第9章 (第11段落まで)

第9章 至高主の献身者を讃えて

(第1段落)敬虔で聖人的なヴァイシュナヴァは、バガヴァッド・ギーターの正しい(exact)意味を理解します。ギーターの単純な教え(message)は、太陽のように自ら輝きます。その知識は非人格主義の陰鬱な覆い(shroud、死体を包む布)の下に隠されてはいません。

実際は、何らかの代替的な意味を引き出して、それからそれにいわゆる奥義の(esoteric、深遠な、難解な)論文(dissertation、長い学術論文)を与える余地はありません。主クリシュナの献身者だけがギーターの教え(instruction)を完全に心に留める(to take to heart、肝に銘じる)ことができ、そしてそれに従って行動することによって彼らはカルマの循環の恐るべき(awesome)永遠の呪縛から解放されます。

そのような人々は特定の国、人種、あるいは社会に制限されません。主の献身者は彼ら自身の階級に属します---彼らは地理的な制約によって妨げられない霊的な社会を形成します。神は何らの特定の集団の独占物(monopoly)でもありません。

したがって、ギーターの教えは普遍的であるため、誰もが(anyone and everyone)従うことができます。そもそも(after all)、主クリシュナが無条件にこう宣言なさったのはギーター(9.32)においてです。「おお、プリターの息子よ、私に依り頼む者は、たとえ低い生まれの者であっても---女性、ヴァイシャ(商人)、およびシュードラ(労働者)---至高の目的地に至ることができます。」

(第2段落)悪魔たちは、カーストと社会的な区分(division)に関する主クリシュナの言葉を誤解し、それに基づいて気まぐれに(capriciously)振舞います。しかし、これは主クリシュナあるいは主のお言葉を傷つける(to blemish、美や完全さを損なわせる)ことはできません。

バガヴァッド・ギーター(4.13)において、主クリシュナは明らかにおっしゃいます。「物質自然の3つの相、およびそれに関わる仕事に応じて、人間の社会の4つの区分が私によって作られました。そして、私がこの体系の創造者ではありますが、(私は)不変であるために、それでも私は非行為者であると、あなたは知るべきです」(訳注:私はこの体系の創造者ではあるが、不変であるために非行為者である、ということを覚えていてください)

(第3段落)社会の4つの区分---すなわち知識人、管理者、商人および労働者---は、ちょうど人が生得権によってではなく実力(merit、賞賛に値する価値、~にふさわしい優秀さ、功労)のみによって医者や裁判官になるように、生得権ではなく実力によって定められるべきです。

この物質自然の3つの相という世界において、社会的な階層はいつも存在していました。したがって、人の生まれは決して社会における彼のカーストあるいは階級を定めるべきではありません。4つの階級は人の資質(qualification)に応じて作られました。

(第4段落)医者はすべての国と社会にいます(available)。同様に、4つの階級の人々もすべての国と社会に存在します。医者のもとに生まれた息子は必ずしも成長して医者になるとは限りません。同様に、社会の4つの階級の子孫は、彼らの親のそれに応じて彼らの未来の仕事(career)を自動的に固定することはありません。(the progeny of the four classes of society do not automatically fix their future career according to that of their parents. 現実にはそうなっているので、「本来そうなるべきではない」という意味。)

聖典は社会の区分を詳細に、それらの固有の(inherent、本来持っている)特徴と共に描写します。したがって、様々な階級の人々を特定の国や人種に属すると見なすとき、私たちは深刻な間違いを犯します。今日のインド文化は、世襲制のカースト制度によって制限され、井戸の中のカエルのような心の狭い人々によって閉じ込められています(kept in the custody of narrow-minded people)。

もしもその代わりにインドが気高い(noble)ブラーマナにふさわしい寛大な方法(manner)でバガヴァッド・ギーターの超越的な教えを広めていたなら、それならこの世界において平和と落ち着き(tranquility、静穏)はそれほどひどく不足することはなかったでしょう。

ブラーマナの文化の普及(propagation)によって、世界は大いに繁栄したことでしょう。その代わり(instead、この場合「現実には」)、ヴェーダ文化は世襲制のカースト制度を負わされること(imposition、重荷などを負わせること)によって深刻に傷つけられました(to maim、不具になるほど傷つける)。

