第2章 最後まで

第19段落
しかし、この完璧な認識への道は、マーヤー、打ち勝ちがたい(insurmountable、克服するのが難しい、あるいは不可能な様子)物質エネルギーによって引き起こされる障害(hindrances、妨害)を伴います(to be fraught with)。このことに関して、人はこう尋ねるかもしれません。

「もしも主クリシュナに奉仕をすることによって人が自動的にすべての従属的な(subsidiary、補助、副次)義務を果たす(to discharge)ことができるなら、それならなぜ世界中のすべての人が主クリシュナに服従して主を至高の完全存在として崇拝しないのですか?

世界のほとんどすべての人は、大なり小なり(more or less)、神は二人あるいはそれ以上ではなく、一人だけだということに同意します。それでも、その唯一無二の(one and only)至高の人格、主クリシュナがこの真理を宣言するために個人的においでになるとき、なぜ人々はまだ、主に服従するのを拒否するのですか?

おそらく、文盲で無知な者は主クリシュナの優越性(supremacy、主権、至上性)を受け入れることができず、したがって主に服従しないというのは理解できます。しかし、聖典を広範に渡って(extensively)議論し、それでもなお主クリシュナの蓮の御足により頼まない、大勢の学識ある(erudite)学者、哲学者、そして社会の指導者たちがいます。なぜでしょうか?」主ご自身がご自分のバガヴァッド・ギーター(7.15)においてこの質問にお答えになります。

(サンスクリット引用)

「ひどく(grossly、悪いことの程度が著しい状態)愚かであり、人間のうちで最も低く、その知識が幻想によって盗まれ、そして悪魔の無神論的な性質を帯びた(to partake)それらの悪党たち(miscreants、不信心者)は、私に服従しません。」

第20段落
悪魔的な精神性を持った人々は決して至高主に服従しません。いつも2種類の人間が存在していました。良い、敬虔な人間と、非敬虔な堕落者(reprobates、道楽者、無頼漢)です。これらの2種類の人々はいつも、すべての国と、そして歴史上のいつの時代でも存在します。

敬虔な人々は神の法に従い、そして徐々に上げられます。他方で、非敬虔な人々は気まぐれに(capriciously)神の法を見せびらかし(to flaunt)、独立的であろうとします。(訳注: to flauntは誇らしげに振りかざすことを指します。したがって、ここでは「非敬虔な人々は自分で独自に考えたことを神の法だと言い張る」という意味だと思います。)

人種的な紛争(strife)、内戦(civil wars)、暴力的な革命、そして世界大戦は、現代において非常によくあることで、すべて非敬虔な人々の気まぐれでわがままな性格によって引き起こされます。

第21段落
敬虔な人々はどの国にでも住んで彼らの聖典の教えに従うことができ(訳注:「彼らの」は、この場合は「自分たちの」を指し、「その国の」ではないと思われる。原文は~ can live in any country and adhere to the instructions of their scripture)、あるいは他の国の他の敬虔な人々と関わって知識と認識を交換することができます。

結果として、これらの完全真理の探求者たちは、主クリシュナが至高の人格神であると、確かに知覚することができます。他方で、罪深い人々は一つの関心ごと(interest)を持っています。自分の利己主義的な熱望(egoistic cravings)を満足させることです。

彼らは宗教の先導者(vanguards、先鋒、前衛、アヴァンギャルド)である振りをするかもしれません(to make a show of~)が、この見かけ(facade)の背後で、彼らは自分たちの不埒な(reprehensible、非難すべき)活動を続けます。

彼らは自分の生まれついた宗教(the religion of their birth)の神聖(sanctity)をそしり(to vilify、けなす)、自分の国の利益(interest)に反することをします(to go against)。彼らの自己中心的な暮らしは、彼らが人間の振る舞いの一般的なエチケットに従うことさえも妨げます(to preclude、不可能にする)。

(彼らが)自分の人生を主クリシュナへの献身奉仕に捧げることについては、何をか言わんや?そのような悪魔的な人々は、毒蛇よりも危険です。

第22段落
一般に、ひどい愚か者と無知な結果を求めて働く者たちは、至高主に服従しません。そのような人々は決して完全真理について考えません(to enquire into~、調査、問い合わせ)。彼らは決して「神とは誰だろうか?」、「この世界とは何だろうか?」、「私は誰だろうか?」、「なぜ私は一生ロバのように働いているのだろうか?」、あるいは「私の努力の結果は何だろうか?」などの質問をしません。

