怨念の旗

恨みとか呪いとかの力って、あるなあと思います。たくさんのたくさんの人々を長い長い間、極限まで苦しめて、「がたがた言うなよ、私のせいだと決まったわけじゃない」と言い逃れをする。言い逃れできないくらい証拠が出てきたら、「金をやればいいんだろう、貧乏人め。やるから黙れ」と薄い札束で顔をひっぱたく。それでその人の家族が幸せな顔で微笑んでるのを見たら、末代までたたってやると思うでしょうね。でも、その怨念がまた自分に帰ってくるかもしれない。行ったものはいつか帰ってくるのだろうと思うのです。

カルマって不思議です。苦しみが訪れたのは自分のカルマがそれを送ってきたからです。でも、配達してくれる人に怒りを感じてしまうのを止められない。そして、別の視点から、つまり配達人の視点から見れば、自分のしていることは自分自身に苦しみを発送しているのと同じことです。ついでに、かわいい子や孫をあて先とするカルマも送ってしまう。

こういうふうになっているのだと、私たちの存在の根本なのだと、心してかからねばならないなと思います。テレビで水俣病のことをやってたので、改めて思ったのです。物質的な考え方の中にいると、恨みと怨念の複雑に絡み合った連鎖はどうしても切ることができません。マーヤーは手に負えないほど強大だとクリシュナがおっしゃるのですから、ここにしっかり頭まで浸かったままで自分の精神力だけで誰かや運命を恨まぬようにしても無理な話です。できることなら、カルマはカルマとして受け入れたうえで、空気の海を越えたところにいらっしゃる方を忘れずにここを切り抜けたいものです。

写真は水俣病被害者の抗議デモの旗です。
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by ammolitering4 | 2012-02-27 00:08 | Comments(0)
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