そしてこれは世界にひどく(grievously、罪や傷が非常に重い様子)不運な(adverse、反対の、不利な)効果をもたらしました。主チャイタンニャとしてのご自分の化身において至高主は、主が魂の宗教とお呼びになるブラーマナの文化を広めることによって、平和な暮らしへの多くの道を開かれました。幸運な者は、主の人生に倣い(to emulate、負けないように熱心に見習う)、主の聖なる教えに従い、そして自分の人生を完成させることができます。

(第5段落)ヴァルニャーシュラマ・ダールマ、すなわち人生の4つの霊的な階級と4つの社会的な階級は、2種類あります。悪魔的なものと超越的なものです。それらの間に共通項はありません。聖典の中で言及されている社会の区分は、いつの時代もどの場所でも存在します。

もしも聖典の知識のある者が様々な社会を詳しく調べるなら、彼は簡単に4つの階級を見て取る(to discern、~であると分かる、識別する)ことができます。様々な程度にブラーマナの、すなわち聖職者らしい性質を持つ人は、ほとんど(practically)すべての社会において見られます。

現代の言葉では、彼らは知識人と呼ばれます。他のすべての階級もまた存在します。したがって、実力に応じた社会の4つの区分は今も昔も将来も(are, were and will be)、どこにでも存在するというのは、確かな(established)事実です。

(第6段落)ブラーマナと他の3つのカーストがインド社会だけに存在すると考える者は、悲しいかな(sadly)間違っています。聖典は、カリ・ユガにおいてはすべての人がシュードラ、すなわち卑しい(menial、主に家庭内の仕事、雑用、熟練の要らない仕事の形容)労働者、4番目の階級の一員として生まれる、と宣言します。

それでもインドには高い、ブラーマン的な性質を授けられた多くの人々がおり、疑いもなく、そのような人々は他のすべての国にも見られます。すべての国に、実力によって定められたこれらの4つの階層の人々がいます。

事実、シュードラ以下の人々---チャンダーラ、あるいは犬食いの人々でさえ、献身奉仕をする機会があります。もしもチャンダーラが主の高められた献身者になるなら、それなら彼の実力に基づいて、彼は他のすべての階層によって尊敬されるべきです。

このことに関して、多くの聖典上の証拠があります。ハリ・バークティ・ヴィラーサ(10.91)には、こう述べられています。「献身者であるチャンダーラは、献身者であるブラーマナと同じ霊的な成功を得ます。」そしてバーガヴァタム(7.9.10)においてプラーラーダ・マハーラージャはおっしゃいます。

「献身者であるチャンダーラは、普通の儀礼的なブラーマナより何倍も高い(elevated)のです。」実に、そのような献身者であるチャンダーラは、ブラーマナのグルであり得ます。これは歴史を通して、低いカーストに生まれたけれど、より高いカーストの人々を教えた(to initiate、初歩を教える、入門させる、奥義を伝授する)多くの霊的な教師(preceptor、教訓者、師)によって示されています。

そのため、カーストは実力と活動に応じて分類されていますが、主の純粋な献身者はこれらすべての分類を超えています。彼は物質的なすべてのものを超越しています。すべてのカーストを超えて上げられた者、聖人は、単にブラーマナとしてだけ崇拝されるなら、どうやって十分に崇拝されるでしょうか?(訳注:~を単なるブラーマナと同じように崇拝して十分だということがあるでしょうか?)

したがって、至高の人格神に依り頼む者は、すべての国で、そしていつの時代でも、すべての幸運の受取人です。バガヴァッド・ギーターは、これを幾つかの箇所で言及しています。

(第7段落)この世界のどの部分に属していても、もしもバガヴァッド・ギーターの中の至高主の教えに従うなら、それなら彼は超越的な水準に至り、ブラーマナよりももっと高く上げられ得ます。主クリシュナはギーター(4.24)においておっしゃいます。

「完全にクリシュナ意識に浸っている者は、彼の霊的な活動への完全な貢献のおかげで、必ず霊的な王国に至ります。その(霊的な活動の)中で、頂点(consummation、到達点、極致)は完全であり、捧げられるもの(that which is offered)は同じ霊的な性質です。」(訳注:「霊的な活動においては、捧げるものも捧げられるものも同じく霊的で完全な性質を持ちます」、とすると自然な日本語になりますが、厳密には列記されているのは「礼拝の対象(頂点)」と「捧げ物」の二つです。)

