第1部 第9章 最後まで

第26段落
カルマ・ヨガについては何をか言わんや。八重のヨガの下位の(lesser)修行法においてさえ、ヨギーがサマーディーという目的地に至る道で為すいかなる進歩も、たとえ彼が一度の人生に究極の目的地に至れなかったにしても(although he many not reach~)無駄にはなりません。次の人生(next life、来世)で彼は進歩を続けます。

対照的に、結果を求めて働く者が死ぬとき、何であれ彼が得た富と教育は、それらを得るために為された努力と共に、すべてがゼロ(null、無効)で無(void、虚無)になります。純粋なカルマ・ヨギー、すなわち献身者に関して言えば、彼の献身的な活動はすべて心と体の水準を超えています。

それらは魂と至高の魂(the Supreme Soul)に関わっており、そしてそのため彼の活動は彼の純粋で永遠な魂の富になります。ちょうど魂が決して体の崩壊と共に滅ぼされることがないように、そのためこの献身奉仕という(of)富は決して価値を失いません。

そのためバガヴァッド・ギーターは、カルマ・ヨギーはいつも自分の魂の利益と上昇のために働く、そしてこの努力とその結果は今世と来世において恒久的な霊的な財産であり続ける、と述べます。これらの霊的な財産は、決して失われません(to liquidate、倒産して資産を整理する)。

主クリシュナはバガヴァッド・ギーター(6.40)においてこうおっしゃいます。「プリターの息子よ、縁起の良い(auspicious)活動に携わる超越主義者は、この世界においても霊的な世界においても、破滅を迎える(to meet with destruction)ことがありません。善を為す者は、我が友よ、決して悪によって打ち負かされません。」

第27段落
人間は二つの部類に分けられます。法に従う者たちと法を破る者たちです。自分の感覚を満足させることだけを気にして規律(discipline)や法律に従わない者は、全く統御されておらず、動物のようです。そのような統御されていない人が文化的であろうがなかろうが、教育があろうがなかろうが、弱かろうが強かろうが、彼の行為はいつも動物的(bestial、獣のような、野蛮な)です。彼らは決して誰にも利益を与えることはできません。

第28段落
法に従う人間は、さらに3つの部類に分けられます。カルミー、すなわち結果を求めて働く人々、ジニャーニー、すなわち知識を探し求める人々、そしてバークタ、すなわち献身者です。カルミーは二つの区分に分けられます。サカーマ・カルミー、すなわち自分の労働の結果を楽しみたい結果を求めて働く人々、そして、行為の結果を放棄するニシュカーマ・カルミーです。(訳注:文字の区切りが分かりにくいですが、「結果を求めて働く人々」が一つの区切りです。)

サカーマ・カルミーは、取るに足らない、つかの間の幸せを貪欲に追い求めます。彼らは自分の俗的な活動において進歩し、来世で(in the life hereafter)天国的な惑星を楽しみますが、その楽しみのすべては一時的です。したがって、魂の本当の利益は彼らを避けます(to evade)(訳注:~は得られません)。

第29段落
物質的な呪縛の消散(dissipation)の後でのみ来る、本当の永遠の幸せを得ることは、魂にとって本当の利益です。そのため、この至高の目的地---永遠の超越的な幸せ---を魂が追い求めることに繋がらないあらゆる道は、役に立たないと考えられます。

永遠の喜びが儀式的な活動(カルマ・カーンダ)の目的地であるとき、そのときそれらはカルマ・ヨガに変わります(transformed)。カルマ・ヨガの実践を通して、心は物質的な汚染から清められ(purified of~)、そして人は完全存在に関する(of)知識を得ます。

その後、人は完全存在への(on)瞑想に位置するようになり、そして最終的に人はバークティ、純粋な献身奉仕に至ります。カルマ・カーンダの過程において、人は一時的に(for a time)身体的な喜びを放棄することが勧められます。そのため、カルミーは時として苦行者(ascetic、禁欲主義者)と呼ばれるかもしれません。

それでも、カルミーがどれだけ苦行を行おうと、究極的にこの苦行は感覚的な喜びのもう一つの形です。なぜなら、それがその究極の目的地だからです。悪魔もまた、自分の力を増すために苦行を行いますが、それはすべて単に自分の感覚を楽しむためです。

生命体がいったん感覚的な喜びを追い求める段階を超越すると、彼は簡単に、全ての点において(in all respects)善(good)であるカルマ・ヨガの段階に来ます。そのような人だけが社会に利益を与えることができます。

