第2章 第52段落より

第2章 第52段落より

第52段落
シュリー・クリシュナ、至高の人格神は完全真理です。これはすべての権威ある聖典において立証されています。私たちの霊的な人生は、シュリー・クリシュナとの私たちの関係が再び目覚めさせられるとすぐに発達し始めます。シュリー・クリシュナは太陽のようであり、他方、無知は闇のようなものです。そのため、無知の闇はシュリー・クリシュナとの私たちの関係が築かれるとすぐに消えます。

シュリー・クリシュナが私たちの心臓の中に現れることによって、私たちから物質的な接触による不純物が洗い流されます。ちょうど、太陽が現れると朝が新しくさわやかに現れるようなものです。これは子供じみた想像が作り上げたものではなく、霊的な認識の実際の経験です。シュリー・クリシュナ、あるいは主の真正なる従者の足跡を誠実に辿る者もまた、この単純な真理を理解します。

第53段落
しかし、シュリー・クリシュナをうらやんで自分が主の競争相手である振りをする愚か者は、この事実の言明を受け入れません。そのため愚かな俗人は、カルマ・ヨガの優位を理解することなく、結果的に呪縛を生じさせる無制限な(unrestricted、制約されない、規律されない)物質的な活動にふけります。

彼らの仕事そのものが、彼らを永久に生と死の物質的な存在に留めます。そのような愚かな俗人たちは実際にシュリー・クリシュナをうらやみ、主を「自分たちの一人である」と嘲ります。シュリー・クリシュナに関する真実は、そのような俗人の歪んだ脳に簡単には入りません。それは哲学への経験主義的な方法で侵されているからです。

しかし、主の献身者はバガヴァッド・ギーターのページに実際に述べられていることそのままを忠実に(faithfully、正確に)理解し、想像、あるいは一般に「霊的な解釈」と呼ばれる経験主義的な哲学の手法に訴えません。そのような献身者だけがクリシュナに完全に服従することの論理を受け入れることができ、そのため仕事の危険な呪縛を逃れるためにカルマ・ヨガの過程を取り入れることができます。

第54段落
シュリー・クリシュナによって語られた言葉の中に、これらの献身者が特定のカースト、信条、(訳注:肌などの)色、あるいは国の境界の中に現れる、ということを規定するものはありません。そうではなく、彼らはカースト、信条、(訳注:肌などの)色、あるいは国の制限は全くなくどこにでも現れることができ、(実際に)現れます。ですから、何であれ、そして誰であれ、すべての人がシュリー・クリシュナの献身者になる資格があります。この事実を確認するために、バガヴァッド・ギーターにおいて至高の人格神はおっしゃいます。

「おお、プルターの息子よ。もしも献身奉仕において私に依り頼むなら、堕落した女たちや職業的な売春婦、無知な単純労働者、あるいは商人(など)、信仰のない(faithless、不誠実な)、より低い身分に生まれた者であっても、すべての者が完成を得て神の王国に至ります。」言い換えると、現在の不信心な社会において多数派である非良心的なカースト制度は、シュリー・クリシュナ、至高の人格神に近付くための障壁ではありません。

第55段落
シュリー・クリシュナご自身が、本物で普遍的なカースト制度の基本的な原則を数え挙げられました。4つの社会的な階層―――ブラーマナ(聖職者と知識人)、クシャトリヤ(政治家と軍人)、ヴァイシャ(商人と農民)そしてシュードラ(労働者)---は、それらの階層の構成員が自然の相の下で自分の活動を通じて得た性質に応じて、主によって定められました。

ですから、一面ではクリシュナは世界中のこのカースト制度を作った方ですが、それでも別の見方をすれば、主は(それを)作った方ではありません。つまり、主は不信仰な人々が人の出自に応じて地位を規定する、圧政的で不自然なカースト制度を作った方ではありません。そうではなく、主は、普遍的にあてはまる、自発的で自然で、そして人の性質と能力に基づいたカースト制度を作った方です。

第56段落
4つの社会的な階層の制度は、決して出自によるカースト制度を目的としたものではありませんでした。この制度は、人々の俗的で現実的な資質と仕事に照らして、普遍的に当てはまります。ブラーマナ、クシャトリヤ、ヴァイシャあるいはシュードラの分類は、決して人の偶然の出自に関連して作られるのではありません。(訳注:人が偶然の出自によって階層に分類されるというのは)単に誰かが著名な医者の息子であるからという生得権によって医者になれる、ということと同じ程度(に馬鹿げた)ものです。

医者の本当の資格は、相当の時間をかけた医学の熱心な学習を通してのみ得られます。そして、学習を完了したときに初めて人は医学の職業につくことができます。そのため当然、患者が医者のところに行くとき、彼は医者の出生証明書ではなく、職業的な資格を見ます。ちょうど医者がいつもすべての国とすべての時代にいるように、ブラーマナ、クシャトリヤなどはいつも、個人的で現実的な資質の力によって、地球のすべての場所にいます。

第57段落
私たちが世界の特定の部分の中に、そして特定の宗派の信仰の中に局地化したインドの現在のカースト制度は、疑いもなく誤っており、自然で普遍的なカースト制度の歪んだ姿です。もしも誰かが、何の医学の知識もなく、医学の学校に通いもせず、「自分は医者の息子であるから」と医者である振りをするなら、そしてもしもこの医者が市民の一部から「そうである」として受け入れられるなら、それならその医者と彼の盲目的な追従者たちは単に、騙す者と騙される者の社会の一員です。

