第2章 18段落まで

第13段落
このように、この物質世界の中のすべての現象は、単に至高主の優性なる霊的エネルギーと主の劣性なる物質エネルギーとの相互作用(interactions)です。物質エネルギーはクシェトラ、すなわち活動の場として知られ、そして霊的エネルギーはクシェトラ・ジニャ、すなわち活動の場を知る者として知られます。

生命体のすべての異なる種、そして(with)それぞれの様々な特徴は、クシェトラとクシェトラ・ジニャの相互作用によって作られます。エネルギー的な原則、これらのエネルギー両方の統御者は、至高の人格神、クリシュナです。

主は、この宇宙の顕現の創造、維持、そして破壊の究極の原因として認識されねばなりません。主はバガヴァッド・ギーター(7.6~7)において次のようにおっしゃいます。

(サンスクリット引用)

「すべての創造された存在は、その源をこれらの二つの自然(主の劣性および優性なるエネルギー)のうちに持っています。この世界の中の物質的であるものすべて、そして霊的であるものすべてについて(of)、私が源でもあり消滅(dissolution、溶解、滅亡)でもあると、確かに知りなさい。

おお、富を征服する者よ、私に優る真実はありません。真珠が糸でつながっているように(as pearls are strung on a thread)、すべてのものは私により頼みます(to rest upon)。」

第4段落
ブラーマンに関する、私たちがヴェーダから聞く様々な引用(訳注:ヴェーダの中にある、ブラーマンに関する様々な叙述)---エカム・エヴァードヴィティーヤム・ブラーマナ:「ブラーマンは唯一無二である」、

ネハ・ナーナースティ・キンカナ:「これの他には何も存在しない」、サルヴァム・カールヴ・イダム・ブラーマ:「すべてのものとすべての場所(everything and everywhere)はブラーマンである」、アハム・ブラーマースミ:「私はもともと(by nature、生来)ブラーマンである」など---は、その結論を上に引用したバガヴァッド・ギーターからの節において見出します。
(訳注:~など様々な叙述がありますが、それらすべての結論は~に集約されています。)6つの超越的な富を完全な水準で備えた至高主は、最高の統御原則です。主に等しい、あるいは優る名士(personality)は他にありません。

主クリシュナはこの点を、「私に優る真実はありません」と言うことによって、そしてそれからご自分がどのようにどこにでも存在していて、ご自分のあまねく存在する(all-pervasive)エネルギーを通してすべてのものと密接に関わっているか、ということを説明することによって、確認なさいます。(訳注:構文がややこしいですが、「どのように」はそれに続く2つの項目に掛かります。)

第15段落
物質自然は、主のエネルギーの変容(transformation)の結果です。エネルギーとエネルギー的なものの両方が計り知れず(inconceivable)、それらは同時に一つであり、異なっています。そのため(Hence)、サルヴァム・カールヴ・イダム・ブラーマ(「すべてのものはブラーマンである」)という句は、事実、すべてのものは至高主の物質的および霊的なエネルギーの変容から成るということを宣言します。

主のエネルギーの変容は、至高の完全真理を増しもせず、減らしもしません。そのためブラーマンは変化のないものとして描写されます。そして、劣性なるエネルギーは、ブラーマンの反映に過ぎないため、ニラーカーラ、非人格的です。

第16段落
シュリー・チャイタンニャ・マハープラブは、主と主のエネルギーの同時の一体性と相違(訳注:~は同時に一体であって異なる)という哲学を広められました。最高の深遠な(esoteric、秘儀の)真理は、主クリシュナが至高の完全真理であり、生命体と物質世界の両方が主の従属的なエネルギーである、というものです。

この原理を理解し損ねる者は物質主義者であり、他方で、それを理解し、主クリシュナとの自分の関係を再確立しようとしている者は、解放された魂、主の献身者です。主クリシュナはこれをバガヴァッド・ギーター(7.13-14)において説明なさいます。

(サンスクリット引用)

「3つの相(徳、熱情および無明)によって幻惑され、世界全体が、相を超えていて尽きることのない(inexhaustible、無尽蔵)私を知りません。物質自然の3つの相から成る、私のこの聖なるエネルギーは、乗り越えるのが困難です。しかし、私に服従した者は容易にそれを越えることができます。」

