第32章 前半

第32章 結論
第1段落
クリシュナ意識の人として有名な者は、永遠の名声を楽しみます。物質的な世界では、誰もが3つのものを求めて努力しています。彼は自分の名前が不朽にされるのを望み、彼は自分の名声が世界中に広められるのを望み、そして彼は自分の物質的な活動から何らかの利益を望みます。

しかし、このすべての物質的な名前、名声、そして利益が一時的な体に属し、そして体が終われば直ちにすべての名前、名声、そして利益もまた終わるということを、誰も知りません。誰もが体と繋がっている名前と名声と利益を求めて努力しているというのは、ひとえに無知が原因です。

至高の霊、ヴィシュヌを知らずして、体に基づいて有名になること、あるいは霊的に発達した意識を持った人として知られるようになることは、嘆かわしいことです。本当の名声は、人がクリシュナ意識を得るときだけ(if)持たれ得ます。

第2段落
シュリマッド・バーガヴァタムによれば12の権威者がおり、彼らは皆、主の偉大な献身者なので、皆、有名です。これらの権威者は、ブラーマー、ナーラダ、主シヴァ、マヌ、カピラ、プラーラーダ、ジャナカ、ビーシュマ、シュカデヴァ・ゴスヴァーミー、バリ、ヤマラージャ、そしてクマーラたちです。

これらの名士は、皆、主の偉大な、信念の固い献身者なので、今でも覚えられています。ガルダ・プラーナの中で、「ブラーマーあるいは主シヴァなどの半神であることより、カリの時代において至高主の有名な献身者であることの方がもっと稀である」と述べられています。

ナーラダとプンダリーカの間の話に関して、ユディーシュティーラは、「彼は最も有名で、非常に多くの誕生の後で“自分はヴァースデヴァの従者である”と理解するようになる、他のすべての者たちを救うことができます」と言いました。同様に、バガヴァッド・ギーター(7.19)の中で、クリシュナはアルジュナにこうおっしゃいます。

(サンスクリット引用)

「多くの誕生と死のあと、実際に知識のある者は、私をすべての原因と存在するすべてのものの原因と知って、私に服従します。そのような魂は非常に稀です。」アーディ・プラーナにおいて、「解放と超越的な生活は、すべての神の献身者の後に続く」と述べられています。

ブリハン・ナーラディーヤ・プラーナには、「ブラーマーや他の半神たちのような名士たちでさえ、至高の人格神の献身者の価値を知らない」と述べられています。ガルダ・プラーナは、次のように指摘します。「何千人ものブラーマナのうち、一人が犠牲を行うことにおいて熟達しているかもしれない。

そして、何千人ものそのような熟達したブラーマナのうち、一人のブラーマナがヴェダーンタ・スートラの知識において熟達しているかもしれない。そして、何千人も何千人ものそのようなヴェダーンタ学者のうち、主ヴィシュヌの献身者として有名な者が、一人いるかもしれない。」

たくさんのヴィシュヌの献身者がいますが、彼らのうち、自分の献身において確固たる者は神の王国に入る資格があります。シュリマッド・バーガヴァタム(3.13.4)においても、「多くのヴェーダの学徒がいるが、自分の心の中でいつも至高の人格神のことを考えている者が、すべてのうちで最良の学徒である」と述べられています。

ナーラーヤナ・ヴューハ・スタヴァの祈りの中で、「たとえ偉大なブラーマーであっても、もしも主の献身者でないなら、彼は全く取るに足らないが、他方で、もしも微生物が主の献身者であるなら、彼は最も有名である」と述べられています。

第3段落
主チャイタンニャは次に、ラーマーナンダ・ラーヤに「世界で最も価値のあるものは何ですか?」と尋ねました。ラーマーナンダ・ラーヤは、「ラーダー・クリシュナへの愛を持つ者が、最も価値のある宝石と最大の富を持っている」と答えました。

物質的な感覚の満足、あるいは物質的な富に中毒している者は、本当は富裕であるとは考えられません。人がクリシュナ意識の霊的な水準に来るとき、彼は「ラーダー・クリシュナへの愛よりももっと価値のある富はない」と理解することができます。

シュリマッド・バーガヴァタムに、「マハーラージャ・ドゥルヴァは、幾らかの土地を得たかったので至高主を探し求めたけれど、彼がとうとうクリシュナに会ったとき、彼は『私はとても喜んでいます。私は何も欲しくありません』と言った」と記録されています。

バガヴァッド・ギーターにも、「もしも人が至高の人格神の庇護の下に来るなら、あるいは至高神への愛という至高の水準に上げられるなら、彼はそれ以上何も望まない」と述べられています。そのような献身者は、主から何であれ自分が望むものを得ることができますが、彼らは主から何も求めません。

