カテゴリ:「主チャイタンニャの教え」( 69 )

第32章 後半

第17段落
これが超魂から教えを受ける体系です。外的には主は見られません(not to be seen)が、内的には主は献身者に語られます。それはバガヴァッド・ギーターにおいて確認されています---主は誠実に主への奉仕にいそしんでいる者の内から指令なさり、そして主は、そのような人が究極的に人生の至高の目的地に至ることができるような方法で活動なさいます。

ブラーマーが生まれたとき、彼に教える人はいませんでした。したがって、至高主ご自身がブラーマーの心(heart)を通してブラーマーにヴェーダの知識を教えました。シュリマッド・バーガヴァタム(2.4.22)において、シュカデヴァ・ゴスヴァーミーは、「ガーヤトリー・マントラは、まず至高存在によってブラーマーの心の中に授けられた」と確認します。シュカデヴァ・ゴスヴァーミーは主に、自分がマハーラージャ・パリクスィットの前でシュリマッド・バーガヴァタムを語るのを助けてくれるように祈りました。

第18段落
シュリマッド・バーガヴァタムの第5巻の最初の節は、至高の完全真理を「心を通してブラーマーに教えた方」として描写します。シュリマッド・バーガヴァタムの著者ヴャーサデヴァはこう述べます。「私は、シュリー・クリシュナ、至高の人格神に心からの敬意を捧げます。

主は宇宙の顕現とその維持と、そして同じく滅亡の原因でいらっしゃいます。」もしも私たちが至高の真理(校正:supreme truth – Supreme Truth)をつくづくと(scrutinizingly、じろじろと、とくと見る様子)理解しようとするなら、私たちは「主はすべてを直接的および間接的にご存知である」と理解することができます。

主は唯一の至高の人格であり、完全に独立しているのは主だけです。主だけが超魂として内からブラーマーに教えました。最も偉大な学者でさえ、至高の真理(校正:supreme truth – Supreme Truth)を理解しようとすることにおいて幻惑されます。

なぜなら、知覚できる宇宙の顕現の全体が主の中に位置しているからです。この物質的な顕現は、火、水、空気、そして土の副産物ですが、それはそれでも、事実であるように見えます。しかし、霊的および物質的な顕現、ならびに生命体が(永遠に)休息する(to rest)のは、主の中でだけです。したがって、主は至高の真理(校正:supreme truth – Supreme Truth)です。

第19段落
ラーマーナンダ・ラーヤは主チャイタンニャに語り続けました。「まず、私はあなたをサンニャースィーとして見ました。それから私はあなたを牛飼いの少年として見ました。私はあなたの前に金色の(golden、金の)人形を見ます。

そして、その存在のため、あなたの肌色は金色になりました。それなのに、私はあなたの肌色が牛飼いの少年のそれのように黒いのを見ます。なぜ私があなたをこのように見ているのか、説明してくださいませんか?遠慮なく話してください。」

第20段落
「クリシュナをすべてのものの内に見るのは、高度に発達した献身者の性質です」と主チャイタンニャは答えました。「彼らが何であれ何かを見るときはいつでも、彼らはその特定のものの形を見ません。彼らはクリシュナを見ます。」これはシュリマッド・バーガヴァタム(11.2.45)において確認されています。

(サンスクリット引用)

「献身奉仕において高度に発達している者は、すべての個々の魂の魂である超魂、クリシュナを見ます。」第10巻(10.35.9)に似た節が見出されます。そこでは、「花と実をたくさんつけた、すべてのつる草、草(plant)、そして木は、クリシュナへの愛の恍惚の中で曲がった。

なぜなら、クリシュナは彼らの魂の魂だからである」と述べられています。クリシュナが彼らのもとを去ったあと、それらの木々には棘が生えました。

第21段落
「あなたはラーダーとクリシュナの娯楽の最高の概念を持っています」と、主チャイタンニャは続けました。「したがって、あなたはラーダー・クリシュナをいたるところに見ています。」

第22段落
ラーマーナンダ・ラーヤは答えました。「私はあなたがご自分を隠そうとなさらないことをお願いします。私は、あなたがシュリーマティー・ラーダーラーニーの肌色と考えの雰囲気(mood of thinking)を受け入れたこと、そしてあなたがラーダーラーニーの視点からご自分を理解しようとなさっていることを理解しています。

あなたはこの視点を取るために実際に降臨なさいました。あなたはおもにご自分自身を理解するために化身なさいましたが、あなたは同時に、世界にクリシュナへの愛を配っていらっしゃいます。今、あなたは私を救うために個人的にここにいらっしゃいました。お願いします。どうか私を騙そうとはしないでください。それはあなたにとって良いことではありません。」

第23段落
非常に満足して、主チャイタンニャは微笑み、ラーマーナンダ・ラーヤにシュリー・ラーダーとクリシュナの結合としてのご自分の本当の姿をお見せになりました。このように、主チャイタンニャはシュリーマティー・ラーダーラーニーの外的な特徴を備えたシュリー・クリシュナご自身でした。

主の、二つになり、そして再び一つになる能力が、ラーマーナンダ・ラーヤに明かされました。主チャイタンニャならびにラーダーとクリシュナのヴリンダーヴァンでの娯楽を理解するに十分なほど幸運な者は、シュリー・ルーパ・ゴスヴァーミーの慈悲によって、シュリー・クリシュナ・チャイタンニャ・マハープラブの本当の正体について知ることができるようになり得ます(can be able to)。

第24段落
主チャイタンニャのこの独特の特徴(的な姿)(feature)を見て、ラーマーナンダ・ラーヤは気絶して地面に倒れました。それから主チャイタンニャは彼にお触れになり、彼は気がつきました。そしてラーマーナンダ・ラーヤは主チャイタンニャが再びご自分の托鉢修道士の服装でいるのを見て驚きました。

主チャイタンニャは彼を抱擁して気を静めさせ、この形を見た者は彼だけであると知らせました。「あなたは私の化身の目的を理解したので、あなたは私の人格のこの特定の特徴(的な姿)を見る特権を与えられました」と主はおっしゃいました。

「我が親愛なるラーマーナンダよ。私はゴーラプルシャとして知られる、色の白い肌色をした人と異なるものではありません。私は、全く同一なクリシュナ、マハーラージャ・ナンダの息子です。そして、シュリーマティー・ラーダーラーニーの体との接触が原因で、私は今、この形を取りました。

シュリーマティー・ラーダーラーニーはクリシュナの他の誰にも触れません。したがって彼女は私に彼女の肌色、心、そして言葉で影響を与えました。このようにして、私はただ彼女のクリシュナとの関係の超越的な味わいを理解しようとしています。」

第25段落
事実は、「クリシュナと主チャイタンニャの両方が、もともとの至高の人格神である」というものです。誰もシュリー・クリシュナから主チャイタンニャを取り除こうとすべきではありません。シュリー・クリシュナの形において主は至高の享楽者であり、そして主チャイタンニャの形において主は至高の楽しまれる方です。

誰もシュリー・クリシュナよりもっと超絶的に卓越して(superexcellently)魅力的ではあり得ず、そしてシュリー・クリシュナの他には誰も献身の至高の形、シュリーマティー・ラーダーラーニーを楽しむことはできません。シュリー・クリシュナの他は、すべてのヴィシュヌの形はこの能力を欠いています。

これはチャイタンニャ・チャリタームリタの中でゴヴィンダの描写において説明されています。そこで、「シュリーマティー・ラーダーラーニーはシュリー・クリシュナを超越的な喜びで満たすことのできる唯一の人格(personality)である」と述べられています。

このように、シュリーマティー・ラーダーラーニーは、ゴヴィンダ、至高の人格神クリシュナを愛している、ヴラジャの筆頭の高貴な娘です。

第26段落
「私はあなたから隠すものは何も持たないので、安心してください」と主チャイタンニャはラーマーナンダ・ラーヤに言いました。「たとえ私があなたから(何かを)隠そうとしても、あなたは非常に発達した献身者なので、あなたは私のすべての秘密を理解することができます。」

私は、あなたがどうかこれを秘密にしてくださり、誰にも明かさないことをお願いします。もしもそれが明かされれば、誰もが私を狂人と思うでしょう。私があなたに明かした事実は、物質主義的な人々によっては理解され得ません。彼らがこれを聞くとき、彼らは単に私をあざ笑うでしょう。

あなたはご自分ではこれを理解することができます。そして、あなたの心にしまっておいてください(You can understand this yourself and please keep it to yourself.)。物質的な視点からは、献身者はクリシュナへの愛の自分の恍惚において狂います。あなたと私はどちらも、ちょうど狂人のようです。ですから、どうかこれらの事実を普通の人々に明かさないでください。もしもあなたがそうするなら、彼らはきっと私をあざ笑うでしょう。」

第27段落
主チャイタンニャはそれから十晩をラーマーナンダ・ラーヤと共に過ごし、彼と共に過ごす時間を楽しみ(enjoyed his company)、クリシュナとラーダーの娯楽を議論しました。彼らの間の議論は、クリシュナへの愛の最高の水準にありました。

これらの話の一部は描写されますが、そのほとんどは描写され得ませんでした。チャイタンニャ・チャリタームリタにおいて、これは冶金(やきん)学(訳注:金属の物理的・化学的な性質の研究をしたり、新しい金属を研究したりする)の試験(examination、調査)と比べられています。

比べられた金属は、次の順で議論されています。まず銅、それから青銅、それから銀、金、そして最後にタッチストーンです。主チャイタンニャとラーマーナンダ・ラーヤの間の予備的な議論は銅のようだと考えられ、そして、より高い議論は金のようだと考えられます。

しかし、彼らの議論の第5番目の次元はタッチストーンのようだと考えられます。もしも人が最高の理解を得ることを切望するなら、彼は銅と青銅の間の、そして銀と金の間の、などの違いについての問いから始めなければなりません。

第28段落
次の日、主チャイタンニャはラーマーナンダ・ラーヤに、ご自分がジャガンナーター・プリーに帰るのを許してくれるように頼みました。「私たちは、残りの生涯ずっと、ジャガンナーター・プリーで共に留まり、クリシュナについて議論することで自分たちの時間を過ごすことができます。」

それから主チャイタンニャはラーマーナンダ・ラーヤを抱擁し、彼を自分の家へ送り出しました。朝、主は旅立たれました。主は川辺にあるハヌマーンの寺院でラーマーナンダ・ラーヤに会いました。ハヌマーンの寺院を訪れた後、主は去りました。

チャイタンニャ・マハープラブがカルプーラに留まっていらした間じゅう、様々な人々が主にお目にかかりました。そして主の恵みによって、すべての人が至高主の献身者になりました。

第29段落
主チャイタンニャの出発のあと、ラーマーナンダ・ラーヤは主からの別離によって圧倒されました。そして彼は直ちに仕事から引退してジャガンナーター・プリーで再び主に会うことを決心しました。ラーマーナンダ・ラーヤと主チャイタンニャの間の議論は、献身奉仕の最も凝縮された形を扱います。

これらの議論を聞くことによって(校正:コンマが抜けている)、人はシュリー・ラーダーとクリシュナの娯楽、ならびに主チャイタンニャによって演じられた内密な役割を理解することができます。もしも人が実際にこれらの議論に信頼(faith)を持つに十分なほど幸運であるなら、彼はラーダーとクリシュナの超越的な仲間(association、関わり)に入ることができます。

。。。。。。。。。。。。。。。。
以上で本書の本文を終わります。以下は省略します。
*参照(シュリマッド・バーガヴァタムとバガヴァッド・ギーターを除く、引用された聖典と引用箇所)
*用語の説明
*サンスクリットの発音
*索引

裏表紙
幾世を通じて、多くのアヴァターラたち---聖なる霊感を受けた教師たちと神の化身たち---が世に現れました。しかし、黄金のアヴァターラ、主チャイタンニャ・マハープラブほど霊的な愛を惜しみなく配った方はありません。

(改行)

チャイタンニャ・マハープラブ(マハープラブは「偉大な主人」を意味します)は、1486年にインドのベンガルに現れました。そして主はわずか48年生きられましたが、それでも主は、何百万人もの人々の人生に多いに影響した、霊的な意識における革命を始めました。

若い頃から偉大な聖人として有名だった主チャイタンニャは、24歳のときにインド中で古代のヴェーダの英知の忘れられた真髄を教えるために、ご自分の家族と友人たちのもとを去りました。主ご自身は完全に(俗世を)放棄した神秘主義者でしたが、主は、「人がいかにして、たとえ自分の家、仕事、そして社会的な事柄の中にあっても、霊的な意識において活動することができるか」を教えました。

そのため主の教えは、時代を超越したものではありますが、今日の世界に特別の関連を持ちます。主は神への純粋な愛の恍惚を直接的に感じるために誰もが行うことのできる実際的な過程を教えました。本書は、この偉大な聖人の卓越した人生について語り、主の教えの真髄を説明します。

(改行)

ヴェーダの宗教と思想の、世界で最も著名な教師、尊師A.C.バークティヴェダンタ・スワミ・プラブパーダ睨下は、「バガヴァッド・ギーター・アズ・イット・イズ」、「シュリマッド・バーガヴァタム」、「ザ・ネクター・オブ・ディヴォーション」およびヴェーダ文献の他の多くの英語版の著者です。彼は世界中に200以上のセンターを持つクリシュナ意識国際協会の創立者アーチャーリャです。
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by ammolitering4 | 2012-02-23 15:00 | 「主チャイタンニャの教え」 | Comments(2)

第32章 前半

第32章 結論
第1段落
クリシュナ意識の人として有名な者は、永遠の名声を楽しみます。物質的な世界では、誰もが3つのものを求めて努力しています。彼は自分の名前が不朽にされるのを望み、彼は自分の名声が世界中に広められるのを望み、そして彼は自分の物質的な活動から何らかの利益を望みます。

しかし、このすべての物質的な名前、名声、そして利益が一時的な体に属し、そして体が終われば直ちにすべての名前、名声、そして利益もまた終わるということを、誰も知りません。誰もが体と繋がっている名前と名声と利益を求めて努力しているというのは、ひとえに無知が原因です。

至高の霊、ヴィシュヌを知らずして、体に基づいて有名になること、あるいは霊的に発達した意識を持った人として知られるようになることは、嘆かわしいことです。本当の名声は、人がクリシュナ意識を得るときだけ(if)持たれ得ます。

第2段落
シュリマッド・バーガヴァタムによれば12の権威者がおり、彼らは皆、主の偉大な献身者なので、皆、有名です。これらの権威者は、ブラーマー、ナーラダ、主シヴァ、マヌ、カピラ、プラーラーダ、ジャナカ、ビーシュマ、シュカデヴァ・ゴスヴァーミー、バリ、ヤマラージャ、そしてクマーラたちです。

これらの名士は、皆、主の偉大な、信念の固い献身者なので、今でも覚えられています。ガルダ・プラーナの中で、「ブラーマーあるいは主シヴァなどの半神であることより、カリの時代において至高主の有名な献身者であることの方がもっと稀である」と述べられています。

ナーラダとプンダリーカの間の話に関して、ユディーシュティーラは、「彼は最も有名で、非常に多くの誕生の後で“自分はヴァースデヴァの従者である”と理解するようになる、他のすべての者たちを救うことができます」と言いました。同様に、バガヴァッド・ギーター(7.19)の中で、クリシュナはアルジュナにこうおっしゃいます。

(サンスクリット引用)