第17段落
好むと好まざる、良いと悪いなどの二重性は、すべて物質自然の3つの相---徳、熱情、そして無明によるものです。これらの相は、すべての制約された生命体をそれらの支配(sway、ゆらぎ、振動、影響力)の下に保ちます。

したがって、制約された魂にとっては、至高主は完全に霊的であるため3つの相を超えていて、そのためパラム・アヴャヤム、完全に無尽蔵である、と理解するのが困難です。主がこれらの単語、パラム・アヴャヤムをお使いになる理由は、主はご自分の超越的なエネルギーを用いて(by means of)すべてのものに染み渡ります(to permeate)が、永遠に普遍で、完全な全体であり続けるからです。

人は、ブラーマン、至高の完全真理は宇宙の顕現全体に行き渡る(to pervade)ので、したがって主は決定的な(definitive)形あるいは人格を持つことができない、と考える間違いを犯すことを避けるべきです。

火から放射している熱はすべての方向に広がりますが、それでも火は不変のままに留まります。同様に、太陽は記憶にないほどの昔から光と熱を放射していますが、それでもそれはその力を少しも失っていません。

そして、太陽は至高主の無尽蔵な力のほんのわずかな部分を持っているに過ぎません(to possess but a minuscule fraction)。それでは(So)、主の力が変容したり減ったりすることについて、何の問いがあるでしょうか(what question is there)?(訳注:~することがあり得るでしょうか?)

(訳注:「変容」については第15段落に「物質自然は、主のエネルギーの変容(transformation)の結果です。」とありますが、この場合は同じ単語を使ってあっても意味は違うものと思われます。)

主のエネルギーは、火の熱と光のように、どこにでも広がりますが、それでも主のエネルギーはいつでも決して減り(to diminish)得ません。そのためバガヴァッド・ギーターにおいて主は、ご自分をパラム・アヴャヤム、無尽蔵、至高のエネルギー的な原則と描写なさいます。ヴェーダは主を次のように描写します。

(サンスクリット引用)

「何であれ完全な全体から作られるものは、それ自身もまた完全です(also complete in itself)。主は完全な全体でいらっしゃるので、非常に多くの完全体(complete unit)が主から放射するにも関わらず、主は完全な均衡を保たれます。(イーショパニシャッド、祈り)」

第18段落
至高主ご自身のように、自分自身を物質エネルギーの催眠的な(mesmerizing、魔法のように魅了し続ける様子)支配(grip、掌握)から自由にして主に近づくための過程もまた、唯一無二です。ちょうど、太陽を見るための唯一無二の方法は太陽光の助けによってであるように、至高の人格、主クリシュナを見るための唯一の方法は、太陽のようなクリシュナご自身の光(illumination、照明、啓蒙)によってです。

主の蓮の御足に服従し、主に愛情ある献身奉仕をすることによってのみ、人は主に近づくことができます。身体的な努力(strain、骨折り、重い負担)を通しての結果を求める(fruitive)活動も、精神的な体操(gymnastics)を通しての推量的な知識も、人が神意識の最高の完成を得るのを助けません(訳注:~の助けにはなりません)。

バークティ、すなわち献身を通してのみ、至高主に到達し得ます(can be achieved)。推量的な知識と神秘的なヨガは、最良でも人に完全真理の部分的な認識を---つまり、それぞれブラーマンとパラーマートマー(超魂)の認識を与える(to accord、許可などを与える)だけです。

人が至高の人格神、クリシュナ、永遠性と知識と喜びの体現を直接(face to face)知覚することができるのは、唯一、バークティという方法によってのみです。昇る太陽が夜の暗闇を追い払うとき、すべてのものがはっきりと見えるようになります。

同様に、クリシュナという太陽が人の意識の地平線の上に昇るとき、マーヤー、幻想エネルギーの地獄のような陰鬱さ(stygian gloom、stygianは地獄、暗黒、陰鬱、非道などの様子、gloomも同じく陰鬱さを指す)は追い払われ(to drive away)、すべてのもの(objects)のもともとの形がはっきりとした(distinct)焦点のうちにきます(訳注:~がはっきりとします)。このように、完全真理に関する(of)完全な知識と認識は、ただ至高主への献身を通してのみ来ます。
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by ammolitering4 | 2014-05-16 15:21 | 「英知による放棄」 | Comments(0)
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