第4段落
主チャイタンニャがラーマーナンダ・ラーヤに「何が最も辛い存在か」と尋ねたとき、ラーマーナンダ・ラーヤは「純粋な献身者からの別離が最も辛い存在を成す」と答えました。言い換えると、主の献身者がいないときには社会には大いなる苦しみがあり、そして、他の人々との関わりが辛いものになります。

シュリマッド・バーガヴァタム(3.30.7)には、「純粋な献身者との関わりを持たない者が、クリシュナ意識に欠ける社会、友情、そして愛を通して幸せになろうとするとき、彼は最も苦しい状態にあると考えられるべきである(he is to be considered)」と述べられています。ブリハド・バーガヴァタームリタ(5.44)の第5巻には、「純粋な献身者との関わりは人生(life)そのものよりももっと望ましく、そして彼からの別離において、人は一秒でさえ幸せに過ごせない。」

第5段落
それから主チャイタンニャはラーマーナンダ・ラーヤに「多くのいわゆる解放された魂のうち、誰が実際に解放されていますか?」と尋ねました。ラーマーナンダ・ラーヤは、「ラーダーとクリシュナへの愛で実際に完全に満たされている者が、すべての解放された者たちのうちで最良の者と考えられるべきである」と答えました。

シュリマッド・バーガヴァタム(6.14.4)に、「ナーラーヤナの献身者は非常に稀なので、人は彼を何百万人も何百万人ものうちからしか見つけることができない」と述べられています。

第6段落
「そして、すべての歌のうち、あなたはどの歌がすべての中で最良だと思いますか(校正:「すべての中で」が一文の中で重複している)?」とチャイタンニャ・マハープラブは尋ねました。そしてラーマーナンダ・ラーヤは、「どれであれ、ラーダーとクリシュナの娯楽を描写する歌が最良の歌である」と答えました。

制約された人生において、魂は性(交)によって虜にされます。すべての作り話---劇と小説---、そして物質的な歌は、男と女の間の愛を描写します。人々はこの種の文献に非常に魅了されているので、クリシュナはこの物質世界に現れて、ご自分のゴピーたちとの超越的な恋愛をお見せになりました。

ゴピーたちとクリシュナの間のやり取りに関する膨大な数の文献(an immense literature)があります。そして、これらの文献、あるいはラーダーとクリシュナに関する話の庇護を受ける誰もが、本当の幸せを味わうことができます。

シュリマッド・バーガヴァタム(10.33.36)には、「主はご自分の実際の人生を明かすためにヴリンダーヴァンでご自分の娯楽をお見せになった」と述べられています。誰であれ、ラーダーとクリシュナの娯楽を理解しようとする知性的な人は、最も幸運です。これらの娯楽について語る歌(songs、複数)は、世界で最も素晴らしい歌です。

第7段落
それから主チャイタンニャは、「世界で最も利益の多いこと、すべての縁起のよい出来事の真髄は何ですか?」と尋ねました。ラーマーナンダ・ラーヤは、「純粋な献身者との関わりほど利益の多いものはない」と答えました。

第8段落
「そして、あなたは人が何について考えることを勧めますか?」と主チャイタンニャは尋ねました。ラーマーナンダ・ラーヤは、「人はいつもクリシュナの娯楽のことを考えるべきである」と答えました。これがクリシュナ意識です。クリシュナはたくさんの活動をお持ちであり、そしてそれらは多くのヴェーダの聖典に描写されています。人はいつもそれらのことを考えるべきです。

それが最高の瞑想であり、最高の恍惚です。シュリマッド・バーガヴァタム(2.2.36)の中で、シュカデヴァ・ゴスヴァーミーは「人はいつも至高の人格神のことを考えるべきである---主のことを考えるだけでなく、人は主の御名、名声、そして栄光を聞き、唱えることもすべきである」と確認します。

第9段落
「そして、何が最良の種類の瞑想ですか?」と主チャイタンニャは尋ねました。

第10段落
「いつもラーダーとクリシュナの蓮の御足の上に瞑想する者は、最良の瞑想者です」とラーマーナンダ・ラーヤは答えました。これはシュリマッド・バーガヴァタム(1.2.14)においても確認されています。「すべての献身者の主人であり、人がその名をいつも唱えるべきであり、いつもその上に瞑想されるべきであって、定期的に崇拝されるべきであるのは、至高の人格神だけです。」

第11段落
「他のすべての喜びを放棄して、人はどこに住むべきですか?」と主チャイタンニャは次に尋ねました。ラーマーナンダは、「人は他のすべての喜びを放棄して、主クリシュナが非常に多くの娯楽をなさったヴリンダーヴァンに住むべきである」と答えました。

シュリマッド・バーガヴァタム(10.47.61)において、ウッダーヴァは、「たとえ人が草(plant、植物)やつる草として生きなければならないにしても、ヴリンダーヴァンに住むのが最良である」と言います。至高主がお住まいになったのはヴリンダーヴァンであり、ゴピーたちが至高主、すべてのヴェーダの知識の究極の目的地を崇拝したのは、そこでです。」

