カテゴリ:「簡単な惑星旅行」( 28 )

簡単な宇宙旅行 28

私たちは好むと好まざるとに関わらずこの体を手放さねばなりません。自然の法則の前に屈服してこの体を手放さなければならない日が来るのです。ケネディ大統領でさえ行進中に自然の法則に服従して体を別のものに替えなければなりませんでした。「私は大統領です。あのケネディなのです。そんなことはできません」とは言えないのです。彼はそうすることを強制されました。自然とは、こういうふうに働くものなのです。

私たちの発達した人間の意識は、自然がいかに働くかを理解するためにあります。人間の意識の他にも、犬、猫、毛虫、木、鳥、獣や他のすべての種類の生物に意識があります。しかし、私たちはそのような意識で生きるべき存在ではありません。シュリマッド・バーガヴァタムには、私たちは非常に多くの誕生を経た後で初めて人間の体を得た、と書いてあります。今、私たちはそれを誤用すべきではありません。この人間の人生をクリシュナ意識を深めることに利用して、幸せになってください。

「簡単な宇宙旅行・・・至高のヨガの実践による方法」改訂版 終わり。

注:この翻訳は下訳段階のものです。用語や表現など、間違いやぎこちなさも多々あります。現時点では推敲する時間があまり取れないので、不適切な点はご了承ください。大意は掴めることと思います。なお、現行のクリシュナ意識の本ではspiritualは「精神的な」と訳されていますが、ここでは「霊的な」という表現を使っています。精神にあたるのはspiritの他にmindという言葉があります。スポーツマン精神、などというときは「根性」とも言うべきspiritが使われますが、考えることなどの精神活動を指す場合や脳の働きに関する場合はmindです。精神的な、という形容詞はmentalです。Spiritは霊魂であり、精神ではありません。精神というのは病気などの影響を受けますし、物質的な枠内にあるmindであると考えるのが妥当だと思います。そのため、あえて文字通り「霊的な」という言葉を当てはめました。

以上です。いかがでしたでしょうか。原本は1959年に初版が発行されました。原子爆弾の記憶もまだ新しいころですね。宇宙探査に関しては、冷戦真っ只中、ソビエトとアメリカがしのぎを削っていたころのことです。これは改訂版ですので、実際に着陸してからの加筆の跡もありますが、大量殺人兵器などを開発するような心を省みることもなく宇宙にまで欲望の目を向ける現代の人間たちへのプラブパーダの観察は、今も変わらず貴重であると思います。

宇宙への好奇心そのものは、プラブパーダもおっしゃるようにまったく自然なものです。謙虚であることを忘れると、しかし、宇宙は愚かな私たちにそれなりの反作用をもたらすでしょう。2005年に行われたディープ・インパクト計画を覚えておいででしょうか。テンペル第一彗星という小さな彗星にNASAが衝撃弾を打ち込んで、総重量の6分の1弱を破壊しました。私たちにとっては小さな不要の彗星だったかもしれませんが、ヴェーダでは、すべての天体にそれぞれの環境に適した体を持った生命体がいる、と教えています。人間の目には見えず、人間の作った機械では計測できない生命体かもしれません。私たちには神も半神も、魂である自分自身すら見えません。「自分たちに見えないから生命はいない」などと、決して奢ってはいけないのです。傲慢さと愚鈍さは表裏一体であるように思います。

今年2008年10月には、NASAがルナ・リコネッサンスという探査機を打ち上げます。これは2-3年間月の軌道を周回したあと、月の南極に2トンの衝撃弾を撃ちこみ、さらに本体を衝突させます。これによって、地球の家庭用の望遠鏡で観察できるほどの爆発が起きると予測されています。このような行いに対して、プラブパーダが存命であればどのような発言をなさったか、私たちはせめて著作から学ぶできであろうと思います。

なお、一連の宇宙での破壊実験に関しては、以下のサイトに資料をそろえていますので、どうぞよろしかったらご覧ください。多くの著名な方のご感想も、全くの素人の方のご感想もあります。お読みになって、ご意見をお寄せください。そして、どうか多くの方に私たち人間が神様のお創りになった宇宙に対してしようとしていることを知らせてください。
彗星資料
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by ammolitering4 | 2008-01-27 11:37 | 「簡単な惑星旅行」 | Comments(8)

簡単な宇宙旅行 27

物質的な状況は私たちから永遠性を奪っています。シュリマッド・バーガヴァタムには、「日の出から日の入りまで、太陽は私たちの寿命を減らし続けます」と書いてあります。日々私たちは寿命を減らしています。太陽が朝五時半に昇るなら、夕方の五時半には私たちの寿命は12時間減っているのです。この時間を取り戻すことはできません。「12億円あげますから、あの12時間を返してください」と、どんな科学者に頼んでみても、「いえ、それは不可能です」という答えが返ってくるでしょう。科学者には時間を取り戻すことはできません。だからバーガヴァタムは「日の出から日の入りまで私たちの寿命は減り続ける」と言うのです。

時間は、カーラ、すなわち「過去、現在、未来」と呼ばれます。今は現在であるものは明日には過去となり、今は未来であるものは明日は現在になります。しかし、この「現在、過去、未来」というのは体にとってのものです。私たちは「過去、現在、未来」という枠内には属していません。私たちは永遠性の枠内に属しているのです。したがって、人はいかにして永遠性の水準に到達するか、あるいは、そこに昇進させられるか、と言ってもいいですが、そのことに心を配らねばなりません。人間の発達した意識は、食べること、眠ること、生殖すること、身を守ること、という動物的な性癖のために使われるべきものではなく、ここに述べる永遠性の人生を得るのに役立つ貴重な道筋を探し出すことに使われなければなりません。太陽が私たちの寿命を奪うと言われているのです。毎分、毎時、毎日、と。しかし、私たちがウッタマ・スロカ、すなわち主に関する事柄に関われば、その時間は奪われることがありません。人がクリシュナ意識の寺院で奉仕した時間は奪われません。それは財産なのです。プラスであって、マイナスではありません。体の寿命はそれでも減ります。どんなに減らないように努力しても、それは誰にもできません。しかし、私たちがクリシュナ意識で受ける霊的な教育は、太陽によって奪われることがありません。確固たる財産になるのです。

