第13段落
私たちはゴスヴァーミーたちの足跡に従い、このようにラーダーとクリシュナを探し求めねばなりません。ヴリンダーヴァンは私たちの心の中にあり、私たちは主をそこで探さねばなりません。これがチャンタンニャ・マハープラブがお奨めになる別離の中の崇拝の過程です。クリシュナからの別離を感じ、主チャイタンニャ・マハープラブは海に身を投げました。真夜中に部屋を出て行って、いなくなることもありました。主がどこに行かれたのか、誰も知りませんでしたが、その間主はクリシュナを探しておられたのです。このように、私たちは何かのスポーツのショーの見物人のようにクリシュナとラーダーの愛の交歓を楽しんだりするものではないのです。私たちは彼らからの別離を感じなければなりません。私たちがより強く別離を感じると、私たちはより強く自分が進歩しているのだと理解すべきです。私たちの物質的な感覚をもってしては、私たちはクリシュナを見ることはできず、主のお名前を聞くことさえできません。私たちは献身奉仕に進歩したときに主を知覚し始めることができます。その献身奉仕は、脚や目や耳ではなく、舌から始まります。舌は「ハレ・クリシュナ、ハレ・クリシュナ、クリシュナ、クリシュナ、ハレ、ハレ。ハレ・ラーマ、ハレ・ラーマ、ラーマ、ラーマ、ハレ、ハレ」と唱え、クリシュナのプラサーダムを食べることに使われなければなりません。舌には二つの機能があり、このように使うことで私たちはクリシュナに気付くことができます。私たちは自分の物質的な目でクリシュナを見ることはできず、物質的な耳でクリシュナについて聞くこともできず、私たちの手でクリシュナに触ることもできません。しかし、もしも私たちが自分の舌を主への奉仕に使えば、主は「私はここにいます」と言ってご自分を明かしてくださいます。 第14段落 このハレ・クリシュナを唱えるという行いは、物質自然の燃え盛る火を消します。これは霊的指導者への以下の祈りの説明でもあります。 (サンスクリット引用) 「霊的指導者は慈悲の海から天福を得ています。山火事の上に雲が水を注いで火を消すように、霊的指導者は物質存在の燃え盛る火を消します。私は霊的指導者の蓮の御足に尊敬をこめて服従します。」(シュリー・グルヴァスタカム、1節) 第15段落 この物質自然は、しばしば自動的に発生する山火事に例えられます。誰も山火事を望んではいませんが、しばしば落雷があり、不注意や摩擦やその他のことがあり、火事は直ちに発生します。同様に、この物質世界は問題の燃え盛る火に包囲されています。皆がここで平和に暮らしたいと思っていますが、何らかの状況が発生し、誰も平和に暮らせません。私たちは物事を非常に多くの方法で調整しようとして大変な苦労をしますが、自然の法則はとても残酷で危険なので、私たちの望みと計画にも関わらず、物質存在の問題という燃え盛る火は続きます。 第16段落 例えば、この世紀では(1900年代)私たちは戦争の火を消そうとしましたが、まだそうできていません。第一次世界大戦があり、第二のそれを防ごうとして国際連盟が作られましたが、その試みにも関わらず、第二の戦争が起こりました。今では戦争を終わらせる助けとなるように国際連合が作られましたが、戦争はベトナムやエジプトやパキスタンや他のところで続いています。誰も第三次世界大戦を望んでいませんが、それは一触即発に見えます。消防隊と、水の入ったバケツを持った何人かの人を送って、それで大きな山火事を消すことはできません。吠えるような山火事を消すためには、大量の水が必要です。言い換えれば、人間の努力を超えた配剤がなければなりません。山火事の上に恵み深い雲があるとき、雲ははじけ、雨が土砂降りとなって降り、燃え盛る火は直ちに消えます。雲が海から水を集めるように、同様に霊的指導者はクリシュナの恵みの海から水を集め、物質自然の燃え盛る火の上に注ぎます。このように、クリシュナの恵み深い雨を与え、あるいは配る者は、霊的指導者、あるいはグルと呼ばれます。 第17段落 ヴェーダ文献には、クリシュナ意識の超越的な科学を理解するために私たちはこの問題の燃え盛る炎を消すための知識を得ようとしなければならない、と書いてあります。科学者や哲学者や他の教育のある人々はそれを消そうとして大変な努力をしていますが、その結果はもっともっと大きな爆弾であるように見えます。カーミー、すなわち結果を求めて働く労働者たちは、この火を消そうとして、すなわち大変な労働によって物質存在の惨めな状態を減少させようとして、昼も夜も精魂を込めて働いています。