英知による放棄 第1部 第5章

第5章 平和のための公式(formula)

(第1段落)主クリシュナは、生命体の苦しみの多い状態をご覧になり、彼らの暗い未来を予見なさって、人類のための明白な教えを含んだ、バガヴァッド・ギーターとして知られる聖典を語られました。これらの教えは、物質的な存在の燃え盛る山火事の上に降り注ぐ涼しい(cooling)平和の雨のようなものです。普通の人間の活動は、シュリマッド・バーガヴァタムの中で勧められる活動とは相当に異なります。

この違いを理解することは、私たちにとって非常に大切です。今の時代では(in our times)、(自分は)カルマ・ヨギーであると主張する多くの「結果を求めて行動する者」(訳注:原文は括弧なし)が見られますが、事実は(彼らは)自分の働きの結果を楽しんでいるのが見られます。(訳注:結果を求めて行動し、自分はカルマ・ヨギーだと主張する者が大勢いますが、彼らは実際には自分の働きの結果を楽しんでいます。)

必要とされるのは、この偽りのカルマ・ヨガではなく、主クリシュナがバガヴァッド・ギーターの中で数回説明なさった本当のブッディー・ヨガです。ブッディー・ヨガは「至高主への献身」を意味します。主はギーター(10.10)においてこうおっしゃいます。「愛情をもって私に奉仕をすることに常に献身的である者に対し、私は(それによって)彼らが私のところに来ることができるような理解を与えます。」

したがって、ブッディー・ヨガは至高主に至るための方法であるため、それならブッディー・ヨガは献身奉仕に他なりません。至高主には、愛情ある献身奉仕を通して至ることができます。この事実はよく知られています。そのため主は、バークタ・ヴァツァラ、「ご自分の献身者を特に気にかけられる方」としても知られています。

(第2段落)人がブッディー・ヨガを遂行することを通して選ぶ活動の流れは、まさに人類にとって永続的な平和を得るための方法です。そのような活動の流れは、「天の配剤において」人が休息を見つけるのを可能にします。

私たちは、バガヴァッド・ギーター(第2章39-40)からブッディー・ヨガの真髄をはっきりと理解することができます。「これまでのところ、私は分析的な研究を通してあなたにこの知識を描写してきました。次に(now)、結果(fruitive result)なしで働くことに関して、それを説明するのを聞きなさい。

おお、プリターの息子よ、そのような知識を持って行動するとき、あなたは仕事の呪縛から自分を自由にすることができます。この努力においては、損失や減少はありません。そして、この道におけるわずかな発達は、人をもっとも危険な種類の恐怖から守ることができます。」

(第3段落)サーンキャ・ヨガの過程を通して平和を得ることは、現代の人類にとってはほとんど不可能です。しかし、ブッディー・ヨガの過程、すなわち至高主への愛情ある献身奉仕を通して、平和は容易に得られます。そしてこの平和は最も高い性質のものです。

それは他のどの過程を通して経験される幸せをも、はるかに凌ぎます。献身奉仕に直接繋がっている活動は何らの外的なものによっても妨げられずに花咲き、発達します。人が行う献身的な活動の量はつねにそのまま(intact、損なわれない)です。

それは行為者にとって、決して無駄になることのない(to render futile:futile は「無駄、無益」、to render は「判決を言い渡す」という意味。つまり、「結果的に無駄になる」)恒久的な利益です。わずかな献身奉仕の遂行でさえ、人を最も恐ろしい(the greatest)種類の恐怖から救うのに十分です。

(第4段落)純粋な献身奉仕の過程は一つです。同時に、ギーターはジニャーナ、すなわち分析的な研究、およびカルマ、すなわち結果を求める行動を通してブッディー・ヨガを遂行するための方法を指摘しています。

ブッディー・ヨガが結果を求める活動と一緒に遂行されるとき、それはカルマ・ヨガとして知られます。同様に、それが分析的な研究と一緒に遂行されるとき、それはジニャーナ・ヨガと呼ばれます。そして、ブッディー・ヨガ、すなわち献身奉仕がカルマ・ヨガとジニャーナ・ヨガの両方を超越して完全に純粋になるとき、その献身は純粋なバークティ・ヨガ、すなわち至高主への愛情ある献身奉仕と呼ばれます。

(第5段落)人がこの世界で行う結果を求める活動は、社会的な水準(norm)によるのであれ、あるいはヴェーダの水準(standard)によるのであれ、(様々に)異なる結果をもたらします。そしてさらに(Again)、それらの働きの結果を経験することによって、人は新しい一連の活動とそれらに付随する結果を作り出し、それらは続いて(in turn、今度は、順番に)さらに新しい一連の活動と、「その」(原文は斜体で強調)結果を生じさせます。