ハレ・クリシュナ、ハレ・クリシュナ、クリシュナ、クリシュナ、ハレ、ハレ。ハレ・ラーマ、ハレ・ラーマ、ラーマ、ラーマ、ハレ、ハレ。これを唱えるのはとても簡単なことです。主の御名を唱えていた時間は、体に関することで費やした時間のように奪い去られることがありません。50年前、私は若者でした。しかし、その時間は奪われ、返してもらうことはできません。しかし、私が霊的指導者から受け取った霊的な知識は奪われることがなく、私と共に行きます。この体を離れてからも、一緒に行くのです。そして、もしその知識がこの人生で完成したら、私を永遠の住まいへ連れて行ってくれるでしょう。

物質世界も霊的世界も、どちらもクリシュナに属します。私たちは何一つ所有していません。すべては至高主の資産なのです。国の中にあるものは、刑務所の中の物でも外の物でも、すべては政府に属するのと同じことです。制約された人生というのは、物質世界における刑務所での暮らしのようなものなのです。囚人は自分の好きなように一つの独房から別の独房に移ることはできません。自由な人生ではあの家からこの家へと自由に引っ越すことができますが、刑務所での人生ではそれはできません。自分の独房にいなければならないのです。天体はどれも独房のようなものです。私たちは月へ行こうとしていますが、機械的な方法では現実的ではないのです。アメリカ人やインド人、中国人やロシア人、私たちが何国人であっても、「ここに住むように」と、この惑星をあてがわれているのです。たとえ何百億何千億という天体があっても、地球を離れるための機械を持っていても、私たちはここを離れることはできません。私たちは、自然の法則、すなわち神の法律によって制約されているからです。ある独房に入れられた者は、権威者の許可なく好きなように他に移ることはできません。クリシュナはバガヴァッド・ギーターで「人はある独房から別の独房に移ろうとすべきではない」とおっしゃいます。そんなことをしても、それで幸せになる人はいません。もしも囚人が「私はこの独房にいる。看守に頼んで他のところに変えてもらおう。そうしたら私は幸せになれる」と考えているなら、それは考え違いというものです。人は刑務所の壁の内側にいる限り幸せではいられないのです。私たちは、資本主義から共産主義へと独房を変えることで幸せになろうとしています。目的は、この主義やあの主義から自由になることです。人はこの物質的なあらゆる主義から完全に離れなければなりません。そうしたら幸せになります。これがクリシュナ意識の段取りなのです。

私たちは至高の人物から助言を受けています。「親愛なるアルジュナよ、あなたはブラーマロカと呼ばれる最高位の天体系に上げられるかもしれません。寿命がとても長いので、そこは好ましいところです。」と主はおっしゃいます。私たちは、そこでの半日の長さですら計算することができません。私たちの数学的な計算の限界を超えたところにあるのです。しかし、そのブラーマロカにさえ死があります。したがって、クリシュナはおっしゃいます。「この天体やあの天体に上ろうとしたり移行したりしようとして時間を無駄にしてはいけません。」

私がアメリカで見た人々は非常に落ち着きがありません。彼らはアパートからアパートに引っ越したり、国から国に引っ越したりしています。この落ち着きのなさは、私たちが本当の家を探し求めているから表れているのです。この場所からあの場所に移っても、永遠の人生は得られません。永遠の人生はクリシュナと共にあるのです。したがって、クリシュナは次のようにおっしゃいます。「すべては私に属します。そして、私は「ゴロカ・ヴリンダーヴァナ」と呼ばれる究極的に素晴らしい住まいを持っています。」

そこに行きたいなら、クリシュナ意識になって、クリシュナがどんなふうに現れて消えるか、クリシュナの本来的な立場は何か、私たちの本来的な立場は何か、私たちのクリシュナとの関係は何か、そして、どう生きるべきか、ということを理解しようとしなければなりません。それだけでいいのです。これらの理念を科学的に理解しようと努めてください。クリシュナ意識のすべては科学的なのです。いんちきでも、気まぐれでも、感傷的でも、狂信的でも、空想でもありません。真実であり、事実であり、現実なのです。人はクリシュナを真実に理解しなければなりません。
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by ammolitering4 | 2008-01-27 11:11 | 「簡単な惑星旅行」 | Comments(0)

簡単な宇宙旅行 26

ヨガ体系によって魂を月に転生させることができれば、寿命は長くなります。高位の天体にあっては、私たちの6ヶ月が一日に当たります(180年=1年)。そして、そこに住む生命体は一万年生きます(180年x一万年なので、地球の時間だと180万年)。ヴェーダ文献にはこのように記されています。したがって、疑いようもなく人は大変長い寿命を得ますが、しかし、それでも死が存在します。一万年なり2万年なりの後に、あるいは何百万年もの後に(長さはどうでもいいのです)、死がやってきます。

実際には、私たちは死ぬ運命にはありません。そのことは、バガヴァッド・ギーターの始め(2.20)に断言されています。(サンスクリット引用)私たちは霊魂であり、したがって永遠です。それならなぜ自らに生と死を運命付けるのでしょう。このように考えてみるのが知性というものです。クリシュナ意識の者は大変知性的です。どんなに寿命が長くても死の待つ天体へ上げられることには興味がないからです。そんなことより、彼らは神のそれのような体を得たいのです。(サンスクリット引用)(ブラーマ・サムヒター5.1)神の体はサック・スィッド・アーナンダです。サット(サックは音便変化)は「永遠」、スィット(スィッドは音便変化)は「知識に溢れている」、アーナンダは「快楽に満ちている」という意味です。

私たちが発行した小冊子「喜びの源泉クリシュナ」で述べたように、もしも霊的世界に移行できれば、それがクリシュナの惑星であれ他の惑星であれ、私たちは神のと似た体を得ます。サック・スィッド・アーナンダ、永遠で、知識と喜びに満ちた体です。つまり、クリシュナ意識であろうとする者は、この物質世界のより良い天体に上ろうとする者とは人生の目的が異なるのです。主クリシュナは次のようにおっしゃいます。(サンスクリット引用)「ヨガの完成は自分を霊的世界に移行させることです。」(Bg.8.12)

