第2章第16段落より
(訳注:小冊子中の挿絵4枚目、「p.37」 とあるのはp.27の間違い) 第16段落 学識のある賢人たちは、ヴィシュヌの蓮の御足に近付くことは解放を得ることである、と言います。私たちは、カルマ・ヨガの究極の目的であるヴィシュヌの超越的な感覚を満足させることによって、自分の普通の欲求を満足させることができます。 もしも私たちがこのようにして自分の義務を果たさないなら、それなら必ず私たちが為すあらゆる、すべての仕事は、有害な物質的な結果だけをもたらし、そして究極的に世界には大きな災いが訪れるでしょう。 すべてのことをヴィシュヌの満足のために為し、ヴィシュヌに捧げられたものの残り物を食べる(to take)ことによって、私たちは自分に定められた義務を行う過程で蓄積する悪と罪深い(行いの)反応を捨てることができます。 第17段落 私たちはこれらの悪と罪深い(行いの)反応を避けるために非常に多くの注意をするかもしれませんが、普通の仕事(business)のやりとりや投機(venture)を通してでも、私たちは非常に多くの罪を犯さねばなりません。例えば、仕事の交渉では嘘を言うのは必要であり避けられない、ということが分かります。法律に関わる職業をもった人々によって話される嘘の量は言うまでもありません。 弁護士たちは、自分の客が絡まってしまった法律をうまく逃れるために、ありとあらゆるインチキに頼らねばなりません。そしてもちろん、他の職業を持つ人々も、他者への奉仕をする人々も、同じようなことをしなければなりません。意図的であれ意図的でないのであれ、全く疑いもなく、人は罪を犯し―――そして罪深い(行いの)反応を負わねばなりません。 第18段落 たとえ私たちがあらゆる罪を犯すことに対して自らを守ろうと(訳注:「何の罪も犯すまいと」)万全の注意を払っていても―――そしてヴァイシュナヴァ、すなわちヴィシュヌの献身者はもともとすべてのそのような注意を払いますが―――それでも無意識に私たちは、ある場所から別の場所へ歩くなどという全く普通の義務を果たしている間にさえも、多くのアリや他の虫を殺します。 単に水を飲んでいる間にも、私たちは多くの微細な水中の生物を殺し、そして私たちは単に家の掃除をしたり食べたり眠ったりすることによっても多くの生命体を殺します。つまり、普通の暮らしを通して、無意識にでさえも、私たちは自分が負うすべての罪を避けることはできません(we cannot avoid all the sins we incur)。 第19段落 人間の法律によれば、人は殺人を冒せば絞首刑になるかもしれませんが、低位の動物を殺すときは絞首刑になりません。しかし神の法律によれば、人は低位の動物を殺すことによっても罪を犯します。私たちは、どちらの行いに対しても神の法律によって罰せられます。 神の法律、あるいは主の存在でさえ信じない者は、そのような罪を犯し続けるかもしれません。そして彼らはそのような罪を犯すことによって自分が遭わされる無数の苦しみにも関わらず、正気に戻らないかもしれません。しかし、それは神あるいは主の永遠の法律の存在に影響しません。 第20段落 スムリティスとして知られる法律書は、誰もが避けがたく犯す、そう望まなくてさえ犯す5つの種類の罪を挙げます。以下のようなものです。 1、引っかくことによって犯す罪 2、こすることによって犯す罪 3、火を起こすことによって犯す罪 4、水差し(pot)から水を注ぐことによって犯す罪 5、自分の家を掃除することによって犯す罪 たとえ意図しては何の罪も犯さなくても、私たちは疑いの余地もなく、上記の5つの種類の罪を犯します。そのため、ヴィシュヌに捧げられた食物の残り物を食べることが絶対に必要です。なぜなら、これが私たちが避けようもなく犯したすべての罪に対する反応から私たちを逃れさせてくれるからです。 この理由により、ヴィシュヌの崇拝は今もサナータナ・ダールマの信奉者(follower)の家で、特にブラーマナの家で続いています。不幸にして、ヴィシュヌに捧げるためではなく自分の感覚を満たすためだけに食物を調理する者は、自分の定められた義務を遂行する間に意識的あるいは無意識的に犯したすべての罪に対する罰を受けねばなりません。 第21段落 したがって、すべての国々と共同体の指導者たちは、自分自身の利益と、自分が導くのだと公言する人々の利益のために、率先して必ずヴィシュヌを満足させるようにするべきです。