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朝の散策3

Dear Friends, Hare Krishna!

Thank you for visiting my web site. Here, I have been posting the translations of Prabhupada's books.

The titles are as follows:

1.Easy Journey to Other Planets
2.Beyond Birth and Death
3.Perfect Questions, Perfect Answers
4.Matchless Gift
5.Elevation to Krishna Consciousness
6.Spiritual Yoga
7.Life Comes From Life

And this is what I'm working on right now.
8.Teachings of Lord Caitanya

As you may have noticed already... yes, the contents here are in Japanese, exclusively. Also, I'm afraid I'm not accepting any comments in English due to high volume of spam messages.

I imagine that I will be working on Teachings of Lord Caitanya for the next several months. After that, I'd like to start working on Shrimad Bhagavatam, as it is a very important work that needs to be translated. I learnt that the project has already started, but since it is a huge literature, there may be room for my contribution.

I translate on my spare time, so the progress is slow. I would very much appreciate any financial support so that I can concentrate on my translations for the service of Srila Prabhupada.

Please e-mail me with any comments at leafyone55*yahoo.co.jp
(please change * to @)

P.S.

I am also an artist, mostly working on reversed glass paintings. My artworks are on display at the address below. There are several hundred photos, including the portrait of Prabhupada.
glass painting site
Prabhupada's portrait

Yoko Nishiyama, Vancouver
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1973年4月28日、ロサンゼルスのチェヴィオット・ヒルズ公園にて録音。

シュリーラ・プラブパーダの同行者はDr.シング、カランダーラ・ダーサ・アディーカーリーおよび他の生徒たち。

1.「泥棒としての科学者」

SP:(手にバラの花をもって)このような花を実験室で作ることのできる科学者はいますか?

DS:それは可能ではありません。

SP.その通りです。不可能です。御覧なさい、クリシュナのエネルギーのなんとすばらしく働いていることか!このような花を実験室で作ることのできる科学者はいません。彼らは砂の二粒三粒さえ作ることができません。それにも関わらず彼らは宇宙の中で最も進んだ知性を持っていると主張します。これは愚かです。

DS:彼らはクリシュナから物質を取り、それを操作して、そして他ならぬ自分たちが何か素晴らしいものを作り出したと主張します。

SP:少なくとも、もしも彼らが自分たちはクリシュナから物質を取ったのだと認めるなら、それは良いことです。私たちは、すべてはクリシュナから生じたと理解しています。

DS:しかし、彼らはクリシュナから何かを取っていると認めません。その代わり、彼らは自分たちこそが創造者であると言います。

SP:どうやって彼らが何かを作り出したというのでしょう?彼らは砂を取り、何かの化学物質と混ぜてガラスを作ります。彼らは砂も化学物質も作りませんでした。彼らはそれを地球から取ったのです。彼らがどうやって何かを作り出したというのでしょう?

DS:彼らは「私たちは自然から材料を取った」と言います。

SP:「自然から」とは、人格のある者から、ということを意味します。彼らは自然から取りましたが、自然の中のすべてはクリシュナに所属するので、彼らは泥棒です。(サンスクリット引用)「すべては神の創造である。」(イショパニシャッド1)バガヴァッド・ギーターにおいてクリシュナは、もしも人がヤジナ(犠牲)を行わないならその人は泥棒である、とおっしゃいます。ヤジナとは、物がクリシュナから取られたことを認めることを意味します。私たちは次のように考えるべきです。「クリシュナ、あなたは私たちの維持のために非常に多くのものを下さいました。」ただこれだけの認識をクリシュナは欲していらっしゃいます。それだけです。そうでなければ、主は他ならぬあなたから何を期待することができるでしょうか?主の臨在にあって、あなたは何ですか?私たちはクリシュナの慈悲を認めるべきです。したがって、私たちは食べる前に食べ物をクリシュナに捧げ、「クリシュナ、あなたは私たちにこのおいしい食べ物を下さいました。だから、まずあなたが味わってください。」と言います。それから私たちはそれを食べます。

クリシュナはおなかを空かせてはいらっしゃいません。それでも主は、全世界を食べて、そしてそれを再び全く元通りに作り出すことがおできになります。(サンスクリット引用)(イショパニシャッド、祈り)クリシュナはとても完璧なので、もしもあなたがクリシュナから主のエネルギーのすべてをとっても、もともとのエネルギーのすべてはクリシュナの元に残ります。それこそが完全なエネルギーの保存です。

