第11章 「主への奉仕」後半
第10段落 一般に人々は何らかの物質的な欠乏を和らげるために献身者に近づきます。しかし、純粋な献身者の影響は人をすべての物質的な欲望から自由にするため、彼は徐々に献身奉仕の味わいを楽しむようになります。 献身奉仕はとても素晴らしくて純粋なので、それは献身者を浄化します。そして彼は、主への超越的な愛情ある奉仕に完全に携わるようになると、直ちにすべての物質的な野心を忘れます。その実際的な例はドゥルヴァ・マハーラージャです。 彼はクリシュナから物質的な何かを望み、そのため献身奉仕に携わりました。主がドゥルヴァの前に四本の腕を持ったヴィシュヌとしてお現れになったとき、ドゥルヴァは主に言いました。「我が親愛なる主よ。私は大いなる苦行と禁欲をもってあなたへの献身奉仕に携わったので、今こうしてあなたを見ています。 偉大な半神たちや偉大な賢人たちでさえ、あなたを見るのに困難を伴います。今、私は喜んでおり、そして私のすべての望みは満たされました。私は他に何も望みません。私は幾らかの壊れたガラスを探していましたが、その代わりに貴重で価値のある宝石を見つけました。」このように、ドゥルヴァ・マハーラージャは完全に満足し、彼は主に何らかの願い事をすることを拒否しました。 第11段落 840万の生命の種類の中を転生している生命体は、時として川を流れ下る丸太になぞらえられます。時として、偶然によって、丸太は岸辺に打ち上げられ、そのため更に下流に流されることを余儀なくされることから救われます。 シュリマッド・バーガヴァタム(Bhag10.38.5)には、次のようにすべての制約された魂を励ます節があります。「誰であれ、決して物質の束縛から逃れられないと考えて憂鬱になるべきではありません。なぜなら、ちょうど川に浮かんで下流に流れる丸太にとって岸に辿りつくことが可能であるように、必ず救われる可能性があるからです。」 この幸運は機会は、主チャイタンニャによっても議論されています。そのような幸運な出来事は、人の制約された人生の終末(decline、衰え、最終段階)の始まりだと考えられています。そしてそれは、もしも主の純粋な献身者との係わりがあれば生じます。 純粋な献身者と関わることによって、人は実際にクリシュナに魅了され始めます(to develop attraction for Krishna、クリシュナへの好みを育む)。様々な種類の儀式と活動があり、その一部は物質的な楽しみへと発達し、他の一部は物質的な解放へと発達します。 そして純粋な献身者との関わりの中でそれらの儀式的な活動によって主への純粋な献身奉仕が発達するわけですが、もしも生命体がそれらの儀式的な活動を習慣づければ、人の心は自然に献身奉仕に惹きつけられるようになります。シュリマッド・バーガヴァタム(10.51.54)において、ムチュクンダが次のように述べています。 (サンスクリット引用) 「我が親愛なる主よ。この物質世界の中で異なる生命の種を通って旅をしている間に、生命体は解放に向かって発達するかもしれません。しかし、もしも偶然によって彼が純粋な献身者にめぐり合うなら、彼は実際に物質エネルギーの束縛から解放されるようになり、あなた、すなわち至高の人格神の献身者になります。」 第12段落 制約された魂がクリシュナの献身者になるとき、主はご自分のいわれのないご慈悲によって、彼を二つの方法で訓練します。主は彼を外から霊的指導者を通して訓練なさいます。そして主は彼を内から超魂を通して訓練なさいます。シュリマッド・バーガヴァタム(11.29.6)には次のように述べられています。 「我が親愛なる主よ。たとえ誰かがブラーマーのそれのように長い命を得ても、彼はそれでもあなたを思い出している(remembering、思い出す、忘れないでいる)ことから得られる利益への感謝を表すことはできないでしょう。 いわれのないご慈悲によって、あなたはご自分を外からは霊的指導者として、そして内からは超魂としてお現しになり、すべての縁起の悪い状態を遠ざけられます。」 第13段落 もしも人がどうにかして純粋な献身者とめぐり合い、そしてクリシュナへ献身奉仕を捧げるという望みを育むなら、彼は徐々に至高神への愛という水準に上がり、そうして物質的なエネルギーの束縛から自由になります。