第5章 11段落まで

第5段落
(人が)どんな欲望を持っているのであれ、それを満たすために、彼は熱情的で(intense、極端、強烈、懸命)断固とした(unfaltering、ぐらつかない)献身(の念)をもって主クリシュナ、至高の人格神に奉仕をしなければなりません。

(この点は、先にシュリーラ・ヴィシュヴァナーター・チャクラヴァルティー・タークラによって論じられました。)もしもこの命令が守られるなら(to be followed)、それなら主クリシュナに反感(aversion、強い嫌悪感)を持つ者たちさえも、やがて主に服従する決意をするでしょう。

第6段落
主クリシュナは至高の統御者であり、至高の完全存在ですが、それでも主は決してご自分の意志を微細な生命体の上に強制なさいません。むしろ、主クリシュナだけが至高の人格神であって他のすべての者は主の従者であると認める(to recognize、はっきり知る)ことは、生命体自身の利益のためです(to ~'s own benefit)。

太陽神と他の半神たちは、主クリシュナのご意志(wishes)に応じて自分たちの義務を果たします。実に、これが彼らが半神と呼ばれる理由です。そして、至高主の献身者もまた、主のご意志に従うので、彼もまたスラ、すなわち半神として知られます。逆に、主のご意志に逆らう者たちはアスラ、悪魔として知られます。

第7段落
半神たちは何らの独立した力も持っていません。事実、彼らは自分たちへの尊敬の念を引き起こす(to invoke、霊的な力などによって心に抱かせる)のに十分な力さえ持ちません(to wield、権力を行使する、掌握)。それは至高主によってなされます。

主クリシュナの部分的な拡張体、超魂は、すべての人の心臓の中にお住まいであり、人の心(heart)のうちに様々な半神への信仰(faith)と尊敬を育む(to instill、しみこませる)のは主(訳注:He、超魂)です。太陽神と他の半神の中に見られる並外れた(extraordinary)力は、事実、至高主の力です。

いったんこれらの並外れた力に惹きつけられると、知性的な人は徐々にその力の源、至高のエネルギー的なもの(the Supreme Energetic)、主クリシュナに引き寄せられます。半神の崇拝は、間接的で劣っていて、そして非体系的な、至高主の崇拝です。

自分の物質的な欲望を満たすことに過度に執着している者たちは、自然に、エネルギー的なもの、そのエネルギーの源よりも、エネルギーにもっと魅了されます(訳注:エネルギーの源よりもエネルギーそのものに)。そのためバガヴァッド・ギーター(7.21~22)において主クリシュナはこうおっしゃいます。

(サンスクリット引用)

「私は超魂としてすべての者の心臓の中にいます。人が何らかの半神を崇拝したいと欲すれば、直ちに、彼が自分自身をその特定の神(deity)に捧げられる(to devote)ように、私は彼の信仰(faith)を堅固(steady)にします。

そのような信仰を授けられ(to be endowed with)、彼は特定の半神を崇拝する努力をし、自分の欲するもの(desires、通常は単数形)を得ます。しかし実際には、これらの恩恵(benefits)は私だけによって授けられます。」

第8段落
半神の力は、王の役人(officers)のそれのようなものです。ジーヴァ、(すなわち)微細な(minute)生命体であるので、半神たちは何の独立した力も持ちません。王の役人は王によって彼に授けられた(to be invested)力のおかげで(because of)、何らかの恩恵(favor)を授けることができます。

同様に、至高主が半神に幾らかの力を与えたので、半神は自分の信者(worshipper、崇拝する者)に恩恵を施す(to shower、浴びせる)ことができます。もしも欲望に満ちた半神崇拝者が、自分が崇拝する半神は主クリシュナの恵み(grace、慈悲)によって自分の欲望を満たしている、という事実に関して少し知れば(to become a little enlightened)、それなら明瞭な知性をもって彼は主クリシュナを直接崇拝し始めるでしょう。

第9段落
異なる半神は異なる力を持っています。太陽神は病を癒す力を持ち、月の神は植物に味と栄養、あるいは医学的な力(訳注:薬用となる力、成分)を与え(to imbue、満たす、染める、育むなど)、女神ドゥルガーは力と勇気を与え、女神サラスヴァティーは学識(learning)を与え、女神ラクシュミーは富を授け、女神チャーンディーは人に肉と陶酔物を消費する機会を与え、そしてガネシャは人の努力における成功を与えます。

しかし、これらすべての力は至高主によって半神の中に授けられており、そしてそのため、主、完全な全体だけがすべての種類の恩恵を授けることができます。井戸と海の間には計り知れない違いがあります。

第10段落
私たちは既に、世界の中のすべてのものは主のクシェトラ・シャクティ(主の劣性なるエネルギー、「活動の場」からなる)と、主のクシェトラジニャ・シャクティ(主の優性なるエネルギー、すなわち「場を知るもの」)の相互作用によって作られた、という点に触れました。

従って、この世界の中のすべてのものは、単に主クリシュナのエネルギーの変容です。ある意味では、エネルギー原則とエネルギー的(なものの)原則は異なるものではありません。ちょうど、火とその燃やす力が切り離され得ず、異なるものではないようにです。

不幸にして、非人格主義者、一元論的な(monistic)哲学者たちは、主のエネルギーの変容に関する彼らの誤って導かれた意見をもって、世界に破壊をもたらしました(to wreak havoc、大惨事)。

第11段落
半神と他のすべての生命体は、エネルギー原則に属しており、物質自然そのものも同様です。主と主の完全(plenary)拡張体だけがエネルギー的な原則の区分にあります。このように(Thus)エネルギーとエネルギー的なものは一つであって、異なります。

主と主のエネルギーの、同時の、計り知れない一体性と相違、というこの精妙な(subtle)原則を理解(to grasp、ことの本質を理解する)できない者は、必ず非人格者、すなわちマーヤーヴァーディーへと堕落するでしょう(to degenerate)。

彼は強制的に献身の道から外され(to be forced from ~)、沈黙するでしょう(to become silent)。至高主、すべての富の源は、エネルギー的な原則です。もしも私たちが主を非人格的であると考えるなら、それなら私たちは主の完全性を制限します。

「至高の完全(Supreme Absolute)」という言葉(words)は主クリシュナだけに当てはまります。主は至高の完全原則、比類するものなく、超えるものもありません(unequalled and unsurpassed)。そのためヴェーダは、主は「唯一無二」であると言います。

主のエネルギーは様々な形で顕現し、そしてこれらの様々な顕現によって惑わされる(to become bewildered)者は多神論者(polytheists)となる結果になります。何であれ、私たちが宇宙の中に見る多様性は至高主の多様なエネルギーの変容に過ぎないということが、すべての人にとって明らかであるべきです(it should be clear to all)。
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by ammolitering4 | 2014-10-11 15:02 | 「英知による放棄」 | Comments(0)
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