「多くの誕生と死のあと、実際に知識のある者は、私をすべての原因と存在するすべてのものの原因と知って、私に服従します。そのような魂は非常に稀です。」アーディ・プラーナにおいて、「解放と超越的な生活は、すべての神の献身者の後に続く」と述べられています。

ブリハン・ナーラディーヤ・プラーナには、「ブラーマーや他の半神たちのような名士たちでさえ、至高の人格神の献身者の価値を知らない」と述べられています。ガルダ・プラーナは、次のように指摘します。「何千人ものブラーマナのうち、一人が犠牲を行うことにおいて熟達しているかもしれない。

そして、何千人ものそのような熟達したブラーマナのうち、一人のブラーマナがヴェダーンタ・スートラの知識において熟達しているかもしれない。そして、何千人も何千人ものそのようなヴェダーンタ学者のうち、主ヴィシュヌの献身者として有名な者が、一人いるかもしれない。」

たくさんのヴィシュヌの献身者がいますが、彼らのうち、自分の献身において確固たる者は神の王国に入る資格があります。シュリマッド・バーガヴァタム(3.13.4)においても、「多くのヴェーダの学徒がいるが、自分の心の中でいつも至高の人格神のことを考えている者が、すべてのうちで最良の学徒である」と述べられています。

ナーラーヤナ・ヴューハ・スタヴァの祈りの中で、「たとえ偉大なブラーマーであっても、もしも主の献身者でないなら、彼は全く取るに足らないが、他方で、もしも微生物が主の献身者であるなら、彼は最も有名である」と述べられています。

第3段落
主チャイタンニャは次に、ラーマーナンダ・ラーヤに「世界で最も価値のあるものは何ですか?」と尋ねました。ラーマーナンダ・ラーヤは、「ラーダー・クリシュナへの愛を持つ者が、最も価値のある宝石と最大の富を持っている」と答えました。

物質的な感覚の満足、あるいは物質的な富に中毒している者は、本当は富裕であるとは考えられません。人がクリシュナ意識の霊的な水準に来るとき、彼は「ラーダー・クリシュナへの愛よりももっと価値のある富はない」と理解することができます。

シュリマッド・バーガヴァタムに、「マハーラージャ・ドゥルヴァは、幾らかの土地を得たかったので至高主を探し求めたけれど、彼がとうとうクリシュナに会ったとき、彼は『私はとても喜んでいます。私は何も欲しくありません』と言った」と記録されています。

バガヴァッド・ギーターにも、「もしも人が至高の人格神の庇護の下に来るなら、あるいは至高神への愛という至高の水準に上げられるなら、彼はそれ以上何も望まない」と述べられています。そのような献身者は、主から何であれ自分が望むものを得ることができますが、彼らは主から何も求めません。

第4段落
主チャイタンニャがラーマーナンダ・ラーヤに「何が最も辛い存在か」と尋ねたとき、ラーマーナンダ・ラーヤは「純粋な献身者からの別離が最も辛い存在を成す」と答えました。言い換えると、主の献身者がいないときには社会には大いなる苦しみがあり、そして、他の人々との関わりが辛いものになります。

シュリマッド・バーガヴァタム(3.30.7)には、「純粋な献身者との関わりを持たない者が、クリシュナ意識に欠ける社会、友情、そして愛を通して幸せになろうとするとき、彼は最も苦しい状態にあると考えられるべきである(he is to be considered)」と述べられています。ブリハド・バーガヴァタームリタ(5.44)の第5巻には、「純粋な献身者との関わりは人生(life)そのものよりももっと望ましく、そして彼からの別離において、人は一秒でさえ幸せに過ごせない。」

第5段落
それから主チャイタンニャはラーマーナンダ・ラーヤに「多くのいわゆる解放された魂のうち、誰が実際に解放されていますか?」と尋ねました。ラーマーナンダ・ラーヤは、「ラーダーとクリシュナへの愛で実際に完全に満たされている者が、すべての解放された者たちのうちで最良の者と考えられるべきである」と答えました。

シュリマッド・バーガヴァタム(6.14.4)に、「ナーラーヤナの献身者は非常に稀なので、人は彼を何百万人も何百万人ものうちからしか見つけることができない」と述べられています。

第6段落
「そして、すべての歌のうち、あなたはどの歌がすべての中で最良だと思いますか(校正:「すべての中で」が一文の中で重複している)?」とチャイタンニャ・マハープラブは尋ねました。そしてラーマーナンダ・ラーヤは、「どれであれ、ラーダーとクリシュナの娯楽を描写する歌が最良の歌である」と答えました。

制約された人生において、魂は性(交)によって虜にされます。すべての作り話---劇と小説---、そして物質的な歌は、男と女の間の愛を描写します。人々はこの種の文献に非常に魅了されているので、クリシュナはこの物質世界に現れて、ご自分のゴピーたちとの超越的な恋愛をお見せになりました。

ゴピーたちとクリシュナの間のやり取りに関する膨大な数の文献(an immense literature)があります。そして、これらの文献、あるいはラーダーとクリシュナに関する話の庇護を受ける誰もが、本当の幸せを味わうことができます。

シュリマッド・バーガヴァタム(10.33.36)には、「主はご自分の実際の人生を明かすためにヴリンダーヴァンでご自分の娯楽をお見せになった」と述べられています。誰であれ、ラーダーとクリシュナの娯楽を理解しようとする知性的な人は、最も幸運です。これらの娯楽について語る歌(songs、複数)は、世界で最も素晴らしい歌です。

第7段落
それから主チャイタンニャは、「世界で最も利益の多いこと、すべての縁起のよい出来事の真髄は何ですか?」と尋ねました。ラーマーナンダ・ラーヤは、「純粋な献身者との関わりほど利益の多いものはない」と答えました。

第8段落
「そして、あなたは人が何について考えることを勧めますか?」と主チャイタンニャは尋ねました。ラーマーナンダ・ラーヤは、「人はいつもクリシュナの娯楽のことを考えるべきである」と答えました。これがクリシュナ意識です。クリシュナはたくさんの活動をお持ちであり、そしてそれらは多くのヴェーダの聖典に描写されています。人はいつもそれらのことを考えるべきです。

それが最高の瞑想であり、最高の恍惚です。シュリマッド・バーガヴァタム(2.2.36)の中で、シュカデヴァ・ゴスヴァーミーは「人はいつも至高の人格神のことを考えるべきである---主のことを考えるだけでなく、人は主の御名、名声、そして栄光を聞き、唱えることもすべきである」と確認します。

第9段落
「そして、何が最良の種類の瞑想ですか?」と主チャイタンニャは尋ねました。

第10段落
「いつもラーダーとクリシュナの蓮の御足の上に瞑想する者は、最良の瞑想者です」とラーマーナンダ・ラーヤは答えました。これはシュリマッド・バーガヴァタム(1.2.14)においても確認されています。「すべての献身者の主人であり、人がその名をいつも唱えるべきであり、いつもその上に瞑想されるべきであって、定期的に崇拝されるべきであるのは、至高の人格神だけです。」

第11段落
「他のすべての喜びを放棄して、人はどこに住むべきですか?」と主チャイタンニャは次に尋ねました。ラーマーナンダは、「人は他のすべての喜びを放棄して、主クリシュナが非常に多くの娯楽をなさったヴリンダーヴァンに住むべきである」と答えました。

シュリマッド・バーガヴァタム(10.47.61)において、ウッダーヴァは、「たとえ人が草(plant、植物)やつる草として生きなければならないにしても、ヴリンダーヴァンに住むのが最良である」と言います。至高主がお住まいになったのはヴリンダーヴァンであり、ゴピーたちが至高主、すべてのヴェーダの知識の究極の目的地を崇拝したのは、そこでです。」

第12段落
そして、「聞くのに最良の主題は何ですか?」とチャイタンニャ・マハープラブは次に尋ねました。

第13段落
「ラーダーとクリシュナの娯楽です」とラーマーナンダは答えました。実際は、ラーダーとクリシュナの娯楽が正しい源から聞かれるとき、人は直ちに解放を得ます。不幸にして、人々がこれらの娯楽を自己を認識した魂である人から聞かない、ということが時々起こります。

こうして人々は時として誤って導かれます。シュリマッド・バーガヴァタム(10.33.40)に「クリシュナのゴピーたちとの娯楽のことを聞く者は、献身奉仕の最高の水準に至り、そして物質世界の中ですべての人の心を圧倒する物質的な欲望から自由になります」と述べられています。

言い換えると、ラーダーとクリシュナの娯楽を聞くことによって、人はすべての物質的な欲望を捨てることができます。もしも人がこのようにして物質的な欲望から自由にならないなら、それなら彼はラーダーとクリシュナの娯楽を聞くことにふけるべきではありません。

人が正しい源から聞かない限り、彼はラーダーとクリシュナの娯楽を、男と女の間の普通の恋愛と考えて誤解釈するでしょう。このようにして、人は誤って導かれるかもしれません。

第14段落
「そして、誰が最も崇拝に値する神(worshipable Deity)ですか?」とチャイタンニャ・マハープラブは次に問いました。ラーマーナンダ・ラーヤは直ちに、超越的な恋人たち(couple)、シュリー・ラーダーとクリシュナが究極の崇拝の対象である」と答えました。

多くの崇拝に値する対象があります---例えば、非人格主義者はブラーマジョティを崇拝します---しかし、ラーダーとクリシュナ以外の対象を崇拝することによって人は生命(life)のしるしを欠くようになり、ちょうど木や他の動かない存在(entity)のようになります。

いわゆる虚無を崇拝する者も、そのような結果を得ます。物質的な楽しみ(ブークティ)を求める者は半神を崇拝し、彼らの惑星に至って、そうして物質的な幸せを楽しみます。主チャイタンニャは次に、物質的な幸せと物質的な呪縛からの解放を求める者について尋ねました。

「彼らは究極的にはどこに行くのですか?」と主は尋ねました。ラーマーナンダ・ラーヤは、「究極的に、一部の者は木になり、他の者は天国のような惑星に行き、そこで彼らは物質的な幸せを楽しむ」と答えました。

第15段落
ラーマーナンダ・ラーヤは続けて、「クリシュナ意識あるいは霊的な人生への嗜好を持たない者は、ちょうど苦いニムバ(訳注:英語ではニームneem、日本語ではセンダン)の実を食べることに喜びを感じるカラスのようなものだ」と言いました。

マンゴーの種を食べるのは詩的なカッコーです。不運な超越主義者は単に無味乾燥な哲学において(on)推量します。一方、ラーダーとクリシュナを愛している超越主義者は、カッコーのように実を楽しみます。このように、ラーダーとクリシュナの献身者である者は、最も幸運です。

苦いニムバの実は、全く食べられません。それは単に無味乾燥な推量に満ちており、カラスのような哲学者だけに適しています。しかしマンゴーの種は非常においしく、ラーダーとクリシュナへの献身奉仕にある者はそれらを楽しみます。

(訳注:マンゴーの種はタンパク質を9%含み、飢饉のときには食用にされる。バターに似た油をとるのにも使われ、搾りかすは動物の餌になる。ニームは苦いので食用にはならないが、薬効が強いので様々に使われる。農薬を使わない自然な殺虫剤としての働きも注目されている。http://neem.mineral-net.com/)ニームに関するサイト

第16段落
こうしてラーマーナンダ・ラーヤとチャイタンニャ・マハープラブは、夜の間じゅう話しました。時として彼らは踊り、時として歌い、そして時として泣きました。このようにして夜を過ごしたあと、夜明けにラーマーナンダ・ラーヤは自分の家に帰りました。次の夜(訳注:その晩)、彼はチャイタンニャ・マハープラブに会うために戻ってきました。クリシュナについてしばらく議論した後、ラーマーナンダ・ラーヤは主の足元にひれ伏して言いました。

「我が親愛なる主よ。あなたは非常に親切でいらっしゃるので、あなたは私にクリシュナとラーダーラーニーの科学と、彼らの恋愛と、ラーサの踊り(のとき)の出来事(affairs、事柄)と、彼らの娯楽について、私に語ってくださいました。私は、自分がこの主題について話すことができるとは、決して思いませんでした。あなたは、ご自分がかつてブラーマーにヴェーダを教えられたように、私に教えられました。」
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by ammolitering4 | 2012-02-22 23:32 | 「主チャイタンニャの教え」 | Comments(0)

第31章 最後まで

第42段落
わざとヴラジャの高貴な娘たちの服装をして、主チャイタンニャ・マハープラブの宗派に属すると主張する、多くの偽りの献身者がいます。そして、これは発達した心霊主義者、あるいは発達した献身奉仕の学徒によっては認められていません。

そのような人々は、外的な物質の体に(そのような)衣類をまといます。なぜなら、彼らは愚かにも体を魂と間違えるからです。彼らがクリシュナ、ラーダーラーニー、そして彼らの仲間であるヴラジャの高貴な娘たちの霊的な体が物質自然でできていると考えるとき、彼らは間違っています。

人は、「すべてのそのような顕現は、超越的な世界における永遠の喜びと知識の拡張体である」と、完璧に知るべきです。それら(訳注:上記の人々の霊的な体)は、これらの物質的な体とは何の関係もありません。

このため、ヴリンダーヴァンの高貴な娘たちの体、衣服、飾り、そして活動は、この物質的な宇宙の顕現のものではありません。ブリンダーヴァンの高貴な娘たちは、物質的な世界の中のそれらの魅力の影響の下にはありません。

彼女らは、すべてを魅了するクリシュナのための超越的な魅力です。主はすべてを魅了するので、主はクリシュナと呼ばれます。しかし、ヴリンダーヴァンの高貴な娘たちは、クリシュナにさえ魅力的です。したがって、彼女らはこの物質世界のものではありません。

第43段落
もしも人が誤って物質的な体は霊的な体と同じくらい完璧であると考え、そしてヴリンダーヴァンの高貴な娘たちを真似し始めるなら、彼はマーヤーヴァーディーの非人格的な哲学で荒らされる(to infest、害虫などが寄生する様子)ようになります。

非人格主義者たちは、人が自分の体を至高存在として崇拝する、アハム・グラホパーサナーという過程を勧めます。このように考えて、そのような偽りの超越主義者たちは、ヴラジャの高貴な娘たちのような服装をします。そのような活動は、献身奉仕においては受け入れられません。

ゴーディーヤサムプラダーヤにおける最も権威のあるアーチャーリャであるシュリーラ・ジーヴァ・ゴスヴァーミーでさえ、これらの模倣を非難しました。超越的な認識の過程は、至高主の仲間たちの足跡を辿ることです。

したがって、もしも人が自分自身を至高主の直接的な仲間と考えるなら、彼は非難されます。権威を認められたヴァイシュナヴァの原則によれば、人はある特定の献身者に従うべきであり、そして自分自身をクリシュナの仲間と考えるべきではありません。

第44段落
このようにしてラーマーナンダ・ラーヤは、「人はヴラジャの高貴な娘たちの雰囲気を受け入れるべきである」と説明しました。チャイタンニャ・チャリタームリタの中で、「人はクリシュナの仲間たちの感情の活動を受け入れるべきであり、(彼らの)衣服を真似るべきではない」と明らかに述べられています。

人はまた、いつも超越的な世界におけるラーダーとクリシュナの間の事柄を瞑想すべきです。人はラーダーとクリシュナのことを一日24時間考え、永遠に彼らへの奉仕にいそしむべきです。人は外的に自分の衣服を変える必要はありません。

ラーダーラーニーの仲間たちと友人たちの雰囲気を辿ることによって、人は究極的に完成の水準に至り、ゴロカ・ヴリンダーヴァン、クリシュナの超越的なお住まいに移されます。