これはシュリマッド・バーガヴァタム(11.20.8)においても説明されています。そこで主ご自身がこうおっしゃいます。 「物質的な活動によって誘惑されるからでもなく、それを嫌悪するからでもなく、自発的に私の活動に魅了される者にとっては、神への愛の完成に至る献身奉仕の道が可能になります。」しかし、純粋な献身者、すなわちマハートマー、偉大なる魂の恩恵無くして完成の水準に至ることは可能ではありません。 偉大な魂の慈悲無くしては、人は物質的な束縛からさえ解放されることができません。そして、至高神への愛という水準に上がることについては、言うまでもありません。これはシュリマッド・バーガヴァタム(5.12.12)においてシベリアのスィンド県のラフーガナ王とバーラタ王との間の会話の中で確認されています。ラフーガナ王がバーラタ王の霊的な達成を見て驚きを表したとき、バーラタは答えました。 (サンスクリット引用) 「我が親愛なるラフーガナよ。誰も偉大な魂、すなわち純粋な献身者によって恩恵を与えられることなくして、献身奉仕の完成された水準に至ることはできません。単に聖典に示された規律的な原則に従うことによって、あるいは放棄階級となることによって、あるいは家庭人の生活のあてがわれた義務を遂行することによって、あるいは霊的な科学の偉大な学徒になることによって、あるいは悟り(realization)のための厳しい禁欲や苦行を受け入れることによっては、誰も完成された水準に至ることはできません。」 同様に、無神論者である父ヒラニャカシプが自分の息子プラーラーダ・マハーラージャに、どうやって彼が献身奉仕に魅了されるようになったのかと尋ねたとき、少年はこう答えました。「純粋な献身者の足の埃によって恩恵を施されない限り、人は物質的な人生のすべての問題の解決策である献身奉仕の道に触れることさえできません。」(Bhag7.5.32) 第14段落 このように主チャイタンニャはサナータナ・ゴスヴァーミーに、すべての聖典は至高神の純粋な献身者との関わりを強調する、とおっしゃいました。至高主の純粋な献身者と関わる機会は、人の完全な完成の始まりです。これはシュリマッド・バーガヴァタム(1.18.13)においても確認されています。 そこでは、人が純粋な献身者との関わりによって得る利便と祝福は比べるものがない、と述べられています。それらは、天上の王国(heavenly kingdom)へ上げられることや、物質エネルギーからの解放とも、何ものとも比べられ得ません。主クリシュナもまた、これをバガヴァッド・ギーターの中の最も内密な教えのなかで確認なさいます。そこで主はアルジュナにこうおっしゃいます。 (サンスクリット引用) 「いつも私のことを考え、私の献身者になりなさい。私を崇拝し、あなたの敬意を私に捧げなさい。そうすればあなたは間違いなく私のところに来るでしょう。私はあなたにこれを約束します。あたなは私のとても親愛なる友人だからです。」(BG 18.65) 第15段落 クリシュナからのそのように直接的な教えは、いかなるヴェーダの教えよりも、あるいは規律的な奉仕と比べてさえ、もっと重要です。たしかに、知識を得るための多くのヴェーダの指令(injunction、主に禁止命令を指す)や、儀式的、および犠牲を捧げる活動、規律的な義務、瞑想の技術、そして推量的な方法などがあります。 しかし、「いつも私のことを考え、私の献身者になりなさい」というクリシュナの直接的な命令は主の最終的な命令として受け取られるべきであり、従われるべきです。もしも単にこの命令に納得して他のすべての仕事を放棄し、主への献身奉仕をするようになるなら、人は疑いもなく成功を収めるでしょう。 この宣言を確認するために、シュリマッド・バーガヴァタム(11.20.9)には、主シュリー・クリシュナの直接的な命令を完全に納得していない限りにおいて、人は自己認識のための他の道を辿るべきである、と述べられています。(訳注:自然な日本語にすれば「SBには~と書かれており、この宣言を確認しています」) 主の直接的な命令は「すべてを放棄して献身奉仕に携わるように」ということである、というのは、シュリマッド・バーガヴァタムとバガヴァッド・ギーターの結論です。 