虚無感の推進

今日、なんとも悲しい話を聞きました。まあ、別に今さら驚くような新しいことでもないのですが。。。高齢の叔母がある有名なお坊さんから時々お話を聞くのだそうです。そして、人間は死んだらそれっきりで、無になってしまう、灰になるだけ、魂だとか言ってるけどほんとは何もない、というような教えを学んでくるのです。話の流れとしては、「だから物質に執着してはいけない、要らない物は捨てなさい」ということで、それはまあ部屋が片付くから別にいいのではないかと思うのですけれど。。。

しかし、それなら彼女の亡くなった両親も単に消えてしまったわけですよね。初七日だ四十九日だ三回忌だと、面倒で金のかかることをする必要もありません。生まれる前は無、死んだら無。それなら何をがんばってその中間を生きてる必要があるでしょうか。命は大切だの地球より重いだのと言うけれど、それほど実体のないものならわざわざ崇め奉る必要はないのです。たまたま偶然、無と無の間に、嬉しいの悲しいのと言ってうごめいているだけ。そんなしょうもないものなら別にいらない、と言って捨てたって、むしろそのほうが資源を無駄にしないからいいのではないかと思います。生まれたらできるだけ早く、今すぐにでも自殺したほうがいいのです。殺人にも罪はありません。ゼロをゼロに戻して何が悪いでしょう。

物質の体が究極的には執着に値しないものであることは事実であり、それに付随する物に執着することの愚かさを教えるのは大切だと思います。でも、そのついでに命そのものである魂さえも否定してしまう教えは、恐ろしい罪を犯しているんじゃないかなと思います。死んだら魂は神様と同化してしまうんだよ、という教えのほうがまだしもマシです。わざわざお寺にありがたい話を聞きに行く信心深い人々は、何を信心しているのでしょう。死んだら仏様や観音様や、あるいは閻魔様に会えるとは思わないのでしょうか。死んでも残る魂などない、無だ、灰だ、と言われて矛盾を感じないのでしょうか。あるいは、本当はお坊さんはちゃんと別な話をなさっていて、俗人の叔母が間違って理解しているのかもしれません。どちらにしても、結果として人生の最後に「命とは無である」という理解をしてしまう人がいるのはとても悲しいことだなと思います。80年以上も生きてきた彼女の人生は全く無意味な無駄な存在だったのですから。
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by ammolitering4 | 2012-01-13 20:24 | Comments(4)
Commented by acha at 2012-01-14 09:58 x
同感です。そんな友人がいますが・・・
Commented by 葉子 at 2012-01-14 16:59 x
やっぱりいらっしゃいますか。罪深いものですね。
Commented by bvd at 2012-01-15 07:20 x
基本的に仏教は「無神論」ですから、たぶん相手にするだけ時間の無駄でしょう。おまけに日本の場合は「仏の教え」を語るべきところかなり曲げていますから仏教ではない。詐欺師と変わらない、、、残念なことです。
Commented by yoko at 2012-01-15 08:51 x
詐欺師、、、悲しいけど、そんな感じします。じつはうちの親戚にも昔いましたね、いわゆる生臭坊主が。。。キリスト教徒の方とお話ししても、いろいろ疑問に思うことは多いです。なんでこれを疑問に思わないのかな、っていう疑問が多いです。
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