第45段落
ゴピーたちの感情的な追求(emotional pursuit)の雰囲気は、スィッダー・デハと呼ばれます。この言葉は、感覚と心と知性を超えた、純粋な霊的な体を指します。スィッダー・デハは、至高主に奉仕をするのにちょうどふさわしい、浄化された魂です。

誰も、自分の純粋な霊的な自己認識に位置することなくしては、主の仲間として至高主に奉仕をすることはできません。その自己認識は、すべての物質的な汚染から完全に自由です。バガヴァッド・ギーターに述べられているように、物質的に汚染されている人は、物質的な意識によって、もう一つの物質的な体に転生します。

死のときに彼は物質的に考え、そしてそのため、もう一つの物質的な体に移されます。同様に、人が(死のときに)自分の純粋な霊的な自己認識に位置していて、至高主に捧げられる霊的で愛情ある奉仕のことを考えるとき、彼はクリシュナの仲間に入るために霊的な王国に移されます。

言い換えると、自分の霊的な自己認識に至ってクリシュナの仲間たちのことを考えることによって、人は霊的な王国に移る資格を得ます。誰も、自分の純粋な霊的な自己認識(スィッダー)に位置することなくして、霊的な王国のことを熟考したり考えたりすることはできません。

そのため、ラーマーナンダ・ラーヤは、「スィッダー・デハに至ることなくしては、人は高貴な娘たちの仲間になることも、至高の人格神クリシュナと主の永遠の恋人(consort、妃)ラーダーラーニーに直接的に奉仕をすることもできない」と言いました。このことに関して、ラーマーナンダ・ラーヤはシュリマッド・バーガヴァタム(10.47.60)を引用しました。

(サンスクリット引用)

「幸運の女神ラクシュミーも、天国のような王国の高貴な娘たちでさえも、ヴラジャブーミーの高貴な娘たちの能力(facilities)を得ることはできません---ましてや(and)、他の者たちについては、何をか言わんや?」

第46段落
主チャイタンニャは、ラーマーナンダ・ラーヤからこれらの言明を聞いて非常に満足し、彼を抱擁しました。それから両者は超越的な認識の恍惚の中で泣き始めました。このように主とラーマーナンダ・ラーヤはラーダーとクリシュナの超越的な娯楽を夜通し議論し、そして朝に、彼らは別れました。ラーマーナンダ・ラーヤは自分の家に帰るために去り、そして主は沐浴をしに行きました。

第47段落
別れのとき、ラーマーナンダ・ラーヤは主チャイタンニャの足元にひれ伏して祈りました。「我が親愛なる主よ。あなたは、ただ私をこの無知の泥沼から救うためにいらっしゃいました。したがって私は、私の心をこの物質的な汚染から浄化するために、あなたが少なくとも10日間ここに留まってくださることをお願いします。そのような超越的な神への愛を授けることのできる人は他にいません。

第48段落
「私は、あなたからラーダーとクリシュナの超越的な娯楽を聞くことによって自分自身を浄化するためにあなたのところに来ました」と主は答えました。「私は非常に幸運です。なぜなら、あなたはそのような超越的な娯楽の唯一の教師だからです。

私は、ラーダーとクリシュナの間の超越的な愛情ある交換を認識することのできる他の誰も、世界中に見つけることができません。あなたは私に、ここに10日間留まるように頼んでいます。しかし私は、残りの生涯ずっとあなたと共に留まりたい気がします。

私の本拠地であるジャガンナーター・プリーに来てください。そうすれば(and)私たちは互いの残りの生涯ずっと一緒にいる(ことができる)でしょう。そうすれば(Thus)私は自分の残りの日々を、あなたとの関わりの中でクリシュナとラーダーを理解することで過ごすことができます。

第49段落
シュリーマン・ラーマーナンダ・ラーヤは、翌日の夜、再び主に会いに来ました。そして、この超越的な主題に関する更なる講話がありました。

第50段落
「教育の最高の水準は何ですか?」と、主チャイタンニャはご自分の問いかけを始めました。そしてラーマーナンダ・ラーヤは直ちに、「教育の最高の水準はクリシュナの科学の知識である」と答えました。物質的な教育の水準は感覚の満足ですが、霊的な知識の最高の水準はクリシュナの科学の知識です。

シュリマッド・バーガヴァタム(4.29.50)において、「至高の人格神を喜ばせるその仕事が最高の仕事であり、人を完全なクリシュナ意識に置くその科学あるいは知識が最高の知識である」と述べられています。

同様に、プラーラーダ・マハーラージャもまた、学校でご自分の子供時代の友人たちに教えている間に、「主について聞くこと、唱名すること、思い出していること、崇拝すること、祈ること、奉仕すること、クリシュナと友達になること、そしてすべてを主に捧げることが、最高の霊的な知識を構成する」と述べました。

第51段落
「そして、人が持つことのできる最も偉大な評判は何ですか?」と、主チャイタンニャはラーダーナンダ・ラーヤに尋ね、そしてラーマーナンダは直ちに、「クリシュナ意識であるという評判の人は、世界で最も有名な人であると考えられるべきである」と答えました。
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by ammolitering4 | 2012-02-22 11:44 | 「主チャイタンニャの教え」 | Comments(0)

第31章 最後まで

第42段落
わざとヴラジャの高貴な娘たちの服装をして、主チャイタンニャ・マハープラブの宗派に属すると主張する、多くの偽りの献身者がいます。そして、これは発達した心霊主義者、あるいは発達した献身奉仕の学徒によっては認められていません。

そのような人々は、外的な物質の体に(そのような)衣類をまといます。なぜなら、彼らは愚かにも体を魂と間違えるからです。彼らがクリシュナ、ラーダーラーニー、そして彼らの仲間であるヴラジャの高貴な娘たちの霊的な体が物質自然でできていると考えるとき、彼らは間違っています。

人は、「すべてのそのような顕現は、超越的な世界における永遠の喜びと知識の拡張体である」と、完璧に知るべきです。それら(訳注:上記の人々の霊的な体)は、これらの物質的な体とは何の関係もありません。

このため、ヴリンダーヴァンの高貴な娘たちの体、衣服、飾り、そして活動は、この物質的な宇宙の顕現のものではありません。ブリンダーヴァンの高貴な娘たちは、物質的な世界の中のそれらの魅力の影響の下にはありません。

彼女らは、すべてを魅了するクリシュナのための超越的な魅力です。主はすべてを魅了するので、主はクリシュナと呼ばれます。しかし、ヴリンダーヴァンの高貴な娘たちは、クリシュナにさえ魅力的です。したがって、彼女らはこの物質世界のものではありません。

第43段落
もしも人が誤って物質的な体は霊的な体と同じくらい完璧であると考え、そしてヴリンダーヴァンの高貴な娘たちを真似し始めるなら、彼はマーヤーヴァーディーの非人格的な哲学で荒らされる(to infest、害虫などが寄生する様子)ようになります。

非人格主義者たちは、人が自分の体を至高存在として崇拝する、アハム・グラホパーサナーという過程を勧めます。このように考えて、そのような偽りの超越主義者たちは、ヴラジャの高貴な娘たちのような服装をします。そのような活動は、献身奉仕においては受け入れられません。

ゴーディーヤサムプラダーヤにおける最も権威のあるアーチャーリャであるシュリーラ・ジーヴァ・ゴスヴァーミーでさえ、これらの模倣を非難しました。超越的な認識の過程は、至高主の仲間たちの足跡を辿ることです。

したがって、もしも人が自分自身を至高主の直接的な仲間と考えるなら、彼は非難されます。権威を認められたヴァイシュナヴァの原則によれば、人はある特定の献身者に従うべきであり、そして自分自身をクリシュナの仲間と考えるべきではありません。

第44段落
このようにしてラーマーナンダ・ラーヤは、「人はヴラジャの高貴な娘たちの雰囲気を受け入れるべきである」と説明しました。チャイタンニャ・チャリタームリタの中で、「人はクリシュナの仲間たちの感情の活動を受け入れるべきであり、(彼らの)衣服を真似るべきではない」と明らかに述べられています。

人はまた、いつも超越的な世界におけるラーダーとクリシュナの間の事柄を瞑想すべきです。人はラーダーとクリシュナのことを一日24時間考え、永遠に彼らへの奉仕にいそしむべきです。人は外的に自分の衣服を変える必要はありません。

ラーダーラーニーの仲間たちと友人たちの雰囲気を辿ることによって、人は究極的に完成の水準に至り、ゴロカ・ヴリンダーヴァン、クリシュナの超越的なお住まいに移されます。

第45段落
ゴピーたちの感情的な追求(emotional pursuit)の雰囲気は、スィッダー・デハと呼ばれます。この言葉は、感覚と心と知性を超えた、純粋な霊的な体を指します。スィッダー・デハは、至高主に奉仕をするのにちょうどふさわしい、浄化された魂です。

誰も、自分の純粋な霊的な自己認識に位置することなくしては、主の仲間として至高主に奉仕をすることはできません。その自己認識は、すべての物質的な汚染から完全に自由です。バガヴァッド・ギーターに述べられているように、物質的に汚染されている人は、物質的な意識によって、もう一つの物質的な体に転生します。

死のときに彼は物質的に考え、そしてそのため、もう一つの物質的な体に移されます。同様に、人が(死のときに)自分の純粋な霊的な自己認識に位置していて、至高主に捧げられる霊的で愛情ある奉仕のことを考えるとき、彼はクリシュナの仲間に入るために霊的な王国に移されます。

言い換えると、自分の霊的な自己認識に至ってクリシュナの仲間たちのことを考えることによって、人は霊的な王国に移る資格を得ます。誰も、自分の純粋な霊的な自己認識(スィッダー)に位置することなくして、霊的な王国のことを熟考したり考えたりすることはできません。

そのため、ラーマーナンダ・ラーヤは、「スィッダー・デハに至ることなくしては、人は高貴な娘たちの仲間になることも、至高の人格神クリシュナと主の永遠の恋人(consort、妃)ラーダーラーニーに直接的に奉仕をすることもできない」と言いました。このことに関して、ラーマーナンダ・ラーヤはシュリマッド・バーガヴァタム(10.47.60)を引用しました。

(サンスクリット引用)

「幸運の女神ラクシュミーも、天国のような王国の高貴な娘たちでさえも、ヴラジャブーミーの高貴な娘たちの能力(facilities)を得ることはできません---ましてや(and)、他の者たちについては、何をか言わんや?」

第46段落
主チャイタンニャは、ラーマーナンダ・ラーヤからこれらの言明を聞いて非常に満足し、彼を抱擁しました。それから両者は超越的な認識の恍惚の中で泣き始めました。このように主とラーマーナンダ・ラーヤはラーダーとクリシュナの超越的な娯楽を夜通し議論し、そして朝に、彼らは別れました。ラーマーナンダ・ラーヤは自分の家に帰るために去り、そして主は沐浴をしに行きました。

第47段落
別れのとき、ラーマーナンダ・ラーヤは主チャイタンニャの足元にひれ伏して祈りました。「我が親愛なる主よ。あなたは、ただ私をこの無知の泥沼から救うためにいらっしゃいました。したがって私は、私の心をこの物質的な汚染から浄化するために、あなたが少なくとも10日間ここに留まってくださることをお願いします。そのような超越的な神への愛を授けることのできる人は他にいません。

第48段落
「私は、あなたからラーダーとクリシュナの超越的な娯楽を聞くことによって自分自身を浄化するためにあなたのところに来ました」と主は答えました。「私は非常に幸運です。なぜなら、あなたはそのような超越的な娯楽の唯一の教師だからです。

私は、ラーダーとクリシュナの間の超越的な愛情ある交換を認識することのできる他の誰も、世界中に見つけることができません。あなたは私に、ここに10日間留まるように頼んでいます。しかし私は、残りの生涯ずっとあなたと共に留まりたい気がします。

私の本拠地であるジャガンナーター・プリーに来てください。そうすれば(and)私たちは互いの残りの生涯ずっと一緒にいる(ことができる)でしょう。そうすれば(Thus)私は自分の残りの日々を、あなたとの関わりの中でクリシュナとラーダーを理解することで過ごすことができます。

第49段落
シュリーマン・ラーマーナンダ・ラーヤは、翌日の夜、再び主に会いに来ました。そして、この超越的な主題に関する更なる講話がありました。

第50段落
「教育の最高の水準は何ですか?」と、主チャイタンニャはご自分の問いかけを始めました。そしてラーマーナンダ・ラーヤは直ちに、「教育の最高の水準はクリシュナの科学の知識である」と答えました。物質的な教育の水準は感覚の満足ですが、霊的な知識の最高の水準はクリシュナの科学の知識です。

シュリマッド・バーガヴァタム(4.29.50)において、「至高の人格神を喜ばせるその仕事が最高の仕事であり、人を完全なクリシュナ意識に置くその科学あるいは知識が最高の知識である」と述べられています。

同様に、プラーラーダ・マハーラージャもまた、学校でご自分の子供時代の友人たちに教えている間に、「主について聞くこと、唱名すること、思い出していること、崇拝すること、祈ること、奉仕すること、クリシュナと友達になること、そしてすべてを主に捧げることが、最高の霊的な知識を構成する」と述べました。

第51段落
「そして、人が持つことのできる最も偉大な評判は何ですか?」と、主チャイタンニャはラーダーナンダ・ラーヤに尋ね、そしてラーマーナンダは直ちに、「クリシュナ意識であるという評判の人は、世界で最も有名な人であると考えられるべきである」と答えました。
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by ammolitering4 | 2012-02-22 11:44 | 「主チャイタンニャの教え」 | Comments(0)

第31章 41段落まで

第33段落
「私にとって、これを超えた何かを表すことは非常に困難です」とラーマーナンダ・ラーヤは答えました。「私は、『プレマ・ヴィラーサ・ヴィヴァルタと呼ばれる感情の活動がある』ということだけを言うことができます。私はそれを説明しようとします(may)が、私はあなたがそれを聞くことで幸せかどうか分かりません。」

プレマ・ヴィラーサには二つの種類の感情の活動があります---別離と出会いです(訳注:meeting、ここで「出会い」は単に「会うこと」を指し、日本語の「出会い」の語感に含まれる「初めての出会い」ではありません。適切な言葉を思いつかないのでこうしています。以下同様ですが、「密会」という意味もあるので、内容によってはそちらが適切な場合もあります)。

その超越的な別離は非常に激しいので、実際は出会いよりも恍惚的です。ラーマーナンダ・ラーヤは、
ラーダーとクリシュナの間のこれらの高度に発達したやりとりを理解することにおいて熟達しており、そして彼は素敵な(nice)歌を作詞し、それを主に詠唱しました。

その歌の解説は、「愛する者と愛される者は、出会いの前に、自分たちの超越的な活動の交換によって、一種の感情を作り出す」というものです。その感情はラーガ、すなわち魅力と呼ばれます。シュリーマティー・ラーダーラーニーは、「私たちの間の、この魅力と愛情が、最高の限度(extent、範囲、限界、大きさ)まで上がる」というご自分の意欲を表されましたが、この魅力の原因はラーダーラーニーご自身です。

「原因が何であれ」とラーダーラーニーはおっしゃいました。「あなたと私の間のその愛情は、私たちを一つに混ぜました(to mix)。今、別離の時が来たので、私はこの愛の進化の歴史を見ることができません。私たちの出会いそのもの、そして(私たちの)気持ちの夢のような(visionary)交換の他には、原因や媒体はありませんでした。」