第16段落 主の命令を遂行することをしっかり納得することは、信念(faith)として知られています。もしも信念があれば、単に主クリシュナに献身奉仕を捧げることによって、儀式的な義務、犠牲、ヨガ、および知識を推量的に探求することを含む他のすべての活動は自動的に行われるということを、人はしっかりと納得します。 もしも人が主への献身奉仕がすべてを含むということを納得していれば、他のいかなる活動も必要とされません。シュリマッド・バーガヴァタム(4.31.14)には次のように述べられています。 (サンスクリット引用) 「木の根に水をやることによって、人は自動的に枝、小枝、および実に栄養を与えます。そして、胃に食べ物を与えることによって、すべての感覚が満足させられます。同様に、クリシュナに献身奉仕を捧げることによって、人は自動的に他のすべての形の崇拝に必要とされるものを満たします。」 信念が深く、このことを深く納得している者は、純粋な献身者として上げられる(to be elevated)資格があります。(訳注:「上げられる」というのは、単に自分だけの努力によって純粋な献身者になれるものではないから、という理由による表現だと思います。) 第17段落 納得の程度によって、3段階の献身者が存在します。第1級の献身者は、あらゆる種類のヴェーダ文献に精通しており、同時に上記の深い納得を持っています(訳注:上記のことを深く納得しています)。彼は他のすべての者を物質的な悲惨さの苦痛から救うことができます。 第2級の献身者は深く納得していて強い信念を持っていますが、彼は明かされた聖典から証拠を引用する力を持っていません。第3級の献身者は、その信念があまり強くない者です。しかし、献身奉仕を徐々に培うことによって、彼はやがて第2あるいは第1級の立場へ上げられる資格を得ます。 シュリマッド・バーガヴァタム(11.2.45-47)には、第1級の献身者は常にすべての生命体の魂として至高主を見る、と述べられています。すべての生命体をこのように見ることによって、彼はクリシュナを見、クリシュナだけを見ます。 第2級の献身者は、自分の完全な信念を至高の人格神の上に置き、純粋な献身者と友人になり、無邪気な(innocent、悪気の無い)人々を慈しみ(to favor)、無神論的な人や献身奉仕に反対する人を避けます。 第3級の献身者は、霊的指導者の指示に従って献身奉仕に携わったり、あるいは家族の伝統に基づいて携わったりし、そして主の神像を崇拝しますが、彼は献身奉仕の知識を培ってはおらず、献身者と非献身者を見分けることができません。 そのような第3級の献身者は実際に純粋な献身者であるとは考えられ得ません。彼はほぼ献身の列にありますが、彼の立場はあまりしっかりしていません。 第18段落 こうして人は、「人が主への愛と献身者への友情を見せ、無邪気な者に情け深く(to display mercy)、非献身者との関わりを渋るのであれば、その人は純粋な献身者と考えられ得る」と結論づけることができます。 そのような人は、献身奉仕を培うことによって、すべての生命体は至高存在の欠かすべからざる小片である、ということを知覚することができます。一つ一つの生命体すべての中に彼は至高の人格を見ることができます。 そしてそのため、彼はクリシュナ意識において大いに発達するようになります。この段階において、彼は献身者と非献身者の区別をつけません。彼はすべての人を主への奉仕において見るからです。彼はクリシュナ意識と献身奉仕に携わりながら、すべての偉大な性質を発達させ続けます。シュリマッド・バーガヴァタム(5.18.12)には、次のように述べられています。 (サンスクリット引用) 「至高主への純粋な混じりけの無い献身奉仕を得る者は、半神たちのすべての良い性質を発達させます。他方で、そのような奉仕を発達させない者は、いかなる物質的な資格にも関わらず、必ずや道を踏み外します。彼は精神的な(mental)水準の辺りで迷うからです。」このように、物質的な資格は献身奉仕無くしては無価値です。
by ammolitering4
| 2010-12-06 03:08
| 「主チャイタンニャの教え」
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