至高神のメッセージ第1章36段落から最後まで
第36段落 したがって私たちは、他者のために善を為そうと最善を尽くしたが、あらゆる正直な努力にも関わらず失敗したすべての人々に、アルジュナにならって、シュリー・クリシュナ、あるいは主の真正なる従者たちに近付くことを勧めます。 そうしなければ、もしも人が誤った利他主義の感覚から他者の利害を自分のものとして扱うなら、人は幾らかの利得、崇敬、あるいは栄誉という形で一時的な利益を得られるに過ぎないからです。 第37段落 ヒトラー、ムッソリーニ(訳注:原文はa Hitler, a Mussolini)、あるいはそのような物質主義的な説得をするいかなる指導者も、暴力的あるいは非暴力的な施策によって、自分に従う者たちに「一緒に良いことをしている」という思い込み(mental concoction、精神的なでっち上げ)を提供するかもしれません。 そして、そのようないわゆる慈善という行いによって、指導者は自分に従う者たちから、しばらくの間は(功労の)認識を得るかもしれません。しかし、この手の指導者が「良くしてあげよう」と努力した対象である信奉者たちは(訳注:このような指導者たちは人々のために良かれと思って努力をするのですが、彼に付き従う人々は)、そのような一時的な恩恵をもたらす働きからは決して永続的な利益を得ることができません。 すべてのそのような「慈善的」な活動が発展するにつれて、空虚さが感じられるようになります。事実、従う人々はこのようないわゆる「指導者」によって計画された道を辿ることによって、ますますの苦しみに入れられます。 もしも目の見えない人が、別の目の見えない人が道を渡るのを助ける振りをするなら、そうすれば目の見えない指導者と目の見えない従う者の両方が、どこかの見えない溝の更なる暗闇に落ちるでしょう。超越的な知識のない者は、ちょうど目の見えない人のようです。そのような目の見えない人は、他の者たちを光に導こうとすることができるようになる前に、まず自分の盲目性を根治しなければなりません。 第38段落 たまたまインドに生まれたすべての人は、他の人に利益を与える潜在力を持っています(is a potential benefactor of others)。なぜなら、古代から現在まで、超越的な知識の文化が最も詳しく表されてきたのはインドの地においてだからです。 長い間、インドはバーラタヴァルシャとして知られていましたが、そのバーラタヴァルシャの聖人たちや賢人たちは、決して体と心の必要性だけを満足させようとはしませんでした。彼らはいつも、物質的な体と心を超越した霊魂の知識を培いました。 今でも聖人たちと賢人たちは、様々な困難にも関わらず、そうしつづけています。しかし、もしもインドの人々がまず自ら超越的な知識を得ること無くして他の者たちに利益をもたらそうとするなら(to do good to others)、それは全くの愚かさです。 第39段落 さて、もしも私たちが超越的な知識を得たいなら、私たちの最初の義務は、霊魂は永遠なる真理であるということを理解することです。霊魂の周りに育つ体と心という外部的な要素は、すべて相対的、あるいは部分的な真理です。バガヴァッド・ギーターの第2章において、至高の人格神はこの事実を詳しく説明なさいます。 第40段落 「この体にあまねく行き渡る霊魂は永遠であり、そしてそのため人は、誰も永遠に存在する霊魂を滅ぼすことはできない、と理解すべきです。物質的な体は滅びる運命にありますが、体の所有者、すなわち魂は永遠です。したがって、おお、バーラタの御曹司よ、この永遠の真理を知り、あなたは戦うべきです。」 第41段落 「霊魂が(誰かを)殺すことができると考える者、そして霊魂が殺され得ると考える者の両方が、霊魂はいかなるときも殺す者でもなく殺されることもないという事実を知りません。霊魂は決して生まれず、死ぬこともできません。 そして彼(霊魂)は永遠であるため、彼(霊魂)には過去も現在も未来もありません。非常に古いのに、彼(霊魂)はいつも若々しく、そして彼(霊魂)は、体が滅ぼされた後でさえ、決して滅ぼされません。霊魂は永遠で滅ぼされ得ないと理解している者―――どうして彼が誰かを傷つけたり殺したりできるでしょうか?滅ぼされるのは外側の体と心だけです。」 第42段落 「体と心はちょうど人の衣服(outer clothes)のようなものです。衣服が古くなると、人はそれを捨て、一揃いの新しい衣服を着ます。同様に、魂が死のときに自分の古い体を放棄するとき、彼(魂)は新しい体をまといます。」 