第34段落
クリシュナとラーダーラーニーの間のこの気持ちの交換は、人が純粋な徳の水準に上げられない限り、理解するのが非常に困難です。そのような超越的な交換は、物質的な徳の水準から理解することは可能でさえありません。

理解するためには、人は実際に物質的な徳を超越せねばなりません。これは、ラーダーとクリシュナの間の気持ちの交換が、この物質的な世界の主題ではないからです。最も偉大な精神的な推量者でさえ、直接的にも間接的にも、これを理解することができません。

物質的な活動は、濃密な体、あるいは希薄な心のために(for)顕現しますが、ラーダーとクリシュナの間のこの気持ちの交換はそのような顕現を超えており、知性的で精神的な推量を超えています。それは物質的な世界のすべての区分(訳注:designation、呼称、指定など。物質的な体に基づいて「自分は男である、アジア人である」などと区別して考えること)から自由になった、浄化された感覚によってのみ理解されます。

感覚を浄化した者は、これらの超越的な特質と交換を理解することができますが、非人格主義者である者、そして霊的な感覚について何の知識もない者は、物質的な感覚の範囲の中で識別する(to discriminate、違いを認識する)ことができるだけであり、そしてそのため、霊的な交換あるいは霊的で官能的な活動を理解することができません。

実験的な知識の力によって発達した者は、濃密な身体的な活動によって、あるいは精神的な推量によって、自分の鈍感な物質的な感覚を満足させることができるだけです。体、あるいは心から生じたすべては、いつも不完全であり、やがて滅びます。

しかし、超越的で霊的な活動は、いつも明るくすばらしい(bright and wonderful)ものです。超越的な水準における純粋な愛は、物質的な愛情のない純粋さの模範であり、完全に霊的です。物体への愛情は、物質世界における性交の酩酊によって示されるように、やがて滅びます。

しかし、霊的な世界にはそのような酩酊はありません。感覚の満足の道における妨げは物質的な苦しみを生じさせますが、人はそれを霊的な別離と比べることはできません。霊的な別離の中には、人が物質的な別離の中に見出す酩酊も無力感(ineffectiveness)もありません。

第35段落
主チャイタンニャは、「これが超越的な愛情ある交換の最高の立場である」と認めました。そして、主はラーマーナンダ・ラーヤにこう言いました。「あなたの恵みによってのみ、私はそのような高い超越的な立場を理解することができました。

そのような立場には、超越的な活動を行うことなくしては至り得ません。ですから、どうか親切に、どうしたら私は自分自身をこの水準に上げることができるか、教えてくださいませんか?」

第36段落
「あなたに理解させることは、私にも同じように困難です」とラーマーナンダ・ラーヤは答えました。「私に関して言えば、私はあなたが私に話して欲しいと思われることだけを話すことができます。誰もあなたの至高の意志を逃れることはできません。

そして、私は話しているように見えますが、私は実際は話者ではありません。あなたが話していらっしゃいます。したがって、あなたは話者であって、聴衆でもあります。そのため、この最高の超越的な立場に至るために必要とされる行いについて、あなたが私に話すように望まれるようにだけ、話させてください。」

第37段落
それからラーマーナンダ・ラーヤは、ラーダーとクリシュナの内密で超越的な活動を語り始めました。これらの活動は、主人と従者、友と友、あるいは親と息子としての至高主との感情的な関係においては、理解され得ません。

この内密な主題は、ヴラジャの高貴な娘たちとの関わりにおいてのみ、理解され得ます。なぜなら、内密な活動はそれらの高貴な娘たちの気持ちと感情から生じたからです。ヴラジャの高貴な娘たちとの関わりなくしては、人はそのような超越的な理解を育んだり、あるいは慈しんだりすることはできません。

言い換えると、ラーダーとクリシュナのこれらの内密な娯楽は、高貴な娘たちの慈悲を通して拡大しました。彼女らの慈悲なくしては、それらは理解され得ません。人は(それらを)理解するためにヴラジャの高貴な娘たちの足跡を辿らねばなりません。

第38段落
人が実際にその理解に位置するとき、彼はラーダーとクリシュナの内密な娯楽に入る資格を得ます。彼らの内密な娯楽を理解するためには、代替策はありません。これはゴヴィンダ・リーラームリタ(10.17)において確認されています。

「顕現しており、幸せで、広がっており、そして無限であるけれど、ラーダーとクリシュナの間の感情的な交換は、ヴラジャの高貴な娘たち、あるいは彼女らの追従者によってのみ理解され得ます。」ちょうど、主のいわれのない慈悲なくしては誰も至高主の霊的エネルギーの広がりを理解できないように、ヴラジャの高貴な娘たちの足跡を辿ることなくしては、誰もラーダーとクリシュナの間の超越的な性生活を理解することはできません。

ラーダーラーニーの個人的な仲間たちはサキー(sakhis、複数)と呼ばれ、彼女の近しい助手たちはマンジャリー(manjaris、複数)と呼ばれます。彼女らのクリシュナとのやり取りを表すことは非常に困難です。なぜなら、彼女らはクリシュナと親しく交際したり(to mix)、主を個人的に楽しんだりする欲望を持たないからです。

そうではなく、彼女らはいつもラーダーラーニーがクリシュナと関わるのを助ける用意ができています。彼女らのクリシュナとラーダーへの愛情は非常に純粋なので、彼女らはラーダーとクリシュナが一緒にいるとき、それだけで(simply)満足します。

実に、彼女らの超越的な喜びは、ラーダーとクリシュナが結ばれるのを見ることにあります。ラーダーラーニーの実際の姿は、ちょうどクリシュナという木を抱擁するつる草のようであり、そしてヴラジャの高貴な娘たち、ラーダーラーニーの仲間たちは、ちょうどそのつる草の葉や花のようです。つる草が木を抱擁するとき、つる草と一緒に葉と花も自動的にそれを抱擁します。

ゴヴィンダ・リーラームリタ(10.16)は、「ラーダーラーニーはクリシュナの喜びの力の拡張体であって、つる草と比べられます。そして彼女の仲間たち、ヴラジャの高貴な娘たちは、そのつる草の花と葉に比べられる」と確認します。ラーダーラーニーとクリシュナが楽しむとき、ヴラジャの高貴な娘たちはラーダーラーニー本人よりも喜びを味わいます。

第39段落
ラーダーラーニーの仲間たちはクリシュナから何らの個人的な関心も期待しませんが、ラーダーラーニーは彼女らを非常に喜ばしく思われるので、彼女はクリシュナとヴラジャの高貴な娘たちとの間の個別の出会いを手配なさいます。

実に、ラーダーラーニーは多くの超越的な策略によって、ご自分の仲間たちをクリシュナと結びつけようと(訳注:to combine or unite、どちらも「結びつかせる」という意味)なさいます。そして彼女は、主とのご自分自身の出会いよりもこれらの出会いに、より大きな喜びを感じられます。

ラーダーラーニーと彼女の仲間たちの両方が主との関わりによって喜んでいるのを見るとき、クリシュナはもっと満足なさいます。そのような関わりと愛情ある交換は、男と女の間の物質的な結びつきに似ていますが、物質的な色情とは何の関係もありません。

そのような交換が時として、超越的な言語において、「超越的な色情」と呼ばれるのは、単にその類似性のためです。ゴータミーヤ・タントラ(B.r.s.1.2.285)において、次のように説明されています。「欲望(lust、色情)とは、人の個人的な感覚の満足への執着を意味します。

しかし、ラーダーラーニーと彼女の仲間たちに関して言えば、彼女らは個人的な感覚の満足を望みませんでした。彼女らは、クリシュナを満足させることだけを望みました。」これは、シュリマッド・バーガヴァタム(10.31.19)の中で、ゴピーたちの話の一つの中でさらに確認されています。

(サンスクリット引用)

「私の親愛なるお友達クリシュナよ。あなたは今、裸足で森の中をさまよっていらっしゃいます。あなたが時として私たちの乳房の上に乗せる、その足で。あなたの足が私たちの乳房の上にあるとき、私たちは自分の乳房があなたの柔らかい足には固すぎると考えます。

今、あなたは森の中をさまよい、石の上を歩いています。そして私たちは、あなたがどう感じているのか知りません。あなたは私たちにとって何よりも大切なもの(訳注:life and soul、「命と魂」)なので、粗い石の上を行くことであなたが経験する不快さは、私たちに大いなる苦しみを与えています。」

ヴラジャの高貴な娘たちによって表されるそのような気持ちは、最高のクリシュナ意識の感情を構成します。実際にクリシュナ意識によって魅了されるようになる者は誰でも、ゴピーたちのこの水準に近付きます。無条件の(unconditional)献身というゴピーたちの水準に上がるためになされる、64の部類の献身奉仕があります。

ゴピーたちの水準におけるクリシュナへの愛情は、ラーガーヌガ、自然発生的な(spontaneous、自発的な)愛、と呼ばれます。人がクリシュナとの自然発生的な恋愛に入るとき、ヴェーダの規則や規律に従う必要はありません。

第40段落
超越的なお住まいには、様々な種類の主クリシュナの献身者がいます。例えば、ラクタカとパトラカのような従者がおり、シュリーダーマーとスダーマのようなクリシュナの友人たちがいます。ちょうどナンダとヤショダーのような、クリシュナの両親もいます。

彼らもまた、それぞれの超越的な感情に応じて、クリシュナへの奉仕に携わっています。クリシュナの至高のお住まいに入りたいと望む者は、そのような超越的な従者たちの一人の庇護を受けることができます。そうすれば、愛情ある奉仕の遂行を通じて、人はクリシュナへの超越的な愛情を得ることができます。

言い換えると、クリシュナのそれらの永遠の仲間たちの活動を遂行中に(in pursuance of、義務などを遂行している間に、またはそれに従事している間に)愛情ある奉仕を行う、この物質世界の中の献身者もまた、彼が完成するとき、同じ地位を得ます。(訳注:この一文はそのままではよく分かりませんが、直前の一文から、「これらの人々の庇護の下で自分も主に奉仕をするうちに」ということだろうと思います。)

第41段落
ウパニシャッドとシュルティの中で言及されている賢人たちもまた、ゴピーたちの地位を欲します。そして彼らもまた、人生のその最高の目的地に至るためにゴピーたちの足跡を辿ります。これはシュリマッド・バーガヴァタム(10.87.23)において確認されています。

そこでは、「神秘的なヨガの実践を通して呼吸の過程と心と感覚を統御することによって、賢人たちはプラーナーヤーマ(trance、恍惚感)を実践する」と述べられています。こうして彼らは至高のブラーマンに同化しようとします。この同じ目的は、神の存在を否定する無神論者によっても達成されます。

もしもそのような無神論者が至高の人格神の化身によって殺されるなら、彼もまた、至高のブラーマンの存在に同化します。しかし、ヴリンダーヴァンの高貴な娘たちがクリシュナを崇拝するとき、それはまるで彼女らが蛇に噛まれたかのようです。

なぜなら、クリシュナの体は蛇に比べられるからです。蛇の体は決してまっすぐではありません。それはいつも曲がりくねっています。同様に、クリシュナはしばしば、3つのところで波打った姿勢でお立ちになり、そして主はゴピーたちを超越的な愛で噛みました。

ゴピーたちは確かに、至高のブラーマンに同化したいと欲するすべての神秘的なヨギーたちと、その他の者たちよりも、秀でた立場にあります。ダンダカーラニャの賢人たちもまた、似た地位を得るためにヴラジャの高貴な娘たちの足跡を辿ります。

人は単に規律的な原則に従うことによってその地位を得ることはできません。そうではなく、人は真剣にゴピーたちの原則に従わねばなりません。これはシュリマッド・バーガヴァタム(10.9.21)において確認されています。

そこには、「シュリーマティー・ヤショダーの息子、主シュリー・クリシュナは、精神的な推量の原則に従う者には容易に得られない(available)が、献身奉仕の道を辿る様々な生命体には簡単に得られる」と述べられています。
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by ammolitering4 | 2012-02-22 10:46 | 「主チャイタンニャの教え」 | Comments(0)

第31章 32段落まで

第12段落
ガーヤトリー・マントラに加えられたクリームという言葉は、ブラーマ・サムヒターの中で、至高神への愛の超越的な種、あるいはカーマ・ガーヤトリーの種として説明されています。対象は、常に若々しいキューピッドであるクリシュナであり、クリーム・マントラを発声することによってクリシュナが崇拝されます。

ゴパーラ・ターパニー・ウパニシャッドの中でも、「クリシュナがキューピッドとして語られるとき、人は主をこの物質世界のキューピッドと考えるべきではない」と述べられています。既に説明されたように、ヴリンダーヴァンはクリシュナの霊的なお住まいであり、キューピッドという言葉もまた、霊的で超越的です。

人は物質的なキューピッドとクリシュナを同じ水準にあると受け取るべきではありません。物質的なキューピッドは外的な肉と体の魅力を表しますが、霊的なキューピッドは、超魂が個々の魂を魅了するときの魅力です。

実際は、色情と性交は霊的な人生の中に存在しますが、霊魂が物質的な要素でできた体に入れられているとき(embodied in material elements)、その霊的な欲求は物質的な体を通して表現され、したがって歪んで反映されます。

人が実際にクリシュナ意識の科学を熟知するようになるとき、彼は、自分の性交への物質的な欲望は忌まわしく、他方で霊的な性交は望ましい、と理解することができます。

第13段落
霊的な性交には2種類あります。自己の本来的な立場に適ったものと、対象に適ったものです(訳注:one in accordance with the constitutional position of the self and the other in accordance with the object、これは意味がよく分かりません) 。

人がこの人生の真理を理解し、しかし完全に物質的な汚染から清められていないとき、彼は霊的な人生を理解するかもしれませんが、事実として超越的なお住まい、ヴリンダーヴァンに位置してはいません。

しかし、人が物質的な体の性的な欲求から自由になるとき、彼は実際にヴリンダーヴァンという至高のお住まいに至ることができます。人がそのように位置しているとき、彼はカーマ・ガーヤトリーとカーマ・ビージャ・マントラを発声することができます。

第14段落
それからラーマーナンダ・ラーヤは、「クリシュナは男性にも女性にも、動くものにも動かないものにも、どちらにも---実に、すべての生命体にとって魅力的である」と説明しました。この理由により、主は超越的なキューピッドと呼ばれます。

それからラーマーナンダ・ラーヤはシュリマッド・バーガヴァタムから「主が微笑みを浮かべてご自分の横笛を吹きながらヴラジャの高貴な娘たちの前に現れたとき、主はちょうどキューピッドのように見えた」と述べる一節(10.32.2)を引用しました。

第15段落
至高主と様々に異なる適性および関係を持つ、様々に異なる種類の献身者たちがいます(訳注:「いろいろな献身者がいて、それぞれに至高主と独自の関係を持っています」)。中心点はクリシュナなので、主とのどの一つの関係も、他のどの関係とも同じくらい良いものです。

バークティ・ラサームリタ・スィンドゥーに、次のように述べられています。「クリシュナはすべての喜びの宝庫であり、主はいつもご自分の体の霊的な輝きによってゴピーたちを魅了しています。主は特にターラカー、パーリ、シャーマー、そしてラリターを惹き付けます。

クリシュナは、最も重要なゴピーであるラーダーラーニーにとって、非常に愛しい方です。」(ちょうど)クリシュナのように、ゴピーたちはクリシュナの娯楽によって讃えられます。クリシュナとの様々に異なる種類の関係があり、そして特定の関係によってクリシュナに魅了されている者は、誰であれ、讃えられます。