霊魂は体の中にいる大変小さな微粒子です。私たちには見えません。人は魂を頭の頂上に上げようとしてヨガを修練します。この修練は生きている間続き、人が(魂である)自分を頭の頂上に置いて(頭蓋を)突破したときに完成に達します。それから人はどんな上位の天体にでも、好きなところに行けます。それがヨギーにとっての完成です。

もしヨギーが月を見たいという探究心を持っているなら、「そうだ、月がどんなところか見てこよう。それからもっと高位の天体に行ってみよう」と言えるのです。旅人が地球上でヨーロッパやカリフォルニアやカナダや、他のいろいろな国に行くのと同じことです。人はこのヨガ体系でいろんな天体に行けますが、どこに行くにも査証や税関のシステムがあります。他の天体に行くにはそれなりの資格が必要なのです。

クリシュナ意識の人は、どんなに長い寿命が得られるところであっても一時的な天体には興味がありません。もしヨギーが死のときに超越的な振動の簡明な形であるオームを発音することができて、同時にマーム・アヌスマラン、ヴィシュヌであるクリシュナを思い出していることができれば、完成を得ることができます。ヨガ体系全体の目的は心をヴィシュヌに集中させることです。非人格主義者はヴィシュヌすなわち主の姿を見ているのだと想像しますが、人格主義者はそういう想像をしません。彼らは実際に至高主の姿を見るのです。どちらにしても、つまり、想像によって、あるいはよらずしても、心をヴィシュヌの姿に集中させなくてはなりません。マームとは、「至高主ヴィシュヌに」という意味です。この体を離れるときに心をヴィシュヌに集中させる者は誰でも、死後は霊的な王国に入ることができます。本物のヨギーは一時的な天体では人生も一時的であることを知っているので、他のどの天体にも行こうとは思いません。興味がないのです。それが知性というものなのです。

一時的な幸せ、一時的な人生、および一時的な設備で満足している者は、バガヴァッド・ギーターによるとあまり知性的ではありません。(サンスクリット引用)「脳の内容物が大変貧弱な者は一時的な物に興味があります。」それがシュリーマッド・バガヴァッド・ギーターで述べられている見解です。私は永遠です。ではなぜ私が非永遠のものに興味をもたねばならないのでしょう。誰が非永遠の存在を欲しがるでしょう。そんなものが欲しい人はいません。もし私たちがアパートに住んでいて、家主に「出て行って欲しい」と言われたら悲しいでしょう。けれど、もっといいアパートに引っ越すのなら悲しくはありません。つまり、私たちにはそういう傾向があるのです。私たちは永遠なので、死にたくはないのです。
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by ammolitering4 | 2008-01-27 11:10 | 「簡単な惑星旅行」 | Comments(0)

簡単な宇宙旅行 25

私たちは至高主と永遠に繋がっていますが、どうしたわけか今は物質的に汚染された状態にいます。したがって、再び霊的な世界に戻るための手段を取らねばならないのです。私たちを霊的世界に繋げるその手段はヨガと呼ばれます。ヨガという言葉の本当の訳語は「足す」です。現在、私たちは自分たちから神すなわち至高性を「引いた」状態にあります。これを「足した」状態に、すなわち繋がった状態にすると、私たちの人間としての人生は完成します。生きている間は、その完成地点に辿り付くように修練しなければなりません。そして、この物質の体を手放す死のときに、その完成地点に到達せねばなりません。死のときに準備ができていなければならないのです。たとえば、学生は大学で2年ないし5年準備し、教育の最終試験に臨みます。もしも試験に合格すれば、学位が得られます。同様に、人生という学問では、死に際しての試験のために準備をして合格すれば霊的世界に移行されるのです。死のときにすべてが試されます。

ベンガル語には、「何であれ人が完成のためにしたことは、すべて死のときに試される」というよく知られた諺があります。バガヴァッド・ギーターは、私たちがこの現在の体を手放す死のときに何を為すべきかを描写しています。デャーナヨギー(瞑想者)には、クリシュナは以下のように言います。
(サンスクリット引用)
「隠遁階級にある偉大な聖人であって、オームカーラを口にし、よくヴェーダを学んだ者は、ブラーマンに入ります。そのような完成を望んでいる人は肉体的純潔を守ります。今ここに、解脱を得るための方法を説明します。ヨガの在り方というのは、感覚の満足のためのあらゆる行いから離れることです。すべての感覚の扉を閉じ、心を心臓に、生命空気を頭の頂上に据え置くことで人は世がを完成させます。」(Bg.8.11-12)ヨガ体系ではこの方法はプラテャーハーラと呼ばれます。厳密には「反対」という意味の言葉です。今は目は俗世の美しさを見るのにかまけていますが、これをそれらの美を楽しむことから引き離し、内にある美を見ることに集中しなければなりません。これがプラテャーハーラと言われるものです。同様に、人はオームカーラの音を内から聞かねばなりません。
(サンスクリット引用)
「このヨガの修練を積んで、至高の文字列である聖なる音節オームを振動させ、至高の人格神を思いつつ体を離れれば、人は必ず霊的な天体に至るでしょう。」(Bg.8.13)このようにして、すべての感覚は外的な活動を停止せねばならず、心は主ヴィシュヌの形であるヴィシュヌ・ルームティに集中せねばなりません。それがヨガの完成です。心はとても乱れやすいので、心臓に固定されていなければなりません。心が心臓に固定されていて生命空気が頭の頂上に移動されるとき、人はヨガの完成に至ることができます。

完璧なヨギーは、それからどこに行くかを決めます。無数の物質的な天体が存在し、これらの向こうには霊的な世界があります。ヨギーはヴェーダの聖典からこれらの情報を得ています。例えば、私はアメリカに来る前に本でアメリカについて書いてあることを読みました。同様に、ヴェーダの聖典で高位の天体や霊的世界に関する描写を読むことができます。ヨギーはすべてを知っています。彼はどこであれ好きな天体にいけます。宇宙船は要らないのです。

