第12章

第12章 「すべての種類の宗教を放棄して私に服従しなさい」

第1段落
いわゆる進歩的な現代の文明は、その罪が多くの生を通して蓄積している堕落した(reprobate、不道徳的、邪悪な)人間を作り出しました(訳注:「いわゆる進歩的な現代の文明が作り出した堕落した人間は、その罪が幾生にも渡って蓄積しています」)。

それでも、もしも彼らが主クリシュナに服従するなら、彼らでさえ、そのすべての罪を永遠に根こそぎにされるでしょう(to be eradicated、撲滅)。献身奉仕の過程と主クリシュナを覚えていることは、彼の心の中から徐々に、望まれない、卑しい(base)欲望を消します(to dissipate、霧が晴れるような様子)。

そして、かつて不滅の切望(yearnings、憧れ、満たされない長期的な強い欲望)を宿していたそれらの心は、完全に清められ、幸先が良くなります(auspicious、縁起が良い、吉祥、めでたい)。

第2段落
罪深い者と困窮した者(the destitute)は、主クリシュナの慈悲によってのみ、自らの過ちと不運を理解します。いったん自分の罪を悔い改め始めて(to repent for)主に服従すれば、彼らは救われます。彼らは浄化され、聖人的な性質を現し始めます(to manifest)。

そして、もしも、たとえ人が献身の過程を始めた(to take to~、習慣的に何かをし始める)あとでさえ、不滅性の痕跡(vestige)(訳注:この場合は「尽きることのない欲望の名残」)が彼の性質の中に残るなら、それもまたすぐに主の恵みによって根こそぎにされるでしょう(to be eradicated)。

決して至高主あるいは主の献身者を傷つけない(to offend、憤慨させる、機嫌を損ねる)一途な(single-minded)献身者は、聖人的な魂であると考えられます。たとえそのような聖人がまだすべての罪深い性質(propensities、傾向)を捨て去っていない(to be rid of、取り除く)ように見えても、彼は決して滅ぼされません。似たような状況にあるヨギーとカルミーも同様です。これを至高主ご自身が宣言なさいます。

第3段落
シュリマッド・バーガヴァタムの中にあるアジャーミラの救済(deliverance)の記述(account)は、この事実を決定的に(conclusively、結論的、確証的)に証明します。主クリシュナへの献身奉仕における揺るぎない(undeviating)信仰(faith)がいったん人の心を貫くと、たとえ彼の外的な活動が罪の名残(residue)を見せるかもしれないとしても、浄化の過程は確実に進んでいます(underway、進行中)。

主クリシュナはバガヴァッド・ギーター(9.31)において、主の服従した献身者(His surrendered devotees、「ご自分に服従した献身者」)は決して打ち負かされ(to be vanquished、征服)得ないというご自分の約束を堂々と(boldly、大胆、高らかに)公言なさいました(to broadcast)。(サンスクリット引用)

主クリシュナはいつもご自分の献身者をお守りになるということが、この節において証明されています。特に、主が、約束を自ら宣言する代わりに、ご自分の代理としてそうするように勇敢な(valiant、立派な)王子アルジュナにお頼みになるからです。(訳注:「そうするように」というのは「宣言するように」という意味。)

主はご自分自身の約束を破られるかもしれませんが、主はご自分の献身者に好意的であられる(be favorable to)ので、いつも彼らの約束(訳注:この場合は彼らが他者に対してした約束)を守ろうと(to uphold)なさるでしょう。

クルクシェトラの戦場において、ご自分自身の約束を破り、ビーシュナデヴァのを守ることによって、主は疑いもなく、ご自分に服従した献身者に肩入れなさる(to favor、好意、助力、偏愛、大事にする)ことを証明なさいました。

第4段落
ブラーマナ、あるいは美、富、そして学識に恵まれた高貴な生まれの者は、献身者の中にまだ見られる堕落した習慣の排除(elimination)はアジャーミラのようなブラーマナの場合だけに起き得ると、誤った推論に基づいて(fallaciously)結論するかもしれません。

アジャーミラはブラーマナの生まれでしたが、自分の過去生からの悪い反応によって生じた罪深い活動のせいで(on account of)、彼は忌まわしい活動を始めました。しかし、人生の終わりに彼の至高主の記憶(remembrance、追憶、想起)が彼をすべての罪から放免(to absolve him of)しました(訳注:人生の終わりに至高主を思い出したことで、彼のすべての罪が許されました)。

しかし、救い(deliverance)は高い生まれの者だけでなく、すべての人にとって可能です。もともと(naturally)卑しい活動をしがちな(to be given to、~にふける)最も低い人々でさえ、もしも彼らが単に主の蓮の御足に(at)服従するなら、主クリシュナの霊的なお住まいに至ることができます。主はバガヴァッド・ギーター(9.32)においてこうおっしゃいます。

(サンスクリット引用)

「おお、プリターの息子よ、私の庇護の下に入る者は(to take shelter in Me)、低い生まれ---女性、ヴァイシャ(商人)、そしてシュードラ(労働者)であっても、至高の目的地に至ることができます。」