ジナーニー、すなわち哲学者たちもまた努力していますが、彼らはうんざりして、そのため「この世界は偽りだ」と主張します。このように考えて、彼らは至高存在と一体化しようとし、そうやって火を消そうとします。これは、蔓(つる)からブドウを取ろうとして失敗し、「どうせこのブドウは酸っぱいんだから」と言うキツネのようです。(訳注、原文はjackel、ジャッカル。現在は jackalという綴りのほうが一般的。)ヨギー、すなわち瞑想うる人々は、一番大きなものよりも大きく、一番小さなものよりも小さく、一番軽いものよりも軽く、一番重いものよりも重くなることで優れた神秘的な力を得ようとしますが、これは単に全く子供のお遊びです。大きくても小さくても、軽くても重くても、どんな物質的な体にも物質存在の問題は存在します。このようにして、人は一つの段階から別の段階へ進歩するかもしれません。カーミー、すなわち結果を求めて働く労働者の段階から、ジナーニー、すなわち哲学者の段階へ、ヨギー、すなわち瞑想者の段階へと上がっても、どちらにしても人は最後にはバクティー、すなわち献身奉仕の段階に至らねばなりません。これが本当に進化の過程なのです。これはバガヴァッド・ギーターにおいて次のように示されています。 (サンスクリット引用) 「多くの生と死のあと、本当に知識のある者は、私がすべての原因の原因であり、存在のすべてであると知って、私に服従します。そのように偉大な魂は甚だ稀有です。」(BG7.19) 第18段落 クリシュナに服従することが要点です。それが人生の目的であり、バークタ、すなわち世界の知性ある人々は直ちにこの水準にやってきます。そのためクリシュナは彼らを賢い人々と呼びます。もしも非常に多くの生のあとで人がこの服従の場に至らねばならないのなら、なぜ今すぐそうしないのでしょう。 第19段落 物質自然の燃え盛る火はドゥルガーによって管理されています。しばしば彼女は手に武器を持った姿で描かれます。彼女には10本の手があり、それぞれが異なる武器を持っています。これは、彼女がこの宇宙の10の方向のすべてを支配していることを示しています。彼女は悪魔を懲らしめるために異なる武器を巧みに使います。ある有名な絵においては、悪魔がライオンと争っていて、女神ドゥルガーが悪魔の髪を引っ張り、三叉の槍を悪魔の胸に押し付けています。もしも私たちがこの絵を研究するなら、私たちは悪魔であり、三叉の槍は私たちがいつも苦しめられている三重の悲惨さであると結論付けられます。ある悲惨さは他の生命体によってもたらされ、別の悲惨さは自然の災害によってもたらされ、さらに別の悲惨さは心と体そのものによって引き起こされます。何らかの方法で私たちはいつもこれらの三つの種類の悲惨さに苦しんでいます。物質創造の中には、自分はそれらから自由だ、と言える人はいません。この物質自然の三叉の槍は、皆の胸に押さえつけられています。そしてこの理由により、この物質世界における純粋な幸せは不可能です。私たちは母なるドゥルガーを崇拝したり捧げ物をしたりして彼女を満足させようとするかもしれませんが、ドゥルガーはそう簡単には買収されません。 第20段落 したがって、私たちは人生の目的は至高の人格神を理解することであると知るべきです。私たちはあらゆる側面から―――社会的、政治的、哲学的、宗教的に―――工夫すべきです。しかし、目的は至高人格に近づくことであるべきです。ヴェーダには、学識があって発達した人々、すなわち創造の半神たちは、単にクリシュナの蓮の御足を求める、と書いてあります。人間の文明においても、目的は同じであるべきです。クリシュナの蓮の御足を求めることなくしては、すべての宗教的、社会的、あるいは政治的な努力は失敗します。私たちの欲望が物質世界に錨(いかり)を下ろしている限り、進歩することはできません。これに関して、川下にある花嫁の家に向かわねばならなかった花婿一行の話があります。計画では、彼らは夜に船で出発し、早朝には目的地に着くことになっていました。そのため、夕食のあと、浮かれた一行は夜になって船に乗り込んで船上で寛ぎ、船を漕ぐ人たちに出発するように言いました。一行は全員が気持ちよく座っていて、川のそよ風がとても心地よかったので、彼らはその夜、深く眠りました。朝になると彼らは皆、早くに目を覚まし、驚いたことに船が目的地に向かって全く進んでいないことに気がつきました。船乗りたちが夜中懸命に漕いでいたにも関わらずです。