物質科学者は、もう何年も努力していますし、今後も何百年何千年と努力し続けるでしょうが、どんな天体にも行き着けないでしょう。科学的な方法で一人や二人はどこかの星に行けるかもしれませんが、それは一般的な方法ではありません。他の天体に行くための一般的な方法は、ヨガ体系かジナーナ体系の実践です。しかし、バークティ体系は物質的な天体に行くためのものではありません。至高主クリシュナに対する献身奉仕をしている者は、この物質世界のどの天体にも興味がありません。どの天体に上ったところで、結局物質存在の4つの原理があることを知っているからです。寿命が地球でのそれよりずっと長い天体もありますが、そこにも死があります。クリシュナ意識の者は、しかし、生老病死のあるこの物質的な人生を超越するのです。

霊的な人生とは、この面倒な悩み事や悲惨さからの解放を意味します。知性ある者は、したがって、この物質世界のどの天体にも上ろうとはしません。人は月に至ろうとしており、そこに行くのはとても難しいのですが、もし行ければ私たちの寿命はとても長くなります。もちろんそれは今のこの体に当てはまることではありません。もしこの体のままで月に行けば、瞬間的な死が待っていることは確実です。

ある天体系に入るためには、その天体に適した体を持たねばなりません。すべての天体には、その天体に適した体を持つ生命体が住んでいます。たとえば、私たちはこの体で水に入ることができますが、そこに住むことはできません。15-16時間、ひょっとしたら24時間だっていられるかもしれませんが、それだけです。しかし、水生生物は一生を水の中で過ごすのに適した体を持っています。同様に、魚を水から出して地上に置けば、すぐに死んでしまうでしょう。この地球上に於いてさえ異なる特定の場所に住むための異なる種類の体があるように、同様に、他の天体に行きたいならそれにふさわしい体が得られるように準備しなければならないのです。
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by ammolitering4 | 2008-01-27 11:09 | 「簡単な惑星旅行」 | Comments(0)

簡単な宇宙旅行 24

私たちは、神がこの物質世界をお作りになった、と言います。このことは、創造の前に神が存在していたということを意味します。「創造」という言葉自体、宇宙が創造される前に主が存在しておられたということを指し示しているのです。したがって、神は創造の下にはありません。もし神が創造の下にあるなら、どうして創造することができたでしょう。もしそうなら、神はこの物質創造の一つに過ぎなかったということになります。しかし、神は創造の下にはありません。主は創造者であり、したがって永遠なのです。

霊的な天空というものが存在し、そこには無数の霊的な天体があって、無数の霊的な生命体が住んでいますが、その霊的な世界に住むにふさわしくない者はこの物質世界に送られます。自ら進んで私たちはこの物質の体を受け入れたのですが、本当は私たちは霊魂なので、そういうものを受け入れるべきではなかったのです。いつどうやってそうするに至ったのかは、その歴史を辿ることができません。物質的に制約された魂がいつ最初に物質の体を受け入れたのか、誰にも分かりません。生命体には、840万の種類があります。水中には90万種、植物が200万種。不幸にして、ヴェーダのこの知識はどの大学でも教えられません。しかしこれは事実なのです。植物学者や人類学者は、ヴェーダが教える結論を検証すべきです。有機的な物体の進化に関するダーウィンの論理は、学習研究機関においてもちろん大変広く受け入れられています。しかし、バーガヴァタ・プラーナやその他の科学的に重要で正統なる聖典は、生命体が次から次へと異なる形の体を得て進化する様子を描写しています。それは新しい考えではありませんが、ヴェーダ文献にはこの物質世界での生命の在り方について膨大な情報があるにも関わらず、教育者たちはダーウィンの説ばかりに重要性をおいているのです。

私たちは、物質宇宙の数ある宇宙の中のすべての生命体のうち、ほんのわずかな部分を占めているに過ぎません。物質世界にいて物質の体に入っている者は、苦しい在り方を運命付けられています。たとえば、刑務所に入っている者は政府によって苦しみを運命付けられていますがその数は全人口のほんの一部です。人口の全部が刑務所に行くわけではありません。決まりを守らない一部の者が刑務所に閉じ込められるのです。同様に、この物質世界の中で制約されている魂は、神の創造の中のすべての生命体の一部に過ぎません。彼らは神に背いたので、すなわちクリシュナの命令に従わなかったので、この物質世界に入れられました。常識的で探求的な者は、「なぜこの制約された人生を送らされる破目になったのだろう。私は苦しみたくない。」という命題を理解するように努めるべきです。

苦しみには3種類あり、その一つは体と心に関するものです。ハワイの私の家の前で、ある男が屠殺場に持ち込むために動物と鳥を飼っていました。私は生徒たちにこの例を挙げました。そこに立っている動物たちに「おお、お前たち、なぜここに突っ立っているのだ、去りなさい、屠殺場に連れて行かれるぞ」と言っても、彼らは去ることができません。知性がないからです。

知識なく、治療法もなく苦しむのは動物の人生です。自分が苦しんでいることが理解できず、自分は人生で大変うまくやっていると思っている者は、人間ではなく動物の意識を持っているのです。人間はこの惑星の幾重もの(原文ではthreefold,三重の)苦しみに気づいているべきです。生に苦しみ、老に苦しみ、病に苦しみ、死に苦しんでいることを知るべきです。そして、どうしたら苦しみを避けることができるだろうかと考えてみるべきなのです。それが本当に研究というものです。

私たちは生の始まりの時から苦しんできまshた。胎児の頃は9ヶ月もの間母親の腹部の密閉された袋の中に窮屈に閉じ込められています。動くことさえできず、虫に噛まれても抗議することもできません。体外に出てからも苦しみは続きます。母親がよく子供の面倒を見るのは疑いようもありませんが、それでも子供は泣きます。苦しんでいるからです。虫に刺されたり、お腹が痛くなったりします。子供は泣いていますが、母親はどうやってなだめたらいいのかわかりません。人の苦しみは母の子宮の中で始まります。そして、生まれて後、成長するにつれて苦しみは増します。学校に行きたくないのに強制されます。勉強したくないのに先生が宿題を出します。人生を分析すると、それが苦しみだらけであることに気づくのです。それなら、なぜ私たちはここに来るのでしょう。制約された魂は、あまり賢くありません。私たちは「なぜ苦しんでいるのか」と考えてみるべきです。もし治療法があるのなら、それを利用せねばなりません。
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by ammolitering4 | 2008-01-27 11:08 | 「簡単な惑星旅行」 | Comments(0)