第30段落
カルマ・ヨギーがこの人生(this lifetime)において為す霊的な発達は完全なままで(intact、損なわれない)留まり、そして彼は来世においてその時点(point)から続けます。バガヴァッド・ギーター(6.43)において主クリシュナはおっしゃいます。

「そのような生を受けて、彼は前世の神聖な意識を蘇らせ、そして再び完全な成功を得るためにさらなる発達をしようとします、おお、クルの息子よ。」次の生において、不成功に終わったヨギーは敬虔なブラーマナあるいは裕福な商人の家庭に生まれるかもしれません。

ヨガにおける失敗について語るとき、私たちはカルマ・ヨギー、デャーナ・ヨギー、そしてジニャーナ・ヨギーを指しています。これらの道を辿る者の中で、カルマ・ヨギーは純粋な献身者になるのに一番近いところにいます。彼は自分の活動を至高主への奉仕に捧げたからです。徐々に、このように活動することで、彼はバークティ・ヨギーになります。そのようなヨギーは最も高い階級にあり、そして彼は他のすべてのヨギーを教え導く資格があります(fit to instruct)。

第31段落
バガヴァッド・ギーター(6.47)で主クリシュナはおっしゃいます。「そして、すべてのヨギーの中で、いつも私の中に留まり、大いなる信仰(faith)があり、自分の中で私のことを考え、そして私に超越的な愛情ある奉仕をする者---彼はヨガにおいて私と最も親密に結びついており、そしてすべての者のなかで最も高い者です。それが私の意見です。」

第32段落
結果を求めて働く者は、ヨギーのうちには数えられ得ません。本当のヨギーは、カルマ・ヨギー、ジニャーナ・ヨギー、アシュターンガ・ヨギー、そしてバークティ・ヨギーです。事実としては、彼らは異なる名前を与えられてはいますが、同じです。ヨガの過程は、人が完全真理という最終的な目的地にむけて徐々に上がるハシゴのようなものです。

ニシュカーマ・カルマ、すなわち自分の労働の結果を放棄することは、このハシゴの最初の一段です。それに知識と禁欲が加えられるとき、それはジニャーナ・ヨガ、このハシゴの第二の段になります。そして至高存在への瞑想がジニャーナ・ヨガに加えられるとき、第三の段階、すなわちアシュターンガ・ヨガに至ります。

最後に、アシュターンガ・ヨガとともに至高主への愛情ある献身奉仕が実践されるとき、それはバークティ・ヨガに変わります。この段階的な過程全体がヨガです。ヨガという主題の正確で明瞭な叙述のために、4つの段階のすべてが別々に説明される必要があります。

人類にとって最良のものを望む者は、ヨガの道を辿ります(to take to、習慣づける)。ヨガにおいて発達するための過程は、まず、決意と、それぞれの段階での修行を厳しく遂行することを必要とします。人がある段階にしっかりと位置しているとき、彼はそれから次の(next higher)段階に自らを上げるために、その段階の修練(practices)への執着と固守を放棄(to relinquish)しなければなりません。

何らかの理由で頂点に至ることができず、4つの段階のどこか一つで止まってしまった(to get stuck)者は、その特定の段階の名称を得ます。そうして、カルマ・ヨギー、ジニャーナ・ヨギー、アシュターンガ・ヨギー、そしてバークティ・ヨギーがあるのです。

主クリシュナはアルジュナに、ご自分、至高主に愛情ある献身奉仕を捧げる者はすべてのヨギーの中で最も高い者であり、アルジュナはそのため、そのようなバークティ・ヨギーになろうと努力すべきである、とお教えになります。

第33段落
段階的な、順を追った霊的な道は、物質的な世界における順を追った発達と同じではありません。俗的な過程では、発達の規則は厳密であり、飛び越えられ得ません。もしも人が大学で博士号を得たいと望むなら、彼は小学校の段階から始めて徐々に上へ向かって努力せねばなりません。

その前の学校教育無しで直接大学に行くことは不可能です。しかし、霊的な人生では、厳密な規則があるにも関わらず、至高主の恵み(grace)によって、人は多くの中間的な段階を飛び越え、頂点、すなわち「博士号」という段階に至ることができます。

人はこの神聖な恵みを、至高主との親密で絶え間ない関わりによって得ることができます。そしてそのような主との親密な関わりは、至高主の純粋な献身者との内密な関わり(confidential exchange)を通してもたらされます(to come about)。私たち一人一人は、至高主と親密に、そして永遠に関係しています。しかし、マーヤーの悪い影響によって、私たちは主との自分の関係を忘れてしまいました。

