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第8章 1-Bまで

8-1-A 罪人アジャーミラが救われる
(訳注:見出し番号は便宜のために訳者がつけたもの。)

第1段落
このことに関して、シュカデヴァ・ゴスヴァーミーは、シュリマッド・バーガヴァタムの6巻(6.2.17)においてアジャーミラの話を語られます。彼は立派(fine、申し分のない)で忠順な(dutiful、本分を守る)ブラーマナとして人生を始めましたが、若い大人だったころ(in his young manhood)、売春婦によって完全に堕落してしまいました(to become corrupted)。

その不道徳な(wicked、不正な)人生の最後に、単に「ナーラーヤナ(クリシュナ)」という名を呼ぶことによって、彼は、非常に多くの罪にも関わらず、救われました。シュカデヴァは、罪深い活動を相殺する(to counteract)ために禁欲(austerity)、慈善(charity)、そして儀式を行うことが勧められているが、若いときのアジャーミラの場合のように、それらを行うことによっては人は心臓から罪深い欲望の種を取り除くことはできない、と指摘なさいます。

罪深い欲望の種は、クリシュナ意識を得ることによってのみ、取り除かれ得ます。そしてこれはシュリー・チャイタンニャ・マハープラブによって勧められているように、マハーマントラ、すなわちハレ・クリシュナ・マントラを唱えることによって非常に簡単に達成され得ます。言い換えると、献身奉仕の道を受け入れない限り、人はすべての罪深い反応から100%清められる(to be clean)ことはあり得ません。

第2段落
ヴェーダの儀式的な活動を行うことによって、慈善においてお金を与えることによって、そして禁欲を行うことによって(to undergo、苦難や変化を経験する、耐える)、人は一時的に罪深い活動の反応から自由になることができますが、次の瞬間に人は必ず再び罪深い活動に携わるようになります(must)。

例えば、性生活に過度にふけったことによって性病(venereal disease)に苦しんでいる人は、治療において何らかのひどい痛みを受けねばなりません。そして、そうすれば彼はしばらくは(for the time being)癒されます。

しかし、自分の心臓から性的な欲望を取り除くことができないので、彼は必ず再び同じものにふけり、同じ病気の犠牲者になります。ですから、治療はそのような性病の苦しみから一時的な解放(relief、安堵、痛みの除去)を与えるかもしれませんが、人が性生活は忌まわしい(abominable)と理解するように訓練されない限り、そのような繰り返す苦しみから救われることは不可能です。

同様に、ヴェーダにおいて勧められている、儀式を行うこと、慈善、そして禁欲は、人が罪深いやり方で活動することを一時的に止めるかもしれませんが、心臓が清められていない限り(clear)、人は何度も何度も罪深い行いを繰り返さねばならないでしょう。

第3段落
シュリマッド・バーガヴァタムにおいて与えられているもう一つの例は、湖に入って非常に真剣に水浴びをして自分の体を完全に(thoroughly)きれいにしている象に関するものです。それから、岸に上がれば直ちに、彼は再び地面(the earth)から幾らかの埃(dust)を取り、それを自分の体にかけます。

同様に、クリシュナ意識において訓練されていない者は、罪深い活動への欲望から完全に自由になることはできません。瞑想的なヨガの過程も、哲学的な推量も、結果を求める活動も、罪深い欲望の種から人を救うことはできません。献身奉仕に携わっていることによってのみ、これはなされ得ます。

第4段落
シュリマッド・バーガヴァタムの4巻(4.22.39)には、もう一つの証拠があり、そこでサナット・クマーラはこう言います。「我が親愛なる王よ、人間の偽りの自我は非常に強いので、まるで強い縄で縛られたように、それは彼を物質的な存在の中に保ちます。献身者だけが、自らをクリシュナ意識に携わらせることによって(訳注:~に携わることによって)、この強い縄の結び目を非常に簡単に切る(to cut off)ことができます。

クリシュナ意識でなく、偉大な神秘主義者や偉大な儀式を行う人になろうとしている他の者たちは、献身者のように発達することができません。したがって、偽りの自我の固い結び目と物質的な活動における携わりから解放されるために、自己をクリシュナ意識の活動に携わらせることは(訳注:~に携わることは)、すべての人の義務です。