簡単な宇宙旅行 23

ヴィシュヌ・プラーナによると、物質的なエネルギーはアヴィデャ、すなわち無知と呼ばれ、感覚的な楽しみのために結果を求めて為す行いの中に現れます。しかし、生命体は感覚的な楽しみのために物質的なエネルギーによって惑わされて囚われる傾向があるにも関わらず、反物質エネルギー、すなわち霊的なエネルギーに属しています。この意味では生命体は肯定的なエネルギーであって物体は否定的なエネルギーです。物体は、霊的な全体の直接的で欠かすべからざる小片である、優性で霊的な、すなわち反物質のエネルギーと接して初めて成長します。生命体によって表されるこの霊的なエネルギーの問題は、疑いもなく一般的な人には大変複雑で呆然としてしまうような事柄です。時には、そのような人でも不完全な感覚を通して部分的に理解し、時には全然分かりません。したがって、最高の権威であるシュリー・クリシュナから、あるいは主から続く師弟継承に連なって主を代弁する献身者から聞くのが一番なのです。

このクリシュナ意識運動は、神を理解することを目的としています。霊的指導者はクリシュナの生きた代弁者であり、外から助けます。超魂としてのクリシュナは内から助けます。生命体はそのような助けを利用して人生を成功させることができます。私たちは、この運動を理解するために正統で権威ある書物を読んでくださるよう、すべての人にお願いします。私たちは、「真訳バガヴァッド・ギーター」、「主チャイタンニャの教え」、「シュリマッド・バーガヴァタム」、「至高の人格神クリシュナ」、および「献身の甘露」を刊行しました。また、毎月多くの言語で「至高神への回帰」(バック・トゥ・ゴッドヘッド)という雑誌を発行しています。私たちの使命は、終わりもなく生と死を繰り返す輪廻という落とし穴から人類を救い出すことにあります。

誰でもクリシュナのところに戻ろうとすべきなのです。私たちは「至高神への回帰」誌に「宇宙の向こうに」という記事を載せました。そこでは、バガヴァッド・ギーターに述べられている知識に基づいて、この宇宙の向こうにある場所を描写しました。バガヴァッド・ギーターは大変人気の高い本で、アメリカにもインドにもたくさんの翻訳や解説が出回っています。しかし、不幸にして西洋にはたくさんの愚か者が来てバガヴァッド・ギーターの解説をしました。彼らは本当の情報を与えないで人をはったりで騙すので、愚か者と呼ばれるのです。しかし私たちの「真訳バガヴァッド・ギーター」では、霊的な自然が断固たる権威をもって描写されています。

この宇宙は「自然」と呼ばれますが、その他にももう一つの自然があり、そちらのほうが優性です。宇宙は劣性な自然であり、現れては消えるこの自然の向こうにはもう一つの自然があり、それはサナータナ、永遠と呼ばれます。ここに現れているもののすべてが一時的であることを理解するのは簡単です。明らかな例は私たちの体です。もしある人が30歳なら、30年前にはその人の体はありませんでした。そして、50年もすればまた消えてなくなります。これが自然の厳然たる法則です。波が何度も寄せては返すように、現れては消えるものなのです。しかし、物質主義者たちは単にこの、やがて死を迎える人生ばかり気にしています。一寸先は闇。いつ終わってもおかしくないのが人生なのです。さらに、この体が死ぬのと同様、この巨大な物質の体、すなわち宇宙全体も、やがて破壊されます。そして、私たちが幸運だろうが不運だろうが、あの星にいようがこの星にいようが、すべてが終わりを迎えるのです。それなら、なぜ私たちはすべてが終わりを迎えると分かっている天体へ行こうとしているのでしょうか。私たちはクリシュナロカを目指すべきなのです。これは霊的な科学です。理解しようと努めなければなりません。そして、これを自分で理解したら、その後はこのメッセージを世界中に広めるべきであるのです。誰もが暗闇の中にいます。人々は何の知識も持っていないのにとても誇らしげです。しかし、10年もの間努力して月へ行って石ころを持って帰るのは、知識の進歩ではないのです。宇宙旅行者たちはひどく誇り高く感じています。「すばらしい、私は月に触れた」と思っているのです。しかし、それで何が得られたでしょう。たとえ月に住むことができても、長くではありません。そこもまた、しまいに破壊されるのです。

辿りついたらここに戻ってくる必要がなく、永遠の人生があり、クリシュナと一緒に踊れる、そんな天体を見つける努力をしてください。これがクリシュナ意識の意味なのです。この運動を真剣に受け止めてください。クリシュナ意識は、クリシュナの元に辿りついてクリシュナと一緒に永遠に踊れる機会を提供するものだからです。ヴェーダ文献から、私たちはこの物質世界は神の全創造の4分の1に過ぎないことを知っています。4分の3は霊的世界なのです。これはバガヴァッド・ギーターに書かれています。クリシュナは「この物質世界は全体の一部に過ぎない」と言います。もし私たちが空を見上げてできるだけ遠くまで見ても、私たちの視界はそれでも一つの宇宙の中だけに限定されます。そして、物質世界と呼ばれる場所には無数の宇宙が集まっているのです。しかし、この無数の宇宙の群れの向こうには、霊的な天空があります。それもバガヴァッド・ギーターに書かれています。主は「この物質の世界の向こうにはもう一つの自然があり、それは永遠で、始まりの歴史もなく、終わりもない」と言います。「永遠」とは、終わりも始まりもないものを指します。ヴェーダの宗教は、いつ始まったのか、誰もその歴史を辿ることができないので、永遠と呼ばれます。キリスト教は2千年の歴史があり、イスラム教にも歴史がありますが、ヴェーダの宗教の歴史を辿ろうとすると、その始まりを見つけることは誰にもできないのです。したがってヴェーダ宗教は永遠の宗教と呼ばれます。
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by ammolitering4 | 2008-01-27 11:07 | 「簡単な惑星旅行」 | Comments(0)