ですから、至高の人格神シュリー・クリシュナによって作られ、そしてバガヴァッド・ギーターにおいて言及されているカースト制度は、騙す者と騙される者の社会のカースト制度と同じではありません。シュリー・クリシュナのカースト制度は、世界、そして実際は宇宙の、すべての時とすべての場所において普遍的に真実です。

第58段落
カースト制度の様々な階層の資格はバガヴァッド・ギーターにおいて数え挙げられており、私たちはここでそれらに短く言及します。ブラーマナは最高位の社会的な階層です。彼らは徳の相に位置しており、平等、自制、および許しの活動に携わります。

クシャトリヤは第二番目に高い社会的な階層です。創造的な熱情の性質に位置しており、様々な政治的および社会的な組織の管理的な支配者として公けの指揮に携わります。ヴァイシャは第三位の社会的な階層です。創造的な熱情と無明の闇の混じった性質に位置しており、彼らは一般に農民および商人として働きます。

シュードラは最低位の社会的な階層です。暗闇、すなわち無明の相に位置しており、一般に他の三つの社会的な階層への奉仕をします。階層として、シュードラは俗的な社会組織(social body)全体の従者です。現在の闇の時代―――カリ・ユガ、争乱と欺瞞と無明の時代―――においては、ほとんど誰もがシュードラとして生まれます。

第59段落
もしも私たちが至高の人格神によって作られたカースト制度の光に照らして人間のあり方を調べるなら、私たちは必ず、世界のすべての場所で四つの社会的な階層が機能しているのを見ることができます。地球のすべての場所で、人間が住んでいるところはどこででも、一部の人々はブラーマナの資質を持ち、他の人々はクシャトリヤ、ヴァイシャ、あるいはシュードラの資質を持っています。

自然の相の様々な相は宇宙の隅々にあり、そしてブラーマナ、クシャトリヤなどは単に自然の相の産物であるので、どうして人は世界の特定のところには四つのカーストが存在しないと言えるでしょうか?これは不条理です。

すべての国とすべての時代において、過去にも現在にも未来にも、四つの社会的な階層は存在します。したがって、カースト制度と呼ばれる四つの社会的な階層の制度がインドだけに存在するという理論に固執する者は、完全に誤っています。

第60段落
しかし、至高神の献身者になる機会は、カースト制度によって制限されていません。第四の社会的な階層である普通のシュードラの資質よりはるかに劣る者でさえ、至高の人格神シュリー・クリシュナへの超越的な奉仕をする資格があります。

資格のあるブラーマナが、すべてを魅了する至高の人格神であって完全真理であるシュリー・クリシュナに超越的な奉仕をすることによって得る霊的な完成は、シュードラのそれよりも低い地位にある者であっても、もしも彼がこの、シュリー・クリシュナへの超越的な奉仕をする、という同じ過程を辿るならば、他の誰によっても得られます。

(訳注:「たとえシュードラよりも低い地位にある者であっても、シュリー・クリシュナへの超越的な奉仕をする、という同じ過程を辿るならば、資格のあるブラーマナが得るのと同じ霊的な完成が得られます。」)

プラーナによれば、チャンダーラ、すなわち(シュードラより低い)第5の社会的な階層の者でさえ、自分の超越的な献身奉仕の力によって第一の階層の人(ブラーマナ)よりも高くなります。宇宙の中の至高の聖典バガヴァッド・ギーターの内密な教えは、したがって、人間の人生の最高の完成、つまりシュリー・クリシュナへの超越的な奉仕を得るためだけにあります。

第61段落
したがって、カースト、信条、あるいは(肌などの)色に関係なく、すべての人が、その初期の段階ではカルマ・ヨガとして知られる献身奉仕の過程を取り入れなければなりません。なぜなら、そうすることによってすべての人が世界のすべての活動を霊的なものにする手助けをするからです。

そのような活動によって、仕事をする人となされた仕事の両方が霊性で満たされ(to surcharge、加重積み込みする)、自然の相を超越します。そして、彼の活動が霊化するにつれて、行為者は自動的に最高位の社会的な地位、ブラーマナの資質を得ます。事実、献身奉仕を通して完全に霊化された者は自然の相を超越しており、そしてそのため彼はブラーマナ以上の存在です。

結局、最高位の俗的な階層にあるとはいえ、ブラーマナは超越的ではありません。人がどうやって単に至高の人格神に超越的な献身奉仕をすることによって至高の超越的な知識を得ることができるかは、バガヴァッド・ギーター第4章の24節において説明されています。そこでシュリー・クリシュナは、カルマ・ヨガを行うことによってすべてが霊化される、と説明なさいます。

「至高の霊は偏在である」というヴェダーンタの格言の歪んだ解釈を広めた、アーチャーリャ・シャンカラの汎神論の哲学は、そうは言うものの、上記の一節(BG4.24)に実際的な関わり(bearing 、意味、立場の認識など)を持ちます(has a practical bearing on the above verse)。(訳注:汎神論哲学は格言の歪んだ解釈を世に広めはしたが、この一節に関しては現実的な理解をしている、ということでしょうか。)
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by ammolitering4 | 2012-01-07 12:33 | 「至高神の教え(メッセージ)」 | Comments(0)
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