第5段落
偽りの自我のこの固い結び目は、無明によるものです。人が自分の自己認識(identity)に関して無知である限り、彼は必ず誤ったふうに活動し、そうして物質的な汚染の中に絡まるようになります。この、事実を知らないということ(this ignorance of factual knowledge)もまた、パドマ・プラーナの中で次のように確認されているように、クリシュナ意識によって消され得ます(to be dissipated、霧や恐怖などを晴らすように消す)。

「クリシュナ意識における純粋な献身奉仕は最高の悟り(enlightenment)であり、そのような悟りがあるとき、それはちょうど、すべての縁起の悪い欲望の蛇を殺す、燃えさかる山火事(forest fire)のようです。」このことに関して、山火事があるときは広範な炎(extensive blazing)が自動的に森のすべての蛇を殺すという例が挙げられています。

森の地面の上にはたくさん、たくさんの蛇がいて、火事になるとそれは乾いた葉(foliage、草木の木の葉全体を指す)を燃やし、蛇は直ちに攻撃されます。4本の脚を持つ動物は火から逃げる(to flee)ことができ、あるいは少なくとも逃げようとすることができますが、蛇は直ちに殺されます。同様に、クリシュナ意識に燃えさかる炎は非常に強いので、無明の蛇は直ちに殺されます。

8-1-B クリシュナの約束

第1段落
物質世界の中のすべての者は不安(anxieties)に満ちています。それが物質的な存在の性質です。次から次に問題がやってきます。ですから、もしも誰かが私たちに「ただ、私に頼りなさい。私はあなたのすべての問題を解決してあげましょう」と約束するなら、私たちはどれほどの安堵を感じるでしょう!ただ、想像してください!

もちろん、私たちはそれを信じないかもしれません。もしも誰か普通の人間が私たちに「心配するな。私はあなたのすべての問題に責任を持つ(I will take charge of all your affairs)」と言うなら、私たちはそうするための彼の能力を疑うかもしれません。

なぜなら、私たちは彼の限界を知っているからです。しかし、クリシュナが「私は責任を持ってあなたの面倒を見る(I will take charge of you)」とおっしゃるとき、私たちは主のお言葉に完全な信頼(faith)を持ち、大いなる安堵を感じるでしょう(should)。

クリシュナは普通の人間(man)ではありません---主は万能の(all-powerful)至高の人格神です。主はヨゲシュヴァラ、すべての神秘的な力の主(master)であり、主は完全真理です。したがって、主がバガヴァッド・ギーターにおいて「自分の問題を解決するための他のすべての試みを放棄し、ただ私に服従しなさい。私はあなたに責任を持ち(will)、あなたのすべての罪深い反応を無にします(to nullify)」と約束なさるとき、私たちは自分のすべての罪深い活動の反応から解放されると確信するでしょう(we should feel assured、納得、安心)。

(図)苦しみの循環
アヴィデャー(無明)
ビージャム(罪深い欲望)
クータム(罪深い傾向)(disposition、気質)
パーパム(罪深い活動)
アプラーラブダー(顕現していない反応)
プラーラブダー(顕現した反応)
苦しみ
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苦しみの根源的な原因はアヴィデャー、主クリシュナの永遠の従者としての自分の(our)本当の自己認識を知らないこと(ignorance)です。この無知(無明)のため、私たちは感覚の対象に触れると(in contact with~)罪深い欲望(ビージャム)を得がちです。

これらの欲望に基づいて(on)活動するとき、私たちは罪を犯します(パーパム)。罪深い反応は、最初は顕現していませんが(アプラーラブダー)、やがて(over time)(前世や来世までも含め)(even over lifetimes)、罪への反応は苦しみ(プラーラブダー)および更なる罪を犯す傾向(クータム)として顕現します。バークティ、すなわちクリシュナ意識の過程は、これらすべての苦しみの段階を相殺します(to counteract)。
by ammolitering4 | 2014-04-08 14:06 | 「永遠の愛の術」


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