簡単な宇宙旅行 22

最高位の天体系であるブラーマロカにさえ行けるものかもしれませんが、科学者たちはそれには人工衛星の速度で4万年かかると計算しています。宇宙空間を4万年も旅する覚悟ができている者がいるでしょうか。ヴェーダ文献から私たちはそれなりの準備をすればどの天体にも行けることを知っています。もし人が半神たちが住むという高位の天体系に行く準備を整えれば、そこに行くことができます。同様に、低位の天体系に行くこともできるし、望むならこの惑星に留まることもできます。終には、もしそう望むなら、至高の人格神の住む星に行くこともできます。どう準備するかの問題なのです。しかし、私たちの物質宇宙の中のすべての天体系は一時的なものです。一部の物質的な天体における寿命は大変長いようですが、物質宇宙に存在するすべての生命体はやがて滅亡する運命にあり、次なる体を持たねばなりません。体には様々な種類があります。人間の体は100年もちますが、虫の体は12時間程度の場合もあります。このように、異なる体の寿命は相対的なものです。しかし、もし人が霊的な惑星であるヴァイクンサロカに行ったなら、喜びと知恵に満ちた永遠の命を得ることができます。人間は、もし望むのなら、このように人生を完成させることができるのです。このことはバガヴァッド・ギーターに「至高の人格神を真実に知る者は私の性質を得る。」という主の言葉で記されています。

「神は偉大だ」と多くの人が言います。しかしこれは言い古された言葉です。人は神がどう偉大であるのかを知らねばならず、それは正統な聖典から知ることができます。バガヴァッド・ギーターにおいて、神はご自身を描写していらっしゃいます。「私が普通の人間のような姿で生まれるのは、実際は(物質の束縛を)超越した出来事です」と神はおっしゃいます。神はとても慈悲深いので、私たちの前に普通の人間として現れてくださいますが、神の体は人間の体と同じではありません。神について知らない愚かな者たちは、クリシュナは私たちの一人のようなものだと言います。そのこともバガヴァッド・ギーターに記されています。
(サンスクリット引用)
「愚か者たちは、私が人間の姿で現れると嘲笑います。彼らは私の超越的な性質を知らず、私が万物の究極的な支配者であることを知らないのです。」私たちは、正しい指導のもとで正しい書物を読むならばクリシュナについて知る機会があります。そして、もし私たちが神の性質とは何かを知りさえすれば、ただこの一つのことを理解するだけで私たちは解脱することができます。私たちの人間的な状態では、至高の絶対人格神を完全に理解することはできませんが、至高に人格神によって語られたバガヴァッド・ギーターと霊的指導者の助けによって、私たちは主を私たちの能力の許す限り知ることができます。もし私たちが神の真実の性質を知ることができれば、この体を離れると同時に神の王国に入ることができます。(サンスクリット引用)「この体を離れたあと、知識のある者はこの物質の世界に再び戻ることはありません。霊的な世界に入って私のもとに来るからです」とおっしゃいます。

私たちのクリシュナ意識運動の目的は、この高度な科学的理念を一般の人々に広く伝えることであり、その方法はごく単純です。単に神の御名を唱えるだけで、人は心の汚れを洗い去り、自分が至高主の欠かすべからざる小片であって主に仕えることが任務であるという理解を得ることができます。ハレ・クリシュナ、ハレ・クリシュナ、クリシュナ、クリシュナ、ハレ、ハレ、ハレ・ラーマ、ハレ・ラーマ、ラーマ、ラーマ、ハレ、ハレ。この方法は大変楽しいものです。私たちはハレ・クリシュナ・マントラを唱え、リズムにのって踊り、おいしいお供えのお下がり(プラサーダ)を食べます。この人生を楽しみながら次の人生で神の王国に入る準備をしているのです。これはでっちあげなどではなく、全くの事実です。俗人には嘘やでっちあげにも思えるでしょうが、クリシュナは神を真剣に知ろうとしている者に対しては内面からご自身を明かしてくださいます。クリシュナと霊的指導者が共に真摯な魂を助けてくれます。霊的指導者は神の外的な顕現であり、神はすべての者の心に超魂として存在しています。至高の人格神を非常に真剣に理解しようとしている者に対しては、超魂は直ちに彼を真正な霊的指導者のもとに連れて行くことで助けの手を差し伸べてくれます。このようにして霊的な候補者は内と外から助けられるのです。

バーガヴァタ・プラーナによれば、絶対真理は3段階で認識されます。まず、非人格のブラーマンすなわち非人格の完全性があります。次に、パラマートマーすなわちブラーマンの分在的な側面があります。原子核はパラマートマーを表すものとして考えることができます。パラマートマーは原子にも入ります。これはブラーマ・サムヒターに描写されています。しかし、究極的には至高の神聖存在は、富、力、名声、美、知、無執着を完全にして計り知れないレベルで備えた、すべてを魅了する至高の人物(クリシュナ)として認識されます。これらの6つの力は、シュリー・ラーマとシュリー・クリシュナが人間の前に降臨なさるときに完全に現されます。一部の人間だけが、本物の献身者だけが、開示された正統な聖典に基づいてクリシュナを認識することができますが、その他の人々は物質エネルギーの影響によって惑わされます。絶対真理は、したがって、対等なる者も競うべき者もない絶対人物なのです。非人格的なブラーマンの光は神の超越的な体の光です。太陽の光が太陽からの放射であるように。
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by ammolitering4 | 2008-01-27 11:06 | 「簡単な惑星旅行」 | Comments(0)

簡単な宇宙旅行 21

人が月へ行って、そこから帰ってくる、それは素晴らしい話ですが、これもすべてヴェーダ文献に書かれています。それほど新しいことではないのです。私たちのクリシュナ意識協会の目的は違います。私たちは貴重な時間を無駄にしたりはしません。クリシュナは「あっちの星やこっちの星に行こうとして時間を無駄にしてはなりません。そんなことをして何の得になるでしょう。あなたの物質的な苦しみはどこに行ってもついてくるのです。」と言います。したがって、チャイタンニャ・チャリタームリタ(アーディ3.97)には以下のように見事に述べられています。「この物質世界では、ある者は楽しみ、別の者は楽しんでいないように見えるが、実際にはすべての人が苦しんでいる。自分は楽しんでいると思っている者もいるが苦しみに気づいている者もいる。」本当は、全ての人が苦しんでいるのです。この物質世界で病気にならない人がいるでしょうか。年老いていかない人がいるでしょうか。死なない人がいるでしょうか。年をとったり病気になったりしたい人はいませんが、皆そうなるのです。それなら、どこに楽しみがあるというのでしょう。私たちの考える楽しみなるものは、すべて無意味なのです。この物質の世界には楽しみなどないからです。すべては私たちの想像に過ぎません。人は「これは楽しみ、これは苦しみ」と考えるべきではありません。すべてが苦しみなのです!したがって、チャイタンニャ・チャリタームリタには「食べること、眠ること、生殖すること、防御すること、という原理は常に存在します。しかし、それらは異なる水準で存在します」と書かれています。例えば、アメリカ人は過去生に為した善き行いの結果としてアメリカの地に生を受けました。インドでは人々は貧困に苦しんでいますが、アメリカ人はバターを塗ったおいしいパンを食べていてインド人はバター無しで食べているという違いはあっても、どちらも食べていることに違いはありません。インドが貧困に苦しんでいると言っても、そのために全国民が餓死しているわけではないのです。体の4つの主要な要求、すなわち食、眠、性、守は、人が良い環境に生まれても悪い環境に生まれても、それなりに満足させられるものなのです。問題はしかし、いかにしてこの4つの原理、生老病死から自由になるか、ということにあります。