第16段落
クリシュナは非常に美しく、超越的で魅力的なので、主は時としてご自分自身さえ惹き付けます。次の節はギータ・ゴヴィンダ(1.11)に現れます。

(サンスクリット引用)

「我が親愛なる友よ。クリシュナが春にご自分の体(personal body)の美しさを広げることでご自分の超越的な娯楽を楽しんでいらっしゃる様子を御覧なさい。主の柔らかい脚と手は、ちょうど最も美しい月のように、ゴピーたちの上に使われます。

主が彼女たちの体の様々な部分を抱擁なさるとき、主はとてもお美しいです。クリシュナは非常に美しいので、主はナーラーヤナさえも、そしてナーラーヤナと関わる幸運の女神さえも魅了なさいます。」

第17段落
シュリマッド・バーガヴァタム(10.89.58)において、ブーマー・プルシャ(マハーヴィシュヌ)はクリシュナに、「我が親愛なるクリシュナとアルジュナよ。私はただあなた方に会うためだけにブラーマナの息子たちを取りました」と言いました。

アルジュナはドゥヴァーラカーで若死にした何人かの若者を救おうとしましたが、彼が彼らを救うのに失敗したとき、クリシュナは彼をブーマー・プルシャのところに連れて行きました。そしてブーマー・プルシャがそれらの死んだ体を生きたもの(living entity)として差し出したとき、主は「あなた方はどちらも、世界で宗教的な原則を守り(to preserve、衰退から守る、保存する)、悪魔を滅ぼしているように見えます」とおっしゃいました。言い換えると、ブーマー・プルシャもまたクリシュナの美しさに惹かれ、主(ブーマー・プルシャ)はこの娯楽を単にクリシュナに会うための口実として作り上げました。

シュリマッド・バーガヴァタム(10.16.36)において、「大蛇カーリヤがクリシュナによって罰せられたあと、カーリヤの妻たちの一人がクリシュナに「親愛なる主よ。私たちは、幸運の女神でさえ、ただあなたに会うために数年間の禁欲を行ったときに(訳注:行ったというのに)、どうしてこの堕落した大蛇があなたの蓮の御足によって蹴られる機会を得たのか分かりません」と言った」と記録されています。(校正:最後の引用符が抜けている)

第18段落
クリシュナがどのようにご自分自身の美によって魅了されるかがラリタ・マーダーヴァ(8.34)に描写されています。ご自分の姿絵を見て、クリシュナは嘆きました(訳注:to lament、悲嘆にくれる様子を表しますが、ここでは「感嘆する」のほうが近いかもしれません)。「この絵のなんと素晴らしいことでしょう!それは、ちょうどそれがラーダーラーニーを惹き付けるように、私を惹き付けています。」

第9段落
クリシュナの美しさの要約を述べたあと、ラーマーナンダ・ラーヤは、シュリーマティー・ラーダーラーニーを筆頭とするクリシュナの霊的なエネルギーについて話し始めました。クリシュナは莫大なエネルギー的な拡張体をお持ちです。3つのエネルギーが主なものです。

内的エネルギー、外的エネルギー、そして周辺的なエネルギーです。これはヴィシュヌ・プラーナの6章において確認されています。そこで、「ヴィシュヌは霊的エネルギーと呼ばれる一つのエネルギーをお持ちであり、それは3つの方法で顕現する」と述べられています。

霊的なエネルギーが無知によって圧倒されるとき、それは周辺的なエネルギーと呼ばれます。霊的エネルギーそのものに関して言えば、それは3つの形で表されます。なぜなら、クリシュナは永遠性、喜び、そして知識の組み合わせだからです。

主の喜びに関して言えば、主の霊的なエネルギーは喜びを与える力として顕現します。主の永遠性はエネルギーとして顕現し、そして主の知識は霊的な完成として顕現します。ヴィシュヌ・プラーナ(1.12.69)において、次のように確認されています。

「クリシュナの喜びの力がクリシュナに超越的な喜びと至福を与えます。」このように、クリシュナが喜びを楽しみたいとき、主はフラーディニーとして知られるご自分自身の霊的な力を現されます。

第20段落
ご自分の霊的な形において、クリシュナはご自分の霊的な力をお楽しみになり、そしてそれがラーダー・クリシュナの娯楽の真髄(sum and substance)です。これらの娯楽は、高度に発達した献身者によってのみ理解され得ます。人は俗的な水準からラーダー・クリシュナの力と娯楽を理解しようとすべきではありません。一般に、人々はこれらを物質的であるとして誤解します。

第21段落
喜びの力がさらに凝縮するとき、それはマハーバーヴァと呼ばれます。クリシュナの永遠の恋人(consort、妃)であるシュリーマティー・ラーダーラーニーは、そのマハーバーヴァの人格化したものです。

このことに関して、ウッジヴァラ・ニーラマニ(4.3)の中でルーパ・ゴスヴァーミーは、「クリシュナとの愛において、ラーダーラーニーとチャンドラーヴァリーという二人の競争者がいる」と述べています。彼女らが比べられるとき、ラーダーラーニーのほうが優れているように見えます。

なぜなら、彼女はマハーバーヴァ・スヴァールパをお持ちだからです。マハーバーヴァ・スヴァールパ、すなわちマハーバーヴァの人格化したものは、ラーダーラーニーだけに当てはまります。マハーバーヴァは喜びの力に満ちており、そしてそれはクリシュナへの最高の愛の表れです。したがってラーダーラーニーは世界中でクリシュナの最愛の人として知られ、そして彼女の名はいつもラーダー・クリシュナとして、クリシュナと関連づけられています。

第22段落
ブラーマ・サムヒター(5.37)も、「クリシュナは霊的な世界においてご自分をご自分の喜びの力によって拡張し、これらの力はすべてクリシュナと異なるものではない」と確認します。クリシュナはいつもご自分の喜びの力の拡張体たちと共にいらっしゃいますが、主はあまねく存在なさいます。そのため、ブラーマーはゴヴィンダ、すべての原因の原因に、心からの敬意を捧げます。

第23段落
クリシュナが霊的な完成の最高の象徴であるように、ラーダーラーニーは、それによってクリシュナが満足させられる、その霊的な喜びの力の最高の象徴です。クリシュナは無限であるため、主を満足させるためにラーダーラーニーもまた無限です。

クリシュナは単にラーダーラーニーをご覧になることによって満足なさいますが、ラーダーラーニーはクリシュナがもっと彼女を楽しみたいと思うような方法で、ご自分を拡張なさいます。クリシュナはラーダーラーニーの喜びの力(訳注:の大きさ)を推定することができなかったので、主はラーダーラーニーの役割を受け取ることを決意し、そしてその組み合わせがシュリー・チャイタンニャ・マハープラブです。

第24段落
それからラーマーナンダ・ラーヤは、ラーダーラーニーをクリシュナの喜びの力の最高の象徴として説明し始めました。ラーダーラーニーはご自分をラリター、ヴィシャーカー、および、ご自分の他の内密な仲間たちとして知られる、様々に異なる形に拡張なさいます。

自著ウッジヴァラ・ニーラマニの中で、ルーパ・ゴスヴァーミーは、シュリーマティー・ラーダーラーニーの性質を説明します。彼は、ラーダーラーニーの体は本質的に(in itself)超越的な喜びの実際の進化だ、と指摘します。

その体は花とかぐわしい香りで飾られており、クリシュナとの超越的な愛を完全に備えています(is complete with)。それは主の喜びの力が人格化したものです。その超越的な体は3回沐浴します。最初は慈悲の水の中で、2回目は若々しい美しさの水の中で、そして最後に若々しい輝きの水の中でです。

そのように3回沐浴したあと、彼女の体は輝く衣類で覆われ、そして化粧品に比べられるクリシュナの個人的な美しさで飾られます。このように、彼女の美しさは最高の芸術性から成ります。彼女の体はまた、霊的な恍惚という装飾品でも飾られています。

---震えること、涙、硬直、発汗、息が詰まること、超越的な喜びを原因とする、すべての身体的な機能の中断、よろめき(訳注:stumbling、どもり、という意味もある)、高血圧、そして狂気です。

第25段落
装飾的で超越的な喜びの力は9つのしるしを顕現します。これらのうちの5つは、花輪で飾られた彼女の個人的な美しさの拡張によって顕現します。彼女の辛抱強い冷静さは、樟脳で洗い清められた覆い布に比べられます。

クリシュナへの彼女の内密な苦悩は彼女の髪のからまりであり、彼女の額にあるティラカは彼女の幸運です。ラーダーラーニーの聴覚は永遠にクリシュナの名と名声に固定されています。人の唇はビンロウの実を噛むことで赤くなります。

同様に、ラーダーラーニーの目の縁は、彼女のクリシュナへの完全な執着から黒ずみます。この黒さは、自然がラーダーとクリシュナと共にふざけるときに自然によって使われる軟膏に比べられます。ラーダーラーニーの微笑みは、ちょうど樟脳の味のようです。

彼女が良い香りのする部屋の中の、誇り高さという寝台に横たわるとき、別離の花輪が彼女の体の上で動きます。クリシュナへの恍惚的な愛情から、彼女の胸(訳注:breast、単数)は、怒りというブラウスで覆われます。

クリシュナのすべての女友達のうちで最高の方と評される彼女は、弦楽器を演奏なさいます。クリシュナがご自分の若々しい姿勢で立つとき、彼女はご自分の手を主の肩に置かれます。彼女は非常に多くの超越的な性質を持っておいでですが、いつもクリシュナへの奉仕にいそしんでいらっしゃいます。

第26段落
シュリーマティー・ラーダーラーニーは、時として苦難を含み、そして時として鎮静を含むスィーッディープタ・サーットヴィカの感情で飾られていらっしゃいます。すべての超越的な恍惚がシュリーマティー・ラーダーラーニーの体の中に顕現します。

スィーッディープタ・サーットヴィカの感情は、恋人が自制できない特定の感情によって圧倒されるときに顕現します。ラーダーラーニーはキラキンチタと呼ばれるもう一つの感情をお持ちであり、それは20の異なる方法で顕現します。これらの感情は部分的に、体、心そして習慣が原因で顕現します。

身体的な感情に関して言えば、それらは姿勢と動きにおいて顕現します。心の感情に関して言えば、それらは美しさ、輝き、顔色、香り(flavor、味わい)、話、寛大さ、そして辛抱強さとして顕現します。習慣的な感情に関して言えば、それらは娯楽、楽しみ、準備、そして忘却(forgetfulness)として顕現します。

第27段落
幸運のティラカはシュリーマティー・ラーダーラーニーの額にあり、そして彼女はプレマ・ヴァイチッテャのロケットペンダントもお持ちです。プレマ・ヴァイチッテャは、愛する者と愛される者(beloved、最愛の人)が会って、別離を恐れるときに顕現します。

第28段落
シュリーマティー・ラーダーラーニーは、クリシュナより15日年少です。彼女はいつもご自分の手をご自分の友人たちの肩の上に置き、そして彼女はいつもクリシュナとの娯楽について話し、考えます。彼女はいつもクリシュナにご自分の愛らしい語りによって一種の陶酔物を捧げ、そして彼女はいつも主の望みを叶える用意ができています。

言い換えると、彼女はシュリー・クリシュナのすべての要求に対して供給し、そして彼女はクリシュナの満足のための独特で非凡な性質をお持ちです。

第29段落
ゴヴィンダ・リーラームリタの中に、「クリシュナの愛情(Krishna's affection)のための培養地は誰ですか?答えは、それはただシュリーマティー・ラーダーラーニーだけ、というものです。クリシュナの最も愛すべき対象は誰ですか?答えは、それはただシュリーマティー・ラーダーラーニーだけで、他の誰でもない、というものです」と述べる一節があります。

髪の輝き、目のうるみ、そして乳房の張りは、すべてシュリーマティー・ラーディーカーのうちにある性質です。シュリーマティー・ラーディーカーだけがクリシュナのすべての望みを満たすことができます。他の誰もそうすることができません。

第30段落
サテャバーマーはシュリーマティー・ラーダーラーニーのもう一人の競争相手ですが、彼女はいつもシュリーマティー・ラーダーラーニーの水準に至りたいと望みます。ラーダーラーニーはすべての事柄において非常に熟達しているので、ヴラジャのすべての高貴な娘たちは、彼女から技芸を学ぶためにやってきます。

彼女は非常に並外れて美しいので、幸運の女神と、主シヴァの妻パールヴァティーでさえ、彼女の美の水準への上昇を望みます。宇宙の中で最も貞節な淑女であるとして知られるアルンドゥーティーは、シュリーマティー・ラーダーラーニーから貞節の水準を学びたいと思います。主クリシュナでさえラーダーラーニーの高度に超越的な性質を推定することができないので、普通の人にとってそれらを推定することは可能ではありません。

第31段落
ラーマーナンダ・ラーヤがラーダー・クリシュナの性質について語るのを聞いたあと、主チャイタンニャは彼から、彼らの間の愛の交換について聞きたいと望みました。ラーマーナンダ・ラーヤは、クリシュナをディーララリタとして描写しました。

非常に悪賢くて若々しい者、いつも冗談を言うことにおいて熟達している者、不安がない者、そしていつも自分の女友達に従順(訳注:subservient、卑屈な従順さを指す)である者を描写する言葉です。クリシュナはいつもラーダーラーニーとの恋愛にいそしんでいます。

そして主は、彼女とのご自分の好色な活動を楽しむために、ヴリンダーヴァンの茂みに隠れます(to take to~、隠れ場所を探して~に行く)。こうして主は、うまくご自分の好色な本能を満たします(to carry out、成し遂げる)。バークティ・ラサームリタ・スィンドゥーには次のように述べられています。

「性交にふけることに関するご自分の厚かましくて大胆な語りによって、クリシュナはシュリーマティー・ラーダーラーニーに目を閉じさせ、これを利用してクリシュナは彼女の乳房にたくさんの絵を描きました。これらの絵は、ラーダーラーニーの友人たちにとって、冗談を言う的(subject matter)の役割を果たしました(訳注:~は~を見て~をからかいました)。このように、クリシュナはいつも好色な活動にいそしんでおり、そして、こうして主はご自分の若々しい人生を成功させました。」

第32段落
これらの超越的な活動を聞いて、主チャイタンニャはおっしゃいました。「我が親愛なるラーマーナンダよ。シュリー・ラーダーとクリシュナの超越的な娯楽についてあなたが説明したことは、完全に正確です。それでも私はあなたからもっと聞きたいことがあります。」
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by ammolitering4 | 2012-02-21 12:30 | 「主チャイタンニャの教え」 | Comments(0)

第31章 第11段落まで

第31章 至高の完成

第1段落
どのような地位を持っているのであれ、もしも人がクリシュナの科学、クリシュナ意識を熟知しているなら、彼は真正なる霊的指導者、入門させる者、あるいは(クリシュナの)科学の教師になることができます。言い換えると、もしも人がクリシュナの科学、クリシュナ意識の十分な知識を持っているなら、彼は真正なる霊的指導者になることができます。

その立場は、社会における特定の地位あるいは生まれに依存しません。これが主チャイタンニャ・マハープラブの結論であり、それはヴェーダの命令に適っています。この結論の力において、かつてヴィシュヴァムバーラとして知られていた主チャイタンニャは、サンニャースィーであった霊的指導者、イーシュヴァラ・プリーを受け入れました。