至高の人格神シュリー・クリシュナは、次のようにアルジュナに助言なさいます。 「指導者によってなされることは、普通の人々によって従われます(訳注:「普通の人々は指導者がすることに倣います」)。指導者が真実であるとして確立することは何であれ、追随者たちは躊躇せず受け入れます。」 したがって、すべての指導者たちは、ヴィシュヌの超越的な感覚を満足させることができるようにして自分の義務を遂行することによって、自分がいかにして追随者たちのために良い手本を示すことができるかと熟考すべきです。 第22段落 しかし、嘆かわしいことに、普通の人々が指針(beacon、光明、かがり火)と見なす指導者たち自身が心の底では無神論者で、神によって定められた原則に反対している時代が既に来てしまいました。そんな状態ですから、彼らはヴィシュヌの超越的な感覚の満足のために何ができるでしょうか? そしてもしも彼らがすべてのことを至高神の超越的な満足のためにしないなら、どうして彼らは定められた義務を遂行する過程において犯された罪の泥沼から自分自身と自分に従う者たちを引き出すことを期待できるでしょうか? もしも指導者たちが、同時に至高の超越的な人格であって、どこにでも存在している非人格の霊である、万能のヴィシュヌの存在を認識しないなら、それなら普通の人々は主について何を理解するでしょうか? 主はありとあらゆるものの至高の享楽者であり、したがって私たちの誰も、どんなに偉大な人であっても、宇宙とその付属物の享楽者ではありません。私たちの立場は万能のヴィシュヌのそれに従属するものであるため、私たちは主から主の慈悲のしるしとして与えられるものだけを楽しむことができます。私たちは、主あるいは他者に属する何ものをも得ようとして余分な努力をすべきではありません。それがヴァイシュナヴァ主義の精神です。 第23段落 イショパニシャッドにおいて、この同じ精神が次のように描写されています。「(私たちが見るように)宇宙の中全体に存在しているものは、本質的に至高の享楽者の所有物であり、そして人は主によって慈悲深くも与えられたものを楽しむことができます(may、~をしてよろしい)。しかし、人は決して他者の所有物に手を出してはなりません。」 第24段落 したがって、市民の(civic)、および他の人民の(popular)指導者たちは、自分の活動の中心にヴィシュヌを置くべきです。そして、この超越的な仕事という行いによって、彼ら自身が利益を受け、そしてそれぞれ自分の従う者たちのために善を為すことができます。 もしも、伝道者や国家元首を含むこれらの指導者たちがこのヴァイシュナヴァ主義の活動を行わないなら―――そしてその代わりに人工的に自分をヴィシュヌ、至高の享楽者の卓越した立場に置くなら―――そうすれば彼らは実際に一時的な得や崇拝や俗的な名声を楽しむかもしれず、そして偽りの放棄の誇示によって彼らは自分の不運な追従者たちを迷わせ、正しい道を退けることに導くかもしれませんが、そのような物質主義的で神を知らない指導者たちは、決して一群の羊のように屠殺場まで彼らについて行く無知なる魂のために善を成すことはできません。 そのような指導によって、指導者自身は一時的に利益を受けますが、追従者たちは最悪の立場に置かれます。指導者たちは彼らを幻想の利得へとそそのかし、そうして彼らを様々な罪深い行いに携わらせます。自らに一時的な利益を与えることによって、そのような指導者たちは追従者たちの本当の利益を犠牲にし、彼らを滅ぼします。 第25段落 そのような指導者たちは、自分の一時的な利得は自分の一時的な体の破滅と共に消滅する、ということを知りません。しかし、彼らが生涯の指導の間に行った命令と怠慢(commission and omission)の行いは、非常にかすかな形で心と知性と偽りのエゴの心的な(psychic)檻の中に留まり、そしてかすかな心的な生命は再び、霊魂の転生の過程によって別の適切な形の中で育まれます。 そしてこのようにして彼らのかつての行いは彼らに行為と反応の様々な車輪の試練を課し、何年も何年もの間、一つの体から別の体へと転生することを余儀なくさせます。そして一般の人々は無知なる指導者が自分たちに「しろ」と言うことに従います。 第26段落 したがって指導者たちは、関係するすべての人々の利益のためにいかに行動すべきかということに気づいていなければなりません。まず、彼らはカルマ・ヨガの本当の方法―――(人の)仕事の結果を主ヴィシュヌに捧げること―――を理解して実行せねばなりません。