第5段落
人間のうちで最も低いものが主クリシュナに服従することによって至高の目的地に至ることができるとき、身分の高い生まれのブラーマナについては言うまでもありません(what to speak of~?、言わずもがな。直訳すると「何をか言わんや?」に近いですが、これは「言葉もない」、「呆れてものが言えない」というような意味らしく、どうやら少し違っているようです)。

至高主への献身奉仕の道を辿る者は、カーストと色(訳注:肌の色など)の差別によって悩まされる(to be hounded、猟犬に追い回されるようにしつこく攻撃される様子)ことがありません。一神教(monotheism)---一つの宗教と一つの信条(creed)---は、主クリシュナの蓮の御足の庇護の下でのみ可能で、他のどの方法によってでもありません(and not in any other way)。

第6段落
幻想の力、マーヤーは、常に現在の争い(Quarrel、口げんか、いさかい)の時代、カリ・ユガの(in)人々を恐怖に陥れ(to terrorize)、束縛します(to shackle、鎖でしばりつける)。霊魂としての自分の本当の自己認識を忘れ、彼ら(訳注:カリ・ユガの人々)は世界に大惨事(disaster)をもたらします。

そのような包囲攻撃(siege)の下で、現代の(modern-day)思想家と哲学者は社会に純粋さ(purity)と統一(unity)をもたらそうと必死に(desperately、絶望的、という意味合いがある)試みています。彼らはこの問題に関する(into)詳しい研究を行っています。しかし主クリシュナははるか昔にバガヴァッド・ギーター(9.34)の中で私たちに、私たちの現代の問題への解決策をお与えになりました。

(サンスクリット引用)

「いつも心で私のことを考え(Engage your mind always in thinking of Me)、私の献身者になり、私に服従し(to offer obeisances)、私を崇拝しなさい。完全に私に夢中になれば(Being completely absorbed in Me)、必ずあなたは私のところに来るでしょう。」

第7段落
おお、世界の人々よ!どうかギーターのメッセージを行動へと替え(to translate、別の形に直す)、あなたの思考を主クリシュナの蓮の御足に向けようと(to channel、水路で繋ぐ様子)してください。あなたの心と身体で主に奉仕をしなさい。

もしもあなたが自分のすべてのエネルギーを主への奉仕に向ける(to dovetail、ぴったり合わせる)なら、そうすればあなたはこの人生において強い喜び(exhilaration)を感じるだけでなく、霊的な世界においても、永遠に主に奉仕をして、永遠の喜びに浸る(to be immersed)でしょう。

至高主の最も寛大な(munificent)化身、主チャイタンニャ・マハープラブは、最近(recently、1486年)このメッセージを広めるためにカリの時代に降臨なさいました。すべてのベンガル人の大いなる幸運によって主はベンガルにお現れになり、ベンガル人(Bengali race)を祝福なさいました。

そのため(Thus)ベンガル人は主の使命と教えを人類全体に説き(to preach、布教)、この惑星(the planet)の人々と自分たち自身を救うことができます。系統的で(systematic)科学的な方法(manner)におけるこの知識の提示(presentation)は普遍的な至高の平和をもたらします(訳注:この知識を系統的かつ科学的に示すことで、~が得られます)。

それでも(Yet)、衝撃的な事実は、13の非公式な(unauthorized)新興宗教(cults)が雨後の筍のように現れ(to mushroom into prominence、”prominence”は目立った様子を指す。”to mushroom”はキノコが生えるように急に現れること)、考えの甘い(naïve、世間知らず、騙されやすい)弟子と共にその不正な(illegitimate、違法)集団(fold、領域、囲いに囲まれた部分、宗教的な集団)を急速に広げていることです。

(訳注:この場合の「~と共に」は「~という」という程度の意味。「しかし、驚くべきことに、13もの非公式な新興宗教が乱立しており、騙されやすい弟子たちを取り入れて急速にその不正な勢力を増しています。」)

(訳注:”cult”は「新興宗教」としていますが、本来は単に儀式や宗派を指す言葉です。近年は「偽宗教」とさえする否定的な意味合いが強まっていますが、プラブパーダもハレ・クリシュナのことを随所で”cult”と自称していらっしゃいます。)

人が理解し損ねるのは(to comprehend)(訳注:「解せないのは」)、どの真正なる霊的指導者からの指導(discipleship、弟子として修行すること)も監督(tutelage、指導、後見)も一度も受け入れたことのないこれらの新興宗教の指導者たちが、どうやって突然自ら霊的指導者の立場に上がることができるのかということです。

人々の間で広められる(to be promulgated)必要のある主題は、彼らを騙すためにある(to be meant to deceive them)何かの安っぽい感傷的なでっちあげではありません。それは、事実、非常に(deeply)深遠で(profound、重大)難解な(esoteric、秘儀)神学です。

主チャイタンニャのお言葉は、愚かな大衆(ignorant mass of people)を感動させる(to impress)ための霊的な感傷を偽る(to fake)無節操な(unscrupulous、非良心的な)自己流の「グル」によっては、決して広められ(to be disseminated)得ません。すべての聖人的な人々よ、気をつけなさい(beware)!