第43段落 「霊魂は決して鋭い刀で切られず、火によって焼かれず、あるいは水や空気によって影響されることもありません。すなわち、霊魂は永遠に滅ぼされ得ず、燃えず、蒸発し得ず、そして腐食され得ません。彼(霊魂)は恒久的であり、あまねく存在し、そして永遠です。 彼(霊魂)はいかなる人間の言語によっても説明され得ず、いかなる人間の心によっても、完全に想像され得ることもありません。彼(霊魂)は、いつも変化し得ない状態に留まります(訳注:「霊魂は決して変化しません」)。これらすべての事実を知り、人は体の死を嘆くべきではありません。」 第44段落 バガヴァッド・ギーターの言語において、霊魂はクシェトラ・ジニャ、すなわち「場を知る者」と呼ばれ、一方で、霊魂の覆いである体と心はクシェトラ、すなわち「場」と呼ばれます。バガヴァッド・ギーターの13章において、至高の人格神シュリー・クリシュナは、クシェトラとクシェトラ・ジニャの主題について、また、プラクリティ(楽しまれる存在であるところの、自然、すなわち現象的な世界)、およびプルシャ(現象的な世界を楽しむ者)についても議論します。 主クリシュナは、この現象的な世界で生じるすべての行為と反応はクシェトラとクシェトラ・ジニャ、すなわち自然と自然を楽しむ者の、この組み合わせの行為と反応である、と説明なさいます。例えば、田んぼ(rice padd)は田(field)と(それを)耕す者の行為と反応によって作られ、また、子供はプラクリティ、すなわち楽しまれる者と、プルシャ、すなわち楽しむ者の組み合わせによって得られます。同じように、現象的な世界の中で私たちが見るもののすべては、クシェトラとクシェトラ・ジニャのこの組み合わせによって生じます。 第45段落 クシェトラ・ジニャは生きた霊であり、一方クシェトラは生命体が利用する(to exploit、搾取する、食いものにする)物質です。物理学、化学、天文学、薬理学、経済学、性科学、そして他の物質的な化学はクシェトラの物質を扱います。 しかし、クシェトラ・ジニャに関する科学、すなわち霊的な存在を扱う科学は、超越的な知識を明かします。知識を本当に培うこと(real culture of knowledge)は、したがって、クシェトラではなくクシェトラ・ジニャに関係します。私たちは(のちほど)これらすべての事柄をもっと詳しく論じます。 しかし今は、私たちは単に、クシェトラ・ジニャ(プルシャ、すなわち楽しむ者)がすべての知識の中心的な対象であると知ることによって満足するのが良いでしょう(we may be satisfied simply by knowing~)。なぜなら、このクシェトラ・ジニャだけが、物質的な体と心、および(それらと)同類の物理的な要素と一体化してすべてを作り出すからです。 第46段落 クシェトラ・ジニャは永遠の霊であり、一方でクシェトラは一時的ではかない物質です。この永遠の真理は、ヴェーダの中で「ブラーマ・サテャム・ジャガン・ミトヤー」という格言において要約されています。「霊は事実であり、世界は偽りの影である」。 「偽りの影」と言うとき、人は「世界は一時的であり、しばらくの間存在しているに過ぎない」と理解すべきです。しかし、人は誤って「世界は全く存在を持たないのだ」と考えるべきではありません。私たちは本当に自分の一時的な物質の体と心を持っており、そして私たちは自分の体と心の存在を否定することによって自らを笑い者にすべきではありません。 同時に、私たちはいつも、体と心は一時的な配剤であることを覚えていなければなりません。しかし、この体と心に閉じ込められている霊は永遠であり、破壊され得ない真理です。誰も永遠の霊を破壊することはできない―――それが今、私たちが理解しなければならないことです。破壊され得ない霊は、このため、暴力と非暴力の概念を超えています。 第47段落 今日では、世界中が濃密な物質的な体と希薄な物質的な心のための一時的な配剤に関する知識を培うことに夢中になっています。しかし、体と心よりももっと大切なのは、何ら正しく知識を培われることもなく脇に追いやられている霊です。 その結果、無知の闇が世界を覆い、大いなる社会的な不安、騒乱、そして苦しみをもたらしました。人はどれくらい長く外的な幸せを楽しむことができるでしょうか?それは、胃に何らの栄養も入れずに衣服を洗うようなものです。本当の栄養は、すべての体一つ一つに生命体として存在する永遠の真理、つまり破壊され得ない霊に関する知識を得ることから来ます。 第48段落 生命体は非常に小さく、最も小さな原子よりも小さいものです。