そうすれば彼らは実際に自分の追従者のために善を為すことができます。 もしも医者自身が病んでいるなら、彼はどうして他者を癒すことができるでしょうか?医者は一般市民の病を治療する前に、自分自身を癒さねばなりません。患者の感覚を満足させることは、本当の医者の仕事ではありません。良い、資格のある医者は、単に患者の気まぐれを満足させることによって彼を甘やかすことはできません。医者は、それが患者の感覚を満足させるか否かに関わらず、本当の薬を処方しなければなりません。 第27段落 したがって指導者たちは、一般の人々の本当の病は万能の至高神ヴィシュヌに奉仕をすることに対する彼らの嫌悪である、ということを知らねばなりません。しかし、もしも人々の根源的な病―――無神論―――を治療する代わりに指導者たちが単に病の症状への表面的な同情を見せるだけなら、確かに、苦しむ人類への益は全くないでしょう。 この病への本当の治療法は、至高神に捧げられたものの残り物を食べることにあります。これが患者のための理想的な食事療法です。そして、薬には以下のものが含まれます。(訳注:原文は箇条書きではありません。) 1、至高神の栄光を聞き、唱え、覚えていること。 2、至高神の超越的な形を崇拝すること。 3、主に超越的な奉仕を捧げること。 4、主を自分の至高の友人として受け入れること。 5、いかなる状況においても主に服従すること。 指導者たちは、もしも本当に人類の苦しみを消し去りたいのなら、この食事療法とこれらの薬のための手配をすべきです。 第28段落 老練な指導者マハトマ・ガンディーが世界中に神々しい雰囲気をもたらすための方法を発明しようとして最善を尽くしているのを見るのは喜ばしいことです。彼は、自制、忍耐、道徳の原則などを教えています。しかし、いつも必ず限度のあるものである、いかなる発明された方法を使っても、無限であるものに到達することは可能ではありません。(訳注:「人が発明する方法は、いつでも必ず限度があるものです。それを使って~」) したがって至高の人格神シュリー・クリシュナは、バガヴァッド・ギーターにおいて「何度も生まれ変わった後で、学識のある賢人たちは主に服従する。そしてすべてのものをヴァースデヴ(ヴィシュヌの完全な顕現)に結び付けることのできるそのようなマハートマーを見るのは非常に稀である」とおっしゃいました。その意味は、いわゆるマハートマーはどこにでもいるが、本当のマハートマーは至高神と顕現された世界との関係を知っている者である、ということです。 第29段落 そのようなマハートマーは、決して何らの発明された方法を使っても―――帰納的で上方向の知識の過程を通じて作りだされたもの―――至高神に近付こうとすることはありません(訳注:「そのようなマハートマーは、どのようなものであっても、人が発明した方法を使って至高神に近付こうとすることは決してありません」)。 そうではなく、彼は演繹的で下方向の考えを受け入れます。それは至高主から直接、あるいは主の真正なる代理人を通して下りてくる方法です。誰も、何年も何年もの間努力した後でさえ、上方向的な方法によって主に至ることはできません。この上方向的な方法によって得られるもののすべては、人を完全真理から逸脱させる、不完全で部分的で非人格的な知識です。 第30段落 私たちは、ガンディーによって支持された(訳注:「~が採用した」)布教の方法の中にそのような不完全さのしるしを見ることができます。ラーマの名を唱えてはいますが、彼はその名の超越的な科学に気づいていません。彼は非人格的な至高神の崇拝者です。 それはつまり、彼の至高神には超越的な活動がない、ということです。言い換えると、彼の至高神は食べることができず、見ることができず、聞くことができません。経験主義的な哲学者が完全真理に近付こうとするとき、主の超越的な娯楽について何も知らないので、彼は至高神の非人格的な特徴までしか至ることができません。 完全真理に何らの超越的な感覚や感覚的な活動が認められないとき(not credited with)、確かに主は無力と考えられます。そしてもちろん無力な至高神は主の献身者の祈りを聞くこともできず、宇宙の苦しみを和らげることもできません。
by ammolitering4
| 2011-12-28 15:22
| 「至高神の教え(メッセージ)」
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