結局、調べてみると、船乗りたちが漕いでいたにも関わらず、彼らが錨を上げることを忘れていたので船が全く進んでいないことがわかりました。結婚の儀式は、愚かな間違いのためにこうして駄目になりました。 第21段落 私たちの現在の文明は、したがって、誤った文明です。なぜなら、誤った指導者たちが執着の錨を上げるのを忘れているからです。反対に、彼らは社会の秩序を感覚の満足に基づいて作り上げたため、錨はますますしっかりと下ろされています。様々な計画と企画(plans and schemes)によって維持されているこの感覚を満足させる社会的および政治的な仕組みは、バガヴァッド・ギーターに次のように描写されています。 (サンスクリット引用) 「飽くことを知らない欲望と高慢さと偽りの栄光に拠り頼み、そうして幻惑されちる悪魔的な人々は、永遠でないものに魅了され、いつも清らかでない仕事に誓いを立てます。彼らは人生の最後のときまで感覚を満足されることが人間の文明の主要な必要性であると信じています。したがって、彼らの不安には限界がありません。」(BG16.10-11) 第22段落 船乗りたちのように、指導者たちは皆惑わされています。彼らは私たちが何らかの一時的な益を得るように誤って導きますが、彼らの計画や企画がいつまでもつでしょうか。もしも彼らが心臓麻痺で死んだり暗殺者に殺されたりするまで地位に留まりつづければ、その後には彼らと全く同じような人々がその地位につきます。現代の社会のいわゆる哲学者たちでさえ、物質的な名声と栄誉に捕られられていて、一般の人々を正しい方向に導きません。したがって、人生の錨は感覚を満足させるという目的のために無知の水の中に深く下ろされ、こうして私たちのいわゆる文明はよどんだ水溜りの中で腐ります。私たちは動いていないので、いつも同じ、問題の多い人生という港にいます。すべての計画は、戦争と飢餓と地震とその他の破滅的な出来事の前では無用の紙くずです。これらのすべての破滅的な出来事は、母なるドゥルガーからの警告です。そしてそれらによって、彼女は幻惑された計画作り人たちに対する彼女の永遠の優位を確認するのです。私たちを物質的な人生に縛り続ける錨の異なる重さは、私たちが霊的な事実を知らないことと、身体的な関係による親戚(訳注、kinsmen、家族、親戚、一族、民族など)への執着と、生まれた土地と物質的な所有物への執着と、物質科学への執着と、本来の目的を知らずして宗教的な形や儀式に執着していることから来る私たちの物質的な形への執着です。これらすべてが人間の体という船を物質的な宇宙に縛り付けます。シュリー・クリシュナは、しっかりと根を下ろしたバンヤンの木の例を使って、バガヴァッド・ギーターの中で私たちにどうやってこの執着を一度に完全に捨て去るかを助言なさいます。 (サンスクリット引用) 「この木の本当の形は、この世界では知覚できません。それがどこで終わるか、どこから始まっているか、あるいはその基盤がどこなのか、誰も理解できません。このバンヤンの木は、切除(detatchment、切り離すこと)という武器を使って、心を決めて切り倒されねばなりません。その後は、人は一度辿りついたら二度とは戻ってこない場所を探さねばなりません。人は、そこからすべてが始まり、誰の記憶にも無いほどの太古から拡大し続けているところのその至高の人格神に服従しなければなりません。」(BG15.3,4) 第23段落 ご自分の創造の中のすべての物事に完全に気付いていらっしゃる至高の人格神は、私たちの最善の利益のために、私たちはこの物質存在を捨て去ろうと望まねばならない、とお知らせになります。私たちは自分をすべての物質的なものから切り離さねばなりません。悪い状況の中で最善を図るため、私たちの物質的な存在は、クリシュナのメッセージと主の献身者および主の御名と常に関わることで、100%霊化されるべきです。したがって、普通は物質的な物事に関わっているすべての人が、このクリシュナ意識運動から最高の利益を得ることができます。すべての霊的な努力は、多かれ少なかれ、物質的な汚染に染められています。しかし、純粋な献身奉仕はあらゆる汚染を超越します。私たちは人工的に物質主義の原則を受け入れる必要はありません。私たちは単に、至高主、至高の人格神シュリー・クリシュナの蓮の御足に心を定める必要があるだけです。
by ammolitering4
| 2009-06-12 02:48
| 「クリシュナ意識への上昇」
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