第27段落
超越的な愛の恍惚感は二つの部分から成ります。状況(context、前後の脈絡、事情)、および興奮の原因です。状況はさらに二つに分けられます。主体と対象です。献身奉仕の交換が主体であり、クリシュナが対象です。超越的な性質が興奮の原因です。 これは、クリシュナの超越的な性質が献身者を興奮させて、主に奉仕するようになる、ということを意味します。非人格主義(マーヤーヴァーディー)の哲学者たちは、完全真理には特定の性質はない、と言います。 しかし、ヴァイシュナヴァの哲学者たちは、主には物質的な性質がないために完全真理はニルグニャ(無性質)として描写されているのだ、と言います。これは、主には霊的な性質がないことを意味するのではありません。 実に、主の霊的な性質は非常に偉大で非常に魅惑的なので、それは解放された人さえも惹きつけます。それはシュリマッド・バーガヴァタムのアートマーラーマの節で説明されています。そこでは、既に自己認識の水準に位置している者はクリシュナの超越的な性質に惹き付けられる、と書かれています。これは、クリシュナの性質が物質的ではなく、純粋で超越的である、ということを意味します。 第28段落 恍惚感のより高い水準は、以下の13の超越的な行為で特徴づけられます。 1、踊ること。 2、床を転がること。 3、歌うこと。 4、手を叩くこと。 5、体毛が逆立つこと。 6、大声を出すこと。 7、あくびをすること。 8、激しく呼吸すること。 9、社会的なしきたりを忘れること。 10、よだれを垂らすこと。 11、笑うこと。 12、うずくような痛みを感じること。 13、咳をすること。 これらすべての特徴が同時に生じるのではありません。それらは超越的な関係の交換に応じて生じます。ある場合にはある特徴が主であり、別の場合には別のものが主となります。 第29段落 超越的なラサ、すなわち関係は、5つに分けられます。 第1の段階はシャーンタ・ラティと呼ばれます。そこでは、物質的な汚染から自由になった者が至高の人格神の偉大さを噛みしめます(to appreciate)。この段階に至った者は、厳密には主への超越的な愛情ある奉仕には携わりません。これは中間的な(neutral、あいまいな、中立的な)水準だからです。 第2の段階はダーシャ・ラティと呼ばれます。そこでは、人は至高主に対して永遠に従属的である自分の立場の真価を感謝と共に認識します(to appreciate)。そして自分が永遠に至高の人格のいわれのない恵みに依存していることを理解します。そのときに、同時に自然な愛情が芽生えます。成長して自分の父の恵みを理解して感謝し始める息子が感じるような愛情です。この段階において、生命体はマーヤーすなわち幻想ではなく、至高主に奉仕したいと望みます。 第3の段階はサキャー・ラティと呼ばれます。そこでは超越的な愛が育ち、人は同じ水準の愛と尊重において至高存在と関わります。この水準がさらに発達すると、冗談を言ったり笑ったりするなどの、くつろいだ交換がなされます。 この段階では至高の人格との友愛的な交換があり、人はすべての呪縛から自由になります。この段階では人は実質的に生命体であるという自分の劣った立場を忘れます。しかし同時に彼は至高人格への大変な敬意を持ちます。 第30段落 第4の段階はヴァーツァリャ・ラティと呼ばれます。以前の段階において顕著であった友愛的な愛情は、親のような(paternal、狭義では「父のような、父性的な」)愛情に発展します。この時点で生命体は神の親になろうとします。 主を崇拝する代わりに、至高存在の親として生命体が至高の人格にとって崇拝の対象になります。この段階では主はご自分の純粋な献身者の恩恵に依存なさり、ご自分を献身者の統御のもとにおいて、彼らに養育されます。この段階では、献身者は至高主を抱きしめて頭に口付けをすることができるほどの立場を得ます。 第5の段階はマドゥーラ・ラティと呼ばれます。そこでは、愛する者と愛される者の間で恋人としての(conjugal、婚姻関係の)愛の実際の超越的な交換がなされます。クリシュナとヴラジャの高貴な娘たちが互いに視線を交わしたのは、この段階でのことです。この水準では、愛情ある視線や目の動きや心地よい言葉、魅力的な微笑みなどの交換があるからです。 第31段落 これらの5つの主要なラサ、すなわち関係の他に、次に挙げる7つの副次的なラサがあります。 1、笑うこと。 2、素晴らしい幻影(vision、幻視、光景)を見ること。 3、騎士道的な関係に入ること。 4、同情を経験すること。 5、怒りを感じること。 6、恐ろしさを経験すること。 7、荒廃を経験すること。 例えば、ビーシュマは騎士道的なラサにおいて戦士としてクリシュナと関わりました。しかし、ヒラニャカシプは恐ろしくて破壊的なラサを経験しました。5つの主要なラサはいつも純粋な献身者の心の中に留まります。 そして、7つの副次的なラサは時として現れたり消えたりします。