同様に、主ニテャナンダ・プラブとシュリー・アドヴァイター・アーチャーリャもまた、もう一人のサンニャースィー、マーダーヴェンドラ・プリーを自分たちの霊的指導者として受け入れました。(校正:~ also accepted another sannyasi as their spiritual master, Madhavendra Puri - ~ also accepted another sannyasi, Madhavendra Puri, as their spiritual master、語順の間違い)

このマーダーヴェンドラ・プリーは、ラクシュミーパティ・ティールターとしても知られています。同様に、もう一人の偉大なアーチャーリャ、シュリー・ラスィカーナンダは、シュリー・シャーマーナンダを、彼(シャーマーマンダ)はブラーマナの家庭の生まれではなかったにも関わらず、自分の霊的指導者として受け入れました。

また(So also)、ガンガーナーラーヤナ・チャクラヴァルティーは、ナロッタマ・ダーサ・タークラを霊的指導者として受け入れました。古代には、多くの人々の霊的指導者になった、ダールマという名の猟師さえいました。

マハーバーラタとシュリマッド・バーガヴァタム(7.11.32)に、「人は---ブラーマナ、クシャトリヤ、ヴァイシャ、あるいはシュードラであれ---その生まれではなく個人的な資質によって受け入れられるべきである」と述べる明らかな教えがあります。

第2段落
人の地位は、生まれではなく個人的な資質によって確立されるべきです。例えば、もしも人がブラーマナの家庭に生まれたけれど彼の個人的な資質がシュードラのそれであるなら、彼はシュードラとして受け入れられるべきです。

同様に、もしも人がシュードラの家庭に生まれたけれどブラーマナの資質を持つなら、彼はブラーマナとして受け入れられるべきです。すべてのシャーストラの命令、そして偉大な賢人たちと権威者たちの見方が、真正なる霊的指導者は必ずしもブラーマナではない、と確立します。

唯一の資質は、彼がクリシュナの科学、クリシュナ意識を熟知していることです。それだけが人に霊的指導者となるための完全な資格を与えます。これがラーマーナンダ・ラーヤとの議論におけるシュリー・チャイタンニャ・マハープラブの結論です。

第3段落
ハリ・バークティ・ヴィラーサの中で、「もしもある真正なる霊的指導者がブラーマナの家庭に生まれ、そして同じく資格のあるもう一人の霊的指導者がシュードラの家庭に生まれたなら、人はブラーマナの家庭に生まれたほうを受け入れるべきである」と述べられています。

この言明は社会的な妥協策としての役目を果たしますが、それは霊的な理解とは何の関係もありません。この命令は、社会的な地位を霊的な地位よりももっと重要だと考える者だけにあてはまります。それは霊的に真剣な者のためのものではありません。

真剣な人は、「地位に関係なく---誰であれクリシュナの科学を熟知している者が霊的指導者として受け入れられなければならない」というチャイタンニャ・マハープラブの教えを受け入れます。パドマ・プラーナには、「高度に発達した(highly elevated)、霊的に発達した(spiritually advanced)主の献身者は、いつも第一級の献身者であり、したがって霊的指導者であるが、ブラーマナの家庭に生まれた、高度に発達した人は、主の献身者でない限り、霊的指導者ではあり得ない」と述べる多くの命令があります。

ブラーマナの家庭に生まれた者は、ヴェーダの聖典のすべての儀式に精通しているかもしれませんが、もしも彼が純粋な献身者でないなら、彼は霊的指導者ではあり得ません。すべてのシャーストラの中で、真正なる霊的指導者の主要な資質は、彼がクリシュナ意識の科学を熟知しているということです。

第4段落
したがって主チャイタンニャはラーマーナンダ・ラーヤに、躊躇せず、主チャイタンニャのサンニャースィーとしての立場を考慮せず、ご自分に教え続けるように頼みました。こうして主チャイタンニャは、ラーダーとクリシュナの娯楽について語り続けるように彼に促しました。

第5段落
「あなたが私にラーダーとクリシュナの娯楽について話すように頼まれるので」と、ラーマーナンダ・ラーヤは謙虚に認めました。「私はあなたの命令に従います。私は何であれあなたの好む方法で話します。」このように、ラーマーナンダ・ラーヤは、操り人形使いである主チャイタンニャの前で、謙虚に操り人形として服従しました。

彼はただ、チャイタンニャ・マハープラブの意志に応じて踊りたいと望みました。彼は「あなたはその楽器の奏者です」と言って、自分の舌を弦楽器と比べました。このように、主チャイタンニャが演奏するままに、ラーマーナンダ・ラーヤが音を振動させます。

第6段落
彼は、「主チャイタンニャは至高の人格神、すべての化身の源であり、すべての原因の原因である」と言いました。無数のヴァイクンターの惑星、至高主の無数の化身と拡張体、そして無数の宇宙もあり、至高主クリシュナはこれらすべての存在の唯一の源です。

主の超越的な体は、永遠性、喜び、そして知識からなり、そして主は、マハーラージャ・ナンダの息子、そしてゴロカ・ヴリンダーヴァンの住人として知られます。主は6つの富---すべての富、力、名声、美、知識と放棄---に満ちています。

ブラーマ・サムヒター(5.1)の中で、「クリシュナは至高主、すべての主の主であり、主の超越的な体はサック・チッド・アーナンダ(訳注:永遠性、喜び、そして知識)である」と確認されています。誰もクリシュナの源ではありませんが、クリシュナはすべての者の源です。

主はすべての原因の原因であり、ヴリンダーヴァンの住人です。主はちょうどキューピッドのように非常に魅力的でもあります。人は主をカーマ・ガーヤトリー・マントラによって崇拝することができます。

第7段落
ブラーマ・サムヒターの中で、ヴリンダーヴァンの超越的な地はいつも霊的である、と描写されています。その霊的な地には、ゴピーとして知られる幸運の女神たちが住んでいます。これら(訳注:幸運の女神たち)は皆クリシュナの最愛の人であり、クリシュナはそれらすべてのゴピーたちの唯一の恋人です。

その地の木々はカルパ・ヴリクシャ、望みを叶える木であり、人は何であれ望むものをそれらから得ることができます。地面(the land)はタッチストーンで、そして水は蜜でできています。その地では、すべての言葉(speech)は歌で、すべての歩みは踊りで、人にいつも連れ添うのは(one's constant companion)横笛です。

すべてのものは、ちょうどこの物質世界の太陽のように自ら輝きます。人間の形の人生は、このヴリンダーヴァンという超越的な地を理解するためにあり、幸運である者は、ヴリンダーヴァンとその住人たちに関する知識を培うべきです。

その至高の地には、地を乳で溢れさせるスラビー牛がいます。誤用される時間は一瞬もないので、過去、現在、あるいは未来はありません。クリシュナの至高のお住まいであるこのヴリンダーヴァンの拡張体はこの地上にもあり、優れた(superior)献身者たちはそれを至高のお住まいとして崇拝します。

しかし、誰も、霊的な知識、クリシュナ意識において高く上げられる(訳注:高度に発達する)ことなく、ヴリンダーヴァンの真価を知る(to appreciate)ことはできません。普通の経験によれば、ヴリンダーヴァンはちょうど普通の村のように見えますが、高く上げられた献身者の目の中では、それはもともとのヴリンダーヴァンと同じくらい良いのです。

偉大な、聖人のようなアーチャーリャが歌いました。「いつ私の心は全ての汚染から清まり、ヴリンダーヴァンをありのままに見られるのでしょうか?そしていつ私はゴスヴァーミーたちによって残された文献を理解し、ラーダーとクリシュナの超越的な娯楽を知ることができるのでしょうか?」

第8段落
ヴリンダーヴァンにおけるクリシュナとゴピーたちの恋愛もまた超越的です。それらはこの物質世界の普通の好色な情事(lusty affairs)のように見えますが、非常に大きな違いがあります。物質的な世界では、色情(lust、切望、色情)の一時的な目覚めがあるかもしれませんが、それはいわゆる満足のあとで消えます。

霊的な世界では、ゴピーたちとクリシュナの間の愛は常に増しています。それが超越的な愛と物質的な色情の違いです。この体から生じる色情、いわゆる愛は、体そのものと同じくらい一時的です。しかし、霊的な世界の中の永遠の魂から生じる愛は霊的な水準にあり、その愛もまた永遠です。したがって、クリシュナは常に若々しい(green)キューピッドと呼ばれます。

第9段落
主クリシュナはガーヤトリー・マントラによって崇拝され、主を崇拝するための特定のマントラはカーマ・ガーヤトリーと呼ばれます。ヴェーダ文献は「人を精神的なでっち上げから引き上げることのできるその振動は、ガーヤトリーと呼ばれる」と説明します。

カーマ・ガーヤトリー・マントラは、次のような24と2分の1個の音節からなります。

(サンスクリット引用)

第10段落
このカーマ・ガーヤトリーは、弟子がハレ・クリシュナ、ハレ・クリシュナ、クリシュナ、クリシュナ、ハレ、ハレ。ハレ・ラーマ、ハレ・ラーマ、ラーマ、ラーマ、ハレ、ハレを唱えることにおいて発達したときに霊的指導者から受け取られます。

言い換えると、このカーマ・ガーヤトリー・マントラとサムスカーラ、すなわち完璧なブラーマナへの改革は、霊的指導者が自分の弟子が霊的な知識において発達したのを見るときに、彼によって授けられます。(訳注および校正:reformation of a perfect brahmana – reformation to a perfect brahmana、前後の脈絡から、これはおそらく「完璧なブラーマナの改革」ではなく「完璧なブラーマナへの改革」とするのが正しいと思います。つまり、これを授けることによって出来の良い弟子が改革・改善され、完璧になる、という趣旨であると思われます。)

それでも、カーマ・ガーヤトリーは特定の状況の下では発声されません。どの場合でも、ハレ・クリシュナを唱えることは人を最高の霊的な水準に上げるのに十分です。

第11段落
ブラーマ・サムヒターの中で、クリシュナの横笛の素敵な(nice)描写が与えられています。「クリシュナがご自分の笛で演奏し始めたとき、音の振動はヴェーダのマントラ、「オーム」として(校正:as the Vedic mantra om – as the Vedic mantra 'om')ブラーマーの耳に入りました。」

このオームは3つの文字---A、U、およびMから成り、それは私たちの至高主との関係、霊的な水準において愛の最高の完成と愛の実際の立場を得るための私たちの活動を描写します。

クリシュナの横笛の音の振動がブラーマーの口を通して表現されるとき、それはガーヤトリーになります。こうして、クリシュナの横笛の音の振動によって影響されることによって、至高の被造物であってこの物質世界の最初の生命体であるブラーマーは、ブラーマナとして認められました(to initiate、手引きをする、入門させる、秘伝を伝える)。

ブラーマーがクリシュナの横笛によってブラーマナとして認められたということは、シュリーラ・ジーヴァ・ゴスヴァーミーによって確認されています。ブラーマーがクリシュナの横笛を通してガーヤトリー・マントラによって啓蒙されたとき、彼はすべてのヴェーダの知識を得ました。クリシュナによって彼に授けられた恩恵に感謝して(to acknowledge)、彼はすべての生命体のもともとの霊的指導者になりました。
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by ammolitering4 | 2012-02-20 20:45 | 「主チャイタンニャの教え」 | Comments(0)

第30章

第30章 ラーダーとクリシュナの超越的な娯楽

第1段落
普通の宗教的な活動を遂行することと献身奉仕の間の違いは非常に大きいです。宗教的な儀式を遂行することによって、人は経済的な発展、感覚の満足あるいは解放(至高存在との同化)を得ることができます。しかし、超越的な献身奉仕の結果はそのような一時的な利益とは完全に異なります。

主への献身奉仕は常に新鮮(green)で、それはますます超越的に喜ばしいものになります(it is increasingly transcendentally pleasing)。このように、献身奉仕から得られる結果と宗教的な儀式から得られるそれとの間には、甚だしい違いがあります。

物質世界の監督者である、ジャダーディーシュタートリーあるいはマハーマーヤーとして知られる偉大な霊的なエネルギー、そして物質的な部門の管理者である半神たち、さらに至高主の外的なエネルギーの産物は、至高主の富の歪んだ反映に他なりません。

半神は実際は至高主の命令を遂行する者であり、彼らは物質創造を管理するのを手伝います。ブラーマ・サムヒターの中で、「至高に強大な監督者ドゥルガーの仕事(workings)は、至高主の仕事の影のような表れ(indications)に他ならない」と述べられています。

太陽はちょうど至高主の目のように働き、ブラーマーは至高主の反射した光のように働きます。このように、すべての半神たち、ならびに外的エネルギー自身であるドゥルガーデヴィ、そしてすべての異なる部門の管理者たちは、物質世界における至高主の従者に他なりません。

第2段落
霊的な世界には、ヨガマーヤーの指揮の下で活動する、もう一つのエネルギー、優性なる霊的なエネルギー、すなわち内的エネルギーがあります。ヨガマーヤーは至高主の内的な力です。彼女もまた、主の指揮の下で働きますが、彼女は霊的な世界において働きます。

生命体が自分をマハーマーヤーではなくヨガマーヤーの指揮の下に置くとき、彼は徐々にクリシュナの献身者になります。それでも、物質的な富と物質的な幸せを追い求める者は、自分自身を主シヴァその他のような物質的な半神の庇護の下に置きます。

シュリマッド・バーガヴァタムの中で、「ヴリンダーヴァンのゴピーたちがクリシュナを自分の夫として望んだとき、彼女らは自分の望みの成就のために霊的エネルギー、ヨガマーヤーに祈った」ということが見出されます。

サプタ・シャティーの中には、「スラター王とサマーディーという名の商人が、物質的な富を求めてマハーマーヤーを崇拝した」ということが見出されます。このように、人は誤って、ヨガマーヤーとマハーマーヤーを一様にすべきではありません。

第3段落
主は完全な水準にあるので、主の聖なる御名と至高主ご自身の間には違いはありません。至高主には様々に異なる名前があり、これらの名前は異なる目的と意味を持ちます。例えば、主はパラマートマーすなわち超魂(校正:Paramatma, the Supersoul、不要なコンマが入っている)、ブラーマンすなわち至高の完全存在、スリシュティカルターすなわち創造者、ナーラーヤナすなわち超越的な主、ルクミニーラマナすなわちルクミニーの夫、ゴピーナーターすなわちゴピーたちを楽しむ者、そしてクリシュナ、として知られます。

このように、主は異なる名前をお持ちであり、これらの名前は異なる機能を指します。至高主の創造者としての機能は、ナーラーヤナとしての主の側面とは異なります。創造者としての主の名前の幾つかは、物質的な人々によって想像されます(訳注:to conceive、~と考える、この場合は「理解する」が適切かもしれません)。

人は、創造者の名前を理解することによって至高の人格神の真髄を完全に理解することはできません。なぜなら、この物質的な創造は至高主の外的エネルギーの機能だからです。このように、創造者としての神の概念は、外的な特徴だけを含みます。

同様に、私たちが至高主ブラーマンを呼ぶとき、私たちは至高主の6つの富の何らの理解も持つことができません。ブラーマン認識においては、6つの富は完全に認識されてはいません。したがって、ブラーマン認識は至高主の完全な理解ではありません。

パラマートマ認識、すなわち超越の認識も、至高の人格神の完全な認識ではありません。なぜなら、至高主のあまねく存在する性質は、主の富の部分的なあらわれに他ならないからです。

第4段落
ヴリンダーヴァンでのクリシュナとの関係の認識ではないので(in that)、ヴァイクンターにいるナーラーヤナの献身者によって経験される超越的な関係でさえ、不完全です。クリシュナの献身者はナーラーヤナへの献身奉仕を楽しみません(to relish、味わう)。

