第2部第8章

第8章 至高主はいつも永遠のヴァイクンターの惑星にお住まいになる

第1段落
この物質的な創造(creation被造物)は、主ブラーマーの昼と夜の間に顕現し、そののち(subsequently)滅ぼされます。しかし、この物質的な世界を超えたところに(beyond)、創造と破壊によって影響されない(untouched)永遠の存在---霊的な天空があります。

その霊的なお住まい(abode)はヴァイクンターの惑星(訳注:複数)として知られます。この物質的な創造が滅ぼされるときでさえ、ヴァイクンターの惑星は無傷(unscathed)でそのまま(intact、完全、無傷)であり続けます。

誰であれ、いったんこれらの惑星に入ると、彼は決して再び、地上の(earthly、この場合は「俗世、物質界の」)存在にとって避けられない誕生と死の繰り返しに苦しむことはありません。物質的な世界が物質的な天空によって覆われ、満たされている(pervaded、充満)一方で、霊的な惑星はパラヴョマとして知られる霊的な天空に浮かんでいます(suspended、浮遊させられている)。

パラヴョマの中のすべての惑星系は、至高主がご自分の娯楽を永遠に行われる(to perform)超越的なお住まいです。

第2段落
先に私たちは、至高主は物質的なエネルギーと霊的なエネルギーという二つの主なエネルギーをお持ちであると論じました。ヴァイクンターの惑星は主の霊的なエネルギーの産物です。生命体はこの霊的なエネルギーに属しますが、彼らは霊的な世界または物質的な世界のどちらにも住むことができるので、もともとは霊的であるにも関わらず、彼らはタタスカー・シャクティ、すなわち「周辺的な力」と呼ばれます(to be designated as)。

第3段落
ヴァイクンターの惑星は主の内的な力の顕現であり、他方で物質的な世界は主の外的な力の顕現です。至高主はすべてのエネルギーの主であるため、主が霊的な世界と物質的な世界の両方を完全に統御していらっしゃる(to be in full control of)というのは否定できない(irrefutable)事実です。

完璧な類似(analogy)は土鍋(earthen pot、土で作った壷や鍋)です。土鍋を作るのに必要とされるのは、粘土、ろくろ(potter's wheel)、そして作り手(potter、陶芸家)です。粘土は素材(material)、すなわち原料となる原因(ingredient cause)、ろくろは道具となる(instrumental)、あるいは効率を上げる原因(efficient cause)、そして作り手は主要な原因(prime cause)です。

同様に、物質エネルギーがこの宇宙の創造の材料となる、そして効率を上げる原因である一方で、至高主、クリシュナは主要な原因です。影のように、物質エネルギーは厳密に至高主の命令(dictates)に従って働きます。

主クリシュナはバガヴァッド・ギーター(9.10)において次のように説明なさいます。

(サンスクリット引用)

「私のエネルギーの一つであるこの物質自然は私の命令の下で働いており、おお、クンティーの息子よ、すべての動くものと動かないものを作り出しています。その統御の下で(under its rule、この場合のits は「物質自然の」と思われる)、この顕現(訳注:物質的な宇宙を指すと思われる)は繰り返し繰り返し造られ、滅ぼされます。」

第4段落
悲しい事実は、クリシュナがご自分に関する真実をバガヴァッド・ギーターおよび他のヴェーダ文献全体で(throughout)明かされるにも関わらず、不運な(luckless)大衆(poplulace)は主を至高主と見なす(to regard ~as)ことができません。

特に、宗教的な熱意(religiosity、狂信的な宗教性や信仰)の砦(bastion、砦となるような人物も含む)であるという大げさな(tall)主張をする非人格主義的な哲学者たちは、至高主を死を運命付けられた平凡な存在(mediocre mortal)に引き下げ(to reduce)、そうして(thereby)重い罪を犯します(to accrue)。

そのような無神論的な罪人(offender、無礼者)たちは、自分自身の力(merit)によっては決して神という主題に近づくことができません。至高主と主の(主に)服従した従者たちは、様々な方法で至高の完全存在に関する知識を明らかにし(to clarify)、伝えましたが(to transmit)、至高主と主の献身者を侮辱する(offend)者は、決してそのような話題(topics)を理解することできません。