学識のある専門家たちは、魂の大きさはおよそ髪の先の千分の一だと言いました。このため私たちは、体のどの一部にほんのわずかに触れただけでも私たちが感じる敏感さは、この生命体が体全体に存在していることによるものである、と理解すべきです。 しかし、この小さな生きた火花が体から去ったとき、体は死んで横たわり、地に倒れ(prostrate、腹ばいの状態)、そしてそれは何らの痛みも感じません―――たとえ斧で滅多切りにされても。 第49段落 この小さな生きた火花、すなわち霊が物質的なものでないということは、いかなる物質的な科学者も、物質的な物質のいかなる組み合わせによっても生命の火花を作り出せていないという事実によって暗示されています。 物体を操作することによって作られ得る物は何でも、破壊されることができ、一時的です。しかし、生きた火花は破壊され得ないため、物質的な科学者たちは、生きた火花は物質的な科学によって複製され得ないという事実を受け入れねばなりません。彼らは原子爆弾を作ることはできますが、生命の霊的な火花を作りだすことはできません。 第50段落 物質的な科学者たちは世界中で大変な発達を遂げましたが、残念なことに、これらの発達した科学者たちは、常に最も大切な主題である生きた火花、すなわち霊について理解する試みを全くしませんでした。これは全くの無知です。これが彼らの救いの無さです。 第51段落 シュリー・ジャガディッシュ・チャンドラ・ボーズ、アイザック・ニュートン卿、ベンジャミン・フランクリン―――これらの人々のそれぞれの優秀な脳(brain substance)は、彼らのそれぞれの体から生命(living substance)の小さな火花が離れたと同時に、完全に機能を停止しました。 もしも化学的あるいは物理的に物質を組み合わせることによってこの生命(living substance)を作り出すことが可能であるなら、それならきっとこれらの偉大な科学者たちの弟子などが彼らを生き返らせ、そうやって世界への彼らの科学的な貢献を長引かせたでしょう。 しかし、どの物質的な科学者も、どんな物質的な方法によっても生命の火花を作り出すことはできず、そして、未来にはそうできる、と言う者は最大の愚か者であり、最大の偽善者です。生きた霊は永遠です。彼には終わりも始まりもなく、そのためいかなる方法によっても決して作り出され得ません。 それに、すべての作られたものには滅亡があるというのは、私たちの経験の範囲内のことです。(訳注:「形あるものは皆壊れる、というのは、私たちも経験上よく知っていることです。」)霊魂の永遠性は、それが物質的な手段によって作り出され得ないということによって証明されます。 第52段落 そしてそのため、生命の火花を滅ぼすことができると考える者もまた、それ(霊魂)について何も知りません。したがって至高の人格神シュリー・クリシュナは、断固として、生命体は霊であるため決して生まれない、と宣言なさいます。生命体は永遠に存在し、過去も現在も未来も持ちません。 霊は決して、物質的な体が滅びた後でさえ、滅びません。また、体が物質的な誕生と死を繰り返すことによっても、成長することも衰えることもありません。何よりも古いにも関わらず、霊的な存在(spiritual entity)は常に若々しくて新しいのです。彼(霊)はいつでも、常に死と滅亡の影響を受ける物質的な体と心とは異なっています。 第53段落 ここで人は、「なぜ主クリシュナはこれらすべての超越的な知識をクルクシェトラの戦場でアルジュナに説明なさったのですか?」と問うかもしれません。答えは単純明快です。軍事的な義務を遂行するために行われる戦いは、魂ではなく体だけに関係するからです。 ちょうど、たくさんのご馳走を食べることが心の飢えではなく胃の飢えだけに関係するようなものです。これらの物質的な影響は決して永遠なる生命体には関係しません。なぜなら、生きた霊は征服され得ず、燃えず、湿らされることなく、乾くこともないからです。 物質的な物だけが切られたり、焼かれたり、湿らされたり、空中で乾かされたりされ得ます。このため、アルジュナを励まして戦わせるため、クリシュナは様々な方法で「生命体すなわち霊魂は完全に非実質的(metaphysical、抽象的、哲学的、形而上学的な)である」と説明しました。 第54段落 インドで「サナータナ・ダールマ」、すなわち「永遠の宗教」として知られているものは、この永遠の、あまねく存在し、変化し得ず、滅ぼされることのない生きた霊のためのものです。つまり、本当の宗教は、濃密な物質の体と希薄な物質の心に焦点を当てた様々な宗教的な信仰を超越しています。 