これが本当の問題なのです。「何を食べようか」ということではないのです。鳥や獣にはそういう問題はありません。朝になると彼らは早々に「ジー、ジー、ジー、ジー」と鳴きたてます。食べるものがあることが分かっているのです。死ぬ者はいないし、神の配剤によってすべての者に行き渡るだけの食べ物が与えられているので、人口過多という問題もありません。質の違いはありますが、高度な物質的快楽を得ることは人生の究極の目的ではありません。本当の問題はいかにして生老病死から自由になるかということです。これは、この宇宙の中を旅することに無駄に時間を使っていて解決できるようなことではありません。たとえ人が最高位の天体に行けたとしても、この問題は解決しません。死はどこにでもあるからです。

ヴェーダの情報によると、月に住む人の寿命は一万年です。また、月での一日は地球の6ヶ月に当たります。したがって、1万x180年が(地球の計算で)月での寿命になります。(訳注;月での一年を地球のように360日とすると、地球の180年分になる。それが1万年続くから)しかし、地球人は月に行って長く住むことはできません。そうでなければヴェーダ文献はすべて偽りであることになります。人間は月へ行こうと試みることはできますが、そこに住むことはできません。この知識はヴェーダの中にあります。したがって、私たちはあっちの星やこっちの星に行くことにあまり熱心ではないのです。私たちは直接クリシュナの住む星に行こうとして努力しています。クリシュナはバガヴァッド・ギーターの中で以下のように述べています。「人は月に行くこともできるし、太陽や、その他の何千万という天体に行くことさえできるし、物質的な執着が強すぎるならここに居続けることもできます。でも、私の献身者は私のところに来ます。」これが私たちの目的なのです。クリシュナ意識の洗礼を受けることで、生徒は究極的には至高の天体クリシュナロカに行けることを保証されます。私たちはただじっと座っているのではありません。私たちもまた他の天体に行こうとしていますが、単に時間を無駄にしてはいないのです。

正気で知性的な人間は、どの物質的な天体にも行こうとは望みません。物質的な悲惨さの4つの形態がどこにでも存在しているからです。バガヴァッド・ギーターから私たちはたとえこの宇宙の最高位の天体系であるブラーマロカに行けたとしても4つの苦しみがあることを学んでいます。また、バガヴァッド・ギーターからはブラーマロカでの一日は私たちの時間にすると何百万年にもなるということを学んでいます。これは事実です。
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by ammolitering4 | 2008-01-27 11:05 | 「簡単な惑星旅行」 | Comments(0)

簡単な宇宙旅行 20

2.天体系の多様性

人類が月を目指している現在にあって、人々はクリシュナ意識が何か古臭いものをどうこう言っているのだと考えるべきではありません。世界が月に至ろうとして進歩しているとき、私たちはハレ・クリシュナを唱えています。しかし、人々は私たちが現代の科学的な進歩に取り残されているのだと誤解すべきではありません。私たちはすでにあらゆる科学的な発展を終えてしまったのです。バガヴァッド・ギーターには、人が高位の天体を目指すのは新しいことではない、と書かれています。新聞の見出しには「人類が初めて月に降り立った」と書かれていますが、記者たちはすでに何百万人もの人がそこに行って帰ってきたことを知らないのです。これは初めてのことではありません。古くから行われていることなのです。バガヴァッド・ギーターには、はっきりと「アルジュナ、たとえあなたがブラーマロカと呼ばれる最高位の天体に行ったとしても、戻ってこなければならない。」と書かれています。したがって、天体間の旅は新しいことではないのです。クリシュナ意識の献身者には知られていることです。

私たちはクリシュナ意識なので、クリシュナの言葉を絶対真理として受け取ります。ヴェーダ文献によれば、宇宙には多くの天体系が存在します。私たちが住んでいる天体系はバールロカと呼ばれます。この上にあるのはバーヴァルロカで、その上はスヴァルロカです。(月はスヴァルロカに属します。)スヴァルロカの上はマハルロカ、その上がジャナロカ、その上がサテャロカです。同様に、低位の天体系も存在します。このように、この宇宙には14の天体系が存在し、太陽は主たる天体です。太陽はブラーマ・サムヒターに以下のように描写されています。

「私はゴヴィンダ(クリシュナ)を、太古の主を礼拝します。主の命令によって太陽は巨大な力と熱を持ち、軌道を回ります。すべての天体系の筆頭である太陽は至高主の目です。」実際、太陽なくして私たちは見ることができません。私たちはずいぶんと目を誇りにしていますが、隣の家の人を見ることもできないのです。人々は「私に神を見せてくれませんか」と挑戦してきます。しかし、彼らに何を見ることができるというのでしょう。彼らの目にどれほどの価値があるでしょう。神は安くありません。太陽の光なくしては、私たちには神はおろか、何一つ見えないのです。太陽の光がないと私たちは盲目です。夜には何も見えないので、私たちは電気を使います。太陽がないからです。