シュリー・プラーラーダ・マハーラージャはシュリーマッド・バーガヴァタム(7.5.30-31)において次のようにおっしゃいます。

(サンスクリット引用)

「(自分の)統御されない感覚が原因で、物質主義的な人生に過度に執着している者は地獄のような状態へ進み(to make progress toward~)、既に噛まれているものを繰り返し噛みます(訳注:徒労を繰り返す、という意味)。クリシュナへの好み(inclination、傾向)は、他の者たちからの教えによっても、彼ら自身の努力によっても、あるいはそれら両方によっても、決して呼び覚まされません(to be aroused)。

物質的な人生を楽しむという意識によって強くとらわれており、そしてそのため自分の指導者、あるいはグルとして、同様に外的な感覚の対象に執着した盲目の人(man)を受け入れた者たちは、人生の目的は家へ、至高主のもとへ帰り、そして主ヴィシュヌへの奉仕に携わることだというのを理解することができません。

もう一人の盲目の人に導かれた盲目の人たちが正しい道を外れて溝に落ちるように、もう一人の物質的に執着した人によって導かれた、物質的に執着した人々は、非常に強い紐(cords)でできた結果を求める労働という縄によって縛られ、物質的な人生において何度も何度も(訳注:生き)続け、三重の悲惨さに苦しみます。」

第5段落
主クリシュナもまた、このような人々をバガヴァッド・ギーター(9.11)において描写なさいます。

(サンスクリット引用)

「私が人間の姿で降臨するとき、愚か者たちは私をあざ笑います(to deride)。彼らは、すべてのもの(all that be)の至高の主としての私の超越的な性質を知りません。」

第6段落
取るに足らない(puny、ちっぽけな、虚弱な)人間は、鍋(pots)や皿(pans)(訳注:potもpanも形状の違いはあっても壷や鍋などの容器を指す)、工場などの取るに足らないものしか作ることができません。

したがって、それほど遠くない昔にマトゥーラーに生まれ、人間のように見える名士(personality)が宇宙の顕現全体の至高の統御者、すべての主の主、そしてすべての完全な性質の持ち主として紹介されるとき、どんなに明らかにこれらの真実を説明しても、一般の人々は彼らのとても小さくて(dog's-bent-tail)な知性が原因で、それらを受け入れる(to absorb)ことができません。

(訳注: dog's-bent-tailは文脈から「小さくてつまらないもの」を意味する形容詞的な言葉であることが想像できますが、他の用例を探すことはできませんでした。)

こうして(Thus)彼らは一元論的で(monistic)非人格主義的な哲学を奉じます(to embrace、考えなどを取り入れる)。主クリシュナだけが神であることを否定し、彼らは自分たちもまた「神」であると言い張ります(to insist)。

このようにして彼らはすべての礼儀(etiquette)と堅固な(sound)哲学的な結論を無視し(to disregard)、自分たち自身と神についてひどく(grossly)愚かな考えを奉じ(to embrace)、主と競おうとします。

第7段落
西洋の霊性主義者たち(spiritualists)はしばしば、そのような無神論的な人々は悪魔に取り付かれていると結論づけます。その昔(in bygone ages)、多くのそのような悪魔的な人々---ラーヴァナ、ヒラニャカシプ、ジャラーサンダー、カムサ---が至高主の権威に挑みました。

現在では、彼らは着実に倍増しています(to have steadily multiplied)。これらの悪魔たちは、主チャイタンニャ・マハープラブでさえ侮辱し(to insult)、「シャチーおばさんの息子」という軽蔑的な(derogatory)悪態(name-calling、誹謗中傷)で主を退けました(to dismiss、~を~として片付ける)。

第8段落
考慮すべき点は、誰も本当に神と競うことはできないということです。至高主は比類するものなく(unparalleled)、唯一無二(second to none、誰にも負けない、髄一)です。チャイタンニャ・チャリタームリタには、(サンスクリット引用)と述べられています。