ロバは一生、ただ一握りの草のために洗濯屋の重荷を担いで奴隷のように働きます(to slave)。同様に、カルミー(結果を求めて働く者たち)は、単に食べ物と他の必需品の供給を確保するために、疲れを知らずに骨折って働きます(to toil、継続的な労苦)。

ロバは愚かさの象徴です。なぜなら、彼はただ自分の腹を満たし、雌ロバと交尾する(to copulate with ~)ためだけに一所懸命働くからです。ですから、愚かな(asinine、ロバのような)カルミーもまた、愛情と執着から、自分の家、そしてさらには彼らが崇拝に値すると考える、自分が生まれた国を維持するために苦労して、疲れを知らずに働きます。

家では、カルミーの唯一の楽しみの源は、彼のために料理し、彼の惨めな(misery-ridden、-riddenは何かに支配された様子を表す)感覚のために喜びを提供する、彼の妻です。近視眼的なカルミーは、自分自身あるいは自分たちの世界に関する何らの幅広い事柄についても、知りたいとは思いません。

彼らは単に、自分の家庭と身体的な事柄(care、関心事、気がかり、世話)につながれています(to be tethered、鎖をつけて行動を制限する)。そして、人々の感覚的な人生を助長する(to foster、養育)指導者たちは、普通のカルミーよりも大きな(bigger、ひどい)愚か者と悪者です。

したがって、彼らは決してバガヴァッド・ギーターあるいは主クリシュナに触れるようにはなりません(to come in contact with)。「服従する」という言葉は、彼らにとって何の意味もありません。

第23段落
至高主に服従しない人々は、ナラーダーマ、「人間のうちで最も低い者」と呼ばれます。そのような人々は、動物のように振舞って、自分の人間の人生を浪費します(to fritter away、空費、棒に振る)。言い換えると、人がこの稀な人間としての誕生をその実際の目的を達成するために使わず、堕落した活動においてそれを無駄にするとき、彼はナラーダーマと呼ばれます。

物乞いが突然宝を見つけ、それでも物乞いのように暮らし続けるなら、彼は確かに守銭奴(miser、惨めな人)であり、ナラーダーマです。同様に、誰かが人間としての誕生という貴重な(priceless、値段が付けられないほど貴重な様子)贈り物を受け取り、それでもそれを動物のように生きること---単に食べ、眠り、性交し、そして身を守ること---によって浪費する(to squander)とき、それならそのような人はナラーダーマです。

これらの愚か者たちは、より低い種における無数の(many millions)誕生の後で、魂がついに稀な人間としての誕生を受け取るということに気づきません。そして、自分自身を超越的な水準に上げ、完全真理に至り、そして霊的な世界の中の自分のもともとの家に戻るために魂が真摯に努力しなければならないのは、この誕生においてです。

もしもこの人間の人生において、何百万もの前世においてどれほどひどく苦しんだかを知った(to learn)後でさえも、魂が自分の状況を楽にする(to alleviate、苦しみを軽減する)ために何の試みも行わないなら(to make attempt)、それならそのような人は確かに惨めな守銭奴であり、ナラーダーマです。

しかし、もしも人が、ブラーマナの階級に上げられるようになることによって、自己認識のために自分の稀な人間としての誕生を活用しようとするなら、そのとき彼の人生は成功します(his life is successful)。ブラーマナは、生まれによるブラーマナを意味するのではありません。

ブラーマナは、主クリシュナ、ブラーマナたちの主に服従する者です。ナラーダーマは、そうするこができません。したがって、ナラーダーマ(訳注:という言葉)のもう一つの意味は、「献身奉仕を退ける者」です。

第24段落
主クリシュナに服従しない人間のもう一つの階級は、主に頑固に(staunchly、しっかりと、主義や方法に忠実に)反目する(inimical、敵意)悪魔たちです。ラーヴィナ、ヒラニャカシプ、ジャラーサンダー、そしてカムサなどの有名で強力な悪魔の王たちは、学習と厳しい修行(austerities)を通して多くの力を得ました。

