第5章 終わりまで

第12段落
マーヤーヴァーディーはエネルギーの変容という理論を避け、ブラーマンそのものの変容という理論に賛同します(to subscribe to~)。そのため彼らは、ブラーマンは非人格的であるという自分たちの信念に凝り固まるようになります(to become fixed in ~)。

至高主は、主がご自分自身をその非人格的な形において顕現する特定の状況を描写なさいました。この点を実証している(substantiating)、聖典からの多くの引用があります。至高主は、ご自分の人格的な特徴と非人格的な特徴の両方を顕現することによって、至高の完全人格(the Supreme Absolute Person)は、計り知れず、そして同時に(inconceivably and simultaneously)、ご自分のエネルギーと同一であり異なる、という原則をしっかりと確立なさいました。

アチンテャ・ベーダーベーダー・タットヴァと呼ばれるこの哲学的な結論は、主クリシュナご自身によってバガヴァッド・ギーター(7.12)において説明されています。

(サンスクリット引用)

「私は、ある意味ではすべてですが、私は独立しています。私は物質自然の相の下にはありません。なぜなら、その反対に、それらは私の内にあるからです。」

第13段落
至高のエネルギー的なものは、すべてのエネルギーの源です。それでも、すべてのエネルギーが主から放射するにも関わらず、主はこれらのエネルギーの働きから離れていらっしゃいます。このことから私たちは、半神たちの並外れた力は至高主の力の本質的な(intrinsic、本来備わっている)部分であり、しかし半神たちは主から離れている、と結論することができます。

そのため、半神によって授けられた恩恵(boons)は、受け取り手に一時的に利益を与えるだけです。主クリシュナはこの事実をバガヴァッド・ギーター(7.23)において確認なさいます。

(サンスクリット引用)

「知性の低い者(men of small intelligence)は半神を崇拝し、そして彼らの成果は限られており、一時的です。半神を崇拝する者は半神の惑星に行きますが、私の献身者は究極的に私の至高の惑星に至ります。」

第14段落
私たちは既に、もしも結果を求める欲望に満ちた「結果を求めて働く者たち」(訳注:長いので分かりやすくするために括弧に入れています)が半神のところに行く代わりに至高主に近づくなら、それなら彼らが至高主から受け取る恩恵は永遠に続く、ということを論じました。

彼らは自動的にヨガの階段において一段上がります---結果を求める活動からジニャーナ・ヨガ、すなわち完全な知識への道です。これは、この物質的な世界の中で天国のような惑星に上げられる代わりに、彼らがヴァイクンターの惑星、この物質的な世界を超えた主の霊的なお住まいにおいて解放を得る、ということを意味します。

半神崇拝者は、半神たちの惑星、一時的である天国のような惑星に行きます。いったん、人が溜め込んだ徳(piety、敬虔さ)が使い切られると、彼は地球に戻ってこなければなりません。他方で、至高主の献身者がヴァイクンター、霊的な天空の中の主の至高のお住まいに至ると、彼らは決してこの死が運命づけられた世界(this world of mortality)に戻る必要がありません。
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by ammolitering4 | 2014-10-12 04:24 | 「英知による放棄」 | Comments(0)
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