「主クリシュナだけが至高の人格神であり、他のすべての者たちは主の従者です。」人生を運命によって蹴散らされるままに生き(to go through life being kicked about by fate)、腹を満たし、頭上に屋根(がある状態)を維持するために(訳注:衣食住のために)奴隷のように働く者たちだけが、万能の(omnipotent)至高の統御者と競うなどという非常にばかげた望み(so preposterous a wish as ~)を持つ(to harbor)ことができます。

それは滑稽な(ludicrous)ことです。主の至高で超越的な立場を全く知らないので(ignorant of)、彼らは大胆にもそのような欲望を心に抱きます(to dare harbor)。

それでも至高主は非常に慈悲深くていらっしゃるので(compassionate)、様々な技(tricks)によって、これらの愚か者にさえ主はご自分の超越的で至高の立場という事実を教えようとなさいます。そして、主の内密な従者たちもまた、多くの困難(hazards、危険)と痛みを受け入れ、無神論という(of)悪魔(demon)によって取り付かれているこれらの人々から悪魔(Satan)を払う(to exorcise)ための、可能な限りのすべての方法を試みます。

第9段落
そして、自分たちだけが聖典を知っており、他のすべての者たちは学のない(illiterate)愚か者だと主張する、いわゆる学者たちがいます。そのような「学者たち」は、聖なる文献(texts)の研究は、カーラノダカシャイー・ヴィシュヌがこの物質的な創造の原因であり、ヴァスデヴァとデヴァキーの息子である主クリシュナは良くても(at best)ヴィシュヌの部分的な拡張体であると明らかに示す(to clearly reveal)、と言います。(訳注:~を研究すれば~であることは明らかだ)

こうして私たちは、知性的な者たちでさえ時として幻想の力、マーヤーによって惑わされ、悪魔的な考えを持つ(to subscribe to)というのを見ます。そのような惑わされた魂にとって、主クリシュナが至高の人格神、すべての原因の原因であると受け入れることがどうして可能でしょうか?

第10段落
もしもこの主題に関してシュルティとスムリティの聖典を調べるなら(to consult)、私たちは、主ゴヴィンダ、クリシュナがカーラノダカシャイー・ヴィシュヌの源であるということを証明する多くの言及(references)を見つけます(訳注:~を調べると、~を証明する言及がたくさんあることが分かります)。逆ではありません。例えば、ブラーマ・サムヒター(5.47)にはこう述べられています。

(サンスクリット引用)

「私は太古の主ゴヴィンダを崇拝します(to adore)。主はご自分自身の素晴らしい精神的な(subjective、主観的、肉体によらず精神の活動による)形をしておられ(to assume、装う)、セサという名前をお持ちであり、すべてを受け入れる(all-accommodating)力を備えておられ(to replete with)、そしてご自分の毛の毛穴の中に無数の世界を持って(with the infinity of the worlds in the pores of His hair)、原因の海(Causal Ocean)に横たわって(to repose)創造的な眠り(ヨガニドラー)を楽しんでおられます。」(訳注:原文の構文は多少違いますが、意味は同じです。同様の構文の変化はときどきありますのでご了承ください。)

第11段落
聖書には、「神はご自分自身の姿になぞらえて人間をお作りになった」と書いてあります。この言明によれば、人間は神と似た形を持っているので、二本の手(hands)を持っています。しかし、これは、二つの手を持っておいでになるから神は人間である、ということを意味するのではありません。

人間の姿(form)でお現れになったからといって主クリシュナの立場を小さくしようとする(to diminish)のは憎むべき(heinous)罪(offense)です。主の神聖なる力と至高の立場に関する真実は、自己を認識した霊的指導者、聖人的な魂、そして明かされた聖典から学ばれるべきです。

第12段落
悪魔的な人々は人間の人生の本当の目的を理解し損ないます。その代わり、彼らはいつもすぐに主クリシュナの至高の立場を小さくしよう(to diminish)とします。そのような無神論者たちは、非常に高い望み(ambitions、野望)を持っているかもしれず、大変な(great、大いなる)、気高い(noble)行為(deeds)を行うかもしれません(訳注:偉業を成し遂げるかもしれません)が、彼らの野望と功績は主クリシュナへの愛情ある関係から切り離されているので、それらはすべて無駄です。

