに対して、プラブパーダが存命であればどのような発言をなさったか、私たちはせめて著作から学ぶできであろうと思います。

なお、一連の宇宙での破壊実験に関しては、以下のサイトに資料をそろえていますので、どうぞよろしかったらご覧ください。多くの著名な方のご感想も、全くの素人の方のご感想もあります。お読みになって、ご意見をお寄せください。そして、どうか多くの方に私たち人間が神様のお創りになった宇宙に対してしようとしていることを知らせてください。
彗星資料
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by ammolitering4 | 2008-01-27 11:37 | 「簡単な惑星旅行」 | Comments(8)

簡単な宇宙旅行 27

物質的な状況は私たちから永遠性を奪っています。シュリマッド・バーガヴァタムには、「日の出から日の入りまで、太陽は私たちの寿命を減らし続けます」と書いてあります。日々私たちは寿命を減らしています。太陽が朝五時半に昇るなら、夕方の五時半には私たちの寿命は12時間減っているのです。この時間を取り戻すことはできません。「12億円あげますから、あの12時間を返してください」と、どんな科学者に頼んでみても、「いえ、それは不可能です」という答えが返ってくるでしょう。科学者には時間を取り戻すことはできません。だからバーガヴァタムは「日の出から日の入りまで私たちの寿命は減り続ける」と言うのです。

時間は、カーラ、すなわち「過去、現在、未来」と呼ばれます。今は現在であるものは明日には過去となり、今は未来であるものは明日は現在になります。しかし、この「現在、過去、未来」というのは体にとってのものです。私たちは「過去、現在、未来」という枠内には属していません。私たちは永遠性の枠内に属しているのです。したがって、人はいかにして永遠性の水準に到達するか、あるいは、そこに昇進させられるか、と言ってもいいですが、そのことに心を配らねばなりません。人間の発達した意識は、食べること、眠ること、生殖すること、身を守ること、という動物的な性癖のために使われるべきものではなく、ここに述べる永遠性の人生を得るのに役立つ貴重な道筋を探し出すことに使われなければなりません。太陽が私たちの寿命を奪うと言われているのです。毎分、毎時、毎日、と。しかし、私たちがウッタマ・スロカ、すなわち主に関する事柄に関われば、その時間は奪われることがありません。人がクリシュナ意識の寺院で奉仕した時間は奪われません。それは財産なのです。プラスであって、マイナスではありません。体の寿命はそれでも減ります。どんなに減らないように努力しても、それは誰にもできません。しかし、私たちがクリシュナ意識で受ける霊的な教育は、太陽によって奪われることがありません。確固たる財産になるのです。

ハレ・クリシュナ、ハレ・クリシュナ、クリシュナ、クリシュナ、ハレ、ハレ。ハレ・ラーマ、ハレ・ラーマ、ラーマ、ラーマ、ハレ、ハレ。これを唱えるのはとても簡単なことです。主の御名を唱えていた時間は、体に関することで費やした時間のように奪い去られることがありません。50年前、私は若者でした。しかし、その時間は奪われ、返してもらうことはできません。しかし、私が霊的指導者から受け取った霊的な知識は奪われることがなく、私と共に行きます。この体を離れてからも、一緒に行くのです。そして、もしその知識がこの人生で完成したら、私を永遠の住まいへ連れて行ってくれるでしょう。

物質世界も霊的世界も、どちらもクリシュナに属します。私たちは何一つ所有していません。すべては至高主の資産なのです。国の中にあるものは、刑務所の中の物でも外の物でも、すべては政府に属するのと同じことです。制約された人生というのは、物質世界における刑務所での暮らしのようなものなのです。囚人は自分の好きなように一つの独房から別の独房に移ることはできません。自由な人生ではあの家からこの家へと自由に引っ越すことができますが、刑務所での人生ではそれはできません。自分の独房にいなければならないのです。天体はどれも独房のようなものです。私たちは月へ行こうとしていますが、機械的な方法では現実的ではないのです。アメリカ人やインド人、中国人やロシア人、私たちが何国人であっても、「ここに住むように」と、この惑星をあてがわれているのです。たとえ何百億何千億という天体があっても、地球を離れるための機械を持っていても、私たちはここを離れることはできません。私たちは、自然の法則、すなわち神の法律によって制約されているからです。ある独房に入れられた者は、権威者の許可なく好きなように他に移ることはできません。クリシュナはバガヴァッド・ギーターで「人はある独房から別の独房に移ろうとすべきではない」とおっしゃいます。そんなことをしても、それで幸せになる人はいません。もしも囚人が「私はこの独房にいる。看守に頼んで他のところに変えてもらおう。そうしたら私は幸せになれる」と考えているなら、それは考え違いというものです。人は刑務所の壁の内側にいる限り幸せではいられないのです。私たちは、資本主義から共産主義へと独房を変えることで幸せになろうとしています。目的は、この主義やあの主義から自由になることです。人はこの物質的なあらゆる主義から完全に離れなければなりません。そうしたら幸せになります。これがクリシュナ意識の段取りなのです。

私たちは至高の人物から助言を受けています。「親愛なるアルジュナよ、あなたはブラーマロカと呼ばれる最高位の天体系に上げられるかもしれません。寿命がとても長いので、そこは好ましいところです。」と主はおっしゃいます。私たちは、そこでの半日の長さですら計算することができません。私たちの数学的な計算の限界を超えたところにあるのです。しかし、そのブラーマロカにさえ死があります。したがって、クリシュナはおっしゃいます。「この天体やあの天体に上ろうとしたり移行したりしようとして時間を無駄にしてはいけません。」