主要なものの趣と味わいを豊かにするためです。主要なラサを豊かにしたあと、それらは消えます。 第32段落 シャーンタ・バークタ、すなわち中間的な水準にある献身者の例は、カヴィ、ハヴィ、アンタリークシャ、プラブッダー、ピッパラーヤナ、アーヴィロートラ、ドラヴィダ(あるいはドルミラ)、チャマサ、およびカラバージャナという名の9人のヨギーです。4人のクマーラたち(サナカ、サナンダナ、サナトクマーラ、4およびナサータナ)もまた、この水準です。 第2の段階、すなわち主従関係のダーシャ段階の献身者の例は、ゴクラ・ラサの中のラクタカ、チトラカ、およびパトラカです。これら(の人々)は、すべてクリシュナの従者として働きます。ドヴァーラカーにはダールカがおり、ヴァイクンターの惑星にはハヌマーンや他の人々がいます。 第3の段階、すなわち友情の段階の献身者には、ヴリンダーヴァンのシュリーダーマー、ドヴァーラカーおよびクルクシェトラの戦場でのビーマとアルジュナがいます。他にも多くの者たちがいます。 クリシュナと親のような関係で関わる者としては、ヤショダーやマハーラージャ・ナンダなどがいます。クリシュナの母、父、叔父、その他の親類です。 恋人としての関係には、ヴリンダーヴァンのヴラジャの高貴な娘たちや、妃たち、ドヴァーラカーの幸運の女神たちがいます。このラサにおける莫大な献身者の数を数えられる者はいません。 第33段階 クリシュナへの愛着は、さらに二つに分類され得ます。一方の水準では、畏怖と崇敬を伴う愛着があります。この種類の愛着は、自由が一部欠落しているのが特徴です。そして、それはマドゥーラーおよびヴァイクンターの惑星で見られます。これらの主の住まいでは、超越的な愛情ある奉仕の精神は規制されています。 しかし、ゴクラ・ヴリンダーヴァンでは愛は自由に交換されます。そして、ヴリンダーヴァンの牛飼いの少年たちや高貴な娘たちは、クリシュナが至高の人格神であることを知っていますが、彼らは主と非常に親密な関係にあるため、畏怖と崇敬を示しません。 5つの主要な超越的な関係において、畏怖と崇敬は時として主の実際の偉大さをよく見えなくする障害物であり、また、時としてそれらは実際に人の主への奉仕を妨げます。 他方で、友情、親としての愛情、そして恋人としての愛情があるときは、そのような畏怖と崇敬は減ります。例えば、クリシュナがヴァスデヴァとデヴァキーの息子として現れたとき、主の両親は畏怖と崇敬をもって主に祈りました。 彼らは、至高主クリシュナすなわちヴィシュヌが自分たちの前に幼い我が子として現れたことを理解したからです。これはシュリマッド・バーガヴァタム(10.44.51)において確認されています。至高主が自分たちの子供として現れていたにも関わらず、デヴァキーとヴァスデヴァは主に祈り始めました。 同様に、アルジュナが主の宇宙的な(universal、普遍的、万能な)形を見たとき、彼は非常に恐れて、親しい友人としてクリシュナに対して為した自分の振る舞いの許しを乞いました。友人として、アルジュナは主に対してたびたび気軽に振舞いました。そして、すばらしい(awesome、畏怖の念を起こさせるような、恐ろしい)形を見て言いました。 (サンスクリット引用) 「かつて私はあなたの栄光を知らずに、あなたを「おお、クリシュナ」、「おお、ヤーダヴァ」、「おお、友よ」などと呼びました。私が狂気において、あるいは愛において為したであろうことを、何であれお許しください。 くつろいでいたとき、あるいは同じベッドに寝転がっていたとき、あるいは一緒に食事をしていたとき、時には自分たちだけで、そして時には大勢の友人たちの前で、私は何度もあなたに敬意のない振る舞いをしました。どうぞ私のすべての無礼をお許しください。」(BG11.41-42) 第34段落 同様に、クリシュナがルクミニーをからかっていたとき、彼女はクリシュナが自分のもとを去るのではないかと恐れ、ひどく狼狽しました。そして、手に持って主をあおいでいた扇を取り落とし、気絶して床に倒れました。ヴリンダーヴァンでのクリシュナの母であるヤショダーについては、シュリマッド・バーガヴァタム(Bhag. 10.8.45)に次のように述べられています。 (サンスクリット引用) すべてのヴェーダおよびウパニシャッドによって、およびサーンキャー哲学体系とすべての正統な聖典によって崇拝されている至高の人格神は、彼女の子宮の中にお生まれになった、と考えられています。また、(Bhag.10.9.12)には、母ヤショダーは幼いクリシュナを、まるで主が彼女の体から生まれた普通の息子であるかのように縄で縛った、と述べられています。 同様に、クリシュナが普通の人として取り扱われた描写は他にもあります(Bhag. 10.18.24)。実に、クリシュナがご自分の友人である牛飼いの少年たちとの遊びで負けたとき、クリシュナはご自分の肩に彼らを背負って歩きました。