悪魔ラーヴァナは、階段を作ることによって天国に至りたいと欲しましたが、彼は失敗しました。そして、すべての無神論者の野望(all atheists' ambitions)はそのようなものです。数字の1の横に置かれたゼロは10を作り、その次のゼロは100を作り、というふうに続きます。

数字の1がある限り、ゼロが増えるごとに値は上がっていきます。しかし、数字の1がないと、どんなにゼロが増えても値はありません(valueless)。同様に、もしも人が「1」---主クリシュナ---との関係なくして、単に物質的な富、名声、そして学識という「ゼロ」を増やして一生を過ごすなら、それなら彼の人生全体が無価値です。主クリシュナはバガヴァッド・ギーター(9.12)においてこうおっしゃいます。

(サンスクリット引用)

「このように惑わされた者たちは悪魔的で無神論的な見方(views)に惹きつけられます。その惑わされた(deluded)状態において、彼らの解放への望み、彼らの結果を求める活動、そして彼らの培った知識(their culture of knowledge)はすべて打ち負かされます。」

第13段落
人は自分自身を主クリシュナの献身者であると呼ぶかもしれませんが、もしも彼がクリシュナを人間であると考えたり、主が最初は人間で、それから神に進化した(今はやっているように(in vogue))、非常に多くの「化身」が雨後の竹の子のように出てきている(to mushroom))と考えるなら、それならそのような人は献身者ではなく、偽物(imposer)です。

(訳注:「神が最初は人間で、それから神に進化した」という考えが今はやっていて、そのため「化身」もうじゃうじゃいる、という意味)

人はしばしば、主クリシュナの献身者の振りをしている一元論者(monists)や偽の(pseudo-)献身者に出会いますが、やがて彼らはクリシュナの立場を奪おうとします(to usurp)。彼らは自分が主クリシュナでありたいと欲します。そのような狡猾な(insidious)望みを持つ人々は完全に惑わされています。

もしも結果を求めて働く人が、主クリシュナが普通の、死を運命づけられた存在(mortal)であると考えるなら、彼は自分の結果を求める働きの目標---天国のような惑星へ上げられること---を達成しません。

そして、もしも擬人主義者(anthropomorphist、擬人主義は「人間以外のものを人物として、人間の性質・特徴を与える比喩の方法」ウィキデピアより)がたまたまジニャーニー、 経験主義的な(empirical)哲学者であるなら、それなら彼もまた自分の知識の追求の目的---物質的な相からの解放---を達成するのに失敗します。
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ぼちぼち、ぼちぼちと進んでおります。今年もまたのんびりお付き合いくださいませ。
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by ammolitering4 | 2015-01-12 13:25 | 「英知による放棄」 | Comments(2)
Commented by acha at 2015-01-25 12:13 x
お久しぶりです。有難く拝読させていただいております。
ホームページが出来たのでお知らせします。
編集が進まず、まだ「永遠の愛の術」だけですが・・・(^_^;)
今年も更新を楽しみにしております(^_^)/
Commented by ammolitering6 at 2015-01-26 15:51
achaさん、ありがとうございます。私のこの翻訳文を編集するのは大仕事ですから、よくまとめてくださったと思って感謝しております。ここにあるのは素材ですので、磨いて削って練り上げて、使い物になる文章に仕上げていただければいいなと思っています。

。。。白樺は謎ですね。私は白樺シロップが好きで、トニックウォーターで割ったらすごくおいしいです。白樺の樹液もメープルの樹液のようにおいしいのでしょうか。でも甘さはずっと薄いだろうから、さっぱりしてるでしょうね。私はその昔メープルシロップの農協やお茶の専門店で働いていたことがあり、今でもそういう嗜好品が大好きです。上司がメープル学者だったので、いろいろ教えていただいたことも懐かしい思い出です。そういえば、メープルの花の蜜から作った蜂蜜というのがあって、10年くらい探していたのですが、最近初めてそれを食べることができました。まろやかでおいしかったです。

白樺は食品の防腐効果があるので、カナダでは昔は冷蔵庫代わりに使われていました。燃えやすいので薪の始めに燃やすのにも使います。ロシアでも大事な木みたいで、歌がたくさんあります。白樺の周りにはキノコがたくさん生えるので、私にとってはそれも嬉しいです。
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