第12段落
そして、「聞くのに最良の主題は何ですか?」とチャイタンニャ・マハープラブは次に尋ねました。

第13段落
「ラーダーとクリシュナの娯楽です」とラーマーナンダは答えました。実際は、ラーダーとクリシュナの娯楽が正しい源から聞かれるとき、人は直ちに解放を得ます。不幸にして、人々がこれらの娯楽を自己を認識した魂である人から聞かない、ということが時々起こります。

こうして人々は時として誤って導かれます。シュリマッド・バーガヴァタム(10.33.40)に「クリシュナのゴピーたちとの娯楽のことを聞く者は、献身奉仕の最高の水準に至り、そして物質世界の中ですべての人の心を圧倒する物質的な欲望から自由になります」と述べられています。

言い換えると、ラーダーとクリシュナの娯楽を聞くことによって、人はすべての物質的な欲望を捨てることができます。もしも人がこのようにして物質的な欲望から自由にならないなら、それなら彼はラーダーとクリシュナの娯楽を聞くことにふけるべきではありません。

人が正しい源から聞かない限り、彼はラーダーとクリシュナの娯楽を、男と女の間の普通の恋愛と考えて誤解釈するでしょう。このようにして、人は誤って導かれるかもしれません。

第14段落
「そして、誰が最も崇拝に値する神(worshipable Deity)ですか?」とチャイタンニャ・マハープラブは次に問いました。ラーマーナンダ・ラーヤは直ちに、超越的な恋人たち(couple)、シュリー・ラーダーとクリシュナが究極の崇拝の対象である」と答えました。

多くの崇拝に値する対象があります---例えば、非人格主義者はブラーマジョティを崇拝します---しかし、ラーダーとクリシュナ以外の対象を崇拝することによって人は生命(life)のしるしを欠くようになり、ちょうど木や他の動かない存在(entity)のようになります。

いわゆる虚無を崇拝する者も、そのような結果を得ます。物質的な楽しみ(ブークティ)を求める者は半神を崇拝し、彼らの惑星に至って、そうして物質的な幸せを楽しみます。主チャイタンニャは次に、物質的な幸せと物質的な呪縛からの解放を求める者について尋ねました。

「彼らは究極的にはどこに行くのですか?」と主は尋ねました。ラーマーナンダ・ラーヤは、「究極的に、一部の者は木になり、他の者は天国のような惑星に行き、そこで彼らは物質的な幸せを楽しむ」と答えました。

第15段落
ラーマーナンダ・ラーヤは続けて、「クリシュナ意識あるいは霊的な人生への嗜好を持たない者は、ちょうど苦いニムバ(訳注:英語ではニームneem、日本語ではセンダン)の実を食べることに喜びを感じるカラスのようなものだ」と言いました。

マンゴーの種を食べるのは詩的なカッコーです。不運な超越主義者は単に無味乾燥な哲学において(on)推量します。一方、ラーダーとクリシュナを愛している超越主義者は、カッコーのように実を楽しみます。このように、ラーダーとクリシュナの献身者である者は、最も幸運です。

苦いニムバの実は、全く食べられません。それは単に無味乾燥な推量に満ちており、カラスのような哲学者だけに適しています。しかしマンゴーの種は非常においしく、ラーダーとクリシュナへの献身奉仕にある者はそれらを楽しみます。

(訳注:マンゴーの種はタンパク質を9%含み、飢饉のときには食用にされる。バターに似た油をとるのにも使われ、搾りかすは動物の餌になる。ニームは苦いので食用にはならないが、薬効が強いので様々に使われる。農薬を使わない自然な殺虫剤としての働きも注目されている。http://neem.mineral-net.com/)ニームに関するサイト

第16段落
こうしてラーマーナンダ・ラーヤとチャイタンニャ・マハープラブは、夜の間じゅう話しました。時として彼らは踊り、時として歌い、そして時として泣きました。このようにして夜を過ごしたあと、夜明けにラーマーナンダ・ラーヤは自分の家に帰りました。次の夜(訳注:その晩)、彼はチャイタンニャ・マハープラブに会うために戻ってきました。クリシュナについてしばらく議論した後、ラーマーナンダ・ラーヤは主の足元にひれ伏して言いました。

「我が親愛なる主よ。あなたは非常に親切でいらっしゃるので、あなたは私にクリシュナとラーダーラーニーの科学と、彼らの恋愛と、ラーサの踊り(のとき)の出来事(affairs、事柄)と、彼らの娯楽について、私に語ってくださいました。私は、自分がこの主題について話すことができるとは、決して思いませんでした。あなたは、ご自分がかつてブラーマーにヴェーダを教えられたように、私に教えられました。」
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by ammolitering4 | 2012-02-22 23:32 | 「主チャイタンニャの教え」 | Comments(0)
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