その(背負われた)子供というのはシュリーダーマーです。 第35段落 ヴリンダーヴァンにおけるゴピーたちとシュリー・クリシュナの関わりについては、(Bhag. 10.30.36-40)において、シュリー・クリシュナがラーサの踊りからシュリーマティー・ラーディーカーだけを連れ出したとき、彼女はクリシュナが他のすべてのゴピーたちを置き去りにしたと考えた、と描写されています。 彼女たちは皆同様に美しかったにも関わらず、主は彼女をこのようにして満足させました。そして彼女はおごり高ぶって考え始めました。「私の愛しいクリシュナは、美しいゴピーたちを置き去りになさった。そして彼は私だけで満足なさっている。」森の中で彼女はクリシュナに言いました。 「私の愛しいクリシュナよ。私はもう動けません。あなたが望むなら、どこへでもあなたの望むところへ私を連れて行ってくださって構いません。」クリシュナは「来て私の肩に寄りかかりなさい」と答えました。そして、そう言った途端に主は消えました。そのため、シュリーマティー・ラーディーカーはひどく文句を言いました。 第36段落 クリシュナがラーサの踊りの場から消えたとき、すべてのゴピーたちは悔やみ始め、こう言いました。「愛しいクリシュナよ!私たちはここに来て、私たちの夫や息子や、親類や兄弟や友人たちを置き去りにしました!彼らの助言を退け、私たちはあなたのもとへ来ました。 そしてあなたは、私たちがここに来た理由をよくご存知です。あなたは、私たちがあなたの笛の美しい音色の虜になったからここに来たのだということを知っておいでです。それなのに、あなたは本当にずる賢いので、こんな真夜中に私たちのような少女や女たちを置き去りになさいました。これはあなたにとって、あまり良いことではありません。」 第37段落 シャマという語は、心を統御して、それを至高の人格神に据えることによって、それが様々にそれるのを防ぐことを意味します。心が至高主に据えられているとき、人はシャマの水準に位置するものとして知られます。 その水準においては、献身者はクリシュナが人の経験の中のすべての事柄の背後にある基本原則であるということを理解します。これはバガヴァッド・ギーター(BG7.19)においても説明されています。そのような人は、クリシュナがすべてのものの中に存在しており、宇宙の顕現の中にくまなく行き渡っているということを理解することができます。 すべては至高主の統御のもとにあり、主のエネルギーの中に位置しているにも関わらず、それでもすべてはその個人的な形におけるクリシュナとは異なります。バークティ・ラサームリタ・スィンドゥーにおいても、これを理解する者、その知性がクリシュナに据えられている者はシャマの水準に至ったのである、と述べられています。 さらに、至高の人格神は(サンスクリット引用)とおっしゃいます。シャーンタ・ラティの水準に上げられない限り、人はクリシュナの偉大さに関する、あるいはすべての顕現の原因である主の異なるエネルギーの放散に関する知識に心を据えることができません。この同じ要点がシュリマッド・バーガヴァタム(Bhag.11.19.36)でも説明されています。 (サンスクリット引用) 心の安定は、至高の人格神がすべてのもののもともとの源であると結論づけた者によってのみ得られます。そして人が自分の感覚を統御できるとき、それはシャマと呼ばれます。感覚を統御して心を安定させておくために、人があらゆる苦しみに耐える用意ができているとき、それはティティクシャー、すなわち忍耐と呼ばれます。 そして人が舌と性器の欲求を統御することができるとき、それはドーリティーと呼ばれます。ドーリティーから、人はディーラ、すなわち平穏になります。平穏な人は、決して舌と性器の欲求によって乱されません。 第38段落 もしも人が脇にそれることなく自分の心をクリシュナに据えておくことができるなら、彼はクリシュナ意識における確固たる立場、すなわちシャーンタ・ラサに至ることができます。シャーンタ・ラサに至ると、クリシュナへの断固たる信頼(faith)が確立され、すべての物質的な欲望は消えます。 シャーンタ・ラサのこれらの特定の特徴、すなわちクリシュナへの断固たる信頼およびクリシュナと関係のないすべての欲望の消滅は、他のすべてのラサにも共通するものです。それはちょうど、音が空中から生じるので、他のすべての要素(空気、火、水、および土)の中に一般に存在するようなものです。 同様に、シャーンタ・ラサのこれらの二つの特徴は、他の超越的な関係においても見られます。ダーシャ(主従関係)、サキャー(友愛)、ヴァーツァリャ(親としての愛情)、そしてマドゥーラ・ラサ(恋人としての愛)です。
by ammolitering4
| 2010-03-22 05:16
| 「主チャイタンニャの教え」
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