これらすべての活動とそれらの結果は、自動的にカルマ・ヨガであると認定される(to label、レッテルを貼る)ことはできません。結果を求める活動を行うこととその結果を経験するという過程は、無限に枝と小枝を伸ばし続ける巨大な木のようだ、ということを私たちは見てとることができます。

その巨大な木の無限の果実を経験する活動の行為者は、ただの一度でも(ever)平和と祝福を楽しむことができるでしょうか?いいえ。したがって、「天の配剤において、人類は何らの休息も得ることができない」と言われます。

この人生(this lifetime、今回の人生)においてさえ、結果を求める働きを行う者は、物質的な存在という木の上に座るので、完全にカルマの循環の中に絡まっています。その結果、魂は840万(校正:ピリオド →コンマ)の種に入って三重の悲惨さに苦しまねばならず、決して何らの休息も平和も見出しません。

(第6段落)それでも人々は、結果を求める活動を放棄することを不可能であると感じます(to find it impossible to~)。そのような活動を放棄したと見せかけるいわゆるサンニャースィーでさえ、それでも、少なくとも自分の空腹を紛らすために多くの活動を行わねばなりません。

シュリーパーダ・シャンカラーチャーリャは、当時の(during his time)サンニャースィーの状態を見て、「人は単に自分の胃を満たすためだけに多くの異なる外観(garb、職業や身分などに特有の身なり)を取る」とおっしゃいました。

そして、すべての活動を放棄しようとすることは解決策ではありません。戦士であるシュリー・アルジュナが戦争をするという自分の義務を捨てたがったとき、至高主クリシュナは彼にこう助言しました。「あなたの定められた義務を果たしなさい。なぜなら、それをすることは働かないことより良いからです。人は働くこと(work)なくしては自分の身体的な体を維持することさえできません。」(BG3.8)

(第7段落)人は決して聖典による認可なくして自分の定められた義務を放棄すべきではありません。なぜなら、それは世界に混沌を生じさせるからです。活動なくして体を維持することは不可能であるため、完全に活動を放棄することは不可能です。

他方で、結果を求める活動とその結果によって繁栄する物質的な呪縛の木は、決して平和への何らの希望ももたらすことはできません。人がどのように活動を行うべきかを至高主が説明なさったのは、この理由のためです。

「ヴィシュヌのための犠牲として為される仕事が行われなければなりません。そうでなければ、(仕事は)この物質世界への呪縛を生じさせます。したがって、おお、クンティーの息子よ、主の満足のためにあなたの定められた義務を行いなさい。そしてこのようにして、あなたはいつも呪縛から自由でい続けるでしょう。」(BG3.9)

(第8段落)活動の結果が人を縛らないとき、それは別の種類の「天の配剤」です。主ヴィシュヌの満足のための犠牲としてのみ、すべての活動を行うことは、活動の結果からの本当の自由、すなわちカルマ・ヨガの本当のあり方(the real art of)です。

このカルマ・ヨガの過程を通して、人は結果(fruitive results)の束縛から自由になり、そして至高主への(人の)生来の、永遠の愛情ある献身が徐々に顕現します。この種類のカルマ・ヨガは、欲望を伴わない活動、すなわちナイシュカルミャ、あるいは言い換えれば、何らの感覚の満足の期待もなく行われる活動とも呼ばれます。このようにして働く者は、自分の活動のすべての結果を、自分で楽しむのではなく至高主に捧げます。

(第9段落)私たちは皆、幾らであれ、自分たち自身と家族を養うのに必要な額のお金を稼ごうとしなければなりません。十分な食べ物がないと、体は弱く、役に立たなくなり、そしてそれから、体は自分の維持のための更なる手段を作り出すことができなくなります(訳注:働けなくなる)。

どちらが原因でどちらが結果かは、判断するのが非常に困難です。結果を求める活動の循環はそのようなものです。何度も生まれ変わりを繰り返す私たちの物質的な存在は(our material existence birth after birth)、結果を求める活動の巨大な循環を巡ることから成ります。

もしも、至高主あるいは主の純粋な代理人の慈悲によって、この回り続ける(turning)輪の只中に捉えられた幸運な魂が自分の苦しみの多い状態を理解することができるなら(訳注:~に捉えられた魂が幸運にも~を理解することができるなら)、彼は自分をこの呪縛から解放する活動を行い始めることができます。
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by ammolitering4 | 2013-05-20 07:30 | 「英知による放棄」 | Comments(2)
Commented by acha at 2013-05-24 21:20 x
これはまた素晴らしい本を見つけてこられましたね♪
有難とうございます!
続きを楽しみに、気長に待っております(^^)/
Commented by ammolitering5 at 2013-05-25 15:37
はい、ほんとに素晴らしいです。お弟子さんの本もいいけど、やっぱりプラブパーダの御本が一番です。数十年前に書かれたのに、今の世界を見ながら語っているような内容です。さざれ石が巌となって苔が生えそうなスピードで進んでますが、いずれそのうち完成させたいと思います。
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