なぜなら、クリシュナへの献身奉仕はとても魅力的なので、クリシュナの献身者は他のどんな形も崇拝したいとは望まないからです。そのため、ヴリンダーヴァンのゴピーたちはクリシュナをルクミニーの夫として見るのを好まず、主をルクミニーラマナと呼ぶこともしません。

ヴリンダーヴァンにおいて、クリシュナはラーダークリシュナ、すなわちラーダーラーニーのものであるクリシュナ(校正:Krsna, the property of コンマは不要)と呼ばれます。「ルクミニーの夫」と「ラーダーのクリシュナ」は、普通の感覚では同じ水準にありますが、それでも霊的な世界では(それらの)名前はクリシュナの超越的な人格の様々な側面の様々に異なる理解を示しています。

もしも人がルクミニーラマナ、ラーダーラマナ、ナーラーヤナあるいは至高主の他のどの名前も一様に扱う(to equalize)なら、彼は厳密にはラサーバーサと呼ばれる、味わいを重複するという罪(the fault of overlapping tastes)を犯します。熟達した献身者である者は、純粋な献身奉仕の結論に反するそのような融合を受け入れません。

第5段落
至高の人格神シュリー・クリシュナは、すべての卓越した素晴らしさ(訳注:superexcellence、複合語。文字通り訳すと、「卓越した卓越性」)と美を具現していますが、主がヴラジャの高貴な娘たちの間にいるとき、主はゴピージャナヴァッラバーとして知られます。

献身者はヴラジャの高貴な娘たちよりも至高主の美しさを(深く)味わうことはできません。シュリマッド・バーガヴァタム(10.33.7)の中で、「デヴァキーの息子クリシュナは卓越した素晴らしさと美の極み(the last word in ~)であるけれど、主がゴピーたちの間にいるとき、主は神々しい(divine)金細工の間に据えられた荘厳な宝石のように見える」と確認されています。

主チャイタンニャはこれを恋人(conjugal lover)としての至高主の最高の認識として受け入れましたが、主はそれでもラーマーナンダ・ラーヤに、さらに進むように頼みました。

第6段落
この頼みを聞いて、ラーマーナンダ・ラーヤは、「クリシュナを理解するための試みにおいて、ゴピーたちよりも先に進むように頼まれたのはこれが初めてだ」と述べました。ラーマーナンダは次のように指摘しました(校正:どこからどこまでがラーマーナンダの発言なのか、明確な指示がない)。

ヴラジャの高貴な娘たちとクリシュナの間には確かに親密さがありますが、すべての関係のうち、ラーダーラーニーとクリシュナの間の恋愛の関係が最も完璧です。俗人は誰も、ラーダーラーニーとクリシュナの間の超越的な愛の恍惚を理解することができません。

また、クリシュナとゴピーたちの間の超越的な愛の超越的な味わいを理解することもできません。それでも、もしも人がゴピーたちの足跡を辿ろうとするなら、彼は超越的な愛の最高の水準に位置づけられるようになるかもしれません。

このため、完成の超越的な水準に上げられたいと望む者は、ゴピーたちの女召使の助手(assistant maidservant)として、ヴラジャの高貴な娘たちの足跡を辿るべきです。

第7段落
主チャイタンニャは、シュリーマティー・ラーダーラーニーがドゥヴァーラカーからシュリー・クリシュナによって連絡された(to contact)ときの彼女(She)の相を表しました。そのような超越的な愛は、どの俗人にも可能ではありません。

したがって、人はチャイタンニャ・マハープラブによって表された最高の完成の水準を真似るべきではありません。しかし、もしも人がその関わりの中にありたいと望むなら、彼はゴピーたちの足跡を辿るのが良いでしょう(may)。

パドマ・プラーナには、「ちょうどラーダーラーニーがクリシュナにとって愛しいように、同様に、ラーダークンダとして知られるクンダ(訳注:池、湖)もまた、主にとって非常に愛しい」と述べられています。ラーダーラーニーは、クリシュナにとって、他のすべてのゴピーたちより愛しい唯一のゴピーです。

シュリマッド・バーガヴァタム(10.30.28)には、「ラーダーラーニーとゴピーたちは、主に最高の完成にある愛情ある奉仕をし、そして主は彼女らを非常に喜ばれるので、シュリーマティー・ラーダーラーニーのそばを離れたがらない(He does not wish to leave the company of ~)」とも述べられています。

第8段落
主チャイタンニャが、ラーマーナンダ・ラーヤがクリシュナとラーダーラーニーの間の恋愛(loving affairs)について語るのを聞いたとき、主は「さらに進めてください。ずっと続けなさい」と言いました。主はまた、自分は大変な喜びをもってクリシュナとゴピーたちの間の恋愛の描写を聞いている(enjoying with great relish)、とも言いました。

「それはあたかも、あなたの唇から蜜の川が流れ出しているようです」と主は言いました。ラーマーナンダ・ラーヤは、「クリシュナがゴピーたちの間で踊ったとき、主は「私はラーダーラーニーに何らの特別な関心も寄せていない」と思われました」と、続けて指摘しました。

他のゴピーたちの間ではラーダーラーニーはそれほど特別な愛の対象ではなかったので、クリシュナは彼女をラーサの踊りの場から連れ出し(stole Her away)、彼女に特別な好意を見せられました。これを主チャイタンニャに説明したあと、ラーマーナンダ・ラーヤは言いました。

「さあ、クリシュナとラーダーの間の超越的な恋愛を味わいましょう。これらは、この物質世界に比べるものがありません。」

第9段落
こうしてラーマーナンダ・ラーヤは描写を続けました。ラーサの踊りの一つの踊り(performance)の間に、ラーダーラーニーは、まるで自分に何の特別な関心も寄せられていないのに怒ったかのように、突然その場を去りました。

クリシュナは、ラーサの踊りの目的を達成するために、ラーダーラーニーに会いたいと望まれましたが、ラーダーラーニーがそこに見受けられなかったので、主は非常に悲しみ、彼女を探しにいらっしゃいました。

ギータ・ゴヴィンダには、「クリシュナの敵、カムサ(校正:the enemy of Kamsa, Krsna – the enemy of Krsna, Kamsa)もまた、女性たちとの恋愛に絡まりたかった(wanted to be entangled)ので、そのためラーダーラーニーを連れ去ってヴラジャの他の高貴な娘たちをあとにした(left the company of)」と述べる一節があります。

クリシュナはラーダーラーニーがいないことで非常に悩んだ(afflicted)ので、そのように精神的に苦しみ(distressed)、ヤムナーの岸辺に沿って彼女を探し始めました。彼女を見つけられなかったので、主はヴリンダーヴァンの茂みに入って嘆き始めました。

ラーマーナンダ・ラーヤは、「人がギータ・ゴヴィンダのこれらの二つの特別な節(3.1-2)の解説を議論するときは、彼はクリシュナとラーダーの恋愛の最高の蜜を味わうことができる」と指摘しました。クリシュナと共に踊るための多くのゴピーたちがいたにも関わらず、クリシュナは特にラーダーラーニーと踊りたいと思われました。

ラーサの踊りにおいて、クリシュナはご自分を拡張して自分自身を二人のゴピーごとに(between every two gopis)間に置きましたが、主は特にラーダーラーニーと共にいらっしゃいました(especially present with Radharani)。しかし、ラーダーラーニーは主の振る舞いを喜びませんでした。

ウッジヴァラ・ニーラマニにはこう描写されています。「恋愛の道はちょうど蛇の動きのようです。若い恋人たちの間には二種類の精神性があります---理由のあるものと、理由のないものです。」こうして、ラーダーラーニーが特別扱いを受けなかったことの怒りからラーサの踊りの場を去ったとき、クリシュナは彼女がいないのを見て非常に悲しみました。

ラーサの踊りの完成はラーダーラーニーの存在によって完全であると考えられ、そして彼女の不在においてクリシュナは踊りが乱された(disrupted、崩れた)と考えました。したがって主は彼女を探すために踊りの場(arena、活動の場)を去りました。

いくつかの場所をさまよった後で、ラーダーラーニーを見つけられなかったあと、主は非常に苦しみました。このため、クリシュナはすべてのゴピーたちの間にあってさえ、ご自分の喜びの力を楽しむことができなかった、と理解されます。しかし、ラーダーラーニーがいると主は満足なさいました。

第10段落
ラーダーラーニーとクリシュナの間のこの超越的な愛がラーマーナンダ・ラーヤによって描写されたとき、主チャイタンニャは認めました。「私は、クリシュナとラーダーの間の超越的な恋愛を理解するためにあなたのところに来ました。

そして今、あなたがそれらを非常に良く描写したので、私は大変満足しています。あなたの見方から、これがクリシュナとラーダーの間の最高の愛情ある水準だと私は理解することができます。」それでも(Yet)主チャイタンニャはラーマーナンダ・ラーヤに、もっと何か説明するように重ねて(still、それでも)頼みました。

「クリシュナとラーダーラーニーの超越的な特質は何ですか?そして、彼らの感情の交換の超越的な特質は何ですか?そして、彼らの間の愛は何ですか?もしもあなたが親切にもこれらすべてを私に描写してくださるなら、私は非常にありがたく思います。あなたの他には、誰もそのようなことを描写することはできません。」

第11段落
「私は何も知りません」とラーマーナンダ・ラーヤは非常にへりくだって(in all humility)答えました。「私は単に、あなたが私に言わせていらっしゃる(You are causing me to say)ことを言っています。私は、あなたがクリシュナご自身であることを知っています。

それでもあなたは私からクリシュナについて聞くことを味わっておいでです。したがって、私の欠陥のある表現を許してください。私は単に、何であれあなたが私に表現させていらっしゃることを表現しようとしています。」

第12段落
「私はマーヤーヴァーディーのサンニャースィーです」と主チャイタンニャは抗議しました。「私は献身奉仕の超越的な特質について何の知識も持ちません。サールヴァボーマ・バーッターチャーリャの偉大さによって、私の心は清らか(clear)になりました。

そして、私は今、主クリシュナへの献身奉仕の性質を理解しようとしています。バーッターチャーリャは、クリシュナを理解するために私があなたに会うことを勧めました。実に、彼は「ラーマーナンダ・ラーヤはクリシュナの愛について何かを知っている唯一の人だ」と言いました。

したがって、私はサールヴァボーマ・バーッターチャーリャの勧めによってあなたのところに来ました。ですから(then)、どうかラーダーとクリシュナの間のすべての内密な恋(affairs)を私に語るのを躊躇しないでください。」

第13段落
このようにして、主チャイタンニャは、ラーマーナンダ・ラーヤの前で実際に従属的な立場を取りました。これは大変な重要性を持っています。もしも人がクリシュナの超越的な性質を理解することに真剣なら、彼は実際にクリシュナ意識で強められた(enriched)人に近付くべきです。

人は自分の物質的な生まれ(訳注:家柄や身分)、物質的な富、物質的な教育と美を誇るべきではなく、これらのものをもってクリシュナ意識の上級の学徒の心を征服しようとすべきではありません。こうして、自分に都合の良いような話を聞かせてもらえると思って(訳注:thinking that he would be favorably induced、この一文はよく分かりませんが、文字通り訳せば「好意的に説得される」)クリシュナ意識の人のところに行く者は、この科学について幻惑されます。

人はクリシュナ意識の人に非常にへりくだって近付くべきであり、彼に適切な質問をすべきです。もしも人が彼に挑戦しに行くなら、そのような高度な(highly elevated、高く上げられた)クリシュナ意識の人は何らの奉仕もしてくれません(would not be available for any service)。

挑戦的な、驕り高ぶった人は、クリシュナ知識の人から何も得ることができません。彼は単に物質的な意識の中に留まるでしょう。主チャイタンニャは身分の高いブラーマナの家庭に生まれ、サンニャーサの最高の完成の水準に位置していました。

しかし主はそれでも「ラーマーナンダはブラーマナのそれよりも低い社会的な地位に位置する家庭人として現れたにも関わらず、高度な人(elevated person)でさえラーマーナンダ・ラーヤから教えを受けるのを躊躇しない」ということを、ご自分の振る舞いによってお見せになりました。

第14段落
このように主チャイタンニャは、「真摯な学徒は決して、自分の霊的指導者が身分の高いブラーマナの家庭、あるいはクシャトリヤの家庭に生まれたか、また、彼がサンニャースィー、ブラーマチャーリー、あるは他の何かであるか、全く気にしない」ということを明らかに示されました。人にクリシュナの科学について教えることのできる者は誰であれ、グルとして受け入れられるべきです(to be accepted)。
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by ammolitering4 | 2012-02-20 14:38 | 「主チャイタンニャの教え」 | Comments(2)

第29章

第29章 クリシュナへの純粋な愛

第1段落
主チャイタンニャがさらに進めるようにおっしゃったのに力づけられ、ラーマーナンダ・ラーヤは「主チャイタンニャとの友情の関係は、さらに高い超越的な領域にある」と言いました。このようにしてラーマーナンダ・ラーヤは、「クリシュナとの関係が愛情において増すとき、恐れと、至高主の優位性の感覚(mood)が消える」と指摘しました。

この時点で、信頼(faith)の感覚が増し、そしてこの信頼は友情と呼ばれます。友情の関係においては、クリシュナと主の友人たちの間に対等の感覚があります。

第2段落
このことに関して、ラーマーナンダ・ラーヤはシュリマッド・バーガヴァタム(10.12.11)を引用しました。そこでシュカデヴァ・ゴスヴァーミーは、主クリシュナの、森でのご自分の友人たちとの昼食を描写します。主クリシュナと主の友人たちは、牛と遊ぶために森へ行きました。

そして、クリシュナに同伴した少年たちは、至高の人格神と超越的な友情を楽しんだと言われています。至高主は、偉大な賢人たちによっては非人格的なブラーマンと、献身者によっては至高の人格神と、そして俗人によっては普通の人間と考えられます。

第3段落
主チャイタンニャはこの言明を大変喜ばれましたが、それでも「あなたはさらにもっと進むことができます」とおっしゃいました。そのように頼まれたので、それからラーマーナンダ・ラーヤは「クリシュナとの親としての関係は、さらにもっと高い超越的な地位である」と述べました。

友情関係の愛情が増すとき、それは父と息子の間に見出される親としての愛情に発達します。これに関して、ラーマーナンダ・ラーヤはシュリマッド・バーガヴァタムから一節(10.8.46)を引用しました。そこでマハーラージャ・パリクスィットはシュカデヴァ・ゴスヴァーミーから、クリシュナの母であるヤショダーによってなされた、彼女を「母」を呼ばれるようにさせ、その乳房を至高の人格神によって吸われるようにさせた道義的な活動(訳注:善行)の大きさについて問いました。

彼はまた、シュリマッド・バーガヴァタムから別の一節(10.9.20)を引用しました。そこには「ヤショダーは至高の人格神から非常に比類のない慈悲を賜ったので、それは最初の被造物であるブラーマーや、主シヴァや、いつも主ヴィシュヌの胸にもたれかかっている幸運の女神ラクシュミによって受け取られた慈悲とさえ比べられない」と述べられています。

第4段落
それから主チャイタンニャは、恋人としての(訳注:conjugal、本来は「婚姻上の」という意味)愛という地点に来るために、さらに進むように頼みました。主チャイタンニャの心を理解して、ラーマーナンダ・ラーヤは直ちに「最高の関係を構成するのは、実に、クリシュナとの恋人としての愛である」と答えました。

言い換えると、クリシュナとの親密な関係は、至高の人格神の普通の概念から主人と従者の概念になり、そしてこれが内密になるとき、それは友愛的な関係になり、そしてこの関係がさらに発達するとき、それは親としてのものになり、そしてこれが愛情(訳注:love and affection、同義の語の繰り返しによる強調表現)の最高の地点に至るとき、それは至高主との恋人としての愛として知られます。

ラーマーナンダ・ラーヤはシュリマッド・バーガヴァタムから、以下のように述べているもう一節(10.47.60)を引用しました。「ラーサの踊りの間にゴピーたちとクリシュナの間で表された恍惚の相は、いつも霊的な王国で主の胸にもたれかかっている幸運の女神によってさえ、決して味わわれませんでした。」そして、普通の女性の経験については、何をか言わんや?