第34段落
生命体は主の息子のようなものであり、そしてそのため彼らは自分の裕福な父親の巨大な富の正当な継承者です。しかし、前世で犯した罪への反応のために(because of)、彼らは家を持たず、厳しい貧困に苦しみながらさまよっています。

生命体が苦しんでいるというのは誰の目にも明らかです。しかし、彼らは自分の裕福な父親が誰であるか、あるいは自分の価値ある遺産を受け取る(to reclaim、取り戻す)ためにどこに行けばよいのかを知りません。正しい知識無くして、彼らは無駄に(in vain、徒労に終わる)貧困から逃げ出そうとしています。

貧しい物乞いのように目的もなくさまよいながら、彼らは自分を助けてくれると約束する多くの者たちに出会いますが、最後にはそれらの助っ人たちは自らも物乞いであることが分かります。これらの見知らぬ者たちの中の2~3人は豊かで繁栄しているように見えますが、彼が出す指示は父の家には至りません。

そしてそのため、生命体の貧困には終わりがありません。豊かな見知らぬ人々は、カルマ、ジニャーナ、デャーナなど多くの道を勧めますが、貧困という問題は解決されないままです。生命体は、至高主への献身奉仕の科学を学んで実践することによってのみ、貧困から抜け出すことができます。

至高の人格神でありすべての化身の源であるチャイタンニャ・マハープラブは、プラヤーガ(アッラハバッド)でシュリーラ・ルーパ・ゴスヴァーミーに献身奉仕の科学を説明しました。これらの教えは、すべての人類にとって教えの至宝(crest jewel)です。

シュリー・チャイタンニャ・チャイタームリタ(マデャー19.151)において、主はおっしゃいます。「自分のカルマに応じて、すべての生命体は宇宙全体をさまよっています。一部の者は上位の惑星系に上げられており、別の者たちは低位の惑星系に下がります。

無数の(many millions)さまよう生命体の中で、非常に幸運な者は主クリシュナの恵みによって本物の霊的指導者と関わる機会を得ます。主クリシュナと霊的指導者の両方の慈悲によって、そのような人は献身奉仕のつる草の種を受け取ります。」

第35段落
主クリシュナの慈悲によって、この献身の種はバガヴァッド・ギーターの中で得られます。この献身の種を受け取ることのできる者だけがバガヴァッド・ギーターの解説を理解することができます。そうでなければ、単にバガヴァッド・ギーターを繰り返し読むこととその教えを議論することは、何らの結果も生じさせません。

第36段落
バガヴァッド・ギーターにおいて、主クリシュナご自身がご自分に関する真理を明かされます。普通の、命に限りのある者が自伝を書くとき、彼は多くの賞賛を受け取ります。しかし、至高主がご自分についてお書きになるとき、私たちは不幸にして主のお言葉を完全に信じません。

さらに、私たちは主の文章の中の極めて重要な(cardinal)事柄を見落とし、あまり重要でない(lesser)主題について、でっちあげた含意(connotation)と意味(meaning)を与えることでそれらを拡大しようとして、つまらない議論をします。

この実践はあまりの不条理さ(absurdity、馬鹿らしさ、愚かさ)にまで引き伸ばされているので、もともとの意味が失われ、一方に傾いた(lopsided)結論が読者から嘲笑だけを惹き付けます(訳注:馬鹿馬鹿しいまでに歪んだ拡大解釈がなされているので、本来の意味は失われて一方的な結論が出され、読む人に嘲笑される結果となっています)。

バガヴァッド・ギーターにおいて主クリシュナは、明解に(unequivocally)、ご自分が至高の完全真理であり、ご自分に愛情ある献身奉仕を捧げることがすべての者の義務であると宣言なさいます。バガヴァッド・ギーターは、これらの二つの主要な点を説明するという唯一の目的のために明かされました。

それらを理解する者は、初心者の献身者として霊的な人生を始める資格があります。シュラーッダー、すなわち信仰(faith)は、霊的な人生における最初の必修事項であり、初心者の献身と同義であると描写されています。このため、シュリー・チャイタンニャ・チャリタームリタ(マデャー22.62)にはこう述べられています。

「クリシュナに超越的な愛情ある奉仕を捧げることによって、人は自動的にすべての補助的な活動を行います。献身奉仕の遂行にとって好ましい、この揺るぎない(confident、確信した、自信に満ちた)堅固な信仰は、シュラーッダーと呼ばれます。」

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以上で第一部を終わります。第2部は、、、またそのうち忘れた頃にお届けいたします。。。どうぞ気長にお待ちくださいませ。
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by ammolitering4 | 2013-08-28 15:16 | 「英知による放棄」 | Comments(0)
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