第8段落
私たちの一般的な経験は、推量と詭弁(sophistry)にふけりがちなので(given as they are to ~ and ~)、非人格主義者は主クリシュナを至高の人格神として受け入れることを躊躇する、というものです。そのため彼らはいつも、自分自身の知性の力によって(by dint of)至高の完全真理を知るための努力において、挫折します(to be frustrated)。

彼らは自分たちの中のこの欠点(shortcoming)を知覚することができず、そして、たとえそれがクリシュナ意識の科学を知る人々によって指摘されても、彼らはそれを理解することができません(to grasp)。そのような汚染された意識は主クリシュナへ服従しないことの結果です。

主の名前、形(form、姿)、性質(qualities)、娯楽、そしてその他の主に関わる諸々のこと(paraphernalia)は、すべて超越的で非凡(extraordinary)です。そのため、鈍い(blunt)物質的な感覚はそれらを知覚することができません。

太陽は太陽光の助けによってのみ可視的になります。同様に至高主は、主への献身奉仕に携わっている者だけにご自分を明かされます。

第9段落
私たちの物質的な状態において得られる設備は多数あります。徳の相における私たちの設備は、かすかな要素を見分け(to distinguish)、物質と霊の間の違いを認識し(to discriminate)、そしてこのようにして幻想の下に入ることを避ける能力を私たちに与える、知性です。

徳の相には、忍耐、正直さ、感覚の統御、心の平静(equanimity)、そしてその他のそのような性質があります。加えて(Added to the list)、強い欲望、大胆さ(fearlessness、恐れを知らない様子)、そして揺るぎない決意などの熱情の相における性質、さらに、恐れ、狂気、そして生老病死の(over、~に関する)苦しみ(distress)もあります。

これらすべての設備は、主の外的で物質的なエネルギーの産物です。マーヤーは至高主の統御の下にあるので、上記のすべての性質もまた、クリシュナご自身から放射します。しかし、主クリシュナは私たちの感覚的な体験の枠(periphery、周囲、外周)を越えていらっしゃり、そしてそのため、単に---徳の相にある---より高貴な性質を培うことは、私たちを主の蓮の御足へと上げるための十分な霊的な実践ではありません。

(訳注:単に徳の相に分類されるようなより高貴な性質を培っても、それだけでは主の蓮の御足へと上がるために十分な霊的な実践とはなりません。)マーヤーに打ち勝つ(to overcome、克服)唯一の方法は、主の蓮の御足の完全な庇護の下に入ることです。

クリシュナはギーター(7.14)において、ご自分に服従する者は簡単にマーヤーを越える(to cross beyond)ことができるとおっしゃいます。いったんマーヤーが乗り越えられると(to be surmounted)、人の努力は主クリシュナが至高の人格神であるという認識を授けられます(to be crowned with、栄誉を与える、冠を被せる)。(訳注:「努力は~という至上の認識をもって報われます」)。主ブラーマーは、ブラーマ・サムヒター(5.1)においてこうおっしゃいます。

(サンスクリット引用)

「ゴヴィンダとして知られるクリシュナは至高の人格神です。主は永遠の、喜びに満ちた霊的な身体をお持ちです。主はすべてのものの源です。主は他のどの源も持たず、主はすべての原因のもともとの(prime、主要な、根本的な)原因です。

第10段落
マーヤーの影響から自由であるときだけ、人は至高主の超越的な富、力、名声、美、知識そして放棄を知覚することができます。この超越的な理解をもって、人はバガヴァッド・ギーター(10.8-10)の中の至高主ご自身のお言葉を理解する(to fathom)ことができます。

「私はすべての霊的および物質的な世界の源です。すべてのものは私から放射します。これを完璧に知る賢者は私への献身奉仕にいそしみ、心から(with all their hearts)私を崇拝します。私の純粋な献身者の思考は私の中にあり(to dwell、住む)、彼らの人生は完全に私への奉仕に捧げられ(to be devoted)、そして彼らは、いつも互いに啓蒙し合い(to enlighten)、私について語り合うことから、大いなる満足と喜びを得ます。

常に愛情をもって私に奉仕をすることに(自分を)捧げている者に、私はそれによって彼らが私のところに来ることのできる理解を与えます。(訳注:~には、(私が彼らが)私のところへ来ることができるように、必要な理解を与えます。)
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ごちゃごちゃと訳注が多くて、読みづらくて申し訳ありません。内容は可能な限り原文に忠実に写し取っているので、適宜編集して読みやすくしてご活用ください。それにしてもプラブパーダ、怒ってらっしゃいますね。ふざけるな!たわけもの!!という声が聞こえてきそうです。
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by ammolitering4 | 2015-03-14 05:42 | 「英知による放棄」 | Comments(0)
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