私がアメリカで見た人々は非常に落ち着きがありません。彼らはアパートからアパートに引っ越したり、国から国に引っ越したりしています。この落ち着きのなさは、私たちが本当の家を探し求めているから表れているのです。この場所からあの場所に移っても、永遠の人生は得られません。永遠の人生はクリシュナと共にあるのです。したがって、クリシュナは次のようにおっしゃいます。「すべては私に属します。そして、私は「ゴロカ・ヴリンダーヴァナ」と呼ばれる究極的に素晴らしい住まいを持っています。」

そこに行きたいなら、クリシュナ意識になって、クリシュナがどんなふうに現れて消えるか、クリシュナの本来的な立場は何か、私たちの本来的な立場は何か、私たちのクリシュナとの関係は何か、そして、どう生きるべきか、ということを理解しようとしなければなりません。それだけでいいのです。これらの理念を科学的に理解しようと努めてください。クリシュナ意識のすべては科学的なのです。いんちきでも、気まぐれでも、感傷的でも、狂信的でも、空想でもありません。真実であり、事実であり、現実なのです。人はクリシュナを真実に理解しなければなりません。
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by ammolitering4 | 2008-01-27 11:11 | 「簡単な惑星旅行」 | Comments(0)

簡単な宇宙旅行 26

ヨガ体系によって魂を月に転生させることができれば、寿命は長くなります。高位の天体にあっては、私たちの6ヶ月が一日に当たります(180年=1年)。そして、そこに住む生命体は一万年生きます(180年x一万年なので、地球の時間だと180万年)。ヴェーダ文献にはこのように記されています。したがって、疑いようもなく人は大変長い寿命を得ますが、しかし、それでも死が存在します。一万年なり2万年なりの後に、あるいは何百万年もの後に(長さはどうでもいいのです)、死がやってきます。

実際には、私たちは死ぬ運命にはありません。そのことは、バガヴァッド・ギーターの始め(2.20)に断言されています。(サンスクリット引用)私たちは霊魂であり、したがって永遠です。それならなぜ自らに生と死を運命付けるのでしょう。このように考えてみるのが知性というものです。クリシュナ意識の者は大変知性的です。どんなに寿命が長くても死の待つ天体へ上げられることには興味がないからです。そんなことより、彼らは神のそれのような体を得たいのです。(サンスクリット引用)(ブラーマ・サムヒター5.1)神の体はサック・スィッド・アーナンダです。サット(サックは音便変化)は「永遠」、スィット(スィッドは音便変化)は「知識に溢れている」、アーナンダは「快楽に満ちている」という意味です。

私たちが発行した小冊子「喜びの源泉クリシュナ」で述べたように、もしも霊的世界に移行できれば、それがクリシュナの惑星であれ他の惑星であれ、私たちは神のと似た体を得ます。サック・スィッド・アーナンダ、永遠で、知識と喜びに満ちた体です。つまり、クリシュナ意識であろうとする者は、この物質世界のより良い天体に上ろうとする者とは人生の目的が異なるのです。主クリシュナは次のようにおっしゃいます。(サンスクリット引用)「ヨガの完成は自分を霊的世界に移行させることです。」(Bg.8.12)

霊魂は体の中にいる大変小さな微粒子です。私たちには見えません。人は魂を頭の頂上に上げようとしてヨガを修練します。この修練は生きている間続き、人が(魂である)自分を頭の頂上に置いて(頭蓋を)突破したときに完成に達します。それから人はどんな上位の天体にでも、好きなところに行けます。それがヨギーにとっての完成です。

もしヨギーが月を見たいという探究心を持っているなら、「そうだ、月がどんなところか見てこよう。それからもっと高位の天体に行ってみよう」と言えるのです。旅人が地球上でヨーロッパやカリフォルニアやカナダや、他のいろいろな国に行くのと同じことです。人はこのヨガ体系でいろんな天体に行けますが、どこに行くにも査証や税関のシステムがあります。他の天体に行くにはそれなりの資格が必要なのです。

クリシュナ意識の人は、どんなに長い寿命が得られるところであっても一時的な天体には興味がありません。もしヨギーが死のときに超越的な振動の簡明な形であるオームを発音することができて、同時にマーム・アヌスマラン、ヴィシュヌであるクリシュナを思い出していることができれば、完成を得ることができます。ヨガ体系全体の目的は心をヴィシュヌに集中させることです。非人格主義者はヴィシュヌすなわち主の姿を見ているのだと想像しますが、人格主義者はそういう想像をしません。彼らは実際に至高主の姿を見るのです。どちらにしても、つまり、想像によって、あるいはよらずしても、心をヴィシュヌの姿に集中させなくてはなりません。マームとは、「至高主ヴィシュヌに」という意味です。この体を離れるときに心をヴィシュヌに集中させる者は誰でも、死後は霊的な王国に入ることができます。本物のヨギーは一時的な天体では人生も一時的であることを知っているので、他のどの天体にも行こうとは思いません。興味がないのです。それが知性というものなのです。

一時的な幸せ、一時的な人生、および一時的な設備で満足している者は、バガヴァッド・ギーターによるとあまり知性的ではありません。(サンスクリット引用)「脳の内容物が大変貧弱な者は一時的な物に興味があります。」それがシュリーマッド・バガヴァッド・ギーターで述べられている見解です。私は永遠です。ではなぜ私が非永遠のものに興味をもたねばならないのでしょう。誰が非永遠の存在を欲しがるでしょう。そんなものが欲しい人はいません。もし私たちがアパートに住んでいて、家主に「出て行って欲しい」と言われたら悲しいでしょう。けれど、もっといいアパートに引っ越すのなら悲しくはありません。つまり、私たちにはそういう傾向があるのです。私たちは永遠なので、死にたくはないのです。
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by ammolitering4 | 2008-01-27 11:10 | 「簡単な惑星旅行」 | Comments(0)