第6章 第6段落まで

第6章 主クリシュナはカリ・ユガにおいてご自分の聖なる御名として化身なさる

第1段落
貧弱な(meagre)知性を持った人は、はかない(fleeting、あっというまに過ぎていく)幸運のために半神を崇拝します。そのため、人はこう尋ねるかもしれません。「もしも至高主を崇拝することによって人が自分のすべての欲望を満たしてもらうことができるなら、なぜ誰もが主を崇拝しないのですか?」

デヴァルシ・ナーラダは、かつて、ユディースティーラ・マハーラージャによって出された(to be posed、問題や要求を提出する)同様の質問に答えました。

(サンスクリット引用)

「おお、王よ。ほとんど敬虔さ(piety)を持たない人は、決して主ゴヴィンダ、主の慈悲、主の聖なる御名、あるいは主の純粋な献身者への信頼(faith、信仰)を育むことができません。」

第2段落
主クリシュナはバガヴァッド・ギーター(7.28)においてこれを確証なさいました(to corroborate)。

(サンスクリット引用)

「過去生とこの生において、敬虔に活動し、その(訳注:自分の)罪深い活動が完全に根こそぎにされた(eradicated、撲滅)者は、幻想の二重性から解放され、そして彼らは決意をもって私への奉仕にいそしみます。」

第3段落
悪魔的な精神性を持った者は、罪にまみれています(to be steeped in sin、~に没頭している)。そのため、霊的な知識の大切さに関する彼らの理解は無(nil)です。自分の社会的および霊的な階層の命令(dictates、神や良心や理性の命令)に従って暮らすことによって自分の罪を根こそぎにする(to eradicate)ことができ、そしてそのようにして十分な敬虔さ(piety)を得た者は、カルマ・ヨガを実践する資格があります。

徐々に彼らはジニャーナ・ヨガへと進み、そしてついに、瞑想において、彼らは主の超越的で至高の立場に気づきます。そのような、大いに(highly)幸運な、自己を認識した魂は、自分の心臓(heart)の中に、シャーマスンダラとして知られる、笛を吹いておられ、永遠で超越的で、二本の腕を持った 至高主のお姿を見ることができます。シュリー・ブラーマサムヒター(5.30)の中の主の描写は次のようなものです。

(サンスクリット引用)

「私はゴヴィンダ、太古の主を崇拝します。主は(ご自分の)笛を吹くのに熟達(adept)しておられ、蓮の花びらのような美しい(blooming、咲き誇る花のように美しい)目、孔雀の羽で飾られた頭、青い雲の色(hue、色調)に染まった(tinged、薄く色づいた)美しい体(the figure of beauty)、そして何百万ものキューピッドを魅了する(主の)独特の愛らしさをお持ちです(訳注:原文は長い一文)。」

第4段落
不正な(illicit、恥となるような不誠実さ)性交、あら捜し、不当な(unjustified)暴力などの罪を犯している者は、滅多に自己認識という(of)霊的な知識を得ません(to attain、努力して獲得する、高みに到達する)。

罪深い活動は無知の暗い暗闇(gloom、心の陰鬱さ)を深め、一方で敬虔な活動は超越的な知識の光を人の人生にもたらします。この知識はついにクリシュナの認識となります(to culminate、最高に達する)。しかし、単に敬虔な活動を行うことは、人に神認識の資格を与えません。

人が敬虔な活動をして聖人的な人々と関わるときにのみ、霊的な知識は彼の意識の上に訪れます(to dawn on ~、夜明けが訪れるように何かについて分かり始める)。それから、二重性の水準を超越するとき---特に彼がもはや完全真理の一重的あるいは二重的な(monistic or dualistic、一元論的あるいは二元論的)存在に関する論争(controversy)に加わらないとき---彼は主クリシュナを自分の悟り(enlightenment)において見て、主を唯一無二、比類するものなく至高であるとして、決意をもって崇拝します。

敬虔な活動の完成された段階において、徳の相が意識を支配し、無明の相の産物である無知(nescience)と幻想の闇を消します。熱情の相が完全に抑えられれば(to be subdued、静められる)
直ちに、霊的な認識が人の意識の天空を照らします。

第5段落
この重大時に(at this juncture)考えるべき点は、現在の時代、カリ・ユガにおいて、火の犠牲、慈善における施し、苦行(penances)、あるいは禁欲(austerities)などの敬虔な活動を正しく行う手段を持っている者がいるか、ということです。

カリ・ユガの不運な人々はそのような豪華(訳注:な儀式など)(extravagances、浪費、過度の贅沢)を行う(to undertake、請け負う、企てる)ことが全くできないというのは、共通して(universally、普遍的に)受け入れられています。

この理由により、至高神の最も寛大な(munificent)化身でありカリ・ユガの救世主(savior)である主チャイタンニャは、ブリハン・ナーラディーヤ・プラーナから次のマントラの真実を宣言なさいました(訳注:~が真実であることを、という意味だと思われる)。

(サンスクリット引用)

「このいさかいと偽善(hypocrisy)の時代において、救済(deliverance、魂の救済)のための(of)唯一の方法は、主の聖なる御名を唱えること、主の聖なる御名を唱えること、主の聖なる御名を唱えることです。他の方法はありません。他の方法はありません。他の方法はありません。」

第6段落
カリの時代において、完成を得るための唯一の方法は至高主の聖なる御名を聞き、唱え、覚えている(to remember、思い出す)ことです。(訳注;複数の)聖典からの無数の引用文がこれを確証します(to substantiate)。

すべての不吉さ(inauspiciousness、縁起の悪さ)は、主クリシュナの完全に縁起のよい(all-auspicious)御名を唱えることによって滅ぼされます。シュリマッド・バーガヴァタム(12.12.55)はこれを確認します。

(サンスクリット引用)

「主クリシュナの蓮の御足を覚えていること(remembrance、思い出すこと)は、すべての不吉な(inauspicious)ものを滅ぼし、最大の幸運をもたらします(to award)。それは、自己認識(realization)と放棄によってより豊かにされた(enriched)知識を伴って(along with~)、心を浄化し、至高の魂への献身を授けます。」
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by ammolitering4 | 2014-10-12 04:30 | 「英知による放棄」 | Comments(0)
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