(第8段落)この節は、人がいかにして、至高主を喜ばせる活動を行うことによって霊的な知識を得ることができるかを説明します。

(第9段落)シュリーパーダ・シャンカラーチャーリャは、「サルヴァム・カールヴ・イダム・ブラーマ」、すなわち「もともと(by nature)すべてのものはブラーマン、霊である」などの節を引用して、非人格主義の理論を定義しました。シャンカラーチャーリャの理論は、確立された聖典の結論に関して大きな混乱(confusion)を引き起こしましたが、この節は明らかに上に引用したギーターの節を裏付けます。(to support)

(第10段落)この時点で、いかにして人が至高主の喜びのために献身奉仕を行うことができるかを論じることが緊急に必要です(urgent)。このことに関して、ジャナカ王などの聖人的な指導者たちがいかに犠牲を捧げる(to perform)ことによってカルマ・ヨガ、すなわち献身奉仕を行ったかということもまた、特筆すべきです。

すべての犠牲の目的は、至高主、ヴィシュヌすなわち(or)クリシュナを喜ばせることであるべきです。物質との接触は、私たちの現在の制約された状態では不可避です。なぜなら、体を維持するため、そして他の目的を達成するための活動を行う中で、私たちは物質自然と密接になるからです。

しかし、もしも私たちがこれらの活動の一つ一つすべてをブラーマン、至高の完全真理への奉仕として行うことによって(これらを)霊化することができるなら、それならこれらの活動はヤジニャ、すなわち犠牲になります。

「サルヴァム・カールヴ・イダム・ブラーマ」というヴェーダの節がこのように解釈されるとき、それは受け入れることができます(acceptable)。言い換えると、人がすべてのものの中に霊的、あるいは超越的、あるは完全なもの(the spiritual or transcendental or absolute)を呼び起こす(to invoke、霊などを呼び出す)とき、そのとき物体はその俗性(mundaneness)を失い、そしてそのとき初めて人は「サルヴァム・カールヴ・イダム・ブラーマ」という節の完全な意味を認識することができます。

ヴァイシュナヴァは、何であれ献身奉仕において主と関わっている(connected)ものは超越的であると言います。言い換えると、それは至高主ご自身、マーダーヴァと違うものではありません(nondifferent)。

ちょうど、長い間ずっと(long and constant touch)火に触れている鉄が鉄の性質を失って火のようになるように、そのため(so)犠牲において完全存在(the Absolute、神)、あるいは超越存在(the Transcendence、神)に捧げられたすべてのものは完全、あるいは超越的になります。

(第11段落)バガヴァッド・ギーター(14.27)において、主クリシュナはおっしゃいます。「そして私は、不死、不滅、そして永遠(immortal, imperishable and eternal)であり、そして究極の幸せの本来的な立場である、非人格的なブラーマンの基盤(basis)です。」

この節は、疑いの余地もなく、ブラーマンが主クリシュナの身体的な光輝であると宣言します。主クリシュナがブラーマンの源であるため、主クリシュナへの献身奉仕は「サルヴァム・カールヴ・イダム・ブラーマ」の本当の意味を確立します。

犠牲はすべての犠牲の材料---捧げ物、火、ギーなど---が主クリシュナとの接触によって霊化される、あるいはブラーマンの段階に至るときだけ正しく行われます。そして、犠牲の行いは主ヴィシュヌへの本当の愛の顕現において極まる(to culminate)ので、主ヴィシュヌへの愛情ある献身奉仕は犠牲の最良の形です。そのような段階は、ブラーマンへの(in)完全な没頭(absorption)としても描写され得ます。
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by ammolitering4 | 2013-07-07 05:51 | 「英知による放棄」 | Comments(2)
Commented by 松村恒 at 2013-07-16 08:30 x
プラブパーダ師のご活動はアメリカ時代があまりにも有名になったので、私は渡米後の著作しか(しかもごく僅か)拝読していません。このたびインド時代の著わされたものを、翻訳なさるのは意義大きいことと思います。もちろん一貫して流れるものは変わりませんが、読者対象としている層が違うので、むしろ私達はこちらから学ぶことが多いかもしれません。眼を開かせて頂いたことに感謝しつつ、御翻訳の進行と共に読ませて頂きます。
Commented by 葉子 at 2013-07-17 12:47 x
インド時代の著作を知る意義は私も大きいと思います。なかなか進まなくて申し訳ありませんが、その分少しずつ味わいながらお待ちください。
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