2.「自然の源」

DS:「Nature(ネイチャー)」という科学雑誌があります。そこには植物や花や鉱物などの自然な物質に関する記事がありますが、神に言及することはありません。

SP:私たちは、植物は自然によって作られたと正しく観察するかもしれません。しかし、私たちが尋ねなければならない次の問いは、「誰が自然を作ったのか」というものです。他ならぬこのことを問うことが本当の知性です。

DS:彼らは一般にこのことについて考えません。

SP:では、彼らは愚かです。自然はどこから来るのですか?私たちが自然について語れば直ちに、次の問いは「いったい誰の自然なのか」であるべきです。そうではありませんか?例えば、私は私自身の自然(訳注:原語はnature、性質、自然、などを意味する)について語り、あなたはあなた自身の自然について語ります。したがって、私たちが自然について語れば直ちに、次の質問は「いったい誰の自然なのか」であるべきです。自然とはエネルギーを意味します。そして、私たちがエネルギーについて語れば直ちに、私たちはそのエネルギーの源について問わねばなりません。例えば、もしもあなたが電気エネルギーについて語るなら、あなたはその源、発電所を受け入れなければなりません。どうしてあなたはそれを否定できるでしょうか?電力は自動的に私たちのもとへ来るのではありません。同様に、自然は自動的に働いてはいません。それはクリシュナの統御の下にあります。

生徒:ヴェーダには、物質エネルギーはクリシュナの指揮の下で働くと書いてあります。

SP:そうです。あなたがエネルギーについて語れば直ちに、源が存在しなければなりません。

3.「物質世界の蜃気楼」

カランダーラ:地質学者たちは、地球の源を突き止めるために、地球の地殻の地層を研究します。

SP:しかし、これらの地層は毎瞬作られては破壊されています。今はそれらはある状態にありますが、今から30分すれば異なります。それらはジャガット、いつも変化しているのです。クリシュナはバガヴァッド・ギーター(8.4)において(サンスクリット引用)とおっしゃいます。「物理的な自然は、終わりなく変化しうるものとして知られます。」したがって、人は単にエネルギーそのものを観察することによってすべてのエネルギーの源を見つけることはできません。今は地球の地層は黒であるかもしれず、のちにはそれは白であるかもしれず、そしてまた黒となるかもしれません。そこで、地質学者は黒色を、そして白色を、そして再び黒を、等々と調べます。これは(サンスクリット引用)、「すでに噛まれたものを噛む」(脚注5)と呼ばれます。今は寒く、昼間は暖かくなり、そして夜にはまた寒くなります。このように、物質的な宇宙の顕現全体が異なる種類の変化の影響の下にあります。私たちの体さえも変化しています。すべてが変化しています。しかし、この変化の背後の永遠性は何ですか?それが本当の知識の主題なのです。科学者たちは、その永遠性を見つけません。そしてそのために彼らは落胆します。彼らは、すべてのものの背景は虚無、ゼロであると考えます。彼らは永遠性とはゼロであると考えるのです。そして、このゼロはどこから来るのかと尋ねられると、彼らは「それは無から来ます」と言います。ですから私たちは彼らに「多様性はどうして生じたのですか?」と尋ねなければなりません。ヴェーダの結論は、科学者たちが物質世界で調べる変化する多様性は一時的であるけれど、多様性そのものは永遠である、というものです。物質世界の多様性は影の多様性です。本当の多様性は永遠に霊的な世界に存在します。

DS:では、物質的な宇宙は蜃気楼のようなものですか?

SP:そうです。例えば、水のない時に私が砂漠で水を見ると仮定しましょう。これは幻想です。水は存在しますが、蜃気楼の中にではありません。同様に、私たちが見る物質的な多様性―――多様な楽しみ―――は、蜃気楼のようなものです。私たち生命体は、本来楽しむべき存在ですが、私たちは楽しみを誤ったところに―――幻想の中に探しています。私たちは、蜃気楼の中の水を追いかけて、やがて喉が渇いて死ぬ砂漠の動物のようなものです。彼らはそのような幻想の水では渇きを癒すことができません。同様に、私たちは自分たちの楽しみへの渇きを満足させるために多くのものを作り出そうとしていますが、物質存在は幻想であるため、至るところにおいて当惑させられています。したがって、本当の知性とは「現実はどこにあるのか、幻想の背後の永遠なる本質はどこにあるのか」と問うことを意味します。もしも私たちがそれこそを見つけることができれば、私たちは本当の楽しみを経験することができます。
by ammolitering4 | 2009-09-15 04:21 | 「生は生より来たる」


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