しかし、いつも主ラーマ、主ヌリスィムハデヴァ、主ヴィシュヌ、そして主クリシュナなど至高主の様々な化身に挑戦したため、彼らは悪魔として知られています。往々にして、悪魔たちは教育や知性には欠けていませんが、至高主への極悪な(fiendish)精神性のため、彼らの学習と脳の能力(capacity)は無価値(naught)になります。

完全に物質自然の支配(grip、掌握)のうちにあるので、彼らの能力は究極的には彼らから取り去られます。悪魔たちの失敗の理由は先に述べられています。もしも人が主クリシュナに服従しないなら、物質自然を克服する(to surmount)ことは不可能です。

第25段落
クリシュナの献身者を苦しめることは(to torture、拷問)、主ラーマと主クリシュナは死ぬ運命にある普通の存在(ordinary mortals)なので自分たちを罰することはできない、と考える悪魔たちの関心事(preoccupation、没頭する事柄)です。

そのため悪魔たちは、自分たち自身(they themselves)、主ラーマと主クリシュナと同じくらい学識があって知性的であると結論します。ナヴァドヴィーパの無神論的な学徒たちは、主チャイタンニャは普通の人間だと考えました。

そしてそのため、彼らの尊敬を勝ち取るために、主は(訳注:俗世を)放棄していて厳格な(austere)、人生のサンニャーサの階級を受け入れられました(the renounced and and austere sannyasa order of life)。

このようにして主は、ご自分を神聖なる寛大さ(magnanimity)の化身(personification、権化、人格化)としてお見せになりました。悪魔たちはいつでも(invariably、常に、例外なく)物事を混乱させます。彼らは人間を神として崇拝し、神を人間と呼びます。

バガヴァッド・ギーター(9.11)において、主はそのようなひどく愚かな人々を適切に(fittingly)描写なさいます。(サンスクリット引用)「愚か者は、私が人間の形で降臨するとき、私をあざ笑います(to deride)。」

悪魔たちの学習、知性、そして称号は、毒蛇の頭(hood、傘のように広がったコブラの頭部)の上で輝く(to glitter)宝石のようなものです。蛇の頭の上の貴重な宝石の存在は、彼の毒液(venom)を減らしません。

同様に、悪魔の学識(erudition)、知性、そして称号は彼の悪魔らしさを減らすことはなく(~do not make him less of a demon)、そしてそのため、彼は毒のある(venomous)蛇と同じくらい恐ろしい(horrendous、ひどく悪い)のです。

第26段落
死体を飾ってそれを華やかさ(pomp、無駄な飾り)と共に葬式の薪(pyre、火葬のために積み上げた薪壇)に持って行くのは、確かに娯楽のためだけの目に余る見せびらかし(flagrant display)に他なりません。

一般の人々は、至高主の極悪の(arrant、途方もない)競争者である悪魔の上に栄誉(accolades)と
学究的な学位(degrees)が積み重なっているとき、同様に騙されます。現代の大学で若者たちに授けられる無神論的で悪魔的な教育は、単に称号を持った悪魔たちの集団(a bunch of demons、束)を作り出しています。

このことの証拠は、アリガー大学のガーグ学長が、ある学生たちにょって殺された最近の事件です。ウッター・プラデシュ州全体が衝撃を受け、この危険な(vicious、悪意のある)行いを徹底的に調査しました(to open a probe)。

州知事は指導者たちと教師たちの会議を召集しましたが(to call for)、過去にはすべてのそのような会議は同じ残念な結果(frustrating fate、挫折、失敗、落胆の運命)に遭いました。解決策がない、というものです。私たちは、現在の会議もまた、失敗に終わると考えます。

社会における悪魔的な精神性を根絶する(to eradicate)唯一の方法は、クリシュナ意識の科学を教えることです。悪魔たちによってもたらされた(to be wreaked、損害を生じさせる)すべての大惨事(disaster)と堕落(corruption、腐敗)を考慮すると(to take note of)、クリシュナ意識の科学を学んで教えることは、世界のすべての市民の道徳的な責任です。
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by ammolitering4 | 2014-05-20 10:57 | 「英知による放棄」 | Comments(0)
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