英知による放棄 第1部 第4章

第4章 悪魔的な精神性の原因

(第1段落)悪魔的な精神性にはおびただしい数の原因がありますが、この小論では3つだけ、すなわち熱望(lust)、怒り、および貪欲(greed)を広く調べることにします。(訳注: lust とgreedはどちらも欲を指しますが、前者は色欲などの意味合いが濃く、切望、渇望などの強い欲を意味します。後者は必要以上にたくさん欲しがる貪欲さを指します。)

バガヴァッド・ギーター(16.21)において、主クリシュナはこれらの3つの特徴を、「自己を滅ぼすもの-地獄に至る門」として描写なさいます。

(第2段落)至高の人格神は、すべてのものの唯一の所有者であり、享楽者です。生命体がこの事実を忘れるとき、彼らはこの現象の世界を楽しみたいという強烈な欲求を育みます。しかし、彼らはそのような努力によって完全に満足することはできず、そしてそのため怒りが脹らみます。

うまくいかなかったキツネと「酸っぱいブドウ」の話のように、怒りは不満(frustration、苛立ち)を生みます。そのため、生命体は放棄者の振りをすることを強いられます。しかし、そのような放棄の底には、強欲と、楽しみへの欲望の大いなる炎が燃えています(訳注:楽しみたいという熱望と強欲が渦を巻いています)。

これは物質的な欲望のもう一つの段階に過ぎません。したがって、物質的な(physical、身体的な)喜びの受容と拒絶というこの段階を超越して永遠の自己の水準に位置しない限り、人は主の崇高なお言葉(message)を理解することができません。そして、この理解なくしては、人は悪魔的な精神性を育み続けます。

(第3段落)悪魔的な堕落(depravity、悪行、腐敗)の深みから自己認識の道へと自らを上げるための唯一の方法は、聖典の命令(injunctions、〔禁止〕命令、教え)を学んで、それにしたがって行動することです。聖典の命令に反する、混沌としていて規律のない活動は、欲に根ざしてなされる行いです。そのような欲の行いを通して怒りと貪欲さを根絶するのは可能ではありません。また、本当の幸せと神聖な高み(elevation、高尚さ)を経験することも可能ではありません。

したがって、もしも私たちが霊的な上昇(upliftment)と永遠の平和への道、すなわち「天の配剤において、人類は何らの休息も得ることはできない」という嘆きの中で表されている必要性を見つけることを望むなら、明かされた聖典は私たちの唯一の指針です。単に聖典の命令を遂行することによって、私たちは欲の行いと混沌とした暮らし(living)から自由になることができます。

(第4段落)現在、私たちはカリ・ユガ(*)の只中(in the thick of)に生きています。

(*)カリ・ユガ - 現在の時代(historical age)。(進行的に堕落している4つの時代の永遠に繰り返す循環にあって、4番目にして最後の時代。)

この時代の人々は主に短命で、誤って導かれ、不運で、いつも病気と災難(distress、心身の苦痛、貧苦、災難)で苦しめられています。したがって、彼らにとって聖典の言葉の真価を認める(to appreciate)のは簡単ではありません。

ヒンズー教徒、イスラム教徒、キリスト教徒、仏教徒などの世界の様々な宗教の信者たちは、様々な程度に自分たち自身の信仰の聖典の命令に背き、自分たちの好きなように生きています。多くの人々は、聖典の命令に従うどころか、聖なる文書をあざ笑い、そうして徐々に制限されない感覚の楽しみという悪魔的な人生に滑り落ちます。

至高主と主の献身者は、カリ・ユガの邪悪な影響によって苦しめられているこれらの制約された魂の救済について、非常に心配しています。献身者、すなわちヴァイシュナヴァは最も同情的で聖人的な魂であり、そしてそのため彼らは、堕落した生命体を救いたいと強く望みます。

至高主はいつもこれらのヴァイシュナヴァの望みにお応えになり、そしてそのため主はカリ・ユガのこれらの苦しんでいる魂の救いを求める彼らの祈りを叶えられます(to answer)。

(第5段落)カリ・ユガにおける生命体の悲惨な状況を見て、堕落した魂の救い主である主チャイタンニャは、彼らの救いのための方法を詳しく説明なさいました。この方法は聖典から取られたものであり、誰にでもできます(applicable、あてはまる)。

以前の時代(複数)には、人はヴェーダを学習してそれらの教えに従って生きることによって自分を浄化することができました。しかし、現代の人々にとっては、(性的な)禁欲の誓いを厳しく守ることを含むこれらのヴェーダの命令を正しく遂行することは不可能です。

はなはだしく堕落して罪深い者は、ヴェーダを学習することによって自己認識(realization)への正しい道を見つける、ということができません。正しい躾(up-bringing、養育)と規律に欠けるそのような人々にヴェーダの意味を説明するのは時間の無駄でさえあります。