サナータナ・ダールマは、単にある特定の人々、場所、あるいは時代(time)のためのものではありません。そうではなく、それは永遠で、あまねく存在します。サナータナ・ダールマ以外のすべての宗教は、身体的あるいは心理的な変化を培うためにあります。 第55段落 様々な人々、場所、そして時代の影響は、私たちが自分たち自身をヒンズー教徒、イスラム教徒、キリスト教徒、仏教徒、社会主義者、ボルシェビキ(訳注:ロシア共産党の前身であるロシア社会民主労働党の党員、あるいは単に共産主義者)、などと区別して考える(to designate)ようにさせました。(訳注:「~の影響によって、私たちは~と考えるようになりました」) 特に宗教の分野においては、様々な人々、場所そして時代に応じて、私たちは多くの種類のはかない身体的および精神的な配剤、そして(訳注:原文ではandが抜けている)様々な宗派を確立しようとしました。そしてまさにこの理由のため、私たちは自分が「宗教を変える」のを想像することができます。 今日ヒンズー教徒である者は翌日にはイスラム教徒になるかもしれず、あるいは今日イスラム教徒である者は翌日にはキリスト教徒になるかもしれず、等々。しかし、私たちが超越的な知識に到達して、サナータナ・ダールマ、すなわち生命体―――霊魂―――の本当の永遠の宗教において確立するとき、そのとき、そしてそのときだけ(訳注:「そうなってはじめて」)私たちは世界で本当の、否定され得ない平和、繁栄、そして幸せを得ることができます。 第56段落 非常に小さく、私たちの物質的な目には見えないので、霊魂は、不可解、知覚し得ないなどと呼ばれます。それでも霊魂は永遠であると理解されます。なぜなら、彼(霊魂)は決して誕生、死、病および老齢や、他のいかなる身体的な変化にも影響されないからです。 したがって、もしも私たちがこれらの身体的な変化から解放されて永遠の平和と幸せを得たいと望むなら、霊魂の永遠の宗教の精力的な普及がなければなりません(訳注:「霊魂の永遠の宗教を精力的に普及させなければなりません」)。しかし私たちは、この魂の永遠の宗教は決して人や場所や時間のいかなる限界(limitation、制約)によっても束縛されないということを、いつも覚えているべきです。 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 どうもずいぶんお待たせしております。なぜだか人生がごちゃごちゃとしてまして。。。しなきゃいけないことを書き出して、優先順位をつけて、多少なりとも心を落ち着けようと思っています。何と申しましょうか、犬みたいに走り回ってるうちに大事なことをすっかり忘れてしまう、という落とし穴にはまりこんでる気がします。私は一応しろうと絵描きだったはずなのですが、それもすっかり忘れさられています。続きはまたいずれ載せます。どうぞ気長にお待ちください。 それにしても思うのは、体はナマモノのマネキンだなということです。夜にはいつもプラブパーダのご本を拝読するのですが、体という超巨大ロボットを運転してる自分を想像しながら読んでます。私が運転席から降りれば体は用無しになって、北朝鮮の将軍様の死体と違ってカネがかけられることもないのでほっとけば腐敗していって、、、しかしそれが今は動いてるんですよね。すごいことです。私はとろいので車の運転はできないけど、体の運転もあんまり上手ではありません。体操選手とか見てると、私があれをやったらいっぺんにこの体は廃車だな、と思います。それがどうした、という要点のない文章を書いてますが、夜に一人でひっそりとプラブパーダのお話を伺っていると、いろいろと想像力が暴走するものであるようです。 それでは皆様、どうぞ良いお年をお迎えくださいませ。そうは言っても法王様も衰えが目立ち始めていらっしゃいますし、来年はアメリカもロシアも大きく動くだろうし、地球全体で地盤も動く気まんまんみたいだし、北朝鮮もアラブもアフリカもじーっとしてる様子はないし、中国もヨーロッパも、もちろん日本も危うい、しかも大気圏の外も何やら方々で慌しいみたいだし、、、進行するカリユガの名に恥じず何かと騒動の多そうな気配が充満してますが、嵐の雲の向こうには(最近ちょっと活動期みたいな)太陽があるように、クリシュナのことを心のどこかで思い出していられるといいなと思います。
by ammolitering4
| 2011-12-21 19:40
| 「至高神の教え(メッセージ)」
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