宇宙の中には、太陽は一つだけではありません。何百万何千万という太陽があります。これもブラーマ・サムヒターに述べられています。
(サンスクリット引用)
至高の人格神クリシュナの霊的な体の光輝はブラーマジョティと呼ばれ、その中には無数の天体があります。太陽の光の届くところに無数の天体があるのと同様に、クリシュナの体の輝く光の中にも無数の天体と宇宙があるのです。私たちは多くの宇宙に関して知識を持っており、それぞれの宇宙には太陽があることを知っています。このように、何百万何千万という宇宙があり、何百万何千万という太陽と月と惑星があるのです。しかし、クリシュナは人がこれらの天体のどれかに行こうとするならそれは単なる時間の無駄にしかならないと言います。

先ごろ人間が月に行きましたが、人間社会はそれから何の得るところがあるでしょう。莫大なお金とエネルギーを使って10年もの努力を重ね、誰かが月に行って手を触れてきたら、それが何の益になったでしょう。そこに長居して友達を呼ぶことができますか。たとえ月に長いこといたとしても、それが何の役に立つでしょう。私たちがこの物質世界にいる限り、この天体であれどの天体であれ、生老病死という同じ悲惨さが付きまとうのです。私たちはそれから逃れることはできません。

もしも私たちが月に住むなら、それが可能だと仮定して、ということですが、酸素マスクを付けていたとしても、どれほどの間そこにいることができるでしょうか。さらに、たとえそこに住む機会があったにしても、それで何を得ることができるでしょう。少しは寿命が長くなるかもしれませんが、永遠に住むことはできません。そんなことは不可能なのです。それに、長い寿命があったとしても、それが何の益になるでしょう。
(サンスクリット引用)
木は何年も何年も生きているではありませんか。私はサンフランシスコの近くで7、000年もの樹齢の木が生えている森を見ました。でも、それが何になるでしょう。同じ場所に7千年も突っ立っていてそれを誇りに思っていても、そんなことは大した業績ではありません。
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by ammolitering4 | 2008-01-27 11:03 | 「簡単な惑星旅行」 | Comments(0)

簡単な宇宙旅行 19

バガヴァッド・ギーターでは、サナータナであるものについていくつかの描写があります。サナータナ・ダールマの重要性について、この正統なる権威の書から学びましょう。

7章10節にサナータナムという語があります。そこでは、主が「私はすべてのものの根源的な永遠の源であり、したがってサナータナムである」と述べています。ウパニシャッドには、すべてのものの根源的な源は完全な全体であると描写されています。根源的な源から発するものはすべてそれ自身完全ですが、多くの完全体が完全なサナータナの根源的な源から発しても、サナータナである源は質でも量でもそれによって減少することはありません*。(*シュリー・イーソパニシャッドの「祈り」参照)それはサナータナの性質が不可変であるからです。時間と状況の影響で変化するものはサナータナではありません。したがって、形と性質がほんのわずかでも変化するものはサナータナとして受け入れることはできません。物質的な例を挙げれば、太陽は何万年も何億年も光線を発し続けており、物質的に作られたものであるとはいえ、その形と光線はまだ変わっていません。したがって、作られたことのない存在はたとえすべてのものの種となる源であっても形と性質において変化しようがないのです。

主は、自分はすべての種類の生命体の父である、と主張しています。主は、すべての生命体は、どのようなものであってもすべて自分の欠かすべからざる小片である、と言います。したがって、バガヴァッド・ギーターはそれらすべての生命体のために語られました。ギーターには、至高主のこのサナータナという性質に関する情報があります。また、物質の宇宙からはるかに遠いところにある主の御住まいに関する情報もあり、生命体のサナータナなる性質に関する情報もあります。

バガヴァッド・ギーターにおいて、主は、この物質世界は生老病死の形を取った悲惨さに溢れている、とも述べています。物質宇宙の最高位の天体であるブラーマロカにおいてさえ、これらの悲惨さは存在しています。これらが全く存在しないのは、主御自身の御住まいだけです。そこでは、太陽や月や火などからの明かりは必要ありません。天体は自分で輝いているのです。そこでの生活は終わりがなく、完全な英知と喜びがあります。それがサナータナ・ダールマとして知られるものなのです。したがって、生命体は家へ、至高神のもとへ、帰らねばならないという結論に自然に達するのです。帰って、サナータナ・プルシャやプルショッタマとも呼ばれる主シュリー・クリシュナと共にサナータナ・ダールマに満ちた生活を楽しむために。物質的な存在という、この惨めな地で朽ちるにまかせていてはいけません。ブラーマロカにおいてさえ、物質的な領域に幸せはありません。したがって、物質宇宙内の高位の天体へ上ることを目的とした計画や活動は、知性の足りない者たちが行っているのです。彼らはまた、半神たちに依り頼み、限られた期間だけ持続する恩恵を得ます。このように、彼らの宗教原理とそこから得られる利益は一時的なものでしかありません。しかし、知性ある者は宗教の名を借りたすべての契約を破棄し、至高の人格神に帰依し、万能の父から究極の庇護を受けます。したがって、サナータナ・ダールマはバークティ・ヨガの過程であり、それによって人はサナータナである主とそのサナータナなる御住まいを知るに至ります。この過程を辿ることによってのみ、人はサナータナ、ダールマ、すなわち霊的な宇宙に帰ってそこに偏在するサナータナなる楽しみに参加することができます。

サナータナ・ダールマを辿る者は、今後はこれらの原理をバガヴァッド・ギーターの精神で取り上げるべきでしょう。永遠の原理を受け入れるのを阻むものはありません。あまり啓発されていない人々でも、至高神のもとに帰ることができます。これがシュリマッド・バーガヴァタムの説く教えであり、至高主御自身がバガヴァッド・ギーターの中で語ることでもあります。人類には家に帰る機会が与えられています。これを逃してはなりません。バガヴァッド・ギーターはバーラタ・ヴァルシャの地で語られたので、すべてのインド人は世界の他の場所で本当のサナータナ・ダールマの福音を述べ伝える責任があります。ことに現代にあっては、誤った道に導かれた人々が物質主義の暗闇の中で苦しんでいて、彼らのいわゆる学びは原子爆弾を発見するという結果を導きました。今、彼らは滅亡の危機に瀕しています。サナータナ・ダールマは人生の本当の目的を教えるものであり、誤った道に導かれた人々はこれを学ぶことで多くを得ることになるのです。
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by ammolitering4 | 2008-01-27 11:02 | 「簡単な惑星旅行」 | Comments(0)