主チャイタンニャは、これらのカリ・ユガの人々の上に本当に(indeed、じつに、まことに)ご自分の慈悲を注がれました。そのため、主チャイタンニャからのこの慈悲を受け取ることさえできない者が永遠に救いの恵み(saving grace)を得られないのは、疑いようがありません。

主チャイタンニャの慈悲の素晴らしさに気づいた後でそれを受け入れた幸運な魂について言えば、彼らはマーヤーの罰、あるいは「天の配剤」をまぬがれました。しかし、カルマの反応の循環の影響下に来ることに同意し、マーヤーによって乱打(to pummel/pommel about、殴り続ける)されている者のためには、至高主はカルマ・ヨガの過程、すなわち至高主への犠牲という目的を持った結果を求める活動を配剤なさいました。

(第6段落)学識のある賢人たちは、生命体は840万の生命の種を通り過ぎると言います。90万の水中の種、200万の植物や山やその他の動かない種、110万の昆虫と這う虫の種、100万の鳥の種、300万の動物の種、そして40万の人間の種です。

これらの種のすべてを通り過ぎた後で、魂は最後にバーラタ・ヴァルシャ、すなわちインドに人間として生まれます。彼は、自分の意識を徐々に目覚めさせることによってこの生を得ます。魂が上記の生命の種のそれぞれを通り過ぎる間に、何百万年もの時間が過ぎます(to flash by、またたくまに過ぎる)。

そのため、これらすべての後でさえ、もしも魂がインドに人間として生まれたにも関わらずマーヤーによって従属され続け、「天の配剤」の渦の中を回るなら、それなら彼の不運に限度はありません。したがって、シュリーラ・クリシュナダーサ・カヴラージャはこう書きました。(サンスクリット引用)

「インド(バーラタ・ヴァルシャ)の地に人間として生まれた者は、自分の人生を成功させ、他のすべての人々の利益のために働くべきである。」

(第7段落)人間は、昔からずっと(all along)正しい道を示してきたインドの偉大な賢人たちの足跡を辿ることによって自分の人生を完成させることができます。このことの理由は単純です。マーヤーの攻撃の完全な停止を見つけ、そして至高主(校正:Sが小文字になっている)の蓮の御足の永遠の埃の粒になるために、インドの賢人たちが努力したようなあり方(manner、方法)の例を、私たちは他のどこにも見つけることができないからです。

他の国々では、特に西洋(Occident⇔Orient)では、物質的な科学の様々な分野において大変な進歩がありました。しかし、それはすべて、マーヤー、すなわち幻想の力の創造物である物質的な心と体に基づいています。

西洋人が「天の配剤において、人類は何らの休息も得ることができない」と言って嘆くのは、この理由によります。現在では、インド人も西洋のあり方を猿真似することによって、自己の破滅の道を同様に辿り始めました(have taken to、頼る、習慣的に何かをし始める)。

彼らは自分たち自身の文化を捨て、(その)神聖を汚して、他者の戸口に立つ物乞いになりました。彼らは今、自分たちの独立の旗をたなびかせていますが、これもまたマーヤーの配剤です。事実は、彼らはそれから何も得ることはできません。

西洋は、微小な魂と無限な至高の全体との間の永遠の関係の発達における3つの段階について、決して調べませんでした。これらの段階は、以下のものです。(訳注:長いので箇条書きにしました。)

1、至高主との最初の接触、および主と自分の関係の再認識
2、主と自分の永遠の関係を得るための方法の実践
3、その関係が愛の関係へと花開くこと、および魂の主への完全な依存

(第8段落)西洋の人々は、俗世の事柄においては素晴らしく発達しましたが、絶望と憂鬱(listlessness、活力に欠ける様子、無関心、気だるさ)の海の中でもてあそばれています(to toss about、あちこちに放り投げる)。同様に、インド人たちは、自分たちの俗世的な発達に対して有難く感じようとしているにも関わらず、同じ憂鬱と不満足を経験しています。

奇妙なことに、今では西洋の思索家たちは平和と平穏を見つけるためにインドに目を向けています。私たちは、平和の言葉がまもなく彼らの耳に届くという固い信念を確実に心に抱くことができます。

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皆様、こんにちは。いや~、それにしても耳が、耳が痛みます。プラブパーダのご本を読んでると内耳炎になるかもしれません。現代の文明について、その中で適当に生きている自分について、反論のしようのない言葉を冷静にまっすぐに投げかけてくださいます。我が身を振りかえらねばと思うものの、振り返るのが怖い。。。 ともあれ、続きはまた後ほどお届けします。
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by ammolitering4 | 2013-05-20 04:40 | 「英知による放棄」 | Comments(0)
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