カリユガ進行状況

なぜこんな世の中になったのだろうか。なぜこんな目に遭うのだろうか。そんなことをときどき聞きます。それで思うのですが、こういう言葉を言うとき、人はあんまり本当に「なぜだろうか」と考えてはいないような気がするのです。「なぜだろうか」という形を借りて、「こんなことは理不尽だ」と天に訴えているだけ。大抵の場合は、たぶん「なぜだろうか、何が原因だろうか、どういう経緯でこうなったのだろうか」と考えてはいないのです。

ちょっと違うかもしれませんが、心の中のすり替えは例えば自分に対する悪い評価を聞いた場合にも起こります。その評価そのものを問題にする代わり、人は往々にして「誰がそう言ったのか」というふうに反応します。それを追及するのに一生懸命になって、「その評価は正当か、なぜそういう評価が生じたのか」と考えることをおろそかにします。

最近、変な電話や手紙が多いです。「北海道の海産物を送りますよ!」という電話だったり、金などの貴金属を買い取ります、というのだったり、どこかの国の不動産を買いませんかとか、いろいろです。この前送ったパンフレットを返してください、今から取りに行きます、なんてのもあります。官公庁っぽい名前の機関を名乗ってお役所っぽい手続きとか料金とかの「払い込みの手伝いをしてあげます」、という詐欺もあります。うん十万円の賞金が当たりました、という電話もあります。家にやってくる人もいます。

さて、なぜこういう世の中になってしまったのでしょうか。何が原因でしょうか。解決策はあるのでしょうか。過去と比べて具体的にどう違っているのでしょうか。これからどういうふうに変化していくのでしょうか。今はカリの時代なので、とりあえずどうなっていくかはあれこれ推量するまでもないですけれど。。。

プラブパーダもおっしゃるように、もともと生命体には「騙す」という欠陥があります。他者だけでなく自分も騙すのだからやっかいです。私たちの記憶が私たち自身を騙すことは、経験上分かっている人も多いと思います。自分に都合の悪いことは忘れ、私たちは無意識に記憶を歪めます。お化粧をした記憶は浅はかな私たちに「美化された過去」を見せてくれます。それは必ずしも「昔は良かった」というふうに現れるのではないかもしれません。「自分は正しかった」という大前提に合うように色づけされるかもしれません。
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両親は鑑定団のテレビ番組を喜んで見ます。大勢の人たちが一時的に存在するだけのものに高いの安いのと一喜一憂します。今日は袈裟を着たお坊さんが出てきました。世も末ですね。まあ、地獄の沙汰も金次第と言いますから、最初から死後もこのへんに留まるつもりなら、お坊さんだってせいぜい蓄えておくほうがいいのでしょう。いや、無が無をありがたがってるだけだから、ちょっと違うのかな。カリユガは順調に着々と進行しています。
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by ammolitering4 | 2012-01-24 22:31 | Comments(0)
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