第5段落
ラーマーナンダ・ラーヤはそれから、クリシュナへの純粋な愛が発達する段階的な過程を説明しました。彼は、「生命体は彼にとってちょうど良い(just suitable for him)関係の一つにおいて至高の人格神と関係している」と指摘しました。

実際は、至高主との関係は主人と従者の関係で始まり、そしてさらに友情、親としての愛、そして恋人としての愛に発達します。至高の人格神との自分の関係を得る者は、彼にとって最良の関係にあるとして知られるべきです。

しかし、これらの超越的な関係が研究されるとき、(自己)認識の中立的な段階(ブラーマ・ブータ)が最初である、ということが見られ得ます。人が主を主人として、そして自分自身を従者として受け入れるとき、関係が発達します。

そしてそれは人が至高主の友人になるときにさらに発達し、そして人が(主の)父になるときに、さらにもっと発達します。このように、関係は友情から親としての愛へ、そしてついには主との至高の関係である恋人としての愛へと発達します。

第6段落
従者としての関係における自己認識は確かに超越的であり、そして友情の感覚が加えられるとき、関係は発達します。愛情が増すにつれて、この関係は親としての、そして恋人としての愛へと発達します。ラーマーナンダ・ラーヤは、バークティ・ラサームリタ・スィンドゥーからの一節(2.5.38)を引用しました。

それは、「至高主への霊的な愛情はどんな場合でも超越的であるが、個々の献身者は特定の関係への特定の素質を持っており、そしてその関係は彼にとって、他のものよりももっと好ましい(relishable、味わえる、楽しめる)である」と述べています。

第7段落
至高主とのそのような超越的な関係は、偽りの献身者の精神的なでっちあげによっては作られ得ません。バークティ・ラサームリタ・スィンドゥー(1.2.101)の中で、ルーパ・ゴスヴァーミーは、「ヴェーダの聖典やヴェーダ文献に言及(to mark reference、基づく)せず、そこで定められている原則に従わない献身奉仕は、決して認可され得ない」と述べました。

シュリー・バークティスィッダーンタ・サラスヴァティー・ゴスヴァーミー・マハーラージャも、「職業的な(professional)霊的指導者、職業的なバーガヴァタムの詠唱者、職業的なキールタン奏者、そして自分で作り上げた献身奉仕に携わっている者は、受け入れられ得ない」と述べました。

インドには、アーウラ、ヴァーウラ、カルターバージャー、ネダー・ダラヴェシャ、スナーイ、アティバーディ、チューダーダーリー、そしてゴーラーンガナーガリーとして知られる様々な職業的な共同体があります。

ヴェントル・ゴスヴァーミー協会(Ventor Gosvami Society)、あるいはゴスヴァーミーと呼ばれるカーストは、6人のもともとのゴスヴァーミーたちの後継者(descendant、子孫)としては受け入れられ得ません。主チャイタンニャに関する歌を作る(to manufacture、製造する)いわゆる献身者、あるいは職業的な僧侶である者、あるいはお金を取る詠唱者である者も、受け入れられ得ません。

パンチャラートラの原則に従わない者、あるいは非人格主義者である者、または性生活に中毒している者は、自分の人生をクリシュナへの奉仕に捧げた者と比べられ得ません。いつもクリシュナ意識に携わっている純粋な献身者は、主への奉仕のためにすべてを犠牲にすることができます。

自分の人生を主チャイタンニャ、クリシュナ、そして霊的指導者に捧げた者、あるいは家庭人の人生の原則に従っている者、そしてチャイタンニャ・マハープラブの順序(in the order or)において(訳注:おそらく「~からの師弟継承において」という意味だと思います)放棄生活に従っている者は、献身者であり、職業的な人々とは比べられ得ません。

第8段落
人がすべての物質的な汚染から自由になるとき、クリシュナとのどの関係も超越的に好ましい(relishable)ものです。不幸にして、超越的な科学において経験のない者は、至高主との様々に異なる関係の真価を認めることができません。

彼らは、すべてのそのような関係はマーヤーから生じると考えます。チャイタンニャ・チャリタームリタは、「土、水、火、空気、およびエーテル(5つの濃密な要素)は、希薄な形から、より濃密な形へと発達する」と記しています。

例えば、音はエーテルの中に見出されますが、空気の中には音と感触(touch)があります。火が加えられるとき、音と感触に加えて形も生じます。水が加えられるとき、音と感触と形に加えて味も生じます。そして土が加えられるとき、音と感触、形、味に加えて匂いが生じます。

ちょうど様々な特質が上はエーテルから下は土まで(from ether down to earth)順に発達するように、献身の5つの特質も発達し、恋人としての愛の関係の中にすべて見出されます。そのため、恋人としての愛におけるクリシュナとの関係は、神への愛の最高の水準として受け入れられます。

第9段落
シュリマッド・バーガヴァタム(10.82.44)には「至高の人格神への献身奉仕はすべての生命体の生命(life)である」と述べられています。実に、主はヴラジャの高貴な娘たちに、ご自分への彼女らの愛は、彼女らがご自分との関わりを得た唯一の原因であるとお知らせになりました。

主クリシュナはご自分の献身者との関わりにおいて、献身者の素質に応じてあらゆる種類の献身奉仕をお受け取りになると言われます。このようにして、クリシュナは献身者の必要性に報いを授けられます(to reciprocate to)。もしも人がクリシュナとの主人と従者としての関係を欲するなら、クリシュナは完璧な主人の役割を演じられます。

親としての関係においてクリシュナを息子として欲する者には、クリシュナは完璧な息子の役割を演じられます。同様に、もしも献身者が恋人としての愛においてクリシュナを崇拝したいなら、クリシュナは夫や恋人の役割を完璧に演じられます。

しかし、クリシュナご自身が、ヴラジャの高貴な娘たちとの恋人としての愛におけるご自分の愛情ある関係が、最高の完成の水準である、と認められました。シュリマッド・バーガヴァタム(10.32.22)において、クリシュナはゴピーたちにおっしゃいました。

(サンスクリット引用)

「あなた方の私との関係は完全に超越的であり、多くの誕生の後でさえ(訳注:何度生まれ変わっても)私にはあなた方の愛と交換に何かをあげることは可能ではありません。私はあなた方の愛に報いることができないので、あなた方は単に自分自身の活動で喜ばねばなりません(訳注:満足せねばなりません)。」

第10段落
シュリーラ・バークティスィッダーンタ・サラスヴァティー・ゴスヴァーミー・マハーラージャは、「誰も彼も(anyone and everyone)、自分が独自に作り出した崇拝の方法(mode)に応じて至高主を崇拝することができ、それでも至高の人格神に至ることができる」と主張する俗人の階層がある、とおっしゃいました。

彼らは、「人は、結果を求める活動、推量的な知識、瞑想、あるいは禁欲を通して至高主に近付くことができ、どの方法でも成功する」と主張します。彼らは、「人は多くの異なる道を受け入れ、それでも同じ場所に着くことができる」と言い、「至高の完全真理は、女神カリー、女神ドゥルガー、あるいは主シヴァ、ガネシャ、ラーマ、ハリ、あるいはブラーマーとして崇拝され得る」と主張します。

つまり、彼らは「完全真理がどう呼ばれようと関係ない。なぜなら、すべての名前は全く同じ(one and the same)だからだ」と主張します。彼らは、多くの名前を持つ人の例を挙げます。もしも彼がそれらの名前のうちのどれかで呼ばれれば、彼は応えます。

第11段落
そのような見方は、普通の人にとっては喜ばしいかもしれません。しかし、それらは誤った概念に満ちています。物質的な欲望に突き動かされて半神を崇拝する者は、至高の人格神に至ることはできません。もしも人が半神を崇拝するなら、主の外的なエネルギーが何らかの結果を報いとして与えることができます。

しかしこれは、そのような崇拝によって人が至高主に至れる、というのではありません。実に、彼ら(訳注:半神たち)の崇拝はバガヴァッド・ギーターにおいて反対(to discourage)されています。

(サンスクリット引用)

「あまり知性的でない者は半神を崇拝し、そして彼らの結果は限られており、一時的です。半神を崇拝する者は、半神の惑星に行きます。しかし、私の献身者は究極的に私の至高の惑星に着きます。」(BG 7.23)このように、至高主はご自分との関わりという恩恵を、半神を崇拝する者にではなく、ご自分を崇拝する者だけに与えられます。

誰も彼もが物質的な半神を崇拝することによって至高の人格神に至ることができる、というのは事実ではありません。したがって、人が「自分は半神を崇拝することによって完璧になる」と想像することができるというのは、驚くべきことです。

完全なクリシュナ意識においてなされた献身奉仕の結果は、半神の崇拝、結果を求める活動、あるいは精神的な推量の結果とは、比べられ得ません。結果を求める活動の結果として、人は天国的な惑星、あるいは地獄的なそれの、どちらかに行くことができます。
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by ammolitering4 | 2012-02-19 17:47 | 「主チャイタンニャの教え」 | Comments(0)

第28章 後半

第11段落
ラーマーナンダ・ラーヤがこの提案を提示したとき、主チャイタンニャは直ちに「はい、これは
正しいです」と言いました。今の時代には、放棄によって、混合された献身奉仕によって、混合された献身奉仕における結果を求める活動によって、あるいは知識を培うことによって、霊的な知識を得る可能性はありません。

ほとんどの人は堕落しているため、そして段階的な(gradual)過程によって彼らを引き上げる時間がないため、主チャイタンニャによれば、最良の方法(course)は、何であれ彼らが(訳注:今)いる状態に留まらせ、至高主の活動を聞くことにいそしませることです。

これらの活動はバガヴァッド・ギーターとシュリマッド・バーガヴァタムにおいて説明されています。聖典の超越的な教えは、(自己を)認識した魂の唇から受け取られるべきです。このようにして、人は何であれ自分が(今)いる状態において生き続けるかもしれませんが、それでも霊的な発達における進歩をします。こうして人は確かに発達して至高の人格神を完全に認識することができます。

第12段落
主チャイタンニャはこれらの原則を受け入れましたが、主はそれでもラーマーナンダ・ラーヤに、発達した献身奉仕をさらに説明するように頼みました。こうして主チャイタンニャはラーマーナンダ・ラーヤに、ヴァルニャーシュラマ・ダールマ(4つの階層と、霊的な人生の4つの区分)の原則からの段階的な発達を議論する機会を与えました。

主チャイタンニャは、ヴァルニャーシュラマ・ダールマと、結果を求める活動を捧げることを退けました。なぜなら、純粋な献身奉仕を遂行する場において、そのような原則はほとんど役に立たないからです。自己認識なくしては、献身奉仕の人工的な方法は純粋な献身奉仕として受け入れられ得ません。

自己を認識した純粋な献身奉仕は、他のすべての種類の超越的な活動と異なります。超越的な活動の最高の段階は、いつもすべての物質的な欲望、結果を求める努力、そして知識を求める推量的な試み(speculative attempts at knowledge)から自由です。最高の段階は、純粋な献身奉仕の単純で好意的な遂行に集中します(訳注:最高の段階にあるのは~だけです)。

第13段落
ラーマーナンダ・ラーヤは主チャイタンニャの動機を理解することができました。したがって彼は、「至高神への純粋な愛を得ることが最高の完成の段階である」と述べました。パデャーヴァリーの中に、ラーマーナンダ・ラーヤ自身によって作詞されたとされる、とても良い(nice)節があります。

その節の解説は次のようなものです。「空腹で、人が食べたり飲んだりしたいと欲する限り、人は何であれ食べ物を食べることで幸せになることができます。同様に、至高主を崇拝するための多くの周辺物があるかもしれませんが、それが至高神への純粋な愛と混ぜられるとき、それは超越的な幸せの本当の源になります。」

ラーマーナンダ・ラーヤはもう一つの節も作詞しました。それはこう述べています。「何百万も何百万もの誕生の後でさえ、人は献身奉仕の感覚を得ることができませんが、もしもどうにかして(somehow or other、どういうわけか)人が献身奉仕を得たいと望むなら、純粋な献身者との係わりがそれを可能にします。」

このように、人は献身奉仕に携わる強い望みを持つべきです。これらの二つの節において、ラーマーナンダ・ラーヤは規律的な原則と至高主への発達した愛を描写しました。主チャイタンニャは彼を至高主への発達した愛の段階に連れていきたいと望まれました。そして主は彼に、その水準から語ることを望まれました。こうしてラーマーナンダ・ラーヤと主チャイタンニャの間の議論は至高神への愛に基づいて進みます。

第14段落
もしも至高神への愛が個人的(personal)な水準に上げられるなら、それはプレマ・バークティと呼ばれます。プレマ・バークティの初めには、至高主と献身者の間の特定の関係は確立されていません。しかし、プレマ・バークティが発達するとき、至高主との関係は様々に異なる超越的な味わいにおいて顕現します。

最初の段階は従属のそれです。そこでは至高主は主人として、そして献身者は永遠の従者として受け入れられます。主チャイタンニャがこの過程を受け入れたとき、ラーマーナンダ・ラーヤは従者と主人の間の関係を描写しました。

シュリマッド・バーガヴァタム(9.5.16)に描写されているように、自分自身を非常に発達していると考えていた偉大な神秘主義のヨギーであるドゥルヴァーサー・ムニは、当時の最も偉大な献身者として知られていたマハーラージャ・アムバリーシャを妬みました。

マハーラージャ・アムバリーシャを苦しめる試みにおいて、ドゥルヴァーサー・ムニは大変な災難に遭い、主のスダルシャナ・チャクラによって打ち負かされました。ドゥルヴァーサー・ムニは自分の欠陥(fault、落ち度、罪、誤り)を認め、こう言いました。

「いつも主への超越的な愛情ある奉仕に携わっている純粋な献身者にとって、何も不可能とは考えられません。なぜなら彼らは、その名そのものが解放に十分な至高主への奉仕に携わっているからです。」

第15段落
ストトララトナ(46)の中で、ヤームナーチャーリャはこう書いています。「我が主よ。あなたへの奉仕から独立してい続ける者は救いがありません。彼らは自分自身のために働き、そして彼らはより高い権威からの何の支援も受けません。

したがって、私は、物質的な満足のための何らの望みもなく、物質的な領域に閉じ込められることもなく、完全にあなたへの超越的な愛情ある奉仕にたずさわる時を待ち望みます。私がそのような混じり気のない献身奉仕にたずさわるときにだけ(訳注:~して初めて)、私は本当の霊的な人生を楽しむでしょう。」

第16段落
この言明を聞いて、主はラーマーナンダ・ラーヤにさらに続けるように頼みました。
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by ammolitering4 | 2012-02-19 14:47 | 「主チャイタンニャの教え」 | Comments(0)